ぶれない台風と共に歩く   作:テフロン

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美鈴が起きるまで待ち続けていた少年。
始まったのは、弾幕ごっこ。
少年は、弾幕ごっこの経験の差をまざまざと見せつける。
勝負は、すぐに決着を迎えた。
しかし―――それだけでは終わらなかった。


父親の影響、燃え上がる闘争心

 今、目の前で美鈴と少年が戦おうとしている。合図が出されれば、すぐにでも戦闘が始まるだろう。

 これから始まるのは、これまで練習してきた弾幕ごっこみたいなごっこ遊びではない。生き残りをかけるような、闘争本能をむき出しにするような殴り合いだ。

 そこで、少年はどんな戦いをするだろうか。

 どんな試合になるだろうか。

 どんな姿を見せつけるだろうか。

 紫は、テラスから少年と美鈴を見下ろしながら誰にも聞こえないような声で呟いた。

 

 

「和友は、自分から絶対に折れたりしないわ」

 

 

 紫は、そっと目を閉じてある時―――少年に尋ねたときのことを思い出した。ある一つの疑問を少年へと投げかけたときのことを頭の中に思い浮かべた。

 

 

「和友、貴方はいつも書き記しているとき、何を考えているの?」

 

 

 紫が質問を少年に投げかけたのは、少年が書き記す作業に従事していた時、まだ病気になる前の元気な時、書き記す作業をしていた時のことである。

 

 

「どうしてそんなことを続けていられるの?」

 

 

 紫は、書き記す作業を行っているときの少年の心境が心底疑問だった。

 書き記す作業は―――心を擦り減らす作業である。

 

 

「何を考えていれば、書き記す作業を乗り越えられるの? 周りがやらなくてもいいことを、周りより劣っていることに対してどうしてそこまで取り組めるの?」

 

 

 どうしてやらなくてもいいことをひたすらに続けることができるのだろうか。

 普通の人間ならばやらなくていいことをこれほどまでに継続することができるのだろうか。

 どんな動機があれば、こんなことを続けていくことができるだろうか。

 何が少年を突き動かしているのだろうか。

 生まれつき足が動かない。

 生まれつき目が見えない。

 だから動かせるように努力する、見えるように努力する。

 少年のそれはまるっきりそんなものだ。他の人が当然のように―――当たり前のようにできていることができず、努力する。

 そんな―――努力の形によく似ている。

 なぜできないのかと思っても現実は変わらない。

 なぜできないのかは分からないが、できないという事実は変わらない。

 そんな不平不満が顔を覗かせる―――徒労だ。

 普通の精神では、とてもじゃないがとっくに擦り減って続けていくことは難しいだろう。

 それでも、少年は続けてきた。そんな擦り減らすだけの作業と共に生きてきた。

 紫は、書き記す作業をしているときの少年が何を考えて、何を想っているのか知りたかった。

 

 

「どうしてって……」

 

 

 少年は、紫の問いかけに一瞬きょとんとした表情を作る。どうやら、そんなことを聞かれるとは思っていなかったようである。

 

 

「気になるの?」

 

「気になるわ。だって、この作業は酷く辛いでしょう? 普通の人はやらなくてもいいのに、やらなきゃならない自分の体が恨めしいでしょう?」

 

 

 少年がいつも行っている書き記す作業がどれほどに心を削るのか。どれほどに精神をそぎ落とすのか。想像するのは難しくない。

 本来能力を持っていなければ、書き記す作業を行う必要はない。その考えこそが心をさらに擦り減らす。みんなはやらなくてもいいのに、どうして自分だけがやらなければならないのだと不当に思うことが、モチベーションを下げ、心を負の方向へと突き進ませる。

 なのに、少年からはそんな感情や雰囲気が全く感じられない。幻想郷に来ても未だに書き記す作業を続けている。モチベーションを下げずに書き記す作業を行うことができている。

 少年のモチベーションを支える想いは何なのだろうか。

 何が少年を駆り立てているのだろうか。

 紫は、少年の心の動きを知りたかった。

 

 

「相変わらず紫はズバズバと言うね。うん、間違っていないよ。僕は、こんなことやりたくないし、こんな苦しいことをしたくない」

 

 

 少年は、余りに真っ直ぐに質問してくる紫に乾いた笑顔で、書き記す作業をやりたくないと、苦しいとはっきりと告げた。

 誰が好き好んでやるものか。

 不満がないわけじゃない。

 苦痛に思っていないわけじゃない。

 ただ、そう思っても変わらないのに、そんなところで感情を使うと疲れるだけだと知っているだけである。

 

 

「でも、そう思っても何かが変わるわけでもないのに、辛いなんて思っていたら余計に疲れるんだよ。何かを思うという行動をするだけで、エネルギーを使うんだ。だったら別の所で使った方が良い。その方が心にも体にも優しい。きっと環境にも優しい」

 

 

 感情は、エネルギーだ。辛いと思うことにもエネルギーを使う。苦しいと思うことにもエネルギーを使うのだ。だったら別の所に使った方が良い。少年の考え方は、そんな淡泊なものだった。

 それが少年の考えだとすると―――少年を駆り立てるものは、少年を支えている想いはどこにあるのだろうか。辛いと思うことを止め、苦しいと思うことも止めて、どんな感情にエネルギーを注いでいるのだろうか。

 どうすれば―――立ち向かっていけるのだろうか。

 どうすれば―――心を折らずに前向きに生きていけるのだろうか。

 

 

「私は気になるのよ。あの苦しい作業にどうやって立ち向かっているのか。その折れない心は何処から来ているのか。何が貴方の心を前に向かせているのか……」

 

 

 少年は、少し考えるようなしぐさ見せる。

 どう言えば分かってもらえるだろうか。

 どう表現するのが最も理解できるだろうか。

 どんな言葉を使えば気持ちを伝えられるだろうか。

 少年は、おぼつかない雰囲気で口を開いた。

 

 

「そうだなぁ……単純に―――勝ちたいっていう気持ちかな」

 

「勝ちたい気持ち?」

 

 

 紫は、少年の言葉に耳を疑った。

 はたして、勝ちたいという気持ちで血が出るような書き記す作業を乗り越えることができるのだろうか。

 いや―――そんなことできやしないだろう。書き記す作業は、勝ちたいなんて単純な感情で乗り越えられるほど軽くはない。少なくとも勝ちたいという想いだけでは無理だ。

 もっと特別な何かがあるはず。

 それが少年を支えているはずだ。

 紫は、疑問を含んだ声を再度投げかけた。

 

 

「そんなもので、あの辛い作業が乗り越えられるものなの?」

 

「そうだよ、そんなもので乗り越えられるんだ」

 

 

 少年の答えには迷いがなかった。

 勝ちたい―――それが全てなのだ。

 勝ちたいという想いが100%になることで頑張れるのだ。

 これは、家族から教えてもらった感情。

 昔のことをゆっくりと思い出してみる。

 記憶の中から消えかけた想い出の一部が語り掛けてくる。

 声色の分からなくなってしまった言葉が―――少年の口から放たれた。

 

 

「これは、父さんから教えてもらったんだけど、人間が一番頑張れるのって、闘争心が燃えているときなんだって。相手を倒して、上に登る気持ちを持っているときなんだってさ」

 

 

 心の持ち方は父親から学んだ。少年の母親が少年に優しさをもたらしたとするならば、父親は少年に心の強さをもたらしているといえるだろう。

 少年は、遥か彼方の薄れてしまった記憶を巡り始める。

 

 

「僕の父親が言っていた」

 

 

 記憶が少年の心を支える―――思い出が少年の両足を立たせる。

 

 

「確かに言っていた」

 

 

 思い返した瞬間に泣きそうになった。

 泣きたくなった。 

 でも、感情の波が押し寄せてくる感覚に耐える。

 ―――悲しんじゃいけない。

 両手で包み込むように見つけてあげる。

 記憶を引っ張り出す。

 心の中から無くなっていっているものを。

 真っ黒な見た目になってしまったものを。

 

 

「僕に教えてくれた」

 

 

 少年は、分からなくなったものを見つめた。

 

 

 父親は、不安を感じさせない笑顔で少年に告げた。

 

 

「和友、今日もがんばるぞ!!」

 

「うん……頑張ろう」

 

 

 少年の顔は酷く辛そうだった。父親は、やむをえないという雰囲気で複雑な表情を浮かべる。

 書き記す作業は―――自分の病気といえる能力の影響を認めてしまえば、受け入れてしまえば別にやらなくていいことである。つまり書き記す作業は、単純に両親のエゴなのだ。普通に生きて欲しい、普通であって欲しいという気持ちが少年に書き記す作業を強制させている。

 

 

「ほら、元気を出せ。一緒に頑張れば辛さも半分だ」

 

「うん」

 

 

 書き記す作業は、もともと少年と父親の両方が行っていた。初めの1カ月間は少年と一緒に書き記す作業をしていた。

 どうしても自分だけがと思うとやる気が無くなってしまう。他の人はやらなくてもいいのにという不平が頑張ろうという気持ちを分断するからだ。

 父親は、子供のやる気を出させるための奮発材としての役割と、子供だけに書き記す作業をさせるのは忍びないという罪悪感から一緒にやることを決めていた。仕事が終わって夜8時から夜11時まで少年と共に書き記す作業に没頭していた。

 だが、どうしても仕事の疲れもあって、眠そうに頭をカクンカクンとしてしまっている。少年は、眠そうにしている父親を見て気を遣った。

 

 

「大丈夫? 無理して一緒にやらなくてもいいよ……僕なら、ちゃんと頑張れるから……」

 

「……お、すまんな。ちょっと眠ってしまったみたいだ。大丈夫、大丈夫、まだまだいけるさ……」

 

 

 父親の心が折れるまでには、さほど時間はかからなかった。

 父親の書き記す作業を行うためのモチベーションの源泉は、隣で子供が頑張っているからというものである。隣で子供が頑張っている姿を見て、自分が休んでいる場合じゃないとなんとか必死になることができているだけである。

 しかし、そのモチベーションでは心を支えられない、体を支えられない。地味な作業が集中力を削いでいく。為にならないという思いがやる気を失わせる。仕事の疲れもありそのまま寝てしまうことも多々あった。

 そして、机の上で突っ伏して寝てしまい、起きたときに目に入る光景が何よりも嫌いだった。

 

 

「また……眠ってしまったのか」

 

 

 目覚めた後―――いつも目の前には少年の書き記す作業を終えた跡が残っていた。

 そしていつも通り、ノートの余白に「僕は大丈夫だから休んでください」と書いてある。起きたときに目に入り込む少年の努力の跡を見ることは、何よりも父親に負い目を感じさせた。

 文字から入る情報が父親に酷い虚無感と喪失感をもたらしてくる。少年が父親を気遣う文字が、父親の気持ちをさらに落とし込みにかかっていた。

 父親の視線がそっと少年が眠っているベッドへと向けられる。

 

 

「また、一人でやらせてしまった……」

 

 

 少年は、一人でベッドに横になって寝ていた。よほど疲れているのだろう。死んだような表情で眠っている。

 

 

「どうしてこんなことをやらなければならないんだ……どうしてこうなってしまったのか……」

 

 

 こうなったのは誰のせいなのか。

 なんで、私たちの子供がこんなことをやらなければならないのか。

 ぶつける先のない想いが心の中に堆積していく。

 吐き出すことができない状況に苛立つ自分がいる。

 

 

「こうなっているのは……」

 

 

 こうなっているのは

 こうして和友を苦しめているのは

 

 

「私たちのせいじゃないのか」

 

 

 ―――そういうふうに和友を産んでしまった自分たちのせいではないのか。

 そんなことを考えることもあった。

 

 

「今日も楽しかったよ!」

 

 

 だけど、いつだって少年が両親を支えた。

 楽しそうにしている少年の笑顔が両親を支えていた。

 

 

「どうして和友は続けていられるのだろう? どうして俺は、ここで堪え切れないのだろうか?」

 

 

 父親は、現状を打開するために頭の中に残っているものを全て取り払う。

 一緒に頑張ろうという意識がそもそも間違っているのだと、そもそも持っていた考えを改めようとした。

 努力できている子供と自分との間にどんな差があるのか。なぜ、子供ばかりがこうも頑張っていられるのだろうか。

 何かが違うのだ。

 何かが違っているから―――結果が違っているのだ。

 どうして子供は頑張ることができて、自分が頑張ることができないのだろうか。

 答えは、すぐに見つかった。

 

 

「そうか、これが俺自身に関することじゃないからか……所詮、俺の考えは後ろを向いている……」

 

 

 父親の書き記す作業を支える想いは、子供だけに頑張らせるのが嫌だという気負いからきている。後ろ向きな考えから子供に付き合っている形になっている。

 対して子供は、自分のことで自分の未来のために頑張っている。もちろん、両親に言われたからとか、両親に心配かけたくないからという理由もあるだろう。

 しかし、大元にあるのは―――自分のためという想いである。前に進もうという気持ちである。前に進むための感情とは―――常に持てる感情とは何だろうか。それが最も有効に働くモチベーションとなるはずだ。

 

 

「何か考えなきゃいけないな……このままじゃ、俺が和友についていけない」

 

 

 ―――考える。少年についていくために、少年の行動に付き添うために必要な心構えを思考する。

 少年の父親は、数日の思考の末にある考えにたどり着いた。

 それは―――闘争心という、勝とうという気持ちである。

 

 

「和友……この作業をやるときのコツを教える。よく覚えるんだぞ。俺が実際にやって見せるからな」

 

 

 父親は、少年に書き記す作業を行う際に持つべき心の在り方を説いた。少年の隣で実際に実演し、血走った眼をして心を律して見せた。

 

 勝負の相手は、自分ではない。

 子供である―――和友だ。

 

 少年は、最初の方では父親の表情を見て恐怖を感じていたが、それも父親の心の持ち方の真似をしているうちに綺麗に消えて無くなった。

 父親は、気持ちが持たなくなったのか書き記す作業を1か月で止めてしまった。感情はエネルギーを使う。仕事と書き記す作業を同時にこなすのは、相当な疲労を蓄積させたのだろう。

 もしかしたら少年が知らないだけで、母親がそれを止めたのかもしれない。少年が無意識のうちにもう大丈夫という言葉を送ったのかもしれない。父親が少年の様子を見てこれならいけると確信したからかもしれない。

 実際に少年は、父親が止めたその後も一人で書き記す作業を黙々とこなした。父親の教えを守り、努力し、勝負に勝つことに全身全霊をかけて作業に取り組み続けた。

 それが―――今の少年へと繋がっている。

 少年は、記憶をたどり終え、紫へと再び声を発した。

 

 

「スポーツ選手は、人より上手くなりたい、誰かに勝ちたいって想いを持つでしょ? この勝ちたいっていう気持ちが一番気持ちを盛り上げるんだ。勝つまで終わらない強い心を作り出すんだよ」

 

 

 少年の父親は、書き記す作業に立ち向かうために心の持ち方を変えた。スポーツ選手の努力する姿勢からヒントを得て、自分の中で闘争心を発達させた。

 別に努力をしている人間ならば、スポーツ選手じゃなくても構わなかったのだが、たまたま父親が見つけたのがスポーツ選手だっただけのことだ。

 スポーツ選手が努力する理由はまちまちである。誰かのためだとか、観客を満足させたいだとか、活躍したいだとか、さまざまある。

 しかし、大元にあるのは誰かに勝ちたいという想いだろう。少年の父親は、そう考えた。誰かに勝ちたい、誰かに負けたくない、誰よりもいい成績を出したい。

 

 そういう想いが努力を―――加速させる。

 想いの力を―――持続させる。

 

 紫は、少年の物言いに疑問を抱えた。よく聞く人間が頑張ることができる力があるが、少年のそれとは異なっている。

 

 

「人間は、誰かのために頑張るときが最も頑張れるって聞いたことがあるけれど、違うのかしら?」

 

 

 誰かのために頑張ろうという人間の姿勢は、妖怪にほとんど備わっていない感覚である。自分本位な妖怪にはめったに見られない感情である。

 

 

「私が見た人間たちは、みな誰かのためにという部分で大きな力を得ていたように思うの」

 

 

 紫は、自分ではない誰かのために何かができる人間の姿勢に酷く関心があった。人間のそんな姿勢がすごく好きだった。そんな人間たちだからこそ、一緒に共存できる世界が作れるというのが―――紫の幻想郷計画の根底にあったからだ。

 

 

「紫の言う通り、誰かのために頑張ろうというのもやる気の一部にはなるよ。でも、そういうのは長続きしない。火事場の馬鹿力という意味では、ものすごい瞬発力があるだろうけど、耐えるだけの書き記す作業には耐えられない」

 

 

 誰かのためにという想いは、凄まじいエネルギーを生み出す。大きなエネルギーを生み出し、凄まじい瞬発力を生む。それがその人にとって大事な人であればあるほどエネルギーは増大し、普段発揮できていなかった力を出すことができる場合もある。

 しかし、誰かのためという想いの力は、少年が行っている書き記す作業には適応されない。書き記す作業を行うことで好転する者が少なすぎるのだ。あるとすれば、両親から褒められたいから程度のものしかない。誰かのためという想いは書き記す作業に対応することのできる感情ではなかった。

 誰かのためという想いから生み出されるエネルギーは、一過性のものである。少年の書き記す作業は、これからずっと行っていかなければならないもの、すぐに終わるような簡単なものではない。

 誰かのためという想いは拷問を受けると酷く脆くなる。しかもその拷問が一生涯付きまとうと思うと、心が軋んで叫び出してしまう。擦り減り、摩耗し、擦り切れ、たちまち崩れ去ることだろう。

 

 

「それに、誰かを行動の理由に持っていくと、頑張る理由が無くなっちゃうことになるかもしれないよね? もしも僕が両親のために努力をしていたのなら、両親が死んでしまった僕の気持ちはもう動かない」

 

 

 頑張る理由を他人に持って行った場合には―――頑張る理由がなくなることも考えられる。行動の理由が他人を依代にしているというのは、行動の理由を失う危険性を孕んでいるのである。

 

 

「紫の言う通り、誰かのために頑張ろうという気持ちはとても強い。誰かのために頑張れる人間は本当にすごいと思うよ。でも、僕にはちょっと難しいかな……」

 

「どうして?」

 

 

 紫は、自信がなさそうに言葉を口にする少年を不思議に思った。

 少年は、誰かの気持ちを察することが上手い。これまでの経験も相まって、相手の感情に機敏である。誰かを傷つけるようなこともめったに口にしない。

 そんな少年から他人のために頑張ることが難しいという言葉が出るのか。

 やろうとしないだけで、きっとできるのではないだろうか。

 紫には、できない理由が特に思いつかなかった。

 

 

「貴方は誰かのために頑張れる人間だと思うわよ。人の心の動きに敏感で優しい。私は、貴方と一緒にいてまだ長くないけれども、そのぐらいは分かっているつもりよ」

 

「今はそうだね。覚えなきゃいけないことも大分少なくなったし、気持ちが楽になったから」

 

 

 少年は、今だから何とか他人のことを考えて生きていけている。小学6年生を迎えて、覚えなければならないことが減って、気持ちに余裕ができたからこそ他人に気をかけていられる。あの出来事があったから気を遣わなければならないと学んだのだ。

 もしも、現段階で覚えることが山積していたならば、少年に他人を気遣う余裕など存在しなかっただろう。人と関わる余裕すらなかっただろう。

 心の余裕があるかどうかは切実な問題なのだ。自分があっての他人という構図は、生き物である限り決して変えられない。

 

 

「紫には、知っておいてほしいんだけど。誰かのためにって……自分が満たされていないと考えられないんだ。自分が満たされていないと誰かを助けようという気持ちは、苦しさに負けてしまう」

 

 

 誰かのために何かをするということは、自分にそれだけ余裕がある場合にだけしかできないことである。

 何もないところから―――何かを捻り出すことはできない。

 水を含んでいない布をいくら絞っても、何も出てこないのと同じだ。自分に潤いが無ければ他者に与えることはできない。

 仮に、自己犠牲の精神で他人に自分の中のものを与えるとしても、その関係は長続きすることはない。

 絞り切られた布は、最終的にちぎれることになる。気持ちの崩壊と共に、ぶちぶちと分裂することになる。

 

 

「僕は、誰かのために頑張れる精神状況じゃなかったし……」

 

「闘争心……ね」

 

 

 少年の言っていることは、ものすごく説得力があった。自分自身が過ごしてきた経験から出た言葉だけあって重みが感じられた。

 

 

「人間も妖怪も同じ―――生き物ということかしらね」

 

 

 紫は、今まで持っていた人間に対する認識を改める。人間がもっとも力を長く、太く持つために必要なのは―――闘争心だと心に刻み込んだ。

 やはり、生き物というくくりは変わらないということだろうか。

 生き物がまず欲するもの―――3大欲求を満たすこと。

 食欲、睡眠欲、性欲。これらがまず先にくる。

 闘争心とは、最も根柢の生きるという部分から湧き上がる感情だ。負けたら淘汰される。負ければ根絶やしにされる。だから勝ちたいと思うのだ。

 誰かのためになんていう社会的欲求は、欲求の中では3番目だろう。

 では、2番目は何か。

 ―――決まっている。

 2番目は、安全に暮らしたいという安定欲求である。

 

 

「そう、僕は何かを区別しようとしているとき、闘争心を燃やしている。全部の思考を一直線に並べて目標地点だけを見つめるんだ。他は何もいらない。あったら邪魔になるからね」

 

 

 実際に書き記す作業を行っているときの自分の内にある感情を言葉に表す。

 紫に分かってもらえるように、正確に表現する。

 

 

「これは勝負なんだよ。僕と能力との勝負なんだ」

 

 

 勝負の相手は―――呪いのように自身に備わっている能力である。

 能力は擦り減らない。どこまでも拡大して大きくなる。それは、宇宙の果てを見つけようと万進するようなもの。

 少年は、決して勝ちの見えてこない勝負の中で、勝ちを拾おうと前を見つめている。必死に目を凝らし、自分の目標地点を見定めていた。

 

 

「絶対負けないんだって、最後までやり通すんだって、絶対に叩き潰してやるんだって。僕は、それで書き記す作業を行っている」

 

 

 少年は、能力に打ち勝つために書き記す作業を行っている。それが途方もない未来になろうとも、普通に生きていくために能力を打倒するために努力する。

 そう語る少年の目は、ぎらぎらと光っていた。

 紫は、少年の表情を見て固まった。

 

 

「和友……」

 

「心の中で闘争心が燃えるんだ。真っ赤に、真っ赤になるんだよ。勝ちたいって気持ちで心の中が満たされるんだ」

 

 

 紫は、少年が何かに憑りつかれているように見えて仕方がなかった。

 少年の目は決意をこめた眼で。少年の表情は狂気を含んだ表情で薄く笑っている。どこか壊れてしまっているように感じられる雰囲気だった。

 少年は、努力に飲まれて勝負に勝つことに捕まり―――闘争心に溺れている。

 しかし―――極論として、ここまで逸脱したところまでこなければ、書き記す作業を続けていくことはできないのだろう。これは、それほどのものだ。そうでなくては続かないものだ。

 

 

「そうなればもう終わり、最後の最後まで僕は諦められない。ちゃんと負けるまでは、僕は諦めない。勝負ってそういうものだ。勝負だから負けられない。負けたくないんだ」

 

 

 少年は、とめどなく溢れ出る心の中の想いを口にする。

 紫は、少年の話を聞いて少年がどうしてここまで努力ができたのか、何が少年の心を支えているのか完全に理解した。

 

 

「能力に関しては、僕が負けた瞬間……同時に死んじゃうんだろうけどね……」

 

 

 少年の心を支えているのは―――狂気にも例えられるような逸脱した闘争心。

 父親から教わった―――努力するために必要な心構えの結晶体。

 少年の心は―――努力の火を纏い、温度を上げる。

 真っ赤に―――真っ赤に燃えて、燃え尽きるまで、加速する。

 

 

「貴方は向かい風の中でも前に進むのね。勝ちたいという気持ちをもって、脚を前へと踏み出すのね」

 

「向かい風だから高く飛べるんだよ。逆風は、高く飛ぶチャンスだ。苦境も逆境もみんな真っ赤になって燃え尽きればいい。燃えて、燃えて、煙になって飛んでいけばいい」

 

「…………」

 

 

 紫は、少年の楽しそうな雰囲気を見て狂気に触れたような気がした。

 書き記す作業を行うための心の在り方。少年が狂気じみた想いを持ちながらも、それでもなお―――普通というレールの上を歩けているのは奇跡としか言いようがない。

 それは間違いなく少年の父親のおかげだ。

 ―――父親の責任だ。

 

 

「本当に綺麗なんだよ? 赤く燃えて、真っ赤に燃え上がるんだ」

 

 

 とても楽しそうに。

 とても無邪気に。

 そう言っていたのが心に残っている。

 紫は、過去に少年に問いかけたときの答えを思い出しながらそっと目を開けた。そして、そのまま勝負を迎えようとしている少年と美鈴を見つめた。

 少年と美鈴は、準備運動をしている最中だった。

 

 

「…………」

 

「何を黄昏ているのかしら? 興味がないの? こんなに面白そうなのに」

 

 

 レミリアは、興味なさげに遠くを見つめるような視線を送っている紫へと視線を向けた。今から楽しい勝負が始まるというのに、どうしてそんなに楽しそうではないのだろうか。仮に望んでいないとしても、望んでいないなりに何かあってもおかしくないのに。紫の表情からはそういった興味というか、関心が一切感じられなかった。

 

 

「今更勝負を止めるとか、賭けを降りることは許さないわよ?」

 

「そんなことしないわ。ただ、また見ることになるとは思っていなかっただけよ……」

 

 

 レミリアは、紫の言葉に不思議に思う。またという言葉は、以前にもあったことを指す言葉である。美鈴と少年との勝負が以前にも行われていたとでもいうのだろうか。

 またという言葉から読み取れるのは、そういうことだけだ。会話の流れからすると別の物とは考えにくい。

 

 

「また? 以前にも見たことがあるのかしら? 私は知らないのだけど」

 

「そういう意味じゃないわ。貴方もすぐに見ることになるから黙って見ていなさい」

 

 

 紫が言いたいのは、そういうことではない。またというのは、別の意味だ。

 また―――あの炎を見ることになるとは。

 また―――点火する様子を見ることになるとは。

 もう、見ることはないと思っていたのに。

 こんなに早くその機会が訪れるとは。

 そんなこと思ってもみなかった。そういう意味である。

 

 

「貴方の従者がぼこぼこにされるところをでしょ?」

 

「何とでも言うがいいわ。火種は、もう落ち始めているのだから……」

 

 

 会話を一気にぶつ切りにするように2人の口が閉ざされる。

 二人の視線は、まっすぐに勝負を行う二人に向けられた。

 

 

 勝負をすることになった少年と美鈴は、顔を見合わせていた。

 美鈴は、少年に複雑な表情を向ける。少年とこうして向き合うことになるなど、誰が予想しただろうか。きっと予測できていたのはレミリアだけである。少年も美鈴も戦うことになるなど、少しも考えていなかった。

 美鈴は、申し訳なさそうに少年へと告げる。

 

 

「さて、大変なことになってしまいましたね」

 

「そうだね。こんなことになるなんて思ってもみませんでした」

 

「っ……」

 

 

 咲夜は、今から戦うことになる二人を見て歯ぎしりをする。余りに思ってもみなかった光景に、言いたいことをそのまま喉から吐き出しそうなものを必死に飲み込む。

 咲夜が何を言ったところで二人は戦わなければならないのだ。お互いに戦うことに同意し、戦うことを受け入れている。二人には、状況的に戦うという選択肢しかないのだから。

 だが、こんなはずじゃなかったのに―――そんな思いが心の中に渦巻くのが止められない。なんで、どうして、どうにかしなければ。咲夜の心の中で想いが炸裂していく。

 そんな混乱する咲夜を差し置いて美鈴の表情が苦笑するようなものから真剣なものへと変貌を遂げた。

 

 

「笹原さん、先に謝っておきます」

 

 

 少年は、美鈴の物言いに疑問を覚える。美鈴が謝る理由が思いつかない。あるとすれば、戦いになってしまったことに対してだろうか。

 しかし、戦いになっているのはレミリアの責任であり、美鈴の責任ではない。少年はなぜ美鈴が謝るのか分からず、不思議そうに問いかけた。

 

 

「何について?」

 

「怪我をさせてしまうことを」

 

 

 美鈴は、戦いになったことではなく、戦いによって怪我をさせてしまうことについて謝罪しているようだった。これからのことを謝ろうというのか。先に謝って、後からの謝罪の分を減らそうというのか。

 

 

「ふふっ、それは面白いね」

 

 

 少年は、美鈴の言葉に薄く笑う。美鈴の目が少年の表情見て鋭く細まった。

 少年は、怪我をさせることを謝る美鈴を、表情を変えることなく見つめる。それを謝るのだったらお相子だろう。

 きっと―――そうじゃない結果が待っている。美鈴の知らないものが、そこにあるのだから。だったら、同じように謝っておかないとフェアじゃないだろう。

 僕だって謝罪すべきだろう。

 

 

「じゃあ、僕からも謝っておくよ」

 

「何をですか?」

 

「僕は、君の期待には答えられない」

 

 

 美鈴は、少年の自信の表れのような言葉に不敵な笑みを浮かべた。あの時と同じだ。弾幕ごっこの時と、少年の雰囲気は変わっていない。

 二人の気持ちは高みへと昇っていく。直ぐにでも動き出したい気持ちが先行して、腕を一旦下ろさないと力が入って仕方がなかった。今から始まる戦闘への想いが、場に停滞していく。そんな重くなった空気の中―――第二ラウンドが開始する。

 咲夜は、試合の開始の合図をした。

 

 

「両者! 構えてください、試合を始めます!」

 

 

 少年は、ゆったりとした雰囲気で両手を上げて構える。

 美鈴は、自然体で少年に相対していた。

 視線は、お互いの瞳を射抜いている。

 後は、聞こえてくる音に集中するのみ。

 

 合図はまだか。合図をくれ。

 そんな声が聞こえてくるようだった。

 

 

「よーい、始め!!」

 

 

 第二ラウンドの鐘が二人の耳に入った。




さて、そろそろ苦手な戦闘シーンに入りますね。
父親の存在がずっと浮いていたので、どこかで入れようと思っていたのですが、ずいぶん遅くなりました。母親はちょくちょく出ていたんですけど、どうしてもここまで引っ張ってしまいましたね。
書き記す作業は、どこかおかしくならないとできないことと思います。自分だったら到底耐え切れません。
少年は、美鈴に勝てるのですかね? 勝負しているイメージは……
独自設定ちょくちょく入ると思いますが、ご了承願います。

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