例年とは異なる騒動が道中あったものの、例年通りホグズミードに到着した生徒たちは馬の見えない馬車に乗せられていた。
フィリスとセドリックは車内で一度、見回りの途中で会いに来たが、降りてからは新入生たちを案内役のハグリッドの方へと先導しに行っていた。
咲耶たちも馬車に搭乗する列に並んでいた。
「あれ? スプリングフィールド先生は?」
順番を待って、次に乗る順番が回ってきた時、リーシャはコンパートメントに居たメンバーから一人欠けていることにあたりを見回して気づいた。
きょろきょろとあたりを見回すが、居るのは咲耶とクラリス、ルーク。途中で同僚の友人たちのところに戻ったジニーはともかく、列車から降りるときには一緒だったはずのリオール、あらためリオン・スプリングフィールド先生も今になって姿が見えなくなっていたのだ。
「さっき影の中に入って行った」
きょろきょろと探すリーシャに、クラリスは近くの木陰を指さして言った。もっとも、すでに日も暮れて辺り一面影だらけになっているのだが。
「影!?」
「影を使った移動はリオンの得意まほーなんよ」
ぎょっとして指さした木立の方を見るリーシャ。咲耶はいきなり保護者がばっくれたにもかかわらず平和そうな顔をしていた。
「なんでもありだな、あの先生」
ルークは呆れたように引き攣った笑みを浮かべていた。
第40話 地雷ワード
入学式、組み分けの準備が整ったホグワーツ城、大広間に生徒たちよりも一足早くに帰還したリオンも他の教員たちとともに出迎えの教員席へと座っていた。
空を映した天井には、居待月が魔法によって映し出されており、月の影響が強いことを受けてか髪の色は鮮やかな金髪となっていた。
リオンの隣には鳶色の髪の男性が座っていた。あちこち継ぎはぎのある ――戦闘の痕でぼろぼろになっているリオンのマントとはまた別の意味でボロボロのローブを着た新顔の魔法使い。
「初めまして。スプリングフィールド先生」
「どうも」
かなり疲れているのか、病気を患っているようにも見えるその面差しは、実際の年齢よりも彼を年上に見せていそうだが、それでもリオンよりも1回り程度は上だろう。
先程広間に入った時に、生徒たちへの紹介に先だって教員たちに紹介された名前はリーマス・J・ルーピン。
ルーピンはやや影のある笑みを浮かべながらも、初顔合わせで隣同士に座った先生へと挨拶をしてきた。
「魔法世界の魔法を教えられているのですよね」
「ええ」
尋ねたルーピンは、リオンの短い返答にどこか痛みを堪えるように憂いのある顔をした。
「時代は変わりましたね。私が昔ここに居た頃は、魔法省はあれほど魔法世界との関わりを嫌がっていたのに」
思い返すのは過去に過ぎ去った遠い日々か、あるいはあの暗黒の時代に、異世界との交わりを選んでいれば失わずに済んだかもしれないという、どうしようもないifを思ってか。
それとも……
「魔法世界でなら、犬でも差別されない、と?」
「! ……ダンブルドアから、聞いたのですか」
ルーピンは問われた言葉に一瞬驚いたように目を瞠り、苦笑した。
“ソレ”を思っていたわけではないが、どこかで期待していなかったとはいえない。
イギリス魔法界はとある“事情”を抱える彼には優しい社会ではない。
純血と非純血が争い合うこともそうだが、事情ゆえルーピンはとりわけ魔法界において差別され、忌避され、爪弾きの扱いを受けているのだ。
だが、もしかしたら魔法使いだけの世界ならばあるいは……。そう思っていた心を見抜かれたように感じたのだ。
「いいや。どうにも俺は校長殿には信用されていないらしくてね。ただ、匂いで分かるさ。卑屈な犬の匂いくらいな。それに…………」
リオンは薄く笑うとちらりと別の魔法先生へと向けた。
やや血色の悪い顔を歪めて睨み付けるようにして二人を見ている魔法薬学の教師。
「すでに随分と楽しげな同僚をお持ちのようだ」
「ははは。まあ、彼とは学生時代の同期でしてね」
にやにやとして言ったリオンの言葉にルーピンは乾いた笑みを浮かべてかつての同級生をちらりとみやった。
セブルス・スネイプ。
この度ルーピンが教鞭を振るうこととなった“闇の魔術に対する防衛術”の席を何年も狙い続けていると専らの評判の先生だ。
ただ、スネイプの忌々しそうな猜疑の眼差しとルーピンの負い目をもったような瞳、二人の視線を見るに、楽しげな思い出を分かち合う同級生とはいかないようだが。
初顔合わせ同士の“心温まる楽しそうな”会話は生徒たち、そして組み分けが行なわれる新入生たちが入ってきて終わった。
例年通りに緊張の面持ちで入って来た新入生たちが4つの寮へと各々組み分けられてから、ダンブルドア校長の祝いと訓示の話となった。
すでにかなりの高齢にもかかわらず、背筋はピンと伸びており、長い白髪と顎髭が賢者の風格を感じさせるイギリス魔法界で最も偉大とされる老魔法使いだ。
「新学期おめでとう! また新たな一年を皆と迎えられること嬉しく思う。さて、皆にいくつかお知らせがある。一つはとても深刻な問題じゃから、皆がご馳走でボーっとなってしまう前に片付けてしまうが方がよかろう」
ホグワーツ特急にて身も凍える恐怖を味わった生徒に安心感をあたえるような穏やかで包み込むような声で話を始めた。
告げる内容は深刻なものであると知らせるためか、コホンと一つ咳払いをして生徒たちを見回すと重々しく言葉を続けた。
「ホグワーツ特急での捜査があったので、皆も知っておると思うが、我が校は現在アズカバンのディメンターを受け入れておる。彼らは魔法省の仕事でここに来ておるのじゃ」
咲耶たちもあの時の“捜査”を思い出して僅かに身を震わせた。
幸福感を根こそぎ奪い去り、その人に宿る根源に刻まれた恐怖を呼び起こす闇の化け物。
「ディメンターは学校への入り口という入り口を固めて居る。今のうちにはっきりと言うておくが、あの者たちがここに居るかぎり何者も許可なく学校を離れてはいかんぞ。ディメンターはいたずらや変装に引っかかるようなマネはせん――透明マントですら無駄じゃ」
ダンブルドアはぐるりと生徒たちを見回しながら念を押し、特に有名な悪戯好きがいる寮のことを懸念して、ちらりと視線をグリフィンドールテーブルに向けて重々しく言った。
「言い訳やお願いを聞いてもらおうとしても、ディメンターには生来できん相談じゃ。よって、一人一人に注意しておく。あの者たちが皆に危害を加える様な口実を与えるではないぞ。監督生よ、男子、女子それぞれの新任の主席よ、頼んだぞ。誰一人としてディメンターといざこざを起こすことのないように気を付けるのじゃぞ」
ダンブルドアが言葉を切り、重々しく大広間を見回した。
監督生に対しての言葉にフィリスが顔を蒼ざめさせて息をのみ、セドリックも顔を強張らせた。
広間の生徒、のみならず教職員達も神妙な面持ちになったことを確認したダンブルドアは、一転して顔をほころばせて、おどけたような笑みを浮かべた。
「楽しい話に移ろうかの。今学期から嬉しいことに新任の先生を二人、お迎えすることとなった」
一歩身を引いて、教職員テーブルを示すようにそぶりした。リオンの隣のルーピン、そしてテーブル席に座っていたハグリッドが席を立ち、生徒たちに姿を示した。
そしてそれぞれ空席の“闇の魔術に対する防衛術”と高齢のケトルバーン先生が担当していた“魔法生物飼育学”の後任の先生であることをお知らせした。
ぼろぼろのマントを羽織っているルーピン先生にはぱらぱらとあまりやる気のない拍手が起こり、ハグリッドに対しては、彼が親しくしている人が多いためかグリフィンドールの方からのみ大きな拍手が起こった。
「そっかー、けとるばんセンセ、居らんくなってもうたんや」
「いい先生だったけど、かなりお年だったしね。ハグリッド先生は身体も大きいし、森の生き物に好かれているらしいから適任かもしれないわね」
ぱちぱちと拍手をしながら咲耶が2年授業を受けた先生が居なくなってしまったことを少し残念そうに呟き、フィリスも希望的観測を告げた。
魔法生物飼育学は咲耶のお気に入りの授業の一つで、主に禁じられた森に生息している魔法生物を観察・飼育・対応する授業だった。
受講当初に予想していたユニコーンやケンタウロスはまだ見ていないし、4年の頃のヒッポグリフのように危険度も相応にある生物なども勿論居たが、それでも寒い日の授業のサラマンダーやふわふわの小動物ニフラーなどは心和む楽しい授業だった。
ただ、やはりヒッポグリフや噂ではトロールや狼男も禁じられた森に棲んでおり、それらに対応しなければならない魔法生物飼育学は高齢で普通の人のサイズであるケトルバーン先生には年々負担の辛い授業になっていたらしい。
その点、森番であったハグリッドは、一目でそれとわかる巨体で、普通の人の2倍くらいのサイズはあるし、禁じられた森の生物たちに非常に慣れている。
教師としての適性は不明だが、魔法生物たちとの仲の良さや知識においては、フィリスの言うように適任であると期待できるだろう。
「さて、これで大切な話は終わりじゃ――――宴を楽しもうかの」
ダンブルドアの締めの言葉とともに、テーブルの上のお皿には様々な料理がぱっと現れ、生徒たちの腹ペコのおなか具合を刺激した。
「校長先生の話にもあったけど、ディメンターには気を付けねーとな。進んでお知り合いになりたい連中じゃねーし」
「頼むぜ。フィー、セド」
食べ物を取り分けて手を付けながら、ルークは先程の話と恐怖の象徴を思い出し、リーシャはにっと明るくおどけた笑みをフィリスに向けた。
フィリスは軽く肩を竦めて微笑見返した。
「ええそうね。せっかく監督生になったんだから成績が低空飛行を続ける友人をしごくくらいはしないといけないわね」
「げ」
「今年はOWL。リーシャが来年授業を受けられるようにみんなで調教すべき」
「ちょっ! クラリス!?」
フィリスとクラリスの息のあった連携に、リーシャはあわあわとして交互に二人に振り向き、咲耶やセドリックはそれを見て笑みをこぼしていた。
ちなみに今年、第5学年では
このO.W.L試験。6年生以降の授業、NEWTレベルを受講するための試験であり、これまでの期末試験とは一線を画す英国魔法省公式の試験になっているのだ。
NEWT試験は将来の就職にも関わるため、必然、その授業を受講できるかどうかに関わるO.W.L試験も重要になってくるのだ。
留学生である咲耶はともかく、英国魔法界の住人であるフィリスやリーシャたちも今年はかなり大変な一年になることだろう。
みんながおなか一杯になるころ、最後のデザートが載せられた金のお皿からカボチャタルトが消えてなくなり、ダンブルドアは全員の解散を告げた。
おなかが膨れてみんなが眠くなり、瞼をこする生徒たちが緩慢な動きでそれぞれの寮へと向かい始めた。
その流れが本格的になる前に、金髪の少年、マントに監督生のバッジをつけたスリザリンの生徒が咲耶たちのもとへと顔を見せた。
「やあ、サクヤ。元気だったかい?」
「うん。ディズ君も……監督生なったんや。おめでと~な」
昨年、決闘クラブの継続を提起したスリザリンの優等生、ディズ・クロスだ。
予想通りというべきか、セドリック同様に、成績と品行に優れていると評判の彼が監督生に選ばれていることを、胸のバッジが知らせており、咲耶はほわほわとした顔になった。
「ありがとう。おかげで今年は少し忙しくなりそうだよ」
肩を竦めてみせるディズだが、その顔をみるに監督生に任命されたことをそれほど重みに思っている風にも、光栄に思っているようにも特にはみえない。
ただし、特に今年はダンブルドア校長直々に言ったように例年よりも気を付けなければいけないことが多いだろう。
「それでも今年も決闘クラブを続けたいね。少し聞きたい話もできたんだけど、近々日程とか話せないかな?」
「ええよ~。クラブはウチも続けたいし。リオンセンセが今年も別荘使わせてくれるかは分からんけど」
決闘クラブの当初の設立目的は昨年の騒動が発端でそれはすでに終結している。だが魔法技能を鍛えるという趣旨を継続することに否を唱えることにはなりはしないだろう。
ただし、今年も継続してリオンが場所を提供してくれるかと安易に期待するのは彼の性格上難しいだろう。
「ああ。あまり時間の流れが違うあそこを使うのはマズイんだったね。……うん。場所なら僕に心当たりがあるから大丈夫だよ」
ディズもあの便利な不思議空間を継続して利用することのリスクは覚えていたのか少し考えるそぶりをし、にこりと微笑んだ。
対人魔法の実技を行なえる場所に心当たりがあるというディズに咲耶たちが感心していた。
「へー。あ、そだ! ディズ君。今年、OWLいう試験あるやろ。よかったらそっちの方の勉強も一緒にできんかな?」
感心していた咲耶はふと、今年の試験のことを思い出して思いついたとばかりに勉強会を申し込んだ。
O.W.L試験の話を聞くに、学年一の優等生であるディズに勉強を見てもらうことはためになるだろう。
「ん? もちろんだよ。ふむ……リオール君はたしか一学年上だったね。できれば彼の話も聞きたいな」
ただ、咲耶の提案は藪蛇だったのか、咲耶にとって予想外の切り返しが飛んできて、咲耶はほわほわ笑顔をビクリとひきつらせた。
「ぇ、えぇ、ぇーっと。そ、そやね! うん!!」
「あー、クロス。そろそろ新入生の案内に行かないといけないんじゃないか?」
途端におたおたとしてしまうアドリブと隠し事に弱い咲耶。
同じくリーシャたちも頬を引き攣らせたが、やや表情を硬くしつつもセドリックがフォローを入れた。
促されてディズが自分の寮の方を振り向くと、セドリックの言うようにスリザリン席の方では新入生たちが困ったようにおろおろとしており、女子の監督生らしき生徒が助けを求めるようにディズの方を見ていた。
「そうだね。うん。それじゃあまたね、サクヤ」
ディズも今、長々と話し込むつもりではなかったのか、フッと微笑んで監督生としての役割へと戻って行った。
セドリックとフィリスも、リーシャたちに一声告げると新入生の引率の役目を果たしに行った。
そして残されたリーシャたちは
「なあ、サクヤ。さっきの話ってどうすんの?」
「……どないしよっか?」
えへらとひきつったごまかし笑いを浮かべている咲耶にクラリスたちは呆れた視線を向けた。
・・・・・・
とりあえず翌日。
慣れたものとはいえ、ほぼ1日がかりの列車旅行を終えた後、久々の寮の自室でぐっすりと休んだ咲耶たちは、朝食をとるために大広間に来ていた。
「あーら、ポッター! ディメンターが来るわよ。ほら、ポッター! うぅぅぅぅっ!!」
広間に入ると、スリザリン寮のテーブルの方で女生徒が一人、何やら甲高い声で奇声を発していた。
「何やってんだあれ?」
今のどこにウケる要素があったのかは分からないが、スリザリン席の方からどっと笑い声が上がり、リーシャが首を傾げてそちらを見た。朝からハイテンションなばか笑いにさしものリーシャも呆れた眼差しを向けている。
今も、何かのコントでもやっているのか、どこかで見たような金髪の男子生徒が気絶の真似事をしたりして周囲を沸かせていた。
「ああ。あれ。なんかディメンターが……っと」
リーシャの疑問に、フィリスが昨日仕入れた情報を説明しようとし、その当の本人がわりと近くに見えたことで慌てて口をつぐんだ。
「おはようサクヤ」
「おはよーさん、ハーミーちゃん、ハリー君!」
ちょうどグリフィンドールテーブルの近くを通りがかっており、久方ぶりの友人、ハーマイオニーとハリーが咲耶を見つけて声をかけてきたのだ。
先程のスリザリン生の騒ぎ ――ドラコ・マルフォイによる気絶の真似は、昨日のホグワーツ特急内での騒動にまつわる一つのことを揶揄したものだったらしい。
身内だけで固まっていた咲耶やリーシャたちにはまだ伝わっていなかったが、監督生として巡回や情報交換をしていたフィリスには、昨日あったディメンターの視察の際に、ハリー・ポッターが列車内でただ一人気を失ったという情報を得ていた。
どうやらハリーはそのことを恥ずかしく思っており、マルフォイたちはそれを分かっていて揶揄しているらしい。
それを言おうとしたフィリスだが、話が聞こえていたのかハリーにぎろりと睨みつけられて言うのをやめたのだ。
それらを知らない咲耶は単純に久方ぶりの友人との再会を喜んでおり、ハーマイオニーにじゃれている。
「あれ? ハーミーちゃん、その猫どないしたん?」
白い子犬を連れている咲耶に対して、ハーマイオニーは夏前には連れていなかった大きな猫を従えていた。
赤みがかったオレンジ色の毛並でぶすーっとした顔で警戒するように咲耶たちをぐるりと見回していた。
「クルックシャンクスよ。サクヤのシロくんとかハリーのヘドウィッグを見てたら私もペットが欲しくなったの。可愛らしいでしょ?」
「へー……」
「かわ、いい……?」
咲耶はしゃがみこんで仏頂面の猫をジッと見つめた。
ぶすーっとして咲耶を見つめ返す猫 ――クルックシャンクスをリーシャは物言いたげに見つめた。
余計なことを言いたそうなリーシャの口を封じるためにクラリスがドスリと肘を入れた。
咲耶はじーっとクルックシャンクスを見つめてから手を伸ばし、優しくその毛を撫でた。
ふわっふわで撫で心地のよいシロの毛並とは違い、ややごわごわとしているが首元に置いた掌がふさりと沈み込んだ。
もふもふ、もふもふ、もふもふ………………
「サクヤ?」
「えへへ~……」
「こらこら」
だんだんと咲耶の顔がにへらとゆるみ、クルックシャンクスもごしごしと咲耶の手元に体を寄せて甘える素振りをみせている。
なんだかいつまでも撫でていそうな咲耶の様子にリーシャが呆れた顔でツッコミをいれた。
ちなみにその後ろでは、いつも撫でてもらっている白い毛並の尻尾を不機嫌そうに揺らしている子犬がいたりする。
思わず撫で癖が出て忘我していた咲耶だが、友人たちのツッコミと式神の不機嫌そうな視線に我に返った。
解放されたクルックシャンクスは相変わらずの仏頂面に戻っており、その前ではシロが「ふんっ」とツンとすまし顔をしていた。
「サクヤ。少し聞きたいことがあるんだけど、ネギ・スプリングフィールドって知ってるかしら?」
相変わらずの様子の咲耶に苦笑していたハーマイオニーだが、どうやら彼女は彼女で咲耶に尋ねたいことがあったらしく、いつもの好奇心旺盛な顔を覗かせて質問した。
猫をもふもふしてご機嫌だった咲耶も、ハーマイオニーから出てきた名前にきょとんとした顔になった。
「ネギさん? うん。知っとるよ」
「誰だよ、そいつ」
知っている人物の名前だが、それがこの学校で出てきたことが意外でハテナ顔をしている咲耶。
ハーマイオニーの横ではロンも疑問顔となっており尋ねた。
「ISSDAの設立者の一人よ。夏休みにニュースでやってたでしょ」
「それがどうしたんだよ?」
「あっ! そのニュースは僕も見たよ。たしか、スプリングフィールド先生にそっくりの赤毛の人だよね」
話についてこられないのならば口を挟まなければいいのにわざわざ話の腰を折ってハーマイオニーの顔を顰めさせるロン。物言いたげに人差し指を差し向けたハーマイオニーだったが、その口から小言が飛び出る前にハリーがぽんっと思い出して咲耶の方を向いた。
「あれ? スプリングフィールドって……」
“ネギ”という名には心当たりがなかったものの、覚えのある苗字がでてきたことでリーシャは首を傾げた。
「あの人ってスプリングフィールド先生のご兄弟なの?」
「えーっと……」
なんとも困る質問に咲耶は目を泳がせた。
・・・・・・
目の前で真っ白なふわっふわが揺れていた。
右に、左に。ふわふわと揺れる触り心地の良さそうな白い尻尾。
主は先程まで自分を撫でていたほんわかとした少女とお話ししており、こちらは見ていない。
そして目の前の尻尾――その持ち主は自身の主の会話する姿をジッと眺めている。
ほわほわの毛並を持った白い子犬。シロと言うらしいもふもふな――もとい怪しげな狼。
その目にはただの獣には宿らない知性と理性を灯しており、彼女の直感に触れるだけの十分な魔力をその小さな身体から感じさせていた。
彼女の聡明な頭脳は、この狼に対して警鐘を鳴らしているのだ。
こやつはただの獣ではない。闇に属する魔法生物に相違ないと。
そんな怪しげな魔法生物が、自分の主の身近をうろついていることの危うさ。
ふわり、ふわり、ふわりと、もふもふな尻尾が揺れている。
すっと、彼女の小さな手が振り上げられ。――――振り下ろされた。
「ぎにゃっ!!!」
「ぎにゃ?」
足元から潰された猫のような悲鳴があがり、その声がどうにもイヌ科の狼であるはずの式神から聞こえてきた気がして咲耶は思わず視線を下に向けた。
「―――っ!!! ―――!!」
いつもは咲耶に撫でられているふわふわの尻尾が赤毛の猫によってネズミのように捕まえられており、シロは涙目になってバンバンと
なんとも筆舌に尽くしがたい悲鳴があがっており、
「わぁ! シロくん!!」
「あ、クルックシャンクス! 放しなさい!!」
慌てたそれぞれの主が止めに入った。
ハーマイオニーはクルックシャンクスを引き剥がして抱き留め、シロはポンと人化の形態をとって涙目になって咲耶の後ろに隠れた。
いつもは触り心地の良さそうなシロの犬耳と尻尾は毛並を逆立てて警戒を示しており、涙目で「ふーっ! ふーっっ!!」と威嚇している。
「ごめんなさいシロくん。サクヤ。ちょっとクルックシャンクス!」
獲物か遊び道具を取り上げられたと思っているのか、猫はぶすっと潰れたような顔を不機嫌そうにしていて、どうやらまだシロの尻尾を狙っているのが見てとれた。
「だ、だいじょぶシロくん?」
「そ、それがしの尻尾が、尻尾が」
うるうると涙目で尻尾を体の前に持って来て抱きしめており、どうやら相当に痛かったらしい。
「ほら見ろ、ハーマイオニー。やっぱりその猫、どこかおかしいんだよ」
クルックシャンクスの凶行に、同じくペットを痛めつけられているロンがそれ見たことかと指摘した。
実はこの猫。夏休みの終わりにダイアゴン横丁でハーマイオニーに飼われてから、というよりもそのちょっと前にペットショップでロンの持ちネズミ、スキャバーズを一目見た時からなにかと狙いつけているのだ。
ウィーズリー家のエジプト旅行以来、体調を崩しているスキャバーズは猫に狙われるという苦難もあってかみるみる痩せ細っており、今現在は安全な男子寮のロンの自室に引っ込んでいる。
「猫ですもの。ちょっと犬のシロくんとは相性が悪かったのよ」
そんなロンに対して、ハーマイオニーは初めてのペット可愛さを発揮して、ロンの苦情を退けているのだ。
ただ流石に言葉も話すシロに悲鳴を上げさせるほどの不意打ちを食らわせたのには罪悪感があるのか、申し訳なさそうになっている。
咲耶は涙目のシロの頭をなでなでして慰めている。
悪魔にすら切り込み、吹き飛ばされたとはいえ、まともに切り結ぶほどの式神である白狼天狗が、一介の猫に後れをとるはずはないのだが…………ちなみに犬ではなく狼であるという訂正はどこからも上がらない。
「もしかしてシロくんって、猫が苦手なの?」
「なっ! ばっ! ぶ、無礼な!! そ、某に苦手なものなど、ひにゃぁ!!」
フィリスの指摘に、顔を真っ赤にしたシロ。とんでもないことをぬかしたフィリスをわなわなと指さし、口をぱくぱくと開いて何か言おうとし、しかしクルックシャンクスがぴょんとハーマイオニーの腕の中から飛び降りると、ポンと子犬の形態に戻って咲耶の肩に飛び乗ってがたがたと体を丸めた。
「オイ」
リーシャやクラリスから、冷めた眼差しが、神にも通じると言われる天狗の眷属へと注がれた。
ひとまず騒動はハーマイオニーがクルックシャンクスをしっかりと抱き寄せて、シロが咲耶の首の裏に隠れることでなんとか決着した。
果たしてそれで護りの式神がつとまるのかと問いたくなる姿ではあるが、まあ、主の友人の飼い猫相手に大人げなく(一応、白狼天狗は齢を重ねた狼であるはず……)刀を振り回すわけにはいかないという判断ゆえだろう……たぶん。
「あ、そや。さっきの話やけど、リオンにはネギさんのこと聞かんようにな」
なんだかんだですっかり時間がかかってしまい、話を切り上げるためにも咲耶は先程尋ねられた質問で、もっとも重要なことを伝えることとした。
「スプリングフィールド先生に?」
授業中、ハリーたちの学年でもっとも挙手を行うのがハーマイオニーだ。
それは彼女の知的好奇心からの質問であったり、知識量からの回答であったりする。そんな友人の知識への旺盛さを気にかけてのことだろう。
ハーマイオニーが理由を問うように首を傾げた。
「リオン。それ聞くと、すっごい、怒るから」
「怒るって、その質問で?」
いつものほわほわ顔ではなく、真面目な顔での注意にハーマイオニーの顔が引きつった。
念押しする咲耶がこくりと頷くのを見て、悪戯しようとしていたわけではないが、ロンとハリーもごくりと注意を覚えておくことにした。
怒ると相当に恐いということは先学期までにもう十分に分かっているのだから。