ぶれない台風と共に歩く   作:テフロン

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約束事、決まり事

 少年は、藍の言葉に暫くの間押し黙った。無理をしないでくれという藍の言葉に何も反応を見せなかった。

 少年は、暫く沈黙の間があった後、重い口を開いた。

 

 

「次は、服屋だね。どこら辺にあるのかな」

 

 

 少年の口から吐き出された言葉は、藍の心を激しく揺さぶった。

 藍の目が少年の言葉に僅かに細まる。

 少年は、藍の無理をするなという再三の心配の言葉に対して返答しないばかりではなく、あろうことか次の服屋のことを口にした―――藍の言葉を無視するように話を切り替えたのである。

 少年は、藍と視線を合わせないように周りを見渡し、再び笑顔を作って楽しそうにしている。雰囲気を大きく変えて、よそ見をしている。

 

 

(私の言葉が聞こえなかったのか? いや……そんなはずはない)

 

 

 藍は、単に自分の言葉が聞こえなかったのだろうかと考えたが、そんなことはありえないとすぐさま考えを捨て去った。これまで普通に会話をしていて、大事なところで急に聞こえなくなることなどありえない。

 少年は、明らかに話をそらそうとしている。

 

 

(そうか、そういうことか。和友は、私の言葉を受け入れるつもりがないと、そういうことなのだな)

 

 

 藍は、確信する。少年の話をそらす行為は、藍の言葉に賛同できないと言っているに等しい行為で―――無理をするのを止める気はないと言っているのと同じだ。

 少年は、藍が何を言っても無理をすることを止めるつもりはないのだろう。紫が止めても無理をすることを止めるつもりはないのだろう。

 藍は、露骨な論点をずらす行為の中に含まれる少年の意図を飲み込むことができず、我慢ができなかった。これだけ心配しているのに、これだけ気持ちを伝えているのに、それを無視しようとする少年に怒りを覚えた。

 

 

(ふざけるな、人がこんなに心配しているのに)

 

 

 藍の足が唐突に止まる。少年の手をしっかりと握り震えを抑え込む。

 少年は、停止した藍に引きずられるように歩みを止め、藍へと視線を向けた。

 藍は、少年の目をにらむように見つめると震える心をそのままに不安の乗せた声で言葉を吐き出した。

 

 

「和友! 今ここで約束してくれっ! 無理はしないって、約束してくれないか!?」

 

 

 藍は、人里の通りで人目もはばからず悲痛な声を上げた。

 周りを歩いている人が大きな声に反応して少年と藍の二人の方に目を向ける。

 だが、妖怪ということで視線は一気に散乱していった。誰も言い争いを止めようとはしてこなかった。

 

 

「お金を返すためだけではない……無理をしてまで何かを成し遂げるということを止めて欲しいのだ」

 

 

 藍は、卑怯な手段だとは思いながらも少年と約束を取り付けようとしていた。藍のしようとしている行為は、少年のことを知っている者にとっては反則以外の何物でもない。

 

 

 約束を守るというのは―――少年の決まり事なのである。

 

 決まり事とは、少年にとって何よりも優先されること。お金を返すということは、似たような約束事があるだけで約束を守るという決まり事に比べれば優先順位的に劣るはずである。

 だったら、無理をしないという約束を結んでしまえば、決まり事の方を優先するはず―――これが藍の考えた少年を止めるための手段だった。

 藍は、少年に無理をして欲しくないという善意100%の想いで、無理をしないという約束をして欲しいと持ちかけた。

 

 

「…………」

 

 

 少年は、藍の言葉を聞いてどこか遠くを見つめる。見つめる先は、藍の後方上空である。

 少年の視界の先にあったのは空だけで、雲だけで、青だけだった。

 藍には、少年が泣いているように見えた。涙なんて確認できなかったが、悲しそうな顔をしているようにも見えなかったが、なんでだろうか―――そう見えた。

 少年は、暫くすると視線を降ろして藍に目線を合わせる。

 

 

「和友……?」

 

「……無理だよ。今ここで、約束はできない」

 

「どうしてだ? そんなに難しいことではないだろう?」

 

 

 少年は、どこか寂しそうな顔をして少年を想う藍の言葉を拒否する―――約束はできないと言葉を口にする。

 藍には、少年が断る理由が分からなかった。

 無理をするなという約束は、藍のためでも、紫のためでもない、少年のための約束なのである。そしてその約束は、少年が不幸になる類の約束でもない。少年がこれから先を生きていくための支えになってくれるものなのだ。

 それをどういった理由で無理だというのだろうか。受け入れられないというのだろうか。藍の頭には疑問が湧きたっていた。

 

 

「ごめん……僕には無理なんだよ」

 

「……私は、和友に無理をして欲しくないのだ。私の気持ちを分かってもらえないだろうか。私は和友が心配なのだ……」

 

「…………」

 

 

 藍は、心から心配するように優しい声で呟いた。

 それでも少年は、藍の言葉を聞いて悲しそうな表情を浮かべるばかりで、藍の優しさを受け入れようとはしなかった。藍の気持ちは痛いほど少年に伝わっている。何も悪意から言っている言葉でないことは、少年も理解していた。

 だが―――約束することはできないのである。

 少年は、藍の言っている言葉がどれほど難しいことなのか知っている。それが、どれほどに難しいことなのか知っていた。

 

 

「藍は、簡単に言うよね。簡単に難しいこと言う……」

 

「難しい? 以前は口約束で簡単にできただろう?」

 

 

 藍は、少年の気弱な声を聞いて疑問を口にする。

 少年と藍の二人が少年の心の中で約束した時―――藍が自分のことを名前で呼んで欲しいと願った時は、簡単な口約束だった。藍が名前で呼んで欲しいと願い、少年は約束すると告げ、二人の間で約束が結ばれたのである。その時は、簡単であったがゆえに軽い気持ちで約束をしてしまい、少年が頑張らなければならない状況になった。

 しかし、今の場合はその軽さが、都合が良いといえる状況である。ここで約束をしてしまえば、少年は無理をしなくなるのだ。だからこそ藍は、少年に約束を取り付けようとしていた。

 けれども、今の少年の反応を見ていると、無理をしないという約束は難しいものであるということが読みとれる。それはなぜなのか、藍には分からなかった。

 

 

「約束事は、簡単なものじゃないよ」

 

 

 少年は、藍に向かって真剣な表情で告げる。

 少年にとって約束事を守ることは絶対のものだ。何物にも揺るがない、絶対的な掟である。破ることは許されず、守ることを義務付けられたものだ。

 約束を交わしたが最後、少年はその身が朽ち果てるまでそれを守り続けなければならない。

 少年は、約束を交わすことの重さを知っていた。

 

 

「一応聞いておくけどさ、無理をするなってどこからが無理になるの? 僕は、どこまで何をしていいの? 僕は、どこまで我慢をすればいいの? 僕は、何をどうすればいいのさ」

 

 

 無理をしないという約束は、少年にとって果たせない約束だった。

 それは、無理をしないということがあまりに不明慮だからである。

 少年は、藍の無理をするなという言葉の境界線が分からなかった。

 境界線の曖昧な約束は、受理できない。不明慮な約束をした場合、少年はよく分からないままにその約束を守らなければならなくなる。それがどんなものであっても、約束ならば守らなければならなくなる。よく分からない約束で、よく分からない状態になって、何もできなくなってしまうかもしれない。

 

 

「その無理をするなっていう約束は、何処に引くべき明確な境界線があるのかな?」

 

「…………」

 

 

 藍は、少年の言葉の返答に詰まり、次の言葉がなかなか口から出てこなかった。言葉の意味が分からなかったわけではない、ただ答えが見つからなかった。

 少年は、無理をしていると判断する基準が分からないと言っている。

 だが、無理をしているという基準、無理と判断する境界線には個人差がある。藍にとって無理というのと、紫にとって無理というのに差があるように、無理という言葉には個性があるのである。

 藍は、少年の言葉に対する回答をすぐに思いつかなかった。取りようによって変わってしまう境界線を引くことができなかった。

 しかし、何も言わなかったら何も変わらないままだ。少年のすり減らすような行動を止めることはできない。

 藍は、苦悩の末辛うじて思いついた回答を、不安を含めて口から吐き出した。

 

 

「それは……例えば、怪我をしない程度にするとか……」

 

 

 藍が辛うじて考えた基準は、傷を負うということを境に無理と断定するというものである。

 簡単にいえば、少年が傷を負うようなことがあればそこからは無理をしている、という判断の基準を設けてはどうかという提案だ。もっと単純に言ってしまえば、怪我をしない程度に頑張ればいいということである。

 藍は、少年の疑問に対する答えを他に何も思いつかなかった。普通に生活していたら、こんなことは考える機会がないのだからとっさに思いつかないのも仕方がないといえる。

 そもそも、無理をするなという基準は状況に応じて決めるものだ。実際にその状況にならなければ、何処からが無理という基準に違反するのか判断がつかないし、個人差が必ず生まれてくる。

 仮に、紫が藍に対して無理をするなと言った場合、それは自身の限界を超えることをするな、危険なことをするなと、紫の言葉を受け取るだろう。

 このように―――無理というラインを判断すればいいだけの話で、どこからが自分の限界なのか、危険なことなのかどうかの判断をつけて、足を止めればいいだけのことであるのだが―――少年は藍のように普通に判断できる人物とは違う。

 昨日の少年の様子を見ていれば、嫌でも分かるだろう。境界線を曖昧にする程度の能力を持っている少年にとって判断するということがどれほど難しいのかは、考える間ものなく分かることである。 

 少年は、通常無理だと判断するものを普通だと思っている。先程店主が言った通りで、少年には無理かどうかの区別が付いていない。そうでなくては、昨日の書き記す作業は説明がつかない。

 藍は、自分の言っていることが酷く間違いであることを、心のどこかで気付いていた。

 だが、喋らずに黙っていることができなかった。

 少年は、不安を抱える藍に追撃を掛けるように疑問を口にする。

 

 

「怪我をしたらそこから無理になるの? だったら、歩いていて怪我をした場合、そこから何かをすることは無理をするってことになるよね」

 

「…………」

 

 

 藍は、少年の言葉に口を紡ぎ何も言えなくなった。

 少年は完全に―――例外の存在だった。

 藍は、人里で少年にとある話をしている―――人里に妖怪が入った場合における対処の話をした。その話と同様に、何事にも例外が存在する。

 傷を負った後に何かをしようとすることが無理というのならば、歩いている途中で転び、足に怪我負った少年は、歩くことを止めなければならないのだろうか?

 妖怪に襲われて怪我負った少年は、走ると無理になるからといって妖怪から逃げるのを止めなければならないのだろうか?

 普通の人間であれば、それが無理なことなのかどうか、優先順位的にどちらが大事なのか判断がつくだろう。

 しかし―――少年は違うのである。その判断を境界線が曖昧だという理由で下すことができない。少年にとっては、無理をするなという約束自体に無理があるのである。

 

 

「藍、僕に気を遣ってくれるのは嬉しいよ。本当にありがたいと思っている。きっと僕がこれから幻想郷で生きていくことができるのは、まぎれもなく藍と紫の、二人のおかげになるんだろうね」

 

 

 少年は、口を閉ざした藍に優しく笑いかけ、藍と紫に心からの感謝を述べた。紫に無理矢理幻想郷へ連れられてきたことを考えても。もともと嫌々ながらに来た幻想郷であっても。少年の能力の制御に手を貸し、生活の援助をし、自分がこれから生きていくための手助けをしてくれる。少年は、そんな二人の存在に頭が上がらない気持ちだった。

 藍は、優しい笑顔で語りかける少年を見つめる。

 少年は、本当に嬉しそうな顔で藍へと気持ちを伝えた。

 

 

「幻想郷に連れて行かれる前は、幻想郷に来ても来なくても何も変わらないと思っていた。紫が助けてくれても助けてくれなくてもどっちも一緒だと思っていた」

 

 

 少年は、幻想郷に来る前、別に紫に助けてもらっても助けてもらえなくても、どっちでも変わらなかっただろうと思っていた。

 だけど、その評価は昨日の件で覆された。今は、幻想郷に来て良かったと心から思っていた。

 

 

「でも……今は思うんだ。二人は、とても優しかったから。こんな僕に、優しくしてくれたから。こんな僕を、理解してくれたから。だから―――藍、ありがとうね」

 

 

 気持ちが変わったのは―――まぎれもなく二人が少年に優しかったからだ。気持ちをくみ取ってくれて、理解してくれて、支えてくれたからである。

 少年は、藍と紫のおかげで何とか生きていける。二人が優しい人で本当に良かったと心の底から思っていた。

 藍の心の中に少年の言葉がしみ込んでいく、少年の想いが入りこんでいく。

 藍は、少年からの真っ直ぐな心に心が暖かくなっていくのを感じていた。

 

 

「和友……」

 

「紫が僕を幻想郷に連れていってくれなかったら、きっと僕は苦しんでいた。もしかしたら死んでいたかもしれない。言いすぎかもしれないけど、僕は二人のことを命の恩人だと思っているよ」

 

 

 もしも紫が少年を幻想郷に連れて行かず、少年が外の世界で暮らしていかなければならなかったとしたら、理解者である親を失っている少年はとても苦しい生活を送ることになっただろう。誰一人として本当の自分自身を見せることはできず、自分一人で抱え込んで生きていかなければならなくなっただろう。

 施設で生活することになっても、親戚の家に引き取られたとしても、書き記す行為を止めることのできない少年は肩身の狭い思いをしたことになったはずである。

 そのことを考えれば、紫が手をさしのべてくれたことは少年にとって救いだった。

 少年は、笑顔のまま再度藍に対してお礼を言う。

 

 

「無理をしないで欲しいという藍の気持ちは本当に嬉しかったよ。僕を大事にしようとしてくれる藍の気持ちはよく伝わってきたから……ありがとうね」

 

「っ……」

 

 

 藍は、少年のお礼に再び心を揺さぶられた。自然と目元に涙が溜まって零れ落ちそうになった。

 少年の言葉が、想いが心に入りこんでくる。優しい想いが、感謝の念が藍の心に深く入り込む。少年から告げられた言葉には、それだけの純粋さや、重さがあった。

 藍は、涙をこぼすまいと瞬きをせず、目元に溜まっていく涙を拭きとることもせず、少年の前から動く事もできず、立ちつくした。

 

 

「でもね、いきなり何かをやれって言うのは反則だよ。僕は、藍と紫に何かをやれって言われたら基本的に断れない立場なんだから」

 

 

 自分は、どうしようもない奴だ。普通のことができない。平常できるようなことができない。期待にも応えてあげられない。自分という人間は、そういう人間だ。少年は、自分自身のことを客観的に評価できている。

 藍は、そんなどうしようもない自分のことを大事に思ってくれている、心配してくれている。

 できることならば、お願いを聞いてあげたい。約束を交わして、安心させてあげたい。そういう気持ちもある。藍の言うことならば、できる限りのことを聞いてあげたかった。

 それでも、聞いてあげられないこともある。

 少年には、譲れないものが多かったのである。

 

 

(私は何をしているのだ……私のやっていることは、約束なんかじゃない。ただの上からの押し付け―――命令じゃないか……)

 

 

 藍の顔が少年からの正論にうつむく。すると、瞳に溜まっていた涙が一筋、頬を伝って落ちた。

 藍の心にあったのは、悪いことをしたという罪悪感ではない―――何も分かっていない、分かろうとしてない、何もできていないという悔しさだった。

 藍は、少年の正論に何も言い返すことができず、ただただうつむくだけになる。

 藍のしていることは、はっきり言ってしまえば上からの圧力による抑制で、親から子に与えられる命令に近いものがある。まるで、これまで紫が藍に与えてきたものと同じである。上から降って来るだけのもの。意志が与えられていないもの。無機質で、熱の感じられないもの。

 藍は、家族として接しようとしていた少年に無理やり言うことを聞かせるようなことをしたことを後悔していた。

 少年は、うつむく藍に近づき、右肩に右手を乗せると優しく言葉をかける。

 

 

「藍、帰ったらさ……無理しないような約束事、一緒に考えようね」

 

「……そうだな。私は本当に駄目だな、和友の気持ちを少しも理解できていない」

 

 

 藍は、一粒の涙をこぼし、涙を袖で拭き取って顔を上げる。顔を上げた視線の先には、優しそうにほほ笑む少年の顔があった。

 少年は、涙を流した後の残る藍に何も口にしなかった。気にしないで、泣かないでと、慰めの言葉を口にすることはなかった。ただ優しい顔をした少年がいた。

 藍は、少年のことをある程度理解した気になっていたが、それが気のせいであったのだと反省する。1日しかまだ経っていないのだ、分かった気になっていた方が間違っていいたのだと、気持ちを改めた。

 

 

「はぁ……和友にとって、いい方向に進むように色々考えてみたのだが……」

 

 

 揺さぶられた心が少年の手から伝わる暖かさで落ち着いていく。

 藍は、肩に置かれた少年の手の上に引き付けられるように自分の手を重ねた。

 

 

「私は昨日から何をやっているのだ……」

 

 

 藍の行動は昨日も今日も、少年を良い方向に良い方向に進ませようとしているのに空回りしてばかりである。少年にとって良い未来を描けるように、少年にとって一番苦しくない道を通らせるために行動してはいるが、お世辞にもあまり上手くいっているとは言えない。

 もし、上手くいっていないだけならば、悔しさもほどほどに済んだだろう。涙を流さない程度に我慢ができただろう。失敗しただけならば、次にどうすればいいかと考えればいいだけの話である。

 しかし、失敗して空回りした車輪を止め、メンテナンスをし、再出発をかけるのは藍ではなく少年だった。

 藍は、失敗するたびに少年自身に慰められるような、諭されるような状況になっていることが恥ずかしく、情けなさを感じていた。

 

 

「仕方ないんだと思うよ。僕が言うのもなんだけど、妖怪って人間の気持ちを考えて日々を過ごしているような生き物じゃないと思うし、人間同士だって相手の気持ちを理解できないんだから」

 

 

 少年は、情けなさそうに言う藍を慰め一呼吸入れ、言葉を並べる。

 

 

「ただ、言われたのが藍で良かったと思うよ。きっと藍じゃなかったら我慢できていないだろうから」

 

「……和友は、慰めるのが上手いな」

 

 

 藍は、慰めるのが上手いと思った。少年の心の中でさまよっていた時も、しっかりと芯を持って慰めてくれた、支えになってくれた。今だって、ただただ追い込むだけではなくフォローを入れてくれている。

 

 

(和友の心は、酷く温かい……)

 

 

 少年の言葉は、重みがあるというのだろうか、不思議と心にしみわたる。心に刻まれるように、まるで少年の心がそのまま伝わっているかのような錯覚を覚えるほどに、はっきりと少年の心を感じることができる。温かい気持ちがそのままの温度で伝わってくる。口にしている言葉が嘘じゃないと、本物なのだと聞かずとも感じ取ることができた。

 

 

「僕は、そういうのが上手くないと生きていけなかったから……」

 

 

 少年は、もとから慰めるのが上手かったわけではなかった。最初から誰かの気持ちをくみ取るのが上手かったわけではない。少年は、徐々に相手の気持ちを読み取るのが上手くなったのである。

 相手の気持ちを理解することは、少年が外の世界で生きていくために必要不可欠な技術なのだ。他人が何を考えているのかを把握することが上手く生きるために必要なことだったから、自然と上手くなったのである。

 

 

「みんなの作り出す普通という環境の中に僕はいる。僕がみんなのことを分からないと……僕はその環境の中で生きていけない。普通という流れから出たら、息ができなくなって死んでしまう」

 

「和友……」

 

 

 少年は、普通に生活することを目標に生きている。そのためには、他人の感情を読み取る必要がある。

 理解できなければ、普通の日常生活で他人に溶け込むことができなかった。普通の生活を送るためには、他の人の意志や心を誰よりも感知しなければならなかった。曖昧な認識では、ボロが出る可能性があった。

 みんなが悲しむ場面では、悲しむ必要がある。みんなが楽しんでいる場面では、楽しむ必要がある。普通と呼ばれるような生き方をするためには、周りの動きを読み取り行動するということが必要条件だった。

 少年が普通の生活を送るには、自分を一切見せることなく、普通の自分を見せつけるように行動することが求められていたのである。

 

 

「ううん、止めよう止めよう。もう、暗い話はお終いだ。藍の言う通り、僕は人を慰めるのが上手い人間なんだぞー」

 

「ふふっ……そうだな。暗い話ばかりでは、せっかく人里に来たのにもったいない。空も晴れ渡っているのだ。元気を出していこう」

 

 

 少年は、暗い話を吹き飛ばすように両手を上げてふざけたように振舞う。

 藍は、急に崩れた少年の投げやりな様子に一瞬心を奪われた。

 少年の様子を見ていると自然と笑みが浮かんでくる。これもまた少年の特徴ということか。

 少年の雰囲気は、周りへと容易に感染する。太陽のように人の心を突き動かす。

 藍は、先程の暗い表情がまるで存在しなかったかのように、明るい顔で前を向いた。

 

 

「さぁ、気持ちを切り替えいこー! まだまだやらなきゃいけないことがあるんだからね!」

 

「そうだな、次は和友の服を買う番だ」

 

 

 二人の次の目的地は服屋である。

 二人の進む足取りは、朝に空を見上げた天気と同じように人里に入った時と変わらないもの。

 重くなった足取りは、その姿を消していた。

 


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