ぶれない台風と共に歩く   作:テフロン

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方向性のある想い、明確な拒絶

 少年と文は、椛に会うために妖怪の山へと向かっていた。

 文は、少年に合わせる形で飛行しながら少年に視線を集める。

 少年はゆったりとした速さで飛んでいる。少年の速度は、お世辞にも速いとは言えない速度である。

 ただ、今瞳に映し出されている少年の飛ぶ速度は、以前よりもはるかに速くなっていた。それこそ比べるのもおこがましいというほど―――雲泥の差である。あの頃は地上を走るよりも遅かった。それを思えば、半年の間に随分と上手くなっているのが見て取れる。

 文は、半年前と比べて確実に成長している少年に賞賛の言葉を送った。

 

 

「和友さん、飛ぶ速度が随分と速くなりましたね」

 

「ありがとう。でも、まだまだみんなに比べたら遅いよ」

 

 

 少年の速度は、少年が人間であることを考慮すればそこまで遅くはない。もちろん、博麗の巫女等と比べれば遅いことこの上ないが、人里で飛ぶことのできる人間と比べれば速い方だといえるだろう。

 しかし、比較の対象が妖怪となると話は別である。妖怪が平常出す速度は、今少年が出している速度の数倍になる。妖怪が平常が60-100km/hで飛んでいることを考えれば、少年の速度は10-15km/hが関の山だった。

 

 

「それはそうかもしれませんが……それは、比べる相手が間違っているだけであって」

 

「文、僕はみんなを目標に頑張っているんだよ。文の意見を聞かせて。僕の空を飛ぶ速度は、お世辞にも速いとは言えないでしょ?」

 

「……確かに‘速い’とは言えませんね」

 

 

 文は、嘘をつくこともせず、真実を語った。

 飛ぶ速度が遅いというのはまぎれもない事実である。嘘をついてどうなる話でも、嘘をついたからといって少年の速度が速くなるわけでもない。

 だが、大事なのは妖怪よりも遅いという事実だろうか。文は少年の速度が自分たちと比較して遅いかどうかというよりも、少年の速度が速くなっている事実の方が大事に思えた。

 少年は比較対象として妖怪を挙げるが、そもそも比較対象として挙げるにはかけ離れすぎているのだ。今後少年が努力し続けたところで追いつけないことは明白である。何をどう頑張っても追い付けない。何をどうしたってたどり着けない。というか、届いてはならない領域である。

 そんな比較することがしてはならない行為になっているようなことよりも、伸びているという事実―――努力が実になっているという事実の方を評価すべきだ。

 特に努力というものをほとんど一切しない妖怪からすれば、少年のその愚直な努力は輝いて見える。少年の飛ぶ姿勢からは、努力の跡が読み取れる。それがキラキラした綺麗なものに見えるのだ。

 文は少年に対し、フォローの言葉を送った。

 

 

「けれども、最初に会った時とは雲泥の差ですよ。随分と努力なされたのですね」

 

「毎日練習しているからね。これで速くなっていなかったら気落ちしちゃうよ」

 

「和友さんは、確かに速くなっています……」

 

 

 文は、少年の笑顔につられるように笑顔を浮かべたが、あることが頭の中に引っかかった。それは―――時間の問題である。

 

 

「ですが、この速度で行くとなるとそこそこの時間がかかりますよ? 時間に余裕はあるのですか? もし無いというのならば、おぶっていきますが」

 

 

 余り長い時間過ごしてしまえば、八雲の妖怪から何と言われるか分からない。あるいは、時間をかけすぎてこちらの方へ飛んでくるかもしれない。

 そうなったら最悪である。もしも時間がないのならば、恥ずかしいことではあるがおぶっていくのか、引っ張っていくのか、どちらかすればいいと文は考えていた。

 

 

「ああ、時間は大丈夫だよ。今日は割と余裕があるから。後最低でも2時間は平気なはず」

 

 

 少年が店主から告げられた時間までは、まだ2時間ほどある。普通に椛と話をして帰る分には、問題ないはずである。

 それに、時間に遅れたからといって怒る店主でもない。だからこそ少年は、時間に追われることなく安心して妖怪の山へと向かっていた。

 

 

「仮に2時間を超えたからといって遅れて何か言われるわけでもないし……‘今日は’大丈夫なはずだから」

 

「それなら良かったです」

 

 

 文は、少年の言葉に僅かに安心した様子を見せた。

 ここで、文は勘違いを犯していた。少年が言っている相手は、人里で店を開いている店主のことであって八雲の式神のことではない。藍のことについては、大丈夫かどうかなど分からないのだ。

 直接的な何かが起こる可能性は否定できない。飛ぶことのできない、力の無い店主に限ってもしもということはないだろうが、藍の場合には直接的な―――武力的な何かが起こる可能性を考えなければならないのだから。

 文は、勘違いをそのままに少しの安らぎを保持しながら少年の速度に合わせて飛行していた。

 

 

「こっちに来るのは久々だなぁ……どのぐらいぶりだろう?」

 

 

 少年は、辺りを見回しながら飛行する。視界の周りは緑に溢れている。妖怪の山への道はまさしく山道である。左右には木が茂っており、中央に山へと至る路がある。

 

 

「うーん。ちょっと記憶と違うかな。やっぱり、時の経過は何かを変えるよね。何かが変わっている。目に見えない何かから、目に見える何かまで、何かが変わっている。勿論、変わらないものもあるけどね」

 

 

 相変わらず妖精は少年に群がって来る。見つけた端から少年の方に近づき、接触を試みてくる。

 妖精が何を考えているのか、どうしてそういう行動をとるのか、未だに分かっていない。存在そのものが自然の権化というなんとも言い難い不思議な者の行動原理が理解できる時など、一生訪れないだろう。

 

 

「妖精に付きまとわれるのは、相変わらず変わりませんか」

 

「そうだね、一向に変わらないよ。ずっとこのままだと思う」

 

 

 文は困った様子の少年を見て、自分の力の無さを想う。

 妖怪ならばともかく、少年に妖精が群がるのは文の力ではどうしようもない。本能に従って生きている妖精に対して抑止力は通用しないため、文が近くにいたからといって自重することはないのだから。

 

 

「妖精相手には私の力も威嚇にすらなりませんし、役に立たず申し訳ありません」

 

「謝らないでよ。これは誰にもどうにもできないんだから。風で吹き飛ばしてくれているだけありがたいよ」

 

「そう言ってもらえると助かります」

 

 

 少年は、文の謝罪を拒否した。

 謝られるなど筋違いも甚だしい。どうにもならないことに対して謝られると虚しさに襲われる。謝るということは悪いと思っているということである。少年は、自分の責任で起こっていることに対して相手が謝罪するところなど、見たくもなかった。

 文は、ちらちらと少年を見ながら速度を抑えて飛行する。どうやら、何か気になっていることがあるようである。

 少年は、そんな文を全く気にする様子も見せず、真っ直ぐに目的地へと突き進む。

 文は、何かに決心したように少年の顔をしっかりと見つめた。

 

 

「笹原さん、妖怪の山で椛に会う前にちょっと聞いておきたいことがあるのですが、よろしいですか?」

 

 

 少年は、何だろうと山の頂上に向けている視線を文に移す。先程までずっと喋っていたのにもかかわらず、まだ気になることがあるのか。これまでずっと話ができなかった分を取り返そうとする文の疑問符の羅列は、終わる気配が見えなかった。

 少年の視線が質問を投げかけた文に集中する。文は、狙いすましたような少年の瞳に少しだけ頬を赤く染めて視線を僅かに逸らした。

 聞くのを恥ずかしがっている、遠慮しているのだろうか。別に遠慮する必要はない。時間が切迫しているわけでも、暇がないわけでもないのだ。聞きたいことがあるのならば、聞けばいい。

 少年は、文に対して気軽に聞いて欲しいと想いをそのままに告げた。

 

 

「なんですか? 私に答えられる事ならなんでも答えますよ」

 

「ふふっ、急に(かしこ)まってどうしたのですか? 今まで普通に喋っていたのに敬語になりましたけど」

 

「あ、ごめん」

 

 

 文は、急な少年の口調の変化に泳いでいた視線を少年に合わせ、頬を緩めた。

 

 

「どうやら文の敬語がうつってしまったみたいだね」

 

「はははっ、私の敬語は新種の病気か何かですか? うつるわけが無いでしょう?」

 

 

 文は、冗談じみた少年の言葉に笑みをこぼした。その顔に反比例するように、少年の顔がきょとんとする。

 少年は、自分の言葉でどうして文が笑っているのか分からなかった。笑われるようなことを言った覚えがまるで無かった。

 言葉は―――伝染するもの。

 少年は、そう思っていた。

 

 

「口調は、うつりやすいものだと思うけどね」

 

 

 少年は、口調ほど相手に意識をさせずにうつさせやすいものはないと思っていた。

 風邪や感染症とは一線を引いている。口調というのは、無意識のうちに感染する―――病気のようなものだ。

 

 

「東京から大阪に行った人間が1年間も大阪に住めば、大阪弁で喋るようになっている。そのぐらいには感染力が高い」

 

 

 文には、少年の言葉に含まれる東京や大阪という言葉を理解することはできない。

 しかし―――少年の言いたいことは理解できた。話しの流れから、住むという言葉から場所の名前であることは予想がついた。

 少年が言いたいのは、「話し言葉は、環境に適応する人間の特性を鑑みれば、感染するのが道理だ」ということである。

 

 

「口調とか雰囲気って、気付かないうちに影響を与えているものなんだよ。文の元気のよさぐらいには伝搬するんじゃないかな?」

 

「でも、こんなに短時間で口調がうつったりはしないでしょう? まだ、話を始めて1時間ほどしか経っていないのですから」

 

 

 文は、少年の持論に対して笑みを浮かべ反論した。

 口調がうつるということを100歩譲ってあったとしても、これほど短時間でうつる道理はない。

 少年は、文の切り替えしに笑みを深める。

 

 

「ははっ、それは文のおっしゃる通りです。反論のしようもないね」

 

「ふふふ、屁理屈を言うのはやめてくださいよ」

 

 

 少年は、文とのやりとりの中で笑顔を作る。文も少年の笑顔に感染するように笑顔になった。

 笑顔も口調と同じである―――知らず知らずのうちに伝染する。無意識のうちに広がる。山の緑が生い茂るように、紅葉するように、見えないところで色付いていく。

 そして、その変化が昔を忘れさせていく。もともとの感情は? もともとの色は? もともとの形は? そういうものが失われる。ちょうど、文の質問の内容が消えてなくなったように。

 少年は、完全に会話の路線を変更し、妖怪の山を見ていつも感じている感想を口にした。

 

 

「妖怪の山は、本当に凄い所だよね」

 

「そうでしょうか? 私はいつもここにいるせいか分かりませんが、妖怪の山の凄さは特に感じたりしませんね」

 

 

 いつも妖怪の山で生活している文には分からないのだろう。日常的な慣れが、視野を狭くしている。感情の起伏を小さくしている。

 妖怪の山は、不思議な雰囲気を持ち合わせている。少年は、妖怪の山の大きな包容力と大きな威圧感、両方を持ち合わせている様子に感慨深いものを感じていた。

 

 

「具体的にどういうところが凄いのですか?」

 

「なんていうか……大きいよね」

 

「それはもちろん大きいですけど……あ、もしかして笹原さん考えなしに話をしていますか?」

 

「そんなことないよ。僕は、いつだって考えて言葉を口にしているよ」

 

「嘘ですよね? それ、絶対に嘘ですよね?」

 

 

 少年と文は、間を作ることなく次々と会話を交わす。空中で言葉を交わしながら飛行していく。

 少年と文の二人の会話は―――いつもこんな感じである。沈黙がやってくることはなく、言葉が常に飛び交い続ける。沈黙が嫌いなのか、沈黙を無視しているのか、それが来るのが怖いのか―――沈黙はいつだって黙殺されていた。

 

 

 

 

 話をしながら暫く飛んでいると妖怪の山にまもなく到着するという所まで至った。妖怪の山に入るまでは、もう少しの所である。

 文は、妖怪の山に入る前にふと疑問を訴えた。

 

 

「笹原さん、ちなみになのですが、椛にはどうやって会うつもりですか?」

 

「椛に会うのはものすごく簡単だよ。僕が妖怪の山に踏み入れば、例外なく、間違いなく、椛がやってくるからね」

 

 

 少年が椛と会うために手段などいらない。一つの行為が全てを引き起こす引き金になる。妖怪の山へと足を踏みいれるという行為が―――椛を引き寄せるのだ。

 少年は、妖怪の山の5合目辺りに目を向けた。

 

 

「椛は、きっとあそこから僕たちを見ている」

 

 

 妖怪の山の五合目は、椛が監視を行っている位置である。

 椛は、いつだって少年が来るのを待ち構えている。

 妖怪の山の五合目で目を光らせている。

 その場に坐して、ひたすらに待ち望んでいる。

 その時が来るのを―――ひたすらに。

 ただ、ひたすらに。

 

 

「ねぇ、そうだろう、椛?」

 

 

 ―――私は妖怪の山の五合目あたりから監視をしています。

 椛は、そう言っていたはずである。

 少年は、椛がいるであろう5合目を見たが、距離があるため椛の姿を捉えることはできなかった。

 しかし、椛はすでに自分のことを捉えている。きっと、見つけている。

 

 

「もし迷ったのなら妖怪の山の5合目へと視線を向けてください。私が和友さんを必ず見つけ出してみせます。例え、千里の距離があろうとも、絶対に和友さんを探し出して見せますから」

 

 

 椛は、間違いなく妖怪の山から自分たちを見下ろして、今か今かと妖怪の山に入り込むのを待っている。

 何処に行こうと。

 何処から入ろうと。

 椛の目に捉えられている。

 あの目から逃れるには千里の距離を保つしかない。あるいは、それを分断する必要がある。

 少年は、一点だけを捉えて視線を集中させる。少年の視線はすでに文には向けられておらず、椛に捉えられている。外から見ていると、まるで少年もすでに椛を捉えているように見える光景だった。

 文は、椛のことを確信をもって話す少年を複雑な表情で見つめていた。

 

 

「笹原さんは、本当に椛のことを信頼してらっしゃるのですね……」

 

「信頼というか、分かっているというか……そんな大層なものじゃないよ。いたって平凡な、誰でも分かるような、そんなこと。きっと僕の立場になればみんな分かるはずだから」

 

 

 文は、椛について自信をもって話す少年の言葉を聞いて気持ちが重くなった。そして、気持ちが重くなるのと同時に目線を少しだけ下げた。

 心の中に黒いものが沸き立ってくる。いくら押さえつけても、穴が開いた心には塞ぐ物などない。障害物無しに次々と黒いものが心の中に流れ込む。他に出口など、口から出る言葉しかないのに。口に出せないからどんどん増えていく。

 文は、心が徐々に苦しくなってくるのが我慢できず、少年に向かって言葉を吐き出した。最も聞いておきたかった言葉を、少年へとぶつけた。

 

 

「そうですか……一応聞きますが、気付いていらっしゃいますよね?」

 

「それって椛のことだよね? だったら分かっているつもりだよ」

 

 

 少年は、視線を山から移すことなく文の質問に断言した。文の質問の意図を読み取り、間違いを犯すことなく、愚直なまでにまっすぐに答えを明示した。

 少年は、相手の気持ちが分からないほど鈍感な人間ではない。しっかりと椛のことを理解している。

 椛は、間違いなく自分に対して好意を向けている。掛け値なしに好いてくれている。軽く依存していると言えるほどに傾いている。

 文は、少年の言葉で全てを悟った。少年は、全部を分かって何も言わないのだ。気付いていて何もしないのだ。

 文は、断言する少年の言葉に歪んだ笑顔を張り付けた。

 

 

「そうですよね、やっぱり分かっていますよね。貴方は、相手の気持ちを察せない鈍感な人ではありませんから」

 

「…………」

 

 

 少年は、口を閉ざしたまま文の言葉に対して何も言わなかった。

 文は、少年が喋らないと判断すると、不安を抱えながら続けざまに口を開く。

 

 

「それで……椛の気持ちを知った上でどうなさるつもりですか? 気持ちを受け取るのですか?」

 

「もちろん断るつもりだよ」

 

 

 少年は、迷いなく断ると断言した。

 文の心臓は少年の言葉によって激しく動悸する。まるで心臓を鷲掴みされたように胸が苦しくなった。

 文は、胸元で右手をギュッと握った。

 

 

(はは……私、嫌がっている……怖がっている)

 

 

 この苦しみは、どうして起こるのだろうか。

 分からない、分からない。

 そう意地を張れるのも、もう限界だった。

 文は、自身の胸の苦しみの原因が分かり始めていた。

 なぜそうなるのか、理解し始めていた。

 

 

 少年は、文の様子を見ながら真剣な表情で話しかける。

 文は、少年の口から出てくる言葉が椛に対してではなく、自分に対して向けられているように感じていた。

 

 

「きっぱりと諦めてもらうのが椛のためだと思うから」

 

(結局のところ、私と椛は同じ穴の(むじな)ということですね。笹原さんの明るさに集まってきた虫と変わらない……)

 

 

 少年は、迷う様子を一切見せなかった。はっきりと椛の気持ちを切り捨てるつもりだった。

 文は、苦しみを訴える心を抱えながら少年の顔を見つめる。

 少年の顔は真剣そのもので、ふざけて言っているようには見えない。

 少年は、本気で言っているのである―――切り捨てると、好意を断ると。

 

 

「どうしてですか? 椛は、いい子ですよ?」

 

 

 文は、あろうことか椛のフォローに回る。迷うことなく言う少年に向けて説得を図るように言葉を並べだした。

 普段ならば、絶対に口に出さない言葉を。

 いつもなら絶対にやらないフォローの言葉を。

 苦しみを外に吐き出そうとするように次々と漏らした。

 

 

「私は椛とあまり仲良くありませんが、そんな私の目から見てもいい子だと思います。私よりも遥かに従順ですし、犬ですし、かわいいですし……」

 

 

 文の声は、言葉を重ねる度にどんどん小さくなる。

 

 

(ああ、私はいつだって気付くのが遅すぎる……最速を謳っておきながら、自分のことを分かるのが遅すぎる……)

 

 

 文は、言葉を発する度に少年のことが好きだということを自覚していった。

 きっとそれは―――椛がいたから。

 椛がいなければ、一生分からなかったかもしれない。

 自分のことは意外と分からなくても、人の気持ちはよく分かったりする。それが、椛を見ていて、椛と自分の姿が重なったことから自分の気持ちが自覚できた。

 

 そう―――文は少年のことが好きなのである。

 

 話すのが好きで、一緒にいると落ち着くし、ドキドキする。つまらない会話でも面白く感じるのは、文が少年を好いているからに他ならない。

 文は、少年に惹かれている。そして、少年はそれさえもちゃんと理解している。きっと文の気持ちについても理解している。

 本人がよく分かっていなかったこの気持ちを知っている。

 今なら分かる―――少年はこの気持ちを知っている。

 

 

(今更自分の気持ちを自覚したところで何もできないじゃないですかっ……椛の気持ちを知った今じゃ、笹原さんの気持ちを知った今じゃ、何も、何も、できないじゃないですか……)

 

 

 先程、文の胸が苦しくなったのは―――話しの内容は椛のことであるのに自分の告白が断られたような錯覚に陥ったからだった。

 少年は、心を締め付けられている文をよそに、疑問を口にした。

 

 

「椛は、犬じゃ無くて天狗の仲間だよね?」

 

「和友さん、大事なのはそこではありませんよ」

 

 

 文は、まさかの少年の返しに笑顔を作る。

 本当にこの人は空気を読まない。読もうとしない。

 相手の気持ちを考えているのか、考えていないのか分からない。苦しみを避けるように、辛さを上書きするように、別のものを持ってくる。

 

 

(笹原さんはどうしようもない人ですね。何も変わらない、いつも通りの笹原さんです。そんな笹原さんだからこそ、私も椛も、好きになったのでしょう)

 

 

 文と椛の少年との出会いは非常に似ている。劇的ではなく、ごく自然に出会っているという点で似通っている。そして、両者とも少年と会話をすることが好きで、凄く居心地が良いと感じている点で一致している。

 

 

(笹原さんと話しているだけで満たされた気持ちになる。傍にいるだけで、気持ちが高揚する、楽しくなる。そこにずっといたいと思う)

 

 

 側にいれば落ち着き、会話をすれば楽しくなる、笑みがこぼれる。少年の傍にいたいと思う、ずっと少年と話していたいと思う。何から何までそっくりである。

 

 

(ほんと、何もかも椛と一緒じゃないですか)

 

 

 ―――文は、完全に椛と同じであると自覚した。

 

 

「椛は常識もわきまえていますし、護衛としても優秀な部類に入ると思いますよ」

 

 

 文は、まるで自分の事のように少年に向かって椛のいい所を伝える。椛と付き合ってあげたらと勧める。

 少年が椛と付き合うことになれば、自分が入り込む隙間が無くなるというのに。

 それは、椛には敵わないという諦めからなのか。知り合いとして応援したいということなのか。それとも―――椛に対して告げている少年の言葉が自分に投げかけられているような気になっているからなのか。

 それは、文自身も分かっていなかった。

 ただ、少年は文の進言に対しても首を縦に振る様子は見せなかった。

 

 

「僕は、何を言われても付き合う気はないよ」

 

 

 文は、脳内に少年が断る理由を導き出す。

 いつも一緒にいる八雲の従者とすでに付き合っているのでは?

 脳内は、鮮明に綺麗な光景を映し出した。

 違和感もない。付き合っているといわれれば―――やっぱりと思うだけだ。

 

 

「もしかして、八雲の式神とすでにできているとか?」

 

「それはない」

 

 

 だが、そんな文の想像も違うようで少年の顔は横に振られた。

 文は、誰とも付き合っている様子のない少年に詰め寄り、声を荒げる。

 

 

「だったら!」

 

「僕、こういうのは全部断ることにしているんだ。小学校のころから……大体六年前ぐらいから全部断るって決めているんだよ」

 

 

 少年は、小学校という幻想郷では伝わらない言葉を言い直して文へと伝えた。

 

 

「今まで何度も断ってきたんだ。今更変えるつもりはさらさらない。何度だって、いつだって、僕は断るよ」

 

「やっぱりそうだったのですね」

 

 

 文は、少年の言葉に納得した。やっぱりそうだったのだと納得した。

 

 

(あんな雰囲気を醸し出せる人間が他にいるはずもありませんし、笹原さんを好きになる人は大勢いたことでしょう)

 

 

 文は、少年から安心感や安らぎ、楽しさを貰っている。たくさんのものを貰っている。

 しかし―――その少年の優しさは、無料なのである。誰にでも与えられるものなのである。

 文は、椛以外にも少年を好ましく思っている人物がいるはずだと思っていた。

 

 

「笹原さんは、いろんな人から好かれていそうですからね。それはさぞかし多くの経験があるのでしょう」

 

 

 文は、心の内から沸き起こる疑問を口に出すかどうかで悩んでいた。

 この質問は、少年の内面を深く掘り下げる質問になる。もしかしたら傷つけることになるかもしれない。それは、人里で言っていた言えないことなのかもしれない。そんな思いが心の中を徘徊する。何度も何度も、ぐるぐると巡っていく。

 文は、不安の影が差す表情で少年を見つめた。

 少年は、真剣な表情を浮かべたまま文の言葉を待っているようだった。

 文は、少年の表情を見て尋ねる決心をする。答えて欲しいという気持ち、答えて欲しくないという気持ち、両方を込めて少年に尋ねた。

 

 

「ちなみに、今までに想いを告げられる事は何度くらいありましたか?」

 

「…………」

 

 

 少年は、やはり思い出したくないようなことのようで表情を暗くする。

 文は、聞いてはいけなかったかと即座に心の弱さを口にした。

 

 

「答えたくないのなら答えなくてもいいですよ」

 

「全部で6回だね……一回目は、気持ちを受け取ったんだけど色々あってさ……」

 

 

 文は、少年が表情を暗くしたまま話すのを久々に見たと思った。少年は、基本的に明るく楽しそうに話し、にこにこと笑っていることが多い。というか、そういうところしか見たことがない。

 しかし、この話については顔を下に向け、明らかに困った表情を浮かべている。

 文は、地雷を踏んでしまったかとすぐさま追求を辞め、撤退の構えを見せた。

 

 

「なにやら悪いこと聞きましたかね、すみません……」

 

「気にしないでよ。僕はもう気にしていないことだからさ。結局気にしても、後悔しても何も変わらない、反省しても取り戻せないことなんだし」

 

 

 少年は、暗い表情を一転させて微笑む。過去をどれほど後悔しても、現実は変わらない。過去を捨てろ、完全に気にするな、そんなことをいうつもりは無かったが、ある程度の切り分けが必要である。

 今を進むうえで邪魔なら捨てろ。

 何もできなくなる前に、身動きが取れなくなる前に、荷物は捨てなければならない。

 勿論―――過去から学び、未来を変えるための努力は必要であるが、未来に歩めなくなるような過去は清算すべきである。

 

 

「未来を変えるための努力は大事だけどね。同じ結末にはならないようにしないと……それは僕が頑張らないといけないことだから」

 

 

 文は、少年の雰囲気に呑まれるように重い空気を帯びた。これも、少年の特徴の一つといえるだろう。

 雰囲気が感染する、影響を受ける。

 だから、依存する。

 重さは、そのままの重さに。

 苦しみは、そのままの苦しみに。

 楽しさは、そのままの楽しさで。

 楽しさは、2倍。

 苦しみも、2倍。

 それが少年だ。

 少年は、自分の作りだした暗くなった雰囲気を打開するために、別の話題を取り出した。

 

 

「僕の事もそうだけど、文も相当好かれるタイプなんじゃないの? 誰かからアプローチを受けたりとかしなかった?」

 

 

 文は、唐突に振られた自分の話題に目を丸くした。

 

 

「い、いえ! 私なんて全然ですよ! うっとうしがられる事の方が多いですし、営業スマイルとこの口調のせいで、腹を割って話せる人なんて余りいないですから」

 

「本当? 人気ありそうな気がするけどな」

 

「本当ですって!」

 

 

 文は、慌てた様子で少年に告げる。そこには先ほどまでの暗い雰囲気は感じられない。雰囲気は、息を吸うように変化していく。

 

 

「嘘なんてついていません!」

 

 

 事実―――文は、胡散臭いと言われることも、うっとうしがられることも多く、腹を割って話せる相手はほとんどいなかった。自身が新聞屋というか、パパラッチじみたことをやっているため、相手から信用されないのである。

 本音を話さない相手に対して、本音を話すいわれもない。文の虚構の混じった話―――嘘を並び立てるような仮面をつけたような会話に返って来るのは、やっぱり嘘の並び立った虚像の言葉である。嘘をつく人間に本当のことを話して何になるというのか、嘘つきに対する扱いは総じて無視と無関心に行き着く。

 だが、少年の考えはちょっと違っていた。

 

 

「表情に付けられているのが営業の笑顔だろうと、偽りだろうと、見る人の捉え方で何とでもなるよ。嘘も本当も関係ない。見抜けないのならどっちだって変わらない」

 

 

 笑顔に嘘も本当も関係ない。少年は、大真面目にそう思っている。

 空元気も、元気を呼び起こす。

 嘘も積み重ねれば、本当になる。

 自分を騙し通せば、本物になる。

 はたから見ていて、本当かどうかなど分からないのだ。相手の思っていることなど分からないのだから、嘘も本当も存在しない。

 嘘だって―――本当で。

 本当だって―――嘘になる。

 少年は、仮に嘘の笑顔だとしても文に対する印象を変えることはなかった。

 

 

「少なくとも僕は元気をもらっているよ。文の顔を見ると、ああ、僕も頑張らないとなって素直に思う」

 

「は、恥ずかしくなることを平然と言いますね!」

 

 

 少年から文へと称賛の言葉が送られた。その瞬間、文の心の中は先程までの不安が消え、喜びが支配し、顔は沸騰するように赤くなった。

 少年が褒めてくれるだけで不安が打ち消され、嬉しくなる。一言一言が爆発物のように破裂し、心に影響を及ぼす。文に対して少年の与える影響というのはそれほどに大きかった。

 そう―――これこそが少年の良い所で悪い所である。

 文は顔をぶんぶんと振って、一喜一憂する気持ちを振り払う。

 

 

「そういうのを誰にでも言うところが貴方のダメなところです! そういうのは、本当に大事な人に言ってあげてください。聞いた人が誤解してしまいますから」

 

「……そうなんだよね。紫からも言われたけど、どこまでいっても僕は甘いみたいだから……」

 

 

 少年の優しさは、まさしく薬物である。一度服用してしまえば、辞められなくなる。

 文は、少年の近くにいると、全てが許されているような、認められているような、世界で一番安全な場所にいるような、そんな心地良さを感じてしまっていた。

 だからこそ抜け出せなくなり、居座りたくなる。その場にいたいと思ってしまう。少年と共に居たいと思ってしまう。

 それを―――少年自身が自覚している。自分の周りが、自分の影響を大きく受けていることを分かっている。

 文は、少年につられるように今にも泣きそうな顔で心の底からの言葉を絞り出した。

 

 

「間違いなく貴方は大甘です。貴方が、そんなんだから……」

 

「そうなんだよね……そんなんだから……」

 

 

 後ろに続くはずの言葉は、喉に詰まり言いだせなかった。文の瞳には、僅かに光る涙が見え隠れしている。喉まで出てきた言葉は、音もなく飲み込まれた。

 少年は、泣きそうになっている文に笑顔を見せ続ける。儚さを備えた笑顔は、一瞬にして崩れ去りそうな雰囲気を醸し出していた。

 

 

「そんなんだから、ダメなんだよ……」

 

 

 少年は、必死に崩れそうになる笑顔を保持する。

 文の泣きそうな笑顔につられて、どこか―――寂しそうに笑顔を作った。

 




椛って、犬でも狼でもなく、天狗の種族ですよね?

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