ぶれない台風と共に歩く   作:テフロン

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漏れ出す脅威、塞がれた痕跡

 紫は、藍の押しの強い最後の一押しに雰囲気を崩し、朗らかな笑顔を浮かべた。

 

 

「ふふっ、それは素晴らしい最後のひと押しね」

 

 

 紫は、もともと少年の能力が漏れていることを知っている。なにも、ここまで追い詰める必要はなかったといえばなかったのだが、藍の覚悟を知るいい機会だった。

 藍は、本気で少年のことを助けてやろうと、能力についてどうにかしてあげようという気持ちを持っている。妖精の一件は、藍の覚悟と共に新たな事例として紫の中に刻まれる形で保存された。

 紫は、朗らかになった表情を真面目な顔に変える。スイッチの切り替えをするように瞬時に気持ちを切り替えた。

 

 

「いいわ、藍の言葉を信じましょう。私もあの子の能力が漏れ出していると思う節があるから」

 

 

 藍は、紫の言葉に即座に喰いついた。

 藍は、ここで初めて紫が少年の能力が漏れ出ていることを把握していることを知ることとなった。

 もちろん、藍も外での出来事から夢にまで能力の影響が広がっていることは知っている。それが原因で幻想郷に連れてきたのだから―――そこは共通の認識としてある。

 だけど、それ以外に何かあるのだろか。紫は、妖精の件のように傍にいる生物に直接影響を与えるほどの影響力があることを把握しているのだろうか。

 紫の言葉だけを素直に受け取れば、妖精の一件以外に違和感を見つけられなかった藍と異なり、少年の能力が露出している部分を見つけているということになる。間違いなく能力の影響が出ているのだと言っている。

 

 

「紫様にも和友の能力が漏れ出していると感じられる時があったのですか?」

 

「ええ、和友の行動には、度々不思議に思うところがあるわ」

 

「それは、どのような行動でしょうか?」

 

 

 紫は、藍に対して違和感が無いのか再び考えさせるように、少年のおかしいところが無いか質問を投げかけた。

 

 

「きっとこの違和感を作り出しているのは、和友の能力の影響だと思うのよ。藍もおかしいと思っているのではないのかしら?」

 

「…………」

 

 

 藍は、少年の違和感を脳内から探す。隅から隅まで、昨日今日と過ごしてきた少年との記憶をたどる。

 だが、考えても何も出てこないことに口を閉ざし、沈黙した。先程も同じような記憶巡りをしている藍に、新たな知見が見つけられる余地はなかった。

 藍は先程悩んだ時のように俯き、地面に視線を落とした。

 

 

「藍が思い当たらないのも仕方がないのかしら? あの子は、ずっと自分自身を偽って生きてきたのだから、2日程度一緒に過ごしているだけでは違和感が見えてこないのかもしれないわね」

 

 

 少年は、藍に気取らせないほどに上手く生活を送っている。特に藍は、少年の平常の様子を一度も見たことがないため、違和感を探りにくいというのも思い当たらない理由として考えられた。

 さらに言えば、妖精の一件の衝撃が藍にとって強すぎたことが少年の違和感に気付けない主な原因になっていた。

 大きな衝撃は小さな違和感を掻き消し、視野を狭窄させているのだ。標識を壊してしまって立て札について聞くのを忘れたように、大きなものは小さなものを隠してしまう。

 それもまた少年のやり口だと考えるのはいささか無理があるが、そう考えてしまう程に少年の生き方は様になっている。

 しかし、だとしてもである。そうだったからどうなるというわけでもない。紫は、思考をあるところで遮断した。

 

 

「けれども、あの子をよく見ていれば分かるはずよ。気付くはずなのよ」

 

「…………」

 

「何も思い当たらないかしら? 藍が一番和友の側で見ていたでしょう? さっきも違和感丸出しだったじゃない」

 

「先程もですか……」

 

 

 藍は、紫の言葉を聞いてしばらく考え込む。‘先程も’ということはこれまでもずっと違和感を醸し出しているということである。先程の少年と幻想郷に来たばかりの少年とで異なっている部分は服装以外にないのだから―――幻想郷に来てからずっと違和感があると考えるのが自然だ。

 藍は、ゆっくりと少年の全身像を脳内に描く。頭から足先まで綺麗に描き込む。描き込んだ絵に対して、情報を記載していく。頭から、下に向かって一つ一つ書き記す。

 藍は、脳内作業の途中である一つの解答を思いつき、はっと目を見開いた。

 

 

「あっ……分かりました! 左手のことですね!」

 

「正解よ」

 

 

 紫は一言、藍の答えに満足するように正解を告げ、続けて口を開いた。

 

 

「和友の左手の怪我は相当なものよ。なにせ(てのひら)をナイフで突き刺されて貫通したのだから。しかもそれはつい昨日のこと。治っているはずがないわ」

 

 

 紫は、扇子を口元で開くと、頭の中に持ち合わせている和友に対する予測を展開する。

 

 

「もしかすると和友は痛覚が無いのではないかしら。少なくとも痛覚が無いといわないまでも、あまり痛みを感じてないのは確かだと思うのよ」

 

 

 紫は、少年の痛覚が曖昧になっていると予測していた。

 少年が強盗殺人犯にナイフで掌を貫かれたのは、昨日のことである。当たり前であるが、掌を刃物で貫かれるほどの怪我が1日で治るはずはない。

 妖怪ならばまだしも、少年は人間である。痛みも残っていると考えるのが普通だろう。

 そうなると疑問になるのは、痛みがあるならば―――なぜあんなにも平然と動くことができるのだろうかというところである。

 紫は、少年が怪我を負っている様子を見せることなく行動できている理由を推測した。

 

 

「和友の持っている曖昧にする程度の能力が漏れ出して、痛みが曖昧になっているような気がするの。そうでもなければ、あれほどの怪我をしている左手を動かして痛みを感じているそぶりを一つも見せないなんてできるはずがないわ」

 

「確かに紫様の言う通りかもしれませんね。和友の左手は、怪我をしてから2日目しか経っていません。もちろん完治しているはずもありません」

 

 

 紫は、少年の能力である境界を曖昧にする能力の影響によって痛覚が曖昧になっていると考えていた。

 痛みを与え続けられれば感覚がマヒする場合もあり得る。だが、それはあまりに非現実的である。人間の精神力ではそこまでに至るまで耐え切れない。そうなる前に心が死んでしまうだろう。

 

 

「私は、和友の何を見ていたのだろう……」

 

 

 藍は、今日の少年と過ごした時をそっと思い浮かべる。少年が怪我をしていることに気付いたのは、いつだっただろうか。どんなときだっただろうか。

 藍が少年の怪我を思い出したのは、帰り際の荷物を持とうとした少年を見たときである。手を差し出されてやっと―――少年が怪我を負っていることを把握した。それまで怪我をしていることを気にもかけていなかった、気付いてさえもいなかった。

 藍は余りに少年の状況を把握できていない自分に落ち込む。

 

 

「和友が全く痛がらないので怪我をしていることを忘れそうになっていました……」

 

「昨日は食器洗いをしていた。今日は料理をしていたし……今も食器洗いの真最中だものね……任せなければよかったかしら」

 

 

 少年は、左手を怪我している状態でいくつもの行為を成し遂げている。ノートを持つときも、人里に行く時に藍にしがみつくときも、左手を使っている。

 大怪我を負っている左手は、動かすだけでも突き刺さるような痛みが走るだろう。特に食器洗いに関しては、水が流れているところに手を突っ込むような行為になる。怪我をしている手を水につけるというのは総じて痛みを伴う。それは、どうしても流れ出る水が傷口に触れるということが起こるからだ。

 紫の心の中では、痛みを伴う作業をさせてしまっているという状況を作り出し、それを察してすらいなかったということに、罪悪感が今更に湧き上がって来ていた。

 藍は、紫の言葉に認識の違いがあることに気付いた。

 

 

「紫様は、和友が実際に料理や食器洗いをしているところを見ていなかったので知らないと思いますが、和友は非常に上手く食器洗いをしていましたよ」

 

 

 昨日の少年を見れば、食器洗いをさせることに特に気を遣うべきところがないことが理解できる。

 少年は、食器洗いをしている時に左手を一切というほど使っていない。

 藍は、紫の言葉に訂正を入れた。

 

 

「私には、和友が怪我している状態で腕を動かすことに慣れているように見えました。和友は、左手を決して水につけないように食器を洗っていましたから……」

 

「和友は、そんな事が出来るのね……」

 

 

 紫は、予想外の藍の言葉に詰まるように言葉を失った。

 紫の少年に関する違和感は、食器洗いが根源である。食器洗いや料理をしている時に少年が怪我を負っている左手を使っていたという事実をもとにした仮定に過ぎなかった。

 

 

「藍の言っていることが確かなのならば、私の仮定は間違っているということになるわね」

 

 

 紫の仮定は、少年が怪我をしている状況で痛みを最小限になるように庇いながら行動ができるという前提条件が入れば、一瞬にして崩れ去る。痛みを寸分たりとも顔に出さず、何事もなく動いている理由は、能力の影響ではなく少年の特技にあるということになるからである。

 紫は、行き詰った思考の中で困った表情を浮かべた。

 

 

「これまで怪我をした時に何度も同じようにやっていたからというわけなのかしら。書き記す行為をしていたころは、右手が常にイカレている状態だっただろうし、何かを庇いながら動くことに慣れているのかもしれないわね」

 

「紫様、私が見ていたのはあくまで食器を洗っている時だけです。今朝、顔を洗っている時はどうだったのか分かりません」

 

 

 藍は、声の調子を落とした紫の話を聞いてフォローするように言葉を発した。

 少年は、今朝に顔を洗いに外に行っている。その時、両手が濡れていたのかは定かではないが、手を濡らしていた可能性は考えられた。

 

 

「私が、その場で和友が怪我をしていることに気付けばよかったのですが……そこまでは気が回らず、確認できていません。しかし、今朝顔を洗ったときは、もしかしたら手を水に濡らしていた可能性はあります……」

 

「別に気を遣う必要はないわよ。さっきは私がさんざん言ったのだから、お互い様」

 

「……そう言ってもらえると、助かります」

 

 

 紫は、藍のフォローを受けて僅かに笑顔をみせる。

 しかし、肝心の話の結論は、藍の言っている内容については推測が入り過ぎて何も議論することができないという結論で終わってしまっている。

 紫は、憶測で話が進み始めた今、これ以上話をしても意味が無いと思った。

 

 

「藍、ここらで話を一旦切りましょう。ここでこれ以上話をしても(らち)があかないわ。結論を出すことができずに時間を浪費するだけよ」

 

 

 紫は、話を収めようと藍へ提案を持ち掛け、口元に当てていた扇子を閉じる。そして、部屋の外に出るためにふすまの前まで移動すると藍へと振り返り口を開いた。

 

 

「和友の左手の傷については、居間に戻ったらすぐに確認しましょう。そろそろ巻いてある包帯も巻き直す必要があるでしょうし……」

 

「包帯はどの程度の頻度で巻き直せばよいのでしょうか? 私は、人間の手当てを長期に渡ってしたことが無いので分からないのですが……」

 

「そんなこと言われても、私も知らないわよ。今度どこぞの医者にでも聞いてきなさい」

 

 

 紫は、藍の質問に眉をひそめた。紫も人間の手当てなど、その場しのぎのものしかやったことがなかったのである。

 人間を助けるということは、妖怪にとって大きな意味を持つ行為になる。人間の敵=妖怪という構図が出来上がっていた昔から言えば、本来ありえない行為である。やってしまえば、妖怪の中から除け者にされる。かといって、人間と友達になれるわけでもない。結局のところ、手当などする者はいないのである。

 そんな妖怪の二人が、短期的ならともかく‘長期的’かつ‘人間の’怪我の手当てができる道理がなかった。

 

 

「では、今週中に聞いてきますね。代わりの包帯も買ってくる必要があるでしょうし、ついでに買ってまいります」

 

 

 紫と藍の二人は、藍の一言によって一度立ち止まった足を動かして紫の部屋を出た。

 廊下は音をなくして静まり返っており、居間からの音は何も聞こえない。

 紫と藍は、廊下を並びながら歩き始め、少年のいる居間へと一直線に足を向ける。無言のまま1分ほどの時間を浪費し、居間へと到達した。

 紫と藍の瞳は、居間に入ると真っ先に少年を探す。二人の視界に入った少年は、縁側に座って空を見上げていた。

 紫は、空を見上げている少年を見て既視感を覚え、藍へと問いかける。

 

 

「藍、和友ってよく空を見上げているような気がするのだけど……私の気のせいかしら?」

 

「いえ、気のせいではないと思います。和友はよく空を見上げていますよ」

 

 

 紫と藍は、視線を少年からそらさず、動かない少年を見つめ続ける。少年は、二人が戻ってきたことに気付いておらず、空を見上げていた。

 紫と藍の二人は、少年の視線を追うように空を見上げてみる。

 少年の視線の先には、雲があるわけでも、虹が出ているわけでもなく、何もなかった。

 

 

「和友の見上げている先の空には、別に何もないわよねぇ……」

 

「いつもと同じような空ですね、特に変わったところはないようです」

 

「和友は何に惹きつけられて空を見ているのかしら……」

 

 

 少年の視線の先には、いつも通りの迫りくるような青さだけが広がっている。ただ、それだけの普通の空だった。

 飲み込まれそうな青さが少年を惹きつけているというのだろうか。

 

 

「何もない空……何でもない空。見えているものが違うのかしら? まぁいいわ」

 

 

 紫は、考えてもわからないことを考えるのを止めて少年へと言葉を投げかける。

 

 

「和友、戻ってきたわよ」

 

「あっ、紫、藍、おかえりなさい」

 

 

 少年は、呼びかけられた声に振り返る。

 少年の両目は、空ではなく紫と藍の二人の姿をしっかりと捉えていた。

 

 

「結構早かったね。まだ約束の午後2時までには時間があるみたいだけど、話はもういいの?」

 

「ああ、もう二人で話すことは無くなったからな」

 

 

 藍は、縁側に座っている少年の隣に座り込み、紫としたかった話は全て終わったと告げた。

 少年は、藍の言葉を聞いて紫に向かって疑問を口にする。

 

 

「じゃあ、今から能力の練習をするの?」

 

 

 紫は、少年の問いかけに首を振った。能力の練習もしなければならないことなのだが、居間の紫や藍にとって能力の練習よりも大事なことは、少年の能力が漏れている証拠を見つけ出すこと、違和感を特定することである。

 

 

「いいえ、能力の練習じゃなくて今から確認作業をするわ。あなたの能力についてのね」

 

「能力について僕から話せることなんて、もう何もないと思うけど……?」

 

 

 少年は、これまでに少年自身が知りえている能力についての情報は全て開示してきたつもりだった。

 

 

「他に何か気になることでもあるの?」

 

「和友、その怪我をした左手を見せてくれないか?」

 

「ああ、なるほど。確認ってそういうことだったんだね」

 

 

 藍が話を切り替えるように少年に向かって言うと、少年はどこか納得したような表情を浮かべた。藍の言葉を聞いて何か、理解できる部分があったようである。

 少年は、包帯を巻いてある左手を藍に向かって差し出すと一言笑顔で告げた。

 

 

「はい、どうぞ」

 

「それじゃあ、解いていくぞ」

 

 

 藍は、少年の左手に巻かれた包帯を振りほどいていく。

 3重にも巻かれた包帯は、()けて(ほど)けて長く垂れ下がった。本当ならば、もっと巻かれているものなのだが、病室で少年が解いていたため、少なくなっている。

 少年は、にこやかな表情で左腕を差し出したまま動かない。紫は、揺るがない瞳で少年の左手を見つめていた。

 巻かれている包帯が終盤に差し掛かるとわずかに血のにじんだ赤が映る。少年が怪我をしていた事実が浮き彫りになってくる。

 藍は、痛々しい少年の左手を見て、少年のことを心配するように気をかけた。

 

 

「包帯を解くの、痛くは無いか?」

 

「心配してくれてありがとう。別に痛くないよ」

 

「そうか……」

 

 

 少年は、痛みを感じさせない笑顔で藍に告げる。その少年の言葉で、藍の中の先程紫が言っていた痛覚が無いのではないかという予測が確信に変わった。

 藍は、痛みを感じていないような少年の言葉にひとまず安心し、最後まで包帯を取り除く。

 そして――――最後まで包帯が取り除かれた時に見えた左の掌は、あり得ない状態だった。

 

 

「どうして……?」

 

「一体、これはどういうこと……?」

 

 

 紫は、勢いよく少年の腕を掴むと強引に引っ張り、覗き込むようにして見つめる。

 藍は、ありえない物を見たかのように驚きを隠せないでいた。

 少年は、藍と紫の理解できないといった言葉に不思議そうな顔をする。

 

 

「あれ? 少なくとも紫は知っていると思っていたんだけど?」

 

「私は知らないわよ。どうしてこんなことが……?」

 

 

 少年は、このことについて紫が知っていると思っていた。知ることのできるはずのものを紫は所持しているからだ。

 少年は、知らないということはないはずだけどと思いながらも、左手をくるくると回転させ見せつけるように動かす。

 

 

「紫は、知っているよね。僕が決まり事を覚える時にする書き記す作業のことをさ」

 

 

 見せつけるように強調されているべき少年の左手の傷は―――最初から存在しなかったかのように跡形も無くなっていた。

 


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