なべてこの世はままならぬもの。
それは同世代で天才とも言われるディズにとっても同じだった。
まったくままならないものだ。
サクヤ・コノエに今日、あのリオン・スプリングフィールドがいることを確認し、“居ない”という虚偽の情報を伝えたはずなのに、まさか本当に彼が居なくなってしまうとは思いもしなかった。
幸いにも間に合ってくれたが、わずかなタイミングのずれで色々と被害がでかかっている。
賢しく上手く立ち回ったつもりで、結局あの“祖父”には自分ごとき子供の思惑など掌で踊っているようなものだったのだろう。
だが今日、その掌から飛出す。
己が力をもって、自らの選択を試す。
第79話 分かたれた道
ホグワーツ城城門前広場。二人の伝統魔法族が互いの杖を振るっていた。
橋と崖とを背にする左手のない魔法使い――ソーフィン・ロウルが次々に放つ紅い閃光を、ディズは杖を複雑に振るってそれを防ぎ続けていた。揺らめく陽炎のような光が閃光の軌道を無理やりに変えて地面にぶつけている。
同時にディズは左手の杖を振る動きとは独立しているかのように魔力を右手に集中させた。
「シュバルツ・シュタル・デア・シャッテン。大気の精よ。息づく風よ。疾く来りて我が敵より我を守れ!!
突き出す右手に呼応して風の結界が二人の間を隔て、ロウルの魔法を阻んだ。
伝統魔法に加えての精霊魔法。
ロウルはギシリと歯を噛んだ。敬愛する養父の力を取り戻させるために渋々力を借り受けたが、実の息子がそんな魔法の扱いをするのは、生粋の伝統魔法族のロウルにとって神経を逆撫でするには十分なのだろう。
ディズの風陣結界がロウルの放つ魔法を4つ、5つと受けるにつれ、その風の収束に綻びを広げていた。
結界が攻撃を阻む間に、ディズは左手の杖に魔力を込めて風精を喚起した。
「シュバルツ・シュタル・デア・シャッテン。風精召喚。剣を執る戦友!! 迎え撃てっ!!」
ディズの周囲に風精で編まれた分身が5体出現し、号令一下、同時に破られた結界を回り込むようにロウルへと襲い掛かった。
「舐めるな、ガキがっ!!!」
ロウルは身に秘める莫大な魔力を背景に無詠唱で次々に緑の閃光を放って、風の精霊を“殺して”いった。
「シュバルツ・シュタル・デア・シャッテン――――」
風精を遠隔操作して攻撃を回避させると同時に、身体強化をかけた自らも同時に撹乱するように走りながら呪文を詠唱した。
――残り三体。
残存魔力が目減りしていくのを訴えているかのように体が悲鳴を上げる。訴えを無視して詠唱を続けた。
「闇夜切り裂く一条の光。我が手に宿りて敵を喰らえ」
――残り二体。
杖を持った左手に雷精が集っていき、さらに術式を重ねてその雷精を封印。
――残り一体。
ディズは足に魔力を集中させて、大地を踏みしめた。
目に映るのは、風精の最後の一体が死の呪文を受けて消える姿。その死の呪文を放った“敵”。その背後に映る城門前の橋。こちらとあちらを断絶する深く長い崖。
これから再現するのは幾度も見た、高速の移動術。
幾度も練習はした。成功したことは一度もない。――――だが今は、成功しなくてもいい。安全な着地なんてなくていい。ただ、今求めるのは相手よりも早く一撃を加える速さだ。
最後の風精を消し去ったロウルが狂笑を浮かべ、杖を掲げた。
ディズは足に込めた魔力を一気に炸裂させた。
「次は貴様だっ、ディぃズ! ――――がっ!!!?」
ディズの姿がロウルの視界から消え、次の瞬間、魔法の直撃を受けたよりも重い鈍痛が腹部へと突き刺さり、ロウルの体が吹き飛んだ。
ロウルは飛びそうになる意識を無理やり繋ぎ止め、何が起こったのかを確認するために体の前を見下ろした。
ディズの体当たりによる攻撃。伝統魔法族から見て、魔法使いとしての誇りを投げ捨てたかのような卑賤な行い。
ロウルの体がディズもろとも石垣を突き破り、崖の上へと身を投げ出した。
ディズの行った瞬動術は、リオンはもとよりイズーや夕映たちから見てもお粗末極まりないものであった。
入りは明らかに見え見えで、瞬動術の弱点である移動進路は容易く読み取れた。
抜きはもとより考えておらず、着地のタイミングはなく、ただ相手にぶつかって留まらせずにもろとも吹き飛んでいるだけだ。
だが大柄な体格の割に、スプリングフィールドやイズーのように体術の心得のない
敵にめり込ませるようにぶつけた右肩が激痛を発しているのを無視し、宙に躍り出たディズはロウルに左手の杖を向けた。
「きさっ!!?」
ディズの無言呪文による武装解除術。激昂し声を上げようとしたロウルの手にバシッ、と紅い閃光がぶつかり、その手から杖を吹きとばした。
杖を失ったロウルとディズの体が、魔法無しでは決して両岸に届かないところで自由落下を始め、ロウルの顔が恐怖と怒りに引き攣った。
“死の呪文”を連発できるほどに膨大な魔力を有するロウルといえども、杖なしには浮くことも“姿くらまし”することもできない。
できるのはただ体を張った見苦しい一撃を自身に加えた息子を巻き添えに落下するくらいであり――――そのロウルの体にディズの左手が添えられた。
「おのれっ、この、裏切り者めがっ!!」
「エーミツタム ――
――
ディズの遅延術式解放と同時に、白い稲妻が迸り、雷撃を浴びたロウルの絶叫が谷底へと落ちた。
「やばいっ!!」
ソーフィン・ロウルとともに落ちていくディズを見て、リーシャが身を乗り出そうとした。だがディズの体は宙の上に完全に投げ出されており、手を伸ばそうとしても到底届く見込みはない。
他の魔法先生たちは、それぞれ死喰い人の制圧や生徒の安全確保に動いている。
――届かないっ!!――
リーシャやセドリックの見ている前で、ディズの体が谷底へと落ちて行き――――ダッ、とリーシャたちの横を疾風が駆けた。瞬動で谷壁を蹴り駆けた疾風は、落下するディズへと追いついてその腕を掴んだ。
「ぐっ!」「っ゛!!」
「イズー!!」
追いついたのはイズー。咲耶の治療により危機的な状態からは脱したものの、それでも色濃くダメージの残るその体に鞭打って駆けたのだろう。身に纏っているのは夕映から申し訳程度に羽織らされたローブのみで、風にはためくそのローブの下は痛めつけられた痕がまだ痛々しく剥きだしのままだ。
落下するディズを片手で掴み止め、同時に残りの手で岩壁を掴んで落下を食い止めた。だが、その運動エネルギーは痛む体にはかなりの負担なのか激痛に苦悶の声を漏らした。
意識が飛びかかっていたディズも、グンッと引き留められた腕にかかる自重による苦痛から意識を呼び戻された。
崖下の川面に“何か”が落ちた音が谷間に響いた。
イズーはその手に掴んだ男子の腕が、ズルズルと滑り落ちつつあるのを感じて、さらに顔を顰めた。
「っぅ。おいっ! 瞬動で上に上がるから、早く両手で掴め! このまま入ると手が抜ける!」
瞬動は伝統魔法による“姿くらまし”のような魔法とは根本的に異なる“歩法”だ。
“姿くらまし”のような転移系の魔法は道筋という過程をすっ飛ばすことができるが、瞬動ではただ高速で移動するに過ぎない。つまり多大な運動を伴う。
イズーの負傷もかなり酷いため掴む力が弱く、このまま急激に上昇した場合、ただでさえずり落ちそうになっている手が離れるのは必至だ。
「くっ!」
ディズはイズーの指示に応じて右手を上げようとして、激痛に顔を顰めた。右腕は上がらず、だらりと垂れたままだ。
「っ!! その腕……っ!」
――肩が外れてるのかっ!!?――
見れば肩口が不自然に落ちている。
おそらく不完全な瞬動で体当たりを敢行した際の衝突で骨折したか脱臼したかしてしまったのだろう。これでは掴むどころか腕を上げることもできはしない。
イズー自身も治癒が中断したために完全回復とは程遠い状態だ。腕だけでなく全身が鈍痛を間断なく伝えており、体を支えている岩壁も二人分の重みを支え続ける負荷で徐々に小石を散らし始めている。
イズーだけなら虚空瞬動で上に上がれるが、このままではディズは引き上げられない。イズーの顔が苦悩に歪み、
「イズー!!」
頭上から自身の相棒たる少女の声が響いた。
その声を聞いたイズーは、ディズを掴んでいた手を離し、足に魔力を集中させ、宙に足場を作り出した。
体を支えていた手が離され、体を襲う浮遊感。ディズは悲鳴を上げるでもなく、諦観したように目を閉じ、
「ぐっっ!!? っ、これ、は……?」
予想していたよりも随分と早く体に衝撃がきて思わず声が漏れた。その衝撃も予想よりも遥かに軽く、ただ痛めている体には十分に響くが、瞬動もどきでの体当たりをしたときよりもずっと弱いものだった。
ディズは目を開け自分が触れているものがなにかを見た。
石の蛇だ。
岩壁からせり上がる蛇身はそれほど大きくはないものの、ディズの体を横たえるには十分な幅がある。
上を見上げればイズーはすでに虚空瞬動をつかったのか崖の上に登っており、ディズの乗る石の蛇もずずりと身を伸び上がらせてディズを崖上まで運んでいく。
ちらりと崖下に目を向けても、もはや夜の帳がおりた今、目視ではすでに下の様子がどうなっているのかは分からない。
だが杖も箒もなく、そして雷撃を浴びせて麻痺させた状態での落下だ。
最後にディズは一度目を閉じ、それから上へと視線を転じた。
「はぁ~~。間に、合ったぁ~~……」
崖上では小杖を掲げてメルルが魔法行使しており、ディズの体が地面に降ろされるとバタンと身を投げ出した息を吐いた。
「ナイス、メルル」
「おつかれさん、イズー」
メルルの横では膝を着いたイズーが息を整えており、メルルと視線を交わしてこつんと腕を打ち合わせた。
精霊魔法による“石蛇”の魔法。メルルのそれ単独では加速していたディズの落下速度には対応できなかったであろうが、そこは普段コンビを組んでいたという連携ならではだろう。
一方で、他の生徒たちは、先程のロウルとディズの会話を思い出し恐々とした視線を向けていた。
グリンデルバルドの孫。聞き間違い出なければたしかに彼はそう言っていたのだ。
ディズと同じスリザリン生は畏敬混じりに、他寮の生徒は恐ろしい者を見るようにディズを見ていた。
その中でそんな視線とは無関係に近寄ってきた者も居た。
「クロス! 大丈夫かい?」
「セドリック、ディゴリー……」
同じ決闘クラブでのセドリックがただ心配そうな顔でやや慌てて尋ねてきた。
セドリックはディズの体を素早く見回し、左手でおさえている右腕がだらりと垂れさがっているのを見て眉を顰めた。
「その腕。早く治療をしないと」
「いや。まだいい」
ディズはちらりと視線をフィリスと彼女が肩を貸している咲耶に向けた。
イズーを治癒していた彼女は、先程の暴走こそ収まっているものの大きく消耗しており、今治癒魔法を使うことはできないだろう。
何よりも禁じられた森の上空では、今なおリオン・スプリングフィールドが魔術師デュナミスと激戦を繰り広げている。
ディズは稲妻が飛び交い、暴風が巻き起こる上空を険しい顔で睨み、それから大きく損壊したホグワーツ城の頂に目を向けた。
「ダンブルドア校長は、まだ……?」
質問をしたディズの問いに答える代わりに、セドリックも視線を上に向けた。
今なお語り継がれるダンブルドアとグリンデルバルドの戦い。その再演が今ここ、ホグワーツで行われているというのだ。
そちらでは森の上空ほど激しい戦いは繰り広げられていないようだが、戦いの前にどこかへと戦いの舞台を移した二人の行方は分からない。
一方で、周囲の死喰い人達も多くは決着したらしい。
死喰い人の中でも、おそらくここに子供を預けている者達も居たのだろう。そういった輩は早々に逃亡を図っており、残っていたのは最早これまでと諦めて暴れまわっていた者たちであり、その者たちもホグワーツの教師たちの手によって鎮圧されていた。
生徒たちの心配は一つはまだ決着のついていないダンブルドアとグリンデルバルドに向かい、一つは明かされたディズ・クロスの来歴――グリンデルバルドの孫ということに向いており、あるいは禁じられた森上空で今なお続く激闘へと向いていた。
おそらく術者に魔物を再召喚するだけのゆとりがないのだろう。黒い魔物たちもいつの間にか姿を消しており、城門前広場へと脱出してきた生徒たちは身を寄せ合うように空を見上げ――――ドォッ!!! と赤い炎が城の頂から燃え盛り、そこから“何か”が落ちてきた。
重力に引かれて落ちてきたそれは、地面へと叩きつけられる前に、“腕”を振るい、急速にその落下速度を緩めて地面に落ちた。
「ぬ、ぐぅ……」
「ダンブルドア!!?」
落ちてきたそれはグリンデルバルドと戦っていたはずのダンブルドア。
その姿は体のあちこちを痛めつけられているかのように痛々しく、その姿にマクゴナガルやフリットウィックたちが慌てて駆け寄った。
ダンブルドアは弱々しく身を起こし、荒い息をつきながらもホグワーツ城を睨み上げた。
「ここまでだ、アルバス」
上空には杖もなしに魔法使いが見下ろすように浮かんでいた。
ボロボロのダンブルドアと比べると明らかにどちらに軍配が上がったが明らかな姿のゲラート・グリンデルバルドだ。
「老いたな、我が友よ。そしてこれが、今の俺とお前の差だ」
グリンデルバルドのダンブルドアを見る目は、どこか落胆したようであった。ダンブルドアはマクゴナガルが支える手を引き離し、ふらつきながらも立ち上がった。
「……ゲラートよ。人を捨てて、そのようなものになってまで、なにを望むと言うのだ」
荒い息に言葉を乱しながらもダンブルドアは厳しい口調でかつての友へと問いかけた。
もはや杖を交えた二人の戦いの趨勢は明らかとなったのだ。
片や時の流れにより老い、知識と経験を得る代わりに力を衰えさせた魔法使い。
片や長きにわたる監獄生活を送るも、邪悪な魔法使いの魂を糧に時に逆らい、そして使徒としての新たな力を手に入れた魔法使い。
かつてはわずかに秀でていたダンブルドアの力は、今やグリンデルバルドの後塵を拝し、明確な差となって二人の距離を隔てていた。
ダンブルドアの問いに、グリンデルバルドは両手を広げた。
「全てだ」
「全て?」
「魔法使いも、マグルも、こちらの世界も、あちらの世界も、全てを望むのだ」
宙から見下ろすグリンデルバルドに、ダンブルドアは厳しい顔つきを深めた。
「覚えているだろう、アルバス。俺たちがかつて望んだものを。取り戻すのだ! 全ての過去を! 未来を! お前にとっては――そう、“アリアナ”をだ」
「っ!!?」
一つの名が出た瞬間、ダンブルドアの顔が凍りついた。そこに宿るのは恐怖であり、憤怒であり、悲哀であった。
これほどまでに動揺し、心を乱したダンブルドアの姿を初めて見たのか、マクゴナガルやフリットウィックたちは怪訝な表情でダンブルドアを見た。
それらの余事にはかまうことなく、友の動揺を見て取ったグリンデルバルドは言葉を続けた。
「この半世紀。お前は何をしていた? お前ならもっと多くを変えられたはずだ。名声を集め、権力に手を伸ばし、世界に関わることもできたはずだ。
だがお前はそうしなかった。未来を紡ぐ子供たちを導くと嘯いて、ここに閉じこもり、世界の流れから目を背け続けた。
その結果がどうだ? あの愚にもつかない魔法使いの台頭を許し、旧来以前とした過去を紡いでいくのを見ていただけだ」
かつての友が語る言葉が、ダンブルドアの胸を抉った。
求めてくる世間の願いに背を向けている。そのことは“分かっていた”。
多くの魔法使いが、彼が権力の座を求めたこともあった。だがそれを幾度も拒絶し、結果その座に就いたのはダンブルドアと比べてあまりにも足りないファッジだ。
たしかに彼が助言という助けを求めた時、たびたび言葉を与え、手を貸しはした。
だが、昨今の問題。
“魔法バラシ”によるマグルとの積極的融和という問題には、ダンブルドアは口を挟むことができなかった。
なぜならそれは、かつての自分の夢とあまりにも似ていたから。
次代を担う者達に選択を委ねるという言い訳で、結局は自分が選んだ結果、引き起こされる未来から逃げたのではないか?
「自分が関わることで“また”死を結果とすることを恐れたのか? だがな、アルバス。貴様の行いは、いや。行わないという決断は、それだけで多くの死を許容したということだ」
ヴォルデモートのことにしてもそうだ。
かつてトム・リドルという名だった少年が道を誤り、闇に堕ちたのを確信したとき、手を打つことはできたはずだ。
気づかなかったなどと言い逃れることはできない。
他者よりも優れた洞察力を持つダンブルドアには、少年が裡に宿していた邪悪な心を見抜き、そしてついにはそれが改心することはないと断じたのだから。
討つことはできた。ただ殺すのならば、ずっと昔であればできたはずだ。
そうすれば後に死んでいく多くの命を救うことができた。
だがその答えを先送りにした結果、その答えはダンブルドアの関わらぬところで、多くの死を撒き散らした。
答えを先延ばしにし、“予言”という曖昧模糊なもので未来を縛り、守るべき子供たちにすら牙を剥かせてしまっている。
「俺の道は違う! 全てを覆せる。アリアナの死という絶望も、覆せるのだ。お前の願った、魔法族とマグルとの垣根をなくすこともできる。無論――――マグルと魔法族を隔てるという望みもまた、叶うのだ」
熱を帯びたように演説するその言葉を聞いていた者たちが、怪訝な表情となった。
マグルと魔法族との垣根をなくす――つまり今、魔法世界側の者達がなそうとしていることと、マグルと魔法族を隔てる――純血主義の対立する思想がどちらも叶う?
そんなことは在り得るはずがない。
「それは、矛盾する願いじゃ。両立することはない」
「いいや。並び立つ! そのために俺は使徒に成った! 全ての希望を叶えるために。“完全なる世界”を完遂させるために!」
見上げるダンブルドアと見下ろすグリンデルバルド。
全てを望む魔法使いは、まるで手繰り寄せるように掌を握り込んだ。
そう、全てを叶えるのだ。
破滅という絶望から世界を救い、変えようのない不平等を失くし、あらゆる悲しみを消し去る。
敗者はなく、勝者だけの幸福な世界。
それはかつての“彼ら”の野望を越える大業。
「今はもう眠れ、アルバス。貴様も、貴様の愛する者も、すべてはまた出会うことになる。“完全なる世界”さえ完遂すればっ!」
グリンデルバルドは、その胸の内を全ては吐きつくし、そして杖を友へと向けた。
その視界に孫がいることも見えつつ、多くの魔法使い、子供たちいることも見えながら、かつての世界の全てを断ち切るように杖を掲げ――――
――ドゥッッ!!!――
雷鳴を伴った何かが砲弾のようにグリンデルバルドに迫り、彼は発動させようとしていた魔法をキャンセルしてそれを回避した。
「くぅあッ!!」「デュナミスっ!?」
勢いのままホグワーツ城にぶつかり跳ねたそれは、同志である異形の魔法使い。
厄介と言う魔法使いを抑えていたはずの彼が、下半身を失った状態で投げ飛ばされたものであり、デュナミスはあやうくぶつかりそうになった味方に構うことなく、自らに纏わせた黒い影を解いて放った。
――『虚空影爪、貫手八殺』!!――
解けたそれは、八つの黒い腕となって伸び、デュナミス自身が飛来した方向へと襲い掛かった。
迎え撃つは影すら映らない速さで迫る敵であり、――――雷速で出現したリオンは、デュナミスの迎撃をものともせずに接近した。
全ての影爪を突破したリオンは、上半身のみとなっているデュナミスの胸に拳を突き立てた。
「ッラアッ!!」
――
デュナミスの体を特大の槍が貫き、ホグワーツ城の塔へと串刺しにした。
「なにっ!!」
一瞬の出来事に、ダンブルドアを追いつめていたグリンデルバルドも思わず目を瞠る。反応は早かった。グリンデルバルドはほとんど反射的に魔力を練り、
「アバダ――」
杖をリオンに向け、死の呪文を放とうとしたグリンデルバルド。だが、その標的は一瞬で消え、そして気づいた時には間近に現れていた。
「――――!!! ガッ?!?」
現れざまにリオンは一撃をその体に叩き込み、グリンデルバルドは吹き飛ばされてデュナミスの横にめり込まされた。
壁にめり込んだ彼を追撃するように、空間に紫電が奔り、煌く槍が空間を越えて現出した。
――
雷の槍が連続して現れ、次々にデュナミスとグリンデルバルドの体を貫き、動きを封じた。
「ぐぅっあっ!!!」
さしもの使徒も、その拘束からは脱することができないのか、苦々しげにリオンを睨み付けた。
バチンと雷を纏って現れたリオンはそんな使徒たちを油断なく睨み返した。
見上げていた魔法使いたちは唖然として戦いを終わらせた規格外の魔法使いの姿を見上げていた。ディズですら、痛む肩を抑えながら口元に笑みが浮かぶのを抑えきれなかった。
圧倒的、と言うほかないだろう。
傷ついていたダンブルドアは、終着を強引に書き換えた雷神のごとき魔法使いに鋭い視線を向けた。
その雷神――リオンの体にはまるで傷ついた所はなく、半身を失った上に大槍で胸を貫かれているデュナミスと比べれば決着は明らかだ。
「これ、が、魔法世界最強クラスの力ッ……まさに、理不尽なまでに、常軌を逸した力…………」
グリンデルバルドはなんとか魔法を行使して脱しようともがくが、腕に突き刺さった雷の槍が、手の感覚すらも麻痺させてその手から杖が落ちた。
「しまいだ」
リオンは冷徹な視線を敵に向け、戦いの決着を告げた。視線を向けられたデュナミスはギシリと歯を噛んだ。そして「なぜだ」と憤激の声を上げた。
「なぜ人間に与する! 最強種の、ダークエヴァンジェルの唯一直系の眷属が!!」
吠えたデュナミスに、見上げていた魔法使いたちの間からどよめきの声が漏れた。
だがその問いは、リオンにとってなんらの動揺をもたらすものではなく、眼差しに微かな呆れが混じるのみだった。
「別に人間に与しているわけではないがな」
リオンの答えに、ぎょっとしたのはそれを聞いていたマクゴナガルやファッジたち伝統魔法族の“人間”たちだ。
それに構わず、リオンは「だが」と言葉を続けた。
「俺の目的を果たすためには、貴様らは邪魔だ」
「目的だと?」
「俺の目的は、俺の手で果たす。邪魔はさせない」
組織の計画ならば全ての望みは成就する。だがそれは与えられたものであり、ただの“夢”だ。
甘美にして温もりある夢。ゆえにこそリオンが為そうとしていることでは決してない。リオンの望みは、彼が“したいことでは絶対にない”のだから。
リオンは決して交わることはないと、明確なる拒絶の意志を示し、そして腕をデュナミスへと向けた。
掌に宿る膨大な魔力。今度こそ、長きに渡る神の葛藤の残滓を消し去るために。
自身を消して余りあるその手を見て、渋面となっていたはずのディナミスは「くっ」と口元に笑みを浮かべた。
「かの闇の福音の直系の眷属にして英雄の血脈。そして我が主の御業に連なる魔法技。ただの人形たる私に勝ち目はない。そう、あの時と同じだ。
――――だが、貴様はどうやら勘違いしているようだな」
「なに?」
リオンは訝しげな顔となった。
負け惜しみにしては余裕ある態度。まだ再生核は潰れていないようだが、いくら使徒とはいえ雷撃系最大の突貫力を有し、膨大な魔力によって編まれた魔装兵具――
もう片方の使徒――グリンデルバルドにしても、ダンブルドアを上回ったとはいえ激戦の直後、まして未調整の状態による戦闘だ。今の状況を覆すことはできないだろう。
――勘違い……?――
何かを見落しているとでも言うのだろうか。
だが仮に見落としていたとしても、すでにこの周囲一帯は数キロにわたって電荷的に空間を掌握している。ただの魔法使いに――死喰い人とやらが来たとしても後れをとることはない。
「前回の戦いの号砲を告げたのが、誰であったのか聞いたことはないのかね?」
「…………!!」
だが告げられた言葉に、リオンの思考が脳裏に点在する関係ある“点”を急速に結んでいった。
――数十年前の“完全なる世界”の決起。その端緒となったゲートポート破壊事件。
起こした首謀者は3番目の使徒と目の前の魔術師、狂気の剣士。そして――――
“それ”に気づいたリオン。
だが同時に、その背後に何者かが現れた。
振り向いたリオンは、敵を認めるよりも早く、反射的に魔法の行使をしようと右腕を突き出し、
「!!!」
その右腕が剣によって切り飛ばされた。
「リオンッ!!!!」
見上げていた咲耶の悲鳴が上がった。