この話は、第2章のまえがき部分になります。
普通という大きな流れ
分からないもの。理解できないもの。そういった未知のものには、嫌悪感が付きまとうことが多分にある。特に、知ってしまった未知が‘普通’とかけ離れているほど、その気持ちが大きくなる傾向があるように思う。
ゴキブリが好きという人の気持ちが分からないように。宇宙から見た地球が汚く見えるという人の意見が理解できないように。自分の価値観とずれが生じるほど、気持ち悪さは大きくなる。
でも、よくよく考えて欲しい。みんなは、どうしてゴキブリが嫌いなのですか、と問われた時にはっきりと答えることができるだろうか。どうして地球は綺麗なのですかといわれた時に、はっきりと誰にでも理解できるような言葉を口にすることができるだろうか。
汚いから。形が気持ち悪いから。理由は、いくらでも浮かんでくるだろう。
でも、それはゴキブリに限った話だろうか。形が気持ち悪いものなど、他にもたくさんある。ゴキブリよりも汚い生き物だっているかもしれないのに。まるで、最も汚いもののように扱われるのはなぜなのだろうか。
ダンゴムシが大丈夫で、ムカデがダメで、カブトムシが大丈夫で、蜘蛛がダメで、蝶々が大丈夫で、蛾がダメなのは、なぜなのだろうか。
地球が汚いという意見もおおよそ同じである。逆に、どうして綺麗に思うのか。
色がきれいなのか、形がきれいなのか。どうしてその色が好きなのか、問われれば答えに詰まる人は多いような気がする。
そして、そういったことは考えてみると、特に納得できる理由がないことに気付いたりする。
僕は、不思議だった。
みんなが好きな物は、大体バラバラで。みんなが嫌いなものは、大体一緒なのはなぜだろう。
そして、多くの人が嫌いなものを好きだという人のことを変わった人として見てしまうのはなぜだろう。
そういった人に対して自分の価値観と違うから、皆の価値観と違うからという理由で普通ではないという烙印を押してしまうのはなぜだろう。
それは、自分の価値観と違うことを言う人の言葉を先入観なしに聞くこと、それ自体が難しいからだと思う。自分の常識を作ってきた普通が、その人を異常だと認識しているからだと思うんだ。
普通って何だろう?
みんなは、考えたことがあるだろうか。考えたことがある人はきっと、人に何かを言われた時にそう思ったのだろう。
怒られた時だろうか。理不尽を覚えたときだろうか。その大体が、自分にとって普通じゃないような何かを突きつけられた時だったことだろう。
普通―――それはこの世界の大部分を占めるものの名称だと僕は思っている。ここでいう世界っていうのは、自分を取り巻く環境のこと。
日本の東京に住んでいれば、東京の内側の話になるかもしれない。もっと小さくて、町単位の範囲かもしれない。
でも、多数決を取れば、いつだって多数になるもの。にぎわっているもの。孤独にならないもの―――そういうもののことをいうんだと思っている。
その世界の大部分を構成している普通というものは―――大きな流れを作り出している。大きな川で、ある方向に水を運んでいるような、そんな感じの流れ。
僕たちは魚で、その川の中を泳いでいる。そこから出てしまうと息ができなくて、苦しい思いをする。だから、頑張って、努力している。みんな少なからず、個性を落として、協調性という流れに乗る力を手に入れていく。
社会って、そんな感じだと思う。
流されている間は、何も分かっていなかった。こうして流れから外れたから分かる。外れたらいけなかったんだって分かる。
中学生が何言っているんだって言われるかもしれないけど、中学生でも分かることって結構あるものなんだよね。
思い出してみれば、思い出せるかもしれない。ただ、忘れているだけなのかも。みんな、いろんなことを考えて生きてきたはずだから。
きっと、何かあるはずだと思うんだ。