ぶれない台風と共に歩く   作:テフロン

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募った想いの矛先、絶壁の誓いへの到達

 人里へ戻る途中―――文と少年の雰囲気は重苦しかった。暫くの間、お互いに口を開かず人里への距離だけがどんどん縮まっていく。誰も何も話そうとしない。空気は停滞し、息苦しさは増していく。

 少年は、重苦しい空気をものともせず飛びながら考え事をしていた。考え事の内容はもちろん先程の椛のことである。

 

 

「やっぱり、椛とは話さなきゃよかったかな」

 

 

 椛との接触は椛を混乱させる、椛を焚き付ける行為に他ならない。少年が椛と会ったことで、椛の想いに拍車がかかったのは間違いないだろう。

 少年は、椛と会うのは間違いではなかったのかと後悔を募らせていた。

 

 

「ずっと会わずに放置していれば、いずれ忘れると思うし……」

 

「笹原さん……」

 

「何?」

 

「どうして椛からの告白を断ったのですか? 別に笹原さんにそれほど負担がかかるような話ではありませんよ?」

 

 

 椛の提示した条件―――偶に会いに来てほしいというものでは、特に少年が縛られるようなこともない。そのぐらいならば、余裕をもってできるだろう。

 情けでも、同情があったとしても、会いに行ってあげればいい。椛ならば、憐れみの想いから来てくれてもきっと喜んでくれる。後ろめたさから少年が来たとしても、複雑な思いを抱えながらも笑顔で少年を迎えるはずである。

 それに、少年には現在付き合っている人物がいないのだから誰かに遠慮する必要があるわけでもない。

 こう思い返してみると―――少年が椛の告白を断る理由は別段存在しないことに気付くのである。

 

 

「笹原さんは、今付き合っている人がいるわけじゃなさそうですし」

 

 

 誰もいないのならば、誰かを好きになるまででも一緒にいてあげればいいじゃないか。もしかしたら一緒に過ごすうちに好きになる可能性だってあるのに。誰でも断っているのならば、誰でも付き合ってそれを理由に断ればいい。

 それを認めるだけの気持ちは椛だって、文だって持っている。

 なのに、どうして全てを断るのか。

 椛の好意を断るのももちろんだが、少年の椛に対する対応も疑問だった。

 断るにしても、わざわざ1月に1度会うことができるという妥協案まで出した意味が分からなかった。

 

 

「あんな妥協案を出すのなら、素直に付き合ってあげればよかったじゃないですか」

 

 

 断るのであれば、少年が最初に告げたように一生会わないぐらいのことを言った方が椛のためになるだろう。少年のことを完全に忘れて、次のことを考えたほうがよっぽど建設的である。少年の言い方だとどうしても少年の存在を引きずることになりかねない。

 

 

「ちょくちょく会う分にはさほど問題が無いからね。1カ月に1回ぐらいなら、ちょっと視野が狭くなる程度で済むと思うんだ」

 

「それは……?」

 

 

 文は、少年の言葉の意図が分からず、不思議そうな表情を浮かべる。

 何も分かっていないのか。文の表情からは、先程の椛とのやり取りの意味が分かっていないことが読み取れる。

 少年は、椛との間で交わされた言葉の真意を暴露した。

 

 

「‘文も’気づいていないみたいだから言っておくけど、椛は簡単に僕に会いに来ることはできないよ」

 

「どういうことですか? 椛が会い来ることができないって」

 

 

 文は、少年の言葉に露骨に反応を示した。

 もしも少年の言葉が本当ならば、少年は会いに来られないことを知っていて椛に対して妥協案を出したことになる。

 少年は、椛が簡単に会いに来ることができない理由を文に告げた。少年から告げられた理由は、とてもすんなりと文の中に入って来るものだった。

 

 

「よく考えてみてよ。妖怪の山から出られない椛は、人里にいる僕に会いに行くなんて無理な話なんだ」

 

「…………」

 

 

 文は、少年の言葉に絶句した。

 とんでもないことである。これは妥協案でも何でもない。

 これは―――詐欺行為だ。

 椛が余りにも取り乱し、動揺していたことから理解できていなかったが、少年は最初から椛と会う気がなかったのである。

 文は、椛を欺いてまで貫こうとする少年の意志の固さに驚きと畏怖の感情を抱えた。騙しても、欺いても、自分の想いを突き通す姿勢にぞっとした。

 少年は、初心を貫ききった。妥協なんて一切せずに境界線を引いた。

 文は、信じられないものを見るような瞳で少年を見つめる。

 少年の瞳は、少し悲しそうだった。

 

 

「でも、‘今の椛’なら……きっと超えてくるだろうね。境界線を越えて、僕に会いに来る」

 

「どうしてそんなことが言えるのですか?」

 

「椛は、すでに踏み越えているからさ。さっき妖怪の山の境界線を越えて僕たちに叫んだからね。椛は、もう境界線を踏み越えることにそれほどの強制力を感じていないはずだ」

 

 

 椛は、最後の言葉を発する際に妖怪の山の境界線を踏み越えた。あれほど少年が妖怪の山に入り込むまで近づきもしなかった椛が、少年が引いた線が地上に残されている状態で妖怪の山の境界線を見誤ることは絶対にありえない。その椛が境界線を踏み越えた事実が―――会いに来るという絶対の確信になっている。

 一度破られた決まりに強制力はない。抑止力など皆無に限りなく近くなっている。一度犯罪をした者の再犯率が高いのは、そういうことだ。核爆弾は、使っていないから抑止力になっているのであって、使ってしまえば抑止力にならないのと同じである。

 抑止とは、使われるかもしれないという恐怖、もっと酷い目に合うかもしれないという不安が行動を制限していることを指す。使われてしまったにもかかわらず、使われるかもしれないなど思わない、もっと酷い目に合うかもしれないなどと思わない。

 なぜならば、もうすでに抑止は失われたからだ。1度あることは2度あるからだ。1度使ってしまえば、恐怖心や怒りが抑止を押さえつけにくる。

 やったらやりかえせ。もう一発撃ってくる前に潰せ。あいつら、終わらせに来てるぞ。その前にどうにかしなければ。

 使ってしまった側は使ってしまった以上、後に引けなくなる。

 使われた側も、使われてしまった以上後に引けなくなる。

 そうなったらもう、抑止というものはあってないようなものである。

 決まり事も、約束事も、一度破られた瞬間から強制力はなくなる。

 あってないようなもの―――椛にとって妖怪の山から出てはならないという決まりは、もうすでにそんな曖昧なものになっている。

 いや、そんな曖昧なものに―――したのだ。

 椛の意志の力が、決まり事を打ち破った。

 少年は、何かを覚悟したかのような顔で呟くように声を漏らした。

 

 

「もしも仮に椛が境界線を突破して僕に会いに来たら……一つ問いかけないといけないかもね」

 

「何を聞くのですか?」

 

「それは……」

 

「それは?」

 

 

 少年が椛に問いかけなければならない質問は、椛の幻想郷での生活を破壊する。YES or NOで答えられる質問ではあるのだが、椛が少年の問いに対してYESと答えたときには、少年が椛についての全責任を負うことになる。

 

 それでいいのだろうか。

 良いか悪いか。

 単純には決められない。

 その時が来れば、尋ねることになるだろう。

 正しいことをしようとした場合に、どちらを選ぶべきなのか。

 はたまた、別の答えがあるのか。

 答えは、その時提示されることだろう。

 

 少年は、覗き込むように迫る文ににっこりと笑いかけた。

 

 

「秘密だよ」

 

「……そうですか」

 

 

 少年は、問いの内容を告げなかった。

 文は、少年の笑みに合わせるように笑い、追撃を諦めた。ここで少年に差し迫っても少年が答えてくれないことは分かっていることである。

 文は、少年との限られた時間を無駄にしないように次の話題を提示した。

 

 

「ちなみに、どうして椛は笹原さんに会ってはいけないのでしょうか?」

 

「僕は、常用してはいけない薬みたいなものだからね。どんなものか分からず使っているとどつぼにはまることになる。抜け出せなくなる……藍みたいになってしまう……」

 

 

 文は、八雲の式神と少年の関係を思い浮かべた。

 少年と藍の関係は、外から見るとよく分かるが、圧倒的な寄りかかりのもとに成り立っている。少年の視線は常に周囲に向いているのにもかかわらず、藍の視線はいつだって少年に向いている。ちらちらと常に気にして歩いているのがよく分かる。

 椛もああなるというのだろうか。

 果たしてそれは

 ―――良いことなのだろうか。

 ―――悪いことなのだろうか。

 良いか、悪いかなんて決められるものではないだろう。

 ただ、恋に落ちることで相手に依存することになるのは当然のことではないのだろうか。

 恋は盲目なんていう言葉がある。恋をすることで視野が狭くなり、その人しか見えなくなるということである。こんな言葉があるように、恋することで依存するということはむしろ自然のことのように思えた。

 

 

「依存するということですか。それは駄目なことなのですか? 好きになれば依存もするでしょう?」

 

「寄り添う形での依存ならいいだろうね。お互いに寄りかかって、支えになっている状態ならまだいい」

 

 

 好きになって依存するという形自体については、少年も特に問題視していなかった。好きなことに没頭し、視野が狭くなるのは本能ともいうべき逃れられない現象だからだ。

 少年が問題視しているのは、依存の形のことである。

 

 

「でも、僕と椛の場合は一方的に椛が寄りかかっているだけだ」

 

 

 一方的な依存の形―――そして、その依存している相手が誰なのかというところに問題の本質は存在する。

 あくまで問題は―――寄りかかる側の椛ではなく、少年自身にあった。

 

 

「それは藍の場合も同じ。僕に寄りかかっているだけ……」

 

「…………」

 

「それに、僕が椛のことを好きというわけじゃないのに、付き合うのってなんだか悪い気がするんだ……僕はあくまで友達として椛が好きなんだから」

 

 

 文は、少年の言葉に何も言えなくなった。

 よくよく思えばそうである。

 椛は少年のことを恋心から好きだと言うが、少年は椛のことを友達として好きと言っている。

 そもそもそこにすれ違いが存在するのだ。完全に少年の気持ちが無視されている。

 椛と少年の関係はあくまでも一方通行で、攻守の変わらないサッカーのようなもの。椛の想いは独りよがりのもで、それを受けた方が良いとか、断るなんておかしいと言う方がおかしいと言われても反論できなかった。

 

 

「僕の命はそんなに長くない……」

 

 

 文は、唐突に告げられた少年からの告白に度肝を抜かれた。

 そんなに長くない。それは、もうすぐ死んでしまうということである。

 そんな雰囲気は全くなかった。

 そんなこと一言も聞いていなかった。

 文の中で一気に言葉が溢れ出しそうになる。

 文は、出てこようとする言葉を飲み込み必死にこらえた。

 

 

「みんな、止まり木がボロボロになっていることを分かっていないんだ。木が倒れた時に怪我をするのはみんななんだよ」

 

 

 少年は、寄りかかって来る人や妖怪と自分との関係を止まり木に例えた。

 雨の日にお世話になり、晴れの日に涼む、そんな場所として例えた。

 

 

「僕は、木と違って喋れるからなんとかできるけど、みんなも気を付けて欲しいよね。僕一人が悪物みたいに頑張るのって結構辛いものがあるから」

 

 

 少年は、椛の告白を断るのに何も感じていないわけではない。申し訳なさは心の中で大手を振っている。

 椛と少年のやり取りを外から見ていれば、文と同じように少年が悪いように見える。少年が悪者で―――椛を苛めているように見える。別に少年が悪いというわけでもないのに、そう見える。

 そう見えるということが、意外と心に重くのしかかっている。

 それでも―――少年には椛の告白を断らなければならない理由があった。

 

 

「椛には本当に悪いことをしたと思っているけど……椛のためには断る必要があった。もし椛が……いや、やめておこう。これは次に会ったときにする質問だ」

 

 

 少年がこれまでに誰とも付き合ったことが無かったのならば、椛と付き合ったことだろう。何も知らなかった頃ならば、付き合ったはずである。

 しかし、少年は付き合わないと小学校の時に決めていた。

 文は、ここまで少年が声を発したところでようやく頭が追いついてきた。

 

 

「笹原さんの命が長くない?」

 

 

 少年はまだ14歳でこれからの人生の方が長い。人間の平均を考えれば、後50年ほど生きることができるだろう。妖怪の数千年という寿命に比べれば確かに長くないと言えるが、少年は妖怪基準で話しているわけではないはずである。あくまでも人間の中で長くないと、そう言っているのだろう。

 

 

「和友さんの年齢はまだ14歳ですよね? まだまだ先があるのではないですか? それはもちろん人間の中ではということになりますけど」

 

「僕の命は後5年も無いよ。何かしら打開策が見つからない限りは‘もって5年’というところだろうね」

 

 

 少年は、自分の寿命が後5年もないということを告白した。

 5年という数字は、上手くいけばという算段上のものである。これまで14年生きてきての経験則から出てきているものだ。

 ただ、それはあくまでも少年の見解である。紫と永琳は別の見解を示している。

 

 

「紫や八意先生は2年だと思っているみたいだけど……僕の個人的な意見は5年だね。負荷のかかりようによるけど」

 

 

 文は、またしても言葉を失いそうになった。

 八雲紫と八意永琳が治療法を見つけられないという事実が信じられなかった。少年の寿命を計算しているということは、手を出せていないということと同義である。あの二人がどうしようもないのでは、少年の状態はもうすでに手遅れだと嫌でも分かった。

 少年が嘘をついているのだろうか。あまりにも想像がつかなさ過ぎて疑わしく思える。文の中でそんな可能性が浮上してくる。

 しかし、少年はこんなことで嘘をつくような人間ではない。こんな意味のなことを、相手の嫌がらせをするような嘘をつくような人間ではない。

 文は、頭の中で衝突する想いに吐き気にも似た感情を抱えた。

 

 

「うーん、でも……やっぱり二人の言っていることの方が正しいと思うよ。二人の方が僕よりもずっと頭が良いし……」

 

 

 少年は、そこまで言葉を口にすると自信を失い、勢いを落とした。

 自分の14年の経験則よりも、頭のいい紫や永琳の言うことの方が信憑性がある。自分で下した診断よりもプロが言った言葉の方が重みがある。なによりも最悪の場合を想定した方がもしもの時に対処ができるのだから、悪い方を考えていた方が良いだろうという判断した。

 

 

「後、2年ですか……」

 

 

 2年という言葉を聞くと、椛の告白を断った理由がさらによく理解できた。

 後2年である―――何ができる? 

 もうすぐそこである―――失う覚悟はいつできる? 

 今しかない、今できていなければ、きっと2年では無理だ。

 文は、ここ半年の間少年が人里に来なくなった原因を悟った。病気にかかってそれが治らなかったから―――だから止められていたのだ。外に出ることを認めてもらえなかったのだろう。あの八雲の従者のことだ、考えなくても分かることだった。

 

 

「それがここ最近現れなかった理由ですか?」

 

「病気になったんだ。不治の病とでも言うのかな。病気になって以降、基本的に外に出ることができなくて」

 

「でも、和友さんは今ここに出てきていますよね?」

 

「病状はいったん持ち直したんだけど……結局治らなかったんだよ」

 

 

 文は、少年の言葉にそうですよねと予想していた言葉を飲み込む。少年がこうして外に出ているのならば、病気がもしかして良くなっているのではという淡い期待は一瞬にして消え去ることとなった。

 

 

「僕は、病気になっていた時期に確信したんだよ。藍の様子を見て、やっぱり何も変わらないんだなって、みんな僕の方に寄りかかり過ぎているって……」

 

「寄りかかっている……」

 

「そう、寄りかかっている」

 

 

 少年は、噛みしめるような文の呟きに一度だけ悲しそうに頷いた。

 自分の周りにいる人物が、こぞって自分に向かって寄ってきているように感じる。そう思ったのは病気になった日から。崩れ落ちる藍の姿を見てから。そして、その理由を考えて、相談して―――再び藍を見てそう思った。

 

 

「精神的に依存しているんだよ……まるで、これしかないんだとでも言わないばかりだよね。目に入っているのが、頭の中にあるのが僕のことばっかり。それだけじゃないはずなのに。みんなを作っているのは僕じゃないのに。僕が来る前から、みんなはみんなだったはずなのに」

 

 

 少年しか見えていないという意味では、藍は相当末期のところまできている。それまでの性格がどんな性格をしていたかもはや思い出せないぐらいに、深く根付いている。

 少年がいないと生きるのが苦しくなるような‘みんな’は、もともと少年がいなかった時どんな生活をしていたのだろうか。何を大事にして生きていたのだろうか。それこそが、自分自身を作っていたはずだ。

 少年を作っているのが普通に生きるという決まり事や、これまでの思い出であるように。みんなも、そんな自分を持っていたはずなのである。それはいったいどこに行ったのだろうか。

 少年は、知らない間に周りが寄りかかって来る現状がとても歪で、普通じゃ無くて、気持ち悪いと思っていた。

 

 

「椛も、藍も、もっと大事なものがあるはずなのに……僕の方を大事にしようとする」

 

 

 少年は、自分のことをそれほど大切に思っていない。もはや死んでも別に構わないぐらいの重要度だと思っている。

 あくまで少年は、両親との約束があるから死ねないだけ、普通に生きているだけで、生きたいという想いは強制された心の動きから出ているものである。

 そんなもの―――皆が大事にしていることに比べたらあってないようなもの。だからこそ、椛や藍に大事なものが何なのか履き違えて欲しくなかった。大事なことがなんなのか、守るべき優先順位を違えるようなことをして欲しくなかった。

 

 

「椛は妖怪の山の規律を守る、天狗仲間を大切にする。藍は幻想郷の安定を維持する、紫の補助をする、紫を支えてあげる。大事なことはいっぱいある」

 

 

 椛は、あくまで妖怪の規律を守って生きて欲しい。少年の命が危なくなっても、妖怪の山の方を守って欲しい。

 藍は、少年の命が危なくなっても紫のことを第一に想い、幻想郷を守るために動いて欲しい。

 しかし、そんな少年の想いはもはや怪しくなってしまっている。少年に寄りかかることを覚えてしまった二人は優先順位を入れ替え始めている。

 少年は―――それが何よりも嫌だった。

 

 

「僕の事は二の次で十分なんだよ。どうせ……どこかで糸切れて動かなくなるんだから。近いうちに力尽きるんだから……」

 

 

 少年は、もうすぐ死ぬ。あっけなく、何かできることもなく、あがきにあがいて―――死ぬ。絶対に死んでしまう―――だからこそ、自分の死を引きずって欲しくなかった。死んだ後まで、誰かを引きずり回すようなことはしたくなかった。

 少年は乾いた笑顔を浮かべる。泣かないように精一杯の表情を作り、耐えるようにみんなへの想いを言葉にした。

 

 

「僕は、死んでからも誰かを引きずるようなことはしたく無いよ。僕が倒れて、誰かが共倒れになったら嫌なんだ。悲しんでくれる分には別にいいけど……ちゃんと両足で立って歩いて欲しい」

 

 

 少年は、文に向けてお願いを申し出た。

 

 

「文も……気をつけてね」

 

「え……私ですか?」

 

「文は空が大好きだし、新聞を書くことにも価値を見い出している。大事なのは、新聞を書くことであって購読者を守ることじゃない。文は、分かっていると思うけどね」

 

 

 守るものを履き違えてはいけない。今の内からしっかり理解しておくことが今後の未来を決定する。

 これから―――堕ちるか。

 それとも、生き残るか。

 少年は、真面目な雰囲気から一転してふざけたように文に告げた。

 

 

「あんまり僕と関わりすぎると戻れなくなるから、ご利用は計画的にね」

 

「……はははっ。私は大丈夫ですよ。心配なんて要りませんから」

 

 

 文は、精一杯の少年の笑顔につられるように苦笑した。

 少年にとっては、文の笑いが演技でも偽物であっても、反応してくれたことが嬉しかった。不安を感じさせる顔だったが、少年を安心させるために強がりをみせてくれていることが、何よりも心を落ち着けてくれた。

 

 

「そう、心配なんて、いりませんから……」

 

 

 文は、心の奥にとてつもなく重いものを抱えたような気がした。寿命に関しても、告白を断ることについても、寄りかかっているという言葉にも、思うところがたくさんあった。

 少年の言葉が文の心の中に一気にあふれだして飽和していく。心の重さに比例するように足が重くなる。

 少年は、動きが鈍くなった文を置き去りにして別れの言葉を告げた。

 

 

「うん。それじゃあ僕は筆を受け取ったら帰るから。読んだ感想は今度伝えるね」

 

「はい、また今度です」

 

 

 文は、重くなった口を必死に動かして別れの言葉を交わした。何となく、これが最後の言葉になるような気がした。これが本当の別れになってしまうような気がした。

 

 

「さようなら」

 

「……さようなら」

 

 

 何かを言わなければならないと思った。

 何かを伝えなければならないと思った。

 だけど、口から出てきたのは些細な別れの言葉だけだった。

 

 少年は、空を飛行する速度を一気に上げる。

 文は、少年に追いつこうともせず、ただただその場で漂っていた。大きなものが背中に乗っている。余りに重くて、とてもじゃないが少年と一緒に飛べる気がしなかった。

 文は、随分と重くなった胸に手を当てる。

 そして、目を閉じて思考すると一言呟いた。

 

 

「私は、大丈夫。大丈夫なはずですよね……」

 

 

 文の呟いた声に答える者など誰もいない。

 聞こえているのは自分だけだった。

 唯一応えられるはずの自分自身は―――口を閉ざしたままだった。

 


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