その日は朝からいい匂いが学校中に漂っていた。
パンプキンパイを焼く、甘く香ばしい匂い。甘いものが苦手な者を除けば、漂う香りに多くの生徒が今日のイベントに期待感を持っていた。
「リーシャ。ちょっとリーシャ」
「はぁ~~」
午後の授業も終わりに近づくころには気の早い学生がすでに、心をハロウィーンの御馳走の用意された大広間に飛ばしてトリップしているなんてこともあった。
占い学の授業を受けている咲耶も初めての本場の(?)ハロウィーンにワクワクと期待しており、リーシャに至っては退屈な授業と相俟って完全に集中力がすっ飛んでいた。
いつもであれば、少なくとも近くにトレローニー先生がいれば、真面目な振りくらいはするのだが、今日はもう完全に明後日の、というよりも大広間の方に心が向いていた。
トレローニーは、神聖な教室が侮辱されたかのような眼でリーシャを見下ろした。
「……なにか、見えまして? ミス・グレイス?」
「パイがみえま~す。ぱんぷき~ん」
「…………」
「バカリーシャ……」
トレローニー先生の質問に対しての、トリップ中のリーシャの返答にクラスメイトが笑を堪えきれず、フィリスは頭痛を堪えるかのように額を押さえた。
失笑の起こるクラスで、トレローニー先生はひくひくと頬を引き攣らせて、この俗物生徒をどうしてくれようかという眼で見おろした。
第11話 ハロウィーン騒動
「はぁ、トレローニー先生、話が長いしよく分かんないんだよなぁ」
「あれは完全に怒ってたのよ! バカリーシャ!!」
「あはは、それでも優雅っぽくできるのはすごいな、とれろにセンセ」
完全にやらかしたリーシャに対して、トレローニー先生は、
「わたくし、あなたのような俗物の、心の眼の曇った生徒が、わたくしの授業を理解できるとは、あなたを一目見た最初の時から思ってはおりませんでしたよ。ええ、もちろん微塵たりとも。しかし、たとえ眼力の備わっていない子といえども――――」
うんぬんかんぬん。という非常に長ったらしく、婉曲的なように見えて、皮肉たっぷりに直接的な批評を延々とくだした後、ハッフルパフから10点減点を下した。
「でも仕方ないだろ。朝からこんなにいい匂いしてるんだから」
「そやなぁ。うちもおなかペコペコや。パーティがあるんよな? 楽しみで楽しみで」
「少しは反省しなさいよ。はぁ……早いとこクラリスと合流して大広間に行きましょうか」
盛大に腹の虫をならすリーシャと、ほわほわとリーシャの味方らしき立ち位置になってしまった咲耶にフィリスは、早くもう一人のストッパー役と合流したくなった。
数占いの授業を受けていたクラリスと合流した一行は、ハロウィーン色で彩られた大広間へとやってきた。
「だいたいリーシャ。授業を少しはマジメに受けなさいよ。そんなんだから、ハッフルパフは他の寮に比べて劣ってるとか」
「はいはい。おっ! 今年もすっげえ!」
「ほわぁ! アレ! アレなんなん!? でっかいカボチャ! あんなでかいん見たことないえ!?」
フィリスの説教をものともせずに大広間の光景を見たリーシャが嬉しそうに声を上げた。
千に近いのではないかと思われるほどのコウモリが壁や天井で羽ばたき、生きた黒雲のように流線を描いており、魔法によって大きく育てられたカボチャは中をくりぬかれてランタンのようになっていた。
初めての本格的なハロウィーン、しかも魔法界使用の光景に咲耶は瞳をキラキラと輝かせて魅入っており、リーシャと一緒に声を上げた。
「太らせ呪文? 先生の誰がやったか分からないけど、巧い」
「今年で3回目だけど、相変わらずすごいわね」
フィリスもパーティの装いが整えられた広間に入ってまでお説教を続ける気にはなれないようで、溜息を一つついてから笑顔で宴会場の内装を褒めた。
パーティの始まりは新学期の時と同じように唐突に料理皿に数々の料理が現れて始まった。
それぞれの寮に分かれつつも、各々御馳走に顔を綻ばせ、参加者たちは愉しげにパーティを楽しんだ。
教師席の方では、スネイプ先生の横で、なんだか愉しそうな笑みを浮かべたリオンも参加していた。
「スプリングフィールド先生も楽しんでるみたいだな」
「ハロウィーンはリオンがご機嫌になる日やからなぁ」
「……隣のスネイプ先生はすっごい嫌そうな顔してるわよ」
確かに、普段よりも機嫌がよさそうにゴブレットを傾けているリオンだが、その横のスネイプは不機嫌通り越して忌々しいといった表情となっており、それを知ってか知らずか、反対側に座るダンブルドアが笑顔でスネイプの皿にケーキを切り分けている。
・・・
一部除いて楽しげな雰囲気に包まれる大広間。
その楽しさは、突然大きな音を立てて開いた扉と、入ってきた者によって破られた。
バンッ!! と大きな音とともに入室してきたのはいつもおどおどのクィレル先生。だが、その顔はいつも以上に恐怖で彩られていた。
「ダンブルドア校長……トロール数匹が……地下室から……お伝えしなくてはと思い……」
息も絶え絶えの様子で言葉を告げたクィレルはその場で気を失うようにしてパタリと倒れた。
クィレルの慌ただしい登場に静まり返り、注視していた生徒たちは、クィレルが倒れてから一拍おいて大混乱に陥った。
「トロールって、なんでんなもん!?」
「すぐにはここまで来ないと思うけど……」
「大混乱」
リーシャやフィリス、クラリスもかなり焦った様子を見せており、あまり状況を分かっていない咲耶は混乱している周囲をうかがうように右に左に視線を彷徨わせている。
そんな混乱の場を収めるように、教師席から爆竹を数度炸裂させたような破裂音が響き、広間に静寂が戻った。
「監督性よ! すぐさま自分の寮の生徒を引率して寮に帰るように」
魔法で破裂音を鳴らしたダンブルドアは、静かになった広間に音響魔法を使って、重々しい声を響かせた。
監督生の統率のもと、階上のグリフィンドールとレイブンクロー、地下方向のスリザリンとハッフルパフとに分かれて避難を開始した。
「と、とろるって。授業でやったでっかいやつやんな? そんなあっさり入ってくるもんなん?」
「んなわきゃないだろ!?」
「この学校は許可なしに敷地を超えられないはず。中から誰かが招いた?」
「悪戯、ってレベルじゃないわよ、これ!」
トロールというものがどんなものかは咲耶も教科書ですでに知っていた。だからこそ、それがこうも容易く、敷地内どころか学校内に侵入していることに驚くが、それはリーシャたちも同じようで、特にクラリスは学校を守る守護が破られたことに驚いているようだった。
「大丈夫かい、サクヤ? どっちにしてもただ事じゃないのはたしかだね」
「まっ、先生たちが鎮圧に向かったらしいし、心配いらねーって」
早歩きで階段を下り、移動しながらもセドリックは気を遣うように言葉をかけた。その横ではルークが、内心を隠して、飄々としたように問題ないと言った。
「それより、地下からトロール出てきたのに地下に向かって、大丈夫なのかしら」
「それこそ心配ねーって。こういう時のスリザリンの連中はあてになるからな」
階上に逃げるグリフィンドール生たちと違って、地下方向のハッフルパフ生たちはトロールが出現した方向とも近いため、安全なルートを迂回しながらの避難となり、いつもの倍以上の時間がかかっていた。
避難ルートを心配するフィリスにルークは、スリザリンの目標を達成するための能力を信じていると言った。
ルートを先導するのはスリザリンの生徒だが、セドリックたちにとって見覚えのあるその生徒はたしか上級生の監督生や教師たちも信頼している同学年の主席候補だったはずだ。
駆けて行く二つの寮の生徒たち。
駆け足とは言え、動く階段やだまし段差のあるホグワーツの廊下だ。もうじき長い下り階段を終え、ハッフルパフとスリザリンとの分岐点である四つ辻に辿り着く、というところで下級生が一人、足をとられてこけた。
「あっ!」
こけた生徒を眼の端で捉えた咲耶は、短い声を上げた。瞬時、リーシャが身を翻した。
「先に行ってな!」
「リーシャ!」
出足素早くリーシャは転んだ生徒の元へと駆け寄った。
「大丈夫か?」
「う、うるさいっ!」
どうやらスリザリンの1年生らしく、プラチナブロンドの髪の少年。元々は青白い肌なのだろうが、転んだところを他寮の、しかもおちこぼれと揶揄するハッフルパフの生徒に駆け寄られたことで顔を赤くして怒鳴り返した。
怒鳴られたリーシャは一瞬呆気にとられたが、悪態をつけるほど元気なら心配いらないとにやりと笑みを浮かべ、言葉をかけようとした。
だが
――ズン!
という音が四つ辻の一方向、二つの寮とは別方向の通路から異音が響き、リーシャがバッと振り向いた。
先行している咲耶やフィリスからは見えないが、リーシャの顔が引きつり、下級生の顔がザッと蒼ざめたのは見えた。
「フィー、セドリック! 急げっ! トロールだっ!!」
怒鳴るリーシャの声に、先を行く生徒たちの顔色が変わった。
「なっ! 急いで! っ、まだ生徒が多すぎる!」
顔色を変えたフィリスがざっと振り返って通路を見るが、リーシャの声に気づいて悲鳴を上げて走りだろうと押し合いをする生徒たちで溢れている。
「サクヤ!?」
先に進むことはできない。
トロールがすぐそこまで来ており、先生たちの姿もない以上、追いつかれる公算が高い。
そう判断した咲耶は杖を取り出しながら、リーシャのもとへと駆けた。追うようにクラリスの声が聞こえるが、咲耶は振り返らずにリーシャの横まで走った。
「バカ! なんで来た!」
「リーシャ、はようその子連れてったげて! うちが足止めする!」
「なっ。バッ!」
右手には杖を携え、その目は普段の咲耶とは違い、キッと敵を見据えていた。視線の先のトロールは、生徒たちの喧騒に興奮しているのか、そちらを目指すように咲耶たちの方へとドスドスとその重厚な足音を近づけてきていた。
怖くないと言えば嘘になる。
それでも、「抜くべき時に杖を抜け」と教わってきたから。
「アステル・アマテル・アマテラス。光の精霊3柱。集い来たりて、敵を射て! 『魔法の射手・連弾・光の3矢!』」
咲耶の詠唱と共に3つの光の玉が集い、咲耶の振るう杖に従うようにトロールへと襲いかかった。
「サクヤ!」
叫ぶリーシャの声に振り向くことはせず、咲耶はただ前を見据えた。
あの人が自分に見せてくれたように、守る者の前に立って。
「あ、あ……」
「大丈夫や」
間近でトロールに接敵したためだろう、駆け寄った1年生はがたがたと震えており、身を縮こまらせている。
先程光の矢を打ち込んだトロールは、しかし大したダメージにはならなかったようで、むしろ邪魔されたことに腹を立てているようだ。
少なくとも二人が退避する時間は稼ぎたい。咲耶は呪文を詠唱するために杖に魔力を込めた。
「アステル・アマテル・アマテラス。風精召喚。剣を執る戦友! 迎えうって!」
腕を振るって接近してくるトロールに、咲耶は杖を振るって迎撃行動に移った。呪文とともに風で編まれた5柱の精霊がトロールへと駆けた。
「リーシャ!」
「っ! 一年、こっちだ!」
攻撃呪文は正直得意ではない。咲耶は自身の魔法を過信せず、逃げるのを急がせるようにリーシャの名前を呼んだ。
その声は、援護をすべきか迷っていたリーシャの決意を固めさせて、立ち上がったリーシャは一年生のローブの襟首を引っ張って立たせた。
「サクヤも早く!」
「っっ!」
風精の強さはさほどではないのか、トロールが腕を振るうたびに1体、また1体と消えてしまうが、十分な時間稼ぎにはなったようで、その間に駆け寄ってきたセドリックとリーシャが1年生を抱え下がった。
得意ではないとはいえ、咲耶にも攻性の呪文はある。
二人が退避したことで場が開けた。四つ辻に立っている咲耶から見て、トロールは廊下の一直線上にいる。この状況ならば外すことはない。
傷つけるためではなく、昏倒させるための魔法。
自分の持つ膨大な魔力のひとかけらを長大な呪文に乗せる。
だが、そんな咲耶の左手側
「!!」
ズドンっ!! という音とともに床が陥没した。咲耶の立つフロアを震わせて、階上から飛び降りてきたトロールが、今また新たな脅威として姿を現したのだ。
「なっ、もう一匹!?」
「サクヤ!」
風精を向かわしていた一体のトロールに注意を向け、呪文を唱えようとしていた咲耶も、もう一体、自身の背後に現れたトロールの着地の轟音に気がついた。
着地したトロールの動きが決して素早くはない。鈍重といってもいいその動き。咲耶は振り返りながら、杖に魔力を込めた。
「くっ! アステル・アマテル・アマテラス ――『風花・風障壁!』」
攻撃のためではなく、防御。
新たに現れた2体目のトロール。その巨腕が振るわれようとする直前、咲耶の声が響き、かろうじてその剛腕を阻んだ。
今までに授業で教えられた障壁・
だが、咲耶の注意が2匹目に向き、障壁の維持に集中したとき、1匹目の進行を阻もうとなんとか抵抗していた精霊が、ついにすべて消し去られた。
ブァーと不快な喚き声を上げながら接近してくるトロール。
フィリスやクラリスが絶望的な思いで駆け寄ろうとするその目の前で、トロールの腕が振り上げられ、技後硬直で動くことのできない咲耶に振り下ろされた。
ただ目を見開き、自らを肉塊へと変えようとする暴力を見つめることしかできない咲耶。
その前に
ドウっ!!
という音とともに僅かに赤と金の混ざった髪を靡かせて彼女の守護者たる魔法使いが立ち塞がった。
・・・
衝撃音とともにその棍棒が咲耶の目前でせき止められていた。魔法で止めたわけではない。
破壊をもたらすその一撃を止めたのは
「リ、オン……」
明らかに体格差、腕力差があるにも関わらず、トロールの巨腕を受け止めたその体はまったく後退することはなく、しかし衝撃の大きさを表すようにその足元は陥没している。
巨腕と細腕。到底釣り合うはずのないその二つは拮抗するどころか、ビクリとも動かない細腕を前に、大木を薙ぎ払うトロールの巨腕は渾身の力を込めていることがうかがえるように細かく震えている。
なにが起こっているのか、認識が追いつかず、呆然とするフィリスたちの見ている前で、
――バチィッ!
という音とともに紫電がリオンから放たれた。
そして
「アス・ラック・アレイスト・クルセイド。来たれ虚空の雷。薙ぎ払え!」
聞きなれぬ言葉。そこに乗せられた言霊が、咲耶の呪文よりも圧倒的に膨大な精霊を呼び集める。
――
同時に振るわれた腕から大きな雷斧がトロールに落ち、その巨体が傾いた。
圧倒的な雷の一撃に遠巻くから見ていた生徒たちも唖然とその姿を見つめた。
「すげぇ……」「雷の魔法……」
雷の斧を受けたトロールは傾いた体躯を持ち直す事無く崩れ落ちた。
「スプリングフィールド先生! もう一体が!!」
雷鳴に興奮したのか、先ほど咲耶の風障壁に動きを止められたもう一体のトロールがうなり声を上げてリオンの方へと突き進んでおり、セドリックが大声で叫んだ。
「下がってろ、咲耶」
「うん!」
魔法使いである以上、特にトロールのように直接攻撃力のみしか攻撃をもたない相手と戦うのであれば、距離をとるのが普通のはずだ。しかしリオンは咲耶を自身の背後におき、トロールとの距離を自ら詰めた。
「先生っ!? ……えっ!?」
見る間に距離がつまり、トロールの剛腕がリオンへと振るわれた。再びの体格差に今度こそ潰されるかに見えたその瞬間、トロールはまるで重力など関係ないかのように宙を舞い、次の瞬間には体重を思い出したかのように轟音を響かせて倒れ伏していた。
「なに、やったの?」
「魔法……?」
倒れたトロールは自重を乗せて叩きつけられたのか、うめくように声を漏らしている。
魔法を振るったようには見えなかった。フィリスたちの眼には、先生を肉塊に変えようと振り下ろされたトロールの棍棒とリオンの腕が交差しただけにしか見えなかった。
まさに魔法のような光景。だが、先程の雷撃とは異なり、目に見える魔法の発動は無かった。それはつまり魔法使いが巨体のトロールを素手で投げ飛ばしたことになる。
そんなことはありえない。しかしそれを証明するかのようにリオンの手は、トロールの腕に触れており、
「なっ!! トロールが、凍って!」
触れているその部分から見る間にトロールが凍り始め、まばたき程のわずか間に完全に凍り付いてしまった。
――
トロールの巨体を覆い尽くすほどの氷の柩。
リオンは他に害敵が居ないかを確かめるように視線をわずかに流した。
一体は雷の斧で焼かれ、もう一体は氷の柩にその巨体を眠らせた。
とりあえず、この場所で襲い掛かってくる者はいないことを確認したリオンは咲耶に声をかけた。
「これでしまいか。とりあえずとっとと立て、咲耶」
「ほぇ? あ、うん」
「サクヤ! 先生、これは……」
数瞬ぼうっとしていた咲耶だが、リオンの声で我に返り立ち上がった。友人の無事を確認したいフィリスがほっとしたように駆け寄ってきた。
「何匹入りこんだか知らんが、2匹とはついてなかったな、ガキども。とっととこいつ連れて寮に戻れ」
「えっ、あっ、はい」
ひとまず近場に脅威はないと判断したのだろう。寮までは同行する気がないようない方をされて、フィリスが戸惑い気味に咲耶の手を引いた。
「ありがとうな、リオン」
「とっとと行け」
フィリスとともに生徒たちの方に戻りながら咲耶は先程の恐怖などないかのように微笑んでお礼を言った。返ってきた言葉は素っ気なく、しっしと手振りまで付け加えられていたが。
いつもと変わらないリオンの様子に、笑みを向けてから咲耶はクラリスたちの方に向き直った。
その背中を見送るリオンは、その先にいる生徒たちに視線を向けた。
心配そうに咲耶に駆け寄るクラリスとセドリック。一年生を救出したリーシャを心配しているルーク。救出された一年生はすでに自寮であるスリザリンの方に合流したのかその場には居なかった。
多くの生徒は、ハッフルパフ生を中心としたリーシャや咲耶の身を心配する者と、生徒から見れば大立ち回りを演じたリオンを驚いたように見ている者とに分かれており、リオンの視線を受けたと勘違いしてか、慌てたように踵を返して寮へと向かった。
ただ、廊下の端からこちらの方を睨むように見ている一人の生徒の姿があったことに、リオンだけが気づいていた。
・・・・
寮では屋敷しもべ妖精によって運び込まれた食べ物で先程のパーティの続きが催されていた。危機的状況もあったが、全員が無事に辿りつけたことで、過ぎ去った危機は冒険のように見習い魔法使いたちを興奮させていた。
「すごかったな、スプリングフィールド先生の魔法!」
「トロールに雷撃一閃って、精霊魔法ってあんなこともできるんだな!」
「それに一瞬であの巨体を凍りつかせてたぞ」
「トロールを投げ飛ばしたのも魔法なのかな?」
冒険話の中でも話題は先程のリオンの活躍が中心になっていた。
「すげーな、これ」
「サクヤ、大丈夫?」
「うん。平気やよ」
興奮したように話している寮生を見回してリーシャは感心したように呟き、フィリスは改めて咲耶の無事を確認した。
最も怖い思いをしたのは咲耶だろうが、本人を見る限り特に怪我をした様子もないし、恐怖を押し殺しているようにも見えない。
咲耶はかぼちゃパイが気に入ったのか、もこもことリスのように頬張っていた。
普段と変わらない小動物的な様子に頭を撫でながら王子様に守ってもらったからかな。とフィリスは乙女の考えを働かせて微笑ましげな視線を咲耶に向けた。
「しかし、驚いたな、先生には」
「そうなのか? トロールの氷漬けには驚いたけど、トロールを倒すくらいなら他の先生にもできるだろ?」
女の子同士のやりとりを温かく見守っていたセドリックが思い出したように先程の魔法をリオンを思い出し、ルークがジュースを傾けながら問い返した。
「たしかに。けど真っ向から魔法もなしにトロールの攻撃を受け止めるなんて普通じゃないよ」
ルークの言葉にセドリックは魔法よりもその戦闘方法を思い出していた。
魔法使いは基本的に杖をもって魔法を操るものだ。未熟な子供の魔法使い見習いならば、魔法が使えないから殴り合いをする、といったことがないでもないが、それは子供のケンカレベル。大人の魔法使いでもトロール相手に肉弾戦はしないだろう。
「あれもなんかの魔法なのか、サクヤ?」
リーシャは魔法使いとしての視点から、なんらかの魔法が働いたのだろうと特に深く考えることなく咲耶に尋ねた。
もこもこと食べていたパイを飲み込んで咲耶はリーシャの質問に答えた。
「んー。障壁でほとんど止めたんやと思うよ。投げ飛ばしたんは合気道、かなぁ」
「アイキドウ?」
返ってきた答えは、聞きなれない単語でリーシャを始めクラリスも首を傾げた。
彼の母が得意としたマグルの体術を、彼もまた叩き込まれていたことを咲耶は思い出していた。
「魔法を使わん武術なんよ」
「へぇ。そういう戦いかたもあるんだ」
科学技術をはじめ、イギリス土着の魔法使いはマグルの産物を軽視、というか蔑視しがちだ。とりわけ純血の魔法使いにその傾向が強い。
それだけに、魔法使いが魔法を使わない格闘術を身に付けているということにセドリックは感心したように言った。