ぶれない台風と共に歩く   作:テフロン

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違和感、妖精の変化

 周りに視線を向けてみれば、人里から外に出るための門はもうすぐそこまで来ていた。

 少年と藍は、お互いに顔を見合わせて苦笑すると門の外に出た。

 紫のことについては考えることを止めた。考えるだけ徒労である。なんでもできそうな紫のことを考えても、思考は一向にまとまらない。

 二人は、無駄になりそうな考えを捨てて、もともと人里に来た目的―――買うべきものを買い揃えて人里の門の外に出た。 

 門の中―――人里の内側はたくさんの人がいて賑わっていたが、外には建物も何も無く、人もほとんどいない。人里に来てから数時間の時間が過ぎているにもかかわらず、何も変わり映えしていなかった。門の外には、来た時と同じ閑散とした光景が広がっていた。

 

 

「ひとたび門を出てしまうと、随分と閑散としているよね」

 

「安全が保障されていないからな。人間は、命が危うい場所で何かできるほど恐怖に強い生き物じゃない」

 

「まぁ、そうだよね。命が脅かされているのに、それでも他に何かしたいと思う人間なんて普通はいない。居るのは守衛の人だけだし……そういう仕事でもやってない限りは、外に出たくないんだろうね」

 

「そうだな……外に出て何かしようという人物がいないことはないのだが、護衛をつけるか、安全を保障できなければ外へと出ようとする者はほとんどいないな」

 

 

 門の外には全く人がいないというわけではないのだが、あくまで守衛だけであり、門を守っている人がいるだけだった。

 人が人里の外に出る理由は、お参りに行ったり、妖怪対策のためのお札を買いに行ったり、山へと山菜取りに行ったり、様々あるにはある。

 しかし、よほどの理由がないと外に出たりしない。出る目的を達成することよりも、外へと出る危険の方が圧倒的に大きいからである。出る場合は護衛をつける、大人数で出かけるという方法を取って安全を確保していることがほとんどだった。

 

 

「さて、買う物は買ったことだし、そろそろ帰るぞ。忘れ物は無いよな?」

 

「そうだね。必要な物はこれだけだったはずだよ」

 

 

 二人は、そんな誰もいない人里の外へと出たところで立ち止まり、買い忘れがないのかの確認を取り始めた。

 買い忘れが無いかの確認というのは、買い終わった直後にやっておく必要があることである。こういった忘れ物というのは、総じて手間がかかり面倒になるような時に思い出すものだからだ。

 買い物であれば、家に着いてから思い出すということが多い。家に帰ってからあれを買うのを忘れたと気付く人は多いだろう。家に帰る前にしっかりと考えておけば、余計な労力をかけずに済む。

 

 

「一応、確認するぞ」

 

 

 藍は、買い忘れがないかの確認をするために、もぞもぞと体を動かす。その姿は、誰が見ても窮屈そうで非常に苦しそうに見えた。

 藍は、先程買った食料、さらに大量の布を抱えている。明らかに買い忘れを探すことのできる状態ではなかった。

 少年は、藍とは違ってノートだけしか持っておらず余力があったため、藍の荷物を持とうと近づき左手を差し出す。

 

 

「何か持とうか?」

 

「……気づかいは嬉しいが、大丈夫だよ」

 

 

 藍は、そっと差し出された左手を見ると少年の親切からの提案を断った。そして、両脇に持っている物を一度かき分け、忘れ物が無いか確認をし始める。買った物といえば、布生地、食料だけではあるが、念のためである。

 藍は、上手く荷物を持って一つ一つ確認する。藍の持ち方は、片腕に生地を抱え込み、もう片方に袋を持っているという形である。布生地の体積が大きく、どうしても不格好な形での確認となっており、体の重心は明らかに傾いているように見える。

 だが、それでもバランスを崩すようなことはなく、軽々と持っているように見えるのは妖怪だからということなのだろう。

 

 

「…………」

 

 

 少年は、ただただ忘れ物が無いか確認する藍を見つめていた。断られた手前、何もすることがなかった。

 藍は、片手にノートだけしかもっておらず、十分何かを持つことはできた少年に対して決して荷物を持たせようとはしなかった。それは、少年が差し出した手に包帯が蒔かれていたためである。

 藍は、人里で買い物を終え、帰ろうとするまで少年が怪我をしている状態であることを忘れていた。持とうかと言われて少年が左手を差し出すまで気付きもしなかった。

 少年は、昨日の事件で左手を怪我している。少年も左手が痛くないはずは無いのだが、その性格故なのか、人里を回っている途中に痛いとは一言も言わず、表情にも出さなかった。

 藍は、何も少年のことが見えていなかったと告げられているようで、酷く悪いような気がしていた。

 

 

「よし、これで全部だな」

 

 

 藍は、買った物に一通り目を配ると、全ての物を元通りの状態に戻した。

 藍が調べた様子では、買い忘れたものは一つもない。忘れ物がないか確認したことで、気兼ねなくマヨヒガに帰ることができるようになった。

 

 

「大丈夫だ」

 

「よかった」

 

 

 少年は、藍の言葉を聞いて笑顔を浮かべる。忘れ物があれば、再び人里に戻る必要があるため、面倒にならなくてよかったと安堵した。

 もう後にやることは、マヨヒガへと帰ることだけである。

 少年は、笑顔のまま両足を動かし、もともと近かった藍との距離をさらに縮める。少年は飛ぶことができないため、人里へ来た時のように藍に乗せてもらってマヨヒガへと運んでもらう必要があった。

 

 

「藍、よろしくお願いね」

 

「ああ」

 

 

 少年は、藍の背中に乗ろうと試みる。

 人里へと来た時の状況と違うのは、藍の両手には荷物が握られており少年を載せられる体勢ではないということである。少年が乗ろうとしなければ、藍の背中に乗れない状況だった。

 藍は、少年を迎え入れるために、目の前で膝を折りしゃがむ。

 

 

「さぁ、いつでもいいぞ」

 

「それじゃあ乗るね」

 

 

 少年は、人里に来た時と同じように藍の背中に乗ろうと藍の尻尾を両手で軽くどかして尻尾の上に乗り、背中にくっついた。

 藍は、両手が上手く使えない代わりに、尻尾を上手く使って少年を安定させる。藍の背中に寄りかかるように、少年の体が密着した。

 藍は、少年の体が藍の背中にくっつくと同時に背中から少年の熱と鼓動を感じとった。そして、少年が背中に確実に乗ったのを感じ取ると膝を伸ばし、離陸体勢を取った。

 

 

「よいしょっと」

 

「おおっと……」

 

「大丈夫か?」

 

「大丈夫だよ。ちょっと揺れたからバランス崩しそうになっただけ」

 

「和友、しっかり捕まっていろよ。荷物を抱えているとなると、落ちたときに拾えるか保証はできないからな」

 

「分かった、しっかり捕まっておくよ」

 

 

 少年の藍に抱き付く力がほんのり強くなる。藍の体には少しだけ体に力が入り、背筋が伸びた。心なしか表情も赤く染まっている。

 藍はできるだけ平常を装い、少年に向けて言った。

 

 

「そうしてくれ、くれぐれも落ちないようにな。危なくなったら言うように」

 

「了解です」

 

「マヨヒガは……あっちだな」

 

 

 藍は、マヨヒガから人里へ来たときのように人里からマヨヒガへと帰ろうと、我が家へと帰ろうとした。今度こそ、帰宅である。

 しかし、我が家への帰還を邪魔するように―――少年の後ろから甲高い声が響いた。それは、藍が今まで聞いたことのない声だった。

 

 

「帰る。帰る、帰る~」

 

「誰の声だ?」

 

 

 声は、後方から聞こえてきた。先程も言ったが、人里の外には殆ど人がいない。人といえる者は、門の見張りをしている守衛だけである。

 ならば守衛の声かと問われれば、首を横に振るしかない。

 今聞こえてきた声は、大人の声ではなく声変わりを終えていない子供の声である。聞き間違いでも何でもない、確かに甲高い子供の声だった。守衛に子供が選ばれることはない。守衛の仕事は危険であるし、力の無い子供では役に立たないため採用されないようになっている。

 守衛ではないとしたら、誰の声だろうか。子供が外に出ているなど、大人が外に出るよりもありえない。こんな危険なところに子供がいるはずがないのだ。

 

 

「誰かいるのか?」

 

 

 藍は、声のした後方を首だけ向ける。

 藍の視界の中には、何者もいなかった。いたのは、少年だけである。

 藍は、聞き間違いかと頭をかしげた。

 

 

「ん? なんか背中に……」

 

 

 ちょうどその時、少年は背中に何かが登ってくるのに気付いた。

 少年の背中には、‘何か’がしがみついている。重さがほとんどないために、僅かに感じる程度の違和感しかないが、確実に何かがいた。

 少年は、そのわずかな違和感に向けて背中に手をまわし、背中にくっ付いている物質を掴もうと試みる。

 少年の手は―――何かを確実に掴んだ。

 

 

「ん!」

 

 

 少年は、掴んでいる手に力を入れ、背中にいる物質を引き剥がしにかかる。

 少年が力を入れた瞬間、背中にあった物質を大した抵抗もなく引き剥がすことに成功した。

 少年は、引き剥がした物質を、頭を越えるように前に持ってくる。藍に寄りかかっていた体を起して、のけ反るような形で正面に持ってきた。

 少年の背中に張り付いて声を上げていた物質がその正体を現す。少年の脳は、その物質をすでに見たことがあると信号を送信した。

 

 

「妖精? 多分、妖精だと思う」

 

「多分って……分からないのか? 来る時に見ただろう?」

 

「ん~~多分、妖精かな?」

 

 

 藍は、随分とはっきりしない少年の物言いに疑問をぶつけたが、少年は再度の問いかけにも曖昧な口調で答えた。

 ここではっきりさせておくが、少年の背中にくっ付いていたのは、少年の目の前にあるのは―――間違いなく妖精である。透き通った羽を持つ、子供のような容姿を持った生き物。それは、藍の背中に乗って人里に来るまでに見た生き物と同種の生き物で間違いない。

 

 

「本当に分からないのか?」

 

「多分だけど、妖精だと思うよ」

 

 

 少年は、藍の疑問に再び曖昧な答えを返した。

 藍は、少年の曖昧な返事を聞いて少年の能力がいかに強力に少年自身に作用しているのか思い知った。

 少年は、妖精の存在がよく分からなくなってきているのだ。少年の中での妖精は、おそらくという曖昧な認識になってしまっているのである。

 

 少年の識別能力は―――境界を曖昧にする能力が原因で極端に低くなっている。

 

 少年は、ノートに書くといったアクションを起こさなければ、すぐに認識が曖昧になってしまう。覚えようとする努力をしなければ、記憶を維持することなど到底できず、何もせずに放置して次の日を迎えるようなことがあれば、何もかも分からなくなってしまう。

 少年は、妖精という生き物の存在を知ってから、妖精について思い返すこともなく、覚えようともしていない。妖精を覚えるための行動を何一つしていなかった少年の妖精に対する認識は、非常に怪しくなっていた。

 

 

「はぁ、妖精は羽が生えていること以外、見た目が人間の子供と余り変わらないからな。和友が判別できなくても仕方がないのか……」

 

 

 妖精の見た目は、人間の子供に羽がついた程度のものである。少年にとっては、人間の子供と変わらないのだろう。妖精の定義がはっきりしていない現状で少年に識別しろというのは、酷な話である。

 ただ、ここでの藍の考えには、一つだけ勘違いしているところがあった。

 少年は、別に‘妖精だけ’を覚えていないわけではない。妖怪というものも覚えていないのだ。紫や藍を妖怪だという括りで見ていないのである。

 藍が言うように、人間の姿と変わらないのならば人間と認識される少年にとって、妖精だけでなく妖怪も人間と同様の存在として認識されている。

 そこに違いなんてない。

 少年は、ただ藍と紫の二人は妖怪だという情報を持っているだけである。それは決して―――妖怪という生き物を認識し、識別しているわけではない。

 少年が、紫と藍が妖怪だと分かっているのは、あくまで区別する際にした書き記す行為によって併用して記憶されただけで、別に妖怪がどんなものなのかを区別しているわけではなかった。

 

 妖怪と人間は何が違うのか。

 

 少年は、この問いに対して答えを持ち合わせていない。藍と紫が妖怪だと分かっていても、人間と何が違うのという問いに少年は答えを用意できない。同じように食べ、同じような生活をしている藍や紫を識別できるほどの違いを認識していない。

 だから、少年の中では妖精も妖怪も人間も全て同列の同じものとして捉えられていることを、藍はまだ理解していなかった。

 

 

「また妖精が張り付いたのか?」

 

「そうなんだけど……どうしたらいい?」

 

 

 少年は、藍の質問にどうしていいのか分からず尋ね返した。

 少年には、妖精をどうしていいのか分からなかった。妖精という生き物をつい先ほど知った少年は、妖精という生き物をどう扱っていいのか見当もついていなかった。

 

 

「くっ付いているのならば、なんとか引き剥がしてくれ。妖精はここに置いて行く」

 

 

 藍は、妖精をその場に置いて行くようにはっきりと告げた。

 こういった場合の対処法は、1つだけである。置いていく、放置する、無視するという選択しかない。構うという選択肢は、最初から無いのだ。

 今回の場合、少年が妖精を連れて行こうという意志を持っていても、議論をする余地はなかった。それは、妖精というものの存在自体が理由になっている。

 

 

「持って帰っても面倒が増えるだけだからな」

 

 

 藍は、結論が置いていくことで決まっているのだと少年を諭させるように強く言葉にして伝えた。

 妖精をこのままマヨヒガへ連れて行くわけにはいかない。妖精は、犬猫のように生きているものではなく、自然の権化なのである。

 ここで連れて帰っても、どこかに消えていなくなるだろう。少年が妖精を連れて帰りたいといっても、どうせいなくなってしまうのである。

 それに妖精は、基本的に悪戯好きの者が多く、扱いに困ることが多い。悪戯好きの妖精を飼うには、よっぽどの調練が必要になる。何をやっても、人以上に何かができるようになることは無く、面倒事ばかりを起こす妖精を連れていくメリットはほぼないと言ってよかった。

 

 

「それが、もう引き剥がしているんだけど……」

 

「どうかしたのか?」

 

 

 少年は、藍が言う前に張り付いていた妖精を引き剥がしていた。

 ただし、問題は引き剥がした後の妖精にあった。少年はどう対処していいのか迷っていた。

 妖精が今にも泣きそうな表情で少年に訴えかけてきたのである。捨てないでほしいというように悲しそうな顔で懇願してきたのだ。

 

 

「嫌、嫌、嫌。置いて行かないで、一緒に連れてって」

 

「なんか、嫌がっているんだけど……一緒に連れて行ってだってさ」

 

 

 妖精は、涙目で首を横に振り少年に訴えた。瞳に涙を溜め、今にも泣き出しそうになっている。

 少年は、泣きそうになっている妖精を見つめる。無表情で興味なさげに妖精を見つめていた。

 少年は最初から、妖精を連れて帰ろうなんて少しも思っていなかった。藍が言うのならば、少年には従う以外に選択肢が存在しないのだから、考えても仕方ないことなのである。

 少年は、ただただ訴え続けている妖精を見つめる。眺めるように、射抜くように目線を逸らさなかった。

 

 

「何がどうなっているのだ……?」

 

 

 藍は、今背中で起きている状況―――妖精が連れて行ってくれと懇願するという状況に頭が追いついていかなかった。

 妖精は、自分自身の意志で何かをして欲しいなど言うことはない。相手の都合など聞くような生き物ではないはずなのである。

 藍は、状況がただ事で無いことを悟る。

 

 

「和友、ちょっと待ってくれ。一度背中から降りてくれないか?」

 

「うん、分かった」

 

 

 少年は、藍の言葉に了承し、妖精を抱えたまま背中から降りた。

 

 

「これでいい?」

 

 

 少年は、地に足を付けて妖精を正面に抱える。

 少年の腕の中には、すっぽりと妖精がはまっていた。

 

 

「ちょっと、持っていてくれないか」

 

「うん」

 

 

 藍は、片腕を封じている食品を入れた袋を少年に手渡す。この時ばかりは、さすがに少年に荷物を渡した。

 少年は、妖精を地面に置いて袋を受け取る。生地については、持つことができないと判断してか藍が持ったままである。

 妖精は、ちょこんと地面に降り立ち、少年の足にしがみつくようにくっついた。

 藍がゆっくりと少年の足元にいる妖精に近づくと、妖精を見下すような形で口を開き、普段ならしない妖精への問答を始めた。

 

 

「なぁ、お前はどうしたいんだ?」

 

「私とこの人は、一緒。一緒だからついて行く。くっ付いて行く。一緒なものは、一緒にいる」

 

「どういうことだ?」

 

 

 妖精は、藍の質問に顔を向ける事もなく、少年のズボンに顔を埋めたまま答えた。

 藍は、妖精からの答えを聞いても、どうして今の状況が生まれているのか何一つ理解できなかった。

 

 

「…………」

 

 

 嫌な予感がした。妖精は、こんなことを言ったりしない。大きな力を持っている妖精ならいざ知らず、力の欠片も感じない妖精がここまで自我を持ち、意志を固めることは決してない。

 藍は、心に湧き上がる不安を押し潰すために少年にある提案を持ち掛けた。

 

 

「和友、すまないが……」

 

「どうしたの?」

 

「この妖精を―――殺してもいいだろうか?」

 

 

 唐突な言葉だった。

 藍は、近い未来に起こりうる異変の可能性に恐怖を覚えた。このままにしておけば、大変なことになる。早めに対処する必要がある。脳内から次々と危険信号が送られてくる。

 妖精の異常は、間違いなく少年が起こしたものだ。何がどうなってこうなったのかは分からないが、少年が原因でこうなっているということが直感的に理解できた。

 藍は、一つ間違えば、幻想郷が危なくなる可能性を予期した。

 

 

「僕の物じゃないし、別にいいよ。妖精もそれでいいよね?」

 

「嫌、嫌! 死にたくない! 死にたくない!」

 

 

 妖精は、絶叫するように叫び、死を拒絶する。妖精にあるまじき光景である。藍の心の中の不安の種は、確実に芽を出し始めた。

 

 

「なら、頑張ってね。頑張って生き残ればいいんだ。そうすれば誰も文句を言わないよ。誰も何も言わないよ」

 

 

 少年は、妖精に対して笑顔で淡々としゃべり、懇願をしてばかりの妖精に投げつけるように言葉をぶつける。

 

 

「勝てばいいんだよ。やりたいことをやるには、勝ち取るしかない。自分の想いを遂げるには、努力して掴みとらなきゃいけないんだ」

 

 

 藍は、少年の言葉が自分自身に言い聞かせているように聞こえていた。

 圧倒的説得力を兼ね備えた少年の言葉は、少年のこれまでの人生の重みによるものだろう。普通に生きたいと言った少年は、努力で普通を勝ち取ってきたのである。

 

 

「誰かに助けを求めても助けてもらえないこともある。むしろ、助けてくれないことの方が多い」

 

 

 少年にとって書き記す作業は―――戦いである、能力との勝負である。

 負ければ、区別できずに苦しむことになる。

 勝てば、区別できるようになる。

 それは、誰かがやってくれる話ではなく、自らが苦しみ成し遂げなければならないこと。

 少年の書き記す作業は、負けないという心、絶対に勝つんだという意思が心を支える唯一の存在だった。

 

 

「戦わなきゃいけないんだ、勝負に勝つために、負けないために」

 

 

 少年は、強い心と同様に力が無ければ想いを遂げることはできないことを知っていた。

 そんなことは、嫌というほど何度も体験している。例を挙げれば、病室において少年が幻想郷へ行くことを拒否した時、紫に力の大きさで負けて連れて行かれたことが挙げられる。まさしく力が足りなかったから引きずられることになった。

 自分の想いを貫くには力が必要になる。

 少年は、よく分かっていた。

 

 

「じゃないと……ぽっきり折れちゃうよ?」

 

「勝つ、勝てばいい……」

 

 

 そんな圧倒的な説得力を持つ少年の言葉は、妖精に伝搬する。

 妖精は、自分に言い聞かせるように小さく呟くと、涙目になった瞳を真っすぐ藍に向け、力強く拳を握った。藍に対して勝つ気持ちを携えて、全力を持って立ちはだかる。明確な戦う意志を藍へと示し、生きるために藍と戦うと宣言した。

 

 

「勝負、負けない」

 

「妖精如きでは、私に勝てはしないよ」

 

 

 藍は、目の前に一丁前に立ちはだかる妖精を射抜くように目に力を入れ、妖精と自分の間に存在する明らかな実力差を示す。妖力の蓋をほんのり解放し、漏れ出すように力を見せつける。

 

 力の放出に対応するように藍を中心にして放射線状に突風が吹いた。

 

 藍は、自分と妖精の二人の間にある力の差を、妖精の心をへし折るように見せつける。

 妖精は、あまりの力の差に恐怖を感じ、冷や汗をかいていた。それでも妖精の瞳は真っすぐに藍の瞳を貫いている。震える足を前に向けていた。

 妖精の心は―――折れていなかった。

 

 

「勝つっ!!」

 

 

 妖精は、一言叫ぶと藍に向かって拳を振り上げ突進する、生き残るために前に進む、障害を突破する、固い意志と少しの勇気を持って拳を振りかぶる。

 少年は、二人の様子を眺めていた。特に感傷に浸るわけでもなく、自分がけしかけた妖精がこれからすぐに死ぬと分かっていても、何一つ動こうとはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 ――――何かがつぶれる音がした。果物がはじけるような、独特な音が鳴り響いた。

 

 

 

 藍と妖精の勝負は、一瞬でついた。妖精の拳ではなく、藍の振り切った拳で全てが終わった。少年に袋を持たせることで空いた―――右腕による一撃だった。

 妖精は振り上げた拳を振り切ることすらなく、一撃で絶命し、その姿を自然へと返す。きれいさっぱりなくなる。

 少年の目に映る景色には、藍だけしかいなくなった。

 少年は、何もなくなった景色に軽く手を振り、いなくなってしまった相手に向かって別れを告げる。

 

 

「バイバイ」

 

 

 人里に来たときと同じ別れを告げた少年の言葉に、返事は返ってこなかった。

 


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