それぞれの部屋に散った3人は、暫くして居間に集合する。そして、3人が揃ったところで皆が自分の役割を理解しているように、特に言葉を交わすこともなくそれぞれが行動を開始した。
「では、料理を始めますね」
「僕も手伝うよ」
「期待しているわよ」
集まった三人は、それぞれに動き始めた。
藍は、これから食べるための昼食の準備を。
少年は、料理を作っている藍の手伝いを。
紫は、テーブルの傍の椅子に座り料理の完成を待っていた。
「和友は、料理ができるのか? かなり手馴れているようだが」
「いつもやっていたからね」
藍は、料理の手伝いに入った少年の慣れた手つきに驚いた。
少年の手は、流れるように動いている。いつもやっていたというのは、伊達ではないようである。
少年には、両親と一緒に料理をする習慣があった。それに、人里で藍と食材を買ったときに昼食に何を作るのかを聞いていたため、次に何をするのか理解しているようで手際良く藍の料理の補助をしていた。
少年は、皮の剥き終わったじゃがいもをまな板の上に置くと、藍に向けて質問を投げかける。
「ジャガイモの大きさって、いつもどのぐらいの大きさで切っているの?」
「ジャガイモは気持ち小さめに切ってくれ。それでちょうどいい大きさになるからな」
「了解したよ」
少年は、藍の言葉に理解を示し、藍の要望通りの大きさにじゃがいもを刻む。
気持ち小さめというのがどのくらいなのか具体的に判断できない少年ではあるが、普通の大きさがどの程度か判断できれば、それで十分である。いつも見ている普通より小さく見えるように切ればいいのだから。
藍と少年の二人は、せわしなく動いて料理を作る。二人の料理をする光景は、初めて一緒に作っているとは到底思えない光景だった。
「…………」
紫は、二人の作業している風景をテーブルから眺めている、不自然なぐらい凝視している。紫の瞳は微動だにせず、少年を静かに見定めていた。
「何か気になるの?」
「別になんでもないわ。ただ、微笑ましいなと思って見ていただけよ」
紫は、料理をする少年の姿に私生活の一部を垣間見たような気がした。これだけ料理をするのが手慣れているということは、普段から両親と共に料理を作っていたことを容易に想像させる。
だとすれば、今の藍の場所にいたのはきっと母親である。実際に、隣にいる藍と手伝っている少年は、はたから見ていると仲の良い親子のように見える。見た目が全然違うということを考慮しても、雰囲気がそう見えるのである。
今、少年はどんな気持ちで料理を手伝っているのだろうか。両親が死んでまだ2日目の今―――何を考えているのだろうか、何を想っているのだろうか。
紫は、少年の心境を察する。
少年は、そんな紫の心境を理解しているわけもなく、紫の褒め言葉に表情を緩め、恥ずかしそうに言った。
「僕の家ではごく普通のことだったんだけどね。親の手伝いってさ」
「いい心掛けだと思うわ」
紫は、一言少年を褒め称えた後、少年に気を遣うように言葉を投げかける。
「でも、ここでは藍が料理を作ってくれる。さっきは期待しているなんて言ったけど、和友は座って待っていてもいいと思うわよ」
藍の立場が本来少年の母親のものだというのならば、少年の心に大きな負担をかけることになるだろう。一緒に料理をすることで、嫌がおうにも両親が死んだことを思い出してしまう。
少年が両親を失ったのは、つい一昨日のことなのだ。藍と一緒に料理をすることは、少年に母親の影を想起させる原因になりうる。失った穴の存在を深く知ることになる。
人は、失ってから知るのだ。そのものの価値を、そのものの大きさを。失ってから知るのである。
変化が無ければ気づかない。
それは、空気が無くなるまで空気の存在に気付かないように、当たり前となってしまっているから。それは、無くなる前の当たり前が存在の大きさを隠しているからに他ならない。
隠された存在は、失って初めて存在感を見せつけはじめる。取り戻したくなる、取り戻せないものを取り戻したくなる。
だが、残念なのか、僥倖なのか、能力の練習をしっかりしなければならない少年は、他のことにかまけている時間もなければ、両親の死を引きずっている時間もない。心の負担になるようなことも極力させない方が良いのだ。目的の達成のためには、足かせはできるだけ無い方がいい。
紫は、昨日の今日で能力の練習以外のことを少年にやらせようとするのは、酷な事のように思えてしかたがなかった。だから、料理をする必要はないと提案をした。
しかし、少年は紫の言葉に従わなかった。
「ありがとう。でも、ここにいる間は手伝わないわけにはいかないよ」
「どうして? 私たちは別に気にしないわよ?」
「気持ちの問題なんだとは思うんだけど……どうしてもやらないと気が済まないんだ」
少年は、心の内に秘めた切実な気持ちを漏らし、何もしないということができない旨を紫と藍に伝えた。
「僕、ここだと居候の身なんだし、できることはやらないとね。何もやらないままでいたら、迷惑ばっかりかけているみたいで嫌なんだ」
少年は、紫や藍におんぶにだっこの状態でいるのが嫌だった。
少年にできることは、貰った恩をできるだけ返すこと、借りているものをできるだけ返すことである。
貰ったものは、預かったものは全て返さないといけない、少年からはそんな強い意志が感じられた。
「別に返さなくてもいいのよ? 私達はお金に困っているというわけでもないし、あなたを助けているのも私達が勝手にやっていることなのだから」
「そうですよね。これは、私たちがしたくてやっていることなのだから和友が気にする必要はないぞ」
紫は、少年の背負っているものに気付き、少しでも下ろしてあげようと優しい言葉を投げかけた。人里において藍が少年にかけた言葉と同様の言葉を少年へと送った。
藍は、紫の言葉を聞いてやはり紫が少年に対して恩を着せようとは思っていなかったのだと知り、同調するように言葉を重ねた。
だが―――少年を気遣うような二人の言葉は少年には届かない。
「いや、絶対に返すよ。絶対に、絶対にね」
少年は、紫の好意を切り捨てるようにはっきりと告げる。動かしていた腕を止めて、視線を紫に向けて、言葉をかみしめるように紡ぎ出した。
「僕、両親が死んで分かったんだよ。嫌になるぐらい分かった。やっぱりこういうものって、忘れられないものなんだよ……忘れちゃいけないものなんだ……」
少年から零れ落ちる言葉は―――失って気付いたこと。
無くして―――初めて分かったこと。
一番の頼り所だった、止まり木だった両親を失って初めて気付いたことだった。
(和友……泣いているのか?)
藍には、少年が泣いているように見えた。少年の周りの雰囲気が、空気が変わっている。少年の周りには、重い空気が立ちこめている。
少年は、震える声を出して必死に想いを吐き出した。
「もしも、貰ったものを何も返せずに僕の世界に帰ることになったら気持ちを引きずるじゃないか。何も返せていないことが、僕の心の中にずっと残ってしまうじゃないか」
少年は、よく分かってしまった。
何も返すことができない虚しさを知ってしまった。
「貰ったもの、借りたものは全部返さないと引きずったまま前に進めなくなる。これまで貰ったのが、僕の気持ちを重くする。足が重くて前に進まなくなる。後ろが気になって仕方がなくなるんだよ……その重さが僕の足かせになるんだ」
少年は、親からたくさんのものを貰った。
貰って、貰って、貰っただけだった。
これっぽっちも返せていなかった。
本来であればするはずの親孝行なんてまだ何もしていない。
何も返すことができていない。
そして―――返したいという想いは二度と叶うことはなくなってしまった。両親へと返すことができなくなった。
何も両親へと返せていない。両親から貰ったものを何も返せていない。
悲しむということを禁じられている少年は、両親のことを確実に引きずっている。
忘れなければいいと豪語していた少年は、二人の前で素直な気持ちを吐露した。
「それは、ものすごく苦しいことだから……」
紫は、少年の予想外に重い雰囲気に気圧されそうになった。
少年の言葉からは、どこか経験を経ているような重みを感じる。
過去に何かあったのだろうか。取り返しがつかなくなるようなことが、大切なことを忘れてしまったようなことが―――あったのだろうか?
「そうね……その通りだわ。外の世界には、あなたの帰るべき家があるものね」
紫は、重くなった雰囲気を変えようと声を発した。これ以上、空気が重くなるのを避けるようにして話を前に進ませようとした。
少年には、まだ帰ることのできる家が待っていてくれている。それは、紫が確認した通りである。しっかりと地面に立って、どこか寂しそうに家族の帰りを待っている家が外の世界には存在している。少年には、帰ることのできる場所があるのである。
紫は、少年が能力の制御を可能とした場合、過去に藍へと提示したいずれの選択肢を取ってもかまわないと思っていた。家が待っている外の世界に帰るもよし、幻想郷に住むもよし、どちらにしても支えてあげようと思っていた。
「でも、ここに永久就職してもいいのよ? 無理して帰る必要もないわ。私は、ここに残ってくれても別にかまわないと思っているから。貴方の好きにしなさい」
「…………すぅ、はぁ……」
少年は、紫の言葉に大きく息を吸う。何かを飲み込むように、気持ちを落ち着けるように一度大きく息を吐き、言葉を口にした。
「藍にも言われたんだけど、まだ決心がつかないんだ」
少年は、ここに残ればいいという紫の提案への答えをはぐらかした。少年には、どれだけ藍と紫がいいと言っても、このまま幻想郷に住むことを簡単に決めることができなかった。
「ここですぐに決めちゃったら、きっと……後悔する……」
幻想郷で生きるということは、少年にとって大きなことである。
幻想郷で過ごすということは、外の世界で作った今までの思い出を全て置き去りにしなければならないということ。向こうの世界でお世話になった人物に対して何もせずに、消えるということである。
それこそ、返すべきものを返せていないということに繋がってしまう。
紫も幻想郷に住むということの重大性については把握していた。
だからこそ、少年に全てを託そうと選択権を
「まぁ、答えを急ぐ必要は無いわ。まだまだ先があるのだからね」
「そうですね。和友はまだ子供です。これから先があります」
紫と藍は、少年の未来について楽観視していた。
少年は、まだ中学生になったばかりなのである。まだ少年と言える年代の人間で、これから先の未来がある。いくらでも取り返しが利くだろうと気楽に思っていた。
「その先が来るまでには決めないとね。僕、死ぬまで悩んでいるかもしれないし……」
「そうなったら、ここにお墓を立ててあげるわよ。それまでここにいなさい」
「その時は、お願いするよ」
紫は不安そうに言った少年にふざけるようにして言い、少年は紫の優しさに笑顔を作り、泣きそうな声で一言呟いた。
場には―――暫しの静寂が訪れた。
藍と少年は、少し気まずくなった空気の中で調理を再開する。紫も先程と同様に藍と少年の様子を観察する。
気まずい空気は、わりとすぐに流れた。
少年は隣にいる藍へと話しかけ、藍は少年の言葉に反応し、返事を返す。少年の表情は、先ほどまでの暗い表情ではなく、明るい表情になっていた。
藍は、少年の笑顔につられるようにして笑みを浮かべる。二人の様子を見ていた紫は、二人の表情につられて微笑んだ。
藍と少年は、談話をしながら調理を進める。
紫は、時折少年と藍の会話に交じりながら二人の様子を眺めていた。少年はしゃべっている時も、腕を止めず動かし続けている。藍も、会話しながらも自然な流れで作業を進めていた。
紫は、手際良く作業する少年の姿に再び疑問を抱いた。先程は、少年の未来の話になってしまったために口にできなかった疑問である。
少年は、誰かの隣で手伝っている姿が非常に様になっている。一人で調理している姿も想像できるにはできるのだが、あまり似合っているとは言えない。あくまでも、サブであり主役にはなれない。誰かがいてこそ、少年の存在が際立っているように思う。それが一番いい位置であるような、その場所に適しているような雰囲気をかもし出している。
紫は、少年が話しながら料理することに慣れていることを不思議に思い、尋ねた。
「和友は、さっき藍からも質問があったと思うけど料理が得意なのかしら? でも、主体となって料理をやっているという感じでもないわよね?」
「すごい、よく分かるね。さっきも言ったんだけど、毎日のように親の手伝いをやっていたからね。僕がメインで作ることはなかったけど、料理することに慣れているといえば慣れているのかな?」
少年は、言葉を発し終わると紫と藍を交互に見つめる。
紫と藍は、少年の視線の動きに疑問符を浮かべた。
「どうした?」
「どうしたの?」
少年は―――はっきりと思い出すことができた。
「うん、ちょうどこんな感じだよ。隣に母親がいて、紫のいる位置から父親が話しかけてくる。僕の家庭での料理の風景は、まさしくこんな感じだった。だから、慣れているんだと思う」
「そうだったの……」
紫は、少年の両親の話を出してしまったことにしまったと思い、少しばかり悪い気がした。
先程も考えたことではあるが、少年の両親が亡くなってからまだ2日しか経っていない。少年の傷は未だ癒えていないだろう。例え、両親が死んではいけないという決まりはないのだからと言った少年であっても、先程の暗い雰囲気の会話から苦しんでいることは分かった。
紫は、両親を失ったことによって少年が負った苦しみを想像し、表情を暗くした。
少年は、表情を暗くした紫に対して気を遣わないでほしいと告げる。
「両親のことは気にしないでよ。別に死んで悲しいわけじゃないんだから。ただ、置いてかれちゃったなと思ってちょっとだけ辛いんだ。別に……思い出すことが苦しいわけじゃないよ……」
「そう……和友がそう言うのなら、もう気にしないわ」
紫は、少年の親について気にするのを止めた。少年が気にするなと言っている以上、気にしても仕方がない。
紫は、少年の言葉を聞いて、自分と少年の間にある遠慮というものが一つ取り払われたような、壁が一つなくなったような気がした。紫の中に存在していた少年の両親に対する同情を捨て去ったことによって、立っている位置が少しだけ少年に近くなったように感じていた。
「ふぅ……」
「終わったね、お疲れ様でした」
「ああ、お疲れ様」
藍は、大きく息を吐く。料理が終わりを迎えて調理器具がカランと金属音を立てた。
少年は、藍と同様に肩に入っていた力を抜いて手を洗い始める。
「はい、紫様。できましたよ」
「今日の料理もおいしそうね」
紫は、藍の終わりの言葉に反応してスキマを開き、覗き込んだ。
いつも通りのおいしそうな出来栄えである。藍の料理のスキルはそこそこに高い。ものすごく高いかといわれれば、比較対象がいないため断言することはできないが、平均しておいしいといえる水準である。
少年は、藍が作った料理を運び始め、紫の待っているテーブルの上に料理を運ぶ。藍も少年に追随するようにテーブルに食器を並べ始めた。
少年は、ある程度料理を運び終えると、紫に向かって告げる。
「紫、先に食べちゃ駄目だからね」
「わ、分かっているわよ! 先に食べたりなんてしないわ!」
「そっか、なら良かった」
紫は、少年からそんなことを言われるなんて予想しておらず、慌てた様子で言った。
「…………」
藍と少年が協力している光景が目に入る。慣れた様子で、楽しげに、時間を共有している。
紫は、自分一人が待っているだけという状況に罪悪感を覚え始めていた。
紫は、料理を運ぶぐらいは手伝おうとスキマを開いて料理を掴み、テーブルの上に乗せる。少年は、瞬間移動するような皿の挙動に驚きの声を上げた。
「うわっ! そんなこともできるんだ」
「どう? 私の能力は汎用性が高いのよ。なんでもできるわ」
「ふふっ、慣れないことをして皿を落とさないでくださいね」
紫は少年の驚く様子に自慢げに口を開き、藍は普段絶対しないことをしている紫の行動に微笑んだ。
少年が来たことでいい雰囲気が生まれている。みんなが同じ雰囲気の中、生き生きしているのが分かる。
藍は、これから上手く生活していきそうだと安堵と期待を込めて表情に映す。
3人は、全ての料理がテーブル上に揃うと、視線を合わせて手を合わせて同時に声を上げた。
「「「いただきます」」」
それぞれが箸を持って、料理を口に運ぶ。
「うん、美味しい!」
少年は、料理を口に入れて飲み込むと表情を変えて、すぐさま声を発した。いつも通りの満面の笑顔を浮かべて素直な気持ちを表現した。
これからの生活が賑やかになる。そんな空気を生み出しながら会話の口火がここから切られた。