ぶれない台風と共に歩く   作:テフロン

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追いつくために、心を燃やす。
心を燃やして、階段を登る。
いつまでも、
どこまでも、
その階段は、続いている。

その輝きを見ていた者は、皆見入っていた。


理想の終わり方、少年に繋がれた鎖

 少年は美鈴との戦闘を終えた後、紅魔館の別室に通され、美鈴から怪我の手当てを受けていた。

 咲夜はどうしたのかと問われれば、お嬢様のところに行ったと聞かされている。

 別に咲夜が怪我の治療をやってもよかったのだが、咲夜よりも美鈴の方が怪我の治療の経験があったために美鈴が行っていた。武術をやっている関係で怪我をすること、させることの頻度が高い美鈴は、怪我の治療を上手にできるということもあり、少年の怪我の治療を行うことになったのである。

 

 

「思った以上に酷いですね」

 

 

 ベッドに座ながら美鈴からの治療を受ける。

 治療する怪我の内容は、美鈴の攻撃によって負傷した顎、あばら骨、その他複数にわたって負っているすり傷、打撲である。

 

 

「こんなになるまで続けていたのですか……信じられません」

 

 

 美鈴は、バキバキに折れてしまっている少年のあばら骨を確認する。

 顎の骨にもひびが入っている。痛みを感じている様子は見せないものの、僅かに顔が歪んでいる。絶対におかしいところがあるはずである。

 骨が折れてしまっていることに関して治療できることは何もない。できることなど、固定するぐらい―――ただ安静にさせておくことだけだ。

 切り傷や擦り傷の消毒と止血。

 骨の折れている個所に関しては固定。

 それ以外にできることは何もなかった。

 

 

「骨折した個所に関しては、無理に動かさないようにしてください」

 

「分かりました」

 

「……少し、やりすぎたかもしれませんね」

 

 

 少年の怪我が完全に治癒するまで―――四か月というところだろうか。

 こうして間近で治療していると罪悪感が襲ってくる。少年の怪我を確認していると明らかにやりすぎていることが見て取れるのだ。

 自らの手によって起こった結果とはいえ、ここまでするつもりは微塵もなかった。こうなる前に終わらせるつもりだった。

 美鈴は、手加減なしで殴ってしまったことを今更ながらに後悔していた。

 しかし、怪我を負っている当の本人は、酷い怪我を負ったことに対して気にしている様子を一切見せなかった。

 

 

「別にいいよ。怪我の程度は治るぐらいのものなんだから。取り返しが利くのなら別にどっちだっていいさ」

 

 

 少年は、どこか割り切ったような口調で言葉を口にする。治るのならばどっちでもいいと、まるで他人事のように言った。

 

 

「後悔なんて微塵もない。僕はできるだけのことをした。美鈴もできる限りのことをしてくれた、あったのは―――それだけ。そうでしょ?」

 

「……そうですね。これが、お互いにできることをした結果です」

 

 

 少年の言う通りだ。お互いが精いっぱいを出した結果がここに現れているだけで、事故があってこうなったわけではないのだ。できる限りを尽くし、全力でやった―――後悔するというよりも納得の気持ちの方が遥かに大きい。

 だけど―――それをそこまで言い切れるものだろうか。少年の物言いには、どこにも後悔の色が見えなかった。

 どうなったらこういう性格が生まれるのだろうか。

 どんな生活を送ればこうなるのだろうか。

 こういう不思議なところというか、特異なところが八雲紫を惹きつけた要因になっているのだろうか。

 そうでもなければ、八雲紫がわざわざ外の世界から攫ってくるわけがないとも言えるが―――どうにも度し難い。

 だが、あいにく今の状況においては、本人が気にする様子を一切見せないことが気を楽にしてくれる。もしも、気にすると言ったら美鈴の心は一向に休まることを知らなかっただろう。少年が全く気にしていないのなら―――自らが後悔しても意味がない。そう思うだけで美鈴の心は随分と楽になった。

 美鈴は、少年の怪我の手当てを一通り行うと申し訳なさそうに言った。怪我をさせてしまったことではなく、これからのことについて申し訳なさそうに言った。

 

 

「怪我をさせてしまった手前、非常に申し訳ないのですが……笹原さんにはまだやってもらわなければならないことがあります」

 

「何かな?」

 

 

 少年には、これからやらなくてはならないことがある。それが今日紅魔館へと少年を呼んだ目的であり、今日少年が紅魔館へとやってきた目的である。

 

 

「後数時間したらきっとお嬢様からお呼びがかかります。それまでは、この部屋で休んでいてください」

 

「了解しました。それまでここで待っていますね」

 

 

 美鈴は、少年の了承の言葉を聞くと部屋から立ち去った。

 部屋の中に少年だけが取り残される。

 ぽつりと―――独りきりになる。

 独りきりの少年は、大きくため息をついた。

 

 

「はぁ、どうしよっかなぁ……」

 

 

 腰かけていたベッドに横になり、天井を見上げる。

 天井は真っ赤に染まっている。視界の中が真っ赤な色で満たされている。部屋の中は赤一片色だ。部屋に来るまでの通りも真っ赤だったことから、館の外観と同じように館の中身も赤に統一されていることが容易に想像できる。

 何とも悪趣味というか、気持ちの悪い色彩感覚である。常識人であれば、こんな色合いにすることは決してないだろう。

 

 

「はぁ……やっぱり僕は弱いなぁ」

 

 

 一人になると―――やっぱり気持ちが落ち込んでくる。

 周りを引っ張らなくても済むからかな。

 周りに気を遣わなくてもいいからかな。

 頑張ろうという気持ちがあの時死んでしまったからかな。

 視界を真っ赤に染めながらぼうっと考え事をする。

 

 

「僕にとってのゴールは、何処なんだろう?」

 

 

 そっと額に手を当てて自分にとっての終わりを想像してみる。

 どうすれば、最も満足できて誰も悲しまない結果になるのか。

 誰もが喜ばしいハッピーエンドになるのか。

 自分が最も望む形は何なのか―――想像した。

 

 

「僕の人生の終わりは、約一年半後……」

 

 

 少年の人生の終わりはすでに予測されている。約1年半後と―――紫と永琳によって予測されている。

 それはもちろん未来予知というわけではなく、予想というものだ。予測なんて所詮外れるものだし、気にする必要もないと思ってもいいかもしれない。

 しかし、予測したのは八雲紫と八意永琳である。二人がした予測という事実は、未来予知にも似た絶対性が存在する。積み重ねてきた経験、計算がもたらした普遍性が少年の未来を予測しているのだ。

 自分が予測した五年という寿命は―――きっと外れることになる。

 だとしたら、後1年半後に何ができるだろうか。

 どうすれば、丸く収まるだろうか。

 収束して、終息するだろうか。

 無限に終わらないような思考回路を回転させる。

 人生の終わりという、決して確定することのない未来を思い描く。

 

 

「僕の終わり方は何が正解なんだろう? どこが正解になるんだろう?」

 

 

 人生の終わりに正解などない。人生に正解がそもそも存在しないのだから、正解はないという結論に異論はないだろう。

 だけれども、少年の中に存在する決まり事や人間としての倫理、規範を考えれば、正解とは言わずも模範解答があることは間違いがない。

 どこかに、少年にとって最も納得のいく答えがあるはずなのだ。

 これまで生きてきた人生の選択で、選ぶべき未来の形が。そこにはどっちでもいいという曖昧なものではなく、確固たる答えがあるはずなのである。

 少年は、人生の納め方の模範解答を、自らが最も行きたい場所、たどり着きたい場所を―――頭の中に常にある終わり際の形を想定した。

 

 

「僕が望む形……」

 

 

 少年の頭の中には、実のところ自分が望んでいる終わりの形が明確にある。こう終わりたい、こうやって人生に幕を下ろしたい、こうするのが最も自分自身が満足できて人生の終わりを迎えられるという終わり方がはっきりと存在する。

 ―――けれども。

 

 

「それは―――皆が望む形じゃない」

 

 

 時間が許す限り考えてみよう。

 みんなも、自分も、全員が望む形を。

 呼ばれるまで数時間ほどあるだろうか。

 こうして一人になる機会もめったにない。

 とことん考えようじゃないか。

 余裕のある時間を有効に使って頭をフル回転させる。

 自らの望む形になるためにどうこれからの未来を作っていくべきなのか。

 ―――考える。

 

 

「僕が望む形で終わるには、みんなに認めてもらう必要がある。僕を殺してくれるようにお願いする必要がある」

 

 

 少年が望む終わり方は、達成することが酷く難しい。当然のことだが少年の終わり方の最終地点は―――少年自らの死である。

 少年は、約1年半後に死ななければならない。それを達成するにはつまり、みんなが‘少年が死んでもいい’と思わなければならないのだ。‘みんなが’というと語弊があるかもしれないが、ベストな回答としてはみんなが少年を見殺しにしてくれるという状況が最も望ましい。

 苦しんでいる少年に対して手を伸ばさず黙っている。

 少年が辛そうにしているのを見て見ぬふりをする。

 ただ―――少年が苦しんでいるのを見ているだけという行為をしてくれる。

 それが、現状考えられる中でベターな回答だった。

 

 

「欲を言えば、僕を見つけてくれる人がいればいいのだけど。僕は、最後にみんなに追いつきたい……いや、きっとこれは僕の我儘だ。高望みしすぎだね」

 

 

 ベストな回答を思い浮かべるが、そんな理想はありえないと一蹴する。

 理想はあくまで理想である。関わっている全ての人間や妖怪が見殺しにしてくれる状況になることは、あり得ないと言えるぐらいには可能性が低い。

 人は、人それぞれ。

 妖怪も、妖怪それぞれ。

 同じ者なんてない。

 同じ考えなんてしない。

 それは、同じ考えをしていることを気持ち悪いと思った少年が最も考えたくないことの一つだった。

 

 

「今の環境的に、今の状況的に……‘全て’は難しいか。紫や永琳を除けば、僕を見殺しにしてくれる相手はいないといっても過言じゃないもんね」

 

 

 少年が死ぬことに対して「行動をとらない」という行動をすることができる人物は、今の幻想郷にほとんどいない。藍を筆頭にして、鈴仙や椛や文もきっと苦しそうに死んでいく少年を素直に黙ったまま見守ってくれはしないだろう。

 少年に惹きつけられている人物が少年を守ろうとする意志の働きは、過去に病気になった時に痛感している。少年に惹きつけられている人物は、助かってほしいと、生きていて欲しいと、行動に移るはずである。少年を助けようと奔走するはずである。

 

 

「何も、それが悪いってわけじゃないんだけど……僕がみんなの期待に耐えきれない」

 

 

 みんなから助かってほしいと思われることが嫌なわけじゃない。

 生きて欲しいと願われることが嫌なわけじゃない。

 ただ―――黙って見ていて欲しいだけ。

 生きて、死ぬところを、受け入れて欲しいだけ。

 少年にはもう、抱えている病気が最高潮に達したときに気持ちを保っていられる自信がなかった。なまじ前回にほぼ限界まで戦ってしまったがために、どう頑張っても無理だということを理解してしまっていた。

 

 

「みんな、我慢して僕のことを見捨ててくれればいいのだけど……やっぱり難しいんだろうな。僕の意志とは関係ないところでいろんなことが起こる……紫が僕を助けたように」

 

 

 そっと目を閉じて呼吸を整える。

 堂々巡りになっている思考回路を回し続ける。

 

 

「最も望む形―――僕がみんなとお別れできて、満足していられる環境……」

 

 

 自らが最も望む最高の形。

 最後の最後に追いつけなかったみんなに追いつき、これまで努力してきた成果を示す。やっと対等な立ち位置になったと、足を引っ張らなくて済むのだと自己満足に浸れる瞬間を想起する。

 頭の中に思い描く光景を見た瞬間―――起こる可能性が余りに低いことに思わず笑ってしまった。

 

 

「ははっ、まるで夢物語だ。僕が最も実現してほしいと望む未来は、僕を見つけてくれる人がいないと叶うことさえない」

 

 

 目を閉じて真っ暗な闇の中で夢の中に逃げ込む。望んだ未来が現実にならないことを知りながら、暗い闇の中に落ちていく。

 

 

「誰か、僕を見つけてよ……」

 

 

 少年は―――そっと夢の中へと入り込んだ。

 

 

 

 ―――約二時間後―――

 

 すでに夜と呼ばれる時間となった。窓の外は日が落ちて暗くなっている。月が自らの存在を強調するように淡い光を放っている。

 美鈴は、二時間ほどの時間が経過した後に少年がいる部屋へと戻ってきた。部屋の中に目を通すと―――ベッドに横になり瞼を閉じている少年を目撃した。

 

 

「休んでいてもいいとは言いましたが……まさか、寝てしまっているとは」

 

 

 静かに寝息を立てている少年を見て近づく。そして、少年の体を揺さぶり起こそうとした。

 

 

「笹原さん、起きてください!」

 

「あ、あれ……ごめん、眠っちゃったみたいだ」

 

 

 少年の瞼が美鈴に体を揺さぶられ、ゆっくり開く。

 視界がぼんやりとしている。疲れが溜まっていたせいか随分と深い眠りについてしまっていたようだ。

 

 

「うーん」

 

「大丈夫ですか?」

 

「大丈夫だよ」

 

 

 眠そうな瞳をこすり、目をぱちぱちとさせる。

 美鈴は、眠そうにしている少年を見て予想以上に時間がかかるかもしれないと焦りを感じていた。

 美鈴が少年を呼びに来たのは、お嬢様と呼んでいるレミリアから少年を呼んでくるように頼まれたためである。

 早めに行かなければ、余り辛抱強くないお嬢様のことである―――機嫌が悪くなる。機嫌が悪くなると、色々と問題が起こる。

 具体的には喧嘩のようなことが起こる。すぐにでも向かわなければならない。準備をしている余裕はあまりなかった。

 美鈴はそっと手を伸ばし、少年の体を起こす。

 

 

「私についてきてください。お嬢様が機嫌を損ねる前に早く行きましょう」

 

(お嬢様……?)

 

 

 美鈴がお嬢様と呼称する人物が誰なのだろうか。

 少年は、眠たい頭ですぐさま答えを出す。

 きっと―――先程美鈴と勝負していた時に顔を見せていた少女のことだろう。

 お嬢様―――その言葉に似合うのはあの少女だけのはずだ。あの鋭い目をした、射抜くような瞳の少女のことのはずだ。

 

 

「お嬢様って、あの窓から見ていた子のことだよね?」

 

「そうです」

 

 

 美鈴は素早く少年の問いかけに一言で答えた後、少年の腕を掴み床の上に立たせる。

 少年は、少しばかりよろけながらも何とか両の脚で地面に立った。寝ていたせいか、上手く力が入らない。疲れが残っているせいかもしれない。あれだけ動いたのだ、疲労が残っていてもおかしくなかった。

 

 

「お疲れのところ申し訳ありませんが、時間がないのです」

 

 

 美鈴は、疲れている様子の少年に少しばかり悪いという気持ちを抱えながら、差し迫っている時間に焦りを覚え、少年をせかした。

 

 

「疲れたその状態では難しいかもしれませんが、くれぐれも無礼の無いようにしてくださいね。お嬢様は結構気難しい方なので、気分を損ねると大変なことになります。気を付けてください」

 

「…………」

 

 

 少年は、美鈴の忠告に黙ったまま頷いた。

 注意するといってもできることなど何もない。気を付けてくださいと言われて少年に何ができるだろうか。近づいた時点で影響を与える可能性があると言うのに、何を気を付けろというのか。

 できることなど、近づかないという方法を取るのが最もいいというのに。それをするなと、近づいて来いと言われている現状で何をしろというのだろうか。大変なことになるのが自分しかいない現実を想えば、少年が気を付けることなど何もなかった。

 少年は、されるがままに美鈴に手を引かれ、部屋を出た。

 

 

「お嬢様は、すでに部屋の方でお待ちになっています」

 

「了解です」

 

 

 二人は、そそくさと廊下を突っ切るようにして歩く。

 紅魔館の廊下は赤という色で敷き詰められている。左右、上下、何処を見ても真っ赤に染まっている。しいてあるというのならば、外を覗くことができる窓から見える景色だけだろう。

 美鈴に手を引かれながら真っ赤な廊下を突き進む。

 そして、最終的に大きな扉の前で足を止めた。

 

 

「お嬢様は、この奥にいらっしゃいます」

 

 

 用意はできているか―――美鈴から目で問いかけられる。

 少年は、またしても何一つ口を開くことなく、頷くことで答えた。

 準備など何もない。

 何も準備するものなどない。

 まっさらな状態のまま扉の前で胸を張っていた。

 

 

「では、開けますね」

 

「はい」

 

 

 美鈴の一言が発せられると美鈴の手によって扉がゆっくりと開き始める。

 開けられた扉の奥を見つめながら―――中へと入った。

 

 そこにはやはりと言うべきか、彼女がいた。

 


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