ぶれない台風と共に歩く   作:テフロン

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明確な拒絶、諦めない気持ち

 少年はできるだけ柔らかい雰囲気で椛を見つめ、呼びかけられたことに対して対応する。

 決して拒否する様子を見せず。

 決して受け入れる様子も見せず。

 ただただ、そこにあるようにあった。

 

 

「僕に伝えたいこと?」

 

「和友さん。また昔みたいに、妖怪の山に足を運んでもらえないでしょうか?」

 

 

 椛は、必死の形相でこれまで抱え込んだ想いを吐き出した。

 半年以上の間溜めに溜め込んだ想いは、椛の心の奥底に停滞している。募り積もった想いは、想いを重ねて重みを増している。今が完全にそれらを吐き出す時である。

 椛は、以前のように妖怪の山に来て欲しいと、会いに来て欲しいと自らの想いを伝えた。

 

 

「私は、仕事の都合上和友さんに会いに行く余裕がありませんし、和友さんの方から来ていただけるとものすごく嬉しいのですが」

 

「…………」

 

 

 椛は、少年の中に存在する境界線に足をかけた。今にも踏み越えようと足を前に出している。椛の瞳は、まるで少年を試すように目線を逸らさず少年の反応を見つめていた。

 椛に見つめられている少年の椛を見る目つきは先程と同じでまだ優しいまま変わらず、何の動きも見られない。

 

 

「おおっ!? ズバッと行きますね!」

 

 

 文は、椛の告白ともとれる言葉を聞いて起こった自身の動揺を抑え込むために、またしても椛を茶化しに走る。

 だが、少年と椛は文の言葉を聞いても微動だにしない。文の言葉は、二人の認識の中には入らない、空気のように認知されない。もはや、ここにあるのは椛と少年の二人だけの空間だった。

 

 

「どうして椛は、僕に妖怪の山に来てほしいの?」

 

「わ、私が和友さんに会いたいからです」

 

 

 椛は、恐怖や不安、恥ずかしさをねじ伏せた。言え、伝えろ、吐き出せ。口がうまく動かないのを無理やり意志の力でねじ曲げて言葉を口にする。

 足を踏み出してしまった。もう、話さなかった時に戻ることはできない。ここは、すでに崖を飛び下りてしまった後。再び崖を登ることはできない。足を戻すことはできない場所。

 それでも―――そうしなきゃいけない。

 そうしなきゃ、そうしなきゃ。

 ―――知らない間に飛び下りていたかもしれないから。

 だったら自分の足で進みたい。

 自分から歩みを進めたい。

 椛は、自らの脚で前へと進む。誰に言われたからでも、なんとなしにやっているわけでもなく、自らの意志で―――前へと進むことを決めた。

 椛は、少年との今までの何とも言えない関係性に終止符を打ちにかかった。

 

 

「私は、和友さんと二人で気軽に喋っている時の―――心の安らげる、落ち着いた雰囲気が恋しいの」

 

 

 椛の口から放たれる言葉は、敬語ではなくなった。知らず知らずのうちに過去を思い返すうちに敬語が取れて、昔と同じ喋り方になっていた。

 あるのはこれまでの蓄積された想い。そこに敬意の言葉など必要ない。必要なのは、何よりも自分の気持ちが伝わる言葉。ありのままの言葉である。

 椛は、思い焦がれた季節の長さだけ心の中で成長した想いを少年に披露する。大きく重くなった想いを少年へ見せつけた。

 

 

「私は、和友さんと喋っていたい。一緒にいたい!」

 

「椛……」

 

 

 椛の声は、妖怪の山中に響き渡るように広がる。一緒にいたいという想いは、一気に空間に拡散した。

 文は、どこか悲しい顔で想いを打ち明けた椛を見つめる。文はすでに知っている。少年から告げられる答えは―――決まっている。文は椛を止めることもできず、なだめることもできず、ただ呆然と立ち尽くしていた。

 椛は、内に秘めた想いを次々と言葉にし、形にしていく。

 

 

「いくら時間が経っても、あの時の気持ちを忘れられない……仕事中にも無意識のうちに妖怪の山から和友さんの姿を探してしまう。いつ来るのか、いつ来るのかと期待し、待ち望んでいる私がいる」

 

 

 毎日のように少年を探し、いつ来るのかと待ち望んできた。

 ある時から別れの言葉もなく消えた少年のことを、ひたすらに待ち望んできた。

 晴れの日には、絶好の飛行日和だから今日なら絶対に来てくれると。

 雨の日には少年から貰った和傘を開き、傍に少年の存在を感じながら。

 ただひたすらに―――少年の来訪を待ち望んできた。

 少年が一向に来ないことに絶望することも。

 少年に嫌われたのかもしれないと恐怖することも。

 もう二度と来ないかもしれないと悲観することも。

 それでも、それでも、ただひたすらに―――少年を探し続けてきた。

 諦めきれない気持ちが。

 行き場のない想いが。

 少年に向かっている感情が。

 椛の心の中に残り続けた。

 気持ちを伝えていれば

 想いを告げていれば

 こんなに苦しい思いをしなくて済んだのだろうか。

 会えていた時に伝えていれば。

 今の苦しみはなかったのだろうか。

 そう思わずにはいられなかった。

 

 

「もう、こんな狂おしい想いはしたくないの! 辛い想いをしたくないの! だからっ!! 和友さんに昔のように妖怪の山に来て欲しいのよっ!!」

 

 

 椛の心の壁が決壊する。

 絶叫するように感情が溢れ出す。

 流そうとも思っていなかったのに涙が自然に流れていく。

 

 境界線が―――決壊する。

 

 椛は、少年との間に引いてある境界線を確実に踏み越え、これまでの少年との関係を踏み越えた。

 

 

「好き、好き、好きっ!! 私は、和友さんが好き!!」

 

 

 椛は、はっきりと少年に対して想いを告げた。

 愛しい気持ちを、恋しい気持ちを、切ない気持ちを―――全てを少年へと送った。

 

 

「和友さん!」

 

 

 椛は、勢いをそのままに少年に迫るように距離を縮める。

 少年は、泣きながら近づいてくる椛を何も言わずにそっと受け止めた。

 もう、終わりである。これまでの想いは吐き出され、重みはなくなった。

 少年は、その大きな心で椛の想いを全て受け取る。一片たりとも逃さないというように全ての気持ちを受け止める。

 椛は、少年の胸に顔を埋めると涙を流し、心をそのままに声を上げた。

 

 

「本当なら会いに来るだけじゃなくてずっと傍にいて欲しい! 私の傍でずっと寄り添っていて欲しい! 笑顔で笑いかけて欲しい!」

 

 

 椛の心は、完全に少年に惹かれて傾いていた。

 

 

「これ以上一人きりで妖怪の山を監視するなんて無理なの……和友さんの来ない妖怪の山でただ待っているだけなんて、じっとしたまま侵入者の監視なんてできない……」

 

 

 椛の少年への気持ちは、平常心で仕事をすることが厳しいほどに大きくなっていた。

 妖怪の山で侵入者の監視をしていても、少年がやってこないかなと意識を奪われる。無意識のうちに探してしまう。いつやってくるのかと待ち遠しく感じてしまう。平常心でやっていた仕事中に、いつも真面目にやっていた仕事中に、心が揺さぶられてしまう。

 椛は、これ以上妖怪の山の監視を続けていける自信がなかった。

 

 

「待っているだけなんて……出られない妖怪の山で待ち望むだけなんて私には耐えられない。私は、このままじゃ壊れてしまう……このままじゃ……」

 

 

 椛は、待つことしかできない自分が、待っていることだけしかできない自分が酷く嫌いだった。

 これだけ想いを募らせても―――妖怪の山の見張りの任を破ることができない。破って少年を探しに行くことができない。

 なぜならば、ここから出ることを、ここから出て少年を探しに行くそんな自分を許せなかったからだ。

 椛を縛っていたのは、結局決まり事なのである。自らに課した鎖が―――自らを縛っている。

 融通の利かない性格だと言われるかもしれない。椛自身もそんなことは分かっている。破ればいいじゃないか、少年のことを諦めればいいじゃないか。理屈では分かっている。

 だけど、どちらを選ぶこともできない。どちらかを選べばいいのに、どちらも選べない。どちらを選んでも、それが自分じゃない気がしたから。どっちかを選ぶことで今までの自分が無くなってしまう気がしたから。

 ルールを破る自分も―――自分じゃない。

 かといって少年のことを諦める自分というのも、想像できないところまで来ている。

 そして、待ち続けているのも―――限界である。

 椛は、瞳に涙を溜めながら少年の顔を見上げてぼそりと呟いた。

 

 

「和友さんにとって、迷惑な話だってことは分かっているのよ……」

 

 

 一方的に想いを押し付けられている少年からすれば迷惑な話だろう。

 知らない間に好かれていて、だから傍にいて欲しいなんて。

 相手の自由を奪ってまで傍にいて欲しいなんて。

 一方的なお願いをしているってことは分かっている。

 しかし、だからといって少年への気持ちを抑えられるわけではなかった。椛の気持ちは、もう堪え切れないところまで来ていて今吐き出している途中である。

 もう―――後に引ける状況ではない。出してしまっているものは、取り返せない。

 

 

「待って、耐えて、堪えて―――頭の中が一色に染まって、他のことが消えていく。私が私じゃなくなっていく……」

 

 

 少年が空けた時間的空間は、椛の中にある少年への気持ちへの栄養となった。待ち遠しい気持ちが、大切なものを無くしたような気持ちが、少年への気持ちを大きくさせた。

 

 

「和友さんから貰った和傘とマフラーが無ければ、我慢なんてできなかった……」

 

 

 椛が妖怪の山の監視の任を守って待っていられたのは、少年から貰ったマフラーや和傘があったからこそだった。近くに少年を感じられたから、待っていられただけだった。

 

 

「ずっとそばにいて欲しいけど、ずっと一緒にいて欲しいけど……でも、それはきっと叶わない願いだから」

 

 

 今日あるものが明日もあるとは限らない。

 まだまだ話したいことがある。

 もっともっと一緒に眺めたい景色がある。

 二人で見るから見えてくる―――新しい景色、新しい世界。

 少年と話している時は、楽しいから笑うとか、嬉しいから喜ぶとかじゃなくて、笑顔が自然と湧き上がってくるのだ。

 椛は―――少年と一緒にいる時に感じるそんな雰囲気がとても好きだった。

 

 

「だから、せめて妖怪の山に来て欲しいの。だから、私に会いに来てほしいの」

 

 

 椛は―――少年に向けて全てを打ち明けた。

 椛は、涙を流した目で少年を見つめる。

 椛の瞳に映ったのは、ほんのり悲しそうな色が付いた少年の瞳だった。

 少年は、境界線を越えて入りこんできている椛に対してどこか悲しそうな目をしていた。

 

 

「椛……ごめんね。そんなに辛い思いをしていたんだね。全部僕のせいだ。きっと僕が甘かったせいだ」

 

「えっ? 和友さんのせいなんかじゃない……和友さんが責任を感じることなんて何もない。私が……私が勝手に好きになっただけ」

 

 

 椛は、少年の言葉に背筋が震えた。

 この辛い想いが―――和友さんの責任? 

 そんなわけがあるものか。

 これは私の気持ちであって、和友さんから与えられた想いではない。

 和友さんが責任を感じることなんて何もないのに。

 どうしてそんなこと言うの? 

 椛の開け放たれた心の中に不安が入り込んで来る。少年の言葉からは断られる雰囲気しか感じ取れない。椛の瞳は、少年から送られるであろう言葉を予想し、不安の余りびくびくと怯えていた。

 少年は不安を抱える椛を見て、真剣な想いを告げた椛に対して決意を固める。はっきりと言葉にして伝えようと決心した。

 

 

「椛、ありがとう。僕も覚悟が固まったよ」

 

「それじゃあ……!」

 

 

 椛は、少年の言葉に一喜一憂していた。

 ここでもまだ心を振り回されている。

 たった一言―――ありがとうと言われただけなのに。少年のありがとうという言葉から気持ちに答えてくれるという安易な期待を持ってしまっている。

 ただ、そんなものはあくまでも儚い期待である。文は知っている。少年の告げる答えは、すでに決まっているのだ。

 少年から告げられたのは、文の予想どおりで椛の期待とはほど遠い冷たい返しだった。

 

 

「もう二度と妖怪の山には来ないよ。椛はこれ以上僕に期待しなくていい。僕のことは忘れてくれていいから」

 

「ど、どうしてそんなことを言うのっ!?」

 

 

 椛は、少年から返ってきた明確な拒否の言葉に狼狽する。今の椛にとってこれほど衝撃を受ける言葉はなかった。

 どうして? なんで? 疑問ばかりが頭の中を堂々巡りしていく。

 もう二度と来ない。それは明らかな拒否の言葉である。

 断られるだけならまだ分かる。無理だと言われるだけならまだ理解できる。これはあくまでも椛の独りよがりの想いだ。受け取れないというのならまだ分からなくもなかった。

 だが、二度と来ないなどと言われるとは思ってもみなかった。

 あまつさえ、忘れてくれていいとまで言われてしまっている。

 そんな馬鹿な話があるものか。

 これまでの記憶は、これまでの思い出は、一体なんだったというのだろうか。

 椛は、心の中の思い出が急速に色あせていくのを感じていた。

 

 

「和友さんは私のことが嫌いなの……? いつも笑顔で話をしてくれたことも、いつも楽しく妖怪の山を歩いたことも、私に向けてくれた笑顔も……みんなみんな嘘だったの?」

 

 

 椛は、言葉を口にする度に涙をすっと流しながら力なくゆらゆら少年に近づき、少年の右腕を右手で掴む。力加減などしていない。相当に強く握ってしまっているため、少年の腕からは少しばかり骨のきしむ音が聞こえてきた。

 

 

「嘘じゃない」

 

 

 少年は―――それでも顔色一つ変えなかった。痛みならば、椛の感じている痛みの方が圧倒的に大きい。傷つけている側なのに、痛みを与えられて苦痛を表現するなんて許されない。

 少年は、永遠亭で働いているときのように不安な様子を見せることなく、意識を少したりとも椛からそらさなかった。

 

 

「違うよ、みんな嘘じゃない。全部本物の―――僕の‘一部’だよ」

 

「だったら!! だったらどうしてなの!? 私、そんな無理なこと言ってるっ!? 会いに来てほしいと思っている私の感情は、間違っているの!?」

 

 

 椛はさらに少年の腕を掴んでいる手に力を入れ、少年に切迫する。

 想いのやり場は失われた―――少年に気持ちを受け止めてもらえなくて。

 僅かに敵意の宿った瞳が少年を射抜くように見つめている。

 会いに来て欲しい。

 近くにいて欲しい。

 会って話がしたい。

 そんなことを望むことも許されないのか。

 そんな些細なことを叶えることもできないのか。

 椛の中の感情は、凄まじい勢いで変化していく。今にも大剣を手に取って、少年を脅そうかと考えるぐらいには思考が曲がり始めていた。

 少年は、真っすぐに椛の瞳を見つめ返し、動揺する椛に大きな声で叫んだ。

 

 

「椛!!」

 

「っ…………」

 

 

 椛は、唐突な少年の叫びに驚く。それと同時に掴んでいた右手の力が緩んだ。

 分かってもらわなければならない。

 どうしても、納得してもらう必要がある。

 これは―――初めての経験ではない。

 少年は逸れることなく、曲がることなく、椛に向けて想いを告げた。

 

 

「椛の感情は何も間違っていない! 何も間違っちゃいない! でも……僕は、その気持ちを受け取ることはできない!!」

 

「どうして? どうして私の気持ちを受け取ってくれないの!?」

 

 

 少年は、椛の切り返しに一瞬表情を歪める。他の誰にも分らない程度に僅かな瞬間、表情を苦しみで歪めた。

 どうして受け取ってくれないの?

 貴方なら応えられる力があるのに。

 私の願いを叶えることができるのに。

 どうして、私の気持ちに応えてくれないの?

 ああ、そんなことを言われたこともあった。

 

 気持ちに応えるってなんだ?

 受け取るってなんだ?

 人の想いはその人だけのもので、誰かに理解されるものではないのに。

 人の気持ちなど絶対に分からない。

 分からないと言うより、測れない。

 人は、それぞれに別々の定規を持っているから。

 その大きさで長さを測るから。

 だから、その人の本当の想いは分からないのだ。

 本当の大きさなど分かるはずがないのだ。

 それなのに、受け取って欲しいと大きさの良く分からない物を差し出してくる。

 受け取れるはずだと、よく分からない物を送って来る。

 その重さを理解されると信じて伝えてくる。

 そんなもの―――ただの願望じゃないか。

 僕の気持ちが一切入っていない。

 ただの押し付けじゃないか。

 僕の気持ちを受け取ってくれる人はいるのか。

 僕の全てを、僕の心を受け止めることなど誰にもできないというのに。

 僕にそれを受け取れというのか。

 僕に理解しろというのか。

 そんなことを思った時もあった。

 そんなことを思っている僕がいた。

 

 

 少年はすぐさま気持ちを抑え込み、冷静に椛に言葉を送る。

 

 

「椛はまだ引き返せるからだよ。ここで完全に諦めれば、椛はこれ以上辛い思いをしなくて済む。これ以上進んでしまえば戻れなくなる。だから、諦めて欲しい」

 

「分からない!! ちゃんと分かるように言ってよ! 私に分かるような理由で言って!!」

 

「も、椛……」

 

 

 文は、椛の様子にいたたまれない気持ちになった。

 二人の間に渦巻いている雰囲気が―――空気が余りにも重すぎる。

 椛は、その大きな瞳から涙を流しながら少年に泣き顔を晒し、顔をぶんぶんと左右に振る。嫌だと、体全体を使って表現している。

 文は、もはや椛のことを茶化すことも出来ず、慰めることも出来ず、声をかけることも出来なかった。

 

 

「僕がどう言えば納得してもらえるのか分からないけど……僕が何を言えば、椛が分かってくれるのか分からないけど」

 

 

 少年は一切隙を見せず、動揺しなかった。動揺していたとしても椛にそれを気取らせるつもりはなかった。

 あくまでも揺れない、どっしりとした様子で構える。それが相手の気持ちを落ち着ける方法。これまでと同じ、これからも同じだ。

 少年は、涙で酷い表情になっている顔の椛に対して落ち着いた声で話しかけた。

 

 

「僕に言えるだけのことは言うよ。椛は、これ以上僕と仲良くなって恋仲に成りたいの?」

 

「はいっ……成れるものなら」

 

 

 椛は、少年の言葉を即座に肯定した。

 

 

「妖怪と人間の関係であっても?」

 

「そんなもの関係ない……私は、和友さんを必要としているの。妖怪と人間であっても、好きであるという気持ちは何一つ変わらない」

 

 

 椛は、空いている左手で涙を拭きとる。

 少年は人間、椛は妖怪。

 そんなこと最初に会った時から知っている。

 そして、それを理解してもなお少年と一緒にいたいと思っている。

 

 

「私は、人間だから和友さんを好きになったわけじゃない! 和友さんだから好きになったの!」

 

 

 例え、少年が人間じゃなかったとしても。

 少年が妖怪だったとしても。

 魔法使いだったとしても。

 そこが椛にとっての少年を構成する要素ではない。椛が好きになったのはあくまでも少年であって、人間である少年ではない。たまたま、少年が人間だっただけだ。

 少年は、確認していくように続けて椛に尋ねた。

 

 

「椛は僕と恋仲になった後、僕が先に死んでも我慢していられる? 耐えられる?」

 

「それは、種族が違うから覚悟しているわ。それでも、そんな短い間でも貴方と一緒にいたいの……」

 

 

 椛は、例えそれが妖怪にとって僅かな時間であろうとも、それも全て受け入れたうえで一緒にいたいのだと少年に告げた。

 妖怪である椛は、人間である少年とは寿命が違う。天寿を全うするのは明らかに少年の方が早いだろう。椛は先に逝ってしまうはずの少年の死を覚悟していた。

 文は、そこまでの覚悟を持って気持ちを告げた椛の姿を見て、いてもたってもいられなくなった。

 自分にはここまで断言することはできない。そこまで言うまでにどれほどの覚悟を要しただろうか。どれほど悩み答えを出したのだろうか。道中を察するのは難しくない。

 文は、覚悟をするまでに苦悩した椛の過程を顧みて何とかならないのかと少年に訴え出した。

 

 

「ほら、椛もこう言っていることですし、ちょっとぐらい付き合ってあげてもいいのではないですか?」

 

「文……」

 

 

 椛は、突然割って入った文のフォローに驚き、目を見開いた。

 文は、椛の視線を感じたのか、苦笑する。

 

 

「ははっ……私は私なりに思うところがあっただけです、別に椛のためにしているわけではありません」

 

「……ありがとう、文」

 

 

 椛は、少しだけ文のことを見直す。これまで迷惑ばかりかけられてきたとしても、この時ばかりは庇ってくれた優しさに対する嬉しさが勝っていた。

 しかし、少年には文の言葉も届かない。少年は、一瞬にして文の言葉を切り捨て、どこか確信めいた言葉ではっきりと断言した。

 

 

「椛がこう言ってくれているから断らなきゃいけないんだよ。こう言えている間は、まだ戻れるから平気さ。だけど、ずっと一緒にいれば同じことが言えなくなる。手放せなくなってくる」

 

「そ、そんなことはありません。私はちゃんと……諦められます」

 

「ちゃんと、諦められる……か」

 

 

 椛は、少年の意見にどもりながらも反論した。少年のことを諦められると、その口から言った。

 だが、未来のことなど誰にも分からない。

 諦められる―――それはすでに諦めているから言えるのか。

 それとも―――未来ならば諦められるから言っているのか。

 未来に諦められるのならば―――なぜ今諦められないのか。

 今こうして食い下がっている間は、未来になっても諦められない。その気持ちが色あせずに残る間は絶対に引き下がれない。

 だから、諦めるならば今なのだ。

 未来でもなく、過去でもなく、今しかない。

 

 

「椛、分かってもらえないかもしれないけど諦めて欲しい」

 

 

 少年は何の迷いもなくはっきりと告げた。もう何も変わることはないのだと、何も変えられるものではないのだと明確に示し、椛に理解を促した。

 

 

「僕は、誰かと付き合う気は全くない。恋仲になる気は少しも無いし、これからの関係が変化することも決して無い」

 

 

 少年は、例え自分が誰かを好きになったとしても、誰が自分を好きになったとしても付き合う気などこれっぽっちも無かった。

 何を言われたとしても、何を求められたとしても、それには答えられない。答えてもいいが付き合うという結果には決して至らない。それは過去に経験をしたことから決めた、少年の中の決まり事であった。

 

 

「何を言われても、それで命が無くなったとしても、誰とも、誰に対しても。僕は、そういうふうにあの時からずっと決めてきた」

 

 

 きっと少年が生涯で付き合うことになるのは、外の世界で初めて告白してきた少女だけになるだろう。

 たった一回の過ち。

 過去に犯した罪の一つ。

 絶対にあれで終わりにしなければならない。

 少年ははっきりと断言し、全てを諦めさせるように告げた。

 

 

「だから、諦めて欲しい」

 

「で、でも私は……和友さんに会いたいです……」

 

 

 椛はそれでも諦めきれないようで俯き、消え入りそうな声を零す。地面には、椛の涙で濡れて水を吸った跡ができあがっていた。

 少年は、椛の様子に少し困った顔をすると椛にある情報を与える。

 

 

「椛、僕は別に今後一切会わないと言っているわけじゃないよ」

 

「え?」

 

 

 椛は、少年の言葉に顔を上げた。

 

 

「どうしても会いたくなったら人里に行けばいい。どうしても会いたくなったら妖怪の山から人里にいる僕を見つけて、僕に会いに来ればいい」

 

 

 少年の言葉は、最初に述べた二度と来ないという言葉よりも大分妥協されているように感じられた。

 椛は、そう勘違いさせられていた。

 

 

「僕は、7日のうち2回は人里に来るから1カ月に数回会えると思うよ」

 

「……はい、分かりました……」

 

 

 椛は、少年に会うことができるのならば、と縋る様に少年の意見に乗った。そもそも、先程の反応を鑑みるに椛がいくら気持ちを伝えても少年は首を縦には振らないだろう。

 椛は、これまでのやり取りでもうすでに分かっていた。少年の言葉に乗るという選択肢しか残されていないと。少年を諦めるという可能性がない以上、取れる選択肢は一つしかなかった。

 椛は、俯きながら暗い表情で震える口を必死に動かし、言った。

 

 

「‘今は’、諦めます……」

 

「そろそろ僕は帰るよ。時間も差し迫っているからね」

 

「はい……」

 

 

 少年は、椛の肩を一度ポンと叩くとその場で振り返る。

 元来た道を戻ろうと人里への道を歩き出す。ちょうど、妖怪の山の境界線を逆方向に踏み越えて歩き出す。今から戻って筆を受け取りに行けば、そこそこいい時間になっていることだろう。

 少年は、すでに次のことに対して意識を持っていき始めていた。そこに取り残される椛と文を置いて、一人歩みを進め始めた。

 

 

「…………」

 

 

 文は無言のまま、何も言うことができないまま、暗い表情の椛を見つめていた。椛の表情には、これでもかというほどの悲しさが表れている。

 あれだけ言っても何も変わらないのか。

 あれだけ必死に伝えても何も動かないのか。

 いや、何も伝わっていないということはないだろう。何も分かってもらえていないということもない。

 少年は、好いていることを理解していたし、それを含んだうえで断った。受け取ってもらえたが、それをそのまま認めてはくれなかったという形だろうか。

 文は、僅かな時間立ち止まった。

 もしかしたらこうなっていたのは自分だったかもしれない。

 少し立場が違えばそこにいたのは自分で、今の自分の立場にいたのは椛だったかもしれない。

 文は、結局椛に何一つ言葉をかけることができず、止まっていた足を動かし、少年を追いかけるように歩きだした。

 

 

「私は、絶対に諦めない」

 

 

 椛は、俯く顔を上げる。

 何も全てがここで終わったわけではない。

 椛は、諦めていなかった。

 少年は、1月に数回は会えると言っている。

 椛は、暗い雰囲気を振り切るように妖怪の山の境界線を踏み切った。

 

 

「和友さん、私は諦めないから。絶対に和友さんの心を掴んでみせるから!」

 

 

 椛は、続けざまにその場を離れて行く少年と文の後ろ姿に向かって叫ぶ。

 

 

「和友さんの了承をもらって一緒にいてやるんだから!! 覚悟して待っていなさいよ!!」

 

 

 それは―――精一杯の椛からの宣戦布告だった。

 今までになかった言葉。

 決意のこもった重い言葉。

 椛は、確実に変わり始めていた。

 少年は、嬉しそうな表情で後ろを振り向いて手を振る。

 

 

「覚悟しておくよ。“またね”、椛」

 

「はいっ! “また”!」

 

 

 椛は何かに満足したように、どこか吹っ切れたように再び山の方へと飛び去った。

 そこには、もう涙の跡はない。また、これまでと同じように妖怪の山の監視を行うことだろう。そして、これまでと違う想いで妖怪の山に佇むことだろう。

 

 

 少年と文は、椛の背中を見送ることなく人里に戻るために空を飛んだ。

 




これ、もしかして先に原作入ってから、埋めるようにして過去の話を入れていった方が面白くかけたかもしれませんね……

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