ぶれない台風と共に歩く   作:テフロン

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久々の人里、久しぶりの再会

 少年はマヨヒガを一人で飛び立ち、人里へとやって来た。

 いつものように門を通って、門番の人と挨拶を交わして中へと入る。

 人里には多くの人々が行きかっており、活気が感じられた。

 

 

「筆一本は、向こう側だったね」

 

 

 少年は、目的地である筆一本へと足を伸ばす。肩には、いつもどおりノートと筆が入れられたカバンがかけられていた。いつでもどこでも、少年の傍にはノートと筆があった。

 今日は、その相棒ともいうべき筆の点検のために人里へと来ている。

 少年は迷うことなく、すでに区別できている店―――筆一本へと入り込んだ。

 

 

「こんにちは~」

 

 

 店の中は、外から入ってくる光の量が少ないために薄暗い。筆の劣化を避けるために直射日光を遮っているのだろうか。

 少年は、そんなことを知る由もなく、店内を見渡した。

 

 

「やっぱり誰もいないんだね」

 

 

 店の中には、2年前と変わらず人がいなかった。確か、半年以上前に顔を見せに来た時も誰もいなかった。

 

 

「人はいないけど、その代わりに埃はいっぱいだ……」

 

 

 商品である筆を入れている棚の上には、埃が積もっている所がある。本当にこれで商売が成り立っているのか疑惑が出てもおかしくない状況である。

 だが、成り立っているからこそ店主は生活できているのだ。意味のないようなことでも、なにかしら役に立ってそこにある。役に立っているからこうして、埃をかぶっていられる。

 少年は、2年前と何も変わらない店の中を見て一人呟いた。

 

 

「相変わらずだなぁ……これで暮らしていけるんだから不思議なものだよね」

 

 

 昔、店主は「寺子屋に商品を提供しているから暮らしは安定している」という旨の言葉を喋っていた。

 つまりは―――そういうことなのだろう。上手くやれば、特に商売に気をやらずとも問題がないだろう。何もしなくても、何も宣伝しなくても、何も新しいものを作らなくても、買い手は一定数確保できるということなのだろう。

 だが、店主は余裕のある状況に怠けているわけではないはずだ。そんなことをすれば、顧客が離れてしまう、同業他者との勝負に負けてしまう。

 少年は、いつか言っていた藍の言葉を思い返しながら呟いた。

 

 

「これだけ汚くても買う人が一定数いるのは、やっぱり店主の腕が良いからなんだろうね」

 

 

 長く続けていくためには、質が問題となる。上手くやりくりすることが大事になる。

 店主の技量が落ちてしまえば、抱えている顧客が他の店へと衣替えをする可能性がある。そのリスクを負っていると考えれば、ここまで何もしないことは同時に―――店主の技量が窺い知れた。

 ここまで埃をかぶっていても、見栄えが悪くても、買う人がいる。それは、店主の作るその筆が優れているからという他ないだろう。

 そこまで考えると、少年は筆ではなく店の奥の方へと視線を向けた

 

 

「山本さんは、いつものところにいるのかな?」

 

 

 店主は決まって店の奥の方で作業をしていることが多い。その例にもれず、奥のふすまに黙々と作業をしている人の影が映っている。どうやらいつもと同じように作業をしているようである。

 少年は、店主の影に向かって声を飛ばした。

 

 

「山本さん、いらっしゃいますか?」

 

「あ、なんだ? 客か?」

 

 

 少年の声が店の奥へと響くと、店主である山本がふすまの奥から姿を現した。

 店主は少年の顔を確認するや否や、まるで幽霊でも見るかのように目を見開く。

 店主が驚くのも無理はない。なにせ、少年は半年以上も店主である山本に会っていないのだから。病気を患ってから一度も会っていなかったのだから―――久方ぶりの再会である。

 

 

「おお、久しぶりじゃないか! 随分と大きくなったな!」

 

「山本さんは何も変わっていないですね」

 

「うるせぇな、もう成長期はとっくに過ぎてんだよ」

 

 

 そう言う店主の顔は、2年前とあまり変わっていなかった。

 2年で変わるわけがないだろうという人もいるかもしれないが、2年で大きく顔が変わった人がいることを少年は知っている。顔が大きく変わると、覚えた内容との一致が図れなくなり、識別に齟齬が出る。そうなったらまた覚え直しになる。

 少年は、久しぶりの再会で不安もあったが、一発で店主の顔と名前を一致させた。過去に書き記し覚えた顔と変わっていないことに安堵しながら、店主を迎えた。

 

 

「僕のこと、覚えていてくれたんですね」

 

「当たり前だろ? 忘れろっていう方が無理な注文だ。あんな注文してくる奴なんて坊主を除いていなかったからな」

 

 

 少年は、店主が自分のことを覚えていてくれたことに少しだけ嬉しそうに頬を緩ませる。

 少年は、成長期を迎えて、病気を乗り越えて、多少なりとも雰囲気が変わっている。変わったと―――そういうふうに他人から言われたこともあった。そのため、久々に顔を合わせる店主が自分のことをしっかりと覚えてくれているか不安を抱えていたが、そんな心配は杞憂だったようである。

 店主は、久しぶりに現れた少年に向けて感慨深い顔をしながら言葉を投げかけた。

 

 

「久しぶりだな。元気にしていたか? ぶっ倒れたって聞いた時は心配したぞ」

 

「僕のこと、人里にまで伝わっていたんですね」

 

 

 半年前に少年が倒れたことは、店主の耳にまで届いていたようである。

 さすがに少年の倒れたことが人里全土に伝わっていることはないだろうが、店主が知っているということは―――少年と関わりを持っている全ての人間が知っていると考えた方がいいだろう。少年の店主との関係性を考えれば、少しなりとも関わり合いがある人は全員知っていると考えるのが普通である。

 ただ、少年が病気であることが漏れる要素は余りに少ない。直接永遠亭に来なければ、情報が漏れる個所は藍や紫といった身内からの漏洩以外に無いと思われた。

 どこから漏れたのだろうか。誰から情報が開示されたのだろうか。

 そんなことを考えてみたが、そんなことはどっちでもいいと思った。隠していたのは、あくまで病気の内容であり、倒れた事実ではないのだから。

 

 

「僕、倒れている間、外に出ることがなかったですし、知られていないと思っていました」

 

「俺も人づてで聞いただけだ。俺はここから離れることができねぇし、大したことできなくてすまなかったな」

 

 

 少年は、病気の時にお世話になった一人の命の恩人に対してお礼を告げた。

 

 

「いえ、山本さんのおかげで最後の最後まで頑張れました。勝負事が無かったらもう死んでいたかもしれません」

 

 

 店主の言葉は、病気の時に、苦しんでいるときに一つの支えとなってくれた。店主の勝負事の言葉が―――心の灯を強くしてくれていた。

 死んでいたかもしれないというのは、誇張でも過大評価でもない事実なのだ。

 あの時少年は、もうすぐ死にそうになっていた。もうすぐ終わりそうになっていた。

 病気に抗い続けていられたのは、それに立ち向かい続けていられたのは、きっと店主と交わした言葉があったからだ。

 

 

「縁起でもないこと言うなよ」

 

「ははは、そうですね……」

 

 

 少年は、店主の言葉に乾いた笑いで返すことしかできなかった。

 店主は、すぐに黙り込む少年との距離を縮めると、今日の訪問の理由を尋ねた。

 

 

「今日はどうしてここに来たんだ? 別に、顔を見せに来たわけでもないんだろう?」

 

「今日は作ってもらった筆を見てもらおうと思って来たんですよ」

 

「ああ、そういう理由か」

 

「ここまで2年の間、作ってもらった筆を使ってきていますけど、一度も店の方に筆を見てもらいに来たことは無かったですからね」

 

「まぁ、俺の筆だから壊れるなんてことは無いとは思うが……」

 

 

 店主は、筆の状態の確認の必要があるようには感じていなかった。一生使える筆を作ると言った店主の言葉に偽りはないし、それだけのものができている自信もある。

 まだ、作ってから2年である。壊れているわけがない。店主の自信は、相当なものがあるようで心配するかけらも見せていなかった。

 

 

「一応ですよ、一応。店主の言葉を信じていないわけじゃないです」

 

 

 少年は、カバンの中にノートとともに入れて置いた筆を店主へと手渡す。

 2年間の激闘を共にしてきた相棒ともいうべき道具である。楽しかった思い出も、辛かった思い出もいつだって筆が線を引っ張ってきた。最後の追い込みは、デットラインは、少年と共に耐久レースを演じて見せた。

 

 

「随分と汚れてしまいましたが、今のところ問題なく使えていますから」

 

 

 筆の持ち手は血がしみ込んで赤黒く変色している。それこそが少年が筆に与えたもの。

 少年の手には筆の形がくっきりと残っている。それこそが筆が少年に与えたもの。

 それこそが、お互いの消えない傷跡だった。

 

 

「あくまでも点検です。よろしくお願いいたします」

 

「どれどれ……」

 

 

 店主は、少年に手渡された筆を左手で持つと確認し始めた。

 筆の軸の部分に血がにじんでいるのがはっきりと分かる。

 店主は、軸の部分に付着してしみ込んでいる血について何一つ驚いた様子を見せず、目を細めて視認した。やはりこうなったか、店主の中にあったのは疑問や違和感ではなく、すっぽりとはまったような納得だった。

 店主は、初めから少年が血を流すぐらいに筆を握り続けると分かっていた。初めて少年の手を見た時から、血を流すほどに努力していたことは分かっていた。今更筆に血が付着していようが対して驚くことなど何もない。

 むしろ、驚くべきは―――筆に与えられたダメージの多さだった。

 

 

「そうだなぁ……これは、ちときついか」

 

 

 店主は途中で虫眼鏡を持ち出し、より細かく隅々を見渡し始めた。

 筆に蓄えられている損耗を読み取り、一通り全体に目を通す。

 もう、耐えられません。

 もう、限界です。

 私では、無理みたいです。

 筆がそう告げているのが聞こえた。

 

 

「坊主、この筆に凄まじく負担を掛けただろ?」

 

「私はいつも通りやっていただけなんですけど、使いすぎってことでしょうか?」

 

「坊主は筆の扱いに慣れていないんだな……坊主が外来人だってことを考慮に入れていなかった……」

 

 

 店主は、言葉の意味が分かっていない少年の反応から、少年が外来人であることを改めて理解した。

 

 

「力の入れすぎだ。摩耗や摩擦によるものというより、応力による劣化だな」

 

 

 店主の作った筆は、使いすぎただけだったならば、壊れたりなどしない。使い方を間違えなければ、文字通り一生使えるものを作ったつもりだった。

 しかし、少年の使った筆は寿命を迎えようとしている。それは、少年の使い方が雑であるという可能性を考慮していなかったからだった。

 少年は、店主の言葉に申し訳なさそうな顔を作る。

 

 

「ごめんなさい」

 

 

 筆の使い方に慣れていないということは、筆の使い方に不備があったということ。

 少年は、学校で習った習字程度の知識しかない。筆を使って字を書く機会なんてほとんどなかったため、筆の使い方を深く知らなかった。力の入れ方から筆の立て方まで、持ち方以外のことはあまり知らなかった。

 

 

「毛が抜け始めているじゃねぇか。軸の部分は大丈夫だが、矛先の方はもう駄目だな……」

 

「何とかなりませんか? できれば、この筆をずっと使い続けたいのですが……」

 

「そうは言うが、ここまできているとなると難しいだろうな」

 

 

 この筆は、少年と共に窮地を一緒に乗り越えてきた。少年には、すでに自身の体の一部のような感覚がある。右手に馴染んで、右手の一部と思えるだけの感覚が芽生えている。

 そんな筆に対する感情があったからこそ―――筆を壊さないように店主に見てもらおうと思ったのだが、幾分遅かったようである。

 少年は、もうダメになったと言われる筆に対する想いを切り捨て、店主に向けて問いかけた。

 

 

「じゃあ、どうするのですか? 取り替えれば元に戻りますか?」

 

「いや、とりあえず新しいのを持っていけ。こうなっちまったのは俺の力不足が原因だ。一生使えるものを手渡したつもりだったんだがな……俺もまだまだだってことだな」

 

 

 店主は暫くの間、疲労困憊の筆を眺めると少年に代替案を提示した。

 少年は、どこか虚しそうに店主を見つめる。結局どうにもならないという現実に突き当たり、今まで使ってきた筆を諦めなければならない状況に後悔した。

 なぜこんなことになったのか。思い返せばいくらでも原因は見つかる。

 しかし、それをどうこうできたとは思えない。少年は、何度やっても、何度同じことが起きても、同じように筆をボロボロにしてしまうと思った。

 

 

「…………」

 

 

 知らぬ間に傷ついていた。気を遣っていなかったからボロボロになった。

 だが、それが分かったところでどうしていただろうか。

 この筆は、少年についてこられたこそ相棒に成ったのだ。気を遣わなければならないような関係ならば、相棒になど成っていない、成れていない。

 店主は、露骨に表情を変化させる少年を見て言葉を返した。

 

 

「そんな顔をするな。今度はもっといいのを作ってやるから」

 

 

 少年は、そういうことではないのです、とは言えなかった。この筆がいいのだと。この筆でなければならないのだと。言い出すことができなかった。作ってもらっている手前、壊してしまった手前、何も言えなかった。

 

 

「とりあえず、代用として簡単に作るからちょっと時間を潰していてもらえるか? おそらく3時間もかからないと思うから」

 

「分かりました」

 

 

 少年は、一緒に苦難を乗り越えた筆が新しくなってしまうこと、3時間をちょっとと表現する店主に突っ込みたい気持ちを抑え、提案に一言で答えた。

 ああ、また新しくなる。

 新しくなるって、こういうことか。

 だから、あの時、あの子はああ言ったのか。

 どうして変えなきゃいけないの。

 その言葉の意味がやっと分かった気がする。

 肯定の意を示した少年は、どこか納得した表情でゆっくりと動き出した。

 

 

「よろしくお願いします」

 

「おう、任せておけ」

 

 

 一度だけ頭を下げて店の外に出る。

 少年が筆に対してできることなど何も無い―――寂しさを滲ませて何になる。

 未練を残して何が残る。

 少年は、どうあがいても店主に任せて待つことしかできなかった。

 少年の使っていた筆はもう元には戻らない。次にはまた別の筆になっている。別の新しいものになっている。とって代わったように。代役が最初から決まっていた演劇のように元からそうだったかのようにそこに入り込む。なんだか酷く悪い夢を見ているような気分だった。

 少年は、ゆっくりと空を見上げ大きく溜息を吐いた。

 

 

「もっと早めに来ればよかったなぁ……結構気に入っていたんだけど」

 

 

 空は曇っている。どんよりと黒い雲が浮かんでいる。雨が降らないか心配である。

 

 

「でも、そんなものだよね。いくら大事に使っても、壊れる物は壊れるんだから。ずっと使っていたいと思っても、浪費して消費して削れていくのは止められない」

 

 

 少年は、頭の中にちらつく筆の存在を諦めた。

 どれだけ気を付けていようと、どれだけ気を遣っていても、どのみち形のあるものは崩れ去る。時間が経過すれば風化する。酸化して、損耗して、別の物になり、消えてなくなる。

 時間は誰にだって平等だ。

 平等な時間感覚を持っていないから、同じ速度とは言えないけれど。

 誰にだって時間が流れている。

 それぞれの時を刻んで未来を歩いている。 

 それは、少年自身にだっていえること。

 擦り減って壊れてしまうのは止められない。止まらなかった少年が、削れていっている少年が、摩耗した筆に文句を言うことは許されない。筆からお前が言うなと言われてしまう。

 少年は、さっと視線を地面へと落とし、これから先のことに思考を移した。

 

 

「さて、3時間か……結構時間があるけど、どこで潰すかな」

 

 

 店主は、ちょっと時間を潰してほしいと言っていた。

 ちょっとばかりが3時間というのは時間の感覚がおかしいと思われるかもしれないが、幻想郷で言えば3時間はちょっとした時間である。急を要する仕事に縁がなく、のんびりと動いている幻想郷の時間は、3時間をちょっとと言わしめる。

 さすがに待ち合わせをしていたり、ちょっと待っていてと言葉を使ったりする場合に3時間はあり得ないが、時間の感覚は非常に緩やかな世界だった。

 外の世界とは流れている時間の速度が違う。これもまた、時間が平等ではないといういい例になっているかもしれない。時間という概念は平等に与えられているが、速度がバラバラであるいい例である。

 

 

「ふふっ、外の世界じゃ考えられないよね。3時間をちょっと潰してなんて」

 

 

 店主の一言は、幻想郷と外の世界の時間に対する価値観の違いを如実に表している。正確には外の世界の日本と幻想郷だが。

 幻想郷の人々は時間を消費して生きている。時間というのは流れるもので、減ったり増えたりするものではないし、何かの代わりになったりもしない。

 それが幻想郷のスタンスである。時間を売って生活しているわけではなく、ただ消費していくだけ。それが、幻想郷での時間に対する認識だった。

 

 対して、外の世界の人々は時間を対価として生きている。時間はお金に変わり、楽しみに変わり、何かを得るための対価となる。

 ただただ、ぼーっとしている時間を好まないのは、この時間というものに価値があると思っているからに他ならない。

 時間を無駄にしているなど、幻想郷の人たちは決して口にしないだろう。店主の一言は、幻想郷と外の世界の感覚の違いが感じられる一言だった。

 少年は、人里の大通りを歩きながらカバンの中から昼前に藍から手渡された封筒を取り出し、中身を少しだけ見た。

 

 

「今月のお小遣いは……うん、大丈夫そうだね。じゃあ、茶屋にでも行こうかな」

 

 

 少年は、ほんの少しの給料を持って時間を‘流す’ために茶屋に向かって歩き出した。


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