ぶれない台風と共に歩く   作:テフロン

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前へと進むことを決めたフラン。
過去にしがみついているレミリア。
神力と魔力がぶつかった。
劣勢になったレミリアが、鎖となっている言葉を口にする。
その言葉の出どころは―――二人の両親だった。


両親への想い、捨て去られる言葉

 危険だから外に出てはいけない。

 

 その言葉は、レミリアとフランの母親と父親が残した言葉である。

 両親が残した―――‘最後の言葉’である。

 

 レミリアとフランの母親と父親は両者共に吸血鬼であり、すでに他界している。

 その死に方はごく普通の死に方だった。その死に様は酷く普通のものだった。人間でいう病気で死んだり、事故にあったり、老衰したりして死ぬのと同じ死に方―――人間でない者にとっての当然の死に方である。

 化け物にとっての普通の死に方―――人間からの攻撃によるものだった。

 

 

「危険だから、外に出てはいけないよ」

 

「危険だから、外に出ちゃいけないわよ」

 

 

 この言葉が送られた当時は、ちょうど吸血鬼に対する討伐の運動が活発化していた時期だった。

 なぜにその時、人間達の間でそういう動きが起こっていたのかは分からない。別の吸血鬼が何か悪さをしてしまったのかもしれない。それとも何かが起こった原因を擦り付けられたのかもしれない。

 しかし、ここでどうしてという疑問は特別な意味をなさない。考えても仕方のないことなのだ。なぜならば、人間による化け物討伐の動きというのはとってつけられたように起こるものであるからだ。

 化け物が討伐される原因など探さなくてもいくらでも見つかる。

 災害が起これば化け物の責任になる。

 疫病が流行すれば化け物の責任になる。

 人が死ねば化け物の責任になる。

 化け物というのは、理不尽を具現化した存在である。

 科学や原理の分かっていない時代では、人の死というのが理不尽によって生まれることが多かった。つまり、自然事象や疫病の類が広がればそれが討伐の理由として湧いて出てくるのである。

 化け物にとっては人間に淘汰されるのが当たり前であり、人間に殺されるのが自然の摂理のような自然法則のような印象を受けるほどに一連の流れになっている。化け物の死因の99%が人間からの攻撃によるものだ。

 吸血鬼は、基本人間の形を取っている人間と違う化け物である。生きるためには人の血を吸う必要があり、人間の犠牲なくしてその存在を保つことはできない。

 吸血鬼の性質上―――人に仇を成す存在として淘汰されるのは自然の流れだった。

 

 

「なんで? なんで? お外に出たいー」

 

「フラン、いい子だから言うことを聞いてちょうだい。後でちゃんと外に出してあげるから、ね?」

 

「いやーー!」

 

「フラン、いい子だから。お母さんの言うことを聞いて」

 

 

 レミリアとフランは、外に出てはいけないと両親から言われた当時のことをほとんど覚えていない。両親がこの言葉を送ったのは、今から遡ること450年以上前である。

 さらには言えば、その当時レミリアは十数歳であり、フランに至っては2ケタに満たない年齢だった。そこから現在に至るまでに450年以上が経過している。両親のことを覚えていないのは仕方がないことだった。

 そして、僅かに残っている記憶も時間の経過と共に随分と風化してしまっている。写真の一枚もない。記録も一切残されていない。紅魔館には両親を思い出せるような記録が何もなかった。

 心の中に残っていた僅かな記憶は、辛い現実によって消えてしまった。凍えるような吹きすさぶ心の中の風によって運ばれて消えていってしまった。もはや両親の顔も思い出せないぐらいに記憶は薄くなっている。

 しかし、記憶が薄くなっていたとしても、長い年月や辛い現実が思い出を蝕んでいたとしても、忘れていない言葉が一つだけ残っていた。

 

 忘れられなくなった言葉が―――心の中に刻まれていた。

 

 

 フランに言うことを聞かせようと母親が四苦八苦している。

 父親は、駄々をこねているフランをあやしている母親を横目で見ると二人から距離を取り、レミリアだけを呼んだ。

 

 

「レミリア」

 

「何でしょうか、お父様」

 

「これから人間たちとの戦いが始まる。お前たちは地下にこもって戦いをやり過ごして欲しい」

 

 

 父親から不安そうに見上げるレミリアに向けて真剣な眼差しが注がれる。

 人間との戦いが始まるのだ。

 レミリアは、幼いながらにも事の状況を理解していた。外ではすぐにでも人間たちが自分たちに襲い掛かろうと隊を成して迫ってきている。もうすぐ人間との戦いが始まる。

 しかし、父親にはレミリアとフランを人間たちとの戦いに巻き込むつもりは全くなかった。

 これから始まろうとしているのは苦戦もいいところの負け戦である。

 人間は知恵を持っている生き物、学ぶ生き物である。吸血鬼の多すぎる弱点を上手くついてくるだろう。いくら長生きした力の強い吸血鬼だとしても、真っ昼間から水を大量に持ってこられて、見たこともない武器を携える人間たちと戦うということがどれほど劣勢なのかは、誰の目から見ても明らかだった。

 

 

「お父様、私も戦います。私もお父様やお母様と一緒に!」

 

「……レミリア、その言葉だけで十分だ」

 

 

 レミリアの頭にそっと手が乗せられる。父親は、レミリアの言葉に嬉しそうに笑みを浮かべていた。

 一緒に戦う―――娘であるレミリアからの言葉に思わず目元が緩む。普段ならばこの程度の言葉で涙が流れそうになることはないが、今の状況で冷静さを保つことは厳しかった。

 ここから先に―――未来は繋がっていない。

 ここから見える先に―――道は続いていない。

 

 

「私は、いい娘を持った。家族想いの強くて優しい娘を授かった」

 

 

 覚悟はできている―――もうすぐ死ぬということは分かっている。父親は、これから人間たちに殺されることを受け入れていた―――受け入れるしかなかった。

 目の前にある現実と想い描く理想は違う。化け物には化け物らしい最後があって。人間には人間らしい行動がある。今起ころうとしている戦いは、そんな絵に描いたような現実だ。

 死んでしまう。人間に殺されてしまう。

 終わってしまうというのに―――不思議と拒絶したい気持ちは全くなかった。人間に殺されることを無念に思う気持ちは全くなかった。殺されることに対して何かしらの憎悪や恐怖が生まれることもなかった。

 きっとそう思うのはこれまでの思い出があるおかげだ

 これまで生きてきてさまざまなことがあった。

 辛いことも苦しいこともあった。

 しかし、それ以上に幸せでいっぱいだった。

 

 

(私はもう十分に生きた。子供までできて、愛する妻と共に死ねるのだ。これほどの幸せがあろうか……唯一心残りなのは、この子たちが成長するところを見られないことだけだ)

 

 

 父親にとって唯一の後悔は、娘であるレミリアとフランの成長を見届けられないことである。

 娘の成長を見届けて幸せに死ぬ。そんな誰しもが持つような理想を抱えていたが、誰しもが直面する現実の前に跪く結果となってしまった。

 だが、絶対にそこに娘たちを巻き込んではいけない。見れないからといって―――自分で壊すなど愚の骨頂である。

 

 

「レミリアには、別にやってもらいたいことがあるのだ」

 

「なんでしょうか?」

 

 

 レミリアは、子供っぽい表情できょとんと首を傾げた。雰囲気はもうすでに吸血鬼と呼べるだけの格の高い強者の風格を持っている。それでも、まだ子供っぽさが残っている。年相応の反応を見せる。

 ―――守らなければならない。

 そんなレミリアの表情を見て、より固い決意の炎が心に灯った。

 

 

(やはり―――レミリアをこの戦争に参加させるわけにはいかない。この子には、生き延びて幸せな未来を勝ち取ってほしい。だが、レミリアは地下に隠れろと言っても言うことを聞く子じゃない。誰に似たんだか頑固だからなぁ……)

 

 

 父親は、そっと横目にフランの懐柔に成功している母親を見た。

 レミリアの我の強さは母親譲りである。吸血鬼同士で結婚しようとまで持ちかけて、それを押し切った彼女によく似ている。世の中の流れや常識を廃し、明日を常に探してきた彼女から産まれた娘だからこそ、今のレミリアとフランがいるのだろう。

 そんなレミリアにもしもこのまま地下に隠れろと命じても頑なに命令を拒むだろう。守られているだけ、足を引っ張っているだけと分かれば、すぐにでも飛び出してきてしまうだろう。

 それではダメなのだ。レミリアには何としても生きてもらわなければならない。

 自らの幸せのために。

 レミリア自身の未来のために。

 

 

(そして、この責任感の強さは私譲りか……ははっ、成長を見届けられないのが残念だ)

 

 

 頑固さが母親譲りなら、レミリアの責任感の強さは父親譲りだろう。残念ながらまだ、フランには父親に似ている部分は見受けられていない。これから大きく成長していけば似ている部分が出てくるのだろうか。

 フランには感じられず、レミリアにすでに責任感の重みが感じられるのは、きっと次期党首の重荷を背負っているからだろう。レミリアは次の頭として強い責任感を持っており、劣勢の戦いが起こるというときに隠れてやり過ごすことを善しとしていない。

 どういえば、納得するだろうか。責任感に動かされているのならば、同じように責任を持ってもらうのが良いだろう。そうすれば動きを制御できるはずだ。

 父親は、機転を利かせてレミリアにある命令を下した。

 

 

「レミリアにはフランを、あの子を守ってほしい」

 

「フランを、ですか?」

 

「あいつは見ての通りお転婆姫だ。好奇心旺盛で、何かが気になったらすぐに飛び出してしまうような元気な私の娘……もちろんレミリアも私の大事な娘だが、フランはレミリアと違って見ていて危なっかしい。それはレミリアも分かっていることだろう?」

 

「はい」

 

「だから、レミリア。お前があの子を守ってやってほしい。お前はフランの姉なのだからな。あの子を守ってやってくれ」

 

 

 父親は、優しい笑顔を浮かべてレミリアにフランを任せると告げた。

 

 思えば―――これが全ての始まりだったのだろう。

 

 レミリアは父親のお願いを聞き入れ、フランを連れて地下へと向かった。

 地下にある部屋は館の隠された場所にあり、そうそう見つかるような場所ではない。地上の館が崩れ去っても地下だけは無事に残るような構造になっている。

 両親は、レミリアとフランの二人を地下に隠すことで人間たちの攻撃から守ろうと考えていた。

 

 

「危険だから、外に出てはいけないよ」

 

「危険だから、外に出ちゃいけないわよ」

 

 

 両親は二人を部屋に閉じ込め、外へと向かう。できる限り屋敷の中に被害を出さないために、屋敷に侵入者を入れないようにするために、日の照っている外で人間たちと闘う。

 戦闘が始まった直後―――人々の雄叫びが聞こえ始める。館の中まで聞こえてくるほどの大きな戦闘の音がこだましていた。

 レミリアの心が戦闘の音が激しくなるにつれて絶叫を上げ始める。

 

 

(いや、いや、いや! お父様、お母様、必ず生きて帰ってきてくださいっ……!)

 

 

 レミリアとフランは、地鳴りのするような人間の雄叫び聞きながら部屋の中に閉じこもっていた。外で両親が戦っているというのに、ただただ守られているという不甲斐なさを感じながら、人間たちに殺されるのではないかという不安と恐怖にさいなまれながら身を震わせて耐え続けていた。数時間という時間でありながらも、数日続いていたかのような錯覚を覚えるほどに辛い地獄の時を過ごした。

 

 

(怖い、怖い、怖い、怖い、怖い)

 

 

 寒くなんてないのに体が硬直して動かない。

 不安と恐怖で体が震えるのを止められない。

 恐怖に歯がガタガタ音を立てているのが耳に入ってくる。

 そんな真っ暗な中でくいくいとレミリアの服がひっぱられた。

 レミリアは、恐怖に染まっていた顔をそのままにフランへと顔を向けた。

 

 

「お姉さま、大丈夫?」

 

 

 フランは、穢れを知らないような無垢な表情でレミリアに声をかけた。

 レミリアの幼い心の殻はフランの言葉で容易く決壊する。僅かな時間でした決意など、僅かな時間で崩れ去るものだ。

 心の叫びは一気に外に出ようと流れ出る。

 次第に込み上げてくるものを抑えきれなくなった。

 不安と恐怖が一気に吐き出されて、涙となって溢れ出た。

 

 

「フラン……お父様とお母様がっ……」

 

 

 両親が死んでしまう。両親が殺されてしまう。

 頭のどこかで分かっていた。

 分かっていたのに分からないフリをしていた。

 大丈夫なんて気休めだと。

 どうしようもないのだと。

 自分は庇われているのだと。

 心のどこかで知っていた。

 それを知らない顔をして無視していた。

 だけど―――もう無理だ。

 フランの顔を見ていると、弱い自分が素直になってしまった。

 そして同時に強がる自分が前に出ようとした。

 フランは、普段見ることのないレミリアの弱さを目の当たりにして不思議そうに問いかける。

 

 

「お姉さま?」

 

「……何でもない、何でもないわ。私なら大丈夫」

 

 

 涙を流しながらフランを抱きしめて必死に強がる。今後、フランを支えて生きていくのだと心の中で誓いながらフランの存在を全身で守る。

 

 

「…………」

 

 

 フランは何も言わなかった。何も言わずに姉であるレミリアを抱きしめ返した。

 それは何も分かっていなかったからだろうか。何も知らなかったからだろうか。

 別に分かっていなくてもいい―――抱きしめ返してくれるフランの存在がレミリアの心を癒した。

 この時、真に支えられていたのは抱きしめられていたフランではなく抱き付いていたレミリアだったことだろう。物事を理解できているレミリアは、空きそうになった心の穴をフランで埋めたのだ。

 

 

「私なら大丈夫……大丈夫だから。フラン、貴方は必ず私が守ってみせるわ」

 

 

 レミリアは、外から聞こえてくる悲鳴のような絶叫と歓声が消えてなくなるまでフランを抱きしめていた。

 

 

 

 レミリアとフランは疲れて眠ってしまい、起きたときには次の日の夜になっていた。

 レミリアの瞼がゆっくりと開く。永い眠りからゆっくりと意識を覚まし、地下にある僅かな光を取り入れた。

 

 

「おはよーございます、お姉さま」

 

「フラン……」

 

 

 レミリアの開けた視界に、はにかんだ笑顔のフランの姿が映った。レミリアの視線が腕の中に納まっていたフランの視線と交錯する。

 フランはレミリアよりも前に目を覚ましており、レミリアの寝顔をずっと見ていたようである。

 無垢な笑顔を向けるフランの頭をそっとなでる。フランの目はくすぐったそうに細まった。

 この日以来―――フランに対する過保護っぷりは異常を極めた。

 まだ人間たちがいるかもしれないという恐怖。

 いつ襲ってくるかもしれないという不安。

 そして、両親から託されたフランを守ってほしいという言葉。

 全てが――――上手く噛み合ってしまった。

 

 

「フランを守らなきゃ。姉として妹を守っていかないと」

 

 

 二人は、深夜の真夜中に地下から外に出た。

 階段を上がり、上の階に登る。そして、地上へと繋がる扉をスライドさせて開けると―――目の前に広がったのは全てを失った後の焼野原だけだった。

 思い出も一つもなく、記憶の欠片もなかった。あるのは燃え尽きた残骸だけ。残ったのは燃え上がる思い出だけ。心の中が空っぽになる想いだった。

 フランは、ボロボロになった家を目の当たりにして大声で泣いた。

 

 

「ほら泣かないの。まだ、お姉ちゃんがいるわ」

 

 

 泣いているフランの手を強く握り、歩き出す。フランは歩いている間ずっと泣いていた。

 力なく連れられているフランの足取りはかなり重く、歩幅も小さい。レミリアはフランと歩幅を合わせ、泣きたい気持ちを抑えて前を向いた。

 それでも暫くすると―――フランの手から力が返って来る。

 歩幅も大きくなって、視線が前に向いた。

 進むべき未来へと向いた。

 鼻水をすすりながら歩き出した。

 

 

「フラン、偉いわ。それでこそ私の妹よ」

 

 

 フランが前を向いた。

 同じ方向を向いた。

 たったそれだけのことなのに。

 それだけで―――明日を生きていける気がした。

 二人でなら支え合って、立っていけると思った。

 

 

(フランを泣かせるのはこれが最後よ……二度とこの子を、フランを泣かせたりなんかしない。貴方は、私が守ってみせるから)

 

 

 レミリアは崩れそうになる心をフランに支えられながら、安全な場所を探し、さまよった。時折人間に襲われながら。時折人間に助けられながら。苦しみ、喜び、苦難を乗り越えてきた。

 その結果が―――今の紅魔館へと繋がり、フランを地下に閉じ込めている現在を迎えている。フランを地下へと閉じ込めるという結果に繋がっている。

 

 

「フランを何としても守らないと。どうすればいいのかしら……どうすれば……」

 

 

 フランを守ることを決意したレミリアがフランを地下へと閉じ込めるという行動に出るのはいわば必然だった。

 フランを地下から外へと出してしまった場合、レミリアがフランを守ることは厳しくなる。自由奔放に歩き回られてしまえば、屋敷の外へと出てしまえば、レミリアの目の届かないところに行ってしまったら守ることができなくなる。

 そもそも、まだ幼く力もそれほど強くなかったレミリアに人間が襲ってきたときにできる対処などフランを守りながら逃げることしかなかったのだ。フランを目の届かないところにおくということがどれほど危険なことなのか。それが分かっていたからこそ、レミリアはフランを常に目の届くところにおこうと考えた。

 

 

「力の無い私たちでは、襲ってくる人間に対処する方法がない。人間のいいようにされるだけだわ。お父様、お母様……私はどうすればいいの……?」

 

「お姉さま? どうしたの?」

 

「……何でもないわ。フランは、お姉ちゃんが守ってあげるから安心しなさい。フランを泣かせたりなんかしないわ」

 

 

 レミリアは、この時フランを守らなければならないという使命と人間に襲われたらどうしようという不安と闘っていた。

 休む暇などなく、寝ているときも心の安寧の時が訪れることはない。常に人間から襲われる危険と大切なものを失う恐怖にさいなまれて生活していた。

 

 

「フランを守るためには、やっぱり地下に身を隠させておくのがいいのかしら。お父様もお母様もそうしたのだから、きっとこれが正しい選択肢の一つなのよね」

 

 

 守る方法を考えていた当初―――地下へと身を隠させることによってフランの身を守ろうと考えた。

 フランを地下に隠しておけば、外からの攻撃にさらされる可能性は格段に減少する。一度人間から見逃してもらったという経験則も、その考えを助長する要因となった。

 

 

「なんとか、なんとか生き延びなければ……フランも守らないと」

 

 

 逃げているときにかかるレミリアの精神的・肉体的疲労は凄まじいものがある。

 心には大きな負担が常にかかり続けている。恐怖や不安、責任感に常に襲われている心は、安定を求めるために両親から言われた言葉を自分に都合のいいように書き換えた。

 

 

「フランを守るためには、フランを地下に閉じ込めておかなきゃ……」

 

 

 フランを守ってほしいという両親の想いは、いつの間にかフランを地下に閉じ込めなければならないという別の目的にすり替わった。

 地下に閉じ込めておけば、レミリアの心労は格段に減る。肉体的にも常に見張っておく必要はなく、食事だけを届ければ済む。

 知らず知らずのうちにフランを守らなければならいという両親の言葉の意味は変わってしまった。そして―――フランも両親の言葉を信じて疑わなかった。姉から言われた言葉を素直に飲み込んだ。

 

 その結果が―――今という現実に繋がっている。

 

 フランは両親のいいつけを守り、姉の想いを受け取り、地下へと閉じこもり我慢をしてきた。

 だが、それも今日までのことだ。

 今日全てが解き放たれる。

 フランは、これまでの過去を全てのみ込んだうえで姉妹を縛っている鎖を解き放ちにかかった。

 

 

「お父様とお母様が告げた言葉が私を守る言葉ってことは分かっているわ。分かっていたから私は地下にこもって、お姉さまは私を地下に閉じ込めた。周りから私を守るために、地下へと閉じ込めた」

 

 

 両親から与えられた言葉を律儀に守ってきた。

 両親に言われた言葉を必死に守ってきた。

 外に出てはいけないということが間違っていないと子供ながらに分かっていたから。

 それが大事なことだって子供ながらに分かっていたから。

 送られた言葉が自分を想っての言葉だと分かっていたから。

 他でもない大好きな両親が笑顔を浮かべて伝えた最後の言葉だったから。

 誰でもない家族である姉が自分の身を守ろうとしていってくれた言葉だったから。

 フランの外に出たいという想いは、両親の言葉によって押し留められ、レミリアによって抑え込まれてきた。

 

 

「私は待ち続けたわ。400年以上も許しがもらえるのを待ち続けた。それは、今だって変っていない」

 

 

 両親がいつか帰って来ると信じて、両親が外に出てもいいと言ってくれるのを待ち続けた。

 それは―――今でも変わっていない。許しがもらえる相手が両親からレミリアへと変わっただけだ。

 

 

「そして、それはお姉さまも一緒。お姉さまも私も―――いつだってその言葉に縛られてきた。400年以上も守ってきた。残された言葉は呪いのように漂って、残骸になっても残響となって影響を及ぼしている」

 

 

 両親がすでに死んでいることを悟ったのは、数カ月の間レミリアに地下へと幽閉されていたときである。いくら待っても迎えに来ない両親と、徐々に変わっていくレミリアの態度から両親が消えていなくなったことを自分一人で理解した。

 このとき、フランは縛りを解いてくれる人物を失って外に出る機会を完全に失った。

 だからこそ―――今でも許しがもらえず、立ち往生している。

 しかし―――それも全て終わりだ。

 この瞬間から始まるのだ。

 フランは、真剣な顔でレミリアへと告げる。

 

 

「でも、それも今日で終わったの。500年近く続いた伝統は今終わりを迎える。私達を縛っていた鎖は、今解き放たれるのよ」

 

「フラン! お父様とお母様のいいつけを破ると言うの!?」

 

「約束には有効期限があるのよ。一生続く約束なんてない、永遠なんてないの。捨てる時がいつかは来るのよ」

 

 

 レミリアは、未だに両親から言いつけられた言葉を捨てる様子もなく、大声を張り上げる。未練を残し、想いを残して、抱え続けようとしている。

 だが、肝心のフランには両親に言葉に対して未練が全くない。

 自分で自分を縛っていた鎖が少年によって弾き飛ばされた瞬間から。

 溢れ出る想いで鎖を弾き飛ばした瞬間から。

 フランの想いは――――外に出るという方向を向いて一直線に進んでいる。

 フランは、迷うことなくレミリアの心の中への一歩を踏み出した。

 

 

「……お姉さまも気づいているのでしょう? もう、その言葉に意味が残っていないことを」

 

「それは……」

 

 

 レミリアがフランの言葉に言い淀む。

 レミリアも両親が与えた言葉の意味が消え失せていることはうすうす感じている。

 今のフランを閉じ込めておくことに、フランを守るという意味がどれほど含まれているだろうか。

 レミリアは、フランから指摘される前から両親が口にした言葉を自分の都合のいいようにはき違えていたことをなんとなしに分かっていた。

 

 

「それでも、それでもよ! もう、私には何もないの! 私にはこの言葉しかないのよ!!」

 

 

 それでもなおフランを地下に閉じ込めることを止められなかったのは、その時すでにレミリアの心に残っているものが何もなかったからだ。

 

 

「時間の経過と辛い記憶は、両親との楽しかった記憶を根こそぎ奪っていった。忘れたくなんてなかったのに、両親のことが何も思い出せない。残された言葉―――それ以外に思い出せない。そのことを悔やんで。だから、それだけはと思って守ってきた」

 

 

 両親との思い出が荒みきって見つからなかったから。

 両親との思い出が何一つ残っていなかったから。

 思い出せる最後の残骸が―――その言葉だけだったから。

 両親の面影は時間の流れとともに風化した。数十年もの間両親と一緒だったといっても、数百年におよぶ孤独と恐怖、不安に押しつぶされて生きてきた二人である。

 記憶はより強い記憶によって、より鮮烈な記憶によって書き換えられていく。楽しかった思い出は次々と姿を消し、辛い思い出ばかりが深く刻まれる。いつだって辛い記憶が先行し、楽しかった記憶は後退していった。

 思い出の中にいた両親は姿を消して、外に出てはいけないという恐怖によって取り付けられた最後の言葉が頭に残って存在感を増した。ふと思い返そうとしてみれば、いつの間にか、思い出せる言葉がそれ以外に見つからなかった。

 いつの間にか―――両親の顔も思い出せなくなっていた。

 

 

「お姉さまの言いたいことも分かる。私達姉妹には……お父様とお母様の記憶を思い出そうとしても、その言葉しか残っていなかったから」

 

 

 全て思い出せなくなった二人だったから―――余計に言葉だけが残って残響を奏でた。

 けれども―――音はすでに鳴り止んでいる。聞こえているのは幻聴に過ぎない。

 

 

「でも、外に出ると危険という言葉には―――もう何も残っていないわ。時間が全てを無意味に変えていった。私たちはあの頃の力の無かった二人じゃない、弱かった私達じゃないもの」

 

 

 危険だから外に出てはいけないという言葉の意味は、今となっては皆無だ。

 両親の言葉は力の弱いレミリアとフランを守るためのもの。レミリアとフランは、時を経て大きな力を得ている。幼かったままのスカーレット姉妹ではない。

 

 

「もう、怖がらなくてもいいのよ。私たちは自由になれる。もっと遠くへ飛んで行けるわ。見たことのない景色を、感じたことのない想いを手に入れられる」

 

 

 怖がらなくてもいい。幻想郷には外の世界と違って人間から討伐を受けるような流れが基本的に存在しないし、紅魔館へと攻め込んでくる人間はいないといっても過言ではない。そもそもが、スカーレット姉妹を打ち倒せるだけの人数を準備できないのだから。

 

 

「それに、今だったら美鈴と咲夜とパチュリーがついている。私達は二人だけじゃない」

 

 

 そして、何よりもあの頃と違って―――二人ぼっちじゃない。分かり合える人がいないわけでも、味方がいないわけでもない。

 紅魔館は、別にレミリアとフランだけで構成されているわけではないのだ。今ならば、美鈴と咲夜とパチュリーも味方に付いてきてくれる。

 二人きりだったスカーレット姉妹には多くの仲間がついている。何も心配することなんてなかった。

 レミリアの口は堅く閉ざされ何も言葉を口にしない。

 フランは、口を閉ざし、声を出そうとしないレミリアに向けて疑問を口にする。

 

 

「……お姉さまは、本当に思い出せないの?」

 

 

 記憶に僅かに残っている両親のことを語る。何も残っていなかったはずの記憶を辿り、古びて錆びきった記憶の欠片を拾い上げる。

 

 

「自由を縛って、空を見上げて、羨望だけを募らせる。こんな生活をお母様もお父様も望んでいない。お姉さまは、そんなことまで分からなくなるほど、お母様やお父様のことを忘れてしまったの?」

 

 

 フランは、無くなったと思っていた記憶の欠片を心の中から探し出した。少年によって一新された心の中で、怒りや狂気に埋もれていた両親との優しい記憶を見つけ出した。

 フランの心の中には、確かに幼かった時の記憶がまだ残っている。両親と過ごした温かな日々が想起される。それはきっと、少年がくれた温かさが見つけてくれたものだ。あの包み込むような温かさが思い出させてくれたのだ。

 フランは、記憶の中にいる両親の面影を誇る、自慢の両親だということを誇示する。

 

 

「お母様もお父様もいつだって自由で、いつだって楽しそうにしていたわ。最後の最後だって……死ぬ間際まで笑顔だったもの」

 

 

 フランの記憶の中の両親の最後の表情は笑顔だった。

 自分を怖がらせないためだったのだろうか。

 自分を安心させるためだったのか。

 それは分からない。

 けれど―――これだけは言える。

 危険だから外に出てはいけないという言葉は、両親の‘笑顔と共に’送られた言葉なのだと。

 

 

「だからここで破るの。約束を、決まり事を―――拒絶するの」

 

 

 フランは、自らの決心と共にそっと頭を下げてレミリアに最後のお願いを申し出る。

 

 

「お姉さま、私に外に出る許可をください」

 

「嫌よ! 絶対に嫌!」

 

 

 レミリアの顔が勢いよく横に振られる。聞き分けのない子供のように、駄々をこねるように、感情的な想いからフランの要求を拒否する。

 頼まれた程度で捨てられるのならばとうに捨てている。フランとレミリアで違うのは、記憶の中の両親を見つけられているかどうかの違いだろう。

 ここで両親のいいつけを破ってしまえば、これまでが何だったのか分からなくなる。いいつけを無視してしまえば、レミリアの頭の中の両親の姿が完全に見えなくなってしまう。ここで両親の言葉を捨ててしまえば、両親との思い出が何一つ残らなくなる。

 レミリアにとって、それが何よりも耐えられなかった。

 

 

「そんなことをしたら、私には何も残らないじゃない!!」

 

「聞き分けがないわね……お姉さまは、私をこのまま地下に閉じ込めておくの? 一生? 死ぬまで? 私は何処を見て歩けばいいの? 一生地べたを見て生活するのかしら?」

 

「……それでも嫌なのよ! 何もかも残らなかったら、まるで最初からそんなものなかったみたいじゃない!」

 

 

 レミリアはここまで来てもフランが外に出ることを認められなかった。残っている最後の言葉を失ってしまったら―――何もなくなってしまう。何もないということは、最初から全部幻想で、作り話のような気がしてしまう。

 両親なんて最初からいなくて。

 優しくしてもらったことも実は嘘で。

 現実には、そんなものありはしなかったのだという虚実が心を巣食ってしまう。

 それだけは嫌だった。そうなることだけは受け入れたくなかった。

 

 

「なによそれ。そんな言い訳で私が納得できると思うの?」

 

 

 フランの表情が理由もなく嫌とだけ言うレミリアに対して怒りの色に染まる。

 レミリアの言動は余りにも自分よがりで、フランのことを何も考えていない。危険だから外に出てはいけないという言葉は、フランが行動の全責任を負うだけの一方的な言葉である。レミリアには何一つ不利益も損害も責任も苦痛もない。フランが全てを背負って、レミリアを支えているだけだ。

 それは不公平だ―――お互いを支えるはずの家族の形じゃない。

 フランは、レミリアに向けて苛立ちを隠せない様子で条件を突きつける。

 

 

「だったら私と一緒に苦しんでよ! 一人でいる孤独の毒を味わってよ! 私と同じように500年近くを地下で過ごして! それなら……きっとまた我慢できるから。一緒に苦しんでくれるのなら、きっと辛さが半分になるわ」

 

「…………」

 

 

 レミリアは、フランの台詞を聞いて言葉に詰まった。

 フランと同じ状態になるということは自由を失うということ、耐えるだけの生活を送るということである。なまじ外の世界のことを知っているがために、今の生活を知っているがために、持っているものを捨てることができない。恵まれている者は今の利便性を捨てることができない。

 フランは、答えることができないレミリアに呆れた。

 

 

「お姉さまには、そんなことできないのでしょう?」

 

「…………」

 

「いいわ、当然だもの。分かり切っている答えだったわ。別に私と一緒に苦労してくれる気持ちもない癖にいい加減なこと言わないでなんて思っていない」

 

 

 フランの口から遠慮する様子もなく毒が吐き出される。

 レミリアは、フランの余りの言い草に何も言い出せず、顔を赤くしてプルプルと震えていた。それでもなお何も言えないのは、それが正論だったからに他ならない。

 レミリアはあくまで実行者でなく、横で応援しているだけの存在で、行動に移すのはフランなのだから。自分ができないことを他人に押し付けるなという話になるのは当然のことだった。

 フランは、そっとため息を吐くと気持ちを落ち着けてレミリアに語り掛けた。

 

 

「はぁ……お姉さま、私は別にお母様とお父様のことを忘れろって言っているわけじゃないの。言葉の意味をはき違えるなと言っているのよ」

 

 

 元来の両親の言葉の意味―――危険だから外に出るなという言葉の本来の意味をレミリアへと問いかける。

 

 

「危険だから外に出るなという言葉は、何のための言葉なのかしら?」

 

「……フランを守るための言葉よ」

 

 

 力ない声が空間に響く。

 レミリアからの口から告げられた言葉は、両親の言葉の本当の意味を捉えていなかった。本来の言葉の意味としてはレミリアも含まれているはずであるのに、レミリアの口からはフランの名前しか挙げられていなかった。

 

 

(お姉さま、その言葉は―――本来私達姉妹を守るもののはずでしょう? 私たち二人を守るためのものでしょう?)

 

 

 誰に向けられた言葉なのか―――レミリアは自覚していない。言葉をはき違えているという意味がそこに現れていることを知らない。

 

 

(お姉さまは本当にはき違えてしまったのね。きっと私のせいだわ。私が弱かったから、私が守られる存在だったから……だったらそれも全部受け止めましょう。これからを歩くために―――お姉さまに私の素直な想いを伝えるだけよ!)

 

 

 フランは、レミリアの答えを聞いて声を張り上げる。

 

 

「だったらっ! お姉さまが私を守ってよ! 地下に閉じ込めるという力の無かった時の方法じゃなくて、力を持っているお姉さまが私の手を引っ張って!」

 

 

 今まで伝えられなかった思いのたけを全て吐き出す。絶叫のような心の震えを体現するように声帯を揺らして想いを伝搬させる。

 

 

「その手で私を助けてよ! 私に手を差し伸べてよ! 本当の私を見つけてよ! 私の心を救ってよ!」

 

「フラン……」

 

「もう、これ以上の我慢は無理なの。みんなが普通に生活している中で、閉じこもって、一人で、一人で―――何処まで行っても一人で……待ち続けるだけの生活なんて無理なの!」

 

 

 レミリアの視界に瞳に涙を溜めるフランが映る。手を強く握り、強がることもなく心の弱さを露呈させているのが見て取れる。

 初めて聞いた―――フランが地下にこもっていて感じていた想いを真っ直ぐに受け取った。

 瞳に映るフランの頬を涙が流れていく。悲しそうな顔で純粋な想いをこめて、涙は地を濡らした。

 レミリアは、涙を流すフランを見て完全に固まった。

 

 

「誰も手を差し伸べてくれない。誰も助けてくれない。内に溜まりはじめる狂気は、どんどん大きくなる。私が……私じゃなくなるみたいだった。もう、これ以上は無理なの。私が私ではなくなってしまうわ……」

 

 

 フランは、誰も助けてくれない状況の中で耐えてきた。耐えられたのはきっと約束があったから。約束が心を必死に制御してきた。

 しかし、大きくなってくる負担に対してフランの心が永遠に耐えられるはずもない。いつか崩壊を起こし、平常を保っていられなくなる。

 フランは心の叫びのまま、心が泣いている気持ちのままレミリアに最後のお願いをする。

 

 

「だから、お姉さまっ! 私に外の世界を教えて。外の世界に連れて行ってよ!!」

 

(なんで……私)

 

 

 レミリアは、心が完全に折れる音を聞いた。グングニルの槍が供給される魔力を失って形を保てなくなり、淡く消えていく。

 フランの瞳から流れる涙は止めどなく流れる。人間に家を焼かれてしまったあの日の夜のように、両親が死んでしまったあの時と同じように―――泣いている。

 

 

(フラン……どうして泣いているの?)

 

 

 レミリアは、今にも崩れそうになっているフランを見て過去に誓った想いを思い出した。

 

 

(あの時、フランを泣かせないって決めたのに……私は何をしているの? どうして私がフランを泣かせているの?)

 

 

 レミリアの頬を一筋の涙が流れる。妹を泣かせないと、守り抜くと誓ったあの日の誓いは破られることによって想起された。

 過去に歩いた道のりが頭の中をめぐる。姉妹で生き抜いてきた思い出が一気に思い出される。

 辛いこともたくさんあった、それでも二人だから生きてこられた。

 二人だから支え合って生きてこられた。

 フランの命はレミリアによって守られてきた。

 レミリアの心はフランによって守られてきた。

 なんで、どうして―――こんなことまで忘れていたなんて。

 レミリアは涙をふき取ることもなく、謝罪をしようと口を開いた。

 

 

「フラン、ごめんなさ」

 

「それ以上言わないで。私は、お姉さまに謝ってほしいわけじゃないわ。お姉さまには私を外へ連れ出してほしいの」

 

「……ふふっ、我儘なのは昔と変わっていないのね。昔からお転婆姫には手がかかるわ。お父様もお母様も苦労していたのよ」

 

「それでも、お姉さまは私のお願いを聞いてくれるでしょう?」

 

「もちろんよ。姉である私がフランの期待に応えないわけがないでしょう?」

 

 

 レミリアは、涙を流したまま昔と何も変わっていないフランと共に優しく笑った。

 今からでも間に合うかな。

 一緒に未来を作っていけるのかな。

 フランは許されて。

 レミリアも許された。

 お互いの顔にもう後悔の色はない。

 お互いに涙をふき取り、笑顔を浮かべている。

 レミリアは縛られていた鎖を解き放ち、穏やかな気持ちでフランへと歩み寄る。

 フランは近づいてくるレミリアに向けて掌を表にしてそっと手を差し出した。

 ああ、守るべきはこの手だった。

 この手を引いて、守っていくと決めたのだ。

 レミリアは、差し出されるフランの手を見て自分の右手をゆっくりと前に出し、重ねようとする。

 

 

「フラン、ちょっと遅くなっちゃったけど、また一緒に付いてきてくれるかしら? 私と手を握ってくれるかしら?」

 

「私は、お姉さまと一緒ならどこまでだって行けるわ。地の果てだって行ける。昔からずっとそうだったでしょう。私たちは、二人でスカーレット姉妹なのかだから」

 

 

 昔と同じようにレミリアがフランの手を引き、外を歩く。

 そんな未来がきっとまた始まる。どこまでだって未来を描いていける希望が、この手に詰まっている。

 レミリアは、心に光を持って手を取ろうとした。

 

 

 その瞬間―――爆音のような響きと共に、天井が崩れ去った。

 

 

「フラン!!」

 

「えっ!?」

 

 

 レミリアは、勢いよくフランへと飛び込むと覆いかぶさるようにしてフランに抱き付く。上から落ちてくる瓦礫からフランを守るために脊髄反射的に体が動いた。

 フランは、唐突なレミリアの行動に何も反応できず、覆いかぶさるレミリアの優しい顔を見ながら目を丸くする。眼前に映るその顔は、両親が最後に魅せてくれた顔によく似ていた。

 

 

 ―――部屋の中に轟音が響き、土煙が巻き上がった。

 

 

 

 

 

 

「……あれ? 痛くない?」

 

 

 レミリアは、痛みが襲ってこない状況に強く閉じていた瞼を開けた。

 視界から得られる情報を脳内で処理する。先程まで部屋の中央にいたのにもかかわらず、部屋の隅の方へと移動している。落ちてきたはずの瓦礫も中央にはなく、遠くの方へ飛んで行って吹き飛ばされていた。

 

 

「お嬢様、妹様、ご無事で何よりです」

 

「戻ってきて正解だったわね」

 

「咲夜ぁ! パチェ!」

 

 

 レミリアは、唐突に響いた声に反応して声の方向に顔を向けた。

 入り口付近には本を開いた親友の姿が、すぐ隣には余裕を持った表情のよく見知った顔があった。

 レミリアは、今にも泣きそうになりながら咲夜に抱き付く。

 咲夜は仕方がないですねと言わんばかりに、レミリアを抱きしめ、そっと背中をぽんぽんと叩いた。

 

 

「天井が落ちてくるなんて、一体何があったのというの?」

 

 

 パチュリーは、穴の開いた天井を見上げる。

 その時、ある人物の口から漏れた言葉が部屋の中に響き渡った。

 

 

「きれい……」

 

 

 フランは、視線を惹きつけられるように天井のある一点を凝視している。

 パチュリーは、言葉を失い固まった。

 レミリアと咲夜の視線がフランの視線に誘われるように天井へと向けられる。

 天井は、先程何かが当たった衝撃で崩れ落ちており、外の景色が見えるようになっていた。

 

 

「何よ、あれ……」

 

 

 レミリアと咲夜の視界に入ったのは―――月をバックに添えた黄金色に輝く神々しい九尾の姿だった。




今回のお話は、レミリアとフランと両親と約束の話になっています。
最初にフランが地下に閉じこもっている設定を目にした時、前話でも書きましたが、400年以上閉じこもるなんて善意や思いやりがないとできないことだと思いました。その結果が、今回の話になっていますね。
この話は、上手く少年の場合と比較してくださると面白いと思います。決まり事を破ったフランと決まり事を破れない少年。決まり事を守りたいレミリアが、より大事なもののために決まり事を破る。どちらも少年には、できない芸当です。そして、できるようにならなきゃいけないことですね。

最後に随分ともったえぶって登場した人物がいますが、次回は少年の方で何があったのかの話になります。


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