ぶれない台風と共に歩く   作:テフロン

45 / 138
滴る水、崩壊する境界線

 紫の両脚は、流し台に到達すると動きを止めた。少年は、ちょうど紫の後ろで停止する形になる。藍は、少年の隣で静止した。

 少年は、能力の練習をすると言ってたどり着いた場所で怪訝そうな表情を浮かべた。

 

 

「流し場で何をやるの?」

 

「もちろん、能力の練習よ」

 

 

 紫は、少年の質問に端的に答えると流し台に置いてある透明なガラスのコップを掴み、水を汲んで調理台に置く。

 コップには、7割ほどの水が入っていた。

 紫は、調理台の棚に置いてある油を取り出しコップに数滴垂らす。油は、当然のことながら水の上に浮かぶ。水と油は混ざることなく、それぞれが別々の物体としてそこに存在していた。

 

 

「和友には、無意識で行っている能力の発動を意識できるようになってもらうわ」

 

「能力を意識して使う?」

 

「和友の能力の発動は、いつだって和友の気の届かないところで発動している。意識してどうこうしているわけではなく、無意識の発動なのよ。傷の完治にしても痛みを感じないことにしても、夢が正夢になることについてもね」

 

 

 紫は、無意識下で少年の能力が発動していることをまず優先的に変えていかなければならないと考えていた。

 意識して使っているのと無意識に発動しているのでは、話が全く別物である。無意識でしか発動できなければ、それこそ自然災害と同じだ。そこにいるだけで疎まれ、嫌われる存在になってしまう。

 少年には、幸いなことに善悪を判断するだけの基準があるし、良心がある。能力の制御ができるようになれば、判断を誤ることはないだろう。

 

 

「和友の能力は、万物を変えるほどの力を秘めているわ。能力の制御は、絶対にできるようならなければならない。できなければ、生きてはいけないの」

 

「そうだね、生きてはいけない」

 

 

 紫は、少年の境界を曖昧にする能力をしっかりと制御させなければならないという使命感を持っていた。

 少年の能力は、紫の能力に非常に性質が似ている。境界を操る能力とはすなわち、万物に影響を与え、真理に歪みを生じる能力である。

 少年の能力は影響力が大きすぎるため、決して使い方を間違ってはならないのだ。

 

 

「それで……僕は何をすればいいのかな?」

 

「紫様、水に浮いている油を溶かせということですよね? 水と油の境界を曖昧にして混同させる、と」

 

「そういうことよ。さぁ、指を突っ込みなさい」

 

「うん、分かったよ」

 

 

 少年は、勢いよく腕まくりをすると紫の命令に従い、右の人差し指をコップに向かって突き刺す。コップに入れられている水の水面には、少年の指が入ったことによって波紋が広がった。

 しかし、少年の動きはそこで止まる。少年は、指を入れたところでどうすればいいのか分からなくなり、紫に視線を向けて尋ねた。

 

 

「これで……どうするの? 混ぜるの?」

 

「そうよ。混ぜるのよ」

 

(なんだか、話が噛み合っていない気がするぞ……)

 

 

 藍は、二人の言葉に含まれている、混ぜるという言葉が噛み合っていないような気がした。

 紫の混ぜるという言葉は、油と水を混ぜろという意味で言っている。能力を発動させ、境界線を曖昧にしろと言っているのである。

 しかし少年が混ぜると言っているのは、かき混ぜるというニュアンスに聞こえる。文字通り、指を支柱として水面をかき回すということのように聞こえるのである。

 

 

「「「「…………」」」

 

 

 少年は、藍の予測通りに人差し指をコップの中でぐるぐるかき回し始める。水は、中央に渦巻きを作ってぐるぐると回った。

 コップの中の水と油は、混ざることなく回る。少年は、暫く回し続けて変化の見られない様子に指の動きを止めてコップから指を抜くと、コップの中を覗き込んだ。

 油は、回転する渦の中心に集まるように吸い寄せられているだけだった。

 

 

「中央に油が浮いているだけ、だよね?」

 

「そんなはず……」

 

「でもほら」

 

 

 紫と藍も少年と同様に頭を寄せるようにしてコップの中を覗き込む。3人の頭は、コップを中心にして半円に広がった。

 紫は、目の前にある事実に対して不思議そうに歯切れ悪く言葉を口にする。

 

 

「そう、みたいね……」

 

「本当なら水と油が混ざるのですか?」

 

「和友の能力が発動するのならね」

 

 

 紫は、今藍が口にした言葉通りの現象が起こるのだと考えていた。

 少年の境界を曖昧にする能力が無意識に働いているのならば、少年の意図しないところで通常運転するように能力が発動するはずである。少年が水と油の入った水に手を入れれば、自動的に境界線が曖昧になるだろうと考えていた。

 

 

「和友の能力が境界を曖昧にするのなら、油が水に溶け込んでもおかしくはないわ」

 

「でも、何も変わっていないみたいだよ? 油は相変わらず水に浮いているし……」

 

 

 少年は、コップの淵をトントンと叩きながら声を発した。紫がそう言っても、実際には水と油は混ざっていない。

 紫は、ここである可能性を思いついた。

 

 

「そうねぇ……やはり認識の問題なのかしら。和友の能力が発動しているのは、いつも無意識なのよね」

 

 

 紫は、これまでの少年の能力の発動している内容から自分の意識の外にあるものに対して働くという条件があるのではないかと推測した。

 

 

「それに、無意識に発動しているけれども、決して無作為に発動しているわけじゃないわ」

 

 

 少年の能力は、無意識で働いているとはいえ、‘無作為’に発動しているわけではない。

 触れている部分において無作為に能力が発動する場合、もっと大変なことになっていたことだろう。触れている物質から、空気に至るまで境界が曖昧になっていたら大変なことになる。そんなことが起きていないという以上―――何かしら条件があるとみるのが妥当だと思われた。

 

 

「これまでに能力が発動しているとはっきり言えるのは、夢が正夢になったこと、ものの区別ができないこと、傷が治ったことの3つ。これらは全て、和友の意識の外で働いているのよ。つまり……」

 

「……紫様、私もそう思います。さっそく試してみましょう」

 

 

 少年の能力が発動したと言えるのは、今のところ正夢の件、そして傷がふさがること、ものが区別できないことの3つである。これらは、どれも少年の意識の外で起こっている。

 正夢の件は、まさしく少年の意識が無いところで発動している。夢で見た内容が無意識のうちに現実に転写されている。

 傷が治るという件については、少年の見えない場所に付いた傷が治っている。背中に関しても、包帯の巻かれた左手に関しても、いずれも見えない位置にある傷である。痛みが鈍っている少年にとって見えない傷というのは、意識に入ることがない。もしかしたら、それも含めて少年の両親は、背中という場所に傷をつけたのかもしれなかった。

 物事を区別する件については、しっかりと書き記すことで覚えている。書き記す作業を行わなければ区別することが叶わないのは、少年の意識から物事が離れると覚えていられないからである。意識の外に出てしまえば、即座に能力によって曖昧になるということが示唆された。

 これらの3つの件は、全て少年の意識の外で起きている。

 つまり―――意識の外にあるものに対して能力が発動するのではないかと推測できた。

 

 

「和友、目を閉じて同じことをやってみてくれないか?」

 

「今度は、目を閉じてやればいいんだね」

 

 

 藍も紫と同様に少年の能力が意識の外側で働いていることを理解し、少年に目を閉じるように促した。

 目をつむれば、少年の意識からはコップの存在は消えるはずである。冷たさや液体に指が浸かっているということは分かっても、それ以外の情報は淘汰されることになる。

 つまり、液体があるということを除いて少年の意識から存在が掻き消える。

 

 

「いくよ」

 

「いつでもいいぞ」

 

 

 少年は、藍の言葉に従い再びコップの中に人差し指を差し込むと、ゆっくりと目を閉じた。力を抜き、肩を落として、夢の中に入るように呆然と立ち尽くす。指だけを不自然にコップに入れて、佇んだ。

 紫と藍は、少年に気を配りながら顔を見合わせる。

 

 

「和友が目を閉じれば、油と水の存在は和友の認識から消えるはずですから……おそらく能力が発動すると思います」

 

「和友の意識から消えれば、無意識で働いている能力が姿を現すはずよ」

 

 

 そこからの変化の前触れは―――一切なかった。

 

 二人は、変化が起こったコップに視線を集中する。暫くすると少年が指を突っ込んでいるコップの中の水には、二人の言葉通りに変化が現れた。

 まず―――油が少年の指を覆うように膜が張った。

 水面は、フルフルと震えている。

 藍はもしかしてと思い、少年の指に視線を向ける。

 

 

(和友の指は動いていないか……)

 

 

 少年の指は、全く動いていない。決して少年の指の振動が伝わっているわけではないようである。

 

 

「油が指を包んでいる……どういうことなのかしら?」

 

「普通であればありえない現象ですね」

 

 

 油が少年の指にまとわりつくという現象は、境界を曖昧にする能力と直接の関係がない。油と水の境界線が揺らいでいるわけではないのだから、能力が影響しているとは考えにくかった。

 紫は、少年の能力が発動した場合、油が水と混ざるだけで特に何かが起こるとは予測していなかった。藍も紫と同様に、目の前に起こっている出来事に対して不思議そうに見つめる。

 

 

「和友に吸い寄せられているのでしょうか?」

 

「吸い、寄せられる……」

 

 

 紫は、藍の言葉を聞いて目を見開く。紫の頭の中に、何か引っかかった。

 紫は、口元に手を当てて小さく囁き、違和感の原因を考える。何かが思いつきそうな、のどから何かが出てきそうな感覚に頭を悩ませた。

 

 

「何か……」

 

「紫様、どうかなさいましたか?」

 

「いえ、何でもないわ。今は目の前のことに集中しましょう」

 

 

 紫は、結局頭に引っかかったものが何なのか分からず、喉に魚の骨が刺さっているような感覚に気持ち悪さを覚えながらも、それを飲み込むようにして思考を振り払い、少年の指が入れられているコップの様子に目を配る。

 時間が経過していくと少年の指を覆っていた油の膜がどんどん破れていき、水の中に消えた。水の色は、油が溶け込んだ影響なのか、大きな変化を見せた。

 水の透明度が変化し、透明な水のなかに汚い水ができ上がっていく。見通せたはずの透明なガラスのコップの先が見渡せなくなるほどに光の吸収率が変化した。

 

 

「油は、完全に水の中に溶け込んだわね」

 

「でもこれは……」

 

 

 確かに少年の指を覆っていた油の膜は最終的に水の中に溶け込み、姿を消した。

 しかし、油が完全に水の中へ溶け込んでも水の変化が止まることは無かった。

 二人は、意識を夢想の中へ飛ばしている少年に気付かれないように静かに会話を交わす。

 

 

「これは、どういうことなのかしら?」

 

「分かりませんけど……なんだか嫌な予感がします」

 

「奇遇ね、私もそんな気がするわ」

 

 

 藍は、混ざり切った後の水の未来を想像する。境界線を打ち破って融合した水と油の先の世界を想像した。

 これまでの変化から―――少年の能力が指先にあるコップの中にある水と油に対して影響を及ぼすことは確認できた。

 ここで浮かぶ疑問は―――少年の能力が水と油の境界線を曖昧にした後、どうなるかである。

 水と油は融合し、‘何か’になった。少年の指の先には、名前のついてない液体が存在している。

 藍は、少年の指先を見ながら小さな声を漏らす。

 

 

「紫様、これってもしかして……」

 

「おそらくそうだと思うけど……はっきりとは言えないわね」

 

 

 紫も藍と同様の想像をした。紫と藍は、何があろうとも最後の最後まで水の変化を見届けるつもりだった。

 しかし、最後まで見ようとしていた目論みは当てが外れることとなる。紫と藍の目の前には、想像した通りの世界が広がり始めていた。

 コップの中の濁った水が―――コップを侵食し始め、最終的に‘何か’に飲まれて消えたのである。

 

 

「やはり、こうなるわよね」

 

「まぁ、そうなりますよね。和友の能力は夢を現実にするほどなのですから……このぐらいはわけないはずです」

 

 

 目の前に繰り広げられている光景は、ガラスを撃ち破るように侵入するというより、ガラスの壁が薄くなって溶け出しているように見えた。

 決してヒビが入るような分かりやすいインパルス的な衝撃突破ではない。ゆったりと侵入するような緩やかな流線形に乗った線形変化を起こしている。音を立てることも無く、守られている境界線が打ち破られ、コップの存在が消えさったのである。

 紫は、コップが何かの液体に飲み込まれる様子に驚くことなく、コップが消えていく光景を物静かに見つめていた。

 

 

「ここまでは予測済みだわ。コップもろとも水に溶けるところまでは予測がついていたもの」

 

「問題はここからですね。境界を失った水が外にあふれ出るのかどうか……」

 

 

 少年の能力によってコップを溶かし始めた水は、遂にコップの全てを飲み込んだ。

 もはや敷居を作っていたガラスの壁は存在しない。水は、境界を打ち破って外に侵食している。

 コップに液体が入っている状態でコップが破壊された場合どうなるかは、容易に想像することができる。外枠を失った水は、当然のように外へと流れ出すはずである。

 ところが、目の前に広がる光景は、両者の予想を大きく裏切るものだった。

 

 

「これは、どういうことなのでしょうか?」

 

「水が指から離れない……?」

 

 

 少年が起こしている現象は、紫と藍の想像をゆうに超え、想像していたラインをスキップするように踏み越えた。

 水は、少年のコップに突っ込んでいた人差し指の第一関節までを保持した状態で大きく滴っている。決して落ちることなく滴っている。明らかに少年の指に吸着し、離れようとしていなかった。

 水は、最も安定する球形を保ち、少年の指を中心にして提灯のように保持される。しかも、滴っている水は留まっているだけではなかった。

 藍は、安心を得ようと紫に対して顔を向ける。向けた先にある紫の表情は、藍の顔と同様に驚きに満ちており、ますます不安を抱えることになった。

 藍は、視界に入る情報が間違いではないのかと、焦る想いをそのままに言葉を口にする。

 

 

「あ、あのっ、水が大きくなっているように感じるのは、気のせいでしょうかっ?」

 

「気のせいなわけないでしょう!」

 

 

 紫は、身の危険を感じ、大声で藍へと叫ぶ。

 

 ありえないことが―――想定外のことが起こっている。

 

 紫は、どんどん大きくなっていく物質に―――もはや液体であるということ以外によく分からなくなっている溶液に対して、気持ち悪い、身の毛のよだつような感覚に支配された。

 藍は状況を打開しようと行動に移り、何を考えたのか吸い寄せられるようにして水に向かって右手を伸ばした。

 

 

「ど、どうすれば……」

 

「触れてはいけないわっ!!」

 

 

 紫は、その様子を見て慌てて藍の手に自分の手を勢いよく伸ばし、伸びていた藍の手を止めた。水に触れる間一髪のところで藍の手が止まる。

 藍は、我に返ったように紫の目を見つめる。紫の額には、冷や汗が浮かんでいた。

 

 

「ゆ、紫様っ……」

 

「気をつけなさい! 触れたらどうなるか分からないわよ!」

 

 

 少年の指に保持されている水は、どんどんその体積を増加させる。さながら爆発物のように破裂しそうになっている。

 少年は、二人の慌てふためく声に目を閉じたまま質問を投げかける。

 

 

「えっ? どうかしたの? 何か問題が起こったの?」

 

 

 目を閉じている少年には、今の状況が理解できていなかった。少年の指は、相変わらず第一関節を液体に触れているだけ、最初に指を突っ込んだ時と何一つ変わっていない。

 しかし、そうこうしている間にも少年の指から滴っている液体は、体積を大きくしている。

 藍は、少年の指に滴っている液体を処理するために少年を動かそうとした。

 

 

「和友、目を閉じたままでいい! そのままゆっくりと動くんだ!」

 

 

 藍は、改めて少年の指に滴っている液体を見て命の危険を感じた。紫に言われたことによって、余計に肌で感じとっていた。

 液体に触れれば、タダでは済まないことは考えなくても想像できる。液体には、境界線を崩壊させるだけの作用が含まれているのだ。藍の指がもしも触れていれば、指ごと溶けだしてしまったことだろう。

 藍は、謎の液体の影響をできるだけ出ないように水が飛び跳ねることができるだけ少なくなるように、隣にある流し台へと少年を移動させようとする。

 少年は、どこに動けばいいのか分からず、その場で目を閉じたまま頭を動かし、疑問を口にした。

 

 

「どこに動けばいいの?」

 

「私が誘導するからその場を動くなよ」

 

「うん」

 

 

 少年は、藍の言葉に大きく頷き、その場で藍が動くのを待つ。

 藍は、少年の腰に手を添えようと手を伸ばす。

 紫は、少年を動かそうとする藍に向かって慎重に行うようにと忠告した。

 

 

「藍、慎重にお願いね!!」

 

「分かっています」

 

 

 藍は、少年の後ろに立ち腰を両手でがっしりと掴むと、横向きに力を入れ、少年を横にスライドさせて流し場の真上に移動させる。

 少年の体は、藍からかけられている力に従うように横に移動していく。

 少年の人差し指にぶら下がっている水滴は、移動する際の振動に合わせて大きく震えた。

 

 

「できるだけ、静かにゆっくり動くのだぞ」

 

「……うん」

 

 

 少年は、ゆっくりと頷き、緩やかな動きを徹底する。少しでも衝撃が加われば、落ちてしまいそうな水滴が―――爆発物のように存在感を放っている。

 水滴は大きくなり続けて調理台の高さまで垂れ下がり、水滴の下端が台と接触した。

 

 

「すさまじいわ……境界が打ち砕かれている」

 

 

 水滴がわずかに触れた調理台の部分は、溶け出したかのように、やすりで削ったように、削り取られていく。削られた部分は液体に吸い込まれ、液体の色がさらに変色した。

 藍は、少年の移動を終えると安堵するように大きく息を吐き、紫に視線を送る。紫は、藍の視線に答えるように頷き、藍の問いかけに肯定を示した。

 

 

「和友、目を開けていいぞ」

 

 

 少年は藍の言葉に従い、ゆっくりと目を開ける。視界が光を取り入れ、色のある世界へと少年を引き戻していく。

 少年は、そこで初めて指の先で起こっていた現象の結果を目の当たりにした。

 

 

「うわっ!」

 

 

 少年は、最初にコップに入れた時と明らかに違う状況に驚きを露わにした。

 水玉は、少年が水玉を認識すると重力に従って真っ直ぐに排水溝に向けて落ち、流れ出る。少年の指先を離れた水は、周りの物を溶かすことなく真っ直ぐに流れていった。

 

 

「今のなに……?」

 

「「はぁ……」」

 

 

 紫と藍は、安堵の度合いを示すように大きく息を吐く。どうやら、あの液体は少年の手を離れれば、溶かす性質を失うようだった。

 もしも、残ったままだったとしたらそのまま全てを飲み込んでしまいかねなかった状況だけに、二人は最悪の状況にならなかったことに安心した。

 

 

「貴方の能力の練習についてなんだけど……この方法で能力を意識できるようになってもらうわ」

 

「これをもう一回やるの?」

 

「意識できるまで何度でもやるわ。今は無意識に能力が発動しているけど、意識できるようになるまでは制御なんて夢のまた夢よ。意識ができるようになったら別の練習を始めるから、心しておくように」

 

「分かったよ。頑張ってやってみる」

 

 

 少年は、笑顔で紫の言葉に応えた。

 少年の笑顔は酷く紫を心配させる。なんでもしてしまいそうな雰囲気のある少年にこれほどのことを毎日やらせることが心配でしょうがなかった。

 しかし、やらなくてもいいというわけにはいかない。少年の能力の制御は、生きていくための必要条件なのだから。

 紫は、藍に不安材料の残る少年をしっかり見張っておくようにと伝えた。

 

 

「藍には、監督をしていてもらえればいいわ。この子がとんでもないことをしでかさないようにしっかり見ていなさい」

 

「分かりました。和友、無理はしないようにな」

 

 

 藍は、紫と同様に少年のことを心配し、少年に注意する。

 少年は、藍の言葉を聞いて自分の過去の行動を顧みた。いつだって、無理と隣り合わせの所で歩いて来た人生の軌跡を振り返ってみた。

 無理をしないようになんて―――無理だ。それは、境界線の分からないものの一つなのだ。

 

 

「僕、無理しないとできないことだったら無理するかもしれないから……その時は、止めてね」

 

「ああ、任せておけ」

 

 

 少年の能力の練習は、この日から始まった。7月の下旬から始まった能力の練習が実を結ぶのは、約1年半後である。

 少年は、この後の2年の間に様々なことがあって色々な人と関わって、色々な妖怪と触れ合って変化をもたらすことになる。

 

 それはまた今度の話。ここから始まるのは―――2年後。

 異変に関わっていく少年の物語である。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。