ぶれない台風と共に歩く   作:テフロン

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一人での人里、二つ目の再会

 茶屋は、外の世界でいうカフェのようなものである。軽い食事を取りながら飲み物としてお茶を楽しむ場所、緩やかな時間を流す場所である。

 少年はお茶をのみ、和菓子でも食べながら一息つくつもりだった。

 

 

「確か……茶屋は大通りに面していたはずだよね。藍と一緒に1回だけ行ったことがあるから、多分間違っていないはずだけど」

 

 

 茶屋は、人里の大通りに面して建っている。商業地区にある茶屋なので、同じ商業地区に建っている筆一本からは距離的にそこまで離れてはいない。

 随分昔になってしまうが、藍と一度来たことがある茶屋である。一時期、カフェスタイルの茶屋が人里で流行った時にその流れに便乗して一度来たことがあった。

 

 

「あの店の雰囲気は結構好きだったなぁ。外の世界にあるレストランみたいな雰囲気が良かった」

 

 

 幻想郷には外の文化が絶えず流入し、流行り廃りを起こしている。それは、外来人が稀に外の世界からやってきて文化を広める、あるいは物が流れて文化が入り込むためである。

 茶屋の雰囲気は、外の世界のレストランに酷似しており、外来人がもたらした文化の一つであることが雰囲気から感じられた。

 

 

「あれから大きく変わっていないといいけれど、どうだろう? 場所まで変わっていたら見つけられないし、残っているといいなぁ……」

 

 

 その時から茶屋の場所が移動していなければ、少年の筆がノートに書き記した場所にあるはずである。

 少年は、大通りを迷うことなく辿っていった。

 

 

「あっ、あった、あった」

 

 

 しばらく歩くと、茶屋の店が視界に入った。どうやら潰れてしまったわけでもなく、移動してしまったわけでもないようである。

 

 

「良かった、変わらずにあったみたいだね」

 

 

 少年は、目的地である茶屋に辿り着くと、外に出されている長いすに座った。

 

 

「うん、椅子に座った感じもあの時のままだ」

 

 

 座り心地はそこそこである。良くもなく悪くもない。

 座り心地はこのぐらいがちょうどいい。長く居座るには硬いように思えるし、嫌悪感が出るほど硬いわけでもないので、店で出ている椅子としてはベストの選択だろう。

 少年は、椅子に座った状態でそっと空を見上げる。

 茶屋の空気感は、まるで外の世界にいるような錯覚を覚えさせた。

 しかし、周りに見えている景色はどれも外の世界では見られないものばかりで、高い建物の全くない見晴らしのいい景色が視界を覆っている。

 少年は、そっと深呼吸をして息を吐き出すと店員を呼んだ。

 

 

「すみませーん」

 

「今行きます」

 

 

 少し遠くから店員の声が聞こえてきた。

 少年の声を聴いた男性店員は、声の源泉へと早足で歩いてくる。

 少年は、近づいてきた男性店員に対してオーダーをした。

 

 

「ご注文でしょうか?」

 

「蒸し饅頭(まんじゅう)を一つください。それと緑茶を一杯」

 

「蒸し饅頭は、粒餡(つぶあん)漉し餡(こしあん)がありますがどちらになさいますか?」

 

 

 店員は、少年の注文に対して2つの選択肢を提示した。

 少年は、前に来た時はそんなものあったかなと不思議そうな顔をする。

 前に藍と来た時には、店員から粒餡と漉し餡の提示はされなかった。あの時は、注文した段階で話が終わったはずだ。ノートに書いた情報と異なっている。

 少年は、前に来た時から新しく増えたのかと考えながら、店員の疑問に対して答えを示した。

 

 

「粒餡でお願いします」

 

「ご注文承りました」

 

 

 店員が少年からオーダーを受けて店の中へと入っていく。

 粒餡を今から作るのだろうか、それとも作ってあるのだろうか。今から作るとなると、そこそこ時間がかかることが想定される。

 

 

「どのぐらいで出来上がるのかな? 最初から作ると結構な時間がかかりそうだけど……でも、今日は時間がいっぱいあるもんね。ゆっくり待てばいいか」

 

 

 どのぐらいで品物が来るかな。少年は、3時間も余裕があるというのにそんなどうでもいいことを考えながら正面を向いた。

 少年に話しかけてくる人物はどこにもいない。いつもだったら隣にいる人物は、今日に限っては存在しない。

 一人きりで時間を流す。こんな時間がこれまであっただろうか。こんなふうに穏やかに特に何をすることもなく、時間を流すためだけに空気を吸って待っているような状態になったことが過去にあっただろうか。

 そう思うと―――これもまた新しい経験のような気がした。

 

 

「こうして一人で人里に来るのも初めてか。そう考えると、なんだか考え深いものがあるね」

 

 

 少年の目の前には人里の大通りが広がっている。人里の大通りだけあって人の行ききは激しく、目まぐるしく人が流れている。もちろん外の世界と比べるとか細いものではあるが、マヨヒガにいては決してみられない光景である。

 

 

「人がいっぱい……夜までいっぱいいるんだろうな」

 

 

 人里の商業区画の大通りは、夜が訪れるまで人が消えることは決してない。人の生活の拠点が多く存在するこの商業地区に休みは訪れない。ずっと、ずっと、人が行きかって生きている。

 

 

「夜はさすがに危険だから、みんな出歩こうとはしないけど。昼間の活気は外の世界にも劣っていないよね」

 

 

 夜が訪れると人が消えてしまうのは、外の世界の街に比べて夜の明かりが少ない幻想郷の人里を歩くという行為に対して、治安的にも気持ち的にも気分が乗らないためである。

 妖怪が住まう幻想郷において、夜という時間帯は安全地帯から危険地帯に変わることを意味している。人の姿が一気に消えていくのは、危険を孕んでいる夜においていわば必然の現象だった。

 少年は、注文の品が届くまでぼうっと視界を定めて前を見据える。流れる人のさらに奥を見渡すようにどこか焦点の合っていない瞳で遠くを見つめていた。特に理由もなく、特に意味もなく、ただ、そうしていた。

 

 

「ん?」

 

 

 少年は、不可解なものを発見した。

 視点の定まった少年の視界の中に土煙が舞うのが見える。どうやら、空中から風が降りてきたために土煙が上がっているようだった。

 少年は、特に視線を動かさず土煙が舞う情景を景色の一部として捉える。動きを見せている場所に視線を集めるわけでもなく、景色を眺めて続けていた。

 しばらくそのまま眺めていると少年の視界の中に少年の知っている人物が入り込む。どうやら空から舞い降りてきた人物が土煙を上げている原因だったようである。

 空から地へと降りてきたその人物は、迷うことなく少年に向けて足を進めてくる。少年の視界がどんどん黒く染まっていく。中心から黒が迫って来る。

 けれども、少年は近づいて来る相手に対し焦点を合わせることはしなかった。あくまで景色として認識しているだけで、それに対して反応を示さなかった。

 少年に近づいてきた人物は、どこかずれた方向に視線を向けている少年に声をかけた。

 

 

「あやややや。珍しいこともあったものですね」

 

 

 少年は、話しかけられて初めて声をかけてきた少女へと焦点を合わせた。

 少年の視界に笑顔を浮かべた一人の少女の姿が映し出される。空から舞い降りてきたのは、妖怪の知り合いの一人である射命丸文(しゃめいまるあや)だった。

 少年の視線が飛来した文は、笑みを深めて少年に問いかける。

 

 

「今日はお一人なのですか?」

 

(あや)か、久しぶりだね。今日は僕一人で来ているんだ」

 

 

 少年は、既知の相手に対して久しぶりの言葉を交わした。

 景色の色は、白と黒のモノトーンで大半を占められている。少年の視界の大半が黒く染まったのは、射命丸文の黒い翼が少年の視界を埋めたからだった。

 射命丸文の背中に生えている大きな黒い羽は―――彼女が妖怪であるという証である。

 文は鴉天狗という妖怪であり、妖怪の山に住んでいる妖怪である。天狗という種族は、外の世界においても知名度がある。妖怪としての格も高く、力も強い。

 しかし、文は力に奢ったりするタイプではなかった。気前のいい性格と人当たりしない性格が、文の表情からにじみ出ている。

 人里へもちょくちょく来るらしく、人間からの印象も悪くないようで、人が彼女に話しかけることも多々あるようである。それはきっと、文の気さくな雰囲気をみんなが感じ取っているからだろう。そうでもなければ、妖怪に対して話しかけるなど無理な話だ。

 少年は、久々に会った何も変わっていない射命丸文に向けて口を開いた。

 

 

「まさか人里で文と会うなんて思ってもみなかったよ。それこそ半年ぶりぐらいかな?」

 

「私も、笹原さんと1対1でこうして会うなんて思ってもみませんでした」

 

 

 少年は、射命丸文と面識があった。これまでに何度か会う機会があり、お互いのことはある程度知っている仲だった。

 

 

「けれど、半年ぶりではありませんね。私は、これまで何度か人里で笹原さんを見かけていましたよ」

 

「だったら話しかけてくれればよかったのに。僕、そんなに忙しそうにしていたかな?」

 

「いえ、その、話しかけようとは思ったのですが……」

 

 

 文は、歯切れ悪く言った。

 

 

「声をかけ辛かったので話せずじまいでした……」

 

「声をかけ辛かった?」

 

 

 少年は、文の真意をくみ取れず聞き返す。

 文は、話しかけづらかったようで声をかけなかったとのことだった。

 どうしてだろうか。特に忙しくしていた覚えもない。人里に来る理由は、ほぼ100%買い物のためである。

 買い物は急ぐことでもないし、焦ってこなすことでもない。むしろいつも、ゆっくりと会話を楽しみながら買い物をしている。余裕がない状態で買い物をした記憶なんて全くなかった。

 だが、少年は次に放たれる文の言葉で全てを理解することとなった。

 

 

「ええ、貴方の傍にはいつも八雲の式神がいたじゃないですか」

 

 

 ‘八雲の式神’という言葉が、後に続いていく言葉を容易に連想させる。

 文は、苦笑交じりに少年の予想通りの理由を並べた。

 

 

「いつも楽しそうにおしゃべりしていますし……話しかけようとした時に八雲の式神が露骨に表情を変えるのでちょっと話しかけにくかったのですよ」

 

「……ごめんね。多分僕のせいだ」

 

 

 少年は、自分の責任だと頭を下げた。自らの非を受け入れ謝罪した。

 この件は、少年が直接的な関与をしているわけではないのだが、間接的な関与をしている。車の運転手が事故を起こした時に助手席にいた人間に責任が‘全くない’ということがないのと同じだ。特にこの件は、隣にいた少年の影響が大きいと言わざるをおえない。

 しかし、文は少年が謝るのを見て慌てて擁護した。

 

 

「貴方のせいではないですよ」

 

 

 文は、誰の責任だとは言わなかった。少年の責任ではないことを口にしながらも、誰の責任だと追及することをしなかった。

 しかし、少年は文から責任がないと言われたことを受け入れられるほど、愚直な性格ではない。責任は自分にある。全くないなんてことはない。自分の責任ではないと事実ではないことを言われても、鵜呑みにすることはできなかった。

 ただ、反論の言葉を口にすることはない。少年は、黙ったまま文の言葉を聞き、頭の中で解答した。―――絶対に自分の責任だと。

 文は、暗くなりつつある話題を避けるため悠々とした表情で自分のことを織り交ぜながら話しを展開する。

 

 

「それに楽しい時間を邪魔されるようなことをされたら、嫌な顔するのはむしろ当然だと思いますよ? 私も誰かと楽しく喋っている時に横やりを入れられるのは嫌ですから」

 

「そう言ってもらえると助かるよ」

 

「ふふん。笹原さんには聞きたいことがてんこ盛りになっているのですから、覚悟してくださいよ~」

 

 

 文は笑顔で答えると、ごく自然に少年の座っている長いすの隣に座りこむ。そして、少年を逃がさないと言わんばかりに顔を覗きこんだ。

 少年は、がっつくような文の態度に複雑な表情を浮かべた。

 

 

「お手柔らかに頼むよ」

 

「嫌です、手加減なんてしませんから」

 

「文は昔からそうだよね。昔から強引だ」

 

「それが、私ですから」

 

 

 少年は、最初に会った時から少しも変わっていないことに笑顔を作る。強引で、強烈で、強襲で迫って来る。最初と何も変わらない文の特徴である。

 

 

「怖気づいて強引さを失ってしまうようなら、私は何もできなくなってしまうでしょう。私の心はこう見えて臆病ですから。強引さを失ってしまった私の心は、恐怖に打ち勝つ術を持っていません」

 

「恐怖に負けないように頑張ってね。僕は応援するよ」

 

「はい、頑張ります」

 

 

 少年の知っている文は、最初に会った時から何も変わっていない。文は笑顔を絶やさず崩さず、楽しそうに話をする。

 少年の認識は常に笑顔で元気な天狗の少女、そこから一歩たりともはみ出すことはなかった。

 

 

「それでは……笹原さんが応援してくれているその強引さでお聞きしますけど、色々とお話を聞かせてもらってもいいでしょうか?」

 

「いいよ、答えられることなら答えるよ」

 

「ふふ、いい心がけですね」

 

 

 文は、話題のきっかけとなった藍の話から少年の会話を開始した。

 

 

「話を戻しますが……よっぽど式神から溺愛されているのですね。あんなに楽しそうにしている姿は、昔だったら決して見られませんでした」

 

「僕は昔の藍を知らないから何とも言えないけれど、昔の藍はそんなに楽しそうにしていなかったの?」

 

 

 文は、笑顔で話しながら徐々に少年との距離をじりじりと詰める。

 少年は、なぜ文が近づいてくるのか分からなかった。より強引に聞くためなのだろうか。それとも無意識なのか。

 文は、藍の様子を見た感想から話を拡大させながら、物理的に少年との距離を徐々に詰めていく。

 

 

「私、八雲の式神があんな顔をするのを初めて見ました。いつもぶすっとした仏頂面をしていることが多いので、最初見たときは、思わず二度見してしまったものです」

 

 

 少年は、出会った後からの藍しか知らないため、文の言っている藍がどんな顔をしていたのか想像もつかなかった。

 いつも仏頂面をしているだろうか。

 むしろ、表情はころころ変わる印象がある。

 そんなこんなことを考えているうちに、文と少年との距離はわずかな空間を残すのみとなっていた。

 少年は、文が近づいていることに気付いていないのか、気にしていないのか、文が近寄ってきても動くことはない。

 文は、動かない少年をいいことに距離をじわじわと詰めていきながら、妖怪たちが少年に集まるという現象、少年に近寄って来るという現象、親しい関係になるという現象がどこに由来するのか少年へと問いかけた。

 

 

「椛も貴方に会いたがっていましたし、随分と誰かから好かれるような方なのですね。もしかして何か秘訣とかあったりしますか?」

 

 

 会話に椛という人物が新たに入っている。椛という人物は、文とそれなりの関係を持っている人物であり、少年と親しい関係にあった。文もよく二人で話をしている光景を見たことがあった。

 少年は、少し複雑な表情を浮かべながら文の質問に対して言葉を口にする。

 

 

「秘訣は無いけど、秘密はあるかもね」

 

「まさにその秘密に惹かれたということなのでしょうか? 非常に気になります」

 

 

 文は、もったいぶるような少年の言葉に楽しそうに言った。

 

 

「もしかしたら、私も知らず知らずのうちにその秘密とやらに惹かれてしまっているかもしれませんよ?」

 

 

 文は少しの悪戯心から、面白半分、少年をからかいにかかった。

 少年ぐらいの年頃ならば、美の付く少女から想いを寄せられるそぶりを見せれば、何かしら初心な反応が返ってくるに違いない。顔を赤くし、表情を一変させることだってあるだろう。心を揺さぶれば、口を軽くなり新しい情報を取れるかもしれない。

 文は、利己的な考えと個人的な感情から情報を得ようと画策した。

 

 

「ほらほら、そこのところどうなんです?」

 

 

 文は、挑発するように顔を近づけて少年の様子を伺う。

 しかし、少年の表情は赤くなるわけでもなく、恥ずかしがるわけでもなく、嫌がるわけでもなく、ただ―――虚しそうな顔をしていた。

 

 

「僕は、別にそんなものを望んでいたわけじゃないんだけどね……なんかさ……違うって言うか……」

 

(これは、まずいこと聞いちゃいましたかね……別にそんなつもりではなかったのですが)

 

 

 文は、今話している内容が少年にとって話したくない、話しにくい内容なのだと瞬時に理解した。

 少年の口調は、文の恥ずかしがらせるという意図に反してとても重い。歯切れも悪くなってしまっている。

 

 

「もしかして、聞いてはいけないことでしたか?」

 

「話しても別に構わないんだけど……」

 

 

 少年の声が言いづらそうにして萎む。

 ここで―――文に言ってもいいのか。少年が悩んでいる内容は、そこにある。

 文は新聞を書いており、幻想郷におけるパパラッチとしての役割を成している。文に伝えるということは、幻想郷中に知られることに他ならない。そんな文に伝えてもいいのだろうか。

 少年は、不安を僅かに含ませながら文へと尋ねた。

 

 

「文のそれは、取材のつもりで聞いているのかな?」

 

「いえ、個人的に知りたいと思っただけですよ。言いたくないことなら言わなくてもいいです」

 

 

 文は、明らかに迷いの見える少年に明確な答えを提示した。

 文が今回少年へと声をかけたのは、あくまで話がしたかったからであって、これを新聞に載せようとして話しかけたわけではなかった。

 

 

「少しも下心がなかったかと問われれば、言いきることはできませんが……」

 

「ふふ、正直なんだね」

 

「私は、清くて正しい射命丸文ですから」

 

 

 文は、久しぶりの再会を果たした友人と気持ちの悪い別れ方をしたくなかった。昔のように唐突に、突発的に、関係性を失うのだけは嫌だった。

 

 

「今回笹原さんに話しかけたのは、取材をしたかったからというわけではありません。あくまで個人的に話がしたかっただけです」

 

「個人的な話か……随分と会ってなかったもんね」

 

「……貴方が人里に現れなくなってから色々あったのですよ。そりゃもう、私だって色々と思うところがありました……」

 

 

 文は、少年が人里へ来なくなって少年と会う機会が‘無くなった’。そう―――完全になくなった、零になった。

 文が少年と会う機会は、非常に限られている。

 一つは―――少年が人里へと一人で遊びに来た時。

 二つは―――幻想郷の地理を覚えるために一人で各地を回っていた時。

 この2パターンしか存在しない。そして、そのどちらもが半年前に病気になって無くなったものだった。

 

 

「私は、貴方たちが住んでいると言われているマヨヒガに行くことができませんでしたから。私には、笹原さんと会って話す手段がありませんでした……」

 

 

 少年の住んでいるマヨヒガは、八雲家の人間しかたどり着けない場所である。マヨヒガは、迷い込んで来ることはあっても、狙って来ることができる場所ではない。未だに場所を特定した者がいないと言われている場所である。当然のように、文もマヨヒガにはたどり着けていなかった。

 自分で見つけることができない。会いに行くことができないというのならば、偶然何処かでばったりと出会うしかない。偶然を期待するしかないのだが……人里で少年を見つけられたとしても、話しかけることができないのが、文にとって何よりも辛いことだった。

 

 

「やっとのこと人里に笹原さんが来たのを見つけても、八雲の式神がそばにいるせいで話しかけることもできませんでしたし……私は、ずっと我慢をしていました」

 

「…………」

 

 

 少年は、文の物言いに口を紡いだ。

 文は少年の傍に藍がいれば、話しかけることは叶わない。話しかければ、どうなるか分かったものではないからだ。危害を加えられると判断されれば、もう二度と少年が人里に来なくなる可能性もある。そう思ったら話しかけることなどできなかった。

 この可能性を潰されている状況によって、文にとっての少年との接触ルートはほぼ潰えたといっても過言ではなかった。

 文は、顔を悲しみの色に染めながら、ごそごそと持ってきている手提げかばんの中から新聞の束を取り出した。

 

 

「貴方に渡せていない最速の情報をお届けする文々。新聞(ぶんぶんまるしんぶん)も少しばかり埃を被ってしまいました」

 

「僕に渡せていない分、ずっと持っていてくれたんだね」

 

「貴方は私の新聞の購読者ですからね。渡せていない分は、ずっととっておいたのですよ」

 

 

 少年は、そっと取り出された新聞に視線を向ける。

 取り出した文々。新聞には、文の言葉とは裏腹に一切埃が付いていなかった。きっと、大事に保管しておいてくれたのだろう。いつか渡せる日が来ると信じて持っていてくれたのだろう。

 少年は、文の気遣いに少し嬉しそうな顔を見せた。

 文は、そっと新聞へと視線を落とす。

 

 

「最速が聞いて呆れますよね、半年後に届く新聞なんて。酸化して色も変わってしまって……」

 

 

 少年は、文が作っている文々。新聞を購読している。主に幻想郷の情報を得る目的のために読んでいた。

 

 

「まぁ……半年も経てばそんなものですよね。いやぁ、長かったです」

 

 

 少年に渡すためには人里で出会う必要がある。それができずに、半年も経ってしまった。

 文は、そっと束ねてある新聞を少年に差し出した。

 

 

「それではどうぞ受け取ってください。これで私も、気兼ねなく新聞が書けます」

 

「ありがとう。マヨヒガに帰ってからゆっくりと読ませてもらうよ。感想についてはまた人里で会った時にでも伝えるね」

 

「分かりましたっ! ずっと待っていますからね!」

 

 

 文は、少年に向けて元気よく返事をした。ずっと待っていると返事をした。

 ずっと―――それはいつまでなのだろうか。いつまで続くものなのだろうか。新聞を渡すまでに半年待った文が言うずっととは、どのぐらいなのだろうか。

 文は、少年にとってのずっとがいかに重いものか分かっていなかった。

 

 

「うん、‘絶対に’伝えるからね」

 

 

 少年は、文の期待に対して絶対を口にした。

 


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