ぶれない台風と共に歩く   作:テフロン

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フランという少女に初めて出会った。
二人きりで話したいという少年を止めるパチュリー。
そのやり取りに笑う少女。
少年は、自分の意志を押し通し、対談に成功する。


自由にならない想い、縛りつけた言葉

 どうしてこんな会話になってしまったのだろうか?

 会話とは2人以上の人間で行われるもの。

 お互いがお互いの意見を交わすもの。

 それなのに、一方的に話をしてしまっている。

 自分の感覚のことばかり話してしまっている。

 今は二人で会話をしているのだ。

 お互いのことを、お互いが理解し合うための会話をしているのだ。

 相手のことを知り、自分のことを教える。

 それが相互に行われる会話の形だろう。

 先程まで何を話そうとしていたのだろうか。

 何を話している途中だっただろうか。

 ああ、そういえば自分の名前の呼び方を話しているところだった。

 少年は、会話の方向を制御しにかかった。

 

 

「話がそれちゃったな。僕のことは笹原って呼ぶか和友って呼んで」

 

「それじゃあ……和友って呼ぶ」

 

 

 名前の議論は終わりを告げた。

 次はお互いが気になっていることを、話したいことを話す番である。

 会話の内容は縛られていない。レミリアからこういう話をしなさいと言われたわけでも、こういう話をしてはいけないと禁止されているわけでもない。

 話題は何でもいい。

 気になることを何でも聞いていい。

 自由に思ったことを口から出すだけの場だ。

 少年は、差し迫るように自分の好奇心をフランへと押し付け始める。これまでの紅魔館での話から気になっていたことや、この部屋に来てから感じた疑問などをフランに向かって問いかけた。

 

 

「フランは吸血鬼なんだよね? 吸血鬼って妖怪と何が違うの?」

 

「私、外に出たことがないから妖怪については分からないけど、きっと血を吸うか吸わないかぐらいしか違いがないんじゃないかな?」

 

 

 フランは、持ち合わせている僅かな知識を使って少年の質問に答えた。

 しかし、フランの答えに納得できていないようで、少年の口から唸るような音が漏れ出す。

 

 

「んー、でも妖怪も人間の血肉を食べるから」

 

「食べるのと吸うのは違うわ」

 

「うーん」

 

 

 フランの回答に少年の頭が横に傾く。悩みこむように頭をかしげている。

 何が違うのだろうか。

 食べると吸うの間にはどんな境界線があるのだろうか。

 血を食べるという表現と血を吸うという表現は、血をお腹の中に入れるという意味では同じである。結局食べてしまえば、お腹の中に入って吸収されるのであれば、同じことではないのだろうか。

 

 

「結局のところ、お腹の中に入るという意味では同じなんじゃないの?」

 

 

 生きるために食べる。

 生きるために吸う。

 妖怪であっても、吸血鬼であっても、人間の何かをお腹にいれるという意味では同じだ。

 存在するために人間が必要という本質は変わらない。

 

 

「生きていくために人間が必要ってことなんだよね? 妖怪と同じじゃないの?」

 

 

 妖怪と吸血鬼は、同じではないのか?

 妖怪と吸血鬼は、区別するべきか、識別する必要がないのか。

 

 少年は、両者の違いが定義できずに頭を悩ませていた。

 フランは、少年にどう伝えれば理解してもらえるのか、必死に考えを巡らせる。

 こんなこと考えたことも話したこともない。ましてや、かみ砕いて説明したこともない。

 けれども、分かってもらいたい。吸血鬼と妖怪は違う生き物なのだと、分かってもらいたかった。

 

 

「そうね……こう、言っていてなんだけど蚊が血を吸うのと同じよ。血だけを目的にしていると言っていいわ。周りの肉とか骨はどうでもいいのよ。血だけあればそれでいいの」

 

 

 フランは、一生懸命身振り手振りを加えながら少年に説明する。自分の知っている数少ないことを、感じていることを、考えていることを少年へと伝達する。

 フランが言葉を重ねるたびに少年の手がノートの上で踊る。ノートにすらすらと情報を書き込んでいる。

 吸血鬼という情報とフランという存在を噛み合わせるためには、妖怪と吸血鬼の違いは絶対に必要な情報だ。

 フランが少年に説明した後―――少年の口から満足げな言葉が発せられた。

 

 

「へぇ、なるほど。吸血鬼ってそんな感じなんだ。じゃあ、妖怪は人間の肉や骨まで必要としているけど、吸血鬼は血だけでいいってことなんだね。まぁ、妖怪の場合は正確には人間の恐怖だけど」

 

「和友は、吸血鬼について何も知らないのね」

 

 

 フランの心は、満たされた笑顔を浮かべる少年を見て、えもいわれぬ高揚感に包まれていた。それはもちろん少年の能力の弊害による心の影響も確かにあるだろうが、今まで与えられることしかなかったフランにとって、他人に自分の持っているものを与えるということに対して新鮮な気持ちになったからだった。

 

 

(ふふっ、私が何も知らない和友に教えてあげるわ)

 

 

 それはいわゆる―――役に立っているという感覚である。

 フランは、少年と話すことで―――少年に自分の持っている知識を共有させることで自らが役に立っているという感情を沸き立たせていた。

 

 欲求の実現というのは、五段階のピラミッド構造を成している。

 欲求というのは、下位の欲求が満たされると次の欲求を満たそうという意識が働く。

 一段目は、生理的な欲求である。食事、睡眠、排せつなどの生活に必要不可欠なものを満たしたいという欲求が第一に働く。これは、生きるために必要な要素である。

 二段目は、安全の欲求である。一段目である生理的な欲求が満たされると、周りが安全、自分の命の保障をしたいという欲求が働く。びくびく怯えて生活することは精神上よくない。

 三段目は、社会的欲求である。自らが社会に属しているという安心感、何かのために役に立ちたいという欲求が働く。もちろんここから四段目、五段目と続くが、ここでの説明は不要である。なぜならば、フランが満たされていたのは主に二段目までだからだ。

 地下に籠り切りだったフランが達成できるのは、必然的に欲求の二段目までである。

 フランの場合は紅魔館という属に入っているといっても、住人達との繋がりは脆弱なもので、社会の一部に混ざっているという感覚は一切得られない状況にあった。

 外の世界では、この社会的欲求という三段目が達成できずに孤独感や社会的不安に襲われ、鬱状態になる人がいる。フランも外の世界の人間と同様にピラミッド構造の三段目が達成できずに、孤独感にさいなまれていたのである。

 それが今―――満たされようとしている。長年得ようとしても得られなかった感覚が心を占めていく。

 

 

(どうして私は笑っているのかな? なんでこんなに楽しいのかな? ふふふ……)

 

 

 ぞくぞくする。気持ちが高揚する。今なら何でも話せる気がする。

 この感覚のなんと心地いいことだろうか。欲に純粋な妖怪や吸血鬼は余計にその感覚が強いのかもしれない。

 フランは、少年が真面目に聞いてくれる様子にさらに口を動かし、少年が持っていない知識を披露し始めた。

 

 

「何も知らない和友に吸血鬼のことを教えてあげるわ! 吸血鬼は、’きっと’そんじょそこらの妖怪と比べると力も魔力もとっても強いの!」

 

 

 満たされた三段目の欲求がフランの心に潤いをもたらす。役に立っている、何かに影響を与えている。自分が確実にここにいて、誰かに何かを与えているという感覚がフランの意識を徐々に高めていった。

 

 

「でも、苦手なものもあってね」

 

「うん、うん」

 

 

 少年は、フランが嬉しそうに笑顔を浮かべながら自信満々に話すのを見て、同期するように優しい笑顔を作る。

 ちゃんと伝わっている。聞いてくれている。そう思わせる少年の姿勢にフランの口がさらに饒舌になる。さらに勢いを増して自分の想っている、考えている、知っていることが口から吐き出された。

 

 

「吸血鬼は、流水と日光が苦手なんだよ!」

 

「吸血鬼が苦手なものって、他にもいろいろあったよね。ニンニクとか十字架とか」

 

「ニンニクは臭いから嫌い。十字架は分かんない。あんまり効果がないかも」

 

 

 一般に吸血鬼の弱点は、多分にあると言われている。

 実際に吸血鬼の弱点を挙げてみれば分かるが、キリスト教の敵となる相手の弱点を融合したかのような弱点である。そもそも吸血鬼というのは、キリスト教が作った敵であるため、キリスト教を普及するために作られた結果、このような弱点ができたと考えられる。

 少年の言葉がフランが話しやすいように―――1人よがりにしないように間に盛り込まれる。フランは、次々と自らが体験したことから感じた気持ちを真っ直ぐに少年へと伝達した。

 

 

「流水や日光は、我慢できないほどじゃないんだけど……針で刺されたみたいに痛いし、嫌い」

 

 

 一般に言われている外の世界の吸血鬼の弱点は―――幻想郷にいる吸血鬼にとっても例外ではないようで、日光や流水は吸血鬼に対して効果的だということだった。ニンニクや十字架については不明だが、そういう言い伝えが強制力をもたらす幻想郷においては、何かしらの効果はあると思われる。

 そういう意味では、吸血鬼も妖怪も大して変わらないのだろう。あくまでも幻想の一部だという枠組みからは外れていないようだった。

 

 

「ずっと外に出ていないから、日光とか雨とかどうなのかもう思い出せないけど……そんな感じだったと思う」

 

「フランは、どうして外に出たことがないの?」

 

 

 少年の口から核心に迫るような質問を投げかけられる。きっと話したくないことなのだろう。考えたくないことなのだろう。会話の中心に添えるにはハードルが高いのだろう。少年はそう思いながらも話題を核心へと向けた。

 

 

「…………」

 

 

 案の定、フランの表情が露骨に暗くなる。

 やはり言い辛いことなのだろう―――少年はフランの表情を見て悟った。

 だが、聞いてしまったものはどうしようもない。それに、聞かなければならないと思ったことだ。この部屋に連れてこられた時からずっと気になっていたこと。聞かなければならないと思っていたことである。

 フランの視線がそっと少年の表情に向けられる。

 不安なのだろうか。口にするのが怖いのだろうか。その瞳には後ろめたさが影を差している。

 大丈夫―――何もしたりしないさ。少年の表情には相変わらずの笑みを浮かべられていた。

 フランは、少年の表情に表情を崩すとそっと口を開いた。

 

 

「みんなから聞いているかもしれないけれど……私、危険物扱いされているの」

 

「されていたね」

 

 

 少年は、遠慮する様子を一切見せずにフランの言葉を肯定する。

 ここで偽っても仕方がない―――本人に自覚があるのだから。

 それに、あんな対応を取られれば誰だって思うはずである。腫れものを扱うような態度。まるで爆発物を取り扱っているような印象。そういう雰囲気だったことがすぐに蘇って来る。

 フラン自身も、紅魔館の住人から危険なもの扱いを受けている自覚があり、外に出てはいけない理由も理解しているようだった。

 

 

「私は、外に出すと危ないから外に出ちゃいけないんだって」

 

「だから外に出られないの?」

 

「うん……‘出させてもらえないの’」

 

 

 少年の思考がフランの物言いに一瞬停止した。

 出させてもらえないという言葉は、自分が出ようと思っているが、周りの人間や環境から出るという行為を防がれているという意味である。それは監禁されているという言葉と同義だ。小さな子供が親から家に閉じ込められているのと同じである。

 

 それは―――違うだろう。

 フランの口から出た言葉は違和感の塊でしかなかった。

 

 

「フランは外に出たいの?」

 

「出たいに決まっているわ! こんなところでずっとずっとずっとずっと閉じこもっているだけなんてもう嫌!」

 

 

 少年の問いかけに対し、フランの感情が露わになる。

 フランは勢いよく立ち上がり、少年を責めるように言葉を投げつけた。

 

 

「私だってみんなと同じように外に出て、いろんなことをしたい! 空を飛んだり、妖怪と会ったり、人間を見つけたり、遊んだりしたいっ!!」

 

 

 これまでの監禁生活によって溜まりに溜まったフランの感情が爆発する。これまでずっと地下室に閉じ込められてきたのだと、理不尽な扱いをされていたのだと、少年に向けて不満を吐き出した。

 

 

「それなのに、みんなここから出ちゃいけないって言う! フランは、外に出ちゃいけないんだって! 危ないから駄目なんだって!」

 

「みんなが出してくれないの?」

 

「そう、みんなが私をここに閉じ込めているの」

 

 

 ―――みんなが閉じ込めている。

 フランは、はっきりとそう言った。

 

 

「……フラン、僕には気になることがあるんだ」

 

 

 少年には、フランの話を聞いているときからずっと気掛かりなことがあった。話していておかしいと思える部分があった。それはフランの物言いで核心に変わった。

 フランは、ただ逃げているだけだ。

 答えを出すのを怖がっているだけ。

 できるのに、やっていないだけ。

 変化を得ようとしているくせに、行動を起こしていないだけ。

 そんなもので現実は変わらない。時間の経過が解決してくれるのは、あくまでも時間が作用する問題だけだ。

 

 

「感情的にならないで、落ち着いて聞いて欲しい」

 

「……うん」

 

 

 少年は、あくまでも冷静にフランに相対する。

 フランは少年の冷静な対応に感情の行き場をなくし、伸ばした膝を曲げて力なく座った。

 少年は、自分がフランと話していてずっと感じていた想いをフランへと投げかけた。

 

 

「フランは、自分から外に出られるんじゃないの? フランは力のある吸血鬼なんでしょ? だったら、出ようと思えば自力で出られたんじゃないの?」

 

 

 少年の言葉にフランの表情が露骨に固くなった。

 少年は、フランが閉じ込められているという話を聞いてからずっと疑問を抱えていた。吸血鬼というのは、フランが説明した内容をそのまま鵜呑みにすれば、他の妖怪と比べても強い種族だということが伺える。

 ならばなぜに―――紅魔館の外へ出られないのだろうか。力づくでも、全てをかなぐり捨てる気持ちがあれば出られるはずではないのか。出られないなんてことがあるのだろうか。

 

 

「……それは、お姉さまが」

 

 

 フランから苦し紛れに、姉であるレミリアの存在が挙げられる。同じ吸血鬼である姉に留められているために出られないのだともっともらしい理由を口にした。

 

 

「だとしても、フランが外に出ることだけに全力を注げば外に出られるんじゃないの?」

 

「…………」

 

 

 フランの口が少年の反論で完全に閉ざされた。

 フランの言っていることは本当にそうなのだろうか。

 姉であるレミリアが同じ吸血鬼だから出られないというのだろうか。

 姉であるレミリアの方が力が強いから出られないというのだろうか。

 誰かのせいで逃げられないのか。

 自分が相手より弱いからできないのか。

 だから、変わらないのだろうか。

 

 違う―――そんなものただの幻想だ。

 

 そういう言い訳で逃げているだけだ。

 そういって無理だと決めつけて、何もしていないからだ。

 何もしていないのに、変わろうと努力もしてないのに、現実は応えてはくれるはずがない。

 少年は、語り掛けるように優しく言葉を紡ぎ出す。

 

 

「僕とフランは、よく似ている」

 

「私と和友が……?」

 

 

 フランは、いきなりの少年の発言にきょとんとする。

 少年と自分に似通っている部分などあっただろうか、何一つ似ていないじゃないかという気持ちがゆったりと湧き上がってきた。

 種族も違う。

 産まれた環境も違う。

 身長も、体重も。

 性別だって違う。

 外に出られるというところも違う。

 何が―――一緒なものか。

 一緒にするな。

 同じにするな。

 私たちは違う。

 違う生き物で、違う者だ。

 

 

「全然違う!! 和友は外に出ているじゃない! 私には友達もいないし……」

 

「確かに僕たちの今の状況は違っている。だけど、取り巻く環境はよく似ているよ」

 

「……和友は、私のことを慰めてくれないのね」

 

「他の人がどうだったのかは知らないけど、僕がフランを慰めることはないよ。僕には、フランが可哀想には見えない」

 

 

 フランは、少年のこれまでにない反応に戸惑っていた。

 いつもならば、自分を自虐するようなことを言えば、そんなことはないと言われ続けてきたフランからすれば、何とも言えない気持ちだった。

 

 

「僕から見たフランは、外に出たいのに―――外に出ることができるのに、外に出ていないだけに見える」

 

 

 少年から見たフランは、檻から出るためのカギを持っているのに檻の中に留まっているように見えていた。外へと出ることができるのに、家の中から出ようとしない子供に見えていた。

 

 

「手に鍵を持っているのに、その鍵が見えていないのかな……それとも、見ようとしていないのかな」

 

 

 少年は、もしかしたらフランのようになっていたかもしれない―――そう思わずにはいられなかった。

 境界線を曖昧にする能力を持っている少年の特徴を考えれば、最も良い選択肢は誰とも会わず、何もせず、閉じこもっている状態だということは容易に想像できる。フランと同じように閉じこもっている状態が周りに安定をもたらすことを考えれば、少年はフランのような生活を送っていた可能性が十二分にあったのである。

 ただ、少年の両親がそういう方針を取らなかった。能力に抗い、外に出る方向で人生の羅針盤を指し示した。

 だから現実には―――フランと少年は、全く違う人生を歩むことになっている。

 そんな指針の違いから二人の歩む道は違っている。

 

 

「鍵が見えないのはみんなに気を遣っているからなのか、他に何かあるのか知らないけど……誰かのために、何かのために自分を閉じ込めているのは分かるよ」

 

 

 フランは、何かのために閉じこもっている状態を選んだ。

 少年は、誰かのために自分を縛り続けることを選んだ。

 両者は、似通っているようで似ていない。

 閉じこもることと縛ることは、動きにくいという意味では同じであるが、周りの人から見える光景が全く違っている。

 両者をたがえているのは扉1枚分である。相手の顔が見える者と、相手の顔が見えない者では、何が違うか考えてみるとすぐに分かるだろう。

 相手の顔や雰囲気の感じられない扉を隔てた状態になる閉じこもった状態と、表情や感情が見えている縛られた状態では、周りからの対応が違ってくる。目の前で苦しんでいる人と、遠くからかすかに聞こえる呻き声で、どちらを助ける方を優先するだろうか。そんなものは、考える必要もない。

 

 

「僕にはフランの気持ちがよく分かる。誰かがそれを求めるから、自分をそこに当てはめるんだ。自分の気持ちを抑えて、周りを受け入れ、周りから求められる形にはまろうとする」

 

 

 誰からか求められた形を作り出す。

 何か必要とされる形を作り出す。

 この行動に間違いなんてない。

 心のある生き物ならば―――誰かのための自分を欲するものである。

 それが自分のためにならなくとも、誰かのために何かができる自分が欲しくなる。

 

 

「……守らないといけないことがあることぐらい、私にも分かるよ」

 

 

 フランの言うことは何も間違っていない。

 生き方も、何一つ間違っていない。

 周りから見れば、それが最も良くて。

 自分から見ても、それが最も良いと分かる。

 それでも、それが全部じゃない。

 損得勘定で全てが決まるわけじゃない。

 それだけが全てを決めるわけじゃない。

 それだけで全てが決まっていたら―――きっと生きていけない。

 

 

「でもそれって、どうなんだろうね」

 

「なにが?」

 

「それでいいのかなって思うんだよ。フランの人生ってそれでいいのかなって。一生ここで閉じこもって生活するの?」

 

「それは……嫌よ」

 

 

 少年は、フランに対して真剣な表情で問いかける。

 フランには、結局のところこのまま部屋に閉じこもったまま死ぬまで生活する覚悟がない。いつかは、この小さい部屋の中から出させてくれるという淡い期待を背負って生きている。

 少年から言えば―――そんな希望は持つだけ無駄である。

 だって、周りにとっては外に出たいと思うこと自体が間違っている選択だと思われているから。

 結局―――出たいという感情を押さえつけるだけになる。

 外に出たいなんて願望を持ってはいけないのだ。

 外に出れるなんて希望を持ってはいけないのだ。

 叶わない願いを持つことほど、心に負担を与えるものはない。

 だからこそ。

 だからこそだ。

 出たいという気持ちがあるのならば、押し出していく必要がある。いつかは出たいというのならば、出るための行動を起こすのは‘今’なのである。

 出たいと思った瞬間―――その瞬間が外に出るための最適な機会なのだ。

 

 

「なら、なおさらだよ」

 

 

 後からでも、今からでも、どっちでも構わない。

 後からでも、今からでも、どっちでも変わらない。

 待っているだけの人間に―――今も未来もない、変わらない現実があるだけである。

 待っている人間に―――変化は起こらない、変わらない景色が広がっているだけである。

 いつだって、今だって、どっちでも一緒である。

 変わるのはいつだって―――行動を起こした「今」からなのだから。

 

 

「フランは何をしているの? 膝を抱えたまま閉じこもっていて何が見えるの? 何が見通せるの? いつだってフランの両目は、真っ暗な世界を映してきたはずだよ」

 

 

 フランが閉じこもってきたこれまでの生活を想像する。いつかは外に出られると期待を持ちながらも、外へ出ることに対し、諦められない気持ちを持ちながらも、膝を抱えて耐えてきた生活を想う。

 

 

「外はあんなに明るい世界なのに。フランの中の世界は真っ暗なままだ」

 

 

 そこに光なんかなくて

 そこに希望なんかなくて

 外に対する羨望だけが心の中に残っている。

 

 

「それに、誰も光を入れようとしない。光が無い状態が安定な状態だと思っているから。フラン自身もそれが正しいと思っているから変えようともしない」

 

 

 膝を抱えて耐えているだけのフランに対して、紅魔館の住人も誰も動こうとしない。待っているだけのフランに対して、誰も手を差し伸べる者などいない。

 だって、フランから助けて欲しいという手が伸びていないから。手を出されなければ、掴みようがないのだ。

 無理矢理掴んでくれれば何か変わったかもしれないが、長年に渡って続いてきた伝統とも言うべき習慣は、歴史の重みや時間の蓄積によって崩すことが難しくなっている。

 その結果が―――今のフランを取り巻く環境になっている。

 

 

「別にそれが間違っているわけじゃない。別にそれが悪いわけでもない。誰も悪くなくて、誰も間違っていない。だからきっと―――何も変わらない、何も生まれない、何も起こらない、何も……何もかもない」

 

 

 そこには間違えもない。

 そこには悪もない。

 けれど、その代わりに―――何もない。

 

 

「何もない時間の経過に伴って、心を擦り減らしていくだけ。時間は、心を癒しはしないよ。忘却するどころか、想いは増大して肥大していくだけだ」

 

 

 辛いというのならば、辛いと言わなければならない。

 嬉しいのならば、嬉しいと言わなければならない。

 人間の心は、万能ではない。

 自分のことも分からなくなるような世界で。

 他人のことをどうでもよくなるような世界で。

 視界が狭く、遠くを見通すことが難しい世界で。

 他人の心がどれほど見えるだろうか。

 心というのは不便なもので、言葉や態度に示さなければ相手に伝わらない。真っ直ぐに伝えなければ、障害物に当たって上手く伝わらないことだってある。

 

 

「肥大した心はいつか破裂する。これまでだって、何度か小さな規模で破裂しているはずだよ」

 

 

 溜まったストレスによって暴れたことは気持ちを伝える行動になったかもしれない。気持ちを汲み取る人がちゃんといれば、理解してくれたかもしれない。

 しかし、溜まった不満を周期的に爆発させ、暴れるだけ暴れるという行為は気がふれていると言われても仕方がないし、情緒不安定と言われても仕方がないことである。周りの人間に対して勘違いをさせるような状況に陥っていることは、間違いなくフランの責任だった。

 フランは―――想いを伝える方法を間違えたのだ。

 

 

「そんなフランの心の中の世界には、何があるんだろうね。何が刻まれているんだろうね」

 

「…………」

 

「きっとフランの心の中に刻まれているのは、一言の言葉だけのはずだよ。僕と同じように、何かの言葉が自分の心に刻まれているはずなんだ」

 

 

 自分と同じだったとしたら、同じような言葉が心に刻まれていることだろう。

 外に出てはいけないという決まりを順守させている要因が。

 それが正しいと思うための言葉が。

 自分の中の決まり事が。

 

 

「ねぇ、フランを縛っている決まり事って、何かな?」

 

 

 少年は、フランの行動を縛っている一言の言葉を聞き出す。

 フランは、ゆっくりと自分を縛っている言葉を吐き出した。

 

 

「私の決まり事は……」

 

 

 




一方扉の外
「パチュリー様、笹原に本を渡していましたが、あれは?」
「中を写し取る効果を持った本よ、こっちの本と繋がっているから、見れば中の様子が確認できるわ」
「それは……」
「おかしいわね、何も見えてこないわ。魔力は入っているし、効果はすぐにでも発揮されるはずなのだけど」
「パチュリー様」
「どうしたの? 今忙しいから端的にお願い」
「笹原は、本を開いていないと思います」
「…………待つしかないわね。何も起こらないことを祈りながら」
「入らないのですか?」
「今更入るのは、どうなのかしら……」
「恥ずかしいということですか?」
「…………」

自分のフランのイメージで書いているので、違う人は結構多そうというのが今回の鬼門ですね。
495年間も地下に留まるなんて、善意や思いやりがないとできないことだと思うんですよね。当たり前じゃない状況を知る環境で、当たり前じゃない状況を受け入れるのは、難しいと思います。
フランが情緒不安定と思われているのは、きっと暴れたときのフランしか見る機会がほとんどないからだと解釈していました。
少年にとってのフランがどのような立場にあるか分かってもらえたなら、これからの話はよく分かると思います。

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