ぶれない台風と共に歩く   作:テフロン

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塗りつぶされる日常、塗りつぶされる平穏

 少年は、紫の藍の料理に対する言葉から、紫は料理ができのだと勘違いしていた。先程評論家のようなコメントをしたことが少年に料理ができるような印象を与えていたのである。

 少年は、よく分かっていない表情で、言葉を失くした紫に向かって質問を投げかけた。

 

 

「紫は料理ができないの? あんなに料理の味付けについて語っていたのに?」

 

「ず、ずいぶんと直球でくるわね」

 

 

 紫は、少年の真っすぐな質問に動揺した。

 

 

「紫様、ちゃんと答えてあげてください。和友は、別に人のことを見下したり、馬鹿にしたりするような子ではありませんよ」

 

「…………」

 

 

 紫は、しばらく沈黙した後に今更少年をごまかすこともできないし、ごまかしても意味がない状況を察し、開き直ったかのような言葉を少年に吐き出した。

 

 

「そうよ、私はあまり料理が得意じゃないわ。する必要がなかったらしようなんて思わないもの。大昔に何度かやった覚えがあるけど、藍が来てからはずっとやっていないわね」

 

 

 紫は、料理をしたことがほとんどなかった。料理ができなくなった原因は酷く単純で、単に料理をしなくなったからである。

 藍を式神にしてからというもの、家事全般の面倒事を全て藍に押し付けている形になっている。料理に限らず、掃除や洗濯といった家事と呼ばれるようなものは、何一つやっていなかった。

 

 

「ごめんなさい、期待してくれているところ悪いのだけど……私は、料理ができないわ」

 

 

 紫は少年から馬鹿にされるのではないかと不安を抱えていた。

 料理に関しては、先程の少年の様子を見ていれば、自分が少年よりも劣っていることは火を見るよりも明らかである。大妖怪ともあろうものが、料理もできないのかと言われることを恐れていた。印象によって力が変わるような妖怪の存在は、人の心に酷く機敏だった。

 

 

「紫様、あの……」

 

「私は……料理に関していえば、式よりもはるかに劣っているわ」

 

 

 紫は、自分で言葉を口にしていて非常に泣きたい気持ちになった。今まで認識していなかったから考えていなかったが、少年の一言で自覚してしまった。

 

 式ができることを主ができないというのは―――とても恥ずかしいことである。

 

 あくまで式は、主の手足となるだけでそれ以上でもそれ以下にもならない。できることとしては、主以上のことができることがあるなんてことは基本的にない。それができてしまえば、主よりも式の方が優秀であると告げるようなものなのである。

 

 

「紫は、料理できないのか……そっか……」

 

 

 少年は、紫が料理をできないことを知っても、特に変わった様子を見せなかった。

 紫の落ち込む様子にも、特に何かを気にする雰囲気はない。意外というふうでも、やっぱりというふうでもなく、ただ事実を受け入れるように考え込むと、ゆっくりと口を開いた。

 

 

「じゃあ、一緒に料理をしない?」

 

「え?」

 

 

 紫は、一瞬少年の言っていることが理解できずに間抜けな声を漏らす。馬鹿にされると思っていた言葉は、少年の言葉の中に一切含まれていなかった。

 藍は、少年の言葉を聞いてどこか納得したような表情を浮かべる。少年が口にした言葉は、藍の知っている少年ならば、間違いなく言うだろうと思っていた言葉だった。

 

 

「和友と一緒に料理を?」

 

「うん、駄目かな?」

 

 

 紫は、思いもよらぬ提案に少年の目を見ながら固まる。

 

 

「紫が嫌っていうなら止めておくけど? どうする?」

 

「本当に? 本当に手伝ってくれるの?」

 

「手伝って欲しいのなら手伝ってあげるよ?」

 

 

 少年は、他人が何かができなくてもそれを馬鹿にするようなことは決してしない。そもそも、馬鹿にできるほど自分ができた人物なんて思っていなかった。

 人の名前を覚えるのに3時間かかるような少年は、他人について何か言えるような立場ではないのだ。少年自身が一番よく分かっている。自分がバカにできる人間など誰もいないと知っている。

 少年が相手に何か言うことができることといえば、努力しない人間に対してどうこう言うぐらいのことである。後は、考え方の問題ぐらいだろうか。

 少年が他人に何が言えることは、頑張れば何とかなる、何とかできる、それだけしかなかった。たったそれだけが、人に胸を張って言える少年の言葉だった。

 紫は、少年の提案に嬉しそうな顔をして聞き返す。

 

 

「嘘じゃないわよね?」

 

「僕は、嘘なんてつかないよ」

 

 

 少年の意見は、最初に言った意味と変わらず、紫と一緒に料理をやろうというもので変わりないようだった。

 

 

「僕の言葉って、そんなに信用がないのかな?」

 

 

 少年は、紫から何度も聞かれている理由が分からなかった。それほどに自分の言葉が疑われているのか、それとも実は手伝って欲しくなかったのかなと、疑問を覚えてしまうほどである。

 藍は、予想通りの結果になりそうな状況に少しだけ手を入れてみようと試みる。

 少年が紫を手伝うと言い出すことは会話の最初から分かっていた。少年ならば、そういうだろうと分かっていた。それに、少年の提案が悪いことではないことも理解している。

 しかし、無性に口を挟みたくなった。理由はそんな程度の軽いもの。藍は少年が自分の提案を引くわけがないと分かっていながら、万が一の可能性にかけて少年に問いかける。

 

 

「和友、ちょっといいだろうか?」

 

「どうかしたの?」

 

「和友の提案している話だと、紫様の手料理を食べるという意味ではどうなのだ?」

 

「な、何を言っているのかしら?」

 

「だってそうでしょう? 紫様の料理を食べたいのならば、紫様個人が作るべきではないですか?」

 

 

 藍は、紫があたふたしながら料理をしている姿も見てみたい気持ちがあった。普段と違う紫の一面が見られるかもしれないという期待があった。

 確かに、紫の作った料理を食べたいという少年の言動から考えれば、少年は紫の料理を手伝ってはならない。少年が料理を手伝ってしまえば、それは合作ということになるため、少年の意に沿っている形ではなくなるからである。

 

 

「僕が手伝っても紫の料理に変わりは無いよ」

 

「ふむ」

 

 

 藍は、少年から返ってくる答えにやっぱりといった表情を浮かべた。

 こうなることは、何となしに分かっていたことだ。

 藍の知っている少年なら、そういうと思っていた。

 

 

「誰にだって得意不得意はあるしさ。僕は下手でも紫の料理を食べてみたいと思うけど、紫のプライドが下手なものを相手に出すのを許さないみたいだし……」

 

「まぁ、紫様の性格的にはそうだろうな」

 

「だよね、だったら一緒に作れればいいかなって思って」

 

「本当にいいの……?」

 

「何度も聞かないでよ。僕は、能力の練習に付き合ってもらうわけだし、おあいこだよ」

 

「……そうよね、私だって和友の能力の練習に付き合うんだもの。お互いさまよね」

 

 

 紫は、少年の手伝うという助け舟に乗り、心からの感謝を少年に告げた。

 

 

「和友、ありがとう」

 

「どういたしまして」

 

 

 最初の時点では、少年の紫が作った料理を食べたいという我儘を拒否しようとしていたのにも関わらず、いつの間にか手伝ってもらえるのならば、という条件で落ち着いた。

 紫は、予想以上に優しい少年の対応に流されている。大きな流れに飲み込まれている。

 会話を繋いで、橋渡しをする。流れを制御し、結論を導き出す。少年は、会話の流れを無意識に掌握していた。

 

 

「むっ……」

 

 

 藍は、紫が少年に心を許しているように見える光景に、何となく面白くない気持ちになった。

 なぜだろうか。どうしてこんな気持ちになるのだろうか。主である紫と少年が仲良くすることは良いことなのに。どうしてこんなに気持ちがざわつくのだろうか。紫が普段自分に見せない顔をしているからか。それとも、自分ではなく少年と仲良くしていることに嫉妬しているのか。

 考えてはみるが、何が理由でこんな気持ちになっているのか分からない。胸に手を当ててみるが思い当たる節が見当たらなかった。

 藍は、面白くない気持ちをそのまま言葉にするように、紫に対して休憩の余裕を、心の余裕を与えることなく、間髪いれずに口を開いた。

 

 

「では、明日の昼食は紫様に任せます。よろしく頼みますよ。私も楽しみにしていますからね」

 

「は?」

 

 

 紫は、藍の言葉に驚愕の声を上げる。

 藍は、紫に料理の練習をするという時間を与えず、即座に明日の昼に料理を作ってくださいと告げた。時間を指定するだけではなく、楽しみにしているというハードルを上げるような言葉も残して、紫を崖から突き落とすような言葉を放り投げた。

 

 

「明日の昼ですって?」

 

「紫様には無理ですか?」

 

「あなた、主に対して何を言っているのか分かっているのかしら?」

 

「分かっていますよ。紫様は、明日の昼に食事を作るのは無理なのですかと申しあげました。何か間違っていますか?」

 

 

 藍が煽るように紫に言葉を投げかけると、紫は苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべた。藍がここまで押しの強い性格をしていたとは、紫も計算外である。あまりにも昨日までの藍と違っており、普段の紫と藍の立場とは完全に逆転している。

 紫が一方的に弄る関係は、たった今―――終わりを告げたのである。

 

 

「っ……分かったわ。任せておきなさい。とびっきり美味しいものを作って、その減らず口をふさいであげるわ」

 

「やれるものならやってみてください。ふふっ、攻守逆転ですね。これは良い気分です」

 

 

 紫は、煽る藍の言葉を買うようにはっきりと藍に告げた。料理を作ることに不安を感じていたが、さすがに日付を伸ばして欲しいとは言えない。それは、紫のプライドが許さなかった。

 

 

「紫様は、いつもこんな気持ちだったのですね」

 

 

 藍は、自分の言葉が紫を動かしていることに少しだけ優越感を感じていた。今まで紫に言われるがまま動くことが多く、藍を動かしているのはあくまで紫であり、その逆はありえないような関係だった。

 けれども、今は藍の言葉で紫が動いている。

 藍は、紫との立場が少しだけ変わっているのが感じられて気持ちを高揚させていた。今まで立っている場所の違った紫が、少しだけ近くにいるように感じていた。

 

 

「きっと大丈夫、いくら私が料理に関しては何もできないからって、和友も一緒に料理をするのだし、そこまで酷いことにはならないはずよ……」

 

 

 紫は、料理を作ることに対して楽観視する。料理を作ることになったとしても紫一人で作るわけではなく、少年も一緒に作るのだ。そこまで酷い料理にはならないはずである。そんな余裕が―――紫の中にはあった。

 しかし、その予想を裏切るような言葉が飛んでくる。少年は、紫の心の中の想像とは裏腹に、他人行儀に期待しているという旨の言葉を口にした。

 

 

「紫、楽しみにしているね」

 

「えっ……? 手伝ってくれないの?」

 

 

 少年の言葉は、どこか他人事のように聞こえた。

 紫は、最後の砦である少年に突き放されたと思った。先程の言葉は嘘だったのかと悲しそうな顔を浮かべた。

 

 

「さっきの一緒にやろうって言葉は、嘘だったの?」

 

「ん?」

 

「…………」

 

 

 紫は、どこか一人ぼっちに、置いてきぼりにされたような寂しい気持ちになった。紫の心の中を見捨てられたような絶望感が支配し始める。

 少年は、急に思い出したかのように慌てて言葉を言い直した。

 

 

「ごめん、言い方が悪かったかな。楽しんでやろうね。一緒に美味しいものを作ろう」

 

「……ええ」

 

 

 紫は、少年の言葉に安心した顔で一度頷く。少年も紫の応答に笑顔で頷き、今度こそ不安にならないようにとしっかりと意志を交わした。

 

 

「楽しんでやりましょうね」

 

「うん、楽しくやろうね。それで、藍を驚かせよう。とびっきりの僕達の料理でさ!」

 

「そうね。藍、期待して待っているといいわ。私達の実力を見せてあげる」

 

「楽しみにしております。数千年ぶりに紫様の手料理を食べられること、従者として嬉しく思います。ただ、料理は一朝一夕で上手くなることはないと知っておくべきです」

 

「藍は、一朝一夕で変わるものだってあることを知っておくべきね。そう―――貴方みたいにね。かわいいと言われて別の世界に飛んでいた貴方の言うことではないわ」

 

「そ、その話題は卑怯ですよ!」

 

「ふふふ、私は卑怯なのよ。藍が一番分かっているでしょう? 私は、そういう妖怪なの。ほら、冷めてしまう前に料理を食べましょう。話してばかりでは口ばっかり回るだけで手が進まないわ」

 

 

 紫は、料理についての不安を払しょくし、料理を頬張っていた時の雰囲気で食事に戻る。

 少年と藍は、紫が料理に再び手を付けるのを見て顔を見合わせると、お互いに含み笑いをして再び料理を食べ始めた。

 

 

 

 藍の作った料理は、楽しく会話をしているうちにいつの間にか無くなる。時間も1時間近く経過しており、食事の時間は終わりを迎えた。

 少年は、全員の食器に料理がなくなったのを確認すると手を合わせる。音を立てることなく、静かに両手を合わせる。

 少年が両手を合わせるのを見た紫と藍は、少年に追いつくように手を合わせた。

 

 

「「ご馳走様でした」」

 

「お粗末さまでした」

 

 

 紫と少年の声が反響する。藍は、二人の言葉を聞いてから後を追うように言葉を口にした。

 3人は、それぞれ手をつけた食器を手に持ち、洗い場にまで持ち運ぶ。3人で協力して行った作業はたいした時間もなく終わり、それぞれ休憩に入った。

 少年は、そっと時計を見つめると、のんびりとしている二人に向かって口を開く。

 

 

「二人は、これから話し合いをするんだよね? 2時から練習をすると考えるとあと1時間ぐらいしかないし、食器洗いは僕がやっておくから話をしてきてもいいよ」

 

 

 能力の練習の時間が差し迫っている。時間の効率を考えれば、少年が食器洗いをするのが最も効率が良い。少年の言いたいことを理解した二人は、少年の提案に乗った。

 

 

「そう? それじゃあ和友に甘えましょうか」

 

「そうしましょうか。和友、後はお願いな」

 

「任せておいてよ」

 

 

 少年は、紫と藍の言葉に腕捲りをして答えた。

 二人は、少年を部屋に残して部屋を出ようとする。

 少年は、二人が動き出すのを確認すると食器を洗うために洗い場に向かって歩き始めた。

 紫は、ふすまを開けて廊下へ出ようとしたところで振り返り、藍へと告げる。

 

 

「藍、先に私の部屋に行ってきなさい」

 

「分かりました」

 

 

 藍は、紫の指示に従い紫の部屋に一人で向かう。

 紫は、藍を先に行かせてちょうど食器を洗おうと水を出した少年に向かって話しかけた。

 

 

「和友、藍と話してくるからちょっとだけ待っていなさい」

 

「紫、2時からでいいんだよね。のんびり待っているよ」

 

 

 紫は、少年に対して慎重だった。あくまで余計なことはするなと、待っていなさいと言葉にした。余計なことをして、余計な時間を取られたくはない。問題が起これば、能力の練習どころではなくなるのだ。

 紫は、刻み付けるように再三の注意の言葉を口にする。

 

 

「余計なことはしないように、絶対よ」

 

「分かっているよ。食器洗い以外特に何もしないから。ほら、藍が待っているよ。早く行ってあげたら?」

 

「それじゃあいってくるわ。2時までには戻ってくるから」

 

「いってらっしゃい」

 

 

 少年は紫に対して笑顔で答え、紫は同じように少年に笑顔で答えた。

 少年は紫の言葉に手を振り、紫は満足そうに軽く手を振る。紫は、ふすまを閉めて部屋の外へと消えて行った。

 少年は、一人居間に取り残された。

 

 

「さて、そうは言ったもののどうしようかな……余計なことはしないようにって言われても、僕に何ができるんだろう……?」

 

 

 

 

 紫と藍は、話をするために居間から紫の部屋へと移動していた。

 紫は、藍の話したいことが少年に聞かれてはならない話だろうと予測をつけていた。それは、人里から帰ってきたときに藍が要件を話さなかったことから理解していたことである。

 紫は、自分の部屋に入り込むと開幕一番に口を開き、先ほどの食事の最中に話していた会話についての感想を口にした。

 

 

「会話をするのがこれほど楽しいと思ったのは久々だわ」

 

 

 今までにない感覚、心を動かされるような流れ、感情の乗っている言葉、それぞれが意志を持って言葉を口にしている感覚が新しいもので心地がよかった。

 

 

「そうですね。会話が弾んでいるのがよく分かります。和友を中心にして周りに楽しい雰囲気が波及しているのが伝わってくるようです」

 

「和友が会話を回している。まるで台風の目だわ。和友は何も影響を受けていないのに、周りにいる私達が被害を受けている」

 

 

 紫は、嬉しそうな表情をしながら軽く笑った。

 会話の質が変化したのは、少年の影響以外に考えられない。変わったところは、少年がいるかいないかの違いだけしか存在しないのだから。

 紫が言うように台風の目となっている少年は、間違いなく二人に影響を与えている。少年は何一つ変わってはいないのにも関わらず、紫と藍の二人は変わりつつあった。

 

 

「ふふっ。本当に面白い子だわ。私が料理することになるなんて予想外にもほどがあるわね。藍と二人で生活していたら、永久に料理する機会なんて訪れなかったでしょう」

 

「私と紫様の会話は、良くも悪くも淡白なものでしたからね。私が紫様に対して料理をしてくださいとは決して言わなかったでしょう。そもそも何かを進言することが基本的に無かったと思います」

 

 

 藍は、これまでの紫との生活や会話を思い返す。昔の自分だったならば、紫に料理をさせるようなことはなかったと断言できた。

 誰が言うだろうか。どうして口にできようか。料理をしてくださいなど、どの口がいえようか。

 

 

「ええ、その通りだわ。でも、今は違う。和友から巻き起こっている風で私達がなびいている。藍は少しだけ図々しくなった。言いたいことを言えるようになったわ」

 

「も、申し訳ありません……生意気だったでしょうか」

 

 

 藍は、紫の言葉で先程自分があまりにも無礼なことをしていたことに気付き、慌てて謝罪した。

 藍には、故意に性格を変えて喋っているような感覚はまるでなかった。自然と言葉が出た結果が食事中の言動となっていただけで、狙ったわけではなかったのである。

 それでも、言ってしまっている事実が変わることはない。悪気がなかったから相手を傷つけてもいいということにはならないように、藍の言葉にも責任が乗っているのである。

 

 

「謝らなくていいわ」

 

 

 紫は、藍の謝罪に首を横に振った。

 

 

「私は、今の藍の方が好きよ。今の藍の方がずっと生き生きしているように見えるわ」

 

 

 紫は、そんな藍の図々しくなった変化を愛おしく思っていた。

 

 

「貴方に足りなかったのは、きっとその図々しさなのよ。今までは、私と藍の間に一枚と言わず二枚ほど壁があったように思うわ。式神と主という立場上の壁と畏怖や尊敬といった心の壁があったのよ」

 

「そうかも、しれません……」

 

「食事のときに喋っていた藍からは、壁を感じなかったわ。以前よりも近くで話している気持ちになった。物理的にではなく、心理的にね」

 

 

 紫と藍との間には、壁があった。壁というのは当たり前だが物理的にではなく心理的なものである。

 藍は、紫の式神という立場上壁を作らざるをおえなかった。主人と従者という上下関係が壁を作ったのである。

 だが―――少年の起こした風が藍と紫の間に存在した壁を破壊した。先程のやり取りから察するに、壁はすでに崩れかける寸前だろう。藍は、それほどに少年から影響を受けている。

 畏怖や尊敬という感情の壁に関しても、紫の気持ちを理解したことで楽に思ったことを口にできるようになった。身近な存在になることで、気兼ねなく心の中の言葉を口にできるようになった。

 それに、少年からの影響は何も藍に対してだけではない。紫に対しても様々な影響を及ぼしていた。

 

 

「私も紫様と話をしていて楽しかったです。なんというのでしょうか、紫様の雰囲気も変わったように思います。話しやすい雰囲気というのでしょうか。紫様も和友から少なからず影響を受けているのだと思いますよ」

 

「そうかもしれないわね」

 

 

 紫は藍の変化を感じ取っているし、同様に藍も紫の変化を感じ取っていた。

 紫は、会話の中で一拍を入れると思い出したように言葉を口に出した。

 

 

「私は、和友と話していると不思議な感覚に陥ることがあるわ」

 

「他の方と話すときとは違うものを感じるということですか?」

 

「ええ。幽々子や藍と話している時とは、違うのよ」

 

 

 紫は、少年と話していて不思議な感覚に陥ることが多々あった。普段動かないところが動くというのだろうか、普段使わない筋肉を使うような変な気分になることが多いのだ。それが気持ち悪いとかといえばそうではなく、終わってしまえばどこか気持ちが良くなっている自分がいる。

 紫は、少年と話していて感じる不思議な感覚に戸惑いを感じていた。

 

 

「気持ちが高揚すると言うのかしら、子供心が呼び起こされるという感じね。藍も感じているのではないのかしら?」

 

 

 藍は、静かに目を閉じて先程話していた時の様子、人里での買い物での少年との会話を思い出す。そして、しばらくした後、目を開けてゆっくりと紫の質問に対して答えを口にした。

 

 

「確かにそうですね。和友といると少しだけ心の動きが変わるような気がします。活発になったというか……自分では、まだ1日しか経っていないのであまりはっきりとは分からないのですが……」

 

「私の目には、藍は変わっていっているように見えるわ。先ほど言ったように、良い方向に、ね」

 

「和友が変えてくれたということですね」

 

 

 少年は、藍や紫に対して間違いなく良い方向に変化をもたらしている。

 しかし、当の本人である少年は何も変わる様子を見せていない。はっきり言ってしまえば、外の世界で過ごしてきた様子と何ら変わっていないのだ。

 あれほどのことがあったにもかかわらず少年の行動は余りに自然で気持ちが悪い。普通ならば変化があってしかるべきだ。少年の普通に見える様子は、無理をしているのではないかと心配になってしまいそうになるのである。

 紫は、そこまで話すと目に強い意志を浮かべ、内に秘めた強い想いを藍へと告げた。

 

 

「今度は、私達が和友を変えてあげないとね。今の状況から脱してあげないと、和友は生きてはいけないわ」

 

「はい」

 

 

 藍は、一言の返事で紫の意志に添える気持ちを同期させる。

 少年は、能力の制御ができなくてはこの先を生きていくことはできない。すでに能力の浸食は始まっている。12年の月日で夢が現実のものとなる程度に能力は暴走している。

 少年の未来は、決して楽観視できるものではない。変化を起こさなければ、環境に適応できずに死んでしまうところまできている。崖の直前まで足をかけている。

 

 

「それじゃあ、そろそろ話をしてもらえるかしら? あの子にとって大事な話を」

 

 

 紫は、真面目な顔を崩さず、そのままの表情で藍へと言葉を投げかけた。

 藍は、紫の言葉に一度だけ大きく息を吸い、何かを覚悟をすると静かに話し始める。今日あったこと、今日感じたこと、命が散ったこと、いつだってあると思っていた平穏が崩れる気配を感じたことを言葉にするために―――息を大きく吸った。


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