ONE PIECE~Two one~   作:環 円

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幼少編
02-ふたり


  時間の流れは、鼓動の早さに比例すると聞いたことがあった。

 ゆっくりであればある程、時間がゆったりと過ぎる、という。生き物の中ではゾウが最も長く、ネズミが最も短いらしい。寿命を心臓の鼓動時間に換算すると、心臓が20億回打つのだそうだ。どんな命も20億回分の寿命を手渡され生まれ来る。

 

 緑が青く茂る中を、アンは走っていた。向かっているのはフーシャ村だ。

 

 月日は、怒涛のように過ぎていった。

 何がどう凄かったのかを説明しようにも、ありすぎてどれから話していいのかが判らない。生まれてからすぐ、あちらの常識が全く通用しないだろう事は、だいたい分かってはいた。だがここまで常識と非常識が混在しているとは思っても見なかった、というのが偽りざる本音だろうか。

 その為、こちらをよく知る必要が出てきた。あちらと同じような社会が形成されているならば、もっと理解が早く進んだだろう。

 だがしかし。そんなに甘いものではなかった。

 これならば記憶を一度真っ白にし、何も知らないままに受け入れた方が早かっただろう。向こう側の記憶を一切奪われずに過ごせている現状に後悔はしていなかった。ただ先入観がどうしても邪魔をして、否定したくなる事柄があったのもまた事実だ。

 時折夢が世界の成り立ちや、過去にあった情景、そして未来を示唆する景色を残してゆくが、それが本当に事実であるのかを調べる必要が出て来た。まるっと全てが信じられず、ひとつの方向からでは無く、多方面からの情報が欲しかった、という事情もある。

 義祖父が休暇を取って島に戻ってくる度にねだった本が、フーシャ村の一軒家を占拠する日も近いのではないかと思う位だ。

 

 月日が流れるのは早いもので、アンがアンとして、こちらの世界に来てから7年の歳月が過ぎていた。

 

 アンは知識を求め本の虫に、共に生まれたエースは野山を駆け廻り、めきめきと野生児に成長するという真逆を走っている。

 仲は良いほうだろう。村に住む友人たちの姉妹や兄弟達と比べてみても、どちらかと言えばくっつき過ぎだと言われるかもしれない。

 村という比較的安全圏内で暮らす同い年達よりも、山賊が狩場とする山で、その山賊達と暮らしながら日々、フーシャ村や森を超えた先に広がる場所へ走って移動しているのだから、体力も持久力も半端無く付いてくる。

 自転車があれば楽なのだろうが、整備された道など無いに等しい。海岸沿いもほぼ、崖が続く。ならば足を使うだけだと自然に徒歩になったのは言うまでもない。

 

 4年前、アンに弟が出来た。

 正確に言えば、アンとエースを引き取ってくれたガープ義祖父に孫が生まれ、お前達の弟だと明言されたのだ。

 そして今日という、5月5日、弟は5歳の誕生日を迎える。

 弟の誕生日は毎年、厄日だった。

 そう。義祖父が帰って来るのだ。

 今年は一体何が起こるのか、予想だにつかない。アンに出来る事は、弟と一緒に持ち運ばれた先で、サバイバルを行うくらいだ。毎日を人間がほぼ立ち入ることの無い自然の中で暮らしている双子にとってみれば、場所が変わるだけで、生きてゆく生活そのものへの変化は無いに等しい。

 

 与えられた情報の中でも、"D"とつく名の面倒さを体験する良い日、とすらアンはこの頃思うようになっていた。

 弟の名はモンキー・D・ルフィ、世界に刻まれた予定では、海賊王の名を継ぐ者として記されている。

 全ての始まりを手に入れ、新世界という限られた者だけが行きつける海で、父が次世代に託した宝を頭上に掲げる。それがやんちゃ盛り真っ只中のルフィであるというのだから、驚きだ。これはエースも知らない、アンだけの秘密だった。

 

 森を下っていると、思い出す。

 

 

 

 彼女が乗る小舟を見つけたのはアンだった。3歳になり、ようやく村長から貸出の許可が下りたばかりの本を海が見える森の端で早速読み始めようとページを開こうとした時だ。海原の中に何かを見つけた。

「どうした?呼んだろ」

「ねえ、エース。あれ船だよね」

  しばしの間を置き、アンへ木陰を提供していた木の上から声が掛かる。

 アンはゆっくりと人差し指を海の方に上げた。示される方向をエースは目を凝らして見る。

 「…船だな」

 「あのまま進めば主に会うよね」

 主、とはフーシャ村から幾分か進んだ大陸棚を超えた辺りに出てくる海王類だ。体長は小舟ならば簡単に噛み砕き呑み込んでしまうほど巨大な海洋生物で、種族を共通して凶暴な性格なため人間からは恐れられていた。

 「何とかならないかな」

 「したいのか?」

 アンは縦に首を振る。あの船にはわたし達の弟が乗ってるの。

 弟、という言葉に何の事だと眉を寄せるが、わかった、とエースは頷き唇の端を持ち上げる。

 「まかせろ」

 

 ふたりは漁師が使う船をこっそり拝借し、もう一回り大きな船に乗っていた女性と合流。久々の得物に食いつこうとしていた海王類の鼻っぱしをふたつの拳で殴りつけ急いで船を岸へとつけた。

 「海底でほんの少し、大人しくしてくれているといいな」

 にっこりとほほ笑むアンに、それは"のたうちまわっていればいい"の言い間違いじゃねェ?と思うが、口にするのをやめ、 「なってんじゃね?」

 そう、無難に答える。

 大きく口を開けたその中に、今が旬と言われる決して動物が近寄らない、触れるだけでも手が腫れてしまう死の辛さを体感できるという実を放りこんでやったのだ。きっと何事が起ったのかと混乱しているに違いない。

 村長の元へと案内する道すがら、彼女と幾つかの言葉をやり取りする。

 「勇敢ね」

 困ったような、知っている誰かを投影しているような言葉に、アンは「褒め言葉として受け取っておきます」そう返答した。

 今から思えば、4歳児のすることではない。村に行けば村長に怒られ、マキノに心配して貰いながら、好物のマフィンを食べていたが、あれは黒歴史と呼んでもいいくらいだ。

 

 彼女が持っていたのは、ガープの息子であるドラゴンからの手紙だった。

 本来ならば無理をしてはならぬ体であった。産後すぐの安静にしなければならない時期であろうに、子供のためだと、助けたい一心で海を渡ってきたのだと言っていた。ここにいては十分な栄養を摂取できず、母子共に危険に晒されると諭されやってきたという。

 

 すぐさまガープへと連絡を村長は取った。

 そう、伝書鳥だ。村長の家に飼われている鳥はガープが普段詰めている海軍本部へ飛ぶよう訓練されている。 

 時間差なく用件を伝えられる電伝虫(でんでんむし)があればすぐに呼べるのであろうが、そんな都合のよい生き物はこの村にはまだ、ない。

 以前ガープが海軍で使っている一匹を置いて帰ろうとしたが、村長が職権乱用するべからず、と叩き返したのだ。

 

 女性と生まれたばかりの赤子は義祖父となる人、が帰って来るまで村長の家で看て貰える事になり、アンは胸をなでおろした。

 「ありがとう…」

 彼女が言った。

 眠る赤子に目を細め、見つめる視線に自然と笑みが浮かぶ。

 短い出会いだったが、確かに感じる命の育みに気持ちが高ぶったのを覚えていた。

 

 

 アンは山を下り村へと急ぐ。確か定期船が到着するのが今日だったはずだ。ガープは確か5歳の誕生日を迎えるルフィに山とプレゼントを持ちかえると言っていた気がする。なぜか嫌な予感しかしない。

 背負ったかばんには本と、包帯、ガーゼ、傷薬が入っていた。どこに飛ばされてもめげない、くじけない、諦めない気持ちは覚悟完了済みだ。考え方ひとつで、何事も楽しくなる。

 本当は今日、エースと一緒にグレイターミナルへ行く予定にしていたのだが、頭を下げて行き先を変更させて貰っていた。

 心配の種がふたつ、どちらを優先するか気持ちがせめぎ合う。軍配があがったのは弟のほうだった。

 

 そもそもは、1歳になったばかりのルフィをどこぞの無人島に放り出そうとするガープを止めたのが始まりだった。見張り役を付けて送りだすからと笑い、挙句の果ては「お前たちはワシの孫だからな、大丈夫じゃろう!立派な海兵になれ!」とのたまい、アン共々ジャングルの中へ置き去りにした。そしてその次の年はコルボ山の幾つか向こう側にある名も知らぬ山の谷へと3人揃って突き落とされ、人喰い虎の巣から大脱出するという大冒険を繰り広げる事になった。翌年は趣向を変えたとかで、風船をくくりつけられ大空への旅へ。海王類に食べられそうになるという、この歳では稀な体験もさせて貰えた。…そしてまた今年も地獄への招待状(プレゼント)を持参した祖父がやってくるのが今日という訳だ。

  

 エースは余り村に近寄りたがらなかった。町とは違う。村人たちはみな、良い人ばかりだと分かっていても、人の傍に居るのが辛いと感じていた。

 その気持ちは、痛いほどアンには分かる。

 この国の、忘れらたようにぽつんと存在するフーシャ村を除いた人々は、どこかしら病んでいるように見えた。

 あちらでも、確かにあった。けれどここまでは酷く無かったはずだ。

 大人たちは子供に理解出来ようも無い、と平気で傷つける言葉を発した。人を見下す言葉をこよなく愛し、己より強い力には美辞麗句を並べすり寄る。

 7歳の子供が受け止めるには重すぎる痛みもあった。

 実際に何度か、エースは端町で暴行事件を起こしている。

 ゴールド・ロジャー。

 ダダンが放った一言で、父の名を知ったエースは端町で顔見知りになったチンピラ達に聞いたのだ。

 『ゴール・D・ロジャーを知っているか』と。

 町の人達にしてみれば唯一悪態を付ける事の出来る相手だ。故人でもある。幾ら悪口を言っても報復されはしない。

 結果、チンピラ集団が立ちあがらなくなるまで、エースは暴れ回った。

 アンは止められなかった。違う。止めなかったのだ。

 ふたつの世界で生きた年齢を足せば27となるにもかかわらず、感情が理性を押しつぶした。

 後で自己嫌悪に陥ったのは言うまでも無い。2度も子供としての時間を得られるのは、ある意味幸運だとも思う。

 ふたりで、泣いた。ひとりでなくて良かったと、泣き疲れて眠ってしまうまで泣いた。

 心を強くしよう。アンは経験を積ませて貰えた年齢の分だけ、しなやかに生きようと誓った。

 

 

 エースは今頃森の中を自由気ままに遊んでいるのだろうか。少し意識を集中すればわかる。もやもやとした気持ちが伝わってきた。少し頬を膨らませ拗ねているようにも思える。

 「エースったら…」

 母の胎内に長くいたおかげなのかそれぞれがどこに居るのか、相手を呼べば意識は伝わり大体の位置も掴むことが出来た。

 「無茶…してるなぁ」

 木の枝に長い体をまきつけた巨大な蛇を、鉄パイプひとつで立ち向かっている。ひとりよりふたりでかかった方が勝てる確率は高い。が、男は時としてひとりで立ち向かいたくなる、などと格好良い事を言いつつ、ガープ義祖父にコテンパンに伸ばされては森へと入り、強さを求め走り回っていた。

 そういう時は決まって、限界まで暴れ尽くす。

 

 エースはアンと別れて行動している時、何かに取りつかれたかのように攻撃的になった。

 一緒に居る時はしっかりと、存在を確かめるように手を握り締めるのに、だ。

 森を渡り海を見回せる場所に出る。青の色を平たく見れば、船影はまだ見えない。

 アンは回れ右、と進んできた道を僅かに斜めにエースの元へ急ぐ。

 木々の間を潜り抜け、道なき路を身軽に進んだ。生まれた時からある意味サバイバルだ。これくらいなんという事は無い。

 

 養い親であるダダンは最初こそおむつ替えやミルクを与えてくれていたが、よちよちと歩き始めたふたりの遊び道具としてナイフを渡したり、言葉を知り歩きはじめると掃除、洗濯から始まり靴磨き、武器磨き等をさせた。雑用をこなす手は、いくらあっても足りない、という状況だったからだ。

 

 アンはこの時、短刀の使い方を教えてもらい愛用の武器とした。雑用の仕事は丸っきり無駄ではなかったと思っていたが、エースは違った。ある日森へと入り、獲物をしとめてきたのだ。最初は兎、鳥類が続き、仔イノシシ。これはアンも一緒に狩に出かけ捕った得物だが、エースは森の中を器用に渡っていた。アンも雑用をほどほどにやった後、ふたり揃って森で一夜を過ごす事も多くなり、数日ダダンの家に戻らない生活が当たり前になってゆく。

  

 友達が出来てからは彼が居る"不確かな物の最終駅(グレイターミナル)"まで毎日走り、他愛も無い話をしながら宝さがしをする日々を過ごしていた。

 通称ごみ山、は無法地帯となっている。弱者は強者に虐げられ、暴力は日常茶飯事だ。力を持たなければ生きてはいけない。だが瓦礫の山だからこそ、集う者達も居る。

 

 "不確かな物の終着駅(グレイターミナル)"、それはスモーキーバレーを彷彿させる場所だった。

 実物を見たことは無い。写真でのみの知識、だ。

 ひとつの山から丘へ。

 かつて在ったゴミの集落は発展のしわ寄せと皮肉をこめて"マウンテン"と吹聴される。これ以上叩かれると国のイメージを損ねるとし、閉鎖されたが山に変わるゴミの行き場は他にも存在していた。富から生まれるゴミは無くならない。

  貧困の象徴には首都やその周辺に住む人々から出された不要物が毎日大量に運び込まれ、その中から廃品回収を行い僅かな日銭を稼ぐ貧民が暮らして行ける住処へと変わってゆく。

 

 同じだった。

 "不確かな物の終着駅(グレイターミナル)"にはありとあらゆるごみが壁の内側から集められ、日に2度廃棄される。ゴミを漁る並びも強者順だ。

 食べ残された残飯、気に入らなくなったと捨てられた衣類、傷がついてしまったからと捨てられた家具、へこんだ鍋や破けた本、不必要とされたありとあらゆる物が大門から吐き出された。大量に積み重なった町での不用品を漁り、生計を立てている人々も少なくは無い。

 海岸線近く、山に沿って半月型を描く街を守る石壁の間。

 ごみ山に住む人々によって持ち運ばれる財産は、ダダンの家から直線に下った麓にまで裾を拡げていた。

 幾年掛けここまで広がり作られたのか、想像も出来ない。ただアンが生まれた年には既に存在していたらしい。となれば、最下層に埋もれた積載物は、10年以上も昔にこの場所へ廃棄されたと考えても良い訳だ。

 欲は人を突き動かす原動力でもある。しかしその風景は、欲の行く末というよりか、人間の未来のようにも思えてしまった。

 

 "不確かな物の終着駅(グレイターミナル)"には様々が混在している。無いものを探す方が難しいくらいだ。他国から流れて来たもの、ごみ山で生まれ育つもの、町で住む資格を奪われたもの、生まれに関係無くすべてがごったになって存在し、至る場所にスラムを形成していた。

 太陽によって熱せられたゴミから自然発火した幾つものくすぶりが白い煙を立ち登らせている。ふたりにとって初めて本当の友人が出来たのもここだ。ごみ山にはたくさんの子供たちが居た。多くは捨て児なのだという。出自は当然、分からない。赤子の末路は特に悲惨だ。それでも幸いな類に入るのは、暇だからと育ててくれる存在が居てくれた事だろう。だがそれも長続きせず、物と同意義であるため、命は気まぐれに捨てられる。小さな命は小さな体を震わせ寄せ合っていた。無法地帯に置いての最弱者たちといえるだろう。

 匂いに至っては最悪だ。最初は余りの悪臭にアンはその場で食べたものをすべて吐き出してしまった。鼻を切り落としてしまえば、少しはましになるだろうかと本気で思案したくらいだ。

 

 それでも人間は生きている。劣悪な環境の中で、生き抜いていた。

 ごみ山に居を構えた人々は津波のように吐き出されるゴミを再生利用(リサイクル)し再生物資を町へ売りに行く。しかし売った僅かな金を石壁をでる前後で奪われる事もひっきりなしだ。

 嗚咽が止まらないほどの匂いの中、息絶える命も多い。大人子供問わず、固く頑丈な壁に阻まれたゴアの首都と此方側、"不確定な物の終着駅"(グレイターミナル)は、隔絶された世界だった。

 

 言わずもがな、ごみ山の海岸線側は海賊の根城にもなっている。

 大小幾つか、ただのチンピラの寄せ集まりも中にはあったが、一番大きな集団と言えばブルージャム海賊団だろう。この国、ゴア周辺をテリトリーとし海と陸、両方を行き来しているようだった。

 

 ごみ山の頂点(ボス)、それが彼ら、だ。規模としては乗組員50人、陸でのみ活動をする動員30人ほどの集団だろうか。貴族と癒着し、金品や荒事を引き受ける代わりに、ある程度の犯罪を黙認されている。

 賢いやり方だと、アンも思う。いつ切り捨てられるかは貴族の気分次第ではあるが、利用価値を見出して貰っている間は身の安全を保障されるわけだ。

 

 ならば海に出ている間に捕まれば良い訳だが、どうやら海軍も人手が足りないらしい。

 ゴア王国周辺に海軍の船が通りかかるのは稀だった。

 東の海(イーストブルー)は赤い土の大陸(レッドライン)と偉大なる航路(グランドライン)で区切られた4つの海の中で最弱と言われている。しかし海に出れば海賊が、陸に上がれば山賊がたむろしていた。

 海では海軍が支部を置き取り締まりに明け暮れ、陸ではそれぞれの国が軍隊でもって征伐する。

 だがゴア王国では賊の多くを放置したままだった。罰せられるのは壁の内側に入って来た不届き者だけだ。いくらゴミ山で助けてくれと声を上げても、町の人々は聞く耳を持たない。そもそも、壁の内側と外側にあっては、同じ生き物として認識していないのだ。

 町に住む事を許されない家に生まれてきたのが悪い。仕方が無い、だから諦めろ、という考え方だった。

 「怨むなら自分を生んだ親を憎めばいいじゃない、可哀そうね。平民に生まれたばっかりに」

 奴隷になれば、存在を認めてさしあげても良くてよ?透明ななにか、さん。

 貴族たちは平気で、蔑みの目を向け、言葉を放った。

 

 

 

 SIDE エース

 「後ろガラ空き」

 声に緊張がゆるむ。待っていた。

 「必要ないだろ、アンが居るのに」

 「頼りにされて、嬉しい…けどっ」

 アンはナイフを抜き、眼前に迫り来ていた巨大蛇の鼻先を一閃させる。

 鱗を突き抜けた刃がつけた傷から赤い血が飛び散った。

 蛇は逃げない。再度、増えた獲物を丸のみしようと大きな顎門を開く。

 「ここ、怪我してる」

 頬を指先が通った。笑みを含んだ優しい気持ちが流れ込んでくる。

 

 気配が近づいてきているのは感じていた。途中で引き返して来たと分かった途端、何かに勝ち誇っている自分に気がつく。

 時々ふらっと姿が消える時はジジイが無茶振りを発揮している時だ。アンはジジイの孫を随分と気にしていた。

 村でひとり、暮らすガキなんか放っておけばいいんだ。心が思う。けど分かってる。

 おれたちがダダンに預けられ、どういう思いをしてきたのか身にしみているからだろう。

 アンは優しいからほっとけないんだ。

 おれとそいつ、どっちが大事なんだよ、なんて聞ける訳ねェし。

 アンが村に行くって言った時、…そりゃ悔しかったさ。アンはおれの半分なんだ。

 ジジイの孫なんて放っておけばいい。ひとりじゃない。村には人がいっぱいいるだからな。

 おれは言葉にしなかった。

 けどアンにはおれの気持ちが伝わっちまう。だから言葉を飲み込むんだ。困った顔をさせたくねェし、笑ってるアンが好きなんだ。

 

 「今日のご飯は唐揚げにしようか」

 「いいな」

 

 ダダンが作る料理は塩コショウをかけて、ただ焼いた肉が多い。食えれば文句ねェけどな。

 けどアンが作ると旨いんだ。村で料理を教えてくれる人がいるらしい。

 

 やられてばかりじゃ格好悪い。おれは鉄パイプを握り直し、走る。

 お互いの背を預け合いながら、木の幹を伝い大きな口を開く蛇の頭部へ後方から鉄パイプで打撃を与えた。この巨大蛇には毒は無い。とぐろの中に巻き込まれたらおれたちなんて簡単に絞殺されちまう。蛇の尾がアンを捕まえようと伸びたが遅い。ヤツの尻尾がアンの元へ行き着いく頃には既に俺の横にその姿を移していた。

 

 器用なんだよな。多少空間が空いた場所でも器用に空中を歩くんだ。海軍のヤツがやってたのを見よう見真似てみたら出来たんだってさ。ジジイにも何度か教えて貰ったらしい。おれももうちょっとで出来そうなんだ。アンに出来て、おれに出来ねェわけがないからな。

 アンが蛇の注意を引き、おれが得物をしとめる。蛇の頭蓋骨を粉砕すれば…

 「今日の飯はお前だ!」

 一撃必殺!余裕だった。

 蛇はぐったりと力を失い、重力に従い地面へと落下する。

 適当な蔦草を引きちぎり息絶えた晩飯を運びやすく結び、ふたりで担いでゆく。ダダンの家は現在地から岩場と川を渡った先だ。

 

 「ねえ、エース。一緒に行かない?」

 アンが誘う。どこに、向かうかはひと言も無しだ。

 分かってるけどな。

 村に降りるのは正直、気が引けていた。だってよ、おれたちはロジャーの血を引いている。あいつの影がおれにも覆いかぶさっているんだ。

 端町で聞いた言葉が耳の奥で繰り返される。おれがやったわけじゃない。おれが殺したわけじゃない。

 「大丈夫だよ。もし何かがあったらわたしが止める。心配しないで。怯えないで」

 こつりと額が合わさる。

 だけどお前だって引いてるんだぞ、いっぱい人を殺したあいつの血を。分かってるのかよ。

 「うん、そうだね。お父さんの手はきっと真っ赤だ。けどね、エース。わたしたちにはお母さんの血もあるんだよ」

 母の前では父もただの男だったのよ?

 大丈夫だよ。おとーさんが暴れ始めたら、お母さんが止めてくれる。ってさ。

 楽天的過ぎるよな。

 でも、何度も救われているんだ。もしひとりだったら、なんて考えるとぞっとする。

 

 生まれてきて良かったのかと何度も問いかけた。ジジイは生きてみればわかるって言ってやがったけどよ、いつまで生きていれば分かるのかは教えてくれなかった。アンも同じだ。

 答えなんてあるのかなぁ、ってどこまで頭に花咲いてんだよ。

 「少なくても、お父さんとお母さんは私たちを待ってたよ。守ってくれた」

 分かりにくいけれど、ガープ義祖父(おじいちゃん)もわたしたちに激甘だと思うよ?

 

 それはねえだろう!

 それだけは断固否定してやる!

 ありえねえ!

 

 アンが笑う。

 同じ服を着て、後姿を見るとおれたちは瓜ふたつなのだとよく言われていた。仮親の、ダダンですら間違うくらいだ。一家の誰もが何度も、おれとアンの名前を呼び間違えていた。

 アンはおれが怖がってる何かを恐れていない。

 

 サボすまねェ。おれは決断する。待っているだろう、いつもの待ち合わせ場所に向かって頭を下げた。

 今日はそっちに行けなくなった。

 アンと一緒に、資金調達してお前のところに行くはずが、なぜか、話している間に、いつの間にかフーシャ村に行くことになってたんだ。

 船貯金は明日から頑張るからな、今日はマジですまねェ。

 

 ふたりでダダンの家へ得物を持ち帰り、おれたちは、おれも渋々とフーシャ村へ向かった。

 

 

 けどおれはやっぱり村に入るのをやめた。

 港へは行ったさ。着いたばかりのガープを出迎え、村の前までは着いて行った。

 「そうか、エースお前も海軍に興味を持ってくれたか!」

 「違う!アンがどうしてもって言うからついて来てやっただけだ!!!」

 「エースちゃん抱っこしてやろう!」

 「やめろジジーイ!!」

 

 おれは少し離れたところでアンを待った。牛をかこってある柵の上に座る。海からの風が村の方に吹いていった。

 今日ジジイの孫が5歳になる。誕生日なんてダダンに祝って貰おうなら、ひと仕事手伝えと言われるに決まっていた。

 アンも殴られようが罵られようが、一度としてダダンの仕事に着いて行った事はない。引きずられても途中で逃げ出し、戻ってきていた。

 間接的に人を害する手伝いをしているのだから、これ以上はしたくない、という。同罪ならばなにをしても同じだと一家の誰かが言っても、頑として動かない。

 ダダンの得物は主に町方面や他の村の奴だけど…おれもこののどかな村に住むヤツから何かを奪いたいと思えなかった。

 

 おれたちはいつか海に出る。

 海を行くためには船が居る。金が必要だった。

 船は高い。ちまちまとゴミを拾って稼げる額でもなかった。

 じゃあどうするんだよ、って言う話になった。

 まじめに搾取されながら生きている奴から奪うのは論外として、パッと浮かぶのは貴族が住む高町に入って銀行を襲う事だ。けど一発で指名手配されちまう。船を手に入れる前に捕まるなんて馬鹿げていた。

 

 そうなればおのずと手段は限られてくる。

 人殺しも…、ってところでアンが口をはさんで来た。

 「ふたりとも飛躍しすぎ」

 アンの目が座っている。口元には笑みを浮かべているのに、だ。

 「海に出るな、とは言わない。ふたりをきっと海が呼んでいるんだもん。けれどもう少し穏便だと嬉しいな」

 

 話し合いの結果、チンピラから巻き上げるのが一番だと結論した。

 元をたどればまじめに働いて搾取されてるやつの金なわけだが、そこまで考えてたら何も出来なくなってしまう。

 出会って意気投合し、貯めだした船貯金は着実に、額を増やし続けている。

 

 「だから何度言えば分かるの!義祖父(おじいちゃん)の頭の中はお花畑かっ。ルフィを木樽に入れるな!だから餓死するしないじゃないのよっ」

 アンの声が頭を横切ってた。お前の頭の中も負けてないけどな。

 「ルフィも少しは抵抗してっ」

 孫はすでにジジイに対して抵抗する気力を奪われてるようだった。

 「義祖父(おじいちゃん)酷い、何気にちょっと本気とか。それなんか漂ってる!わたしまだ7歳なのに、手加減、手加減を申告しますっお嫁にいけなくなっちゃう!」

 

 腹を抱えて笑ってしまった。どういう状況なのか、手に取るように分かってしまった。

 「何だ、アン負けてんのかよ」

 (分かってるなら助けてエースっ)

 おれは吹き出しながらアンが待つ場所へ、走り出していた。


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