ぶれない台風と共に歩く   作:テフロン

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能力の弊害、少年の決意

 そこから行われた二人の話は、鈴仙が思わず耳を塞ぎたくなるような話だった。

 二人の話していた内容は、一貫して少年の能力の弊害についてである。

 

 

「現状、貴方にとって悪いことではないのではないのかしら?」

 

「冗談でもそんなこと言わないでください。悪いことばかりです」

 

 

 少年は、自分の意見をはっきりと告げた。少年の能力の弊害は、視点を変えれば良い影響が起きていると取れないこともない。

 しかし、それは事の中心にいる少年が善いか悪いかを決めることである。少年は、能力の弊害について‘悪’であると感じている。どうしようもないほどの、どうにもしがたい‘悪’であると考えていた。

 

 

「何もかも曖昧で信じられないじゃないですか。罪悪感にまみれて死んでしまいますよ」

 

 

 現在進行形で、少年の能力によってある現象が起きている。

 少年の能力は、境界を曖昧にする能力である。

 少年の能力については、永遠亭に入院した当初に知らされており、鈴仙も知っている。

 少年と永琳は、次々と能力の弊害について語る。茫然とする鈴仙を置いて、次々と事実を並べていった。

 

 

「そ、そんな……そんなこと」

 

 

 鈴仙は、少年の周りで起こっていることを聞いて顔を青くした。少年の境界を曖昧にする能力が引き起こしているという別の側面について気付きもしなかった。

 境界を曖昧にするという曖昧な能力は、凄まじいほどの応用範囲の広さを誇っている。少年は、自身の持っている能力を完全に制御できているわけではないため、何が起こっていても不思議ではない。

 だが、何が起こってもの中に二人が話している内容が思いつくだろうか。いいや、決して思いつかないだろう。思いつくとすれば、それは相当に頭に切れる人物か、頭のおかしい人物だけだ。鈴仙には、少年の能力が持つ側面について考えもつかなかった。

 

 

「それは……本当のことなのですか?」

 

「本当かどうかは分からないわ。事実なんて誰にも分からないもの。いつだって笹原のことは、曖昧なままよ」

 

 

 本当のことなど誰にも分かりはしない。真実など、誰にも分かりはしない。何処にもないということは無いが、誰にも真実かどうかの判断がつけられないのだから。

 

 

「正確な原因は、どこかにあるのでしょう。きっと、それは笹原の能力が関わっているのでしょう。けれど、能力が原因という確定はできない」

 

 

 正確な答えは、きっとどこかにある。結果が出ている以上―――どこかに原因があるのだ。それこそ、少年の能力に起因することに違いはないはずである。

 だが、原因をそこだけと特定するには、証拠と根拠が足りない。

 曖昧さは、曖昧さを持って結論を煙に巻く。曖昧なものを曖昧なままにして結論を出せば、結論が一気にはじけ飛び、突拍子もない答えが出てしまうことだってありえる。

 断定して動いてしまえば、今度は小回りが利かなくなる。原因を断定して進んでしまえば、後戻りできなくなる可能性があるのである。今はここまでで議論を止めて、深入りしない方が無難だった。

 

 

「この結論だって、笹原に言われて思いついただけだから絶対にそうだなんて確証はどこにもないわ。本当じゃないかもしれないし、本当かもしれない」

 

 

 永琳は、少年の能力の弊害について憶測であることをはっきりと示すように、あくまで可能性の一つだと言葉を濁した。

 少年の特殊な状況には、色々な解釈の仕方がある。能力の弊害であると考えることもできるし、他の要因によるものだと考えることもできる。

 永琳は、少年の能力の弊害を断定することを無理な話だと思っていた。少年の能力の性質は、‘正確’を許しはしない。あくまで曖昧で、ふわりとしたものというのが境界を曖昧にする能力の本質であり、真実である。

 永琳は、曖昧な言葉を使い、はっきりとしない口調で少年の能力の弊害について語った。

 

 

「そもそも、笹原の能力によるものに事実を求めようなんて思うことが間違っているのよ。どうせ、曖昧なものしか出てこないのだから」

 

「私は、八意先生が言っていることで間違いがないと思いますよ」

 

 

 少年は、永琳の意見に対して異論をはさまなかった。永琳の言っていることが真実であり事実であると判断するだけの材料を持っているようで、疑っている様子を見せなかった。

 永琳の仮説は、少年の過去に起きていた現象の全てを理解するに足りうるもので、理解するのが容易なもの。

 少年は、完全に永琳の意見を鵜呑みにしていた。

 

 

「昔から、なんとなくおかしいなと思っていたことです。八意先生の話が本当なら全部納得できます」

 

「でも、もしかしたら、そうなっている原因が能力の弊害によるものじゃなくて、笹原さん自身の努力の結果ということも考えられますよね……?」

 

 

 鈴仙は、永琳の意見を信じる少年に向けて一つの可能性を提示した。

 少年と永琳が能力の弊害だと言っている内容は、まだ別の捉え方が存在する。少年自身が努力によって備えたものである可能性があるのである。

 今話している問題は、少年の能力による弊害によっておこされている可能性があるから問題があるのであって、それ以外であれば特に問題にはならない内容なのだ。能力の弊害で無いのならば、少年自身の努力で成し遂げた自然なものになる。

 ごく普通の―――ありふれた何かになる。

 

 

「私の考えが信じられないのかしら?」

 

「別に、師匠の考えを信じられないというわけではありません……」

 

 

 鈴仙は、二人の話を信じられなかったわけではない。話を聞いて、納得できる部分も理解できる部分もあった。

 けれども―――信じたくなかった、認められなかった。

 なぜならば、それが事実だというのならば、全てが嘘になってしまう、事実と嘘の境が曖昧になってしまう。

 鈴仙は、認めたくなかった。これまで積み立ててきたものが少年の能力の弊害によるものだと認めてしまえば、自身の中に新しく芽生えたものが嘘偽りであると断言することになる。

 鈴仙は―――心の底から真実でないことを望んでいた。

 

 

「ただ、笹原さんが頑張ったから病気の症状が後退したっていうことも、今みたいな状況になっているということも考えられます」

 

「まぁ、それもあるとは思いたいけどね」

 

 

 少年が歯切れ悪く答える。

 鈴仙は、少年の努力による変化の可能性に縋ろうとしている。少年にとっても能力の弊害でない方が都合がいい。その方が居心地がいいからいう理由にかこつけてこの可能性に頼ろうとしている。

 

 

「僕自身が頑張ったからそんなふうになったんだって、信じたいけどさ……あまりに歪すぎると思う」

 

 

 少年は、自虐するように自らを傷つける。

 気持ち悪い。普通じゃない。異常だ。

 少年は、自分の能力を心底嫌っていた。自分の力は、無意識のうちに他人に影響を与える。知らない間に、望まぬ結果を呼び起こす。

 少年は、制御の効かない能力の存在を憂いていた。

 

 

「僕が自分で言うのもなんだけどさ、おかしいと思うよ。気持ち悪いとさえ言ってもいいくらいにはね」

 

「そんなこと、言わないでください……」

 

 

 鈴仙は、今にも泣き出しそうな顔で小さな声を漏らす。少年は、泣きそうになる鈴仙に向けて笑顔を作り、語り掛けるように言葉をかけた。

 

 

「それでもその可能性が一番高いしさ、僕自身が一番納得できるんだ」

 

 

 少年は、優しい可能性を一瞬さえも考慮に入れることなく選択肢から外した。能力の弊害によって何が起こっているのかについては、真実にも似た決意を持っているようだった。

 鈴仙は、少年の躊躇なく断言する様子に目元を潤ませる。

 永琳は、悲しみに暮れる鈴仙に向けてフォローともいえる言葉を投げかけた。

 

 

「ウドンゲ、信じたくないという気持ちは分からなくもないわ。確かに、笹原が何も持っていないかと言われれば、そういうわけではないもの」

 

 

 永琳は、鈴仙の気持ちが理解できた。鈴仙が悲しんでいる理由も、少年がはっきりと自分の意見を告げている意図も理解できた。

 永琳は、優しい瞳で少年のことについて語る。

 

 

「相手の感情に敏感で、優しさの塊のようでいて、意志が強くて、戦う気持ちを持っている、諦めない心を持っている。どれも、人間として魅力的に感じる部分よ。私達に足りない部分が笹原にはあるわ」

 

 

 永琳は、少年のことをある程度知っている。どんな人間で、どんな性格なのか、ここまでの生活で分かっている。だからこそ―――普通じゃありえないと思った。普通ではないと思った。

 永琳は、半年前のことを思い出す。半年前に少年が永遠亭にやってきた時のことを頭に思い浮かべた。

 思えば―――あの時からどこかおかしかった。おかしいと思えるだけの事実があった。

 永琳の言葉は、雰囲気を変えて責めたてるような口調に変化した。

 

 

「けれども、八雲紫の式神である八雲藍を見ているとどうしても思ってしまうのよ。あれは控えめに見ても、明らかに度を越していたわ」

 

 

 永遠亭に少年が運び込まれたとき―――妖怪の賢者の式神である八雲藍が少年を連れてきたとき―――異質さが空間を支配していた。目の前の光景に思わず、言葉が出なくなった。それほどの異質さが、大手を振っていたのだ。

 

 

「笹原が病気で連れてこられた時の狼狽した八雲藍の姿を、ウドンゲも見たでしょう?」

 

 

 鈴仙は、永琳の言葉に静かに頷いた。

 

 

「子供みたいに泣きわめいて……あんなの大妖怪のすることじゃないわ。八雲紫の式神がすることじゃない」

 

 

 八雲藍が涙を流しながら助けてくれと懇願する様子は、忘れようとしても忘れられないほどの衝撃があった。

 八雲紫の式神である八雲藍が―――泣いて懇願する。

 言葉にしただけでも、とんでもないことである。大妖怪が頭を下げて、少年の存在を助けて欲しいと言う。とてもじゃないが信じられないと言わざるをおえなかった。

 

 

「私は、笹原の存在を知らなかったし、式神と長い付き合いでもあるのかと思ったのだけど、聞いてみれば出会ってまだ1年と言うじゃない。1年ほどの期間で人間と妖怪があれほどの信頼関係を築けるものかしら?」

 

 

 仮に少年の存在が遥か昔からあり、産まれたときから育ててきたというのならまだ信じることができただろうか。そこまでの条件が揃ってようやく―――八雲藍の行動が理解できるかというところである。

 永琳は、笹原の存在がたった一年前に外の世界から連れてこられた‘よそ者’とは到底信じることができなかった。

 

 

「永遠亭に笹原を連れて来た時だけの話だったらまだ分からなくもないわ。病気で今にも死にそうだったのだからね」

 

 

 百歩譲って―――少年が唐突に病気で倒れて気が動転していたのだとすれば、まだ分からなくもない。想定外のことが起こって動揺するのは、心の自然の流れである。

 しかし、最初の様子を肯定しても、その後の行動がありえないものだった。運ばれてきたときの慌てふためいた八雲藍の行動を認めたとしても、その後の対応が説明できないのだ。

 

 

「でも式神の対応は、笹原が永遠亭に入院しているときも変わらなかったわ」

 

 

 少年が入院していた時の八雲藍の行動は、常軌を逸していた。

 

 

「毎日のように見舞いに来て、頻繁に泊まっていった。笹原から来なくても大丈夫だと言われても、こちらが来ないようにと言っても、永遠亭にやってきた」

 

 

 八雲藍は、毎日のように永遠亭に来ていた。人里や妖怪たちの噂になるほどに、永遠亭に来ている姿が目撃されている。

 八雲藍は、ほぼ毎日少年の見舞いに来て、少年の傍で一緒に眠り、ほとんどの時間を一緒に過ごしていた。永琳が頻繁に来たのでは少年の気が休まらないと告げたのにもかかわらず、無視するように永遠亭にやってきた。申し訳なさそうな顔でやってきた。

 悪いことをしている自覚があるのに、止められない。そんな様子だった。

 

 

「明らかに行き過ぎている。たった1年間一緒に過ごしただけの相手に対してそこまでの執着するものかしら?」

 

「そうなんだよね。確かに藍とは色々あったけど……ちょっとそれだけじゃ説明がつかないんだ」

 

「……はい。そうです、よね……」

 

 

 鈴仙は、他ならぬ少年からの言葉に俯きながら呟いた。

 頭の中で少年と永琳の言葉が反芻される。信じなければ、理性が言う。

 それでも―――認めることができない。鈴仙は、口を閉ざして黙り込む。

 少年は、口を開かない鈴仙を一度見ると永琳の方へと顔を向けてはにかんだ。

 

 

「実の事を言うと、能力の弊害について八意先生から話を聞かされた時、紫と八意先生も結構怪しいんじゃないかと思いましたけどね」

 

「私は大丈夫よ、心配いらないわ。可能性を示唆されてなお釣り針に引っかかるほど頭が悪いわけじゃないし、私の理性はそんなにやわじゃないわ」

 

 

 少年が冗談を口にするように笑いながら永琳に言葉を投げかけると、永琳はそんな少年に対して笑顔を向けた。

 

 

「妖怪の賢者の方は知らないけどね」

 

「それだったら紫も大丈夫ですね。紫も頭がいいですから」

 

 

 少年は、自信をもって言った。

 

 

「私は、紫を信じます。今度はちゃんと諦めてくれるって」

 

 

 鈴仙は二人が会話をしている途中、袖で涙をふき取り安定感を失った両足を部屋の外へと向け、俯きながら部屋を出て行く。

 少年と永琳は、鈴仙の動きにすぐさま声を消し、鈴仙の後ろ姿を見送る。鈴仙は部屋からいなくなり、どこかに消えていった。

 

 

「やっぱり出て行っちゃいましたね」

 

「これが普通の反応ではあるわよね」

 

「まぁ、仕方ないですよね。全部が曖昧で、あるのか無いのか分からないのでは気持ちが悪いですから」

 

「あんなこと言われたら、心の中の感情が曖昧で複雑になって居心地が悪いでしょうね」

 

 

 二人は、鈴仙が意気消沈して部屋を出て行ったことに疑問を持っていなかった。

 この話は、鈴仙にとって余りにも衝撃的で、余りにも決定的な一打になることは最初から分かっていた。もともと話の途中で耐えきれなくなると思っていたことなのである。

 二人は、鈴仙の心の中の状態を容易に想像する。糸が複雑に絡まり、切断することもできない葛藤で縛られていることだろう。

 

 

「私に良い様に弄ばれていたようで気分が悪くなったのでしょう。故意にやったわけではないとはいえ、私の責任ですね」

 

「これでまた、ウドンゲも人見知りに戻っちゃうのかしら。貴方と話すようになってから随分と変わったのだけど……」

 

 

 永琳は、複雑な表情を浮かべながら小さく呟いた。

 鈴仙は、少年と関わるようになってから大きく変わった。見違えるように変わったのは、相手の顔を見て話ができるようになったことだろう。

 鈴仙は人見知りであり、人と目を合わせることはほとんど無かった。過去にそうなるだけの何かがあったのか。もともとの性格なのか。能力故なのか。原因ははっきりとは分からないが、人見知りという性格が出来上がっている。

 しかし、臆病だった鈴仙は少年と話すようになってから変わった。楽しそうに話すことも増えた。自分から意見を言うことも増えた。自身の持つ意志を示すこともできるようになった。

 永琳は、昔から鈴仙を知っているからこそ、ここまで変わったことに驚きを覚えていた。さすがに鈴仙個人が保有している能力が原因で目と目を合わせることは厳しいが、相手の顔を見ながら話ができるようになったことは、大きな進歩に違いなかった。

 だが、それももう終わりかもしれない。

 たった今、終わりを迎えたかもしれない。

 

 

「それももう終わりかもしれないわね」

 

「すみません。私には、どうすればいいのか分かりませんでした。このまま引きずることだけはしたくなかったので……私は、これでよかったと思います」

 

 

 かもしれないなんて曖昧な表現は避けよう―――これで終わりである。

 少年の事実を聞いた後にどうなるか、あまり考えたくはなかったが、以前までの鈴仙に戻るだろう。以前のようにおどおどして、人と顔を合わせられず、ぶしつけな言葉しか話せなかったあのころに戻るだろう。永遠亭の住人にしか、能力の影響を受けても問題ない人間にしか、目を合わせられないような妖怪に戻るのだろう。

 ただ、この件の問題は、少年が事実を話さなかったところで最終的に露見することになる。今話した方が、被害が少なくて済む分、幾分マシになったと言えるだろう。

 少年は、そこまで話すと悩むようなそぶりを見せた。

 

 

「でも、事実を話して突き放しても、私はここに働きに来るわけですし、顔を合わせる必要があります」

 

「そうなのよねぇ……どうしようかしら」

 

 

 永琳は、手を口元に当てて考える仕草を見せる。

 少年は、永遠亭で働いている身分であるため、必ず永遠亭を訪れることになる。永遠亭に来るということは、鈴仙と顔を合わせるということが避けられないということである。今の状態の鈴仙と少年が顔を合わせれば、碌な結果にはならないだろう。

 永琳は、やれるべき対策を無数に立てつつ、その中から取捨選択をし始める。少年が上手く永遠亭でやれる方法を模索する。

 しかし、永琳は暫くすると考えるのを止めて口を開いた。

 

 

「考えても仕方がないわね。どうしたって顔を合わせるのは避けられないもの。とりあえず……ウドンゲの事は私に任せておきなさい」

 

「お願いします。鈴仙は本当は強くて優しい人です、決して気が小さいわけじゃない。だから、大丈夫だと思います」

 

 

 少年は、鈴仙のことを強くて優しい人物だと考えていた。この状況においてもきっと立ち直ってくれるし、元の状態に戻れると思っていた。

 そんな鈴仙だからこそ―――事実を話したのだ。

 

 

「もしも、鈴仙が事実を知ったことで顔を会わせ辛くなったり仕事に支障が出るようでしたら、私が仕事を辞めます。仲良くしてもらえるのなら、私は嬉しいですけど、無理にとは言いません」

 

「貴方が原因なのだから責任を取るのは当たり前よ。私もできる限りのフォローはするけど、結果として問題が起これば、貴方が責任を負うのは当然でしょう?」

 

「ふふっ、おっしゃる通りです。私は、八意先生のそういうはっきりと言ってくださるところが一番好きですよ」

 

 

 永琳は、そんな覚悟をもって話した少年に対して、当然よと言うようにはっきりと言葉を投げつけた。

 こういうところが永琳が少年に毒されていないと言える証拠である。

 別に少年が悪いことをしようとしてそうなったわけではない。だから、少年に責任はないと考えがちになる。ここで永琳ではなく藍ならば、少年の擁護に走ったことだろう。気にしなくてもいい、お前は悪くないと言葉を並べるだろう。鈴仙が涙を流して部屋を出ていく原因になったのは少年で間違いないにもかかわらず、そこに異論を挟んだことだろう。

 永琳は、そこではっきりと少年の責任だと言える状態にある。あくまでも悪びれることも無く少年の責任だという姿勢を崩さない。

 少年は、そんな変わらない永琳の態度が嬉しかった。

 

 

「そういうことを言ってくれる人が、私の周りには少なすぎるんです。私を叱ってくれる人物が、私の周りにはほとんどいない……」

 

「貴方を甘やかしていいことなんて全くと言っていいほど無いのに。甘い人間が多いわよね。信じられないわ」

 

「ははっ、それもそうですね」

 

 

 少年は、永琳の言葉にほんのりと笑う。

 少年の周りには、永琳のように少年をしっかりと咎めてくれる人物がほとんどいなかった。だから、貴方が悪いのだとはっきりと言ってくれる永琳の事を好ましく思っていた。自分を叱ってくれる、はっきりと本心を告げてくれる、気を遣わない人間を好いていた。

 永琳は、少年の様子に少しだけ含み笑いをすると、疑問を投げかける。先程少年が語っていた鈴仙の所見についての疑問である。

 

 

「少し気になったのだけど、ウドンゲが強くて優しい人だって本人にも言ったのかしら?」

 

「確かですけど、入院していた時に話したと思います」

 

「話したのは、看病をしてもらっているときかしら?」

 

「はい」

 

 

 入院していた時に話した―――それはまぎれもなく、病気の世話をしてもらっていたときだろう。

 少年が入院していた時に、一番近くで声をかけて世話をしていたのは言うまでもなく藍である。最も依存していた藍が最も少年の傍で、少年と共に時間を過ごしていた。

 しかし、藍は病人の世話をしたことが無かったため、病人である少年にできることは限られていた。藍ができることは、怪我をしている部分に包帯を巻くことぐらいである。少年がナイフで傷ついていた時にやった治療だけだ。

 そのため、‘本当に’少年の世話をしていたのは藍ではなく―――鈴仙だったというのが実情だった。

 

 

「ウドンゲを見て強くて優しいなんてよく言えたわね。どこをどう見たらそんな言葉が出てくるのかしら?」

 

 

 鈴仙を外から見ると、とても臆病な妖怪に見えることは間違いが無い。誰に聞いても同じような答えが返って来ることだろう。

 なぜならば、鈴仙は視線を合わせようとせず、自分から意見を言うことも無いため、周りに流されるように、命令されるがままに生きているように見えるからである。

 少年は、確信をもって嬉しそうに語った。

 

 

「見ていれば分かりますよ。鈴仙は、‘意志は’しっかりしています」

 

 

 少年から見た鈴仙は、強くて優しそうに見えた。治療をしてくれていた、看病をしてくれた鈴仙は、少年の目から見たらとても強く見えたのだ。

 

 

「でも、周りの事を自分の事と同じぐらい大事に考えている。だから決断ができないだけです」

 

 

 鈴仙の意志は、誰かのためにという想いと自分を守りたいという気持ちで揺れ動いているだけで、何かをしようと思った時の意志は、抜きんでるように強い。

 本来持っている強さが発揮できないのは、誰かのため―――という気持ちで揺れ動いているから。目を合わせれば、能力の影響が出てしまうから避けているだけで、避けることに慣れすぎた心が決断を鈍らせる原因になっているだけだ。

 

 

「心の本質は鋭利な刃物です。覚悟が決まれば、何でもできる。裏側から見れば、別人に見えると思いますよ。変えようと思えば、すぐに変われます」

 

 

 ただ―――それだけの話である。

 そんなものは、すぐに変えられる。

 変われる―――本質が表に出ていないだけで、裏には本当が隠れている。

 

 少年は、能力の影響を避けるために視線を合わせようとしない鈴仙の気持ちが痛いほど理解できた。それは、少年が‘できないこと’というだけあって、嫌というほど分かった。鈴仙に足りないのは、あと一押しの次の一歩である。

 少年は、笑顔を崩さずに語った。

 

 

「人みしりだって、心の持ちようです。一歩が踏み出せてしまえば後はどうにでもなる。その程度の問題、経験が足りないだけなんですよ」

 

「ウドンゲは、その時から変わったのかしらね」

 

「私から見れば、鈴仙はあの時と何も変わっていないと思いますけどね」

 

「ふふ、そうかしら?」

 

「はい、そうですよ」

 

 

 少年の言葉は、鈴仙の心に酷く突き刺さったことだろう。背中を押す一つの力になったことだろう。

 鈴仙は、少年から見れば過去と少しも変わっていない。相も変わらず、鈴仙は鈴仙である。あの時見たまま―――そのままである。

 永琳は独特の感性を持っている少年を優しい顔で見つめ、少年は軽く微笑み返した。

 

 

「もう、現状を理解する分には十分ですよね」

 

「ええ、おおよそ分かったわ」

 

 

 少年は、そこまで話すと部屋を出て行こうと足を外へと向けた。

 話すことは全て話した。現状で分かったことは、少年の状態が入院する前と何一つ変わらないということ、病気が完治していないということ、能力の弊害についてのお互いの認識が同じであるということである。

 

 

「八意先生、もしも鈴仙が何一つ、全く態度を変えずに私と接してきた場合は、末期ですよ」

 

 

 少年は、部屋を出る直前に足を止めて振りかえることもなく告げた。

 

 

「能力の弊害の事実を知っても、そんなものは関係ないとか、問題無いとか、そういうことを言ってきたら確定だ」

 

 

 少年の口調は、重苦しい雰囲気に合わせるように変化していた。いつもの優しい感じでも、いつもの敬語でもない。

 

 

「最初によそよそしい態度をとっていたり、なんらかしらの変化が見られれば、大丈夫。その場合は、大丈夫だから。これから上手くやっていけば前に進んでいけるはずです」

 

 

 少年は、自分の能力の弊害によって相手がどんな影響を受けるのか理解していた。これまで、生活してきた経験から分かりたくなくても分かっていた。

 永琳は、少年の言葉を静かに聞き入れると、真剣な表情で少年へと問いかける。

 

 

「末期だった場合は、どうするつもりなの?」

 

「末期だった場合は……」

 

 

 少年は、考え込むように黙った後、ゆっくりと口を開いた。

 

 

「最終手段を取ろうと思っています。後戻りできない選択肢だけど、これ以外に方法がない気がするから」

 

「具体的にはどうするつもり?」

 

 

 少年は、永琳の問いに対して最終手段の内容を告げた。事細かに、どうしてそんなことをする必要があるのかどうかまできっちりと説明した。

 永琳も少年から方法を聞いて、納得できる部分が多々あった。

 それをすれば、確かに全てが丸く収まるだろう。邪魔を排除し、綺麗な円を作り出せば、何処に当たっても痛くなくなる。削ぎ落されている部分のことは考慮されていないが、致し方ないということなのだろう。

 永琳は、少年の提言を頭の中でシミュレートし、問題がないことを理解する。

 しかし―――問題がないのは相手のほうだけだ。そこに発生する少年の方へのダメージは、考慮されていなかった。

 

 

「まぁ、それなら問題は無いでしょうけど……貴方は、それでいいのかしら?」

 

「私は、それでいいですよ。誰かのためになら我慢できます。私はみんなに恩があるから、みんなの足を引っ張りたくないのです」

 

 

 永琳は、黙ったまま少年の言葉を聞く。少年の真っ直ぐな言葉―――どこか震えている声を聞いていた。

 

 

「誰かに手放したくない過去ができてしまうまでに、未来に進めなくなるまでになんとかしなければいけない」

 

 

 過去は、所詮過去でしかない。思い返して嬉しくなるのも、楽しくなるのも、悲しくなるのも、必要なことではあるし、未来のために役立てることも必要である。歩くための重りは、必要不可欠だ。

 しかし―――過去のせいで未来に進めないということがあってはならないのだ。それでは地に足をつけて歩けても、意味がない。動けなくなるほどの荷物なら捨ててしまえ。

 少年は、みんなには前を向いて、未来を向いて、歩いて欲しかった。

 

 

「私のせいで誰かが過去を捨てられずに、未来に進めずにもがき苦しむところを見たくないから。私のことは楽しかった思い出で終わらせなきゃならないのです」

 

「そんなことをすると、死んだ後に誰からも悲しんでもらえなくなるわよ? それでいもいいのかしら?」

 

「……悲しんで欲しくないと言われれば、悲しんで欲しい。何もなかったように死ぬのは、とっても怖いです」

 

 

 少年はどこか泣きそうな顔を永琳に向けて、今にも崩れそうな顔で、必死に口を動かした。

 人が死ぬ時、誰にも悲しんでもらえないというのはとても辛いことである。なぜならば、悲しんでもらえないということは、生きてきたことに意味がないような錯覚に陥るからだ。

 人生の集大成は―――死である。その瞬間にその人の人生の周りからの真価が問われることになる。誰一人として悲しんでもらえないというのは、生きていて欲しいと願っている人がいなかったということを言っているに等しいこと。

 永琳は、間髪いれずに疑問を口にする。

 

 

「だったらどうしてそんなことをするの?」

 

「僕は、そんなことよりもみんなが引きずってしまうことの方が怖いから。みんな、前に進めなくなる方が怖いから……死人は、生きている人に何も与えてはいけない。それは、返すことができない重りになる」

 

「それはその通りでしょうね。貴方が死んでしまえば、貴方を引きずって動けない状態になる者が出るわ。特に八雲藍とかね」

 

「僕は、死んだ後までみんなを引きずりたくない。そんなの僕自身が許せない」

 

 

 少年は、一人称を変えて真実の想いを永琳へと告げた。

 少年は、みんなが身動きできなくなることを恐れている。少年の命は、そこまで長くはない。妖怪のような長寿の者に比べても、同じ人間と比べてもとても短く、余命はすぐそこである。

 死は―――すでに見えるところにある。

 だからこそ―――少年は覚悟していた。

 

 

「それぐらいだったら僕が全部持っていきます。貰ったものを全部返して、与えたものも全部返してもらいます」

 

 

 少年は、全てを奪う覚悟と全てを捨てる覚悟をしていた。

 

 

「それがこの能力に選ばれた僕ができること、やらなきゃいけないことだと思うから」

 

 

 少年は、瞳に涙を溜める。決してこぼれないように、瞬き一つしないように歯を食いしばる。

 少年は―――本当は嫌なのである。

 それでも、この方法しかないから、この方法を取っているだけだ。

 永琳は、決意を示す少年の言葉を聞きながら、それが全てではないと何となしに感じ取った、まだ他に少年にこの決断をさせた要因があると何となしに感じ取ることができた。

 

 

「でも、それだけじゃないわよね?」

 

「……ははっ、八意先生には隠し事ができませんね」

 

 

 少年は、核心をついてくるような永琳の言葉に少しだけ唖然とし、目じりに溜めている涙を一粒零す。そして、必死に笑みを作って答えた。擦り切れそうな声で永琳にだけ聞こえるように小さく呟いた。

 

 

「……因果応報、そういうことですよ。八意先生なら分かりますよね?」

 

「そうだったわね、貴方は両親の事を……」

 

 

 少年は、この方法を取ろうと考えた答えを暗に示した。

 少年がこの方法を取っている理由には、少年の両親が関わっている。

 永琳は、少年から両親についてのことを聞いていた。

 

 

「どうして貴方がこの能力に選ばれたのかしらね……貴方じゃなければよかったのにと思う人も多いでしょう」

 

「そんな疑問には意味が無いんですよ。生まれた時から持ち合わせていたものです。捨てられない、捨てることができないものです」

 

 

 永琳は、これほどまでに他人に対して優しい少年が能力を持ってしまったのか、現実を呪う。別の人間であれば良かったのに、悪人であれば、善人でなければ、そんな思いが心の中を渦巻いた。そうであったのなら―――選べる選択肢がもう一つ増えただろうに。

 少年自身も同じことを考えたことがある。境界を曖昧にする能力に選ばれなければ、こんな力を持っていなければ、考えないようにしていても頭によぎってしまうことは多々あった。

 しかし、そのたびに少年は考えを振り切り、前を見てきた。前に進んできた。文字通り引きずりながら進んできたのである。

 

 

「でも、わがままを一つ言うのならあの時に両親と一緒に……一緒に……」

 

 

 少年は、ここで初めて病気になっていた時の気持ちを打ち明けそうになった。

 しかし、複雑な表情を浮かべる永琳の顔を見て慌てて口を閉じると、はっとしたように慌てて頭を下げて謝った。

 少年の言っていることは、病気を治すために努力してくれた人間に向けて言っていい言葉ではない。それは、助けてくれた紫も同様で、その努力を否定することになる言葉だからだ。

 

 

「す、すみません」

 

「謝らなくてもいいわ。ごく自然の思考だと思うわよ」

 

 

 永琳は、途中まで口にした言葉によって少年が何を考えたのか理解できた。

 少年は、つまるところ、‘もう終わりでもいい’と思っているのである。すぐ前に見えている死ではなく、今でも構わないとそう思っているのである。

 それは、少年の境遇を考えれば何もおかしいことはなく、常人ならばすぐに選んでもおかしくないこと。後追いをするのは、情のある人間ならば、誰しもが少しは考えることだろう。

 ただ、助かりたくなかった―――あの時死ねばよかったのだと。そんなことを口にできるほど、少年は‘優しく’なかった。

 

 

「一つだけ聞いておくわ」

 

 

 永琳は、少年の意志をくみ取ると、一つ尋ねた。

 

 

「その方法は貴方自身がやるつもりなの? 笹原が一人でやるには、結構難しいことのように思えるのだけど、あてはあるのかしら?」

 

「多分、紫に手伝ってもらわなきゃならないと思います。最悪私自身がやりますけど、確実性を求めるのであれば、紫に頼むのが一番いいと思います」

 

「それは、もう伝えてあるのかしら?」

 

「ええ、退院した時にそれとなく話しはしました」

 

 

 紫の許可は、半年前に得たものである。紫は、少年のすることに対して受け入れる姿勢を取ってくれていた。

 

 

「もともと死ぬまでにやろうと紫と考えたことなのです。終わった後のことを考えれば、このぐらい安いものですよ。蟻地獄から抜け出すためには、背中に背負っている荷物を捨てなければなりません」

 

 

 少年は軽い口調で言うが、この方法を取ることで少年が失うものは酷く大きい。それはまさしく、存在を削る作業―――生きている証拠を消していく作業なのである。

 永琳は、少年の覚悟を聞いて、できる限り少年が道に迷わないように背中を押してあげることを決めた。

 

 

「大丈夫、誰もかれもがそうであるわけではないわよ。少なくとも、私と八雲紫は大丈夫だと思うから」

 

「ありがとうございます。その言葉だけで、私の心はいっぱいです」

 

 

 少年は、永琳の言葉に満面の笑顔を作りながら涙をこぼすと、今度こそ部屋の外へと足を迷いなく踏み出した。永琳に背中を押されるように、体を前へと動かした。

 

 

「ちょっと早いけど、今日は帰らせてもらいます。あんまり仕事できなくてすみません。鈴仙の事はよろしくお願いします」

 

「ええ、分かっているわ。お疲れ様」

 

 

 少年は、背中を向けながらそっと飛び立ち、マヨヒガへと帰っていった。


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