ぶれない台風と共に歩く   作:テフロン

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今回のお話は、各章に設けることにした俗にいう前書きと呼ばれるものです。
この話は、第4章のまえがき部分になります。
今後、第5章が終わり次第、1人称のような書き方で書いていくことが多くなると思うので、それの練習も兼ねています。何か、書き方に問題がある、おかしいところがある等のご意見がありましたらご連絡ください。


第四章 ‘知らない間に’いつだってそんなことを言っている
時間の流れ


 時間の流れは、誰にだって平等。

 

 誰しもがどこかで聞いた言葉ではないだろうか。時間の流れは常に一定で、誰にだって平等に流れている。

 だから、頑張れ。

 なんて言葉を聞いたのではないだろうか。格差が開き始める小学生のあたりで、通知表を貰ったあたりで、時間は平等なのだから頑張ればすぐに追いつけると。その時間をどう使うかが重要なのだと教えられたのではないだろうか。

 僕は、ちょうど小学校の高学年にあたるところで先生からこの言葉を貰った。

 

 

「時間は、誰にだって平等に流れている。1日は、24時間だ。それ以上もないし、それ以下でもない。それがみんなに与えられた1日の時間だ。それをどう過ごすか、どう使うか。勉強するもよし、遊ぶもよし、悔いの無いように過ごせ」

 

 

 僕は、この考えを聞いた時に不思議に思った。

 本当に時間の流れは、平等なのだろうか。それを決めているのは、誰なのだろうか。何が時間を平等だと決めたのだろうか。

 そもそも、時間というのは、何なのだろうか。

 みんなは、それを当たり前のように思っているようだったが、僕にはよく分からなかった。

 まず、みんなは1日の時間がどうしてこんな配分になっているのか知っているだろうか。

 なぜ、1日は24時間なのか。

 なぜ、1時間は60分なのか。

 なぜ、1分は60秒なのか。

 知っている人はいるのだろうか。

 調べてみれば、必ず分かるような内容ではあるが、そこに疑問を持つ人はすごく少数な気がする。そして、分からないままそういうものなのだと受け入れることができる人が多い気がする。

 僕も何となしに受け入れてきた人間の一人である。

 けれども、区別をするようになってから、不思議に感じ始めた。きっと、能力がなければ、区別することができないなんてことがなければ、皆と同じ普通になれたのだと思う。普通に受け入れて、普通に呑み込めたのだと思う。

 

 少し話が逸れてしまったね、時間をどういうふうに定義したのかは話の本筋とは関係がない、戻そう。

 もともと、どんな話だっただろうか。

 ああ、時間がみな平等に流れているという話だったね。

 

 僕は、時間の流れ方は人によって違うと思っている。いや、この言い方だと語弊があるかな。人によって時間の流れ方に違いがあるって言った方が分かりやすいかな。

 ストップウォッチを持って10秒を測ってみればいい。目を閉じて10秒測ってみれば、自分の中の10秒という感覚が分かる。

 きっとそれは、みんな違う数字になるはずだ。それは、時間の進む速度が人によって違うということにはならないのだろうか。世界に流れている時間はそのままでも、人間一人一人が感じている速度はみな違う。だから、1日を速く感じる人と、遅く感じる人がいる。

 

 遅く感じる人は、世界よりも時間の消費が効率的だ。

 ある算数の問題を解いているとする。集中して取り組んで、問題を一気に終わらせた。その後、時計を見てみる。その時間の進み方が遅いと感じた人は、効率的な時間を過ごしていることだろう。時間の進み方が早いと感じた人は、余計に時間を喰ってしまっていることだろう。

 ちなみに僕は、後者の人間だ。1日は、あっという間だった。知らない間に終わっていた、知らない間に過ぎていた、そんな時間を生きてきた。

 いつの間にか、時計が12時を越えて、次の日の始まりを知らせてくる。慌てて次の日の準備をして眠りにつく。そして、朝が来る。

 人によって違いが出る原因は、よく分からない。これもまた、何かしら精神的な、心の問題が関わっているのかもしれない。

 

 それは―――きっと感覚の違いによるもの。

 

 そして、そう思っている人は結構多くて、そんなもの感覚の違いだと言う人がいる。そんなもの、世界の時間は常に一定に進んでいるのだから関係ないという人がいる。

 その言い分も分からなくもない。確かに、太陽が昇って沈んで再び昇って来るまでの時間は、現在位置が同じならばみんな一緒だろう。そこを否定する気はない。そこを否定したら、世の中の時間を決めた太陽と月に申し訳が立たない。

 だけど、時間ほど感覚にとらわれた概念もないと思う。もうこんな時間と思うか、まだこんな時間だと思うか。時間の捉え方は、感覚によるものだ。

 知らない間に今日が終わっているのだって、知らない間に明日になっていたのだって、感覚の違いによるもの。そう思う人、思わない人がいる。

 

 だけど、感覚が違っても皆が口にする言葉がある。

 

 知らない間に―――そんなことを言う人がいる。知らない間にそうなっていた。分からないままこうなっていた。

 それは、時間がみな平等に流れている証拠になるだろうか。みんなも自分と同じように違う人生を送っていて、同じ時間を過ごしているのだから。

 だから、本人の知らないところで変化が起きていると、同じ時間を過ごしているから変化が起きているのだと―――そう、言うことができるだろうか。

 世界の時間の進む速度が人によって変わらないというのならば、自分以外の誰かは自分と同じ時間を過ごしている。そして、自分や他の人間に影響を与えている。自分という確かな存在で、自分の感覚で外に対して変化を与えている。時間変化ではなく、故意な力を与えて変化を与えている。

 影響は、人それぞれ。人の感覚によって、変わってくる。

 

 だったら―――時間は人間に平等ではない、そう思う。

 だって、過ごしている時間から与えられる影響の大きさは、人によって違うから。

 

 一緒だというのなら聞いておきたいのだけど

 ――――君の時間と、僕の時間は一緒かな?

 ――――君の時間と、誰かの時間は一緒かな?

 ――――君の時間は、何時間だろうか?

 

 その答えを僕に教えて欲しい。

 みんなが持っている答えを僕に教えて欲しい。

 きっとバラバラになるはずだと僕は思っている。

 だってそれが人と人とを区別する個性の一つだと思うから。


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