ぶれない台風と共に歩く   作:テフロン

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美鈴との殴り合い。
圧倒的能力の差を見せつけられる。
だが、諦めるという選択肢は少年にはない。
少年は、父親から貰った可燃物にそっと火を灯し始める。


探し出す、取り戻す

 ―――Ignition(イグニッション(点火))―――

 それは―――心にともる灯の光の目覚めである。

 闘争心を燃やし、空に架かっている天井をボロボロに崩壊させる。臨界点を超えて限界を突破する。

 少年は、自らが備えている限界線を崩壊させ、心に闘争心の火を燃やしながら美鈴を見つめていた。

 

 

「さぁ、行くよ!」

 

 

 強く拳を握りしめ、先ほどと同じように美鈴へと走り出す。

 

 

「前へ、前へ!」

 

(笹原さんの動きが僅かに早くなっている? 何があったのでしょうか?)

 

 

 美鈴は、少年の変化に目を細め、距離を稼ぐように僅かに後ろに後退した。

 少年の足は先ほどよりも早く動いている。‘怪我をしている’前よりも速く動いている。疲弊し、体力が落ちていることを考えると本来ならばありえない現象である。

 迫りくる少年からは、何か限界点を越えたような雰囲気が出ている。吹っ切れているといえばいいのだろうか。力がみなぎっているように感じる。

 今までと同じと考えてはいけない。同じ人間を相手していると思っていたらイメージの落差に追い詰められることになる。

 美鈴は、とっさに頭の中の少年の情報を書き換えた。少年は―――少年以外の何かになったのだと、そう思うことにした。

 

 

(前と同じように捌いていたら間に合いませんね。さっきよりも早く対処しなければ)

 

 

 少年の右の拳が美鈴に向けて真っ直ぐ伸びてくる。少年にとっての剣である―――右の拳が迫ってくる。

 美鈴は、少年の余りに綺麗な力の流れに感嘆とした。

 

 

(下半身から上半身まで、全身の力の乗った素晴らしい攻撃です)

 

 

 左足を踏み込み全身の力を右手に伝達する。

 今ある力の源を全て右手の先に受け渡している。

 踏み切った左足から体重移動してきた力が膝に登る。

 腰の回転によってさらなる力が加算される。

 背筋から振り絞った筋肉がすばやく伸ばされ、力の脈動が指先まで響いている。

 下半身からの力が全て伝わっている鋭い拳は、真っ直ぐに襲い掛かってきていた。

 

 

(素晴らしい攻撃ですが……)

 

 

 美鈴は、少年の拳に視線を送りながら、確実に以前より早くなっている少年の動きに対応する。

 

 

「先程よりも速くなっているといっても、まだまだ私には及びません!」

 

 

 美鈴は、少年の右の拳に対して右の手の甲をすり合わせるように持ってくる。

 ―――力の向きを逸らす。

 この展開は、試合の最初に行われた行動と同じである。

 同じように受け流されて反撃が来る。そんなこと少年も分かっているはずなのに。それなのにもかかわらず、少年の行動には変化が見られなかった。美鈴の行動を特に気にする様子もなく、押し出す力を緩めなかった。

 

 何かあるのか。

 美鈴は、僅かに存在する時間の中で少年の瞳を見つめる。

 少年の瞳の中には、ぎらぎらと光り狂う炎が見て取れた。

 

 

(変わったのは意識だけですか? 速度だけですか? 何も変わってないじゃないですか)

 

 

 少年の伸びてくる右手を自分の右手で打ち払う。手の甲で外向きのベクトルを加えて拳の進む方向を外へと逸らす。

 ここまで―――最初に相対した時と同じ状況である。

 少年の右の拳が美鈴の顔面の側壁を掠るようにすり抜ける。

 少年の目は相変わらずぎらぎらした瞳を保持したままである。表情を変えることもなく、前へと突き進んでいる。

 

 

(腕が伸び切っていますよ? 勢いを殺せていません。それでは前のめりに倒れるだけです。力に振り回されているようでは、私に決定打を入れることなどできやしませんよ)

 

 

 右手を伸ばした力が少年の体ごと引っ張っている。右手が伸びるのに合わせるように少年の体も美鈴に向かって突き進んできた。

 力に振り回されている。

 制御が効かないのか。

 そこまで考えていなかったのか。

 

 

(さぁ、同じ状況です! 腹部に一発いれますよ!)

 

 

 近づいてくる少年に向けて引いていた左の掌を、体を反転すると同時にひねりながら突き出す。向かってくる少年に向けて左の掌を勢いよく押し出した。

 

 

(流れは私が作ります! そして、貴方の心を粉々に砕いて見せます!)

 

 

 美鈴の攻撃が入れば、そこからは一気に美鈴に流れがやって来るだろう。初回にいれた一撃と同じように、場の流れが美鈴の方へと移っていく。流れに乗れれば少年の勢いを殺すことができる。

 意識を変えても勝てないという雰囲気は、意識を砕くのに十分な打撃を入れられるだろう。

 

 

(手加減なんてしません―――重い一撃をお見舞いします)

 

 

 そんなことを考えながら、間違いなく自分の攻撃が少年の腹部へと入ると思った瞬間―――美鈴の瞳の中にぎらぎらと光っている少年の目が入り込んだ。

 

 

「そんなに簡単に同じ轍を二度踏むと思っているの?」

 

(まさか私と同じことを)

 

 

 肩に負担がかかっている。窮屈な力が空回りをし始めている。

 

 

(私の攻撃が逸らされている!?)

 

 

 美鈴は、自分の突き出した左手が逸らされている感覚に戸惑った。明らかにおかしな力が入り込んでいる。直線運動が捻じ曲げられている。

 目を下に落とさなくても分かる。見なくても自分がされていることを察した。

 美鈴の差し出した左手は、少年の左手によって弾かれた。

 少年は、美鈴が少年にしたことと同じことをしている。腹部に迫っていた美鈴の左手を少年の掌が美鈴の左手を押し出しているのだ。美鈴の攻撃は、少年のわき腹を掠めるように離れた。

 

 

(ただの猪突猛進というわけではないようですね)

 

 

 美鈴は、少年の技量に感嘆した。

 太極拳において力の流れを変えるということは必須の技能ではあるが―――それゆえに最も難しいことでもある。力の流れを掴みとり思うが儘に操る。全身の力を全て攻撃に流れとして伝達する。これは、八極拳において基本技術でありながら奥義となりうる技術だ。

 少年は、奥義になりうるそれを確実にやってのけた。初心者には絶対できない技能だ。どこかで太極拳を学んでいたのか。もしも何も知らずに、何も理解していないうちから見ただけでできていたとしたら驚愕である。

 美鈴は、跳ね除けられた左の手に追随するようにその場で回転し、少年の背後に回り込むと背中合わせになる。そして、驚くべきスピードで強くなった少年に称賛の言葉を送った。

 

 

「先程の動きは見事でした」

 

「なんで?」

 

 

 即座に美鈴の言葉を無視するように疑問が投げかけられる。賞賛の言葉は受け取ってもらえていなかった。少年の表情は、嬉しいと言うよりも納得がいかないといった表情である。

 美鈴は、少年の疑問の意味が分からず、尋ね返した。

 

 

「なにがですか?」

 

「さっき僕が左手を打ち払ったとき、脚を出せたでしょ? まだどこかで僕を見下しているってことなの?」

 

 

 美鈴の表情がさらに驚きに染まる。

 確かに少年の言う通り、先程の状況は振り払われ力の逸れた方向を上手く制御して脚を出すことのできる場面だった。左手を打ち払われたからといって、体をひねれば脚を振るうことができただろう。戦闘が始まった時のように脚を振るい少年を攻撃することができただろう。

 しかし、事は単純な話ではない。平常であれば出せたのかもしれないが、先程は出さなかったのではなく―――出せなかったのである。少年の余りの豹変ぶりに気持ちが追いついていなかった。脳内でイメージしていた別人の少年よりもさらに上を行かれて、頭がついていかなかったのである。

 人は、予想を上回る出来事が起こると唐突に体が硬直することがある。美鈴は、まさしくそんな状態にあった。あまりに違う―――これじゃ本当に別人である。

 

 

「見下すなんてとんでもない。ちょっと驚いてしまって脚が出なかっただけです」

 

「だったらいいけど!」

 

 

 不意に背中を押し出すように力がかかる。少年は、美鈴を撥ね飛ばしにかかった。

 美鈴は、力の流れに従うように少年との距離を開けると振り向きざまに脚を振るった。少年の言動に従うように顔面に向けて脚を振るった。

 視界に映る景色は、背景を塗りつぶすように一気に変化していく。ぐるりと回って、ぐにゃりと歪んで、空の景色が存在感を消し始める。

 見えているのは―――少年だけだ。

 

 

(えっ!?)

 

 

 心が―――驚きの声を上げる。

 振り返った美鈴の視界の中に入っていたのは、同じように振り返りざまに脚を振るう少年の姿だった。全く同じものが回るように駒が二つ回っているようだった。

 少年の脚は美鈴の脚とほぼ同じ速度で動いており、どちらの脚が先に相手に衝突するのかは判断できない。脚同士がぶつかると言うよりは、どちらかの体に先にぶつかることだろう。

 

 

(来るっ!)

 

 

 美鈴は、歯を強く食いしばり少年の脚の衝撃に備えた。

 しかし―――衝撃は美鈴を襲ってこなかった。感覚としてあったのは、自分の脚が相手に当たる感触だけだった。

 

 

「いっつ……」

 

 

 少年は、痛みをこらえるように歯を食いしばり、表情を歪める。美鈴の蹴りが当たったことによる衝撃で少年の動きがずれて脚が当たらなかったようだ。

 

 

「くそ、当たると思ったんだけどな。まだ足りないってことか」

 

「経験の差が出ましたか。慣れていない動きをするものではありませんよ」

 

 

 美鈴の視線が地面に倒れる少年に落とされる。

 少年は、地面に倒れ伏しながら悔しそうに顔を歪めていた。少しでも美鈴の方が遅ければ、勝負は決まっていただろう。有効打を取られていたに違いない。

 すぐそこから敗北が見つめている。

 そのぐらい実力が拮抗し始めている。

 美鈴は、追い詰められつつあることを感じながら少年を見つめていた。

 

 

「慣れているとか、慣れていないとか、そんなものどっちでもいいんだ。そんなものどっちだって変わらない」

 

「弾幕ごっこと一緒ですよ。経験がものを言うときもあります。私にスペルカードルールで勝った笹原さんなら分かるでしょう?」

 

「‘ときもある’所詮そういうことだ。場合によりけり、例外はいつだってある。そう―――普通とは違う例外がいつだってある」

 

 

 ぎらぎらしている。見下すようにむけられる視線にぎらぎらした瞳のままで視線を返している。少年の闘志は少しも衰えていなかった。

 

 

「諦めの悪い人ですね。どうしたら諦めてくれるのでしょうか?」

 

「僕が勝つまでって言っているでしょ? いい加減分かってよ」

 

「それだとこの勝負は一向に終わりませんよ?」

 

 

 ぎらぎらしている。

 勝負に燃えている。

 あの目のどこに諦めが見える? 

 何処まで行けば諦める方法を探し出せる? 

 どれだけ追い詰めれば―――終わりという名の崖の下を見下ろすのだろうか。

 美鈴は、燃え盛る少年の瞳が訴えかける意志の強さに苦笑いしかできなかった。

 少年は、呟くように小さい声を発する。

 

 

「やっぱり……まだ、足りないんだよね。足りないから終わるところまでたどり着けないんだよね」

 

「どういうことです?」

 

 

 意味の分からない。足りない―――何が足りないというのだろうか。美鈴の頭は少年の言葉を反芻する。足りないとは、殴られ足りないということなのだろうか。

 少年は、体をゆっくりと動かしながら言った。

 

 

「気にしなくていいよ。僕がもうちょっと登ればいいだけの話だ。そうすれば、この勝負は終わる」

 

 

 少年が声を発した瞬間に少年の雰囲気が少し変化する。何も変わっていないのかもしれない。気のせいかもしれない。だけど―――美鈴は少年の変化を感じ取った。

 少年からは、僅かに熱気で上気した雰囲気が伝わって来る。心なしか少年の体から白色光が漏れ出しているように見えた。

 

 

「僕の勝ちでこの勝負の決着はつく!」

 

 

 少年は、光り輝く瞳を見せつけるように立ち上がる。しっかりとした足取りで美鈴の前に相対する。

 先程は気迫は削げなかったが、体力や身体の機能は削ぎ落とせた。

 けれども今は―――違う。そのどちらもが落ちていく気配を感じさせない。さっきまでの試合のようにボロボロになり、体力がそぎ落とされ、弱くなっていく様子はまるでない。

 何度でも立ち上がる。

 敵に対して立ち向かう。

 何度でも足を前に向ける。

 勝ちたいという想いが―――少年を奮い立たせる。

 

 

「僕を本気で落とそうと思うのなら本気でやらなきゃだめだよ。僕が見つけ出せないぐらいに―――真っ暗な中に落とさないとね!!」

 

 

 不敵に微笑みを浮かべながら伸ばした足を前へと進める。迷うことなく、美鈴のもとへと駆け出す。内包するエンジンをフル回転させる。

 燃料を燃やし、リニアからトルクへのエネルギー変換をする。

 ピストン運動というリニア運動が―――回転力というトルクのエネルギーを生み出す。

 内燃機関を燃やし、闘争心に火をつける。

 火をつけて回る。

 止める者は誰もいない。

 次々と可燃物を放り込む。

 心にある炎は、燃料を得て燃え広がっていった。

 

 

「さぁ、もう一度だ!」

 

(さっきよりも早い!!)

 

 

 先程よりも少年の動きが早くなっている。美鈴は、加速した少年の動きに戸惑った。

 美鈴の目の前に絶対に起こりえない光景が広がっている。ダメージを受け、身体能力的には低下をしていく状況において―――‘加速している’。

 奇跡でも起きているというのだろうか。幻でも見ているのだろうか。そう思った方が納得できた。

 でも、目の前の光景は現実だ。まぎれもない五感が少年の存在を認めている。

 美鈴は、息をのみながら自らを鼓舞するように声を上げた。

 

 

「それでも、まだ私よりは遅い!」

 

「それでも、まだ僕は登れる!」

 

 

 少年の攻撃に合わせるように向きを逸らし、攻撃を行う。少年も美鈴と同様に攻撃をさばけているとはいえ、経験と身体能力に差がある。それらの差は少年の流れを確実に断ち切っていく。

 

 

「いったいな! 痛いよ、すごく痛い。けど―――まだ戦える!」

 

 

 少年は、美鈴の攻撃を受けて吹き飛ばされた。

 痛みは確かに体に刻まれている。

 疲労も体に蓄積している。

 しかし、この場を支配しているのは少年の方だ。

 

 

「僕はまだ前に進める!」

 

 

 攻撃を仕掛けているのはいつだって少年で。

 流れを作り出しているのは少年で。

 流れを持ったまま抱えているのは少年だ。

 

 

「何度でも挑む! 何度だって、何度だってね!」

 

 

 少年は、すぐさま立ち上がり美鈴へと突き進む。体から溢れ出る光の量を増加させながら、速度を増して拳を振るう。

 

 

「僕はまだ生きているんだから!」

 

 

 そのころレミリアは、戦い続けている少年に視線を集めていた。視線はもはや少年に奪われ身動き一つしていなかった。

 

 

「綺麗……」

 

 

 思わず漏れ落ちた言葉は、自分でも信じられない言葉だった。自身の声が自分の耳に返ると同時に我に返り、口元をなぞる。レミリアの手は、確実に持ち上がっている口角の情報を脳へと伝達した。

 

 

「ふふっ、欲しいわ。あれが欲しい」

 

 

 レミリアは、そのまま口角を上げて微笑みながら流れるように隣にいる紫へと顔を向け、湧き上がる想いを告白した。

 妖怪の賢者は、こんな気持ちだったのか。

 今ならば理解できる。

 レミリアは、紫の胸中を察した。

 

 

「あれは、大事にしておきたくなる」

 

 

 今まで見てきた少年は、特に変わった様子もなく、紫が匿うほどの人間には到底思えなかった。

 もしも、レミリアの下に少年がやってきたのだとしたら二日も経たずして食糧と成り果てただろう。それは少年自身に魅力も感じなければ、少年を維持するためのコストに割に合わないと思うからである。

 しかし、今目の前に広がっている光景を見れば、紫の気持ちがよく分かる。大事にしてきた意味が理解できる。ここまで手をかけてきた理由が理解できた。

 レミリアは、納得するような表情を浮かべた後、楽しそうに告げた。

 

 

「紫が気にかけるのも納得ね。あれは……欲しくなるわ」

 

 

 紫は、まるで少年のことをくれと言っているように聞こえるレミリアの言葉に大きくため息を吐いた。

 

 

「欲しいのなら奪ってみなさい。貴方ごときでは奪えやしないでしょうけどね」

 

「私は、欲しいものは必ず手に入れて見せるわ」

 

 

 レミリアは、自信満々に少年のことを奪い取ると言う。

 紫は、自信をもって告げるレミリアに対して僅かに悲しい表情を作った。

 それは―――相手の感情に機敏な少年になら気付けたかもしれない変化だった。

 

 何も分かっていない。

 見た目に騙されてはならない。

 少年という存在をはき違えてはならない。

 少年は誰の手にも収まるものではないのだから。

 紫の口からレミリアに向けて挑発的な言葉が投げつけられる。

 

 

「貴方には見えていないのかしら? 貴方の鎖では和友を縛ることはできないわよ?」

 

「紫、失ってからでは遅いわよ? 私は、一度手に入れたものを誰かに渡したりなんてしないわ。あなたも良く分かっているでしょう?」

 

 

 紫の視線が少年へと向けられる。

 これまで育ててきた―――家族の一員である和友が確かに存在している。

 

 

(あの子を奪う―――なんて笑える冗談かしら)

 

 

 和友を奪おうというのか。

 誰から奪おうというのだろうか?

 私からかだろうか?

 

 

(そもそも和友は誰のものでもない。仮に私のものだとしても、奪い取れるはずがないわ)

 

 

 残念ながら少年の存在は私のものではない。

 仮に私のものだとしても―――あんなものどうやって奪うというのだろうか。

 少年は人間だから誘拐ではないのかとか。

 人間を奪うことなんて物理的にできないとか。

 そんなことが言いたいのではない。

 あんなもの―――大きすぎて奪えないのだ。

 一部を奪うことならできるかもしれない。

 力でねじ伏せて、多くを保持することならばできるかもしれない。

 ただ、全部は無理だ。

 それは、独りで地球を独占するようなもの。

 徒歩だけで、地球の全てを統べるということ。

 

 レミリアの視線は、紫が視線が外されるのを気にするようすもなく紫へと集められている。

 視線を逸らした紫の視界に入っているのは、少年から発せられる白い発光だけだった。少年から溢れ出る発光は、輝きを増して美鈴へと向かっている。後1年で潰えてしまうであろう光が、輝きを放ってそこにあった。

 レミリアは、顔を向けようとしない紫に明言する。

 

 

「私は、一度手にしてしまえばあれを絶対に手放さないわ。誰にだってあれを明け渡したりなんてしない」

 

「…………好きにしなさい。できるものならね」

 

 

 紫は、レミリアの言葉を吐き捨てるように言った。

 できるものならね―――紫からの回答に深読みをする。紫が何を考えているのか、何を想っているのか思考する。失ってもいいというのだろうか。奪われてもいいというのだろうか。

 それとも―――奪われることはないと信じ切っているのだろうか。

 レミリアは、選択肢を頭の中に浮かべたところで考えることを止めた。

 結局―――奪うことは変わらない。ならば紫の思考を読み解いたところで意味がない。奪われたくないと言わない以上、邪魔立てしてくることもないだろう。

 レミリアは紫から少年へと視線を戻すと、うっとりするような表情を浮かべた。

 

 

「ああ、あれが欲しいわ。あの光輝く磨きかかった奇跡のような光が……」

 

 

 レミリアの視線は―――確実に少年へと引き寄せられていた。

 そして、時を同じくして―――咲夜の瞳も少年へと惹きつけられていた。

 

 

「…………」

 

 

 先程まであったはずの止めようとしていた意志はどこかに行ってしまって行方不明になっている。完全に目の前の光景に酔いしれ、少年に強く惹きつけられている。負ければ負けるほどに光り輝く少年は、まるで研磨されているダイヤのような印象を受けた。

 咲夜は、自分の口角が上がり、微笑んでいることを知らない。目の前の光景を永久に見ていたいという感情に支配され、審判としての役目を失っていることにも気づいていない。そこにあったのは―――ただの観客と化した人間が一人である。

 審判がいなくなったこの場において勝敗を決められるのは―――少年と美鈴だけである。

 

 

「まだまだ負けないよ!!」

 

 

 少年は、吠えるようにして前に脚を向け続ける。

 

 

「前へ出ろ! 前に! 前に!」

 

 

 人間は後ろ向きに歩けるようにできていない。

 前を向くんだ。前を向いて歩くのが人間の歩行の形なのだから。

 諦めるという言葉を失った少年の気持ちは、ブレーキがかかることなくアクセルを踏み続け、加速し続けていた。

 

 

「さぁ、八段目だっ!!」

 

「ははは! 何度でも来てください! 何度でも地面に叩き伏せてあげます!!」

 

 

 美鈴は、何度も立ち上がって来る少年に対して―――勢いよく成長する少年に対して劣勢に追い込まれつつあるなかで、笑顔を見せた。

 少年に影響を受けているのは、美鈴も同じである。少年の最も近くにいる美鈴は、少年の熱気に当てられて気持ちを上昇させていた。

 少年の速度や力強さは止まる気配を全く見せず、ますます増加している。倒しても倒してもより強くなって立ち上がってくる。

 

 まるで―――死を失ったゾンビのようだ。

 

 戦うのが楽しいのだろうか。

 それとも振り切れているのだろうか。

 嬉しそうに立ち向かってくる。

 体から湧き上がる白色光は、もう目立つくらいになっている。白い輝きを放って悠然と‘そこ’にある。少年がゾンビならば、この白い発光は魂とでもいうのだろうか。強くなっていく魂を削り取る手段が見つからない。

 

 

(このままじゃジリ貧ですね。倒しても倒しても意識は飛ばないし、弱くなる気配もない。咲夜さんはあんな状態ですし、止めてくれる気配はないみたいですね)

 

 

 美鈴は、隣でぼーっとしている咲夜に目を向ける。

 あれはもうだめだ。期待してもその期待が叶うことはない。見ているだけの存在に成り下がっている状態になってしまっている。オーディエンスは試合を動かすことはできない。

 

 

(これは……腹をくくりましょうか)

 

 

 完全に意識を刈り取ろう。

 少年の精神力は並大抵のものではない。

 それはこれまでの戦闘から実証されている。

 ならば少年の意識を刈り取るために―――それ相当の攻撃を打てばいいだけの話だ。

 渾身の一撃を。

 心を砕く一撃を。

 少年に打ち込むだけ。

 遠慮などいるものか。

 ここまで前に出てきてくれているのだ。

 これに応えてあげない方がよっぽど―――不誠実だろう。

 

 

(守りから攻めるのはもう終わりです。確実に意識を飛ばします!!)

 

 

 相対する少年に対して攻撃の構えを作る。迎撃から一気に攻めたてるために、全身のどこでもすぐに動き出せるような体勢を構築する。

 軽く脚を肩幅に開き、つま先に力を入れ、肩の力を抜いて手を軽く持ち上げる。

 

 

「うおおお!!」

 

 

 少年は、いつものように前へと前進してくる。さらに速度を増した足で、さらに力を増した拳で、さらに輝きを増した瞳で前へと突き進んでいる。

 レミリアは、テラスから少年を興味深げに見つめながら考えを巡らしていた。

 

 

(どうして霊力が枯渇しないのかしら……)

 

 

 少年の身体能力は、途切れることなく霊力からの恩恵を受けている。霊力の少ない少年の霊力は底をつく雰囲気を感じさせず、無限に湧いて出てきているように見える。

 

 

(無から有は生まれない。だとしたらどこかから引っ張ってきていると考えるのが普通なのだけど―――出どころが全く分からないわね)

 

 

 どこからか拾ってきているのか、どこから湧いてきているのか、全く理解できない。速度に関してだけならば霊力の増強を合わせた状態で美鈴の速度を超えているだろう。

 

 

「私だって負けませんよ!」

 

 

 だが、相手の方が早くなったからといって負けてしまう美鈴ではない。美鈴は自分よりも早くなった拳を振り払い、反撃を行っている。

 そして美鈴の迎撃を、少年は悠々と処理している。

 

 

「これも逸らしますか!」

 

 

 ここまで来ている。二人の立ち位置は、もうすぐ真横まで来るところまで迫って来ている。もうすぐ追いつく。もうすぐ追いつける。

 少年は不敵に微笑み、美鈴へと言葉を投げつけた。

 

 

「さっきより遅くなったんじゃないの?」

 

「はは、少し疲れちゃったみたいですね」

 

 

 疲弊する様子のない少年を相手にしていると、終わりのない雰囲気に集中力をそぎ落とされる。

 身体というよりも―――心が疲弊している。

 上がり調子の少年の身体能力。

 体力を削られて、下りに入った美鈴。

 その差はどんどん狭まっている。

 追い詰められている感覚が心を圧迫している。

 少年は、美鈴の言葉を聞いて最初に会った時のような優しい表情を作ると攻撃に移った。

 

 

「なら早めに終わらせないとね」

 

「っ……」

 

 

 美鈴は強く歯を食いしばり、少年の攻撃を捌いていく。

 少年は、終わらせにかかっている。もう追いついてきているということを自覚しているのだ。

 少年の動きは完全なる素人ではない。かじっている程度とはいえ、八極拳を学んでいる節がある。経験の差で優っているとしても、このまま少年の速度が上がれば、追いつかれるのは必然だ。

 だが、ここで負けるわけにはいかない。

 私にだって意地はある。

 八極拳を長年続けてきて。

 こと近接格闘なら並の妖怪にだって負けない自信もあったのに。

 こんな人間の少年に負けるなんて。

 負けられない。

 負けてなるものか。

 美鈴は、声を張り上げ、削られていく体力の中で全力を振り絞る。

 

 

「私は、絶対に負けませんっ!!」

 

 

 少年の攻撃を振り払い、腹部に掌底を決める。

 続けざまに左手の拳で顔面を殴打する。

 少年は、美鈴の攻撃に従うようにもう何度目かわからないダウンをきっした。

 そして、同じように何度見たか分からない動き―――立ち上がる様子を見せた。

 

 

「まだ、終わっていない」

 

「はぁっ、はぁっ……本当にとんでもない人ですね」

 

 

 大きく息を吐き出し、少年のもとへと駆け寄る。待つという行動に出るのはもう止めだ。倒れている少年に向けて脚を向け、攻撃を続行する。

 確実にとどめを刺す。今までと異なり、自分から攻撃を仕掛ける。倒れている少年に対し、追撃をかけようとした。

 レミリアは、美鈴の行動を見て賭けの勝ちを確信した。

 

 

「賭けの勝敗は決したわね。私の勝ちよ」

 

 

 紫は、レミリアの言動に薄く笑う。いつもの平常心の八雲紫の表情―――捉えようのない表情を浮かべていた。

 

 

「ふふっ、やっぱり吸血鬼には分からないのかしら?」

 

「私が何を分かっていないというの?」

 

「ふふふっ……」

 

 

 挑発するような笑みを浮かべたまま紫の視線が少年へと落とされる。

 紫には、少年が勝つという確固たる確信があった。少年のことを知っていれば誰もが口をそろえて言うだろう。

 少年は―――絶対に負けない。

 紫は、知っている。

 この勝負において少年の負ける確率は0であるということを。

 少年の勝率が100%であるということは、揺らぐことのない不変の真理なのだということを。

 少年は、地面に倒れながら近づいてくる美鈴を見上げる。美鈴の額からは汗が流れている。疲れている様子が見て取れた。

 少年のもとへと近づいた美鈴は、大きく息を吸って心臓の鼓動を落ち着ける。

 

 

「はぁ~」

 

(これはやばいな……)

 

 

 少年は、目の前まで来ている美鈴を見て覚悟を固めた。

 美鈴は確実に自分を倒しに来ている。

 美鈴の勝つためにはもう一段上がる必要がある。現在8段目である、まだまだ上はある。病気で苦しんでいたあの時に比べれば、まだまだ登れる。

 決意を固めろ。

 さらに一歩を踏み出せ。

 

 

(9段目……)

 

 

 次の段階へと足を進める。少年の周りから出ている白色光の輝きがさらに増す。

 美鈴は、少年の雰囲気がさらに増大するのを感じ取ると少年の真正面で僅かに腰を落とし、右手を前に出して構えた。

 ―――明らかな攻撃の構えである。

 少年は、いつもと同じようにゆったりと立ち上がりぎらぎらした瞳を美鈴へと見せつける。

 美鈴は、少年が立ち上がった瞬間に視線を合わせると、拳を少年の腹部に接触するぐらい近くに持ってくる。美鈴の拳は、一寸もないような空間を保持して少年の腹部へと添えられた。

 

 

「さぁ、もうおしまいです」

 

 

 非接触の右手を接触状態へと持っていく。全身の力を右手の先へと伝達させ、一瞬の感覚の間で破裂させるようにして加速させた。

 

 ―――紅寸勁(こうすんけい)―――

 

 美鈴の全力の攻撃が少年の腹部を貫くようにして突き刺さる。少年口から余りの美鈴の威力に空気が吐き出される。ボキボキと肋骨が数本折れる音が空間に拡散した。

 今までの攻撃とわけの違う―――確実に意識を落とし込むための攻撃に耐える。意識を保って両足を地につける。

 骨はおられても―――心は折られない。

 

 

「ぐふっ……痛いなぁ……」

 

「これでもまだ意識を飛ばしませんか!」

 

 

 意識を失わない少年に悪態をつきながらも追撃に入る。

 腹を押さえて苦しむ少年の懐に入り込み、力の振り絞った右腕を振り切る。

 確実に落とす―――強い想いと共に叩き込む。

 

 

「では、これでどうですか!!」

 

 

 ―――紅砲(こうほう)―――

 

 美鈴の低い体勢から繰り出させる、斜め方向への砲撃が少年の顎に突き刺さった。

 確実に意識が飛ぶような一撃が少年の脳を貫くように駆け巡る。

 意識が飛ぶ。体も宙へと放り投げられる。

 レミリアは、意識の失った少年を見て勝ち誇った。

 

 

「ほら、やっぱり美鈴の勝ちじゃない」

 

「……それはどうかしら?」

 

 

 紫は、意識を失って空を舞う少年を驚くことなく見つめていた。

 レミリアは、特に表情を変えることのない紫を不審がる。少年があれほどに殴られても動かない紫の真意が分からない。少年を心配してきたというのならば、今こそ駆け寄ってやるべきだろう。骨が折れて意識を飛ばしている今こそ、声をかけるべきだろう。

 しかし、紫は―――‘動こうとすら’しない。それはまるで、まだ終わっていないという宣言に聞こえた。

 

 

「紫、貴方……まさか本当に……」

 

「和友は絶対に負けないわ。私の想いは最初と何も変わらない。ここから和友が勝つのよ」

 

 

 レミリアの目は、信じられない物を見るかのような目をしていた。

 紫は、不審がるレミリアに向けて一つの問いを投げかける。

 

 

「吸血鬼、貴方は和友が入院していたことを知っているかしら?」

 

 

 レミリアは、主に噂で少年のことを知った。

 少年についての噂は良くも悪くもよく流れている。特に人里での目撃証言は、よく出回っているように思う。ただの人間なのに、よくもまぁあれほど噂になるものだと思ったものである。

 いや―――ただ人間ではないか。

 八雲紫が連れて来た人間だ。

 レミリアは、いつしか人里に八雲の連れ子がやってこなくなったこと―――死んだのではないかという噂が広まったことを知っていた。それが病気であったことは知らなかったが、紫の言葉で知ることとなった。

 

 

「いいえ、知らないわ。あの子、病気持ちなの?」

 

「病気持ち……ええ、そのとおりね。和友は不治の病を抱えている」

 

「その病気を持っていることと今の意識のない状況から勝てることに、どんな因果関係があるというのかしら?」

 

「和友は……探し物の上手い子なの。探し物を見つけるのが上手い子なのよ」

 

「それはどういう……」

 

 

 紫の言葉が何を意味しているのか分からない。それが何の関係があるのだろうか。探し物が上手いから何なのだろうか、探し物を見つけるのが上手いからなんだというのか。

 レミリアの口から疑問が放たれようとした。だが、言葉を口に出そうとしたところで外から聞こえる叫び声に言葉を押し留めた。

 

 

「ど、どうしてですか!? 先程確かに意識を飛ばしたはずです!!」

 

「うん、飛んだよ。ものすごい勢いで飛んだ」

 

「ならどうしてっ!? どうしてあなたは立っているのですか!?」 

 

 

 美鈴は、少年が立って自分に向けて物事を口にできる余裕がある事実が信じられず、目を疑った。

 確実に少年の意識を断ち切ったはずだ。

 それだけの攻撃をしたはずだ。

 手ごたえは十二分にあった。

 それは、少年も認めるところだろう。

 しかし、少年は今も足を延ばして立っている。少しのダメージを抱えている雰囲気を感じさせず、相対している。輝きを増した光を放ちながら立ち向かっている。近くには心配して近寄る咲夜の姿があったが、まだ勝負は終わっていないとでもいうように手で静止していた。

 

 そう、少年の勝負は―――まだ終わっていなかった。

 

 これでは先程と何も変わらない。決死の覚悟で打ち込んだ一撃さえも無視するように、馬鹿にするようにいつも通り立っていた。

 

 

「意識を失って立ち上がれるわけがありません! それに、意識が飛んだというのならそんなスイッチを入れるみたいに意識を取り戻せるわけがないじゃないですか!」

 

 

 意識を失いながら立つという行動は酷く難しい。かの有名な三国志の武将で立ったまま死んだ人間がいたため、前例があると考えると100%ないと断言できることではないが、限りなく難しいだろう。

 そんな可能性があると百歩譲ったとしても―――あの一瞬で意識を取り戻し、ここまで平然としゃべるというのはもはや別次元の話である。意識が飛んですぐに復活することは基本的にあり得ない。肩が脱臼して戻すのとはわけが違うのだ。数秒で立ち上がれるのだったら―――数秒で意識を取り戻すことができるのであれば、意識を失うなんて関節を外すぐらい簡単にできるはずである。 

 

 

「飛んでいく意識を探し出したんだよ。勝負の最中に寝ている暇はないからね。僕の勝負は、まだ終わっちゃいない」

 

 

 美鈴は、少年の言葉に絶句する。レミリアも美鈴と同様に悠然と語る少年を驚きの表情で見つめていた。

 

 

「ど、どうして?」

 

「あんな痛みで意識が無くなるのなら、和友も私たちもあんなに苦しい思いをしなくて済んだ……」

 

 

 レミリアの疑問に答えるのは容易である。

 その問いに対する答えを嫌というほど知っている。

 答えは、半年前の少年の闘病生活にある。

 少年は、血反吐を吐きながら病気と闘った。原因の分からない病気―――正確には原因を知っていたが原因を取り除くことができなかった病気と闘っていた。

 少年の病気は、少年に対して毎日のように襲いかかった。吐き気と共に出る血の流出、感覚のマヒがものすごい勢いで加速度的に進行していく。

 病気の進行になす術もなかった。

 ただただ、耐えるだけだった。

 

 

「和友に対して薬の類は一切の効果を示さなかったわ。私たちには、和友の境界線の曖昧になった感覚に対して、有効な手立てがまるでなかった」

 

 

 少年は―――必死に耐えた。

 苦しみに、辛さに、逃げることなく立ち向かい続けた。

 死にたいと言うこともなく。

 最後の最後まで生きることを止めなかった。

 境界線がどんどん曖昧になって。

 手が震えて。

 眼球はとどまることなく動き続ける。

 瞼を閉じることすらできなくなるような―――どうしようもない状況の中で生を望んだ。

 

 

「私の能力を使って意識を切り離すことも考えたわ。意識が飛ぶような衝撃を与えることも試してみた」

 

 

 思い出したくもない思い出を次々と引っ張り出す。

 少年の意識を吹き飛ばすために行った実験の数々―――無理な薬品の投与による意識の分離―――能力を用いた意図的な切断―――衝撃による破壊的な断絶。

 

 

「それでもあの子は、何度も何度も探してくる。見つからない場所に隠しても必ず見つけてくる。意識が飛ぶ度に、辛い現実しか待っていないというのに何度も何度も何度も……意識を取り戻す」

 

 

 少年の意識は一瞬失うものの、すぐに戻ってきた。いかなる手段を用いても、失った意識は数秒で戻ってきた。

 

 

「何があっても生きていようとする」

 

 

 意識を飛ばすために策略した周りに振り回されながらも。

 余計な負担がかかって辛くなってしまった中でも。

 さらに苦しみを見せる中でも―――病気と戦うことを止めず、生きることに対して諦めるということをしなかった。

 記憶を辿る紫の声は、今にも消え入りそうだった。

 

 

「私たちは、そんな和友を見ていられなかった……」

 

 

 レミリアは、紫の言葉を聞いて少年の特異性について把握した。目の前で美鈴と闘っている少年がどれほどに壊れていて、狂っているのか理解した。

 視線をそっと少年へと落とす。視線の先には、立ち上がり強気な姿勢を見せる―――諦める様子の欠片もない少年の姿があった。

 

 

「ほら、10段目だ!」

 

「本当に規格外の人ですねっ!!」

 

「お褒めの言葉をありがとう。でも、人には変わりないんだよね。僕はどう頑張っても人にしかなれないし、なるつもりもないから」

 

 

 少年は、ぎらぎらした瞳を一遍も曇らせることなく、前へと足を進める。驚きに打ち震える美鈴に対して攻勢に出る。

 

 

「貴方なんか人間じゃありません!」

 

 

 美鈴は、接近する少年に悪態をついた。

 どうしてこうもこの人はこうなのだろうか。今の状況を悪くないと思う自分が、心のどこかで笑っている。

 美鈴は、どこかずれている少年に苦笑すると構えを作り少年の迎撃に入る。

 これが―――最終勝負である。

 

 

「僕は人間だよ。ただの諦めの悪い人間だ」

 

「いいでしょう、最後まで付き合います! 一発で倒れないのなら何度でもぶち込むまでです!!」

 

 

 少年は骨の折れた肋骨をものともせず、美鈴へと滑走する。

 美鈴は、襲い掛かる少年の初撃を躱し、怪我を負っている腹部へと拳を突き立てる。肋骨の折れている少年の腹部はさらに嫌な音を立てた。

 

 

「これでどうですかっ!」

 

「まだまだぁっ!!」

 

 

 少年は、痛みをものともせずに反撃に移る。

 それは読めている。

 美鈴は、少年の反撃を読み切っていたように脚を後ろに下げて少年との距離を僅かに作ると、少年の攻撃をいとも簡単に防いだ。

 さぁ―――最後の最後まで付き合いましょう。

 その身が滅びるまで。

 私の拳は、貴方を貫きます。

 

 

「これでも立っていられますか!」

 

 ―――撃符(げきふ)大鵬拳(たいほうけん)」―――

 

 轟音と共に美鈴の拳が天へと向かう。紅砲とは次元の違う力が美鈴の拳に加えられている。

 ―――――――嫌な音が鳴り響く。

 少年の顎にものの見事に美鈴の攻撃が突き刺さる。顎の骨は嫌な音を立てて折れた。

 美鈴は、確実に少年の意識を刈り取るのを感覚で感じ取る。

 

 

(これで終わりですね……)

 

 

 美鈴は、二度目となる勝負の勝ちを確信した。

 少なくとも、再び少年が立ち上がってきたとしてもそれまで休憩の時間があるだろう。そのうちに審判役が勝敗を決してしまえばいい。審判を急かせば、必ず勝てるはずだ。そんな気持ちを抱えて、楽観視して気を緩めた。

 

 

(これで終わり……?)

 

 

 少年は、ゆったりと浮かび上がる中で意識を爆発させていた。ゆったりとした時間の中で走馬灯のような時間を巡っていた。

 

 

(何も変わっていないのに終わり? 勝負はもうついたのか? 未来は変わったのか? 僕は、本当に全部を出し切ったのか? 頭の先から足の先まで、出せるものを全て出し切ったのか?)

 

 

 まだ、勝負はついていない。

 あの時に比べれば楽だろう?

 この勝負は勝てる勝負なのから。

 終わりの見えている勝負なのだから。

 あの時と違って加速度的に増え続ける相手に対して耐え続ける作業ではないのだから。

 ボートに穴が開いて水が入って来る状況で、バケツで水をかきだしているような話ではないのだから。

 永久に動き続けるものに対して気力を振り絞るだけの作業ではないのだから。

 

 

(まだ燃えている。光っている。未来はまだ終わっていない)

 

 

 ほら、すぐに見つかるだろう。

 戦いの意志は―――燃え盛る意識は―――すぐそこにあるのだから。

 目の前に―――あるのだから。

 

 

「みーつけた」

 

 

 美鈴の攻撃を受けてコンマ数秒経過する前に意識を見つけ出す。

 少年の体はまだ、宙を浮こうというところである。

 少年は、吹き飛ばされるベクトルを感じながら美鈴の顔面にめがけて脚を振るった。

 

 

(そんな!? 大鵬拳で体が浮いた直度に意識を取り戻すなんて)

 

 

 信じられないほどに素早く復帰してきた少年の反撃に対応できない。美鈴には、ゆっくりと迫りくる少年の動きを躱すだけの余裕がなかった。

 凝縮された時間の中で少年の脚が美鈴の頬に接触する。

 美鈴の頬を鋭い衝撃が襲った。

 

 

「うっ……」

 

 

 美鈴の体勢が速度の乗った攻撃を受けて崩される。片手をつくような体勢で地面に膝を落とした。

 直にダメージが脳内に運ばれている。少年の攻撃によって脳が揺さぶられ立つことが難しくなっている。

 だけども、美鈴は曖昧な意識の中で視界を前へと向けた。

 視界には空中から落ちて地面に横たわり、遠くで転がっている少年が勝ち誇ったように右手をかざしている姿があった。

 

 

「ははっ、私の負けですか……」

 

「えっ、何が……」

 

 

 咲夜は、目の前の光景にハッと意識を取り戻したように状況を確認する。

 少年は確かに目を見開き、嬉しそうに表情を輝かせている。表情の輝きと反比例するように少年の周りから出ていた発光は収まっていた。

 咲夜は、動揺した心を抱えながら少年と美鈴の様子を見比べると、勝負の終わりを確信し、高らかに勝負の終わりの言葉を宣言する。

 

 

「しょ、勝負―――笹原の勝ち!!」

 

 

 ―――ここに勝負が決した。

 勝者は―――笹原和友である。

 紫は、隣にいるレミリアに挑発するような表情を浮かべる。先程までレミリアが浮かべていたような勝ち誇った表情を浮かべていた。

 

 

「美味しいワイン、楽しみにしているわ」

 

「…………」

 

 

 レミリアは、無言で少年を見つめたまま固まっている。予想外の出来事に頭が真っ白になっている。

 紫は、茫然としてるレミリアを置き去りにしてテラスを離れると紅魔館の中へ入っていった。

 レミリアは、そんな紫の動きに気付くことなく―――その場で独り、呟いた。

 

 

「やっぱり、あれが欲しいわ」

 

 

 レミリアの言葉は誰にも拾われることなく空中に拡散し消えていく。

 レミリアの視線の先には、美鈴と咲夜に支えられる少年の姿があった。




 やっと試合が終わりましたね。少年が見つけ出すのが上手いのは、心の中でのことを思い返してみればわかります。紫や藍を見つけるのと同じ要領です。自分の意識なだけあり、すぐに見つけられるということなのでしょう。階段を登るイメージは、人里でしたので大丈夫だと思います。
 少年の心を折るのは非常に難しいので、こういった勝負では、少年は負けることはまずないと思います。少年に勝つこと自体は、結構簡単ではあるのですが、勝負のルール次第ということになるのでしょうね。ダウンしたら負けだったら一瞬で勝負が付いていますし、死んでも負けとかだったら少年が負けているでしょうし。
 少年の病気の時の話に関しては、永夜異変あたりか、その辺で書けたらいいなと思っています。
 ここからちょっと独自設定が入り始めます。みなさんは、フランが495年間地下に閉じこもっていた理由をどんな風に考えているのでしょう?

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