「それじゃあ、元気でね、咲耶ちゃん」
「はい。ネカネさん、おおきにありがとうございました」
まだ緑の色濃く残るウェールズのとある村で、咲耶はこの夏休みの間お世話になった知り合い、ネカネ・スプリングフィールドと別れの挨拶を交わしていた。
「リオンもしっかり先生、務めるのよ」
「あーはいはい」
「あなたは少し愛想が悪いところがあるから、生徒さんとか同僚の先生と問題を起こさないようにね。あとニンニクとネギは体にもいいんだから、あんまり食べず嫌いせずに食べるのよ。それから……」
「色々うるさいな! あんたは俺の母親か!? なんでガキの咲耶より俺に対する注意の方が多いんだよ!」
今日でこの村と別れを告げるのは咲耶一人ではなく、彼女と共に滞在していたネカネの親戚もまた今日で村をでることになっていた。もっとも、彼がこの村に住んだことは以前にはまったくないのだが。
照れたようなリオンと心配そうなネカネのやりとりに、咲耶は微笑ましげな笑みを浮かべて見ている。
「それから、咲耶ちゃんをあまり困らせないようにね。あなたもあの人たちに似て無茶をすることがあるから」
「ガキどもの学び場でそんな事態になるとは思えんが……だいたい、こいつのお守りを頼まれたのが俺なのになんで逆転してんだよ」
「リオン」
「……ちっ。分かったよ、無茶はしない。これでいいか」
真実、リオンをどうこうできるほどの存在がそうそう居るとは思えないが、それでもネカネにとっては大切な親戚の子供なのだろう。ネカネの言葉にリオンはしぶしぶといった風に言葉を返した。
「うん、よろしい。咲耶ちゃんも、リオンをよろしくね。あなたも気を付けて」
「はい! リオンのことはうちに任せてください」
「おい」
ネカネの言葉に咲耶は輝くほどの笑みで、尊敬するこの女性に頼まれたという嬉しさをもって応え、その後ろではリオンがつっこみを入れていた。
いつまでも二人を見送るように立っているネカネに咲耶は大きな手を振りながら、もう一つの魔法界へと向かう、交差する駅へと向かった。
第3話 交差する魔法の世界
ロンドン、キングスクロス駅。ホグワーツ行きの魔法列車が出発するという一般の駅へと二人は到着した。
移動途中はリオンの魔法で荷物を運んでいたが、流石に列車に乗れば教師と生徒という関係も気にしなければならず、駅ではカートで荷物を押していた。
「やっぱあらへんよなぁ。9と3/4番線……」
咲耶はホグワーツから入学案内とともに送られてきた切符を見ながら、キョロキョロと9番線と10番線のプラットフォームに視線を彷徨わせていた。
「……あれだな」
「ほぇ?」
隣でカートを押していたリオンは9番線と10番線の間の柵に視線を向けたまま顎で示した。リオンの見ている箇所に視線を向けた咲耶だが、咲耶の眼には普通の柵が並ぶ光景しか映らなかった。
「なんもあらへんえ?」
「異空間の入り口がある。魔力を認識していない一般人は通れないように人避けも兼ねてるんだろ。そのまま柵に向かって行けば通り抜けられる」
二人は同じものを見ているようで視えているものが異なっているのだろう。
「へ~」
「あの、すいません」
リオンの言葉を疑うことなく、咲耶はそのまま柵に向かって歩こうとしたが、不意に横から声をかけられて振り向いた。
「はい?」
「あなたも、その、ホグワーツに行くんでしょうか……?」
声をかけたのは咲耶たちと同じようにローブを身に纏ったハリーと同じ年くらいの少女を連れた一般人の夫婦だった。
「だとしたらなんだ?」
「あ、その……」
碌に魔力も感じずそれほど毒のない顔で声をかけてきた夫婦の夫に対して、特に意図したわけではないが、リオンは苛立っているようにも聞こえる素っ気ない返答を返した。
年齢こそまだ年若いものの飛び抜けて整った容姿と迫力をもったリオンに睨み付けられるような視線を受けて、声をかけてきた男性が少したじろいだ。
「リオン、もっと愛想ようせなあかんえ~。ネカネさんにも言われたやろ。うちらもホグワーツに行くんですけど、そちらもですか?」
「はい。この子が今年入学なんです。でも、お恥ずかしながら私も妻も魔法と聞いて、どうすればいいのか全く分からなくて、この切符に書かれたプラットホームも分からないんです」
愛想の悪いリオンを嗜めて人当たりのよい咲耶がにこにことした笑みを浮かべて応対したことで、男性もプレッシャーから解放されたのだろう、リオンを意識してかやや硬い口調ながら咲耶に話しかけた。
「それなら、あの柵に向かって行けばええみたいですよ。そやね、リオン?」
「ああ。だが、そっちの二人は行けないぞ。魔力を発現してないからな」
「そう、ですか。ありがとうございます……あの、すいませんが、この子も連れていっていただけないでしょうか?」
咲耶は先程リオンに言われた入口を説明し、確認するようにリオンに振り向いた。リオンはそれに頷くが、夫妻に視線を向けて魔法使いと一般人の違いを告げた。男性はそれならと娘の肩に手をおいてせめてもの頼みを告げた。
「ハーマイオニー・グレンジャーです」
「ハーマヨニーちゃん?」
「ハー・マイ・オニーよ、難しかったらハーミーでいいわ」
「ハーミーちゃんやね。うちは咲耶・近衛です。うちもホグワーツは初めてなんやけど3年です」
少しクセのある豊かな栗色の少女が名前を告げ、咲耶もにこやかに自己紹介した。3年であることを告げると両親ともども驚いた顔になっているのはご愛嬌といったところか。
「別に一緒にホームに行くぐらいかまわんが、そろそろ列車に行かないと席がなくなるぞ。生徒全員が乗るんだ、ホグワーツまでどれくらいかかるか知らんが、立ち乗りは疲れる」
一方でリオンは自己紹介するつもりはないのか、ただ咲耶と自分の予定だけを告げた。
「あっ。そうですね……ハーマイオニー、それじゃあ元気でな」
「はい」
リオンの言葉に男性が頷き、妻とともに娘との別れをかわした。急かしはしたものの、発車までまだ時間的なゆとりがあるため、別れに口を出すほどの野暮はしないようだ。
いくつかの注意や手紙についてなどを話したりして、しばしの別れを惜しむ家族を咲耶は見つめており、
「……羨ましいのか?」
「ほぇ?」
そんな咲耶を見て、リオンは尋ねた。
咲耶の親は今の、そして未来の魔法世界のために二つの世界の各地を転々としており、そのせいで咲耶を祖父のもとに預けっぱなしにしてしまっているという経緯がある。
リオン自身、あまり母や父と会っているわけではないが、自身の感覚が普通の人間のそれとずれていることを自覚しているリオンは、幼いころから見てきた少女を気にかけた。
「大丈夫やよ。お母様からは入学のお祝いの連絡もろたし、それに今年からはリオンと一緒なんやから」
問いかけたリオンの言葉が予想外だったのか、咲耶は少し間をあけて、それでも嬉しそうに答えた。
「……ふん。教師と生徒じゃ一緒じゃないだろ」
「リオン……」
無邪気な微笑を向けられたリオンはそっぽを向いてやり過ごそうとし、
「もしかして、うちと一緒に学生やりたかったん?」
「なっ!? んなわけあるか! おい! とっとと行くぞ!」
小首を傾げた咲耶からの天然爆弾にガバッと振り返ることになった。
咲耶の言葉に顔を赤くしたリオンは、少し大きな声でグレンジャー夫妻にも聞こえるように言うと、さっさとカートを押して柵へと向かった。
「あーん、ちょお待ってよ、リオン」
リオンの声に気づいたグレンジャー夫妻が最後にハーマイオニーとハグをするのを待って、咲耶はリオンに続いて9と3/4番線へと向かった。
「ほぇぇ。ごっつい列車やなぁ」
「これが魔法……」
咲耶は異空間魔法ともいえるプラットホーム自体にはあまり驚かなかったようだが、趣きあるホグワーツ特急の姿に感心しており、ハーマイオニーは学生生活第一歩目の魔法に感動しているようだ。
「とっとと空いてるコンパートメントを探すぞ」
「はいな……リオンなんだかちょっとご機嫌斜めやなぁ」
ぶっきらぼうに列車の脇を歩くリオンの後を追いながら咲耶はいつもより口調がきついリオンに首を傾げた。
「こんな朝っぱらから人ごみにいるのが鬱陶しいだけだ」
「リオン朝苦手やったもんなぁ」
まだ治ってへんの? と問いかける咲耶に、治ってたまるか。と答えてリオンは適当なコンパートメントに荷物を乗り上げた。
続いて同行していたハーマイオニーも荷物を乗り入れようとするが、リオンとは異なり思うように荷物が上がらず悪戦苦闘しており、
「……」
「あっ、ありがとうございます」
咲耶が苦戦しているハーマイオニーに手を貸そうとするのを遮るように、リオンは列車の中から荷物を引き上げた。
お礼を言うハーマイオニーに気にした風もなくリオンは空いているコンパートメントに入り、席へと沈んだ。席に座ったリオンが早々に寝る体勢に入っているのに対し、咲耶はちょこんとリオンの横に腰掛けた。
だが、保護者だと思っていた男が当然のように列車に乗っているのにハーマイオニーは驚いたような顔をしている。
「あの、コノエさん」
「咲耶でええよ、ハーミーちゃん」
「じゃあサクヤ。えっと、そちらの人はご家族? この人もホグワーツに行くの?」
にこりと答える咲耶に少し緊張がほどけたのかハーマイオニーは質問を口にした。
「リオンは今年からガッコのセンセになるんやって。ちょう、リオン。ハーミーちゃんに挨拶してへんやろ。寝る前に挨拶し」
「あ?」
ハーマイオニーは咲耶の向かいに腰掛けて二人の様子を観察するが、あまり似ていない兄妹(?)だった。
しっかり者らしい妹は純アジア人といった風貌で英語には慣れていないのか、変なクセがついている。それに対して、不機嫌そうにしている兄は流暢に英語を話し、外見もどう見てもヨーロッパ系の白人にしか見えない。
「なんで教師が生徒に自己紹介しなくちゃいけないんだよ」
「センセやったら自己紹介くらいするもんや」
リオンの腕を掴んで揺らしている咲耶だが、当のリオンは半分くらい夢の世界に旅立とうとしているようにも見える。
11時の発車時刻を迎えた列車はベルの音をホームに響かせて、振動と共にその扉を閉め、徐々に動き始めた。
「まだ着任してない」
「そしたらうちの友達に名前くらい名乗りぃ」
先程から言っていることが矛盾しているというか、とにかくそっと寝かせて欲しいという雰囲気を全身で表している。
「よろしく言われたのはプラットホームまでだろ。列車に乗ったら知るか」
「旅は道連れゆーやんか。もうハーミーちゃんも座っとるし、一緒に道連れやー」
人嫌いの人という印象こそあるが、咲耶の主張を聞き入れないまでもしっかりとそれに応答しているところを見ると、完全にずぼらな人というわけでもないのだろう。
がくがくと腕を揺する咲耶だが、奮闘むなしくリオンからはZzzとこれ見よがしに寝ていますという主張が返ってきたところで揺するのをやめた。
「むぅ」
「その、リオン先生、はサクヤのお兄さん?」
これ以上やっても返答も返さないと判断した咲耶は頬を膨らませてリオンを睨む。二人のやりとりが一段落ついたのを見たハーマイオニーは、とりあえず疑問をぶつけることにしたようだ。
「んーん、ちゃうよ。リオンはうちのお母様とおじいちゃんの知り合い。でもうちがちっこい頃から面倒みてくれとるから、お兄ちゃんみたいなもん」
「へー」
「ハーミーちゃんは姉妹おれへんの?」
「ええ。私は一人っ子……あっ! あなた3年の先輩なんですよね?」
ハーマイオニーが話しかけると咲耶はぱっと表情を明るくしてリオンとの関係を答えた。話している途中で、駅での会話から咲耶が(そうとは見えないが)年上であることを思い出したハーマイオニーが言葉を改めようかと気にかけるが、咲耶は特に気にした風もなくにこにことしている。
「うん。うち日本の小学校をこないだ卒業したんやけど、その関係で編入になってしもたんよ」
「先生と知り合いってことはあなたの家族って魔法族? 私の家族には誰もいないからホグワーツから手紙をもらってびっくりしちゃった」
睡眠モードに入ったリオンをよそに、少女二人は愉しげに会話を楽しんでいる。
咲耶にしてみれば、知り合いがリオンしかいない異国の学校に向かうということもあるが、特殊な環境で育ったがゆえに友達ができたことが嬉しいのだろう。
「お母様とリオンも魔法使いなんやけど、こっちの魔法はあんま知らんのよ。だから編入やけど1年生とおんなじや」
「こっち? 日本の魔法ってこと? あっ、そういえば魔法にはホグワーツで教えているもののほかにも、違う世界で使われている精霊魔法があるって教科書で見たわ。なんでも今年から精霊魔法の授業も開かれるって書いてあったんだけど、もしかしてリオン先生って精霊魔法の先生?」
知識と推理力が長けているのだろう。咲耶の語ったちょっとした言葉から色々なことを類推して、ハーマイオニーは怒涛の如くに話している。
「精霊魔法、なんかな? 多分そうやと思う」
「違う世界ってほんとにあるのかしら。ホグワーツみたいに魔法使いだらけの学校っていうのも驚きなんだけど、こことは違う、魔法使いが作った国があるって書いてあったんだけど」
「あるえ~。魔法世界ってゆうて、猫耳の人とかもおるとこや」
「ネコみ……もしかしてサクヤって魔法世界に行ったことあるの!?」
イギリス古来の魔法族の間ではあまり魔法世界側のことは教科書には詳しく書かれていない上、ハーマイオニーのように魔法自体慣れていない人からするともう一つの世界と言われてもピンと来ないのだろう。
「うん。お母様と一緒にお母様の親友のアスナって人のとこに行ったりしたし。リオンもあっちを旅しとったことあるて聞いたえ」
「わぁ。私、教科書は全部一通り読んできて、簡単な呪文の練習もしてきたんだけど、精霊魔法だけはどうしてもできなかったの。こっちの魔法とは必要な才能が違うのかしら?」
魔法世界を旅行した。その言葉にハーマイオニーは目を輝かせ、自らの不安を口にした。
「全部読んだん!? ひゃー、すごいなハーミーちゃん。うちらが使うてる魔法って始めがすごい出にくいんよ。すぐにはなかなかでえへんし、うちも苦労したわ~」
「そうなの?」
「うん。せやから心配いらんえ。むしろうちこそ、いきなり3年の勉強についていけるか不安やし……」
「あの……」
列車は順調に走っており、流れ行く景色はのどかな木々を映していた。そんな中、ガラリとコンパートメントの扉が開き、なんだか丸っこい、今にも泣き出しそうな男の子が入ってきた。
「ごめんね。僕のヒキガエルを見かけなかった? 僕から逃げてばっかでいなくなっちゃったんだ」
少し涙声の少年の言葉に、咲耶とハーマイオニーは話しを中断して顔を見合わせた。
「見てないわ」
「うん。うちも見てへんなぁ」
二人の返答に少年はがっくりとしょげ、ごめんね。とコンパートメントを後にしようとした。
「待って。そのヒキガエル、いつから居なくなったの?」
それに対してハーマイオニーが席を立って問いかけた。
「えっ、列車に乗る前に一度捕まえたんだけど、さっき気づいたらいなくなっちゃってたんだ」
「じゃあ、列車には乗っているの?」
咲耶と会った当初こそ、リオンの雰囲気もあって控え気味だったが、どうやら本来は強気な性格らしく、ハーマイオニーは見知らぬ少年に物おじせずに話しかけている。
「たぶん……」
「そう。じゃあ、まずはあなたの乗ったコンパートメントあたりから探しましょう」
そして優しい性格でもあるようで率先して手伝いを口にした。
「えっ? 手伝ってくれるの?」
「あなたも新入生なんでしょ? これから同級生になるんだから、協力しないと。サクヤ、ごめんなさい。そういうことだから」
「ほいな。じゃあ、うちも行くわ」
驚く少年に、ハーマイオニーはあっさりと言い、話が途中で終わってしまうことを謝ろうとした。だが、咲耶はそれを遮るように自らも席を立っている。
「え? いいわよ。荷物を見ててもらいたいし」
「リオンおるし、大丈夫やて」
持ってうろつくにはかなりの荷物なのでハーマイオニーは断ろうとしたが、咲耶は寝ているリオンをちらりと見て答えた。
「キミも荷物ここに持って来といたほうがええんちゃう?」
「で、でも……」
突然の成り行きに驚いているのか、寝ている先生らしき人に慄いているのか、少年はちらちらとリオンを見ながら躊躇っている。
「リオン、そういうことやから荷物見といてな」
「…………」
寝ているようにしか見えないリオンに対して咲耶は頼んだ。だが、当然リオンからの反応はなく、それでも咲耶にはなんの心配もないかのようだ。
「ほな、行こか。うちは咲耶・近衛。今年から編入の3年です」
「ハーマイオニー、今年入学の1年生よ」
「あ……ネビル・ロングボトムです」
寮を示すネクタイカラーなどがないことから、ハーマイオニーはネビルという少年が新入生であることを見抜いていたようだが、同じようにカラーのない咲耶は少し事情が異なる。
同い年か年下のように見えた少女が年上だと知ったためか、リオンのことが気になるのか少しおたおたとしながらネビルは自己紹介を済ませた。
・・・
「トレバーくーん、どこおるん~?」
あの後、ネビルの荷物をリオンのコンパートメントに移し、ネビルから話を聞くと、どうやらネビルのペット、ヒキガエルはトレバ―という名らしいということが分かった。
3人はトレバ―捜索のため、ネビルのコンパートメントを境に前後に分かれて捜索し始めた。
ハーマイオニーはおどおどとしているネビルを一人にしては作業が進まないと判断したのか、とっとと手を引いて後部車両へと向かい、咲耶に前方車両を任せた。
「ハーミーの方で見つかったかなぁ?」
いくつかのコンパートで居合わせた生徒に尋ねてみた、思うように見つからず、一旦戻ってハーマイオニーたちと合流しようかと考え始めていると、
「なにをしてるんだい? ここは監督生用のコンパートメントだよ」
赤毛の男子から声をかけられた。咲耶が振り向いて声の主を確かめると、赤毛の男子生徒が訝しげな眼差しを向けてこちらを見ていた。その胸元には、これまで出会った生徒にはないPの字の入ったバッチがつけられている。
「あれ? そうなんですか、すいません」
「監督生になにか用ではないのかい? どこかの双子がカエルチョコに本物を混ぜて騒ぎを起こしたとか、呪文をかけて巨大化させたタランチュラを逃がしたとか」
単純に知らずに前の方まで来過ぎてしまっただけなのだが、男子生徒は妙に張り切った様子で、なにやら具体的な騒動の有無を確かめてきた。
「えーっと、そういうのやのうて、新入生の子がペットのカエルを逃がしてもうたんです。見てませんか?」
「カエル? いや、見ていないが」
具体例の内容は随分と奇抜な感じがしたものの、魔法学校の生徒だし、ということでスルーして懸案事項を尋ねるが、得られた情報はなかった。
「そうですか……ありがとうございました」
「ああ……あ、君」
「はい?」
これより先は一般生徒は入れないとのことなので、一度戻ることに決めた咲耶だが、立ち去ろうとする咲耶に男子生徒から声がかけられた。
「もうじき駅につくから新入生の子たちは制服とローブに着替えるように。廊下に出ている新入生がいたら伝えておいてくれ」
「分かりました~」
出発してからかなりの時間が経っており、そろそろお腹も空いてきた頃合いだ。ぺこりとお辞儀をして咲耶は監督生用のコンパートメントを後にした。
「礼儀正しい新入生だったな。ああいう子がグリフィンドールの寮に入ってくれれば、マクゴナガル先生の気苦労も少しは軽くなるだろうに……いや、あの双子に影響されてしまいかねないか……」
少しの勘違いを残したまま。
・・・
「あっ、サクヤ。見つかった?」
「ううん。あかんかったわ~」
一度元のコンパートメントまで戻るとちょうどハーマイオニーとネビルも戻ってきたようで、互いに成果の不首尾を確認した。
「どこいったのかしら」
「トレバー……」
よほど大切なペットなのだろう、ネビルは泣き出しそうな顔になっている。
「あんな、さっきうち、監督生の車両の方まで行ってもうたんやけど、もうすぐ駅に着いてまうらしいんよ」
「列車から離れちゃうと、ちょっとまずいわね……」
先ほど赤毛の男子から言われたことをとりあえず成果として伝えることにしたのだが、ハーマイオニーは捜索にあてられる時間が残りわずかであることに少し焦りを感じているようだ。
「そんでな、仕方ないから最後の手段を使うわ」
「最後の手段? どうするの?」
焦りを感じているハーマイオニーとネビルとは違って、のんびりとしているようにも見えるが咲耶も少しまずいとは感じているのだろう。最後の手段を提案して、ハーマイオニーが首を傾げた。
「それで見つかるはずやから、ひとまず先に着替えへん? トレバー君は最悪駅に着いてからでもなんとかなるから」
「……そう、ね」「……うん」
咲耶はちらりと寝ているリオンの方を見て、ハーマイオニーもそれに気づいてちらりと視線を向けた。
リオンは着任前とはいえ、一応先生。すぐに見つかるというのであれば、着いてからリオンに事情を説明して少しだけ、時間の猶予をとりなしてくれるように頼むこともできるからだ。
「ほな、着替えよか」
「ええ」
「あ、じゃあ僕、外で……」
寝ているリオンはともかく、ネビルが同じ部屋で着替えるのはまずい。そのためひと声かけてコンパートメントから出ようとしたのだが、
「あっ! ちょっとごめんなさい。多分気づいてない新入生の連中がいるから、伝えてくるわ」
「ほぇ?」
出て行こうとするネビルを押しのけてハーマイオニーが急いで出て行ってしまった。取り残された咲耶とネビルは少し顔を見合わせて、
「そしたら、先にうちが外でとるわ」
「う、うん。ごめんね」
着替えの順序を入れ替えることにした。
ネビルが着替えるのを待っている間にハーマイオニーは戻ってきた。どうも喧嘩の現場にでも遭遇したのか、「みんな子供っぽすぎる」とか「列車の中で喧嘩なんて非常識」とかぶつぶつと文句を言っていた。
ネビルが着替え終わり、咲耶たちも上着を脱いでローブに着替えた。
「よし、そしたらやろか」
「どうするの、サクヤ?」
着替え終えると車内アナウンスが「あと5分でホグワーツに到着します。」というアナウンスを流した。咲耶はとりあえず外に出ていたネビルをコンパートメントに入れて気合いを入れ直すようにむん、と拳を握った。
ハーマイオニーに最後の手段について問いかけられた咲耶は気合いを入れて、
「まずは……リオン、起きて~」
「ちょっ、サクヤ!?」
ぴょん、とリオンの膝の上に跨って寝っぱなしのリオンを揺すった。いきなりのボディコンタクトに、見ているハーマイオニーが驚きの声をあげ、ネビルも唖然としている。
「リオン、もうすぐ着くえ~。お願いがあるんや、起きて~!」
「……あん? 着いたのか?」
しっかり睡眠したためか、咲耶の祈りが通じたのか、眠そうに眼を瞬かせてはいるもののうっすら瞼を開けて、前髪をくしゃりと上げたりしている。
「リオン、お願いがあるんや」
「ん? なんだ?」
寝ぼけ眼のリオンは、しかし目の前の少女がなにやら真剣そうに自分を見ているのに気づいたようだ。
「あんな、ネビル君の大切なペットのトレバー君がおらんくなってもうて、見つからへんのよ」
「ネビル? トレバーって、なんだ?」
ただ、まだ頭は働いていないようで、というよりも咲耶の説明がいきなり人物名から入ったために理解できずに首を傾げている。
「ネビルくん、とペットのカエルくんや」
リオンの疑問に答えるように咲耶はネビルを手で示し補足した。
「ふ~~ん……」
「お願いやリオン。はよせな駅に着いてまうし、降りたら見つからんようになってまうかもしれへん」
眠そうな半眼の状態で不機嫌そうにネビルの方を流し見たため、ネビルは「ひっ」と短い悲鳴を上げた。
「…………はぁ」
値踏みするようにネビルを見た後、リオンは咲耶に視線を戻して溜息をついた。
「学校の中では甘やかさないからな」
「リオン!」
仕方なさそうに言うリオンに咲耶はぱぁっと顔を明るくした。
「おい、ガキ、ちょっとこっちに来い」
「えっ、あの……」
膝の上に座っている咲耶の脇を持って、ひょいっと脇に退け、ネビルを指で呼び寄せた。リオンの鋭い眼差しと口調にネビルはかなり戦々恐々としており、中々近づきがたいようだ。
「大丈夫やで、ネビル君。こー見えてリオン優しいもん」
「うるさい。とっとと来い」
「は、はい……」
そんなネビルに咲耶がにこやかな笑みで声をかけ、恐る恐る近づいた。リオンは手の届く距離まで近づいてきたネビルの頭にぽんと手を置いた。
「あ、あの」
「黙ってそのカエルのイメージをできるだけ鮮明に思い浮かべろ」
「は、はいっ」
いきなりの接触にネビルは戸惑った声を上げる。だがリオンの苛立ったような声にビクリとして黙った。
「ふん……」
しばし黙ったままネビルの頭に手を乗せていたリオンは、すっと手を離すと今度はおもむろに座席に映る自分の影に手を置いた。
「えっ? 手が……イスの中に?」
「先生?」
座席の上に置かれるだけのはずの手はその手首だけでなく、腕の半ばくらいまで影に飲み込まれるように沈んでおり、ハーマイオニーとネビルが眼をぱちくりとさせた。
「こいつか」
しばらく影の中で手を動かしていたリオンが影から手を引きぬくとそこにはカエルの姿があり、
「トレバー!!」
「これも、魔法?」
ネビルが嬉しそうに声を上げて差し出されたカエルに手を伸ばした。
「丁度ついたようだな」
「リオン。おおきにな」
折しも、ホグワーツ特急はその速度を緩め、小さな暗いプラットホームへと到着していた。我がことのように嬉しそうな笑顔を向ける咲耶を一瞥して、リオンは席を立った。