ぶれない台風と共に歩く   作:テフロン

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似ている生き方、違った生き方

 フランの口から心を縛っている言葉がついに吐き出された。

 

 

「危険だから、外に出ちゃいけない……」

 

 

 外に出るという行動は誰かと戦って勝つのとは違う。争う相手はそんな分かりやすい相手ではない。戦う相手は自分自身だ。外に出るという行為を止めようとする、制止しようとする心との勝負になる。

 そして、フランはそこでいつも躓いている。伸びる足が重みを持っているため、前に進めなくなっている。

 

 

「フランは、いつだって外に出ることができた」

 

 

 フランが外に出ることができないのは、紅魔館の住人がフランに対して外に出てはいけないという言葉を投げかけていることが原因ではない。周りの人間がフランを縛っているのではない。周りの人間に行動を止められているから出られないわけではない。

 あくまでも―――フラン自身が外に出てはいけないのだと思っていることが自分を縛っているのである。

 

 

「フランを拘束している鎖を壊せるのは、それをかけたフランだけだよ?」

 

 

 フランが紅魔館の外に出るためには、外に出てはいけないと思っている心を解き放つ必要がある。自らを縛っている鎖を断ち切る必要がある。

 

 

「僕も手伝いはしてあげられるかもしれないけど、何よりもフランの気持ちが鎖を断ち切る原動力になる。フランはどうしたいの? フランの気持ちは、どこにあるの?」

 

「私の気持ち……」

 

「フランに繋がれている鎖は、前に出ようという気持ち―――外に出たいという気持ち次第で一瞬にして断ち切れる」

 

 

 フランは今すぐにでも外に出ることができる。出たいという気持ちを、自分を縛っている言葉を振り切れば、外に出ることができる。そんな選択ができる未来がある。

 ―――それが少年にとって何よりも羨ましかった。

 

 

「僕は、フランが羨ましい」

 

「え?」

 

 

 羨ましいという言葉にフランの表情が唖然となる。

 羨ましいという言葉は―――今まで一度も言われたことのない言葉だった。

 何が羨ましいのだろうか。

 私は、和友の方が羨ましいのに。

 そんな疑問を吐き出そうと口を開きかけたとき―――少年からその理由を告げられた。

 

 

「自分で鎖を断ち切れるフランが羨ましい。誰かのためにと思わなきゃ生きていけない自分と違って、自分のために足を踏み出せるフランが羨ましい……」

 

 

 フランは、少年と違って自分を縛っている言葉の鎖を断ち切れる。自分の力でそれを乗り越えられる。

 それは―――少年にはできないことだ。決まり事に縛られて生きている少年は、決まり事を破ることができない。

 誰かが普通に生きていくために自分を縛り続けてきた少年に、今更自分のために生きることなどできやしない。自分のために周りに悪影響を与えることが肯定できない。

 少年の進む道は一つしかない。歩む方向は決まってしまっている。

 そんな少年にとって自分の力で解き放つことができるフランの状況は、羨ましくてたまらなかった。選択肢を自分で選べるフランが何よりも羨ましかった。他人よりも自分を選ぶことができるフランが何よりも羨ましかった。

 

 

「和友にはできないの?」

 

「僕にはできない。僕はもう選んでしまったから。今更選択肢があるわけでもない。選ぼうとしていないわけじゃないけど、選ぶ選択肢が一つしかなかったから」

 

 

 自分がそうだから―――フランには自分がやりたいようにやってほしかった。

 

 

「だからこそ、フランには鎖を振りほどいて外に出て欲しい。僕ができないことを、僕のできない方法で、僕が見たことのないものを見て欲しい」

 

 

 少年は、真剣なまなざしを向けてフランの名前を呼ぶ。

 

 

「フラン」

 

「何?」

 

「もう、終わりにしない? ずっと我慢するのも、ずっと夢を見るのも、ここで終わりにしない?」

 

「でも……」

 

「フランは、きっとどこかで溢れ出る気持ちを抑えられなくなるよ。これまでだって、そうだったんでしょ?」

 

 

 フランの心は、もうそろそろ許容量を超えて感情が溢れそうになっている。フランが何年もの間ここで生活してきたのかは分からない。これからも心が堪え切れる可能性だって零ではない。

 しかし、心の動きに機敏な少年にはフランの心がもうすぐ破裂するのが見えていた。

 これまでも、心の中に溜まっていく感情の圧力を下げるために、漏れ出した怒りや鬱憤が噴出している。癇癪を起こすという形で消費している。

 しかし、どう考えても消費よりも充填の方が早い。規模はどんどん大きくなる。そして、最後には―――後悔することになる。

 

 

「みんなが危険だって言うのは、そういうときのフランしか見ていないからだよ」

 

 

 フランと密接に関わっている人物はいない。部屋に閉じこもっているフランを見に来る者はおらず、食事を一緒に取る者もおらず、基本放置の方針を取っている紅魔館において、関わり合いを持っている人物はいないと言っていい。

 見るのは―――いつだって癇癪を起こし、暴れているときだけだ。情緒不安定だと思われても仕方がない。暴れているフランしか見ていなければ、その人にとってのフランはそこで完結してしまうのだから。

 

 

「実際にこうやって話してよく分かった。フランは、僕とよく似ている」

 

 

 少年は、実際に話してみることで自分とフランがよく似ていると思った。

 選んだ選択肢が少し違っただけ。

 取り巻く環境が少し違っただけ。

 周りの人間が少し違っただけ。

 産まれてくる場所が少し違っただけ。

 少し違っただけの、同じ生き物だ。

 

 

「もう、理由をつけて鳥かごの中に閉じこもるのは終わりにしよう? フランの人生は、ここで閉じこもるためのものじゃないだろ? その羽だって空を飛ぶためのものなんだろう?」

 

 

 少年は、フランに閉じこもっている鳥かごの中から飛んで欲しいと心から懇願する。

 自分が決してできないことをできる状況にあるフランを想って。

 決して飛び立つことのできない状況にある自分を想って。

 自分の気持ちに真っ直ぐに。

 自分の気持ちに素直に。

 飛んで欲しいと―――願う。

 

 

「不自由の中で自由を探す時間はもう終わりだよ。これからは自由の中で不自由を感じるべきなんだ」

 

 

 少年は、全てが許されたような笑顔を浮かべた。

 

 

「フランは、僕と違って自ら作った檻の中から飛び出せるんだから」

 

「和友は、外に出られないの?」

 

「僕は出られない。僕を繋いでいる鎖は一本じゃないから。数えきれないほどの鎖が僕を縛っている。僕はもう、自力じゃ外には出られないんだ」

 

「そうなんだ……」

 

 

 少年には行動を縛っている約束事や、綺麗に引かれた境界線を突き崩すことができない。さらに言えば、大きくなりすぎた心を引っ張っていくことができない状況にある。行動は常に心に縛られ、身動きが取れなくなっている。

 

 

「それに、今更その生き方はできない気がする」

 

 

 誰も自分を見つけることができない。

 自ら鎖を取り外すこともできない。

 自ら助けを呼ぶこともできない。

 ――――何もできなくなってしまった。

 動いても変わらなかった。

 動いて何かが変わってしまった。

 だから、余計に動けなくなった。

 だけど―――フランはそんな自分とは違う。

 縛られているのは自分だけで。

 縛っているのも自分だけだ。

 だったら、自分を変えてあげればいい。

 飛び立つための意志があれば、いつだって飛んで行ける。

 助けを求めるために叫ぶことで、誰かが助けてくれる。

 

 

「だから、フランには外に出て欲しい。外に出た時の景色を僕に教えて欲しいんだ。その時の気持ちを僕に伝えて欲しいんだ」

 

「……分かった、私が見た景色を和友に教えてあげる」

 

 

 フランの口から了承の言葉が出てきた。自分の心に少しだけ素直になって前に足を進める覚悟ができた。

 

 

「私ができることをやってみる」

 

 

 フランは、ベッドから立ち上がり、扉の前まで移動する。小さな手が扉を開けるために取手へと伸ばされる。

 しかし、伸ばされた手はゆっくりと重力に従い地面へと落下した。

 

 

「でも、こうやっていざ外に出ようと思うとやっぱり怖いわ。いつもだったら怒りに任せて暴れているから特に何も考えてなかったけど、改めて外に出るために行動しようとすると……」

 

「怖いの?」

 

「怖いわ……きっと、こんな私を誰も許してはくれないだろうし……」

 

 

 もしも、外に出ることに失敗したら。

 もしも、外に出ることによって酷い目にあったら。

 もしも、外に出てしまったことで居場所が無くなってしまったら。

 これから起こす行動は、これまでの苛立ちを解消するだけの暴走ではない。明確な理由をもった、確かな目的を持った行動になる。突発的なものではなく、意志のある行動になる。だとすれば、何か罪に問われてしまうかもしれない。大きなものを失ってしまうかもしれない。そう思うと―――体が固まって動けなくなった。

 少年は、扉の前で立ち止まるフランに向けて声をかける。

 

 

「大丈夫、僕が君を許してあげるよ。もしも、全てを失ったら僕の所に来ればいい。責任はある程度取るから」

 

「ふふっ、ある程度というあたりに和友らしさがあるように思うわ」

 

「僕には、全部を任せてと言えるだけの甲斐性はないから」

 

「だったら、その時はお願い」

 

 

 フランは、力の抜けた表情で笑う。

 笑ったことで力が抜けた。

 目的が頭の中ではっきりしてくる。

 視界は酷く鮮明だ。

 余裕がある。

 行かなければ―――変わるために。

 ―――変えるために。

 フランの視線が向かうべき扉へと移った。

 

 

「それじゃあ、行ってくるわ」

 

 

 少年から扉の奥へと進もうとするフランへとすかさず声がかけられた。

 

 

「フラン、ちょっと待って」

 

 

 少年から見たフランの背中には、まだ鎖がついているように見えた。未だにフランの体全体から重苦しい雰囲気が溢れ出している。このままでは外に出るという行動は上手くいくような気がしない。

 気持ちと結果は、えてして比例する。

 想いの大きさと行動の大きさは、えてして比例する。

 少年は、フランの背中を後押ししようと声をかけた。

 

 

「何も一人で戦わせやしないさ。君の背中は僕が押してあげる」

 

「和友に何ができるの? これ以上私に関わると死ぬかもしれないわよ」

 

 

 フランの視線が再び少年へと戻る。怪訝そうな表情は、少年にこれ以上関わるなと言っているようだった。

 

 ―――何ができるのか。

 何度その言葉を聞いただろうか。

 僕は、何もできないかわりに何だってできる。

 他のみんなと違って、何をやれば最も成功率が高いかなんて分からないから。

 決まりきった行動がないから。

 なんだってできる。

 少年はうっすらと笑い、口を開いた。

 

 

「何をしても死ぬ可能性がつきまとうのに今さら何を言っているんだよ」

 

「それもそうね」

 

 

 少年の罪は今の時点で―――フランを外に出させようとした時点でかなり重たい。特にこれまで抑え込んできた紅魔館の住人からの怒りは凄まじいものになるだろう。だったら、これから手伝ってもそれは変わらないはずである。

 少年は、膝を伸ばして立ち上がると扉の近くにいるフランへと近づき、ある提案を持ち掛けた。

 

 

「僕はフランの味方だから。僕ができることをするよ」

 

「何をするつもり?」

 

 

 フランから見れば、これからの行動に対して少年に何ができるのか分からない。戦うにしても、人間である少年にできることなど何もなかった。

 

 

「ここに刃物ってないかな?」

 

「果物ナイフなら」

 

 

 そんなものでどうするのだろうか。まさか果物ナイフで戦おうとはしないだろうと思いながらも、地べたに転がっていた果物ナイフを少年に手渡す。

 若干刃が汚れている。放置していた期間はどのぐらいだろうか。もう、いつからあったのかも分からないほどに記憶は荒んでいた。

 少年は、フランから受け取った果物ナイフを手でさすりながらフランへと尋ねた。

 

 

「フランは、吸血鬼なんだよね」

 

「さっきも言ったけど、そうよ」

 

 

 フランは、今更どんな話をするのかと少年の言葉を集中して耳を傾ける。

 次の瞬間―――フランは耳を疑う言葉を耳にした。

 

 

「だったら、僕の血を飲み込んでほしいんだ」

 

「……正気なの?」

 

 

 フランの目が信じられないということを表現する。

 吸血鬼に血を吸われるということはそのまま眷属になるということ、人間を止めるということなのである。

 それを―――簡単に言ってくれる。

 少年は、残念ながら冗談を言うタイプではない。いつだって本気で物事を口にする。

 

 

「僕はいつだって正気だよ」

 

「……本当に変わった人間なのね。嫌だけど、あいつが和友を呼び寄せたのがなんとなく分かる気がするわ」

 

「僕の一部を連れてってくれたらと思ってさ。さすがに腕とか内臓とか持ってかれると困るけど、血ぐらいならいいかなって」

 

「うふふ、本当に変わっているわ」

 

 

 連れてってくれたら―――か。持っていく、連れていくという言葉は、一緒に行くという言葉とは異なる。つまり、少年は別段人間を止めるということを言っているのではないのだ。フランは、少年の意図を読み取った。

 

 

「よっと」

 

 

 手にしている果物ナイフで親指の先を切り付ける。切り傷の入った親指の腹に真っ赤な線が生まれた。真っ赤な血が沸騰するように溢れ出し、表面張力によって留まっている。

 少年は、フランに血を見せつけるようにして手を差し出した。

 

 

「さぁ、どうぞ」

 

「なに、これ……」

 

 

 フランの口から力ない声が漏れる。

 心臓が激しく鳴り響いている。

 口の中が異様に乾いてくる。

 目が少年の内から溢れ出す血から離せない。

 視線を逸らすことができない。

 そして、体が勝手に少年の血へと惹きつけられるようにふらふらと足が歩み始めた。

 

 

「フラン、口を開けて、上を向いて」

 

 

 フランは少年の指示に従順に従い、少年のすぐそばでひざを折り、真上を向く。そして、ゆっくりと口を開いて血を飲み込む準備を整えた。

 血の滴る親指が真下に向けられる。

 後は重力が自然に落してくれる。

 フランは、少年の言葉を耳にしながらはやる気持ちを押さえつける。今すぐにでも少年の血が滴っている親指へと飛び掛かりたい衝動を抑え込む。

 少年は、語り掛けるようにフランに言った。

 

 

「これから僕は祈りの時間に入る。困った時に、苦しい時に、神様に頼む、お願いをする。他人よがりの神様だよりかもしれないけど、きっとそれも間違っていない。あの時の僕もきっと間違っていなかった。間違っていなかったから今の僕がいる」

 

 

 そっと過去を思い返す。神様に対して必死にお願いをしたころの記憶を、誰かに助けを求めていた時の記憶を思い出す。

 

 

「強い祈りはきっと相手に届くから。強い想いはきっと伝染するから。だから―――フランには、今だけ僕にとっての神様になってもらいたい」

 

 

 少年が言い終わるのと同時に血が重力に従って空中に飛び出す。

 向かう先はフランの口の中。

 一瞬の出来事だった。

 口の中へ入り込んだ血は、フランの体の中に溶け込んでいく。

 少年は、そっと呟くように言葉を口にした。

 

 

「どうか―――僕の願いを叶えてください」

 

 

 強い願いは必ず届く。

 少年の両手が合わさった瞬間―――部屋の中が真っ白な光に包まれた。

 


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