ぶれない台風と共に歩く   作:テフロン

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危険だから外に出てはいけないよ。
この言葉の出どころは、二人の娘を心配する両親からだった。
時間の経過と共に、はき違えられた言葉。
フランとレミリアは、本来の形を取り戻す。
終わりに―――新たな戦いを呼び寄せて。


主に従うもの、主に逆らうもの

 天井に大きな穴が開いて夜空がよく見える。夜の闇には、月明かりに照らし出された金色の九尾の姿が映えるように強い存在感を放っていた。

 それは、いうなれば神々しい。

 それは、いうなれば奇跡のような光。

 フランは相変わらず空を見上げたまま固まって、目を奪われている。

 レミリアとパチュリーは、嫌でも目に入って来るような輝きを放っている九尾を見て疑問を口にした。

 

 

「何が起こっているの?」

 

「あれは一体……」

 

「あれは、八雲紫の式神です」

 

 

 二人の疑問に咲夜が答えた。

 そう言う言葉に迷いは感じられない。答える様子から、咲夜は事の状況を知っているようだと周りは察した。

 

 

「咲夜は今の状況を分かっているの?」

 

「はい……全て把握しているというわけではないですが、一部始終を見ていましたので」

 

 

 咲夜は、普段ならば絶対に見ることができないような顔をしている。申し訳なさそうな、安心しているような、よく分からない顔をしていた。

 

 

「ふうん……」

 

 

 レミリアは、咲夜の言葉を吟味する。

 一部始終を見ていた―――それは始まりから終わりまでの一部を見ていたという意味である。

 どこで見ていたのだろうか。

 いつ見たのだろうか。

 レミリアには今の状況が理解できていないし、フランやパチュリーだって理解できていない。分かっているのが咲夜だけという状況は、そのまま咲夜が別の所にいたということを想起させる。

 咲夜が一人でいた時間―――レミリアはそのことから何処で異変が始まったかすぐに察した。

 

 

「だとしたらまたあの人間が発端か。咲夜はちゃんとあの人間に会いに行ったのね」

 

「お嬢様の命令でしたから」

 

 

 レミリアは、咲夜から返って来る答えが分かっていながらも次なる問いを咲夜へと投げかけた。

 

 

「私の命令通り、八雲の使者を殺したの?」

 

 

 その質問が飛んだ瞬間に―――パチュリーの視線が咲夜へと注がれた。

 もともと、殺すなといわれていた存在。

 殺したら後が続かない存在。

 もしも殺してしまえば、後戻りできない状況に陥る。

 パチュリーの真剣な眼差しが咲夜からの答えを待っていた。

 

 

「いえ、殺せませんでした。あそこにいる九尾に邪魔をされたので……」

 

「やはりあの人間を殺すことはできていなかったのね」

 

 

 淡々と事実が述べられた。咲夜の言葉を信じるのならば、どうやら少年は死んでいないようである。

 これは、聞かなくても薄々分かっていた回答だ。空に神々しく光り輝いている九尾の姿が少年の生存を証明している。九尾の体から出ている衣は神力による鎧であり、先程までフランが纏っていたものと同類のものである。

 

 

「それにしても、あの九尾と戦闘になってよく無事に帰ってこられたわね。我が従者ながら驚きを覚えるわ」

 

 

 空に飛んでいる九尾を見ると、遭遇時に戦闘になったことも何となく察することができる。あれ程の闘気を出しているのだ。戦闘になることは必須だろう。

 しかしながら、咲夜が傷ついている様子はない。九尾がやって来て無傷で帰って来るあたりに疑問を抱えるが―――その疑問の答えが‘空に存在している’と誰しもが直感で分かった。

 

 

「八雲の式神とは笹原を殺す前に出会ったので……殺していたら私の人生は終わっていたことでしょう。それに―――途中で横やりが入りましたから」

 

「……なんにせよ、無事でよかったわ」

 

 

 横やりが入らなかったら確実に殺されていたことだろう。あるいは、少年を殺してしまっていたら、地の果てまで追いかけられ殺されていたことだろう。

 レミリアは、そっと入ってきた横やりの存在に僅かながらの感謝をしながら、生きているはずの少年のことを想った。

 

 

「咲夜があの人間を殺し損ねたというのなら、あの式神の体を包んでいる神力の衣は相も変わらずあの人間が作り出しているのでしょうね」

 

 

 レミリアは、空に送っていた視線をフランへと向ける。フランの視線は相も変わらず空に囚われて、憑りつかれたように魅せられていた。

 目の前にいるフランが先程纏っていた光は―――九尾が纏っている光と同じだ。

 

 

「フランの時も同じだったし」

 

「私の時もあんなのが体から出ていたの?」

 

 

 会話の中に自分の名前が出てきたことで、憑りつかれた様に見上げていたフランの顔が下がった。

 フランには、同じものを纏っていた自覚がなかった。自分の体から同じものが放出されたといっても、ピンと来るところがなかった。

 

 

「ええ、そうよ。少し違うような気もするけれど……」

 

「私から出ていたものと違うってこと?」

 

「私から見ると同じに見えるのだけど……レミィには違って見えるの?」

 

 

 フランとパチュリーは同時にレミリアに疑問をぶつけた。

 自分が纏っていた。フランの纏っている光を見ていた。そんな二人から見た九尾の神力の衣は、先程のものと同じように見えているようだ。

 

 

「同じかと言われたら―――同じではないと答えるわ」

 

 

 確かに九尾の纏っている光も、おおよそフランが纏っているものと同じように見える。

 けれども、それは直に対峙していない者の言葉である。

 レミリアの見たフランが放っていた光と九尾が放っている光は確かに別物だ。目に見える違いというのは僅かなものでしかないが、はっきりと違うと判断できる。

 あの光と対峙した身だからこそ分かる相違点がある。

 九尾の光とフランの光との違いが肌で感じ取れる。

 信仰の力である神力は、想いの力である。

 より具体的な、より鮮烈な、より強烈な想いはそのまま力に具現する。

 

 

「あの九尾が纏っている衣からは、フランの時よりも洗練された意志を感じるのよ」

 

 

 レミリアは、横目にフランとパチュリーを見つめる。二人はよく分からないというような雰囲気で佇んでいた。

 分かってもらうにはどうすればいいのだろうか。本当ならば、直接目の前で並べてみれば分かるはずなのだが、そんなことはできやしないし。頑張って説明するしかないだろう。

 レミリアは、二人に分かってもらえないことを予想しながら見た目から分かる違いを告げた。

 

 

「そうね……まず、輝き方の程度が違うわ」

 

「そうなの? 自分で纏っているときは特に何も感じていなかったから、そういう細かいところまでは分からないわ」

 

「レミィ、気のせいじゃないかしら? 輝度は変わっていないように思うわよ?」

 

 

 実際に光を纏っていたフランは、自分で纏っていたからなのか判断がつかないようで首をかしげる。

 パチュリーも実際に戦いにまで参加したわけでもなく、戦いの場を全て見ていたわけでもなかったため、両者の違いが判断できなかった。

 そんなことを言われても、どう説明したら分かってもらえるのだろうか。レミリアは二人に自分の感覚が伝わらないことに困惑する。

 

 

「う……なんて言えば分かってもらえるのかしら」

 

「あ、消えた」

 

 

 レミリアが唸りながら悩んでいるところに―――フランの声が響いた。

 フランの声が空間を伝わった瞬間に、全員が空を見上げる。その見上げる行動と同時に、何かがぶつかって生まれた轟音が響き渡った。

 音の源は空からのものだ。何かと何かがぶつかった音がしている。

 肉体と肉体が、力と力がぶつかって、打撃音を響かせている。

 九尾は、何者かと闘っているようだ。

 

 

「あの状態の九尾と闘うなんて、何者かしら?」

 

 

 空間全体に意識を集中させる。

 戦っている人数は、九尾を含めて二人のようである。大きく二つの力がぶつかり合っているのが感じ取れる。お互いに強力な力でぶつかり合っているためか、たいして集中しなくても力の余波を感じ取ることができた。

 ぶつかっている力の種類は、神力と妖力。

 一体何者だろうか。

 あの状態の九尾は先程のフランよりも強いはずだ。

 そんな神力を纏っている九尾と闘える人物。

 それも、互角に戦っている妖怪。

 そして、九尾と何かしらの接点がある者。

 ――――心当たりが一人だけあった。

 

 

「ねぇ、咲夜。今、九尾が戦っているのって、もしかして……」

 

 

 感じたことがある妖力の雰囲気。

 それはついさっきまで見ていた者と同じものだ。

 レミリアの脳内に今持っている情報から九尾の相手が誰であるのか解答が導き出される。

 しかし、頭の中に出てきた人物が九尾と闘う理由があるだろうか。むしろ戦ってはいけないといえるような関係が両者には存在している。

 レミリアは、答えを知っているはずの咲夜へとゆっくり顔を向けた。

 

 

「はい―――八雲紫です」

 

 

 咲夜の口から信じがたい言葉が吐き出された。咲夜の言葉でフラン以外の顔が、時が止まったように固まった。

 

 

「式神が主である八雲紫と戦っているですって!? そんなことあるわけないわ!」

 

 

 幻想郷で九尾といえば、八雲紫の従者であることが知られている。ここで問題になるのは、当然ながら八雲藍が八雲紫の式神であるという点である。

 

 

「お嬢様……あそこにいるのは確かに八雲紫とその従者です。私は、この目で見ました」

 

「分かっているわ。分かっているわよ! 戦っているのが八雲紫だってことぐらい私にだって分かるわ! でも、本来ありえないのよ。式神が主に逆らうなんてありえないことなの!」

 

 

 従者である九尾の八雲藍が八雲紫と闘うためには、式神としての性質を失わなければならない。

 式神は、主から力を提供されているため、力を貰っている相手に対しての何らかしらの形で服従の形態をとっている。従う方式は主によって異なっているが、おおよそ絶対服従であり反逆を決して許すものではない。

 つまり―――八雲藍と八雲紫が戦っているという事実は、八雲紫がそれを許可しているのか、それとも―――八雲藍が式神ではなくなった可能性しかないのだ。

 

 

「何かあるはず。何か、物事を大きく変えるような、そんな大きな影響を及ぼした存在が」

 

 

 戦うことを許した原因を作り出しているのは一体何なのか。

 戦うことができる条件を作り出した原因は一体何なのか。

 レミリアの頭の中に少年の存在が浮かび上がる。

 根拠は何もない。証拠も何もない。

 ―――だけどそう思った。

 フランをこれほどまで変えた存在だ。式神に対しても何かを変えたのかもしれない。だとしたら、変わった瞬間があるはずだ。少年と八雲藍が出会うその瞬間が、変わった瞬間のはずだ。

 それを見ていたのは―――。

 レミリアは、すぐさま咲夜に向けて答えを要求した。

 

 

「咲夜、あの人間の所に行ったときに何があったか教えなさい」

 

「はい、分かりました」

 

 

 咲夜は、ほんの少し前の出来事を思い返す。レミリアに少年を殺してくるように告げられてフランの部屋へと殺しに向かった時のことを思い出した。

 

 

「私がお嬢様の命令に従って笹原を殺しに行ったとき……」

 

 

 

 

 

 咲夜は、レミリアの怒気に押されて恐怖を感じながらフランの部屋へと走った。辿り着いた目的地にはただ一人、取り残されたように存在している者がいた。

 ―――笹原和友である。

 最後に見たときと同じように祈りの形を取っている。動いている様子は全く見受けられない。ずっと同じ姿勢のまま時を止めているかのように、造形品のような雰囲気を発していた。

 

 

「笹原……」

 

 

 少年から約4メートルの距離を取って足を止める。ここでなぜ足が止まったかは分からない。自然と足がそこで止まった。それ以上近づいてはならないというように、足が進む方向を見失った。

 

 

「祈るのを止めなさい!」

 

 

 少年の行動を止めようと大声を出す。

 祈りを止めなければ、お嬢様は助けられない。

 少年の祈りがフランへと届き、力を与えている。それが本当なのかは分からない。咲夜に力の流れを感じ取るだけの能力はない。フランに注がれている力の根源になっているのが少年の祈りであると確信を持っていたわけではなかった。

 だが、レミリアの命令を考えると少年によってフランが神力を得ていると確信して自分を送り出していることは確かだった。

 そして、主であるレミリアの命令に背くことができない咲夜に、ここで殺さないという選択をする自由は存在しなかった。

 

 

「さもなくば、殺すわ!」

 

 

 強い言葉を使わないと後ろめたさに押しつぶされそうだった。口に出す言葉とは裏腹に少年を殺すことに躊躇いがあった。

 だって、殺されそうになっている少年には非が無いのだから。

 少年は被害者側の立場であり、加害者側の人間ではない。

 勝手に紅魔館に呼ばれて。

 戦わされて。

 妹様と会わせられただけだ。

 何かしたといえば特に何もしていない。

 フランに力を与えて被害を大きくしているじゃないかと言われればそうなのかもしれないが、その肝心のフランが正しい道を進もうとしている、皆が幸せになるような道を進もうとしているように思えて仕方がなかった。

 それでも―――咲夜には主の命令に従うしかない。従者にとって主からの命令は、果たすべき約束事である。

 だから、少年が自ら祈るという行動を止めてくれればいい。祈るのを止めてくれさえすれば、命まで取らなくて済む。傷つけなくて済む。

 だが―――少年は一切の反応を示さなかった。

 

 

「これは、脅しじゃないわよ!」

 

 

 咲夜の言葉が虚しく響く。反応もしない様子から、聞こえていないのかもしれない。

 しかし、ここで無視するという行為は拒否しているのと同じである。咲夜側としては、少年には命を落としてでも祈るのを止めてもらわなければならないのだから。

 

 

「……そう、警告はしたわ」

 

 

 迷いは確かにある。だけど―――これはやらなければならないことだ。

 咲夜は、従者として正しい行動―――少年を攻撃することを決め、メイド服に常備してあるナイフを取り出し、右手に構えた。

 

 

「ごめんなさい」

 

 

 ナイフを一直線に少年に向けて投げつける。

 急所を避けるように右腕を狙ったナイフは重力を感じさせず真っ直ぐに突き進み、少年の右腕に突き刺さった。もしかしたらという期待をもって、こうすればさすがに気付いてもらえるだろうと望みをもって、突き刺した。

 少年の身を引き裂き突き刺さるナイフからは、ゆったりと真っ赤な血が流れ出る。

 痛みも相当なものだろう。

 刺さっている深さは数センチになるはずだ。

 神経が痛みを訴えているはずである。

 ナイフは確かに少年の腕に刺さって、赤い血を生み出している。

 

 

「なんでよ……」

 

 

 だけど―――ただ、それだけだった。

 本当にそれだけしか起こらなかった。

 ―――少年は微動だにしていない。祈りのポーズも、穏やかな表情も、何事もなかったかのように張り付いて離れていない。

 

 

「どうして何の反応も示さないの?」

 

 

 信じられなかった。明らかにおかしかった。

 自身の行動に対して少年は全く反応しない。

 これはいくらなんでもおかしすぎる。

 ナイフが刺さっているのだ。

 痛みが襲っているはずなのだ。

 なのに、少年の動きには一切の変化が見て取れない。

 まるで意識がないような、死んでいるような印象を受けるほどに微動だにしない。

 

 

(最悪の結果になったわ……)

 

 

 最悪の状況になった―――現状をそう評価する。少年がナイフを刺されても祈るという行動を止めないということは、少年を殺さなければならないということにそのまま直結する。

 

 

(殺したくなんてなかったのに……気付いてくれれば何とかできたかもしれないのに……)

 

 

 好き好んで少年を殺したいとは思わない。主からの命令だから逆らえないだけで、咲夜の心は明確な拒否反応を示している。

 少年が―――祈るのを止めてくれたら。

 少年が―――何かしらの反応をしてくれたなら。

 何かができたのかもしれない、何かが変わったのかもしれない。

 だが、現実には少年は何の反応も示さない。僅かな希望を持つ咲夜をあざ笑うかのように、ただそこにいるだけで何も動こうとしなかった。

 

 

「どうして、避けようともしないのよ!」

 

 

 咲夜の疑問に答える人物はここにはいない。少年は完全に自分の世界に入ってしまっている。

 咲夜は、独り相撲をしている感覚に苛立ちを隠せず、大声で威嚇した。

 

 

「次は、頭に当てるわよっ!」

 

 

 咲夜の叫び声が空間内に虚しく木霊する。空間に響いた音は、反応してくれと言わんばかりの悲痛な音だった。

 しかし、それでも少年は相変わらず全く反応を見せない。

 ここまできたらもう駄目である。

 安全に止まれる駅はとうに通り過ぎた。

 残っているのは終わりという名の最終地点だけである。

 咲夜は下唇をそっと噛むと二本目のナイフを取り出し、投げる構えを取る。

 

 

「ごめんなさい、私を恨んでくれていいわ。これもお嬢様の命令なのよ……私は、お嬢様には逆らえない」

 

 

 悲しい表情を惜しげもなく晒す。

 申し訳なさそうに今から攻撃する少年に向けて謝罪する。

 

 

「本当に、ごめんなさい」

 

 

 咲夜の手からナイフが少年の頭めがけて放たれた。

 殺意を持ったナイフは、確実に少年の命を奪うだろう。

 しかし―――少年は命が奪われそうになっているその時でも動かない。穏やかな表情で神に祈りを捧げるように、全てを受け入れるような雰囲気で佇んでいる。ただただ―――誰かに対して祈っている。

 咲夜は、酷い後悔の渦に巻き込まれながら無限とも思える時間の中で少年を見つめていた。

 だが―――少年はここでは死なない。運命に引き寄せられるように、物語を終わらせないといわんばかりに、少年を殺させやしない。

 咲夜から放たれたナイフが少年との距離の半分を詰めたとき―――第三者の力が介入する。咲夜と少年の間の天井の一部が崩壊し、第三者が姿を現した。

 

 

 

 ―――四重結界―――

 

 霊力を纏った力が咲夜と少年の間を隔絶する。強固に張られた結界は、咲夜のナイフを軽々しくはじき返す。少年の命を奪うはずのナイフは音もなく下に落下し、音を立てて地面へとひれ伏した。

 

 

(この力は!?)

 

 

 勢いよく天井が落ちてきた方向へと視線を向ける。

 そこには、尻尾が九本生えた妖怪の姿があった。

 

 

「八雲の式神!?」

 

「和友、大丈夫か!?」

 

 

 九尾―――八雲藍は、ここで物語に介入した。少年を助けるために、少年の窮地に横やりを入れる形で登場した。

 

 

「っ……酷い怪我じゃないか!」

 

 

 藍は、少年の全身を視認すると昨日とは全く違っている少年の様子に驚愕した。

 痛々しくその存在感を見せつけるように打撲痕が体中にある。

 昨日まではなかったはずの、赤く腫れあがった肌、骨折したような跡も見受けられる。さらには、腕に刺さっているナイフからは少年の血がつらつらと流れていた。

 

 

「……貴様がやったのか? 無抵抗の和友をこうまで傷つけたのか?」

 

 

 無傷の咲夜と傷ついた少年―――その様子からおそらく何も抵抗しなかったのだろう、ただされるがままになったと思える状況が―――藍を激昂させた。

 

 

「貴様が和友を殺そうとしたのかと聞いているのだ!!」

 

「…………」

 

「応えないということは肯定と取るぞ!」

 

 

 咲夜の目を射抜くように視線を合わせる。怒りに表情を染めて睨み付ける。

 咲夜は、藍から襲い掛かる圧倒的な怒りの感情の波に一気に飲まれそうになった。藍からの怒りはそう遠くない未来の自分の姿を、動かなくなった自分の姿を想像させるに十分すぎた。

 

 

(ここにたどり着くのが少しでも遅かったら、和友は死んでいた)

 

 

 今にも死にそうになっている少年が目の前にいる。後少しでも遅かったら少年は死んでいた。冗談でも何でもなく、死んでいたことだろう。

 藍は、少年を失っていたかもしれないという状況に陥ったことで、‘少年を失った未来’を想像してしまった。

 ナイフで刺されて少年の命が絶たれる。

 抵抗ひとつすることなく、受け入れるように突き刺されて死ぬ。

 そんな未来を

 そんな光景を

 そんな悪夢を

 藍の頭の中で少年が死を迎えた瞬間―――感情が一気に爆発した。

 

 

「認めないっ! 和友を失うなんて認めないぞ!! 和友を傷つける奴は全員殺す。皆殺しにしてやる!!」

 

 

 少年を庇うようにして少年の前方で仁王立ちする。

 絶対に守る。傷つける奴を皆殺しにする。

 それだけを考えて、持ち合わせている妖力を開放した。

 

 

「和友を傷つける奴は、私が殺してやる!」

 

 

 藍から解き放たれた妖力は、近くにあった瓦礫を吹き飛ばすほどの力を放出する。

 だが、その余波に少年は巻き込まない。藍の力が優しく少年を包み込むようにして纏わりつき、保護していた。

 

 

「和友は私が守らなければ―――私が守らなければならないのだ」

 

 

 和友は私が守る。

 傷つける奴は全員殺す。

 和友を守るのは、私の役目だ。

 

 

「和友は弱い。妖怪が少し力を入れてしまえば死んでしまうような、ちょっと間違えば誤って命を落としてしまうような―――そんな存在なのだ」

 

 

 和友は、傷つけられるべきものじゃない。

 守らなければならないものだ。

 あんなに頑張っている和友をこれ以上傷つけるな。

 一生懸命に、必死に生きている和友に負荷をかけるな。

 和友の体は、もうボロボロなのだ。

 これ以上何もしてくれるな。

 これ以上傷ついたら死んでしまうかもしれない。

 人間である和友は。

 病気だった和友は。

 死んでしまうかもしれないのだ。

 

 

「それを貴様のようなやつが傷つけて許されると思うなよ!? 頑張っている和友を、一生懸命に生きている和友を―――誰かが殺していい理由なんてないのだから」

 

 

 和友を傷つける奴は私が許さない。

 それが誰であったとしても。

 それが何であったとしても。

 例えそれが―――世界であったとしても。

 

 

「和友を傷つける奴は誰であろうと、何であろうと、それが例え世界だろうと」

 

 

 世界が和友を傷つけるのなら―――世界ごと殺してやる。

 誰にだって和友を殺させてたまるものか。

 何にだって和友を殺させてたまるものか。

 和友を殺すなんてそんなこと―――

 

 

「―――私が許さない!」

 

 

 藍の感情は、すでに心の許容量を超えて溢れ出していた。その勢いを表すように妖力も波打って体から放出されている。少年のことを大事に想い、少年の近くにいた副作用によって酷く大きくなった不安定な感情は、怒りへと切り替わり心を溺れさせている。

 しかし、その表情には、藍から発せられる言葉とは裏腹に何も映っていなかった。心の中身が常に怒りによってマグマのようにぐつぐつと煮えたぎっているのにもかかわらず、表情が無表情で感情が浮き出ていなかった。遠くを見つめるように瞳を開いたまま無感情の響きを奏でていた。

 

 

「殺してやる……殺してやるぞ」

 

(これはやばいわね。私……死んでしまうかもしれないわ)

 

 

 黄昏ているような、茫然としているような印象を受ける藍の表情からは何も読み取ることができないにもかかわらず、怒りの色がにじみ出ているように見える。

 人が怒りの沸点を一気に越えたとき、勢い余って無表情になることはよくあることである。理性によって制御できないぐらいに感情の振れ幅が大きくなればなるほど、外へと表現することが難しくなり逆に無表情になるのだ。藍は、まさにそんな状態だった。

 

 

(まさに、竜の逆鱗に触れてしまったというやつね。九尾が八雲の隠し子を大事にしているのは知っていたけど、これほどとは思わなかったわ)

 

 

 藍からは、和友を傷つけるやつは―――私の大事なものを奪おうとするやつは全て私が殺してやる!! という意気込みが見て取れる。周りからの干渉を一切排除してただ一つの意志によって塗り固められている。

 説得なんてできる気がしなかった。

 

 

「私から和友を奪おうとする奴は、全員―――殺してやる」

 

(どうする? 笹原を殺すということはもう無理……どうにかしてこの場をやり過ごす方法を考えないと)

 

 

 藍は、小さくぼやくように抑揚の無い声を発しながら拳を強く握り足に力を入れる。

 もうすぐ攻撃が始まる。何とかしなければ、何か策を立てなければ。咲夜は藍との間に感じる力の差にどうすればいいのか思考する。

 力では決して妖怪に勝つことはできない。スピードもパワーも桁違いで、一瞬のうちに全ての決着がつくだろう。咲夜の死体が転がるという結果で全てが終わるだろう。

 

 どうして、こうも上手くいかないのだろうか。

 どうして、こんな目に会っているのだろうか。

 さっきまでと全く違う空気に嫌気がさして仕方がなかった。

 現状を呪うしかなかった。

 咲夜の置かれている立場は、僅かな時間の経過によって大きく変化している。

 

 

(時を止める能力を使えば、この場からは逃れられる……けれども、状況は逃げた後でも変わらない。九尾は必ず私を追って来る)

 

 

 もはや咲夜の頭の中にはレミリアの命令は残っていない。

 レミリアの命令に従うよりも、この場をどうやり過ごすのか、どう対処すればいいのかに脳内を支配されていた。

 

 

「さぁいくぞ。悪魔の犬め。和友を傷つけた見返りをくれてやらないとな」

 

(く、くる!)

 

 

 今にも向かってきそうになっている藍に対して身構える。

 藍は、少年を痛めつけられたことによる怒りの矛先をまっすぐに咲夜へと向けて襲い掛かろうと前傾姿勢を取った。

 その瞬間―――ある人物の声が藍の耳へと入り込んだ。

 

 

「……藍? どうしてここに?」

 

「……和友っ!? 無事だったか!? 傷は痛むか!? 何をすればいい? 私は何をしたらいい? 何をして欲しい?」

 

 

 藍は、勢いよく咲夜へと向けていた体を反転させて少年の方を向いた。

 やっと口を開いた少年は、祈りの姿勢を崩してはいないものの、酷く疲れたような表情で目を半分だけ開けている。まだ意識がはっきりしないのだろう。もしかしたら寝起きに近い状態なのかもしれない。祈りを捧げるということは、それだけの集中力が必要なようだった。

 

 

「藍は、何でここに来たの?」

 

「和友が心配だったからに決まっているだろう!?」

 

 

 藍は、そっと少年との距離を詰める。

 

 

「和友はいくら待ってもマヨヒガに戻ってこないし、紫様も帰ってこない。何かあったのではないかと探しに来たのだ」

 

 

 藍は、マヨヒガに橙だけを残して外へと少年を探しに来た。

 正確に言えば、探しに出ずにはいられなかった。少年がいつまで待っても帰ってこないことに心が耐えられなかったから。待っていられなかったから―――探しに来たのである。

 

 

 

 

「どうして和友は帰ってこない……」

 

 

 いつものようにマヨヒガで少年の帰りを心待ちにしていた藍だったが、いつも決まった時間にマヨヒガへと帰ってくる少年が一向に帰ってこなかった。

 1時間、2時間と刻々と時間は過ぎていく。日が完全に落ちて星が見えるような時間になってくる。

 なかなか帰ってこない少年に逸る気持ちを必死に抑える。それこそ文字通り必死に、マヨヒガの玄関先で少年の帰りを待ち続けた。

 日が落ちて闇が支配する夜の中で月を見上げながら、心配のあまり震える体を抑えて少年の帰りを待った。

 

 

「藍様、中に入って待ちましょう? 和友なら大丈夫ですよ」

 

「こんなに遅いなんて……きっと何かあったのだ。和友が私を呼んでいるかもしれない。助けを求めているかもしれない……私は、探しに行く! 橙は、マヨヒガで待っていてくれ」

 

「藍様!!」

 

 

 途中で橙が心配して、家の中に入ろうと声をかけてきた。

 しかし、藍に橙の提案を受け入れる心の余裕はすでになく、橙の一言によって外へと探しに行くことを決意し、飛び出した。橙の叫びも虚しく、振り切るようにマヨヒガを出てきた。

 

 

「そして、探し出してみれば、案の定……」

 

 

 そして結果的に―――傷つき、死にそうになっている少年の姿を見つけた。あと少しで取り返しのつかない状況になってしまっていたところに、やってきたのである。

 

 

「和友を連れ出したのはおそらく紫様だろう。それなのに、その肝心の紫様は一体何をしておられるのだ……和友がこれほど傷つけられているというのに」

 

 

 藍は、少年が傷ついているのも信じられないことだが、同じように少年が傷ついているのにもかかわらず、少年を連れ出したと思われる紫が全くの無対応でいることも信じられなかった。

 

 

「これが終わったら、紫様とも少し話をしなければならないな」

 

 

 紫が連れ出したと断定するのは、比較的簡単な理由によって可能である。少年ならばするはずのいつもの行動がなかったからだ。いつもの行動―――少年からの連絡がなかったからである。

 帰りが遅くなる場合は何かしらの連絡が入る。霊力を使った式神だったり、直接知らせに来たり人づてに間接的に知らせてくる。

 それが今回に限っては一切なかった。

 それはつまり―――このことをすでに誰かに話しており、藍にも伝わっていると少年が思っているか、少年が想像もできない予期せぬトラブルに巻き込まれたかしかない。

 後者の場合であれば藍にはどうしようもない。予防する方法がないので、すぐさま助けに行った方がよいという判断になる。行動は早ければ早い方が好ましい。今藍がやっている行動は後者の場合の最善策である。

 前者の場合であれば、藍に伝えることができる人物―――マヨヒガを知っている誰かといえば消去法的に―――紫しか存在しないため、少年は紫に事の事情を伝えており、紫が伝えたと思っているか、紫が連れ出した可能性が考えられる。橙はマヨヒガにおり少年の所在を知らないため、一番可能性がある考え方としては紫が少年を誘ってどこかに行っているパターンだ。

 けれども紫の存在は少年の傍にはなく、少年が傷ついても紫が出てこない様子を鑑みると別の用事で出かけていると考えるのが自然だろう。

 藍は、怒りに沸き立つ頭でそこまで一気に思考した。

 少年は、続けて藍に向けて質問を投げかける。

 

 

「探しに来たって……どうしてここが分かったの?」

 

「飛んでいる途中で強い力の波動が感じられたのだ。気になって来てみれば和友がいるのが分かったから。だからすぐに駆け付けた」

 

 

 少年を見つけられたのは、少年を探して空を飛んでいる最中に力の放出を感じたからだ。その力を感じ取った時、どこかに少年の存在を感じたから紅魔館にいると当たりを付けた。この力の波動というのは―――おそらくフランとレミリアの力の放出である。とてもじゃないが少年の力の大きさでは、遠くまで力は伝搬しない。

 少年は、疲れた表情の中で優しく微笑む。

 

 

「そっか……僕を見つけられたんだね」

 

「すぐに止血をするから。それまでそこで待っていてくれ、直ぐに終わらせる」

 

 

 藍は少年に言葉を残すと再度反転し、咲夜の方向へと体を向ける。

 

 

「まずはあの悪魔の犬を殺してからだ。そうでもしなければ、私の気が収まらない!」

 

 

 一歩遅ければ少年が殺されていた。

 間に合ってなければ少年は死体になっていた。

 赤い血を流して、動かなくなって、横たわっていた。

 容易に想像できる光景に、一度冷えた頭の中が一気に再沸騰する。

 

 

「私は……」

 

「言い訳など聞きたくない。それ以上その口を開くな」

 

 

 少年に溺れている。

 少年を失うことを恐怖している。

 少年が死んでしまう事実を受け入れることができない。

 藍は、想像もしていなかった唐突な別れのきっかけに心臓の激しい鼓動を止めることができなかった。藍の頭の中にあるのは、失う恐怖を与えた咲夜への怒りだけである。

 

 

「私の大切なものを奪うというのならば、容赦はしないぞ! 和友を傷つけた代償は、その身できっちり払ってもらう!!」

 

 

 藍は、原因となった咲夜を排除しようと動き出そうとする。

 咲夜の視線が藍の一挙手一投足に注目する。これからの藍の行動次第で咲夜の命が奪われるかもしれないのである、注意しないわけにはいかなかった。

 しかし―――またしても藍を止める声が第三者から発せられる。

 

 

「藍、待って」

 

「……和友、どうした? やっぱり傷が痛むのか?」

 

 

 少年から発せられた言葉に再び藍の勢いが失われる。

 藍は少年の体を心配する。あくまでも優先順位は少年の方が高い。悪魔の犬を殺すことよりも少年の命の方が大事だ。そこをはき違えるほど藍の思考は怒りに染まっていなかった。

 少年は、藍の動きを故意に止めようとしていた。これから起こす藍の行動は、少年としてもあまり好ましくない。自分のせいで他人が傷つくことを善しとしない少年からすれば、藍の行動は止めなければならないものだった。

 

 

「応急処置だけでもしておこうか?」

 

 

 少年の傷は、想像以上に深いのかもしれない。藍は、少年の傷の手当てをしようと手を伸ばす。そして、少年の肩に触れようとしたとき―――少年が唐突に叫んだ。

 

 

「触っちゃいけない!」

 

 

 少年の言葉も虚しく―――藍の手が少年の肩に乗った。




今回の話は、藍と咲夜の対比が面白いところですね。
主に従う者と主に逆らう者。
そして、いつだって問題を引き起こすのは、少年の存在だということも。

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