ぶれない台風と共に歩く   作:テフロン

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やっと買い物終わります。


食べるということ、生きるということ

 少年と藍の二人は、生地を買った後、食料を買っていた。これから3人で1週間を過ごすために必要となる分の食料を買ったのである。

 マヨヒガから持ってきた袋の中には、すでに多くの食材達が入っており、買い物が終わっていることを示していた。

 藍と少年は、買い物の最中に様々な会話を交わした。

 

 

「和友は、苦手な食べ物とか、食べられないものとかあるのか? 好きな食べ物とかあったら教えてくれ」

 

「僕は……特にはないかな。好きなものもなければ、苦手なものもないね」

 

「そうか」

 

 

 藍は、買い物の最中に少年に好きな食べ物があるか聞いたり、食べることのできない食べ物があるか尋ねたりしながら買い物をしていた。

 少年は、当然のことながら藍の質問に対して、なんでもいいよ、嫌いなものは無いし、好きなものも別に無いからと答える。それは好きな色を聞いた時とは、明らかに違った反応だった。

 藍は、少年の答えに満足そうに一言そうか、と頬を僅かに緩ませて嬉しそうに答える。少年が嘘をつくことなく本心から答えてくれているのだと、先程までと違い心を開いてくれているのだと思うと、少しだけ嬉しかった。

 

 

「そういえば、妖怪って人の食べ物を口に入れないと生きていけないの?」

 

「いい質問だ」

 

 

 藍と少年は、好きな食べ物の話以外にも様々な話をした。

 例えば、妖怪が人間と同じ食事を取ることについてである。

 

 

「妖怪は、基本的に1週間絶食しても死にはしない。妖怪は、人とは違う物を捕食してその身を形成しているからな。人間の食べ物を食べなくても生きていける」

 

「へぇ、そうなんだ。藍も妖怪だから、その違うものを食べて生きているのかな?」

 

 

 妖怪の食料というのは、人間の恐怖のことである。人が食べているのと同じ食事を取って、それが血肉となって体を作っているわけではない。

 妖怪の体を維持しているのは人間の心に潜む恐怖と畏怖、信じる心である。そういった思想が妖怪の存在を支えている。

 ただ、藍の場合は特殊だった。普通の妖怪のように人間の恐怖をもとに存在しているわけではなかった。

 

 

「私の場合は普通の妖怪とは違う。私は、妖怪と言うよりは紫様の式だからな。紫様からそういったエネルギーを頂いている形になっている」

 

「藍の場合は仕組みが違うんだね。式としての役割が無くなったら普通の妖怪に戻るのかな?」

 

「おそらくな。ただ、そんなことは起こりえないと思うぞ。紫様が式神契約を破棄するなんて考えられないからな」

 

「紫が藍を捨てるわけないもんね」

 

 

 藍の場合は、そんな恐怖を糧に生きている普通の妖怪と異なっており、紫から力を大きく貰っている形になっていた。妖怪という立場よりも紫の式である立場の方が色濃いのである。

 

 

「でも、紫からエネルギーを貰っているとしたら、本来藍自身に入るはずのエネルギーってどこに行っているんだろうね」

 

「私は、一度紫様を経由して分け与えられていると思っているが……実際のところは分からない。知る必要もないといえば、それまでだ」

 

 

 ならば、藍に送られているはずの恐怖はどこに向かっているのかと聞かれれば答えようがない。消えてしまっているのか、それとも紫から送られているエネルギーに藍の恐怖が含まれているのか、それは謎である。

 恐怖や畏怖という感情は、人間でいう食料とは異なり概念的物質であるため、大幅に減ったり増えたりしない限り変化を捉えることは非常に難しい。藍の恐怖や畏怖がどうなっているのかについては、紫から与えられているエネルギーに変化がみられないため、何一つ分かっていない状態だった。

 ただ、藍は実際のところはどうなのか分からないが、紫から送られているエネルギーに本来自分が得るべきものが分け与えられていると思っていた。

 紫は、妖怪の賢者と呼ばれるほどに畏怖される存在であり、人間から恐怖されている。だからこそ、多くの力を分け与えられ、力が増大しているのだと、そう思っていた。

 

「まぁ、私にしても妖怪にしても、人が普段食べているような食事をとる必要性はないという意味では一緒だな」

 

「そうなの? だったらなんで食事をする必要があるの?」

 

 

 少年にとっては、妖怪が食事を取ることが心底疑問だった。人間が食事を取る意味は、生きていくため、明日を過ごすためである。生きるために食べ物を口にする必要がないというのならば、食事を取る意味が無い。

 少年には妖怪が食事を取る意義が見えてこなかった。

 

 

「刺激が欲しいからだよ。妖怪の一生は長い。刺激のない日々は意識を劣化させる。金属を放置していれば錆びてしまうのと一緒だ。常に磨いておかなければ心はいずれ死んでしまう」

 

「僕にはちょっとよく分からないんだけど……」

 

「寿命の短い人間には分かり難い感覚なのかもしれないな」

 

 

 藍は少年の疑問に明確な答えを示したつもりだったが、少年は藍の言っている言葉の意味が分からず首をかしげた。

 藍は、理解できていない様子の少年に分かりやすいように言い換えて説明する。

 

 

「簡単に言えば、何も食べないというのは何とも味気ない、そういうことだ」

 

「ふふっ、そういうことを聞くと、なおさら妖怪と人間との違いが分からなくなるよ」

 

 

 少年は、余りに人間味のある言葉に思わず笑う。

 味気ないなんて感覚は完全に人間と同じである。刺激が欲しくて食事をする、暇だから味覚を弄ぶ。まるで、人間のような感覚だ。

 

 

「本当に和友の言う通りだと思う。私たちは随分と人間臭い。紫様も、私も、結局人間のことが好きなのだ……」

 

 

 妖怪は、1週間絶食したところで死ぬようなことは無い。体を維持しているのが食事ではなく、人間の恐怖なのだから当たり前と言えば当たり前である。

 しかし、紫と藍は人間の食事を口にしなくても生きていけるにもかかわらず、それでも食事を取ることを選んでいる。それには、当然のことながらしっかりとした理由があった。

 藍が食事をとっている理由は、紫から聞いた言葉によるものである。紫から言われた言葉が、藍に食事をとらせていた。

 紫に妖怪にとっての食事の概念を説かれたのは、藍が紫の式になって初めての日のことだった。紫の式となって初めての夜に、紫が食事を取ると言った時のことである。

 

 

「藍、食事にするわよ」

 

「紫様、食事など取る必要はありません。人間じゃあるまいし、そんなことをしなくとも、私達の体は朽ちたりなどしませんよ」

 

 

 藍には、食事を取る理由が分からなかった。これまでに様々な国で多種多様な料理を食べてきたが、それが何の意味があったかと言えば、何一つ意味などない。かろうじて意味があるとすれば、虚無感をほんのり埋める程度の役割しかなかった。

 藍は、妖怪の必要なのはやはり人間からの恐怖で、畏怖だけで、食事のような俗物的なものは要らないと思っていた。

 

 

「意味のないことに時間を割くのは、時間の無駄ではありませんか。なぜそんな無駄なことをするのですか?」

 

 

 藍は、紫が食事を取ろうとしていることに疑問を投げかけた。不愛想な顔で、嫌々従っているのが目に見えて分かるように、ぶしつけに尋ねた。

 紫は、露骨に嫌そうな顔をしている藍に向けて優しく語りかけるように答えを口にする。

 

 

「藍、確かに貴方の言う通り妖怪に食事は必要ないわ。でも、心は食事を必要としているのよ、刺激を求めているの」

 

「心が……ですか?」

 

「そうよ。私達妖怪は、その強靭な体と生命力を持って気の長くなるような時を過ごしている。でも、心はそんな強い体と違って普通の人間と何ら変わりないわ」

 

 

 妖怪は、人間と比較して体が丈夫で生命力が強い。人間との差は、比べるのもおこがましいといわれるほどに圧倒的と言っていいだろう。

 だが、妖怪と人間との差は、心にまで当てはまることはない。妖怪は、肉体的な強さに比例しない人間と変わらない心を持っている。悪く言ってしまえば、人間よりも精神に依るところが大きく、精神状態によって大きく崩れやすい。

 はっきり言ってしまえば、妖怪の心は人間の心よりも繊細なのである。人間の感情から生まれただけあり、心の動きに酷く影響を受ける。

 

 

「心は、刺激が無ければどんどん劣化していく。最終的には獣と同じところまで墜ちてしまうわ。感情や感受性を失って本能だけになってしまうの」

 

 

 心は、放置してしまえば劣化する。植物のように水を与えられない日々が続けば枯れてしまう。心には、一定の刺激が必要なのである。一日何もせず、心に刺激を与えず、寝たきりの人間が廃人になるように、体はまだ生きているのに心が死んでしまうのである。

 妖怪の場合は、心が死んでも人間のように廃人になることはない。ただ、それは廃人にならないというだけである。妖怪は、廃人になるよりもたちが悪いことになる。

 妖怪は、心が死ぬと本能に支配されるようになるのだ。人間を捕食すること、人間から恐怖をもらうことしか考えられなくなるのである。

 

 

「私は、心が朽ち果てた妖怪のことをよく知っているわ……私達妖怪は、理性よりも本能の方がよっぽど強い生き物なのよ」

 

 

 紫は、妖怪が心を失うことの怖さを痛いほどに知っていた。100年前に顔を合わせた妖怪が理性を失って恐怖をむさぼるだけの存在になっていることなどざらにあった。

 妖怪は、健康な精神を維持し続けなければ、獣と化す。獣と化した妖怪は、例外なく人間に淘汰される。

 人間は、何も考えずに本能のまま動き回る妖怪に対して真正面から戦うような馬鹿な行動はとらない。当然のように罠を張り、待ち構えるのである。

 本能に支配されてしまった妖怪は、罠を察知できるだけの理性を持たない。妖怪は、心を朽ち果てた者からどんどん死んでいくのだ。

 紫は、そういった妖怪が死んでいくのを、人間に殺されるのを間近で見てきた。

 

 

「そう、昨日の貴方のようにね」

 

「その話はよしてください。思い出したくありません」

 

 

 藍は、昨日の紫との戦いのことを思い出して恥ずかしそうに下を向いた。

 昨日の藍の戦い方は、まさしく本能に支配されるような戦い方だった。紫に対してまさしく本能の赴くままに戦った。何も考えず前に出ることで、腕力をもって打ち倒そうとした。

 

 そして―――破れた。

 

 藍の力の強さは、確かに紫よりも勝っていたのだが、勝負というのは力の強弱で結果が決まるものではない。藍の力は上手くいなされて、紫の能力の前に、頭脳の前に敗北をきっしたのである。

 藍は、式となった今なら負けた要因が理解できた。式となったことで敗北の理由が理解できた。藍と紫の間には大きな知性の差があったのである。

 

 

「あら? もしかして恥ずかしいのかしら? 獣張りに吠えて私に向かってきたのが恥ずかしいのかしら?」

 

「む……」

 

 

 紫は、挑発するように藍の頬を扇子で突く。藍は怒気を含めた表情を浮かべるが、紫に対して服従している立場のため文句を口に出すことはなかった。

 紫に負けた藍は、紫に対して文句を言える立場ではなくなっている。失礼な言動も、無礼な行動も、制限されている。

 しかし、表情にははっきりと怒りの色が見えており、額にはぴくぴくと血管が浮いていた。明らかに怒っている。

 紫は、藍の反応を見て突いていた扇子を下げた。

 

 

「あらあら、怒っちゃったわね」

 

「私達妖怪が、肉体の強さと相反して心が弱いのは認めましょう。私達妖怪は、精神に依存する生き物です。ですが、本能に生きることが駄目なのでしょうか? 妖怪の在るべき姿は、それで正しいと思います」

 

「本能に生きる……妖怪の概念から考えれば、そうなのかもしれないわ。だけどね、それでは駄目なのよ。そんな普通の在り方では、新しいものは想像できない。今までなかったものは、生まれない」

 

 

 妖怪の在り方としては、藍の言っていることの方が正しい。人間に恐怖を与える存在、それが妖怪なのだから。人間を捕食し、人間に恐怖を与えるのが本来の妖怪の在り方なのだから。

 しかし、紫は本能に従うわけにはいかなかった。そんなふうな普通の妖怪に成ってはいけなかった。

 志が、そんなことを認めなかった。

 だから、今日まで紫は普通じゃない生き方をしてきたのだ。

 

 

「藍、しっかり覚えておきなさい! 頭に刻み込みなさい!」

 

 

 紫は、ふざけていた表情を真剣なものへと変える。紫の目には強い意志と決意が浮かび、藍は新しい主となった紫の目に引き込まれた。

 

 

「私達は、それでは駄目なのよ。私は、人間と妖怪が共存する幻想郷を作るのだから。これからの妖怪のために、妖怪の楽園を作るのだから。本能を御しきれる心が必要なのよ」

 

 

 紫の言葉は悲痛な想いを込めて放たれ、藍の心に広く響き渡る。

 藍は、紫の真剣な声音に耳をそばだて、聞き入り、意識を取り込まれた。

 紫の過去にどれほどのことがあったのかは分からない。昔どんなことがあってそう言ったのか知らない。

 だが、紫の言葉に重みを感じた―――心の中に大きく言葉が沈んでいくのを感じていた。

 

 

「誰に馬鹿にされようとも、誰からも蔑ろにされようとも、信じることができるだけの心を持つのよ! 私の想いは……虚構でも、妄想でも、幻想でもない! 本物なんだって!」

 

「紫様……」

 

「……ちょっと熱くなりすぎたわね」

 

 

 藍は、紫の捨て去るような言葉に息をのむ。

 紫は、藍の複雑な表情を見て、自分がむきになっていることに気付き、我に返った。

 

 

「食事をとる理由には、単に物足りないっていう理由もあるのだけどね。食事をしないと味気ないのよ。折角味覚があるのだから、食事を楽しまないともったいないじゃない」

 

「……はい、そうですね」

 

 

 紫は、そう言って笑った。空気が緩くなったと同時に、藍の表情も少しだけ緩んだ気がした。

 藍は、紫の言葉を胸に笑顔のまま未だかつてしたこともない料理へと手を伸ばし、調理を開始した。

 

 

 

 

 

 

 ―――1時間後―――

 

 

「藍、あなた……」

 

「しょうがないでしょう!? 今までやったことがなかったのですから!!」 

 

 

 紫の目の前には、原型をとどめない料理と言えない物質が存在していた。どのような調理したらこんなものができるのだろうか。何をどうしてこうなったのかという工程はおろか、何を作ろうとしていたのか分からないというレベルの料理である。

 紫は、もはや何かも分からない料理を見て冷や汗をかきながら真剣な表情で呟いた。

 

 

「それしてもこれは……」

 

「……分かっています。分かっていますよ」

 

「次までに食べられるものを作れるようになりなさい」

 

「はい……」

 

 

 それが―――藍の頭の中に刻まれた食事に対する最初の記憶である。

 

 

 

 

 

 少年と藍は、食材を買い終えて人里の外へ向かって歩き出していた。

 藍の表情は、食材を買い終えた時点で非常にほっこりとしており、機嫌が良いことが伺える。全ての目的を達成して満足しているようである。

 しかしながら、藍とは打って変わって少年は複雑な表情を浮かべていた。

 

 

「最後に食べ物を買ったわけなんだけど……」

 

「どうした? 何か気になるところでもあったか?」

 

「うん」

 

 

 少年には、これまでのように気になることがあったのだろう。さっき通り過ぎた場所にあったものを気にしたのかもしれない。食べ物を買っている最中で気になることがあったのかもしれない。

 藍は、これまでの少年の会話から考えて、少年が何かしら気になることがあって質問したいのだと考えていた。

 少年は、藍の考えた通りに疑問を抱えている。疑問の中身は非常に単純なものであり、藍に聞けば必ず答えが得られる確信があるものである。

 

 

「そのカバンの一番上に乗っているものなんだけど……」

 

 

 少年は、藍の言葉に甘えて質問をしようと視線を下げて藍の手提げカバンを見つめた。藍の視線も、少年の視線に引き付けられるように自らが持っているカバンに向かう。

 その視線の先には油揚げがあった。食料の入った手提げカバンの一番上に強調するように3枚の油揚げが乗っていた。

 

 

「その豆腐屋で買った3枚の油揚げの使い道が分からなくてさ。油揚げ買う時の藍の目、なんだかギラギラしていたし、他の材料見る感じ、油揚げを3枚も使う料理なんてないよね」

 

「ああ、これのことか」

 

 

 少年は、強調されたようにカバンの一番上に置かれている油揚げの枚数が不思議だった。油揚げという物の存在理由が謎だった。

 カバンの一番上に乗せられている理由自体は理解できる。単に藍の行きつけの豆腐屋で買うために全ての買い物を終えた後に買って最後に入れたからである。

 他にも、藍が油揚げを他の食材の下敷きにするのを嫌ったのではないかと予測できなくもない。ただ、下になるのが嫌というのは少年の考えすぎで、たまたま最後に買った商品だから、ということなのかもしれない。

 そんなことはどっちでも、どうでもいいのである。油揚げがカバンの一番上に置いてあることは、特段気にすることでもなんでもない。

 問題は、存在する位置の理由ではなく、3枚もの油揚げが存在する理由である。

 少年には、3枚もの油揚げをどう使うのか想像もつかなかった。味噌汁に入れるにしても、ここまでの量は使わないだろう。きつねうどんを作るとしても、うどんは買っていない。

 

 

「これはだな」

 

 

 藍は、少年の疑問を聞き、買い物袋を軽く持ち上げ、視線をカバンの方へ落とす。そして、見比べるように少年の顔を見つめた。

 藍は、そこまですると少年の質問に対して当然のことのように言葉を吐き出した。

 

 

「これは私の物だ」

 

「…………?」

 

 

 少年は、藍の回答に茫然とし、ポカンとした表情になった。

 少年が戸惑いの表情を浮かべるのは、当たり前である。少年が求めている答えは、3枚の油揚げの使い道である。藍の答えでは、私の物という、誰の物ですかという質問に答える内容にしかなっていない。

 藍は、少年の不可解な気持ちとは対照的に当たり前のことのようにしゃべっているつもりで、自分の答えに自分で満足していた。

 分かったのは、藍が油揚げに対して並々ならぬ思いを抱いているという点だけである。藍の表情には、藍の油揚げに対する執着心がこれでもかというほどに表れている。

 少年は、暫く藍の顔に視線を向けて待ってみたが、藍は答えたと勝手に自己解釈してしまっているため、少年へと再び話しかけることはなく、少年から視線を外し、進行方向へと目線を向けていた。

 少年は、いつまで経っても反応がないうえに視線まで逸らされたので、改めて藍に質問を投げかけた。

 

 

「私の物? どういうこと?」

 

「ん? なにがだ?」

 

 

 藍は、少年の質問を聞いて先程の少年の表情と同じようにきょとんとした表情を浮かべる。どうして再び質問をしてくるのだろう。藍の頭の中には疑問が湧いていた。

 

 

(なぜ、不思議そうな表情をしているのだろう?)

 

 

 藍は、改めて遅れてやってきた少年の質問に戸惑いを隠せなかった。先程の答えで少年の質問に答えたと思っており、答えを与えたのにもかかわらず、なぜ再び質問してきたのか分かっていなかった。

 これは、藍の少年に対する印象が今の不思議な雰囲気を作り出す原因の一つになっている。

 これまで少年と藍は、人里に来てから食料を買い終わるに至るまでに、多くの会話を交わしている。藍は、そのしっかりとした受け答えから、少年に対して利口な子という印象を持っていた。そんな利口な少年が、‘しっかりとした答えを返した’にもかかわらず再び質問をしてきている。

 

 

(どういうことだろうか?)

 

 

 藍は、体を前へと動かしながら少年の顔を不思議そうな顔で見つめているばかりで口を開こうとしない。藍と同様に少年も、藍を見つめたまま答えを待ち続けている。

 二人の間に、変な空気が漂う。噛み合わな過ぎて、不思議な空間が二人を中心に広がっていた。

 藍は、一向に少年の質問に対して答えようとはしなかった、というよりできなかった。意味の分かっていない藍に答えられる道理などない。

 少年は、このままでは答えが得られないと思い、しびれを切らしてもう一度藍へと尋ねた。

 

 

「油揚げを3枚も、何に使うのかなって思ってさ。さっきの藍の答えじゃ私の物ってことだけしか分からなかったから」

 

「す、すまない! 質問の答えになっていなかったな」

 

 

 藍は、少年の言葉に顔色を変えた。少年の再三の問いかけに、なぜ少年が再び質問をしてきたのか分かり、自分の説明が悪かったと気付いた。

 

 

「この油揚げは料理に使うわけではない。私個人が食すものなのだ」

 

「藍が食べるんだ。そのままの状態で食べるの?」

 

「基本的にそのままだな。たまに味付け変えたりするが、このままの方がおいしいからな」

 

 

 藍が買い物の終わりに買った油揚げは、料理で使うわけではなく、藍個人で食べる物のようである。油揚げは、藍にとっておやつのような感覚なのであろうか。食後のデザートのようなものなのだろうか。詳しいことは、藍にだけしか分からない。

 

 

「そういえば、狐は油揚げが大好きってよく聞くね」

 

 

 狐と油揚げは、切っても切り離せない関係のように語られることが多い。狐の大好物と言えば―――油揚げ。九尾である藍もその例には漏れないということなのだろうか。

 

 

「それが本当なのかどうか知らないけど……藍は、油揚げが好きなの?」

 

 

 少年は、実際のところ狐が油揚げを本当に好きなのか疑問だった。

 世間の人は、狐が油揚げを食べるところを見たことがあるのであろうか。少なくとも少年は、狐が油揚げを食べているところを見たことが無かった。

 狐は、肉食性が強いが雑食でもあるので油揚げを食べるには食べるだろう。

 だが、狐が油揚げを好きかどうかについては狐自身に聞かなければ分からないはずである。狐が油揚げを食べたとしても好きかどうかについての議論にはならない。

 このままでは、少年の好き嫌いのように曖昧なままである。議論にするためには、普段食べているネズミなどを隣に置いて確かめてみる必要があるのだ。

 そう、狐が油揚げを好きというのは本当のところは曖昧で―――単なる噂の類、迷信の類なのである。

 しかし、幻想郷はそのような迷信や噂が支配する世界であり、妖怪は幻想の生き物である。妖怪は、人間の想像や恐怖などが具現化してその身を形成している。

 

 狐は、油揚げが大好きである―――幻想郷はそういった迷信や噂がものをいう世界なのだ。

 

 藍は、九尾の狐である、9本の尾があろうと狐には違いない。藍にとって油揚げは、切っても切り離せない存在だった。

 

 

「ああ、油揚げは大好きだ。味といい、食感といい、これ以上の物はないな。素材本来の味が私の好みに合っているとでもいうのだろうか。特にあの店で買う油揚げは、格別に美味い。私が一番好きな物と言われれば、迷わずこの油揚げだと答えるだろう」

 

「へぇ……そうなんだ」

 

 

 藍は、頬を緩ませながら油揚げについて語る。

 少年には、相変わらず藍の言っていることがよく分からなかった。

 油揚げの味が好きというのはまだ分かる。好みは人それぞれだろう。人それぞれというか、妖怪それぞれだろう。好きだという境界線が曖昧になっている少年でも、油揚げの味が好きということであれば理解ができる。

 しかし、油揚げの食感が好きというのはよく分からない。油揚げは、そんなに特徴的な食感をしていただろうか。

 少年は狂信的に油揚げが好きそうな藍に対して少し引きながら言葉を口にした。

 

 

「油揚げの食感が……ね」

 

「別に私が喰い意地を張っているわけじゃないぞ。これは、ほんのちょっとした楽しみなのだ。紫様には、内緒のな」

 

 

 藍は、そこまでしゃべると覗き込むように少年の目を見つめた。

 少年は、藍と視線を合わせ、訴えかけるような藍の瞳を注視する。そして、まっすぐに突き刺さるような視線から藍の意図を察した。

 藍は、油揚げを紫に内緒にして欲しいと言っているのである。

 少年は、笑顔を藍に向けて大丈夫だと伝えた。

 

 

「はいはい、分かっているよ。僕の口はダイヤモンドより固いから大丈夫。下手なことじゃ、口を滑らせたりしないよ」

 

「ダイヤモンド……」

 

 

 ダイヤモンドは最も硬い鉱石だとテレビや学校の先生から教わった。そういった特別な情報というのは、ダイヤモンドを記憶する際に重要になってくる。何かと組み合わせることでイメージを作り、記憶しやすくするのである。

 少年は、ダイヤモンドを対象として取り出すことで藍に対して安心を醸し出そうとしていた。最も硬いことと、口が堅いことを上手く組み合わせている。

 しかし、藍は少年の言葉に安心することは全くなく、むしろ不安を感じていた。

 

 

「それって、衝撃に弱いということか?」

 

 

 藍が不安になるのも仕方がない、ダイヤモンドの特性を知っている者ならば、少年の言葉の意味がおおよそ推測できる。

 ダイヤモンドは固いことで知られている。

 だが、ダイヤモンドはあくまで擦る方向に対しての耐性が高いだけであって、ハンマーで叩いて衝撃を与えれば簡単に割れてしまう。それこそ少年の腕力でも余裕であろう。少年もダイヤモンドの性質を理解している。ダイヤモンドが衝撃に対して脆いことは、小学校の理科の先生から教わったことである。これは真似してはいけない。もったいないからと、先生から注意を受けていた。

 少年の言葉の意味を考えると、釣りには引っかからないけど直接問い詰められたら吐いちゃうかもね、と言っているも同然だった。

 

 

「そーかもね」

 

 

 少年は、一言そう言うと悪戯っ子のような顔を浮かべた。

 

 

「引っかけみたいなのだったら口を滑らして答えるなんてことはないと思うけど……紫から直接言われたら、答えちゃうと思うよ。秘密にするのはちょっと厳しいかな」

 

「そう、だな。私もさすがに直接問いただされたら答えずにはいられない……どうしたものだろうか……」

 

 

 事実、少年が紫に問い詰められれば、口を割るしかないだろう。以前少年が言ったように、立場的には少年が一番下であり紫が一番上なのだから。

 それは少年だけでなく、藍においても同様で、同じことが言えた。

 

 

「ああ、こうやって考えていることも、紫様には筒抜けになっていそうな気がする……」

 

「さすがに、そこまではないよ」

 

 

 少年は、さすがにそれはないだろうと言葉を漏らしたが、頭の中で想像できてしまう光景に徐々に勢いをなくしていく。

 紫との付き合いはかなり短いとはいえ、何処にいるかも分からない神出鬼没の妖怪であることを知っている少年としては、断言できる要素が余りに少ないことに自信が無くなっていった。

 紫が今話している会話をも聞いている可能性は捨てきれない。紫は、心の中にまで入ることができるのだ。もはや何ができてもおかしくはなかった。

 

 

「きっと……多分……」

 

 

 少年の声がどんどん小さくなる。

 

 

「「はぁ……」」

 

 

 二人の出したため息は、綺麗に重なった。




あとは、マヨヒガに帰るだけですね。

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