ONE PIECE~Two one~   作:環 円

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23 -利する行い

 海戦が行なわれていた。白と黒の戦いである。

 既に両船は接舷(せつげん)され白が黒を追い立てていた。オセロでいうなれば、3方向の端を全て埋められた状態だ。

 海上での戦いは生か死かのどちらかであった。陸に近ければ海に飛び込み泳ぎきれば逃げられるが、そうでない場合、足場は攻める側と攻められる側の船だけだ。

 

 「……了解、左舷向かいます」

 

 アンはコードレスのイヤホンから聞こえてくる声に返答を返す。

 このアイテムはDr.ベガバンクの新作であった。雛形は元もとあったのだが、アンがこういうのが欲しいと療養中、ねだったものが形になったのである。

 基本的に電伝虫は一対一の対話だ。だが今回の品は親電伝虫を親機とし、子電伝虫を持つ全員に受信させるものである。応答側からの発言が重なると酷いハウリングが起こるが、順番に応えてゆけば良いだけの話だ。

 元々からヘッドホンが存在していた。小型化し、戦略を各隊長格にいっせいに流せれば意志の統一も可能であるし、命令の行き違いもない。

 今回の作戦では、アンの健康診断時に手渡された試作品が利用されている。

  

 幾つかに分かれている部隊が攻勢を激しくしていた。

 降伏勧告が蹴られたのだ。

 海軍としては出来るだけ生きて捕らえる、が基本ではある。が、海兵が生命の危機に陥いりやすい乱戦となった際にはその限りではない。会得している六式がひとつ月歩を使い、ふわり、と空に浮く。

 

 瞬間空を切る音がし、足首に鍵爪と錘袋、そしてロープが絡みつく。

 油断していた、というのは言い訳にしかならない。

 

 「しまっ!」

 

 肩越しに見えたのは醜く歪んだ唇の片方を上げる海賊の顔だった。

 力任せに引っ張られ、がくん、とその勢いに体重分の落下が加わりあっという間に甲板へと落とされる。

 だがしてやられてばかりではない。仮にも海兵である。着地を間違わなければ大きく振りかぶった足の遠心力だけで相手を同じ状態---尻餅をつかせるくらい出来た。

 

 ベルトにくくりつけてあったナイフで縄を切り、後方甲板へと向かう。足首は傷ついていない。万が一のためにと厚底のブーツを履いていたのが良かった。

 いたるところで銃弾が放たれる音が響いている。

 剣戟や突撃時の鬨の声、痛みによる叫びや断末魔。復帰後の初戦がこんな乱戦になろうとは思いもしなかった。

 もう少し元ケガ人を大切にして欲しいと思いつつ、自分の職業を思い出し、こんなものかと納得する。切った張ったを海上で行なう海兵がひとりなのだ。現場に在って否定するのはよくないだろう。

 

 とん、と背中に触れる手があった。

 「遅い、故に迎えに来た」

 ぶっきらぼうな言い方だ。すぐさまお互いが背を向け合った状態となる。盛り上がった筋肉の固さに押されそうになりつつも、背もたれを提供してくれた人物の体温を感じれば気持ちも引き締まる。

 「ありがとう、助かる」

 

 口から出た言葉は紛れも無い本心だ。

 今や痛みや引きつりは無いが、まだどこか体を持て余している状態だった。

 あれだけの大怪我をしたのだ。表面的には元通りにはなったものの内部の差異はどうしようもなく、怪我をする前の体に戻れるなど、できるわけが無い。限りなく近づけることは可能だが、それも日々感覚を研ぎ澄ますよう反復を続けている。

 

 

 アンをこの甲板に連れ戻した相手が向かってくる。背の向こう側にある相方も視認していた。

 真正面からくる。それを迎え撃った。背を離れ、駆ける。

 右手には抜き放たれたままのナイフがあった。海賊の手にも湾曲刀が握られている。

 

 海賊は大きくそれを振りかぶっていた。アンは勢いを殺さず相手に向かう。

 もらった、とばかりに海賊の口が動く。だがアンの体は木の板をすべり、男の股の下を通過した。

 滑りながら体を半回転させ、後方に回った直後足を斜めに立てその反動で体を浮かせる。

 膝に全体重が乗り、かすかな痛みを感じたがしかし、そのままナイフを海賊の首横を滑らせた。

 男の見開いた目と目があう。驚愕に大きく開かれていた。

 飛沫が上がる。その絶叫に多くが振り返った。

 

 白のセーラーが銀の光を手に、星(キルレシオ)を上げている姿を見た。海兵の証を纏う女が仲間を今まさに殺した姿を見た。

 返り血を浴びた幼子の姿に異常性を感じ、悪寒を得た海賊が叫ぶ。

 

 「海兵が人殺しをしていいのかよ!」

 

 誰かが続ける。

 正義を掲げる海兵が簡単に人を殺しても良いのか、と。

 そうだ、そうだと海賊達から同意の声が上がる。足踏みをして抗議する海賊もあった。

 なんとも拍子抜けするような、ぬるさを持った海賊たちである。己が今まで行なってきた行為を忘却しているのだろう。

 

 「何を言っているんだい。勧告を無視した時点で、君達に命などあるわけないだろう~」

 

 声と共にいくつもの骸が出来上がる。

 銃の形を模した指先をふっと吹き、黄と白のストライプスーツを着た男が将校の証であるコートをたなびかせ、笑んでいる。

 それはこの海賊船を拿捕し、殲滅の命令を下した海兵たちの長である黄猿だった。

 日が真上にあるこの時間、黄猿が放つ悪魔の実の力は見えにくくなる。なぜなら太陽を直接見るのと変わりない光熱が放たれるからだ。海兵に当たらぬようには撃つものの、たまに誤射貫通するときもある、という。

 

 海賊という無法者になった時点で世界にあるさまざまな権利を放棄したとみなされる。

 だが、それでも、と文句を言うのは別段構わない。なぜなら言うだけならただであるからだ。最低限の保障を、権利を主張するならば、世界の法に則って動いている組織に従わなければならないだろう。

 

 大将の前線出現により、多くの海兵が奮い立つ。その正反対となり萎びれたのは海賊達だ。

 だがしかし、海賊たちもここで終わらなかった。お前達は死ぬ、と宣言されたわけだ。自暴自棄、あるいは窮鼠猫を噛む。至るところで戦いが激しさを増した。

 

 「何しに出てきたんだ、あの人は」

 「ただの気まぐれじゃないかな」

 

 アンはその体の小ささと素早さを武器に、相方である男はサーベルを手に命を刈り取ってゆく。

 刃筋に迷いはない。

 

 どこかしこで響いていた剣戟がひとつ、ふたつと収まってゆく。

 たった一箇所だけ、どうしても終わらぬ戦いがあった。

 それを黄猿がじ、と見ている。

 

 己が行けばものの数秒で終わるというのに、海兵側に死人が出ていないからと高みの見物をしている黄猿にアンはちらりと視線を送る。

 それへボルサリーノはにやりと笑んだ。

 

 行け。

 と言っているのだろう。

 まったく部下使いの荒い上官である。

 

 残党となったたった一人は大きな斧を背負っていた。

 その表情は悲壮だ。血を浴び、血を流し、汗と混ざって浅黒い肌がまだら模様になっている。

 

 「たったふたりだけで俺の相手が務まると思ってんのかァ!」

 

 ビリ、と空気が張り付く。威圧だ。

 だがこの程度、黄猿から毎回の如く味合わされている。両者とも怯みはしなかった。

 男の名は巨斧のイグラ、懸賞金は4800万ベリーの賞金首だ。

 ここまで船を発見してからおよそ30分余りだろうか。海軍本部に戻る黄猿艦にばったりと遭遇してしまった運のない海賊船だった。

 

 「西の海出身だったけ」

 「知らん。ともかく捕らえるぞ」

 

 いつの間にか、出来上がった舞台にはアンとその相方である男のみが残されていた。全くもって要らぬお膳立てをする黄猿である。

 

 "偉大なる航路(グランドライン)"の折り返し地点までもう少し、というところで大将が乗る軍艦に出会ってしまったこの船には、50人を超える乗組員が居た。

 ある一定ラインの力量以上を持っていなければ、海賊の墓場とも言われるこの航路では海軍がわざわざ手を下さなくとも、自然が勝手に淘汰してくれる。

 "偉大なる航路(グランドライン)"とはある意味、分離器と同じ役割を果たしていた。小麦粉を篩(ふる)う、試験に篩って落とす。そう、選別の場だ。

 ここまでたどり着いた船ならば、実力も相当なものだろう。

 しかし、上には上が存在するのもまたこの "偉大なる航路(グランドライン)"の条理だ。

 

 サーベルと腰のベルトに引っ掛けていたメイスを手にした相方の号令でアンは走る。

 斧は船上での戦いでよく使われる武器だった。腕っ節に自信があるならば、カトラスよりも有用な道具となる。これは相手の船に乗り移る時、舷側に斧を突きさしてよじ登る際に利用された。登山のピッケルのように、斧を使うのだ。

 

 イグラは巨大な斧をものともせず振りまわす。

 さすがはふたつ名、伊達ではない。

 ふわりとアンは風に乗る。斧が作りだした圧を使い上空へと舞いあがった。

 相方であるドレークは甲板を走りイグラに迫る。

 

 柄を手のひらで器用に回し、イグラは大きく振りかぶった刃をすぐに手元へ引きもどす。

 巨斧から生み出された圧で舷側が弾け飛んだ。それに危うく衝突しそうになり、体をひねり放物線からずらす。

 「危ない」

 マストの上に降り立てば眼下では力と力がぶつかり合っていた。ひとりであれば手に余る相手であっても、誰かと組めば容易となる。しかし能力者となればまた話は別だ。

 相方---ドレークが交戦中の相手は動物系の能力者らしい。変身した姿はどう見てもウシ科だろう。

 「モデル、か」

 悪魔の実はいくつか同一に分類される種が出回っている。特徴的な姿だった。なにを食べたのか、と観察する。

 イグラの場合を例にとれば、ウシウシの実モデル、バイソンやキリン、ホルスタイン等が該当するだろう。悪魔の実辞典を見れば、動物系の多様さは面白いほど存在していた。希少な実も数多くあるのも動物系のすごいところ、だろう。千差万別なのが動物系の特色かもしれない。

 

 悪魔の実は店で売られている訳でも、どこかの島に生っている訳でも無いとされていた。話に聞く限り、ぷかぷかと海に浮いているのだという。知らない間に手に入れていた、という棚からぼた餅的な入手もあったとか無かったとか。

 どこからともなく発生する唐草模様の実の出所は未だに世界の不思議と言われている。

 たまに噂で、屋台やら露店が出ているとも聞く。

  

 正義の二文字が入ったコートがマントのように音を立てた。

 こんな動きを阻害する邪魔な物、纏いたくは無かったが規則で身につけなくてはならないのだという。

 「ドレーク、油断大敵だよ」

 がっちりと両の武器で斧を捉えられたイグラは、バケモノじみた脚力を持つだろう脚でドレークを打つ。

 肘で咄嗟に防御を固めたが勢いよく舷側に背から衝突した。

 アンは身の軽さを用い海賊の攻撃をかわしながら武器を拾おうとして断念、引きずる。その際にイグラが突撃してくればコートを使い、闘牛士さながらの華麗な回避を披露する。

 

 肉弾戦は慣れたものだった。日常的に相手をして貰っているのが黄猿である。それに加えエースやルフィとも毎日、組み手を繰り返していた。否応なしに体術も上達するというものだ。

 紙絵で斧による攻撃をことごとく回避する。視線は拾い引きずる武器に落としたままだ。

 「ねえ、海賊さん。大人しく捕まる気は無いですか」

 

 ……返答は、無い。

 

 当たり前だ。仲間のほとんどを骸とされ、大人しく捕まる海賊などいないだろう。特に船を仕切る船長ともなればなおさらだ。己の為にこの海を渡ってくる。

 

 「高みの見物でも良かったのだが」

 「いや、それはちょっと、いくらなんでも」

 戦線に復帰した相方に武器を投げる。遠心力を使っての無謀な投擲だ。視線は交わさない。受け取ってくれると解っていた。

 

 正面から相手とやり合うのは、アンの戦い方では無い。相手の力を真っ向から受けず流す。どんなに相手が強力な一撃を放ってきたところで、力が向かう方向性を変えてしまえば、おのずと隙が生まれた。そのわずかな隙間を縫うようにナイフを走らせ命を狩る。

 動と静、形に2種あるとするなら、ドレークは前者、アンは後者の方だ。

 

 身を屈め脚に力を蓄えたドレークが体勢の崩れたイグラの顔面にメイスを、懐に潜り込んだアンが鉄塊で強化した拳を腹へ打撃した瞬間、骨がいくつも砕ける音が響いた。

 どこかの骨が折れたのだ。腹には骨がない。どこが砕けたのかは推して知るべしだろう。

 その場でイグラは白眼を剥いて絶命する。最も人体で大切な、脳と頭蓋骨が、それを支える首が衝撃で折れたのだ。

 「……捕らえるんじゃなかったのかな」

 「これは事故だ」

 

 終わった事を手を振って黄猿他、軍艦の海兵へと伝える。

 海軍所属者が賞金首を捕らえたり死体を引き渡しても懸賞金は出ない。報奨金という形で多少は出るものの、賞金稼ぎ達と比較した場合、ご愁傷様、と言われる額だった。

 

 アンは接舷した軍艦から新たに乗り移って来た海兵と共に船の捜索に入る。ドレークと幾つか言葉を交わし、それぞれの担当へと分かれた。階級が上がってもドレークとの組み(コンビ)を解消してはいない。本来であれば将校の地位は単独で賞金首と対峙出来る実力を持つ人物が持つ立場である。だがアンは叙された。

 先の戦いにおいてもそうだ。ひとりで対応するには無理があり、どこからどう見ても実力不足であるのは明白であった。

 で、あるのにも関わらず、なぜ昇格したのか。

 だが運も実力のうち、という。むず痒い感もするが、もらっておいて損はないだろう。そう思い受けた。

 だがこの艦にある間はアンも意地を通すつもりであった。現在の地位は、みなしである。多くの思惑が重なった結果だった。

 

 この艦に限らず、海兵であれば毎朝目を通すだろうとある新聞がある。

 そこにあったのは英雄から生まれた英雄、という見出しであった。

 なんのこと、であるかは自身の身から出たさびでもある。分からないわけもない。

 

 艦の反応はぱっくりと割れていた。

 もとから友好的であったものと、そうでなかったもの、の2極だ。

 はっきりいって極端である。なぜその中央が居ないのだと眉を寄せたかった。

 唯一ドレークだけは、中立であろうか。どちらの極にも友人が居り、休日には彼らと飲みに行くとも聞いていたからだ。

 

 ただ空気はいくらか緩和されていた。

 威に竦んだのだろうか。それとも長い者には巻かれておけと打算したのか。

 どちらにしろ海軍では将校に対し罵詈雑言を放てば軍法会議にかけられる。それほどまでに下士官と将校では格差がつけられていた。

 とはいえ敵意や嫉妬が日常的に言葉として向けられなくなっただけでも御の字であろう。それが例え虎の意を借りた狐の如きだとしても、だ。

 

 「少佐、捕虜を発見したそうです」

 「ありがとう、すぐ向かいます」

 

 自分よりも年齢の高い、海兵に頷いて階段を下る。

 

 △▽△▽△▽△▽△▽△▽

 

 復帰初日、黄猿に伴われてやっていたのは海軍本部元帥の部屋だった。

 幾度か使いを頼まれて来た事があるものの、ドアから入るのは初めてであった。

 悪寒しかなかった。

 にこやかに横を歩くボルサリーノは、いつもと変わらず飄々としている。

 中に入ると数人の中将が待機していた。その中には義祖父の姿も見える。

 義祖父が人の悪い笑みを向けてきた。悪寒がいよいよ謀略の尻尾を振ってきたように感じる。

 

 この部屋では発言を許されたものだけが声を言葉にできた。

 

 「ポートガス・D・アン、召還により参りました」

 

 ようやく言い慣れた所属と名を名乗り、敬礼する。

 センゴク元帥はアンをじっと凝視した。顔が引きつっていないだろうかと、内心びくびくものだ。

 天竜人に関してのいきさつは既に聞き及んでいるだろう。

 しかも入隊年数が浅いのにも関わらず、長期にわたり負傷の為とはいえ休養している。

 

 おつるからは条件付で咎めはなし、とは聞いていたものの、その条件やらが無理難題である可能性が高い。

 詰問を受けるのは、軍隊に所属する身である。覚悟は完了しているが胃が痛い。

 

 センゴク元帥からじかじかに受けた文言は、予想内であった。

 昇格である。

 で、あるならば黄猿経由でも良いはずだ。

 裏を探す。

 

 すればたぶん、そうであるのだろう事柄が把握できた。

 元帥室に在していた中将たちへの牽制だ。この者に手を出すな、という先手である。

 昇格の理由として、聖地マリージョアに入ることが出来る最低限の授与と明確に口に出したからだ。

 暗に示した内容は、天竜人の手つきである。これ一点に尽きた。

 

 ため息を必死に押し留める。

 

 そして続けられたのが英雄ガープの後釜であった。

 義祖父も良い年齢を迎え、そろそろ後継者を、と望まれている。本人が勤め続けるが最良ではあったが、いつまでも中将にしがみ付く老害という声も一部ではある。そこへ現れたのがアンだ。英雄の孫である。

 今回の件でただの孫から英雄へと格上げされたのだ。

 

 義祖父が髭面をなんともいえぬ悪人的な笑みを浮かべながら、投げてきた新聞をちらりと見る。

 多分そうだろうと思っていた。

 『さらわれた天竜人を救い出した英雄の孫!』『初代英雄から2代目英雄へ!』という見出しがあった。

 さぞ良い宣伝広告塔になっただろう。

 

 英雄から生まれた英雄。

 最近の海軍は汚点ばかりが目につき、叩かれる内容のほうが多くなっている。

 人々の目を向かせるには絶好の的だった。

 

 『特筆すべき事柄は、この若き海兵は英雄と呼ばれるガープ中将の孫に当たる、という事だ。齢11歳で入隊を許された若き英雄候補は、高貴な血筋を未来に伝える若きデイハルド聖を悪名轟くルンデリヒト海賊団から救い出した。聖地では救出を高く評価し、世界政府としては異例の恩賞を授与するという。』

 

 視線を義祖父から元帥へと向ける。

 諦めろ、と目が語っていた。

 

 なるほど。

 デイハルドが言っていた、招待、か。

 

 アンは与えられた数少ない情報で過程を組み立てる。

 だが聖地は魑魅魍魎が跋扈する地獄のごとき場所である、と言ってはいなかったか。

 余りにも長い間、豪華で奢侈な空間に閉じ込められ変化を与えられなかった結果、腐敗というには生易しいこの世の末がある。そうデイハルドが語っていなかったか。

 

 傷を負った影響か、当日の記憶に欠損があった。

 独自に埋めてはいるが、どうしても見つからない欠片があるのだ。

 

 「近日中に聖地へ訪問するよう、要請が来ている。招待状だ。渡しておこう」

 

 アンは頭を下げて受け取る。手触りの良い封筒だった。達筆な文字でデイハルドの名があった。

 首元にあったビーズネックレスがかちりと小さな音を立てる。

 

 デイハルドが来い、と折角招待してくれたのだ。

 行くべきであろう。

 

 赤い土の大陸(レッドライン)で何かが起こっているのだ。何が起こっているのかはわからない。

 ぐちぐちと考えていても仕方が無いのだ。虎穴にいらずんば虎子を得ず、ともいう。

 訪れ何かがあったならば、その何かを引き裂けばいいだけの話である。

 友の父が罠を張っているのだとしても、アンとて簡単にやられてやるつもりなどない。

 

 アンは笑んでいた。

 その様子を見ていた元帥は確かに、ガープと血縁である、そう思い至っていた。

 苦境を困難としないのだ。

 

 幾名かの中将が震えていた。しかしその様子をアンが気に留めることはない。

 気づいていたが、些末な心証であった。

 発達途上にある幼子に震えるのならば、その者が持つ器量の大きさと底の浅さを自ら露呈しているようなものだ。

 畏れるに足らぬ小物である。それよりもこの場で注意すべきは元帥と義祖父、そしてボルサリーノである。はやり侮れない。

 

 退出の許しを得、アンは衣装室へと向かう。

 一着目のコートはこの部屋で採寸し、貰うらしい。

 

 アンは扉を閉める際、プロバカンダに使うのは別に構わない。だが顔出しは絶対にやめてくれ。出せば全身全霊をもってその写真を滅しに往く。そう言って閉めた。

 

 アンの利用に関しては別段どうでも良いのだ。どういう記事を書かれようが、噂も49日ということわざもある。放っておけば勝手に風化するからだ。

 それにアンも海軍を利用させてもらっている。

 エースと同じ方法で鍛錬しても、アンにはしっくりこなかったのだ。

 形を求めたのではないが、一本の筋を探しにきた、とでも言うのだろうか。

 我武者羅に走り、たどり着いた先に何かを見つけるのが兄弟達である。アンの場合、そこから一歩引いた観察が必要であったのだと今では理解できている。

 

 利用しあっていることに文句などない。世の中はお互い様で成り立っているからだ。

 アンは封筒を開けずに中身だけを取り出す。その唇から両の犬歯が覗いた。

 

 

 召集された中将達の退出が終わった元帥室では、センゴクとボルサリーノのやり取りをガープが興味深く見ていた。

 真実の報告も、虚偽の報告も両方、海軍本部元帥より世界政府にある頂へ伝えられている。天竜人からも申請が行ったらしく、その処理速度はセンゴクが元帥となり過ごした年月の中で最も早かったと断言できた。

 

 「子供を祭りあげるには、少々やり方がきたなくはないですかねぇ」

 「上の決定だ。なんともならん」

 

 大将は肩を竦める。

 利用出来る者を最大限に利用する。それに異を唱えるほど、センゴクも若くはない。

 世界情勢は根元を世界政府が握り法と秩序を敷いているものの、海賊という無法者が次々と溢れだしている状態だ。いくら取り締まっても追い付かない。しかも海賊達の質が昔に戻りつつある事に、センゴクは危惧を覚えていた。

 

 大海賊時代が封を切られた当初は、海賊王の遺産を探すため大勢の海賊達がここ、"偉大なる航路(グランドライン)"を目指した。しかし10年余りが過ぎ、各海の支配や力こそ全てという考えがゆっくりとだが水面下で大きなうねりを作りだしている。そのため戦力を分散せざる得ない状態となっていた。

 

 ゴールド・ロジャーは荒くれ者ではあったが、世界を牛耳ろうとはしない悪党だった。ある意味、御しやすい勢力だといえよう。ガープが担当していた海賊だが、海軍の旗を遠くに見つけたとしても、此方から仕掛けなければそのまま素通りしてしまうような男だった。

 

 しかしセンゴクが大将であったころ、担当していた海賊はこの世の支配者になる事を望んでいた。

 海を支配し、陸をも支配する。世界政府すらも牛耳ろうと野望を抱いていた。

 

 政府としては前者より後者の方が厄介だ。

 触らずと決定したが、海賊よりも革命軍の方が次第に脅威となるだろうとセンゴクは予見していた。しかし政府は動かずとの決定を下している。

 政府機関である海軍は、その決定に従わなければならない。

 

 そこに出て来たのがガープの孫だった。

 世界の常識として、世界貴族は尊ぶ存在と流布されている。

 世界貴族があってこそ、人間は繁栄できるのだ、と広報されていた。

 海軍の成果もアピールせねばならない。世界貴族を救った海兵、という見出しは絶好の宣伝でもある。

 

 「わっしはわっしの職務を全うしましょう。ご安心なすって」

 

 黄猿も踵を返し、部屋を後にする。

 残ったのはセンゴクとガープのふたりだけだ。

 

 「あの子をどこまで御せるか。見ものじゃのう」

 楽しげにせんべいへ齧りつく同僚にセンゴクはその表情を厳しくし、影を落とす。

 

 △▽△▽△▽△▽△▽△▽

 

 闇が深い場所だった。

 海に最も近い底なのだから、当たり前と言えば当たり前だが、陰湿な気配が漂っている。

 饐(す)えた匂いもあった。海兵達は嗅ぎなれない空気に吐き気を催している。

 アンにとってはまだ地獄の入り口ともさえ思えない光景であるが、多くにとっては顔をしかめ、同情するに値する事様(ことざま)であった。

 

 普通はそうだ。この臭いを、環境を好む者などいないだろう。

 清潔な環境にある者であるならなおさらである。

 

 その点、アンはまったく気にならなかった。歩みの速度を緩めることなく進む。

 "不確かな物の終着駅(グレイターミナル)"に比べれば薄いものだ。

 「無理しないで。駄目だと思ったら、外の空気を吸って来て下さい」

 海兵達が入れ替わり立ち替わり、階段を上がる。そこにあるだけで体にその臭いがこびり付きそうであった。事実、外に出た多くが戻ってくることは無かった。

 それでも空気が動けば多少は入れ替わるかと考えながら、触れてくる意識に終わりの言葉を伝え続ける。

 

 この船底では多くが失われていた。

 10や20ではない。200は過ぎていないだろうが、少なくとも100は下らないだろう。

 見聞色とは幽霊とも話せる能力であるらしい。

 

 海兵達が持つランプの灯りが幾つもの姿を照らし出していた。

 女、男、子供。

 同じ檻に年齢も性別も無差別に投獄されている。

 ひとつだけ同じであるのは、恐怖に支配された顔だった。

 

 パン、とひとつ手のひらから乾いた音が響く。

 それは海兵が生む喧騒の中にあっても高く響いた。大きな動きはない。ぎょろりとした虚ろな目だけが上向き、その耳だけが音を拾うために意識される。

 

 「わたしは海軍本部、大将黄猿直属、アン・D・ポートガスである。世界政府が法に則り、海賊船の捕虜である貴殿らの身柄を保護する。動けぬものは手を上げ知らせて欲しい。それも出来ぬものは指を動かし、療官に伝えるよう願う」

 

 響き渡る声に海兵がまず振り返った。

 そして多くの動かぬ、生きた彫像と成り果てていた人の形がほどけていった。

 

 「身元の照会を急げ!」

 

 上にあがる階段の先にたむろする海兵を呼ぶ。

 のろのろと動きは遅い。だが動かぬよりはましであった。

 

 なんの為に捕らえられたかの想像は容易い。海賊は村や町を襲う。航海中に見つけた船が商船や同業者ならば攻め込み財を奪い取る。

 かつてと違い、未知を求めてこの海を往く船は少ない。

 だからこそどの海でも海軍は必要とされていた。多少の汚職や武力威圧があっても、賊達に日々の生活を奪われるよりましだからだ。

 

 世界は不条理で成り立っている。

 

 

 甲板に上がると大将直々に船医を連れ乗り込んできていた。

 「下の様子はどうかねぇ」

 「捕虜が12名ほど船底に、その他はまだ捜索中です」

 

 巨斧のイグラ他、抵抗してきた乗組員全てが死亡という状態も合わせて再度伝える。

 「この航海が終わったらボール引きだけどォ~来年もわっしの引いて貰う訳にゃあ出来ないよねぇ」

 「……あれは完全ランダムです。運です。諦めてください」

 来年こそはと手ぐすねを引く、大将中将たちが今か今かと待ち構える時が、刻一刻と近づいてきている。

 

 幾度かの航海と休みを挟みながら、配置換えまで残るところ1カ月。

 勤めてまだ1年も経っていなかった。

 海軍内では義祖父と黄猿の顔もあり、着実に人脈を増やしている。軍務として聖地へと何度か訪れてもいた。

 天竜人が住まう地区ではない。

 天上人と青海人が面会出来る場である、海軍本部の出先機関もある招待の館へ、だ。

 

 この館は世界政府の招集に応えた王下七武海が集う場でもある。

 先代の元帥であるコングもまた、この館で役人として職についていた。

 

 義祖父曰く、狸の皮を被った鬼であるらしい。

 海軍にはなんとも狸が多いことである。

 だがアンが持った第一印象は、優しいご年配であった。デイハルドとふたりだけで話せるよう、取り計らってくれたのもコングである。

 

 久々に会ったデイハルドは家督を継いでいた。

 家の格もひとつ上がっており、不必要と思われるほど不自然な護衛の数に思わず口をあんぐり開きそうになったのはここだけの話である。

 話を聞けば家族に不幸が重なったのだという。デイハルドを除く家族全員の不慮の事故とは、なんという不運の重なりであろうか。

 

 アンは鎌をかける。

 

 すれば幾つかの文言がデイハルドの口から語られた。

 十分であった。

 

 その他、少佐としては過分なほどの情報を与えられ、それを上手く使っての更なる発展を期待された。

 全くもって人使いの荒い天竜人である。

 

 彼方の島では半身であるエースがすくすくと背を伸ばし、柔軟な筋肉を付け始めている。負けていられない。

 

 生きるために。生き残るために強く。

 甲板の下から聞こえる海兵達の唸りを聞きながら、視線を空へと投げる。

 アンは頭上に輝く太陽のまぶしさに目を細めた。

 


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