ぶれない台風と共に歩く   作:テフロン

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前回のあらすじ

殺人犯は謳った。
殺してくれと言った。
それは、さながら心の中から響いてくる絶叫だと思った。


変わっていく世界があって
様変わりするような現実があって
夢のような事実があった。
それでも―――曲げちゃいけないものがあった。


病院でテレビを見た、日常が異常に昇華した

 病院へ行った少年は、治療室で医師から正式な治療を受けた。

 治療の内容は、ナイフで突き刺された左の掌に開いた穴を塞ぐというものである。それほど難しい手術ではなかったようで、手術にかかった時間はあまり長くなかった。

 治療を行った医師によると、傷跡は残るが完治するらしい。完治までは2か月といったところだそうだ。

 

 

 少年は、手術を終えた後眠りにつき、病室で目を覚ましていた。

 少年のいる病室は一人部屋であり、他の人間は誰一人いなかった。

 少年は、ベッドの上に座りながら右手を上げて静かに何重にも巻かれた右腕を眺めていた。

 

 

「こんなにぐるぐる巻きにされて……ちょっと解いておこう。動かしにくいし、別にばれないでしょ……」

 

 

 少年は、巻かれている包帯の一部を解く。ただ、完全に解くことはなく、肌が露出するほどではない。血のにじんだ赤がわずかに見える程度に解いた。

 

 

「ん~」

 

 

 少年は、幾重にもまかれている包帯を動きやすい程度に解くと背伸びをする。すると、少年の背骨は気味のいい音を数回立て、空間の空気を僅かに震わせた。

 

 

「はぁ」

 

 

 少年は、ゆったりと流れる時間の中で、ただただ時間を浪費するだけ―――病室の中でのんびりと時間を過ごしていた。

 事件があってからすでに病院で一夜を明かしており、朝を迎えている状態である。

 外からは、太陽からの日差しが伸びてきていた。

 

 

「何かやっていないかな」

 

 

 少年の病室には、ベッドの隣にテレビが設置されていた。

 少年は、傍に置いてあったテレビのリモコンを手に取ると電源のボタンを押す。

 テレビは、電気の供給を受けて画面から光を放出した。

 少年の病室にテレビからの光と音が広がる。

 少年は、やる気を感じさせない表情でテレビを見つめた。

 テレビでは、すでに昨日となってしまった事件が報道されている。テレビ画面には、ちょうどタイミングを計ったように昨日起こった事件の犯人の顔が映し出されていた。

 報道によると、昨日少年の家にやってきた強盗殺人犯はすでに死亡してしまっているらしい。どうやって死んだのかは分からない。少年が見ている限り、強盗殺人犯の死について報道されることはなかった。

 少年は、どうでもよさそうにテレビの画面を見つめる。

 

 

「へぇ、犯人は死んじゃったんだ。そりゃあ良かったね。願いが叶ってさ」

 

 

 少年の声は、誰もいない部屋の中で響いた。言葉としての意味を持つ音は誰にも拾われることなく空中に拡散する。広がって拡がって、小さくなる。少年の声は特に何事もなく消えてなくなった。

 報道の内容は、加害者の犯人から被害者の少年の家族へと移る。犯人に続いて、少年の家族も全員死んでしまっていることが報道された。

 

 

「……本当に、死んじゃったんだ」

 

 

 少年は、物憂げな様子で遠くを見つめる―――テレビのさらに奥を射抜くように視線を集めた。

 

 

「はぁ……」

 

 

 少年は、暫くの間視線を遠くに送ると静かに力なくベッドに横たわった。

 少年の視界は、真っ白な天井を映し出す。少年の視界からテレビの存在が完全に消えた。

 しかし、少年の視界からテレビが消えたからといってテレビから響いている音が鳴りやむことはない。

 少年の耳には、テレビからの事件の情報が次々と入り込んでくる。少年の家族が死んだという事実を告げる言葉が、感情のこもっていない演技じみた言葉が少年に絶え間なく降り注いでくる。

 

 

「っ……」

 

 

 テレビから発せられる可哀想という言葉が酷く耳に触った。

 少年は、ベッドのシーツを力強く握りしめる。怪我をしている左手も関係ないと言わんばかりに両手で力強く握りしめた。少年は、家族の報道が終わるまで心に渦巻く感情を必死にこらえた。

 少年の家族についての報道はものの数十秒程度で終わりを告げ、何事もなかったかのように次の話に移っていく。

 少年は、家族の話が終わると同時に苦しさが緩和したように握りしめた掌をゆっくりと開いた。

 

 

「母さん、父さん……」

 

 

 そう呟かれた声は、今にも消え入りそうだった。

 

 

 少年の耳は、塞がれることなく情報の流入を許し続ける。横になった少年の耳には、次々とテレビからの情報が送りこまれてきた。

 

 テレビは、視点を変えて事件の中身を披露する。

 

 事件の内容について報道されているものとしては、事件の概要や被害者についてよりも警察官の人間が一人死んだことの方が大きく報道されていた。

 死んだ警察官は勇敢であり、勇気を持って殺人犯に立ち向かったとか、非常に気の優しい人で市民が親しみやすい人だったとか、優秀な警察官だったとか、関係者からの悲痛な声ばかりが報道されている。

 少年は寝返りを打ち、テレビから背を向けるようにして横になった。

 

 

「相変わらずテレビはよく分からないね。マスコミは、死んだ人を取り上げて何をしたいんだろう。それはすでに終わっているのに……」

 

 

 少年は、人間は死んだら全てが終わると思っている、ただ単純にそう思っている。

 そんなことは、世間一般にも当たり前のことである。死んでしまえば全ての生命活動は停止し、終わりを迎えるのだから。

 

 けれども、そんな一般の考えと―――少年の死に対する意識は明らかに違っていた。

 

 少年の終わりというのは、生きている周りの人間の気持ちについても反映される。終わるということは文字通り、後に続かないということである。そしてそれは、誰かが引きずるものではない、死んだ人に対して悲しんだり、辛い思いをしたりするのは間違っている。少年は、そう思っていた。

 死ぬ前に苦しんでいる姿を見ていて、可哀想というのはまだ分かる。それは、まだ相手に伝わる、意味のある言葉になる。

 しかし、死んだ人は死んでしまっていて何か反応をくれるわけではないし、死んだ人がどうにかなるわけではない。

 少年は、死んだ人に対して何かをしたり、思ったりするマスコミの報道に疑問を抱えていた。

 

 

「生きている人は死んだ人をただ覚えていてあげればいいだけなのに、よく分からないや。まぁ、どっちでもいいけどさ」

 

 

 少年は、何も死んだ人のことを考えるのは無駄だから全て忘れてしまえと思っているわけではない、全てを忘れてしまうというのはあまりにも死んだ人が可哀想である。

 死んだ人が生きている人に対して望むことは―――生きていたことを覚えていて欲しいということである。

 少年は、両親からそう教えてこられた。悲しむことでも、憂うことでも、涙を流すことでもない、覚えてあげることだと。

 

 

「僕は、絶対に忘れないよ。母さん、父さん、僕は絶対に忘れない」

 

 

 両親の言葉は、少年の心に深く刻み込まれていた。

 少年は、死んだ人にできることは覚えてあげること以外にないと思っている。

 存在がそこに在ったことを覚えていてあげること、それが一番大事なことだと思っている。

 それこそが死んだ人の生きていた証になると思っていた。

 

 

 

 

「そういえば、犯人はどうやって死んだんだろう……まだ情報が出回ってないのかな」

 

 

 少年は、思考の流れるままに両親と同じ死んだ人である先程情報が流れて行ってしまった犯人のことを想う。

 

 犯人には、覚えてくれるだけの誰かがいたのだろうか。

 

 少年が犯人の死因について報道されていないと思っているのは、少年が単に聞き逃したせいかもしれない。少年はずっとテレビを点けていたわけではないのだから、報道されていないかどうかは実のところ不明である。

 

 少年は、犯人のことについて知りたいことがあった。

 

 それは、少年が口にしているように犯人がどうやって死んだのか―――ということではない。そんなことは、本当はどうでもいい。死んでしまった過程を知ることに価値などない。考えたところで犯人が死んだという結果は何も変わらないからだ。

 少年にとって本当に大事な部分はそこではなかった。

 

 

「誰か犯人のことを覚えていてくれる人は……いないのかな」

 

 

 少年は、犯人の身近な人間について考えていた。犯人には家族がいたのだろうか、友人はいたのだろうか、覚えてくれるだけの誰かはいたのだろうか。

 もしもいなかった場合、少年が犯人のことを覚えてあげる必要がある。なぜならば、この報道を聞いている人はきっと一カ月も経てば犯人のことを忘れてしまうから、少年以外に覚えてあげられる人物がいないからである。

 

 

「僕が、覚えてあげなきゃいけないのかな」

 

 

 普通であれば、襲われたことで覚えることになるはずの少年の家族は死んでしまっている。少年が覚えておいてあげなければ犯人の存在は、時間の経過とともに消えてなくなってしまう。

 少年は、それはあまりにも可哀想だと思った。

 しかし、いくら経っても、いくら待ってもテレビからは警察官のことばかりで犯人の情報が流れてこなかった。

 

 

「はぁ……」

 

 

 少年は、大きなため息と共にリモコンを手に取ると、指先に力を入れてボタンを押し、テレビの電源を落とした。いくら待っても送られてこない状況に、意味のない情報の流入に、テレビから情報を得ることを諦めて別の方法で情報を得ることを考えたのである。

 テレビに頼らずとも、情報を手に入れる術は山のようにある。特段テレビにこだわる必要性はない。

 

 

「また、どこかで会うだろう」

 

 

 テレビが消えたことで病室の中からは、一気に音という音が消えていく。

 テレビを消しただけなのに、部屋の中に音がなくなった。外からの音も、廊下からの音も全く聞こえなくなった。

 音の無くなった静寂の病室という空間にいるのは、少年だけである。

 

 

 少年は、音が消えたことを気にする様子もなく、天井を見上げていた。

 天井は白く、空は見えなかった。

 

 

 少年は、これからどうしようか考えを巡らせる。明日を生きていくため、普通に生活するためにはどうしたらいいのだろうかと思考していた。

 両親が死んでしまった今、少年は他の人間を頼る他ない状況に立たされている。親戚に身を寄せるのか、施設にお世話になるのか、将来について考えなければならないことは山ほどあった。

 

 

「結局、これもどっちを選んでも一緒なんだろうな。例えどちらを選んでも、どっちでもいい」

 

 

 少年がそう呟いた瞬間、静かな空間に支配された病室に―――音が入り込む。

 意味不明な、不可解な音がする。音のない部屋に音が入り込んでいる。

 少年は、一瞬にして何が起こったのか理解した。

 

 

 ―――あの女性がやってきたのである。

 

 

 

 

「あなたの口癖なのかしら。その、‘どっちでもいい’っていうの」

 

 

 少年の想像は、当然のように的中した―――間違える要素など何もなかった。

 少年は、視界の中に昨日見た異物を捉える。

 病室の静けさを打ち破ったのは、昨日出会った女性だった。間違いなく、登下校の最中に出会った女性である、少年の異常を見抜いた女性である。

 女性は、またしても気持ち悪い空間から上半身を乗り出してやってきている。

 よくよく考えてみれば、女性が少年にくっついてきているのは当たり前のことだった。女性は、昨日の午前中から午後の間、帰宅の途中まで少年にくっ付いて来ていた。それが次の日になったから、日付が変わったからといって付いてきていないというのは考えにくい。きっと今になっても監視は続いている、継続されている、そう考えるのが普通だった。

 ただ、さすがに昨日の今日でやって来るとは思ってもいなかった。猶予となる時間があると、勝手に想像していた。これほど早く、接触してくるとは思ってもみなかった。

 

 

(もう、完全に終わってしまったな……連続で異常が日常に入り込み始めた)

 

 

 少年は、今日という日に女性に会いたくなかった。少年にとって今日という日は、特別な意味を持つ日だったのである。

 少年は、この女性のことを2日連続で見かけることになった。連日見かけるというのは、今までで初めてのことである。

 これで、少年の生活の中に異常が連続して続いたことになる。連続して続くということは、異常は日常に変わるきっかけを得たということだ。

 異常は、日常への転換期を迎えつつあった。

 

 

「どうとでも思ってくれればいいよ」

 

「そう、じゃあ勝手に想像しておくわ」

 

 

 少年は、興味なさ気に女性に応え、口を動かしながら右手をゆっくりと伸ばし、何とかして女性を追い出すことができないかと画策した。

 ここは、都合のいいことに病室である。病室には、患者の容体の急変に対処するためにナースコールが必ず備わっている。

 少年は、女性を追い出すためにナースコールを押そうと右腕を動かした。

 

 

「無駄よ」

 

 

 女性は、少年の手の動きを見逃さなかった。

 しかし、言葉に反して少年の行動を物理的に止めることはない。

 少年は、ナースコールを手に持った状態で女性を見つめる。

 女性は、自信満々な表情でナースコールを押す構えを見せている少年に向けて告げた。

 

 

「この空間は、完全に隔離しているわ」

 

「音が全部なくなったのは、お前のせいかよ」

 

「ふふん」

 

 

 少年は、先ほど病室の中の音が全て消えたことを思い出す。テレビが消えただけなのに、窓の外からの音や廊下を歩く人の足音などが全て消え去ったことを思い出した。

 少年は、女性の言葉から静かな空間を作り出した原因が目の前の女性であることを察する。そして案の定、女性は少年の言葉に対して顔だけで自分が犯人だと答えた。

 少年は、女性の表情を見て自分が嵌められたことを自覚した。

 女性は、最初から準備をしてこの病室にやって来たのだ。きっと少年がこの一人部屋に入っているのも、最初から決まっていたことだったのである。

 

 

「本当に、鳴らないんだ……」

 

 

 少年は、無駄だということを分かっていながら、伸ばした右手を引くことができず、ナースコールを駄目もとで押してみた。

 だが、ボタンを押すことによる反応は何一つ確認できなかった。音が鳴ることもなければ、ランプが点くこともない。

 女性の言っていることは、まぎれもない事実だった。

 ナースコールを握った少年の手は重力に負けて落ち、小さな衝撃音とともにベッドの上に落ちこんだ。

 少年は、異常が日常に侵食するのを認めるのが嫌だった。まだ、普通のままでいたかった。少年は明らかに嫌そうな顔で女性を一度見て、視線をすぐに外す。そして、下を向きながら重くなった口を開いた。

 

 

「なんで、こうなったんだろ……」

 

「そんなに嫌そうな顔しないでよ」

 

 

 女性は、少年の露骨な嫌悪の示し方に不満げに言った。

 しかし、それでも少年は一切表情を変える様子を見せなかった。

 

 

「しょうがない子ねぇ」

 

 

 女性は、頑なな少年の態度に提言する。

 

 

「もっと愛想良くできないのかしら? こう、にこっと笑えないの?」

 

「絶対に嫌、しないからね」

 

 

 女性は、少年の様子に少しばかりの驚きを感じていた。

 少年の様子は、あまりに‘普通すぎて’異質に見えるのだ。

 

 

「別にいいじゃない、減るものじゃないし。やろうと思えばできるのでしょう?」

 

「なんで俺があんたに笑顔を振りまかなきゃいけないの?」

 

「私の気が楽になるからに決まっているじゃない。不満げな顔ばかり見ているとこっちも気分が悪くなるわ」

 

 

 女性が普通に見える少年のことが異質に見えるのも仕方がないことだった。

 

 なぜならば、少年は昨日両親を失っているのだから。

 

 女性は少年に会う前、少年の心が壊れているかもしれないと予測を立てていた。

 少年は、昨日のうちにあまりに大きなものを失っている。昨日という一日の間に両親と普通の生活を失ったのだ。女性は少なくとも少年は酷く混乱している、平静を保っていないと考えていた。

 しかし、現実に少年は守ってきたものが一気に無くなってしまっても壊れていない上に動揺している様子も見せていない。

 女性は、少年のごく普通な反応に話ができるという安心と、余りに異質な少年の様子に気味の悪さを感じていた。

 少年は、どうでもいいことを話している女性に対して大きなため息を吐いた。

 

 

「はぁ……」

 

「さてと……」

 

 

 女性は、ゆったりと黒い空間の中から体を出す。女性の全身が世界の中に介入した。少年は、ここで初めて女性の全身像を視認することになった。

 女性は、病室に備えつけられている椅子を手に持つ。椅子は軽々と浮き、少年の寝ているベッドの傍に置かれた。

 

 

「さぁ、昨日の続きといきましょうか」

 

 

 女性は、少年と真剣に話をするつもりだった。

 実際、女性は昨日とは違い、空間から上半身だけを出している中途半端な状態でいるということはない。全身を黒い空間から出し、少年に見せつけるように椅子に座っている。

 少年と女性の距離は1メートル程度で、二人の間を隔てるものは何もなく、逃げることも助けを呼ぶこともできない環境下で、二人は相対していた。

 少年は、半目の状態で側に座った女性を見つめる。少年の頭の中には、この女性のせいで全部が無くなってしまったのだろうかという責任転換にも思える考えが巡っていた。

 だが、そんなものはただのあてつけでしかない。少年は、無駄なことを考えているなという自覚と共に酷い虚無感に襲われていた。

 

 

「何かしら? もしかして私に見惚れているの?」

 

「はぁ、なんだか気分が悪いや。なんでなんだろうな、俺の日常何処に行ったんだろうな。ずっと我慢して、ずっと努力して維持してきたのに……」

 

 

 女性はニタニタとした笑顔で、胡散臭い表情で少年を見つめ、少年はそんな女性を見ながら不満そうに呟いた。

 女性は嫌そうにしないでと言っているが、少年は真面目に女性と話をするのが嫌で仕方がなかった。

 女性との話は、きっと少年にとって良くない話だ。女性は、明らかに少年の守ってきた普通というものを突き崩しにかかっている。少年は、できるものであればこの場から逃げたかった。

 しかし、少年に逃げ道は存在しない。もう、変わってしまっているのである。立場も、環境も、周りも、変わっていない少年の周りで変化が起きてしまっている。

 変わってしまったものを戻すのは、容易なことではない。特に変わってしまった原因を取り除くことが困難なこの状況では、打開することは不可能なことだった。

 

 

「はぁ……」

 

 

 少年は、逃げられない状況に3度目のため息をついた。

 

 

「それもどうでもいいってことなんだろうな。きっとどっちでもいいんだ。それもどっちでもいい」

 

「やっぱりその‘どっちでもいい’は口癖なわけね」

 

 

 少年の言い方は、酷く投げやりに聞こえた。全てを投げ出してしまうような、諦めてしまうような、終わりに向かっているように聞こえた。やはり、表情や言葉には出さないものの辛い気持ちになっているのではないだろうか。女性は、そんな想像して気分を落としている少年を茶化すように告げた。

 少年は、女性の疑問に対して到底応える気分にはならなかった。気持ちを切り替えるために、一度目を閉じ、僅かな間を作る。

 後ろに下がれない状況ならば前に進むしかない、腹をくくるしかないのだ、今まで守ってきたものを捨て去る覚悟をもって前に進む決意をしなければならないのである。

 少年は、ゆっくりと閉じた目を開ける。視界の中心には、女性の姿があった。

 

 

「そんな目もできるのね」

 

「どうでもいい話はよせよ」

 

 

 女性は、少年の表情に目を見張る。今の少年からは、強い意志が感じられた。

 女性は、少年と腹を割った話ができると期待する。

 少年は、すぐさま会話の本題に入ろうとしている。表情を変えて、気持ちを切り替えて前に踏み込もうとしている。

 女性は、相変わらずの笑顔を作ったままであり、内心で少年の気持ちの強さに感嘆しながらも、それを表現することはなかった。

 

 

「何しに来たんだ? どうでもいいことを話しに来たわけじゃないんだろ?」

 

 

 少年は会話の口火を切り、作られた笑顔を張りつけている女性を突き崩しにかかる。

 

 少年は、これから話される内容がとても大事な、重要性の高い話であると感じ取っていた。

 女性の話したい内容は、作られた表情でできる会話ではない。嘘を張り付けていても何も進まない。

 まさか、この場で世間話をしに来たわけではないだろう。ここまでの環境を用意しておいて、何もないということはあり得ない。女性がただの世間話をしに来たわけではないということは、昨日の話から容易に判断できる。

 女性の話は、いつだって世間離れしていて、決して逃れることができないものである。女性が今話そうとしている内容は、世間話で話を後ろに伸ばしても結局最後には、話さなければならないことなのだ。

 

 少年は、上辺だけの会話をすることが時間の無駄になると思っていた。女性も少年と同様に上面の会話を時間の無駄だと思っていたのか、軽々と少年の流れに乗った。

 

 

「そうね、口癖の話なんて‘どっちでもいい’わ。本題に入りましょう」

 

 

 女性の表情は、先程の少年を茶化していた時と比べてしっかりとしたものになる。先程のふざけたような態度ではない。

 対して、少年の顔は変わらない、相変わらずの無表情に近い真面目な顔だった。少年は、完全に気持ちを切り替えて、女性と相対していた。

 女性は、嘘は許さないといった雰囲気で真っ直ぐな視線を少年へと向ける。少年も、それに応えるように女性と視線を合わせた。

 

 

「私が聞きたいのは、昨日のことよ」

 

 

 女性は少年と話をするべく、口火を切った。

 




世界が変わって
様変わりする現実があって
夢のような事実があった。
それでも―――曲げちゃいけないものがあった。
だから―――変わらなきゃいけなかった。

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