魔法世界、ウェスペルタティア王国王都オスティア
「うーん、ベルトには居なかったか~。ザンネンザンネン」
魔法世界の柱ともいえる女王。彼女は提出された報告書に目をやりながらその結果を反芻した。
そのセリフがいやに棒読みに聞こえるのは提出した当人がひねくれているからだろうか。
「キサマ……外れと分かっていてオレを行かせたな?」
「え!? いやいやまさかぁ~。気のせい気のせい」
ジト目をむけるとぎくりと身を震わせて目を泳がしている女王様は腹芸があまり得意でないということを自覚しているのだろうか?
もっともお気楽頭の神楽坂明日菜としてならともかく、アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシアとしての透徹した思考と超然とした態度をもってすればどうかは分からないが。
ただ少なくとも今回の件に関してはこの報告書を提出した当人、リオンは意図的に外れを掴まされたらしいと分かるには十分だった。
無駄骨を掴まされ、結局ベルト探索が弟子の修行を見るばかりだったリオンは溜息をついた。
「まあいい。大方フェイト・アーウェルンクスあたりの差し金だろ。あの人形はオレのことを信用してないからな」
「いやいやそんなことないって。私は信頼してるよ?」
「……………」
女王を睥睨する目が白々しさを増した。
女王がどう思っているかはともかくとして、フェイトがリオンを信用していない事に関してはフォローのしようがないと認めているようなものだ。
「まあいいじゃない。タカユキ君とか龍宮さんとかの調査もまとめてからになるけどとりあえず調査お疲れさま」
デュナミスたち使徒の行方の捜索。当然ながらその調査はそもそもリオン一人で行うにはアテが多すぎる。
特にベルトは現在開拓時代の幕が開こうとしている最中であり、無法者や流れ者、一獲千金を狙う者など素性の怪しい者が大量にのさばっているくらいだし、魔界にしても墓所の主の知り合いがいるという点では可能性としては大きい。
調査には彼らの他にも“
だが、現在のところまだ発見報告はあがっていなかった。
アスナ女王からのありがた~い労いのお言葉にリオンは出されているオスティアンティーに口をつけて苛立ちごと飲み込んだ。
明日菜は相変わらず分かりやすい子のツンツン具合に顔をほころばせた。
「そういえばアンタ弟子をとったんでしょ。その子はどうしたの?」
第90話 ディズ・クロスの不思議な森の修行
鬱蒼と茂る密林の中、一つの人影が跳ぶように駆けていた。
「はっ、はっ、は……くっ!」
後にしている巨木がバキバキと豪快な音をたてて折れているような音とともに、「ギャォオオオオオ!!」という咆哮が響いてくる。
身体強化と超感覚魔法を全開にして疾走しているディズは、この1週間ほどの“鬼ごっこ”を終わらせるべく足に魔力を集めた。
「グルゥオオオオオオッ!!!!」
追撃して来るのはディズを比較対象にすると数十倍の体積を誇る巨体の竜種。下位ではあるが成体のドラゴンだ。
ディズが仕掛けるタイミングを窺っているのと同時に、彼もまたこの鬼ごっこを終わらせようと動いた。
「!」
巨翼が羽ばたき、猛烈な嵐を巻き起こして周囲の巨木を薙ぎ払う。その木々は竜にとってはさしたるものでなくとも、人にとってはあまりにも大きく、羽ばたきによって生み出した風の魔法によってそれをディズ目掛けて飛ばしてきたのだ。
仕掛けるタイミングをあえて後手としたディズは瞬動術で大地を蹴ってそれを回避した。
その動きはこの2度目の魔法世界来訪した当初に比べると段違いに滑らかな動きとなっており、実戦でも十分に耐えるレベルのタイムラグの少ない瞬動術だ。
だが追手きている竜種の知能は高く、ディズの瞬動術の“入り”を見抜いてその“抜き”の位置を先読みしてそこにブレスを吐こうと口に魔力を溜めていた。
そして
「グルッ!?」
驚きは竜種のものだった。
たしかに瞬動術で着地した獲物は、一瞬姿を見せたとみるや着地の状態から強引に反転しようとして身を翻し――――その場から消えた。
先程までのような気配の連続する移動ではない。まさに気配が突然にそこで終わったかのように消え去っていた。
瞬動術からの姿現し。
着地の抜きの際の慣性を利用して姿現しの手順に必要な回転を得る。
ドラゴンの背に姿現ししたディズは左手で腰に差していた短刀を抜き、すばやく魔法を蓄積した。
短刀に内蔵した小杖に魔力が循環し、慣れた呪文詠唱を脳裏に描いた。
――セクタムセンプラ――
切り裂き呪文を付与しことによって短刀に強力な魔力刃を纏わせる。刃を振るったディズはドラゴンの背肉に腕を衝きこんだ。
「グルァアアアアア!!!」
ディズの魔法では突破できない魔法障壁も、ドラゴンの背という密着距離では用をなさず、強靭な鱗は強力な切り裂き呪文によって引き裂かれた。
流石に痛みを感じているのか、それがどの程度かは分からないがドラゴンが背中に乗っているディズを振り落とそうともがく。
ディズは振り落とされまいと魔力をつかって相対位置を固定し、突き刺した左腕はドラゴンの体内へと潜り込み、
「エーミツタム!
「―――――――――ッッッ!!!!」
ドラゴンの内部で放たれた“白き雷”。
ドラゴンの体内を魔力で編まれた雷撃が焼く。さしものドラゴンの魔法障壁も抗魔力も、体内からの魔力放射に対しては十全の役目を果たすことはできず、ドラゴンは絶叫を上げて巨体を地面に投げ出して轟音を響かせた。
「はぁ……はぁ……なんとか、成功、か…………」
ディズは荒い息をついて地に伏したドラゴンを見下ろした。
“武器に切り裂き呪文を留めて振るう”。
それはディズが自身の攻撃貫通力の低さを補うために練っていた方法の一つだ。
並みの魔法ではドラゴンの固く強靭な鱗と魔法障壁を突破できない。ディズの精霊魔法では出力不足であり、従来の伝統魔法では方向性が特化しすぎていて応用性に欠けているのだ。
“あちら”の世界でドラゴンの弱点と言われている目や鱗の薄い場所を狙おうにも魔法障壁で守られており、おまけにそこを狙うためにはドラゴンと真正面から向き合わなければならない。
それはディズの近接格闘能力からすると自殺行為でしかない。
だが遠距離からでは突破できない。
そこでディズは強力な切り裂き呪文であるセクタムセンプラを柄に杖を内蔵した短刀に蓄積させたのだ。
媒体に魔法を込めること自体はすでにある術式だ。
ジョージ・ウィーズリーとフレッド・ウィーズリーが考案した魔法道具の試作品や、精霊魔法においても遅延呪文を物質に込めることはできる。
だが物質に魔法の特性を込めた状態で行使するというのは、それらとは異なる術式を用いていた。
師匠が用いるマギアエレベア――術式兵装。
本来敵に向けて放出するはずの攻性魔法を自らに取り込むことによって力を得る技法だ。
だが、それには資質はもとより適性が必要であり、ディズがそれを使うことはできなかった(というよりも教えてもらえなかった)。
自身の魂に攻撃魔法をとりこむことはあまりに危険、かつそれをなす“闇の器”がディズにはほとんどなかったのだ。
そのためディズは、“攻撃性の伝統魔法を媒体に留める術式”を構築して利用したのだ。
とはいえ流石に殺すまでには至っていない。ドラゴンの生命力はディズの魔法の一撃で削りきれるほど弱くはないのだ。
だが少なくともしばらくは行動不能にはなっているはずだ。
襲われれば戦うが殺すことが目的ではないし、一々殺していてはこの森ではキリがない。
それよりもドラゴンとの戦闘で派手な音をたてたのでなるべく早くに移動しなければ他の猛獣や危険生物などが集まって――――
「下位とはいえ成体のドラゴンを倒すほどとはなるほど……おそるべき進達の度合いだな。さすがは福音の弟子といったところか!」
来てしまった。
「お前は…………」
「いずれは魔法界に名を轟かす暁のノン♡タンだっ!!」
「………………またか」
ベルトで調査していた時からムンドゥスマギクスに戻ってきてからも、この異形の賞金稼ぎ、ノン♡タンは幾度となくディズの前に現れていた。
「またとはなんだっ! 今度こそこのノン♡タンが福音の御子の首を挙げる! ……福音のはどこだ?」
「ここにはいない。今は別行動だ」
「なにっ!!?」
目的はディズではなく師匠であるリオンだが、当のリオンはディズに任せ、その度にディズは相手をしていた。
最初の戦いのときのように瀕死の重傷を負うことはないようにしていたが、それでもディズとこの賞金稼ぎの力量差は圧倒的であった。
格上の相手との戦闘経験を積むことによりディズの力は確かに以前よりも上がっている。戦うたびに、以前の師匠との修行では得られなかった実感――確かに自分が強くなっている感覚が分かり、そして相手との力量差が詰まってきていることも感じ取れていた。
ただ師匠不在の状態でこの強敵と相対するという事態は初めてである。
あるいは今度こそ自分の最後か、それともこの強敵を倒すほどに成長した証をたてられるか。
「まあいい。どうやら貴様もこのノン♡タンが倒すに値するほどの腕前に…………むっ?」
ノン♡タンはドラゴンを倒すほどの腕前をディズが見せたことに倒す価値を見出したのか襲撃の構えを見せようとし、しかし険しい顔をして視線を背けた。
顰めた表情。
それはディズの視線を逸らせるための罠なのか、それとも……
ディズは感覚強化の魔法をこの強敵へと集中させていたが、そのリソースを割いて知覚領域を広げた。
「!?」
「マズイな」
その知覚領域にかかるものがあった。
深刻そうなノン♡タンの声にディズは短剣を構えたまま視線を向けた。
「なんだ?」
離れた木の樹上に一体。大型の蜘蛛にも見える魔獣がこちらを向いていた。
サイズはあちらの世界の魔法生物であるアクロマンチュラほどであろうか。ディズは実際には見たことはないが、アクロマンチュラであればそこそこに危険だ。
“幻の動物とその生息地”という本によるとアクロマンチュラは魔法使いが創り出したといわれる魔法生物だが、訓練により飼育することができず、非情に凶暴で毒牙を持ち、なによりも大型な上に肉食で人を食うという。
ただそれでも一体であればドラゴンとも戦えるディズにとってはすでに脅威というほどではないのだが……
「なんだ“霊体喰らい”を知らんのか?」
「霊体喰らい?」
残念ながらここは地球ではなく“魔法世界”。どうやらアクロマンチュラではないらしい。
もっともだからと言ってより安全な魔獣なのかというと、そうではないらしく、キシャキシャと鋏を打ち鳴らしていた蜘蛛モドキはまるで瞬動術を使ったのではないかというほどの速度でディズとノン♡タンへと突っ込んできた。
「なっ!!」
「魔界生物の一種だ。その名の通りレブナントやゴーストのような霊体を喰らう。もっとも肉がついていても関係なく食うがな」
「くっ!! 速いっ!!」
巨体の蜘蛛のような外見の通りなのか、それに反してというべきか、“霊体喰らい”の動きは早い。
無論それをまともに受けるつもりはなく、今のディズであれば回避できる体当たりだ。“霊体喰らい”は巨体通りの衝撃を伴ってディズの後背にあった巨木をへし折った。
ディズはすぐさま魔力を練り上げて魔法の矢を飛ばした。
無詠唱サギタマギカによる連弾・雷の11矢。
流石に詠唱魔法ほど本数はないが、それでも相手が少し大きいくらいの蜘蛛であれば――――糸のような物を吐き出して迎撃された。
「ちっ!」
「見た目通り蜘蛛のような能力で糸状の拘束糸を飛ばしてくるが――――」
二発、三発。立て続けに粘弾が飛んできてディズはそれに対する回避運動をとらされた。
弾は着弾直前に一気に広がってディズを捕えようとするが、ディズは小刻みな瞬動を連続させてそれを避けた。
ノン♡タンも同じく回避運動を…………回避している?
一瞬、意識がその違和感をとらえて逸れた。
「!」
気づいた時には、向かってくる粘弾の数が増しており回避で抜ける間がなくなっていた。
ディズは魔法障壁で防ごうとして、しかし警鐘を鳴らす第六感に従って咄嗟に伝統魔法を使って炎の光線を無言呪文で放射して撃ち落し――――きれなかった。
「魔法を絡め取った!?」
粘弾はディズの魔法とぶつかった瞬間、それを絡め取った。
あのまま魔法障壁で受けていれば、障壁ごと拘束糸に絡めとられていただろう。
「そうだ。そして最大の特徴は――――集団で行動するという点だな」
「なっ!!」
樹上には目視できるかぎりで10を超える数の“霊体喰らい”がディズ達を見下ろしており、何匹かがノン♡タンの方にも粘弾を飛ばしていたようだ。
こちらを見下す“霊体喰らい”たちは完全にディズたちを捕食対象と認識したらしい。
キシャキシャ、キシャキシャ、キシャキシャと鋏を打ち鳴らす音が樹上で合唱のように響き、
「くるぞっ!」
「っ!」
頭上から“霊体喰らい”たちが一斉に跳躍した。
・・・・・・・・
「ボーズならサウマシア密林においてきた」
「あんたねぇ…………」
リオンの薄情なほどに淡泊な返答に、悲惨な状況にあっているであろう彼の弟子を思って明日菜は嘆息した。
彼女にとってリオンは弟弟子にあたり、随分と昔の話ではあるが彼女もリオンと同じ“悪の魔法使い”に弟子入りしていたことがある。
もっとも時期が違うので一緒に修行したことはないが。
そして彼女にも経験のあることだが、リオンの師である人物の修行は相当に厳しい。
「まだ学生でしょ。あんなところに放り出して死んだりしたらどうすんのよ」
「学生だろうとあっちの魔法界じゃ、あいつはもう成人だ。それにそれを言うならもっとガキの時分に魔法世界でサバイバルしたバカどもがいただろ」
「“した”んじゃなくて、“させられた”のよ。――――ってまあ、それはともかく、もう少し気をつかってあげなさいよ」
たしかに明日菜や彼女の親友である木乃香などは、件の“弟子”くんよりももっと若いころに魔法世界強制サバイバルを経験している。
その時には忘れていたことだが、元々魔法世界の姫だった明日菜はともかく、木乃香や白き翼のメンバーたち、ほかにも巻き添えを受けた学友などは相当に大変だっただろう。
奴隷にまでなってしまった友人もいたくらいだ。
よもや“弟子”くんが奴隷にさせられているという事態はないと思いたいが――――
「俺を狙っていた賞金稼ぎがつきまとってたからな。修行にはもってこいだろ」
「ちょっと!!! ホントに死んだらどうすんのよ!!」
訂正。
思っていた以上にこの弟弟子は性格が悪いようだった。
公的にはリオンにはもう賞金はかかっていない。
だがその有名すぎる名前のせいで、彼を倒して名を挙げようとする武芸者は結構多い。
そして概してそういう連中はかなりの腕前であるものだ。
「そんなヤワな鍛え方をした覚えはないが、くたばったなら線香の一本でも上げてやるさ」
「あんたはまったく…………」
親子で似たような言い草に明日菜は額に手を当てて嘆息したのであった。
・・・・・・・・
現実世界。
夏休みも残り1週間というところになって“生き残った少年”ハリーとその親友であるハーマイオニーは親友のロンの家である隠れ穴へとやってきていた。
「ハリー、分霊箱探しはどうなのかシリウスから聞いた?」
ハーマイオニーからの質問にハリーは首を横に振った。
「どうやらマンダンガスは地下に潜ったみたいで、ダンブルドアでも確保できていないらしいんだ」
この夏行う計画であったハリーとその名付け親シリウスの引っ越し作業はなんとか終わった。
途中からヴォルデモートの分霊箱の捜索という重大任務が生じたため助っ人に来ていたルーピンが、そしてシリウスも任務として出かけなければならなくなってしまった。
そのため新しい屋敷への引っ越しだけにして、あの頑固なブラック邸の大掃除はまたの機会となってしまった。
せっかくのシリウスとの暮らしも分霊箱探しの必要性から難しく、ハリーは例年通りロンの家である隠れ穴へと預けられたのであった。
「もしかしたらもうグリンデルバルドの手に落ちている可能性もあるんじゃないかって…………」
穏やかなハリーの日常。だがそれとは別の場所では密かに問題ごとが進行していることを子供である二人も知ってしまっている。
この夏、ハリーとシリウスのもとを訪れたダンブルドアが語った推論。
ヴォルデモートの不滅の理由――分霊箱とその残る一つの行方。
ブラック家にあったはずのそれは、しかし引っ越しの荷造りの最中に流出してしまい、それを持ちだしたと目されるマンダンガス・フレッチャーは行方不明となっていた。
元々マンダンガスという男は、あまり素行のよろしくない魔法使いとして周囲に認知されている。
イギリス魔法界の中でもドブのようなところを住みかとしているネズミのような男で、ダンブルドアや闇祓いなどが避けられてしまう地下について繋がりを持つ魔法使い。
それは有事であれば、裏の事情に精通しているという利点をもたらすが、平時にあっては色々と厄介の種を持ち込む騒動の素のような存在となってしまう。
そして今回も、イギリス魔法界において由緒正しいブラック家の大掃除に際して、その由緒正しい品々を売り払おうと画策したマンダンガスが、シリウスたちも知らなかったことではあるが、ヴォルデモートの最後の分霊箱を持ち出してしまったことが、現在ハリーやシリウス、ダンブルドアにとってなかなかに厄介な事態を招いている。
マンダンガスは魔法使いとしてはダンブルドアとは比べるべくもなく、シリウスやルーピンなどと比べても大きく劣る魔法使いだ。
だが裏の事情に精通したマンダンガスの行方を、伝手のない彼らが追いかけることは難しい。
しかもどうやら分霊箱を持っている彼を追っているのはダンブルドアたちだけではない可能性があるのが厄介な所だ。
ヴォルデモートの魂を喰らった闇の魔法使い、ゲラート・グリンデルバド。
彼もまたマンダンガスを追いかけている可能性が大きいのだ。
彼にとって、マンダンガス自身には大した価値はない。だがマンダンガスが持っている分霊箱は、幾つかの意味でグリンデルバルドに利をもたらす。
ヴォルデモートの分断した魂は、元々いくつかはすでに砕かれてしまっていたが、それでもそれを喰らったグリンデルバルドが、最後に残された一つを喰らえば、それだけで彼の力が増すことが懸念される。
また、分霊箱自体には、分断した魂をこの世に繋ぎ止める働きというものがあるらしく、そのため、ヴォルデモートの分霊箱がある今の状況では、もしかすると通常の方法では、ヴォルデモートの魂を喰らったグリンデルバルドもまたその効果を受けている可能性があるのだという。
ただでさえダンブルドアを圧倒するほどの魔法力を示し、半身を抉られても死ななかったグリンデルバルドが、通常の方法ではその魂を冥府に送ることすらできないとなれば、それは厄介処のはなしではない。
ほかにもその分霊箱を何らかの方法で利用する可能性。ヴォルデモート自身が復活する可能性など、推測される懸念事項はいくつも上がる。
そのために現在、シリウスやルーピン、他にもダンブルドアの警鐘に同意した魔法使いの何人かがそれを捜索しているらしいのだが、現在のところ、それは見つかっていないらしく――――らしいということから分かるように、ハリーはその捜索から外されていたのだった。
ハリーにとっては、ヴォルデモートは憎むべき両親の仇でもあるし、他ならぬシリウスが必死に捜索している物なのだから、少しでも力になりたいと申し出たのだが、ダンブルドアやルーピンだけでなく、シリウスすらからもそれを制止されてしまった。
ハリーからすれば、それは理由にはならないとも感じられた。
一年生の時から今までで、賢者の石を死喰い人から守ったり、秘密の部屋の謎を暴いたりと、ダンブルドアのいないホグワーツでその平和に貢献していたのは紛れもなくハリーなのだ。
今彼らが困っているのなら、少しでも力を尽くそうとするのは、当然のことに思えたのだ。
ただ――――同時にハリーは自身に力がないことも理解していた。
昨年のクリスマス。ハリーはヴォルデモートの復活にまんまと利用され、その魔手から逃れるという幸運を再現しはしたものの、その後の混乱においては何の役にも立たなかった。
ゲラート・グリンデルバルドや魔法世界からの襲撃者を退けたのも、彼の復活に手を貸した裏切りの死喰い人を倒したのも、ハリーではない。
ハリーではないのだ。
もちろん、ハリーとしてもウィーズリーおじさんやおばさんが温かく迎えてくれる隠れ穴は、ホグワーツのグリフィンドール寮の部屋と並んで大好きな場所だ。
だから、隠れ穴での生活は、いささかの不満と、シリウスがいないことに対する少しの淋しさを除けば、概ね良好なものだった。
バタンと扉が開け放たれ、赤毛のノッポの少年――――ハリーのもう一人の親友、ロンが入ってきた。
「ハリー、ハーマイオニー。教科書のリストが届いたぜ」
彼はどたばたとハリーたちの方へとやってきて、手にしていた封筒を差し出した。
ロンから手渡された封筒を開き、ハリーはリストを確認した。新しい教科書は2冊。多くの科目は昨年からの継続授業であり、その教科書が必要となるのは“闇の魔術に対する防衛術”であろう。
教科書のリストを取り出したハリーは、封筒にまだなにか別のモノが入っているのに気付いて――――バシッと音がしてフレッドとジョージがハリーの近くに“姿現し”した。
「今度の教師はどれくらいもつもんかね」
「去年は4か月の最短記録だったからな」
“闇の魔術に対する防衛術”も継続ではあるが、昨年の担当教授であるアラスター・ムーディー先生は――――正確にはその先生は着任することもできずにトランク詰めになっており、彼に化けていた死喰い人は4か月で化けの皮が剥がれて逮捕となった。
正直、よくダンブルドアが毎年新しい担当教授を見つけて来られるものだと感心するほどだ。
昨年のを除いてみても、その前の年は終了間際に人狼であることが発覚して学校から追い出され、その前は大法螺吹きの詐欺師であることが露呈した挙句、記憶を失って病院送りになり、そのさらに前の年に至っては死喰い人であった上に死んでしまった。
呪われた学科という噂が真実味を帯びているとしても誰も異を唱えはしないだろう。
ハリーは果たして今年の担当教師はどうなのだろうかと、望み薄く羊皮紙を眺めていた。
「ハリー。まだ何か入ってるわよ……まあ! ハリー! あなた監督生よ!」
「えっ!?」
そんなハリーに、ハーマイオニーが驚きの言葉をかけた。
彼女はハリーが持っていた封筒に、まだ別の物が――彼女自身の封筒に入っていた物と同じ物が入っているのを見つけて目を輝かせた。
驚いたハリーが、いつの間にか彼女が持っていた封筒と受け取って見ると、そこには一昨年くらいまでパーシーが着けていたのと同じPの字の入った赤と金の色をしたバッジがあった。
—―僕が……監督生?――
「ハリー! 私もよ!!」
ハーマイオニーは喜色満面でハリーに抱き付いた。
呆然としていたハリーは、顔に押しつけられた柔らかい感触と心地よい香りに意識を引きもどされた。
「は、ハーマイオニーっ!?」
ハッと我に返って周囲を見ると、ニヤニヤと笑う双子と、憮然とした表情をしている親友の姿があった。
ハリーは慌てて、ただやんわりとハーマイオニーを押し返すと、彼女も監督生に選ばれたことに対して祝福を述べた。
「き、君も監督生に選ばれたのかい?」
「まっ、当然だよな。兄弟?」
「我らがグレンジャー嬢と、英雄ハリーが選ばれずして誰が選ばられるっていうんだい? おっと大穴で我が弟という可能性がなきにしもなかったかもしれないな」
ハリーに続いてジョージとフレッドがニヤニヤ顔のまま、ロンの肩に腕を巻きつけて言った。
ハリーはハッとしてロンを見た。
ロンとハーマイオニー。
1年生のころからいくつもの冒険を潜り抜けてきた親友だ。
ハリーはロンの危機に躊躇なく駆けつけるし、ロンもまた同様だ。ハーマイオニーだって勉強の面だけでなく、危機に際して知恵を貸して、導いてくれる。
だがハリーは知っている。
ロンは心の中では自分に嫉妬していることを。功績を上げても周囲から注目を受けるのがハリーばかりで、ロンはハリーの影、成績優秀なハーマイオニーの影、騒がしくも人気者な兄たちの影に隠れていることに劣等感を抱いていることを。
ロンに向けたハリーの顔がよほどのものだったのか、ロンは気難しげな顔をした後、ため息交じりににやりと無理やり笑顔を作った。
「やったなハリー。監督生だぜ!」
ロンはジョージとフレッドの腕を振り払ってから、ハリーの肩をバシッと叩いた。
「あ、うん…………」
「君が選ばれて当然だって思ってた! ホントだよ?」
それは……たしかに本当なのだろう。
今ではロンは隔意などないかのようにハリーに笑いかけてくれているが……。
ロンは色々とハリーが選ばれるにふさわしい理由を言ってくれた。
賢者の石を守ったこと。秘密の部屋の謎を暴いたこと。グリフィンドールクィディッチチームで百年ぶりの1年生シーカーとなり、大活躍したこと。闇の魔術に対する防衛術で学年一番の成績をとっていること。
ハリーはロンの気づかいに背中がむず痒くなりながらも、小さくお礼を言った。
それからロンとハリーは、新学期が始まってからどんな理由でマルフォイから減点するかやどんな罰則を与えるかを面白おかしく話し合い、ジョージやフレッドは今からハリーにおべっかを使えば新学期に起こすであろう騒動で口をきいてくれるはずだなどと軽愚痴を言って、それぞれハーマイオニーに注意を受けたりした。
「ところでジョージ。なんだいそれは?」
ふと、ハリーはジョージが手に着けているグローブに気付いて指さして尋ねてみた。
この夏から、というよりももっとずっと前かららしいのだが、二人は色々な魔法道具を作成し、ある時は周囲を楽しませ、ある時は小さな騒動の種となっていた。
「実験作さ」
「試してみるか監督生様? 」
ジョージはつけているグローブをとり、ハリーの方へと差し出した。
ハリーはそれに怪しみの視線を向けた。渡された物をバカ正直に受け取って水掻きができたなんてなったりしたら目も当てられない。
「心配しなくてもこの状態じゃまだ未完成――なにも起こらないって意味での未完成品さ」
受け取らないハリーにジョージは苦笑して杖を取り出し、片手に持つグローブをトントンと杖で叩いた。
「インセンディオ」
「なっ! おいっ!!」
いきなり燃焼呪文をグローブにかけたジョージにロンが驚いた声を上げたが、グローブにはまったく火がつかず、一瞬だけうっすらと発光した。
「…………なにも起こらない?」
「起こるのはこれからさ」
首を傾げたハリーに二人はにまりと笑みを向け、グローブをフレッドへと手渡した。
ジョージからグローブを持ったフレッドはそのグローブを右手に着けてくるりと手首を返した。
「さあさご覧あれ。我らが新発明!」
大仰に言った瞬間、フレッドの掌から小さな火が燃え上がった。
「えっ!? あれ今、君、杖……」
「杖なしで魔法!?」
杖も呪文もなしに魔法を使った。
無言呪文はそこそこに熟練した魔法使いであればできるものだが、杖なしではそれはできないはずなのだ。
「魔法のグローブさ。あらかじめ魔法をしこめば誰でも無詠唱で魔法が使える優れもの…………まあ、威力は込めたときよりも数段弱くなるし、そんなに強力な魔法もしこめないから、ちょっとした余興程度だけどな」
「本当はマグルでも魔法が使える魔法道具を目指してるんだけどな。テスターがいなくてそちらは現在効果不明なんだ」
「マグルでも?」
ジョージとフレッドの説明にハリーたちは訝しげな表情になった。
たしかに魔法のグローブはそこそこ面白そうではあるが、マグルでも魔法が使えるようになんてやっていいことだとは思えなかったからだ。
ハーマイオニーに至っては露骨に顔を顰めている。
二人もそれに気づいたようで、まあまあと落ち着かせるジェスチャーをして弁明した。
「スポンサーの意向でね。ほら、例の“魔法バラシ”があるから、その後の需要を狙ってるんだろうよ」
魔法と非魔法族の融和。
一方にしか扱えない力というのは不和と混乱を生む。
マグルでも魔法を扱えるようにする技術はそれを解決するための一助となるはずの研究ではあるが…………
「今から狙い筋の開発をしてるのさ」
とりあえず今の彼らにとっては愉快とお金になるものの一つでしかないようだ。