ぶれない台風と共に歩く   作:テフロン

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買い物の話しは、これにて終了です。服屋に来た二人の話になります。


好きな色、気を遣う少年

 少年と藍の二人は、楽しく会話をしながら服屋へと向かっていた。

 

 

「いろんな店があるんだね」

 

 

 ここは、ちょうど人里の商業特区の中心である。商業特区には、文房具を売っている店、和傘を売っている店、服を売っている店、他にも様々な店があった。

 少年は、あちこちの商店に目をやり、藍に話を振っていく。商店には、外の世界ではもう見られなくなっている珍しい物が売られている。少年は、知らない世界が広がりを見せている光景に目を輝かせ、好奇心を躍らせていた。

 

 

「あっ、あれ! あれは何? あ、あっちのも初めて見た!」

 

「和友、あんまりはしゃぐな。ちゃんと答えてやるから」

 

 

 幻想郷は、忘れ去られた物がたどり着く場所である。当然、売られているものも時代とともに忘れ去られていった物ばかりだ。古さも極まれば、新しい物と変わらない。少年は、古さの中に新しさを見出していた。

 少年と藍の二人は、目的地である服屋へと歩みを進めながら会話に花を咲かせる。楽しい流れを決して絶やすことなく、楽しみながら前へと進み続けた。

 服屋は―――少年にも見える所まで近づいてきている。

 藍は、少年が見えるだろう位置で指をさして店の場所を示した。

 

 

「あれが服屋だ」

 

「あれか、この距離ならさすがに見えるね」

 

 

 

 ――日和日(ひよりび)――

 

 店の正面には、日和日という名前が掲げられていた。

 どこからとった名前なのだろうか。

 少年は、店の名前の由来を考えながら藍の後ろに追随する。藍は、足を止めることなく店の中へと足を進めた。

 少年は、藍が店の中へ入っていくのを見て藍の背中にくっつくように店の中に入り込む。

 

 

「ここが、服屋さん……?」

 

 

 少年の足が店の中に入ったところで止まった。

 日和日という店の中は、少年の想像していた服屋と大きく異なっていた。

 少年は、店の中を見て不思議に思う。少年が服屋と思って入った店の中には、服屋としてあるべきものがなかった。巻かれた布の束だけで服が一着も置いていなかったのである。

 

 

「布しか置いていないんだけど……」

 

「くくっ」

 

 

 

 藍は、少年のきょとんとした様子に満足げな様子でほんのりと笑う。まさに、してやったりといった表情をして、笑みを浮かべたまま店に関する情報を開示した。

 

 

「布が置いてあって当然だ、ここは生地屋だからな」

 

「……藍、僕を騙したんだね」

 

 

 少年は、不機嫌な表情で藍を問い詰めるように告げた。

 騙したといえば、その通りだろう。服を買いに行くという言葉は、外の世界においては既製品を買いに行くことを指す言葉である。もちろんそのことを藍は知っているし、自分が少年に対して意地の悪いことをしているということも自覚していた。

 それでも―――藍の心にあったのは、悪戯心を満たした喜びにも似た悦びだけだった。

 藍は、不機嫌な少年の反応を面白がり笑いながら言葉を返す。

 

 

「ふふふっ、騙したなんて人聞きの悪いことは言わないでくれ。布だって、和友の服になることには変わりないだろう?」

 

「まぁ、確かに服は布でできているけどさ……」

 

「幻想郷で服を買うと言ったら、服を作るための布を買うということなのだ」

 

「知らないよ、そんなの……」

 

 

 少年は、藍の屁理屈に押し黙る。外の世界では服を買う=完成された衣服を買うということになるが、幻想郷において服を買うという意味は布を買うことと同義である。

 

 

「ははっ、和友は本当に面白い奴だな。会話がこんなに楽しいとは……ふふっ」

 

 

 藍は、少年の反応にくつくつと笑う。表情を隠すことなく、少年に見せつけるように笑った。

 会話というアクションが藍の心を満たしている。会話がもたらしているのは、これまで幻想郷で一人きりの生活していた時には決して味わえなかった気持ちである。

 藍は、誰かと会話をすることの楽しさを知り、少年との会話に味をしめていた。

 

 

「どうして、今まで会話をしようとしなかったのだろうか。こんなにも面白いものだとは思ってもみなかったな」

 

 

 藍は、少年との会話を楽しむと同時に、今の自分が昔の自分と明らかに変化していることに気付いた。

 自分の中の変化を意識すると、なおさら笑みが深まる。何故だか分からないが、楽しさが溢れ出してくる。いい方向へ進んでいるという意識が心臓を高鳴らせていた。

 

 

「そうか……」

 

 

 藍は、口元にそっと手を当てた。口角があがっているのが分かる。

 藍は、自分の顔が笑顔でいるのを把握すると、ある人物が今の自分と同じように口角を上げていた表情をしていたことを思い出した。

 

 

「紫様がいつも楽しそうにしているのはこういうことだったのだな」

 

 

 藍は、紫が自身を弄んで笑っている気持ちが完全に理解できた。いつも、自分を言いくるめて笑顔を笑っている意味を把握した。

 藍は、初めて少しだけ主である紫のことが身近に感じられた。

 

 

「うーん、もういいよっ」

 

「ふふっ……すまなかった。私が悪かったよ。そう拗ねるな」

 

「拗ねてない」

 

 

 少年は、どこか腑に落ちない顔をして店内を見て回り始める。どうやら、弄りすぎて拗ねてしまったようである。

 藍は、少年のそっぽを向くような様子に再びくつくつと笑う。

 少年は、目の端で捉えた藍の笑う様子につられてほんのり笑った。

 

 

「生地屋さんか、初めて来たなぁ」

 

「外の世界には生地屋が無いのか?」

 

「無いのかって聞かれると分からないけど、僕は少なくとも見たことないかな」

 

 

 少年は、店内を回りながら置かれている布を見つめる。藍の言葉の言う通り、少年と藍がやってきたのは服屋ではなく生地屋である。生地屋には当然服など売っておらず、売っているのは布だけだ。

 外の世界には、どのぐらいの生地屋さんが残っているだろうか。着物屋さんならば、というところが限界ではないだろうか。

 現代の服は、会社が糸を作り出し、生地にまで仕立てあげる。それをデザイナーがデザインすることで服ができている。そのため、生地屋というもので生地を売っているところはもうほとんどないはずである。

 

 

「へぇ、いろんなものが置いてあるんだね。色もバラバラ、触り心地もバラバラ」

 

 

 少年は、店内に並んでいる様々な材質、質感、色彩を兼ね備えている布を眺める。

 店内を見回してみれば、壁にも布が立てかけられていることが分かる。店の中のどこを見ても、あるのは間違いなく、服ではなく布である。

 少年は、周りを見渡しながら不思議そうな顔を浮かべる。

 

 

「藍、ここには布しか置いてないけど、服ってどうするの?」

 

 

 少年は、服を買いに来たのであって布を買いに来たわけではないのだ。

 生地屋に来たことがない少年は、当然のように生地屋についての知識を持ち合わせていない。布だけでどうするというのか、布を巻いて過ごすのか、生地屋を知らない少年からの服はどうするの? という疑問はもっともなものだった。

 

 

「店の人が作ってくれるのかな?」

 

「もちろん私が作る。期待して待っているといい」

 

「えっ! 藍は服を作ることができるの!?」

 

 

 無知な少年の疑問に対して、藍の口から意外な言葉が飛んできた。

 少年は、藍の予想外の言葉に驚きを隠せず、表情を崩す。

 

 

「服を作るのってとっても難しいことじゃないの? 僕、一度も服を作っている人を見たことがないんだけど」

 

 

 服を作ることは非常に難しい。作ったことがないから判断できないが、作ったことがないからこそ難しいと思っていた。

 少年の服を作ることに対する認識は、専門職で簡単に手を出せるものではなく、一握りの人にしかできないというものである。

 これまで服を作っている人を見たことがなかったというのも、服を作ることに対して難しいという印象を持つ原因となっていた。

 きっと一般の人も同じことを思っているのではないだろうか。外の世界の人間ならば、きっと少年と同じ共通の認識を持っているはずである。

 もちろん簡単なところの話をすれば、小学校で行われる家庭科でやった裁縫に関しては理解している。どうやって服を作るのかという部分に関しての知識は持ち合わせている。

 しかし、服屋で売られているような品物というのは、家庭科で行っているようなエプロンづくりとはわけが違う。

 人々が着る服というのは、専門の人が作るものであって一般の人が軽々しく作ることができるものではない。それが少年の常識という名の普通の考えだった。

 だが、藍の口から出てきた言葉は、そんな少年の常識を打ち崩すものだった。

 

 

「幻想郷では、自分で服を作るのは割と一般的だぞ? 幻想郷には手先が器用な人間が多いからな。作ろうと思えば作れる人間はとても多い。何より子供の時に、作り方を親から学ぶものだからな」

 

「へぇ、そうなんだ」

 

 

 外の世界で生きてきた少年は、藍の言葉に衝撃を受けた。藍は服が作れる人で、しかも―――幻想郷の人間は一般的に服を作ることができるという。

 

 

(ああ、だからここまでずっと服屋さんがなかったんだ)

 

 

 少年は、一般の人が服を作ることができるという事実を知って、頭の中にある予測を立てた。

 それは、幻想郷にはもしかしたら服屋というものが無いのかもしれないという予測である。

 少年は、生地屋にたどり着くまでに服屋を一度も見かけなかった。見かけなかったから服を買う場所まで寄り道することなく一直線に来た。見かけていたら、きっとより道をしていることだろう。少なくとも、服屋を目標にして歩いて来た少年が何も言わないということは無いはずである。

 ただ、それはもちろん少年と藍が歩いて来た通りに無かった可能性もあるし、少年が見逃しただけかもしれない。

 だが―――数が少ないと言うのは間違いがなかった。商業区画を進んできて一つも目につかないというのはさすがに異常である。

 

 

「それに、そうでなくては生地屋はやっていけないだろう?」

 

「それもそうだね」

 

 

 少年は、藍の言葉に納得した。

 幻想郷に服を作れる人物が少なければ、生地屋は酷く生き辛くなってしまう。服屋に寄生して生きて行く道しか残らなくなってしまう。服屋が潰れれば、心中することになる。

 少年は、藍の言葉を飲み込みながらさらに情報を得るために藍へと質問をぶつけた。

 

 

「じゃあ、幻想郷に服屋はないのかな?」

 

「服を売っている店はあるにはあるが、売っているのは行事用のものだけだ。結婚式や、外の世界の服、特殊な服が売られているだけ、一般に着る服とは異なっている」

 

「なるほど、なるほど」

 

 

 事実としては―――幻想郷に服屋は存在する。

 しかし、それはファッションとして売られているだけのようである。行事で使われるような特殊な衣服だけが売られているだけで、あくまでも日常生活で着る物は自分で作るのが主流のようだった。

 

 

「ねぇ、藍」

 

「どうした?」

 

「ほ、本当に? 本当に藍が僕の服を作ってくれるのっ?」

 

 

 少年は、目を輝かせて藍を見上げる。服を作ってくれるということがよほど嬉しかったようで、期待に胸を膨らませていることが目から伝わってきた。

 藍は、見上げる少年の頭に手を置き、頭を撫でる。

 少年は、気持ち良さそうに目を細めた。

 

 

「ん」

 

「なんだ、私の言葉を疑っているのか? 心配するな、とびっきり似合うのを作ってやる」

 

 

 藍は、少年の期待に応えるようにしっかりとした言葉で少年に告げた。

 少年は、自身の服を作ってやるという藍の言葉に嬉しくなり、藍のサプライズに心からのお礼の言葉を口にした。

 

 

「ありがとう。嬉しいよ」

 

「お礼は服が出来あがってからもう一度聞くことにする。その時に、もう一度言ってくれ」

 

「了解だよ! それにしても、藍が服を作ってくれるなんて思いもしなかったなぁ!」

 

 

 少年は、嬉しそうに、楽しそうに、新しいおもちゃを与えられた子供のように笑う。

 藍は、嬉しそうに喜んでいる少年に聞こえないほど小さい声で呟いた。

 

 

「はは、私も欲張りになったものだな……」

 

 

 随分と欲張りになったものである。今まで主である紫に対しても何も求めてこなかった藍が、少年からのお礼を求めている。見返りなんて期待したことのなかった藍が、施しに対する返しを欲している。

 藍は、昔より少しばかり欲張りになった自分に苦笑した。服ができあがった際にお礼をもう一度くれと催促をしている自分の存在に思わず笑った。そんな新しく出てきた自分の一面を受け入れ、微笑んだ。

 

 

「心の底から言葉がこみ上げてくるような、とびっきりのやつを期待しているからね」

 

「ああ、言わせてみせるさ」

 

 

 少年は喜ばせる自信のある藍に負けじとハードルを上げ、藍は少年と同じような笑みを浮かべる。両者の中で、ライバル意識のような対抗意識が芽を出していた。

 

 

「ふーん、ふふふーん」

 

 

 少年は、店内をぐるぐると回り出す。初めて見る物に興味津々という様子で、落ち着きを見せず楽しそうに目を配っている。

 藍もそんな少年を見て、少年に似合う服を探すために店内を物色し始めた。

 

 

「ふむ、どれが一番和友に似合うのか……」

 

 

 藍は、動き回る少年の姿をちらちらと見ながら、少年に似合いそうな布を選別する。

 布の種類は膨大であり、様々な組み合わせが考えられる。布には、色、材質、質感、強度、柔軟性、様々なパラメーターがあり、組み合わせはそれこそ無限大に考えられた。

 藍は店内を歩き回り、一番少年似合っている布を探していく。着た時に一番違和感のないもの。一番かっこよく見えるもの。一番栄えて見えるもの。藍の頭の中で新しい服を着た少年が躍る。

 藍は、あるところで動かしていた足を止めて、壁にかけられている一つの布を取ると、少年を呼んだ。

 

 

「和友、来てくれ」

 

「いいのが見つかったの?」

 

 

 少年は、藍に呼ばれて側に寄った。

 

 

「これなんかどうだろうか?」

 

「ん、どう?」

 

 

 藍は近づいてきた少年に自身の選んだ布をあてがう。少年は、布に合わせるように若干胸を張った。

 どうしてだろうか、あてがってみるとなんだか違う気がする。どうも、少年の性質を上手く引き出せていないように感じる。

 藍は、暫く眺めると少年と布を見比べて首を振った。どうやら、少年と合っていなかったようである。

 

 

「ちょっとイメージと違うな」

 

「そっか、じゃあ次だね」

 

 

 藍は、次々と少年に対して合うと思う布をあてがい検証を行う。無限にある中から選択し、少年と見比べる。

 

 

「あっ……」

 

 

 藍は、少年に合う布を探している途中であることに気付き、店内のあるところで唐突に動きを止めた。

 

 

「和友のイメージがつかめていないのに、和友に合う服など分かるわけがないではないか」

 

 

 藍は、自分が少年に合った布を選ぶことができていない理由を悟った。

 少年に合った服を選ぶという行為は、少年のイメージに合った服を選ぶという行為である。あくまでもイメージに合わせる形になる。

 だが、肝心の少年のイメージが昨日の今日ということもあって的確に把握できていなかった、掴みきれていなかった。だから、少年に対してこの色が似合うというような感覚は基本的に無くて当然で、見つからないのも当然で―――結局藍の主観で選んでいる形になっているのだ。

 藍は、少年にはこんな色が似合うのではないかと自身で考えて、自分だけで布を選んでいるのだと気付いた。藍がしているのは、自分の好きな色を、気になる布を選んでいるだけである。

 

 

「これでは、私の好みを選んでいるのと変わらない」

 

 

 今日人里に買い物に来たのは、少年の服を買うためである。断じて藍が会話を楽しむためでも、藍が欲しい服を買うためでもない。

 藍は、少年の服を買うという行為の中に肝心の‘少年の意志’がちっとも含まれていないことに気付いた。

 藍は、昨日と同じように少年の意見を聞くことなく、押しつけるようにして服を選んでしまっている。そのことが、藍の心に黒い影をつけた。

 

 

 

「今日は、和友の服を買いに来ているのだ。和友と買い物に来ているのだ。私だけが決めていいはずがないのに。また私は、和友の意志をないがしろにするところだった……」

 

「何か言った?」

 

「いや、なんでもない」

 

 

 藍は、少年に向き直ると布に対して少年の意見を尋ねる。今度こそ、少年の意見を入れて布の選別を行おうと行動を開始した。

 

 

「和友は、好きな色とかあるか?」

 

「あっ、ううん……」

 

 

 少年は、何か答えようとして首を振り、藍の質問に悩んでいるようなしぐさを見せた。

 

 

「んーーっと、そうだなぁ……」

 

「どうした? 悩むほどのことではないだろう?」

 

 

 少年は、好きな色について悩んでいるようだった。

 藍は、なぜそれほどに少年が頭を悩ませているのか分からなかった。少年に聞いているのは、好きな色である、何も悩むような話ではない。

 少年は、暫く悩んだ後、何か思いついたような表情をする。どうやら答えが決まったようである。

 少年は、期待する藍の予想の斜め上を行くように、右手の人差し指を天上へと向けて伸ばし、口を開いた。

 

 

「さて、問題です。僕の好きな色はなんでしょう?」

 

 

 少年は、自分の好きな色について悩んだ末に問題にしたようである。

 藍は、少年からの予想外の問題提起にちょっとした驚き感じつつ、少年からの問題に回答した。

 

 

「唐突に問題が来たな。そうだな、青色か?」

 

「その心は?」

 

 

 少年は、藍の回答に対して即座に合いの手を出す。特に不思議がることもなく、特段表情を変えることなく、藍の答えである青色という回答に至った理由を尋ねた。

 

 

 

 

 

「よく空を見ているから」

 

 

 藍の答えは、とても簡素なものだった。

 

 藍が少年の好きな色が青だと想像したのは、少年がよく空を見上げているのを知っていたからというもの。空が好きならば青色が好きなのではないか、という単純な思考回路から得られた回答だった。

 他に、何も思いつかなかったから、という消去法の結果というのもある。先程も言ったが、藍はまだ少年のイメージがはっきりしていない。心の中の無秩序な光景を見てしまったからなのか、ふんわりと曖昧で明確なイメージがなかったため、少年と関連付く色が青色以外に思いつかなかっただけというのも理由としてあった。

 

 

「僕って、そんなに空を見上げている?」

 

「よく見上げていると思うぞ。無意識だったのかもしれないがな」

 

「全く自覚が無かったよ。へぇ。僕、空を見ていたんだ」

 

 

 少年が疑問に思っていようが、意識して見上げていなかろうが、藍は少年が空を見上げているのを何度も見ている。少年が幻想郷に来てから幾度となく空を見上げている光景を見ている。まるで引き付けられるように空を見ている姿を目撃している。今日の朝ご飯を食べた後、筆一本の店の外で待っている時、少なくとも2回は見上げている。

 少年は、他にも藍の知らないところで様々なところで空を見上げていることだろう。そのぐらいには、空に吸い込まれるように眺めているとは思った。

 

 

「話がそれてしまったな」

 

 

 藍は、そこまで少年と話をしていて話の論点が変わっていることに気付いた。好きな色について少年に質問したものの、少年からまだ好きな色を答えてもらっていない。

 藍は、自分の答えである青色が少年の好きな色で合っているのかの確認を取ろうとした。

 

 

「それで、和友の好きな色は青色で合っているのか?」

 

「……僕、実は好きな色がないんだよね」

 

「どういうことだ? それでは問題になっていないのではないか?」

 

 

 藍は、少年の言葉に違和感を覚えた。

 それはそうである。少年に好きな色が無いというならば、好きな色はなんでしょう? という問題は、もはや問題ではなくなる。

 答えの無い問題は、問題ではない。答えのない問題は、確率や予測の話になってしまう。答えとして「答えは存在しない」という問題であると無理矢理に取れなくはないが、答えの無い問題を出すのは嫌がらせ以外の何物でもないだろう。

 少年は、藍に対して答えの無い質問を振ったことを謝罪した。

 

 

「ごめんなさい、僕には好きな色が無いから、何て答えればいいのか分からなくてさ」

 

 

 少年には、好きな色について答え辛い理由があった。好きな色というのは、他の色との差別化を図ることで生まれる。差別化をするということは―――区別をする必要があるということである。

 

 

「好きな色が無いなんて、なんだかおかしいし……おかしいと思われるのは、やっぱり嫌だしさ。それで、好きな色が無いって言い出しにくくて」

 

 

 好きな色が無いのならば、無かったと答えればいいのかもしれないが、好きな色が無いっていうのは人間としてどうなのだろうか。普通であればどうなのだろうか、普通であれば―――好きな色がないなんて答える人間はそうはいない。

 少年は、そう考えてしまう人間で、普通を求めている人間である。

 少年は、普通ではないと認識されることに対する恐怖心があった、異常とみられることに対する危機感を持ち合わせていた。それはもはや体に染みついた癖と同じで、普通に生きるという決まり事が深く根ざしていたために起こる拒絶反応に似たものである。

 もしも、相手が全てを知っている少年の両親であったのならば、少年は好きな色が無いということを素直に打ち明けただろう。

 確かに―――家族に対してならば、少年の異常性を知っている相手にならば、嘘をつく必要性はまるでない。好きな色が無いなど―――それこそ今さらな話である。

 藍は、少年の異常性を知っていると言っても、少年から完全に家族として認識されているわけではなかった。

 まだ、少年と藍が出会って一日しか経っていないのだ。少年の中の藍の認識が家族まで至っていないことは、仕方のないことのように思えた。

 

 

「でも、下手に嘘をつくのも変でしょ? 幻想郷に連れてこられる前は、友達とかに好きな色を聞かれたら青色って答えていたんだけど、藍にそんな嘘ついても意味がないと思って……どうしたらいいか分からなくて……」

 

 

 少年は、家族として暮らしていくことになる藍に対して、どうでもいい嘘をつくのが嫌だった。どうでもいい嘘をついても意味がないと思っていた。

 

 

「藍は、僕のこと知っているんだから、素直に話せばいいんだけど……でも、やっぱり、思うところがあって……なんだか怖くて……」

 

 

 藍は、少年の異常性をすでに知っていて、どのような人間なのか大体理解している。少年の両親と同じで少年のことを色々知っている。

 少年のことを知っている人間であれば、少年がどっちなのかという疑問に対してはっきりと断言することは、決まり事に当たるものか、それに準ずるものに触れている可能性があると考えるだろう。少年を知っている人間から見ると、少年が好きな物を断言してしまえば、何かあったのかと勘ぐってしまう可能性があるのだ。

 少年は、藍にそんな無意味な気をつかわせるのが嫌だった。

 藍は、少年の告白を聞いて複雑な表情を浮かべ、諭すように少年に語り掛ける。

 

 

「和友、私に気を使わないでくれ。私は、何も気にしたりしないぞ。和友のことをおかしなものを見る目で見たりしない」

 

 

 藍は、少年が藍に気をつかって欲しくないのと同様に、少年に気をつかわれるのが嫌だった。ただでさえ多くの問題や異常性を抱えている少年に、これ以上気をつかわせたくなかった。

 二人の気持ちは―――同じところで一致していた。

 

 

「無いのなら無いと言ってくれればいい」

 

 

 少年は、藍の言葉に笑顔になる。全てを許されたような表情で落ち込んでいた様子を一変させて嬉しそうに告げた。

 

 

「うん、分かったよ。藍には、できるだけ気を使わないようにする」

 

「ああ……それでいい、それがいいのだ」

 

 

 藍は、少年の表情に朗らかな笑みを浮かべながら納得した様子で一度だけ大きく頷いた。

 

 

 

 

 

 そんな二人だけの世界に―――店の奥から声が割り込んでくる。

 

 

「まさか、八雲の従者の趣味がそんなのだったとはねぇ……」

 

「えっ?」

 

 

 二人は、声の主へと視線を向ける。視線の先には、一人のおばあさんがいた。

 少年は、こんな人いただろうかと不思議そうな顔でおばあさんを見つめる。

 藍は、いきなりの登場人物にハッとした様子で口を開いた。

 

 

「店主っ! 私と和友は、そういった関係ではないぞ!」

 

「私は、どんな関係とも言ってないんだけどねぇ……」

 

 

 藍は、おばあさんから投げかけられた言葉に恥ずかしさのあまり顔を赤くして反論するが、店の奥から出てきたおばあさんは、そんな藍を見て大きなため息を吐くようにして呟いた。

 藍は、店主の言葉に口を紡ぎ詰まってしまう。

 

 

「うっ……店主、ともかくだな……」

 

 

 藍は、今出てきたおばあさんのことを知っていた。深い関わり合いを持っているというわけではないのだが、話をしたことがある程度には知り合いだった。

 当たり前だが人里に初めて来た少年は、この人物を知らない。ただ、藍の言葉から察するに、どうやらしゃべっている相手は日和日の店主だろうと見当をつけることはできた。

 店主は、白髪交じりのちょっとだけ腰の曲がったおばあさんである。

 少年は、藍の一歩前に出ておばあさんと挨拶を交わした。

 

 

「店主さん、初めまして。八雲紫さんのところでお世話になっています。笹原和友と言います」

 

「礼儀正しい良い子だね。私はここの店主やっている明石日和(あかしひより)という」

 

 

 少年は、店主に対して頭を下げる。少年の礼儀正しい様子を見た店主は、にこやかな表情で言葉を返した。

 

 

「なんとも微笑ましいことだ。まさか、あんたが人間の子を連れてくるとはねぇ……」

 

 

 店主は、一息つくと目線を藍の方向に向けた。

 店主の日和は、八雲藍が日和のことを知っているように八雲藍のことを知っていた。藍は、これまでに生地屋である日和日に何度か来ており、すでに顔見知りの仲だった。

 

 

「時代が変わったということなのか……にわかには信じがたいね」

 

 

 日和は、八雲藍が人間の子供を連れてきたことが信じられなかった。正確には、八雲藍の主である八雲紫が人間の子供を養っているということが信じられなかった。日和が知っている八雲紫ならば、絶対にあり得ないと思ったのである。

 藍は、店主の言葉が気になり質問を投げかけた。

 

 

「どうしてそう思われるのですか?」

 

「八雲紫のところから人間がやってきているんだよ? あんな周りに人を寄せ付けないような奴が、人を一人抱えているっていうのが信じられなくてね。それもこんな子供を……天変地異でも起こるんじゃないか?」

 

 

 日和は、八雲紫という人物をよく知っていた。

 日和から見た八雲紫の印象は、他の人間や妖怪とひどく違っている。捕まえどころのない胡散臭いやつという、誰もが持つ印象ではなかった。

 

 

「あいつは嫌われるのを怖がっているふしがあるから、そんな奴が人間をそばにおくってのがねぇ……随分変わったものだなぁと思ってね」

 

 

 藍は、店主が紫の性格について理解しているところから、ある程度深い関係なのだと予測する。同時に、人里にめったに来ない紫に深い知り合いがいることに驚いた。

 

 

「紫様とお知り合いなのですか?」

 

「知り合い? まぁ、そんなところかねぇ……」

 

 

 日和は、藍の質問の答えを濁す。少なくとも紫と日和は、知り合いという間柄ではあるようである。

 藍は、店主が紫と交友があることを今日初めて知った。

 

 

「おばあさんは、今いくつなの?」

 

「今年で68になるね」

 

 

 少年は、日和の年齢を聞いて意外そうな顔をする。知り合いというのは、年齢が離れすぎているような気がしたからである。

 少年から見た紫というのは、正確な年齢は分からないが、まだ若いと言える年代である。胡散臭さは感じるものの、古臭さは感じられるものの、見た目は非常に若い。

 実際の所は、紫の年齢は人間の寿命に比べると桁が違うのだが、そんなことを少年は知らない。紫とは年齢の話をしたわけでも、妖怪の寿命の話をしたわけでもないのである。

 少年は、目の前にいるおばあさんのような年齢の人と紫がどういう関わりで知り合いになったのか見当もつかなかった。

 日和は、少年に対して怪訝そうな表情を作った。

 

 

「少年、言っておくが女性に年齢の話は振らない方がいい。私は気にしたりはしないけどね。気にするやつが多いから、特にそこの八雲のところのやつがね」

 

「確かに紫様は少し気になさるかもしれないな……私は、あまり気にはしないが」

 

 

 日和は表情を変えることなく目線を藍に向かって向け、藍は日和の視線を感じながら表情を曇らせて答えた。

 紫は、日和や藍の話によると年齢を気にする性質のようである。

 藍は、どうやら日和と同じようにもあまり年齢については気にしないようだが、余りと言っているあたり紫と同様に少し気にしているのかもしれない。藍は強がっているだけの可能性が十分にあると、少年は子供ながらに察していた。

 

 

「年齢って増えてくだけだし、気にしても仕方がないと思うけど。増えてくだけのものなんて、ゴミと一緒。自分で積み立てた物じゃない」

 

「あんたも言うね。あんたとは、気が合いそうな気がするよ」

 

 

 日和は、少年の言葉に肯定の意志を示した。少年の意見に同調するあたり、少年と同じ気質を持っているのかもしれない。

 年齢というのは―――勝手に積み重なってくるもの。コツコツと積み上げていくものでもなければ、努力してどうこうなるものでもない。

 少年は、そういうどうでもいいことは、気にしてもしょうがないと思っていた。

 そして、日和も少年とは少し違えども年齢に関して同じような気持ちを持っていた。

 死んだらどうせ全部無かったことになる。灰になって骨になるだけだ。

 

 

「年齢なんて気にするだけ無駄なのさ。どうせ増えていくものなんだからね。皺も、染みも、全部受け入れちまえばいい。どうせ、最後には全部無くなるんだからね。努力して変わるものでも、止めようと思って止まるものでもないよ」

 

 

 日和は、年齢に抗うということは酷く無意味であることを理解していた。努力をすれば、死を避けられるわけでもない。年を取るということは、人間がゴールに着実に進んでいる事実しか表していないのだ。

 それ以上でも、それ以下でもない―――それ以外でもない。

 日和は、そこまで喋ると表情を明るいものに変えて話題を変えた。

 

 

「なんだか辛気臭い話をしちまったかね、こんな話は止めて商売を始めようじゃないか」

 

 

 日和の声が凛とした音をもって店内に響き渡る。年齢を感じさせない、よく響く声だった。

 日和の表情は、商売人のものになっており、物を売る者としての矜持を感じさせる顔だった。

 

 

「さぁ八雲の従者さん、あんたは私の何を買ってくれるんだい?」

 

 

 日和は、言葉通りに、自信満々に―――大胆不敵に笑みを作り出している。

 日和の言葉は、自分の作り出した生地は日和の体の一部も同然なのだという印象を相手に与えた。少年も例にもれず、日和の言葉に重みを感じ取った。心を込めて布を作ったのだろう。自分の一部を埋め込むような気持ちで布を作ったのだろう。きっと魂を込めて布を作ったのだろうと想起させた。

 

 

「欲しいものはもう決まっている。そこにある白い生地と向こうの淡い青色の生地、そして、その隣の橙色の布を10メートルほどもらえるか」

 

「まいどあり。少し待っていなさい、すぐに持ってくるからね」

 

 

 日和は、藍の指定した布を迷うことなく見つけ、年齢に似合わず店内にある大きな布を軽々と持ち運ぶ。そんな力、何処から出ているのだろうか。とても68歳のおばあさんには見えなかった。

 

 

「力持ちなんですね」

 

「年齢を気にするなと言っただろう、あんなの無駄だよ。できることはできるし、できないことはできない。ただ、それだけなんだ、覚えておきな」

 

「……覚えておくよ」

 

 

 日和は、藍の指定した長さに切り取り、抱えられるように最適な大きさに包む。手際良く作業を行っていく。その動きは―――酷く洗練された動きだった。長年ずっと同じ動きをしてきたのだろう、少年の書き記す作業と同じような雰囲気が醸し出されている。

 日和は、全ての作業を終えると流れるように動いていた体を静止し、藍に向かって商品である布を手渡す。

 藍は、布の対価となるお金を手渡した。これで等価交換が成り立った。商売が成り立った。

 

 

「八雲の従者、しっかりしたのを作ってやんなよ。衣服っていうのは、着る人を守ってやるものだからね。心と体の両方を包んでやりなさい。この子には、特に必要になる」

 

「分かっている」

 

 

 藍は、分かっていると言わんばかりに、覚悟を持った顔で頷いた。

 

 

「「ありがとうございましたー」」

 

「また来なさい。私は、死ぬまでずっと店を続けているからさ」

 

 

 少年と藍は、同期したように頭を下げてお礼を言い、二人は店を後にする。

 日和は、店を出て行く二人の姿を見送った。

 

 

「あの子の心の中は、どこまで積みあがっているのかねぇ」

 

 

 日和は、脳内に先程の少年を思い浮かべる。どこかで見たことのあるような親近感の沸く少年を思い描く。

 

 

「積みあがれば積みあがるほど、重心が高くなって不安定になる。それに、まっすぐに積み立てることはとても難しい……あの子の積み上げたものは、直に崩れ去るだろう。その時の余波はどこまで広がるか……準備しておく必要があるかもしれないね」

 

 

 日和は、どこか遠くを見つめるような目をしながら未来を憂うように細く呟き、再び店の奥へと姿を消した。

 

 

「次は、食べ物を買いに行くぞ」

 

「次で最後だね」

 

 

 藍と少年の次の目的地は、食品店である。

 最後の目的地である。

 人が生きるために最も必要とされるもの、日々の活力を手に入れる。

 藍と少年の足取りは、重くなる荷物に反して軽いままだった。

 


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