春のおとずれ 【完結】   作:バルボロッサ

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高殿の王

 ――魁丸(さきがけまる)――

 

 導きの刀。主から託され、護ることを忠節とした古き刀が、今、姫を護るために振るわれていた。

 煌く白刃が宙を切り裂き、退けるべき敵へと迫る。

 

 気を内包して鋼鉄をも斬り裂くはずのそれは、人の皮を被った悪魔の腕によって阻まれた。

 気と魔力の衝突によって衝撃が弾け、意図せずして周囲を薙ぎ払った。

 

 高位魔法使いの魔法にも匹敵するほどの斬撃は、しかしただの一つも敵へとダメージを与えていなかった。

 

 剣を止められ、一瞬体が固定されるシロ。

 ダーフィトの受け止めた右腕はそのままに、左の拳が握られ暴力的な魔力を伴って繰り出される。

 

「ははっ!」

 

 戦うことを愉しむダーフィトの笑い声が響き、紙一重で躱したシロの体が余波で吹き飛ばされる。

 

「くっ……剣風華 ――爆焔壁!!」

 

 吹き飛ばされながらも体勢を変えたシロが気を焔に変えて振るった。刀身から放たれた爆焔がダーフィトを包み込む。

 着地したシロが滑りながらも足場を壊して再び気を高めて刀を振るった。

 

 ――斬魔剣 !!――

 

 魔を切り裂き、退ける剣技が炎の中に飛び込み、悪魔を狙い撃つ。

 

 だが、手応えはなく、その瞬間、自らの横に瞬動で距離を詰めたダーフィトの拳がシロの体を捉えた。

 

 

 

 第35話 高殿の王

 

 

 

「が!! かはっ……う゛、く……」

「シロくん!!」

 

 ――デーモニッシェア・シュラーク――悪魔の一撃をまともに受けたシロのダメージは大きく、入り口近くにいた咲耶の近くにまで吹きとばされて壁を破壊した。

 式神の体とはいえ、口の端からは血が流れ、苦悶の声が漏れる。

 

 

「“その状態”で姫君を護ろうと向かってくるとは大した忠誠心だねぇ。けど、気の密度も威力もてんでダメだ」

 

 まともに攻撃を受けたのはシロだけでなく、その前にはシロの炎の剣技を受けていたはずなのに、ダーフィトにはそのダメージはまるでみられない。

 

「あっちの男のメイガスはなかなかのようだけど、魔女の方は力不足かな」

 

 シロと同じく、2体の悪魔をそれぞれ迎え撃っているスネイプとフリットウィック、マクゴナガルとスプラウト。

 ダーフィトがちらりと視線を向けると、スネイプが応戦している方はともかく、マクゴナガルとスプラウトは魔法の威力不足が露骨に出ており、完全に押し込まれている。

 スネイプとフリットウィックも、悪魔相手では余裕のある状態とは言えない状況だ。加えて、主格のダーフィトを抑えていた天狗が吹き飛ばされて均衡が崩されたことを目の端で捉えて焦りを見せている。

 

「マクゴナガル先生!」

「くっ。ミスター・ウィーズリー! 生徒を連れてここから逃げて! 早く!」

 

 一目で劣勢と判る状況にハリーが杖を手に取り加勢しようとし、同じくアーサー・ウィーズリーも杖を手にダーフィトの前に立とうとするが、マクゴナガルは叫ぶように指示を出した。

 

「やめた方がいい。君たちの移動速度よりも僕の方が上だ。なんならこの建物ごと壊して見せてもいいんだよ」

 

 マクゴナガルの決死の指示に、逃げ出す体勢をとろうとしていたロンやフィリス、セドリックたちは、突きつけられる殺意にも似た気迫に足を止められた。

 

 ――考えが甘かった――

 

 決闘クラブでいくらか魔法を鍛え、そして昨年の精霊魔法の試験で命の危機と言える様なものを体験したこと。

 今年の事件においても、魔法先生には被害がでておらず、奇襲のような形でしか生徒を襲っていなかったために、甘く見ていた節がなかったとは言えない。

 

 だが、先生たちをも圧倒する悪魔という存在に脚が震えていた。

 

 そんな彼らを庇うように、ダメージを負ったシロが痛めた体を起こして立ち上がった。

 そして負傷してなお、戦闘継続しようとしている式神の前に、咲耶が立ちふさがった。

 

「姫さま!!」

「ウチが居ると困るって言うとったよな」

 

 護鬼の前に立つ魔法使い。シロが痛みに顔を顰めつつも悲鳴のように姫の名を叫んだ。

 自らの式神を手で制して咲耶は友人たちに殺気を向けるダーフィトを睨み付けた。

 

「……勘違いしないことだ姫君。別に貴女程度、ここで始末することに何の問題もない。ただあの御方が貴女に接触することを避けるように言っただけのこと。遭遇してしまっては別に仕方ないことだ」

 

 ダーフィトは咲耶の凛とした眼差しを受けて、少し考えてから無謀な試みをしようとしている少女を睨み返した。

 

「大人しく“鍵”さえ渡していただければそれでいい。そちらで起こっている事件についても終わらせることができるし、なんの問題もないだろう?」

 

 どうやら、ダーフィトにとって咲耶はできれば会いたくないし、関わりたくない存在らしく、出来るだけ早くこの場を去りたいと言っているようにも聞こえた。

 ダーフィトの右手に魔力が集中し、炎が具現化している。

 

 ダーフィトの冷たい視線に、咲耶は震える脚にぐっと力を入れて気圧されるのを堪えた。

 

 魔力量だけならば咲耶はリオンよりも多いとはいえ、その素質は圧倒的に攻撃には向いていない。

 

 ジリ、ジリとにじるように後退している咲耶を見て、ハリーが立ち上がった。

 

「鍵は僕だ! 僕のパーセルタングが、秘密の部屋を開く鍵だ!」

 

 アーサーが止める間もなく、咲耶の隣に並び杖を向けて叫んだ。

 

「ハリー!!」

「ほう……。そうは見えないが?」

 

 ぎょっとしてアーサーが引き戻すようにハリーの体を抑えるが、すでにダーフィトの注意はハリーに向けられており、その悪魔の瞳がハリーを捉えていた。

 

「っ……僕の他にもパーセルタングを持つ継承者が居るけど、そいつは誰か知らない。だから僕が鍵だ!」

 

 実の所、ハリーにもこの悪魔の言う“鍵”というのが本当にハリーの思う扉を開く鍵――パーセルタングと一致するからは分かっていない。

 だが、このままでは、先生たちも、そして注意を集めてしまった咲耶も危険だ。

 ダーフィトの眼光は鋭く、ハリーを観察している。

 

「分かっていないようだな、少年。だが納得したよ。どうやら君たちは本当に“鍵”については知らないらしい」

 

 ダーフィトの出した結論は、ハリーにとっては救いとはなったが、しかし現状を変える手だてが失われたことも意味していた。

 ガッカリとため息をついたダーフィト。

 

 先程から悪魔に押され続けていたスプラウトが吹き飛ばされて壁へとめり込まされて動きを止めた。

 マクゴナガルとスネイプ、フリットウィックは対峙していた悪魔から距離を取り、ハリーたちのところにまで後退した。

 

 三人もまだ戦闘を継続できていたとはいえ、その消耗はひどく、どちらも肩で息をし、体のあちこちが悲鳴を上げているかのように顔を苦悶に染めていた。

 

 圧倒的な戦力差を見せつけたダーフィトは、すでに最初に見せていたような遊びの笑みは浮かべてはいない。

 

「仕方ない。あまり時間をかけたくはないので、手っ取り早く全員消し炭にしてから他を当たらせてもらうとするよ」

 

 ただ、制限時間が尽きる前に用事を終わらせようとする、自分の都合だけを考慮して掌の炎の魔力を高めた。

 炎が赤から白を経て蒼くなり、遂には黒い獄炎にまで変じている。

 

 向けられようとしているモノ()の強大さは、離れていても肌を焦がす熱波によって分かる。

 アレが放たれれば、言葉通り全員消し炭、いや、跡が残るかどうかも怪しい代物だ。

 

 すでに興味は失せたと色を失くした瞳がもの語っており、獄炎がこの場の全てを燃やし尽くそうと解き放たれる。

 

 その瞬間、

 

「!!? なっ、がっ!!」

「!!!」

 

 空間から突如現出した大きな雷の槍がダーフィトの胴を貫いた。

 

 白く輝く雷の槍。

 

 ――雷の、投擲 !!!―――

 ――しかも、直前まで兆候のない空間跳躍攻撃――

 

「これ、は!!」

 

 スネイプやマクゴナガル、シロの攻撃ですら突破することができなかった悪魔の防御を易々と貫通する攻撃。

 そんな攻撃ができる使い手が、今まさにここに一人だけいることを知っているダーフィトは警戒心を一気に跳ね上げてその場を緊急離脱しようとして

 

 ――パチリと静電気のようなものが走った。

 

「!!?」

 

 次の瞬間、ダーフィトの四肢はその半ばから宙を舞った。 

 

 ――断罪の剣(エンシス・エクセクエンス)――

 

 物質を固体、液体から気体へと強制相転移させる高位攻撃魔法。

 上級の悪魔であるダーフィトだからこそ、その一撃に付随する効果によって消し飛ぶことこそなかったが、悪魔の知覚力をもっても認識できないほどの雷速で目の前(・・・)に現れた魔法使いは一瞬でダーフィトの左右の腕、そして両の腿を断ち切った。

 

「がっ!!」

 

 浮遊術を使って整える間もなく崩れる体勢。前のめりに傾いていくその体は、凶悪といえるほどの腕力で無理やり首元を押さえつけられて止まった。

 

「キ、サマ……!!!」

 

 驚愕に眼を見開き、眼前に現れた魔法使いを睨み付けた。

 

 体は雷精の如く白く瞬き、飽和した雷子がバチバチと周囲で弾ける。

 圧倒的、という言葉ですら生ぬるい程に隔絶した戦闘力と魔力。そこから感じられる威圧感。

 

 

 新たなる魔法使いの登場に、支配される場。

 

 主格のダーフィトが一瞬で危地に立たされたと見るや、配下の悪魔2体はそれまで相手にしていたスネイプ達を捨て、雷の化け物へと襲い掛かった。

 

 迫る2体の悪魔。

 貴族を締め上げる不敬な魔法使いを挽肉にすべく1体が剛腕を振るった。

 

 マクゴナガルたちが防ぐことができずにダメージを受けた“悪魔パンチ”。その最大級の威力の攻撃が――――

 雷精の怪物の掌で受け流され、威力そのままに体を引き連れるようにして宙を舞った。

 その体は悪魔の魔法抵抗力など意に介さないとばかりに氷の浸食を受けて氷塊となり、地に落ちる前に蹴り上げられて砕け散った。

 

 中身の悪魔ともども砕けた氷が舞い落ち、もう一体の悪魔が目を瞠る。その一瞬で、雷精は腕を振るった。

 振るった、ということを悪魔たちは認識できなかった。ただ、放たれた雷の槍が悪魔の胴を貫き、体ごと吹き飛んで壁にその体を縫い付けた。

 

 

 まさに秒殺。

 4人の魔法先生を苦しめ、生徒たちを危機へと落し入れていた状況が、たったの2,3秒足らずで一人の魔法使いによって鎮圧されていた。

 

 

 

「リオン!!」

 

 様相こそいつもとは違っていても、見間違えることはないその姿に咲耶は嬉しそうに声を上げた。

 

 その声で初めてハリーたちは現れたその雷の怪物が、精霊魔法の教師であるリオン・スプリングフィールドであることを認識した。

 だが、認識しても普段の姿とあまりに違う姿。

 睨み付けるような眼差しは敵の存在を許容しないかのような威圧を無言のうちに放っており、周囲には体を構成している雷の因子が弾けている。

 

 声を呼ばれたリオンはちらりと睨むように視線を咲耶へと流した。

 まるで視線に魔力が込められているかのような眼差しに、向けられた咲耶よりもむしろ周りの魔法使いたちが本能的な恐怖感を感じた。

 そんな怯えを察したわけではないだろうが、活発にはじけていた雷の因子が不意に消え、体は輝いていた姿から普段のローブ姿に、いつもの見たことのある精霊魔法の教師の姿へと戻っていた。

 

 だが、その顔に浮かんでいるのは見間違いなく不機嫌そうな表情。

 

「おい。なんで貴様が出てきている咲耶」

「えっと……」

 

 ギンと睨み付けるリオンの眼差しと詰問に、咲耶が口をもごもごとさせて言い淀んだ。

 

 そんないつもの光景に、はっとしたようにマクゴナガルが口を開いた。

 

「今までどこに居たのですか、スプリングフィールド先生!!?」

 

 咎めるような声。

 リオンは視線を咲耶から外さず、険を深くした。もっともそれはマクゴナガルの怒鳴り声が原因ではなく、あからさまに視線を逸らせてこんなところにやって来ている咲耶が原因だ。知らずに荷物(・・)を持ち上げている手にギリギリと力が込められて苦悶の声が漏れた。

 

「ぐ、ぎ、貴様! あの御方、侯爵様は!」

 

 戸惑った様子の咲耶と恐怖感を覚えながらも憤りを発露させたマクゴナガル。どちらかに口を利くその前に、片手で首を押さえつけられるようにして四肢を失った体を持ち上げられていたダーフィトが呻くように声を上げた。

 リオンはそこで意識をダーフィトに戻した。

 

「なるほど侯爵だったわけか。そいつならさっき氷漬けにしてきたとこだ」

「なっ!!?」

 

 その言葉に、ダーフィトは再び驚愕の色を露わにし、魔法使いたちも驚きに息をのんだ。

 

 4人がかりで爵位級悪魔の配下2体にすら圧されていたのだ。

 その2体は瞬殺され、今宙づりにされている悪魔よりも上位の悪魔を片付けてここにいるというのだ。

 

「さて。さっきの奴にも聞いたことを繰り返そう……誰の差し金だ?」

 

 ピキリとリオンが掴んでいる箇所から氷が広がり、体からは冷気が漏れ出た。

 

「あの、方が、貴様などに、がぁあっっ!!」

「消える前にとっとと吐け」

 

 この問答もリオンにとっては2度目。

 だが、先程と同様に望む答えが返ってこないことに苛立ちを増加させられたのか、締め上げる力が容赦なく増した。

 規格外の魔力が感情の昂ぶりとともに、術式を介さずに現象を生み出しているのだろう。足元にはパキパキと霜が広がり、空気中の静電気は火花を散らしている。

 

 容赦のない締め上げと暴力的な威圧感。

 たしかに普段から恐い先生ではあった。

 だが、今目の前に居るのは、今まで見てきた魔法使いとは違う。ハリーたちにとって初めて見る、最強クラスの魔法使い、リオン・スプリングフィールドの姿がそこにはあった。

 

 

 ダーフィトはギリギリと締め上げてくるリオンを苦しげに睨み付けていた。

 切り飛ばされた四肢は、所詮こちらの世界に居る時の仮初の肉体に過ぎない。魔界に戻り、再召喚されればどうということのない欠損だ。

 だが、それも今この場をどうにかできればの話だ。

 

 

「…………くっ……」

 

 氷と雷を司る魔法使い。真祖の眷属。

 悪魔の魂を囚えて封じるくらい、この男にとってなんてことのない魔法だろう。あるいは魂のみを消滅させる上位古代語魔法を行使してくる可能性もある。

 

 爵位級の中でも伯爵という上級魔族の自分をまるで寄せ付けない圧倒的な力。

 

 ダーフィトはニィと口元を歪めて一言を絞り出した。

 

「くたばれ」

「!」

 

 次の瞬間、リオンはその腕を放して飛び退った。

 間髪入れず、一瞬前までリオンが居たところを赤いビームが貫通した。

 

 ホグワーツ城の守護がかかった城壁を貫通しての灼熱の魔法攻撃。

 一撃目を回避したリオンだが、幾筋のものビームが追撃するように迫り、飛び退りつつリオンは右の指先を迎撃するように差し向けた。

 

氷瀑(ニウィス・カースス)

 

 詠唱を省略した魔法。リオンが放った氷の爆発が炸裂し、追撃を阻んだ。

 突如発生した氷の爆発と、熱せられて生じた霧。

 ハリーたちは咄嗟に顔の前に腕をもちあげて庇った。

 

 白い霧が景色を覆い、咲耶たちの前に立ったリオンがその奥を睨み付けた。

 

「何が……!?」

 

 次々変わっていく事態。マクゴナガルたちが徐々に晴れていく霧を見つめる。

 

 そして

 

「もう、一体…………?」

 

 そこに居たのはまた新たな悪魔の姿。敵の増援に息をのむハリーたち。 

 

 だが、その悪魔の姿はすでに戦闘を経てきたものだった。

 左の腕は肘よりも上で砕けたかのように途切れ、砕けており、切断面は白い氷で覆われている。

 

「侯爵様!」

「いやー、まいったまいった。聞いてた以上だったよ。まったくどっちが化け物か分からないね」

 

 四肢を切り飛ばされたダーフィトだが、その隻腕の悪魔の登場に歓喜の声を上げた。

 伯爵である彼よりもさらに上位の魔族。

 だが、その侯爵の表情はどう見ても彼にとっては心強い援軍の表情ではなかった。

 

「ほぉ。上級魔族でも10年単位で封じるレベルだったんだが」

「おかげで、腕一本犠牲にしちゃったよ。しかもレジストしきれなかったしね」

 

 付け根近くで捻じ切られたような左肩に目を向けると、そこは凍てついていた。

 いや、微かにその凍てつきは肩を這い上っている。

 

「どうせ送還されれば元に戻るんだろ」

「そうだね。まあそれまでに僕が氷漬けにならなければだけどねぇ」

 

 強力な氷結の封印術式なのだろう。

 左腕を犠牲に間一髪で逃れたとはいえ、その効力からは逃れられていない。辛うじて悪魔特有の強力な抗魔力によって進行を押し留めているが、それだけで多くの魔力を消耗し、そして未来というほどにも長くない時間の後に全身を凍てつかせるだろう。

 

 

「悪魔が二体。こんな、どうすれば……」

 

 新たなる上級悪魔の出現にマクゴナガルは嫌な汗が流れるのを感じており、スネイプも眉間のしわを険しくした。 

 

 一体あの悪魔がどれほどの使い手かは分からないが、絶体絶命のダーフィトが歓喜の声を上げたくらいだ。位からしても彼を含めた3体の悪魔よりも強敵である可能性は非常に高い。

 ダンブルドアの居ない今、そんな存在が次々に迫り、果たして生徒と学校を護りきれるのか…………

 

 だが

 

「それで。今さら手負いの雑魚が加勢に来てどうにかなると思ってるのか?」

 

 リオンは他の魔法使いとは状況の認識を異にしているかのように余裕の態度を見せている。

 

「スプリングフィールド先生!?」 

 

 悪魔という、極めつけに厄介な闇の魔法生物を相手にあくまでも不遜な態度を貫くリオンに英国魔法使いはぎょっと眼を剥いた。

 

 雑魚呼ばわりされたダーフィトはギリッと悔しげに歯を噛み睨み付けてきたが、侯爵はそれに答えず、ちらりとリオンの後ろに視線を向けた。

 そしてそこに居る一人の少女の姿に顔を顰めた。

 

「まったく、運がない。まさか“花の姫君”と遭遇しているとは」

 

「?」

 

 ――まただ……――

 

 ダーフィトという悪魔も、そしてこの侯爵という悪魔も、自分の方を見てそう呼ぶ。

 それが何を意味するのか……考えようとする前に、ゾワリと悪寒が走った。

 

 強烈なプレッシャーを放っているのは護り手であるはずのリオン。

 パキリパキリと溢れる魔力が周囲を氷結させていく。

 

「おっと失礼。失言でしたね。

 こちらとしてはこれ以上交戦する意思はないのですが……貴方に加えてそちらの老魔法使い相手ではどうあがいても勝ち目はありませんから」

 

 侯爵は自らの失言を謝し、ちらりと離れた位置に目を向けた。

 釣られてハリーたちはそちらに視線を向けた。

 

 そこに居たのは、ハリーたちが誰よりも頼もしいと思える魔法使い。

 白髪の豊かな髭と髪。巨大な老樹のように安堵を与えるホグワーツの拠り所。

 

「ダンブルドア!!!」

 

 英国魔法界最強の魔法使い、アルバス・ダンブルドアの帰還に、安堵の声があがる。

 マクゴナガルも極限の緊張をわずかに緩め、子供たちはほぅっと安心したかのように息を吐いた。

 

「随分と、客人が来られておったようじゃの」

 

 ハリーたちを落ち着けるような深みのあるゆったりとした声だ。だがその目は油断なくリオンと対峙する悪魔に向けられている。

 

「お初にお目にかかりますアルバス・パーシバル・ウルフリック・ブライアン・ダンブルドア。旧世界は英国、いや欧州最強の魔法使いと目される方にお目にかかれて光栄の至り。わたくし、侯爵の位をいただく、……そうですね、この場ではロキと名乗らせていただきましょうか」

 

「ロキ侯爵ですかな」

「はっは。いや、実はわたくし、人にいただいた名をいくつかありましてね。どれも気に入っているのですが、この場ではそれが一番名乗るに相応しいかと思案したのですよ」

 

 明らかに偽名と判る名乗りに訝しげな視線がぶすぶすと突き刺さるも、ロキは愉快気に胡散臭そうな笑い声を上げた。

 

「名前を適当に変える奴に碌なのは居ないな」

「おやおや、どなたか心当りでも?」

 

 胡散臭い偽名を堂々と名乗る胡散臭い奴を思い出してかリオンは嫌そうな顔になり、最強の魔法使いをぶすりとした表情にさせたことに満足したロキはニヤニヤとした笑みを浮かべた。

 

「さて。先ほども申し上げた通り、こちらとしてはこれ以上をここで戦う意志はございません。――――ので、見逃していただくことはできませんか?」

「見逃すと思うか?」

「ですよね」

 

 ニコッとした笑顔で尋ねたロキだが、リオンに冷え冷えとした返答を返された。

 

「では、こちらも手土産を差し出しましょう」

 

 あははと誤魔化すように笑った侯爵は、それではと右の手のひらを上にして掲げた。

 

 一つの魔方陣が宙に描かれ、まるでそこに繋がる穴でもあったかのように一つの本が落ちて手の中に納まった。

 古ぼけた黒い装丁の小さな本。

 

「それは!!」

 

 その本を見た瞬間、ハリーはハッとして声を上げた。

 見覚えがあったのだ。

 

 50年前の“冤罪”をハリーに教えた、魔法の本。

 

「そう。秘密の部屋の継承者、そちらで起こっていた事件の首謀者です――――実は別口でちょうど今しがた手に入れていたのですよ」

「なっ!!?」

 

 ニコッとした笑みで、ホグワーツを大混乱に陥れた事件の主犯について軽やかに明かしたロキに、ハリーのみならずマクゴナガルやアーサーも驚愕を露わにした。

 

 リオンとダンブルドア、そしてスネイプも、同じように驚きを覚えてはいた。だが、それ以上に気になる情報を言葉の中に見つけていた。

 

 気づいた者がいたことを目の端で捉えてニンマリとしつつ、ロキは日記を見せつけるようにしながら今度は未だに目を覚まさないジニーとマルフォイへと顔を向けた。

 

「そちらのお嬢さんと少年。見たところ命を吸われており、このままでは目覚めることはありませんよ」

「そんなっ!!?」

「どういうことですか!!?」

 

 モリーは取り乱したようにロキへと駆け寄ろうとしてアーサーに抱き留められ、マクゴナガルが厳しい口調で詰問した。

 

「どうやら、この日記の主には魂を吸い取る力があるようでしてね。命を吸われた者はそのまま緩やかに弱っていき、死を迎える。そこで……」

 

 魔法使いたちの悲哀の表情にロキは微笑を崩す事無く言葉を区切った。

 何かの力を作用させたのか、日記から何かの光の玉が浮かび上がった。ほのかに輝くその玉から、二つの光がふよふよと分かれた。

 そして

 

「ん……」

「ジニー!!」

 

 光が消えると同時に、それまでぐったりとしていたジニーが身じろぎし、ゆっくりと眼を開けた。目を覚ました娘の姿にモリー・ウィーズリーは声を上げてジニーを抱き寄せた。

 マルフォイも身もだえして目を開いた。しかし彼は何かの魔法もかけられているのかぼうっとしている。

 

 

「吸い取られていた命を戻したのですよ。これで私たちが貴方がたと敵対する意思がないことがお解りいただけたでしょうか?」

 

 安堵するウィーズリー一家の様子に職員室の空気が弛緩した。その空気を望んでいたのだろう、ロキが友好非戦を訴えた。

 

「それとこの本。これがそちらのお嬢さんたちから魂を吸い取り事件を起こしていたそうですが……それに関してはそちらの子が調べていたようですよ?」

 

 ダメ押しとばかりにロキは日記を掲げて見せつけた。

 

「ポッター?」

「あの日記! あれは、トム・リドルの日記なんです!」

 

 ロキの視線はハリーへと向いており、視線を追ったマクゴナガルたちがハリーに振り向いた。

 ハリーは勢い切って日記の事を口にした。

 

 今がどうなっているのかは分からない。

 ただ、全てはあの日記から始まったというのは、直感に訴えかけるものがあった。

 

 あの日記、正確にはあの日記の持ち主の時に一度秘密の部屋が開かれ、持ち主が継承者としてハグリッドを冤罪の主犯として引き渡した。

 

 その真偽は分からない。犯人が本当にあの日記だというのもよく分かりはしない。

 だが、それでも自分の知り得る限りのことを話せばきっと何とかなる。

 

 ここにはダンブルドアが、そして多くの魔法先生が居るのだから。

 

「トム……リドル……」

 

 ハリーの訴えにダンブルドアがハッと目を開き、深い哀愁を漂わせるように目を細めた。

 

「ダンブルドア校長……?」

「おや、その名前に心当たりがおありですか?」

 

 何かを察した様子のダンブルドアにホグワーツの魔法使いは問うような視線を向け、欧州きっての魔法使いがその深い見識と頭脳で結論を確信したのを見て取ったロキは、ニンマリと口元を歪めた。

 

「かつて50年前、ホグワーツに一人の優秀な生徒がおった。極めて優秀で、当時の校長からの信頼も厚かったその生徒の名がトム・マールヴォロ・リドル……後のヴォルデモート卿じゃ」

 

「それじゃあ、スリザリンの継承者は、例の、あ、あの方と!?」

 

 ダンブルドアの言葉に驚きと動揺が広がった。

 英国魔法界、最大の闇が今年の騒動の原因だったのだから、その驚きももっともだろう。

 

「どうやら大筋はご理解いただけたようですね。どういう経緯でお嬢さんがこの本を手に入れたかは存じませんが、そこは調べればすぐに分かることでしょう?」

 

「その日記にはリドルの記憶と魂が込められておるのじゃな?」

 

 ダンブルドアがロキに鋭い視線を向けた。

 

 彼にとって、トム・リドルという生徒は、ただの卒業生でなく、そして後に巨悪となった魔法使いということもあって、思い入れのある生徒なのだろう。

 

「素晴らしい。

 ご入り用でしたらこの本。こちらもお渡ししましょう。もっとも、そちらのお嬢さんがたをお救いするのに中身をとりだしてしまいましたから、すでにただの本ですが、そこはそのお嬢さんたちの命と引き換えということで目をつぶっていただきたいですね」

 

 隻腕となっていなければ手を打って拍手でもしていそうなほどのリアクションをとるロキは、持っていた日記をハリーの方に投げてよこした。

 

「これで貴校を騒がす怪事件はめでたく解決です。いかがでしょう。お見逃しいただけますか?」

 

 事件解決、という言葉と状況に、主に生徒たちの間ではあからさまに緊張が弛緩しており、流石に魔法先生たちはそこまで油断はしていないが、それでも悪魔の意図が理解できずに困惑の空気が流れている。

 リオンは本を一瞥し、そしてロキに視線を定めた。

 

「その本の中身。そこのガキどもの魂のどさくさに紛れて貴様、それを回収したな」

 

 リオンの言葉に、ロキがピクリと反応した。

 できれば見逃して欲しい、といったところだったのだろう。

 

 “この日記の主には魂を吸い取る力がある”。そう言ったにもかかわらず、ジニーとマルフォイの吸い取られていた魂を取り出しただけでただの本に戻るはずがない。

 

「何の目的でそれを回収した?」

「…………」

 

 ニコニコとしていたロキの表情が固まった。

 

「あとこの質問も繰り返すのがいい加減鬱陶しいが、貴様らの召喚主は誰だ。それを吐け」

 

「…………残念ながら。私どもとしても超えてはならない線がありまして、そこはご容赦願えないかと。

 ちょっとした行き違いから多少の被害を出してしまいましたが。本来であればこうしてここに来る前に逃げ出していても構わなかったのを、そちらのお嬢さんと少年の治療のためだけに姿を見せたのを誠意として汲んではいただけませんか?」

 

 どうあっても召喚者の名と目的を口にするつもりはない。

 それは悪魔としての矜持からなのか、それとも貴族としての、あるいはロキとしての矜持なのか。

 いずれにしても、交渉の決裂は明白だった。

 

 リオンの右の掌に膨大な魔力が集い、3本の刃が形作られる。

 

 一刃一刃が必殺の威力を誇る強制相転移の魔力刃。

 そこに込められた膨大な魔力と攻撃の意志に、ダーフィトはギリッと歯を噛んだ。

 

「残念ですね。仕方ありませんか…………」

 

 どうあっても逃がす気はない。

 そう無言で突きつけられたロキは溜め息をつき、

 

「先に戻っていなさい、ダーフィト」

「はい。お待ちしております」

 

 にっこりと笑みを形作って、右手をダーフィトの頭に置いた。

 ハリーたちはその動作に注意を奪われた。そして――――その次の動作には咄嗟に反応できなかった。

 

 ダーフィトの体から漏れ出る光と、高まる魔力。

 

「! ちっ!!」

 

 ダーフィトの体から出る光は瞬く間に目を焼くほどの眩い閃光となった。

 まるで暴発寸前の爆弾のように。

 

 右手の魔法は斬撃主体の攻撃魔法。すでに爆発直前のあれを防ぐことはできない。

 

 一瞬で判断したリオンは右手の魔法をキャンセルし、同時に左手を前に突き出した。

 

 ――左腕解放(シニストラー・エーミッタム)!!――

 

 ほぼ同時にダンブルドアも危機に気づいて杖を振るった。

 

 カッッ!!! っと閃光の嵐が部屋の中を焼きつくし、次の瞬間、爆発の大轟音が響き、室内を揺らした。

 

「きゃぁああ!!!」

「くっ!!」

 

 二つの魔法が発動し、爆発の直接被害を抑え込むが、それでもなお、空気を震わせた衝撃が咲耶を、ハリーたちを吹きとばす余波として吹き荒れた。

 スネイプたちも爆発の余波で体を吹き飛ばされそうになりながらも懸命に生徒たちの前に立って少しでも余波を軽減させようとした。

 

 閃光と轟音が収まり、煙立ち込める室内に外から風が流れ込んで視界が徐々に開けるにつれ、ハリーたちは先ほどまではなかったオブジェを目にした。

 

「これは……氷の花と、障壁……?」

「! 悪魔は……いない!!?」

 

 氷の花が爆心地を花弁で包み込むようにして咲いており、そのさらに外側ではハリーたちを守るように魔法の障壁が揺らめいていた。

 爆心地は見る影もなく、というよりもまるで巨大な竜に食いちぎられたように何も残っていなかった。

 

「自爆した……?」

 

 リオンが険しい表情で見つめる先を見て、ハリーが呆然と呟いた。

 二つの守りがなければハリーたちも消飛ばしていた大爆発を起こした悪魔たちは忽然と姿を消しており、リオンが壁に縫い付けた一体も跡形もなく消えていた。

 

 

 


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