ぶれない台風と共に歩く   作:テフロン

30 / 138
勝負を持ち掛けられた、希望の筆を依頼した

「おっと……急に立ち止まってどうしたの?」

 

 

 人里についての話をしているところで、不意に藍の足が止まった。藍の隣で歩いていた少年は、藍よりも一歩先に進んだ位置で慌てて停止する。そして、真後ろに振り向いた。

 

 

「和友、ここだよ」

 

「ここ?」

 

 

 藍は、斜め45度というあたり指さした。

 少年は、藍が指差した方向を見つめる。そこには看板が掲げられており、蛇の通ったようなうねった文字が書かれていた。ここが、少年が必要としている文房具を買う場所のようである。

 藍は、店の看板を指さしながら口を開いた。

 

 

「ここが、文房具というか、物書きに必要なものが売られている店だ。和友はこれからよく来ることになるだろう。店の名前は筆一本。私は、あまり来たことがないな」

 

「あ、これ筆一本って読むんだ。達筆過ぎて良く分からなかったよ」

 

 

 少年は右手を上げ、筆を握るような形を作る。そして、看板に書かれた文字をたどるように空中で右手を動かした。

 空中で少年の手が躍る。それだけ見ていると奇妙に見える光景である。

 少年は、空中で文字を書き終わると上げていた腕を下ろして鉛筆を握り、ノートに店の名前を書き込む。ノートには、看板と同じような文字が描写された。

 藍は、ノートに書かれた文字を見て、はたしてマヨヒガに帰った時に名前が読めるのだろうか、ここで読めなかったのなら、マヨヒガに帰った後でも読めないのではないだろうかと疑問を持った。

 

 

「この文字、帰った後で読めるのか?」

 

「分からない。読めたらいいなぐらいで思ってる」

 

「これは、筆一本と読むのだぞ。もしかしたら今後もお世話になるかもしれないし、ノートに書いておくことを勧めておく」

 

「了解です」

 

 

 少年は、藍に再び読み方を教えてもらいノートに読み方まできっちりと記すと、これで大丈夫と言うように満足げにノートを閉じた。

 

 

「さぁ、中に入るぞ」

 

「うん」

 

 

 藍は、少年と共に店の扉を開けて中に入る。

 店の中は薄暗く、埃が被っている所がいたるところにあり、人があまり入っている様子は無かった。

 

 

「これは、別の所に行けばよかったか?」

 

「なんだか薄暗いね。今日はお休みなのかな?」

 

 

 藍は、余りに人の少ない店内の様子に違う店を選べばよかったかと若干の後悔をしながら、店の奥へと歩いていく。

 少年は、藍の後ろについていきながら周りにある物に目を配った。

 

 

「筆ばっかりだね」

 

 

 店の中にあったのは、主に筆である。筆一本というだけあって筆がそこらじゅうに展示されている。

 藍は、店の奥を見渡した。視線の先で誰かが正座している。どうやら下を向いて作業をしているようだ。

 下を向いているため顔を確認することはできず、誰なのか判別することはできなかったが、考える必要もなく作業しているのは筆一本の店主であろう。作業に集中しているようで、二人が店に来たことに気付かなかったようである。

 

 

「誰かいらっしゃいませんか」

 

 

 藍は、店の奥で作業している店主だと思われる人物に向かって声をかけた。

 藍の声が響いた直後―――相手の顔が上げる。相手の顔の様子から、まだ20代後半、30代前半だということが予測される。

 少年は、顔を上げた相手に向けて元気よく挨拶をした。

 

 

「こんにちはー」

 

 

 相手は、少年の声を聴いて正座を崩して立ちあがった。

 身長は170cmほどで、体つきは若干のやせ形、筋肉はそれほどついているようには見えない。作業着なんてものが存在するか分からないが、衣服は普段着のようで、ゆったりした服装をしていた。

 相手は、店の奥から藍と少年のいる店の中心の方へと歩いてきながら二人に向けて口を開いた。

 

 

「お、珍しいお客さんが来なさったな。今日は何を買いに来たんだ?」

 

「店主、私が買い物に来たわけではないのだ。今日は、この子の方からあなたに用があるのだよ」

 

 

 藍は、そう言って軽く少年の背中を押す。

 少年は、藍に背中を押されてもともといた位置から一歩前に出ると、店主に向かって言葉を放った。

 

 

「初めまして、笹原和友と言います」

 

「これは珍しいお客さんだ。俺は、ここの店主をやっている山本勝という。よろしくな」

 

 

 店主の山本勝は、少年に向かって右手を差し出す。少年は、店主に応えるように右手を差出し握手を交わした。

 

 

「そうだなぁ……」

 

 

 店主は、少年と言葉を交わした直後に、少年のことを足の先から頭の先までさっと見渡し始めた。

 少年は、唸るような声を出しながら自身のことを見る店主を不思議そうな表情で見つめる。

 店主は、少年を隅々まで観察すると何かに納得したようで唐突に一言いい放った。

 

 

「なぁ八雲の従者さん、この子外来人だろ?」

 

「分かるのか?」

 

 

 藍は、店主の言葉に少しばかり驚いた。それは、店主が手掛かりの特にない状況で少年を外来人だと判断したからである。

 外来人という言葉は、外の世界から幻想郷にやってきた人物のことを指す言葉である。

 外来人かどうかを判別するのに一番簡単な方法は―――服装と言葉遣いである。

 しかし、少年が今着ている服は藍の物で、服装からは外来人だという判断ができない。それに、少年の言葉遣いがおかしいというわけでもない。

 少年の言動にも、行動にも、特別外来人だと特定できるような部分はなかった。

 つまり店主は、行動や言動、見た目以外の他の所から少年が外来人であることを判断したということになる。

 藍は、自分でも判別できないことを店主が軽々しく言い当てたことに素直に驚いた。

 

 

「見覚えのない子供が来たら基本的には外来人だよ。俺は、寺子屋の方と商売をやっているからな。この人里で知らない子供は一人もいないはずだ。そんな俺が見たことないんだからこの笹原って子は、外来人で確定だろう? 簡単なことだ」

 

「外来人って外から来た人ってことだよね?」

 

「そうだ。外から来た人、そのままの意味だな。で、坊主は何の用があってここを訪れたんだ? 寺子屋に通っている子供なら習字の練習があるから筆が欲しいのだろうと見当がつくが、外来人がうちの店に来る理由は見当もつかないんだが」

 

 

 店主には、外来人である少年が自分の店に来た理由が何も思い当たらなかった。少なくとも店にやってきた外来人を一度も見たことがなかったのである。

 少年は、店主に向けて店に来た理由を告げる。

 

 

「筆が欲しいんだ。別に筆じゃないといけないわけじゃないんだけど、100年使っても壊れないような丈夫な筆が欲しい。僕はちょっと書くことが多いから指に負担がかからなくて丈夫な筆が欲しいんだ」

 

「…………」

 

「そりゃまぁ大層な願いだ。あいにく、うちではそんなとんでもない代物は扱っていないねぇ。そんなものがあったら商売が成り立たないからな」

 

 

 藍は、無理難題とも言える要求に驚いて言葉が出なかった。

 しかし、当の店主は少年の要求に何一つ動じることなく少年に目線を合わせ、続けるように口を開く。

 

 

「一生分の筆の代金で一生分使える筆を買うやつはいない。買う手間が省けていいという奴もいるかもしれないが、それはごく僅かだ」

 

 

 店主の言うように、もし永久的に壊れないような筆があったとしたら、それ一本で一生に消費する分のお金を請求することになる。人によって使用量が違うため値段設定が難しいが、相手の想定よりも高額になるのは間違いがないだろう。

 一生使える筆に、一生分の費用を全て出す人間はいるか―――そんな人間はいない。

 だとしたらどうすれば一生使える筆を買ってもらえるのか、それは―――値段を落とすしかない。

 しかし、値段を落としてしまえば、割に合わなくなる。壊れる筆を作っていた方が儲かるのである。

 

 

「買う人間を増やすには値段を落とすしかない。でも、それじゃあ割に合わないだろ? 作る労力を考えれば見返りが小さすぎるからな」

 

 

 問題は、それだけではない。一生壊れない筆を作るためには、それに見合った労力が必要となる。他の仕事を度外視して、その筆を作る必要がある。さらには、一生壊れない筆が壊れたときの店側に与えられる衝撃は考えるまでもないだろう。

 

 

「それに、他の仕事に手をつけられなくなる期間ができる。その分の損の方が大きい。さらに言えば、もし壊れた時に俺の仕事に対しての信頼がガタ落ちしてしまう。いいこと無しだ」

 

「そうですか……」

 

 

 少年は、店主の答えに仕方ないかと肩を落とす。

 店主は、露骨に気落ちする少年に向けてしょうがないなという顔をしながら少年の肩を叩いた。

 

 

「だが、客の要望に答えないわけにはいかない。客が満足するまで諦めない、妥協はしない。それが俺の誇りなんでな」

 

「店主、無理なら無理と言ってくれていいのだぞ?」

 

 

 藍は、店主の言いぶりに不安になった。

 店主は、善意から少年の要求を飲もうとしているようであるが、少年の要望は明らかに無理難題だ。100年保持できる筆など作れるわけがない。

 

 

「別に無理だとは言ってねぇだろ。割に合わないと言っただけだ」

 

 

 藍は、そんな馬鹿な話があるかと混乱する。100年もつような筆を作るにはどうしたらいいのか、どうすればそんなものを作り出すことができるのか、皆目見当もつかなかった。

 

 

「じゃあ、作ってくれるんですね。僕が必要としている筆を」

 

「おうよ。それじゃ手を出してくれるか? 採寸するからな」

 

 

 少年は、自信満々な店主の言い方に期待をしながら手を差し出した。

 店主の山本勝は、差し出された少年の手の長さを測る。最高の筆を作るために、少年に合った筆を作るために、少年の右の手のひらをところどころ触り、眼を細め、少年の指の一本一本に至るまで長さを測っていく。

 しかし、その途中で店主の手が唐突に止まった。

 

 

「なぁ、坊主……」

 

「何?」

 

「お前もそうだったんだな。どこか鏡を見ているような感覚ではあったが手を見て確信したよ。お前の手を見てはっきり分かった」

 

 

 店主は、少年の手を触っていてあることを感じていた、触っている間―――どこか似ているような気がしていた。何がそう思わせているのか考えていた答えが、少年の手を触っている途中で理解できた。

 店主は、少年の手を握ったまま不意に少年の耳元に口を近づける。そして、藍には聞こえないように声のトーンを落とし、どこか懐かしむような声色で呟いた。

 

 

「お前も、やるって決めたら最後までやりとげんだよな。どんなに無理なことでも、誰かに否定されても……最後の最後までやり続けるんだよな……」

 

 

 少年は、この時店主が何を言っているのか瞬時に理解できた。

 店主は、きっと自分のことを理解している、自分がどういう人間なのか手を見ただけで理解したのだ。

 少年は、店主はきっと同じことを考えたことのある同類で、同じ場所に立っている人間なのだと感覚的に感じ取った。

 少年は、藍には聞こえないように店主と同じく声をすぼめて、それでもしっかりとした声で意志を告げた。

 

 

「俺は、決めたら曲げる気は一切ないですよ。誰が何て言っても誰が何かをしても、俺は何一つ変わらない」

 

「そっか、なら勝負だな。俺の筆とお前の腕、どっちが持つのかの勝負だぞ。俺は絶対に負けないからな」

 

「俺は、負けないですよ。絶対に」

 

「1カ月俺にくれ。その間に作ってみせる」

 

 

 店主は、薄く笑いながら近づけていた顔を離すと、握っていた少年の手を離した。

 少年は、離された手をそっと握る。視線は、店主へと向かっている。店主の視線と少年の視線が交錯した。

 少年の瞳には、うっすらと燃え滾る炎が見て取れる。

 店主は、瞳に宿る少年の勢いを見てさらに笑みを深めると逃げるように視線を逸らし、藍へと口を開いた。

 

 

「坊主、すまないが八雲の従者さんとちょっと真面目な話があるんだ。先に外に出ていてくれないか?」

 

「うん、分かったよ」

 

「私に話?」

 

 

 藍は、店主の言葉に心当たりが一切なかったため不思議そうな顔をする。真面目な話など特にする予定はなかったし、する内容もないはずである。

 

 

「終わったら呼んでね」

 

 

 少年は、そんな混乱したままの藍を取り残して店主の言葉に従って店の外に出て行った。

 

 

「…………」

 

 

 店主は、少年が完全に店の外に出て空を見上げているのを視認する。時折目を細め、視線を少年に集中させて完全にこちらに意識が向いていないことを確認した。

 藍は、店主の様子を見て、よほど少年に聞かれたくない話なのだろうと察した。

 しかし、店主からは一向に話を切り出すような口上が述べられない。

 藍は、このまま待っていても話は一向に始まりそうな気配を見せない状況にしびれを切らして自分から店主へと尋ねた。

 

 

「店主、真面目な話とは何なのだ? 和友を店から出さなければならないほどの内容なのか?」

 

 

 店主は、藍の言葉に店の外を真っ直ぐに指さす。店主の指の先にいるのは、他でもない少年である。

 

 

「そりゃもちろんあの坊主の話だ。あの坊主には悪いが、店の外に出ていってもらわないと話ができないと思ってな」

 

「和友がどうかしたのか?」

 

 

 店主は、藍の余りにも何も感じていなさそうな素直な質問に内心驚いた。まさか、何も知らないということはないだろう。外来人ということもあり、連れてきたのが妖怪の賢者である八雲紫という可能性が高いことを考えればなおさらである。

 店主は、何も理解していなさそうな藍を見て不安を抱えながら少年の手を触って感じたこと、少年から伝わってきたことを告げた。

 

 

「あの坊主、どこから拾って来たんだ? 俺は今までにいろんな子供を見てきたが、あんなのは見たことがねぇ」

 

 

 店主は、少年の存在が不思議でたまらなかった。

 少年は、今まで見てきた子供とは明らかに一線を駕している。手を触ってこれまでやってきたことの歴史を見てしまった。その歴史が店主の中で少年の存在が異質に見えた要因になっていた。

 

 

「何をどうやって生きてきたらあんなのができるんだ? 俺は不思議で仕方ないね。あんなのが生きてこられたのが不思議で仕方ない」

 

 

 店主は、少年がこれまで生きてこられたことが不思議でならなかった。それほどに少年の手は違和感を醸し出し、おかしいということを告げている。触れば、100人中100人が違和感を覚えるはずなのだ。店主じゃなくても、誰だっておかしいと思うはずなのである。

 

 

「あんなの……本来ならどこかで終わっているはずだ」

 

「…………」

 

 

 藍の表情がみるみるうちにこわばっていく。

 店主の言葉は、少年を侮辱しているように聞こえる。まるで生きていては駄目だと言われているようだった。

 藍は、少年のことを悪く言われているような気になり、途中で我慢できなくなった。

 

 

「店主、和友を侮辱するのは止めろ。それ以上言えば私も怒るぞ」

 

「すまない!! そういうつもりで言ったんじゃないんだ」

 

 

 店主は、血相を変えて慌てて謝罪するものの話す口を止めることなくしゃべり続ける。 

 

 

「俺は坊主のことが何となく分かったから信じられなかったんだよ。あの坊主が……これまで生きてこれたことを」

 

「何となく分かった?」

 

「俺は、妥協を一切せずに努力をしてこの道を進んできた。そんな努力に憑りつかれた同族だから分かるのかもしれない、分かってしまうのかもしれない」

 

 

 少年の気質は、非常に自分に似ている気がした。

 店主はこれまで妥協というものを一切せず、無理だと言われても諦めることなく店を立ち上げた。誰も助けてくれないような状況で切り盛りしてきた。

 店主は、そんな自分の能力をこう呼んでいる――――――努力を対価とする程度の能力と。

 それは、なんてことはない普通のことなのかもしれない。努力という対価を差し出し、その分の見返りを貰う。なんてことはない、ごく普通のことである。口に出して、能力と呼ぶほどのものではないことは分かっている。

 でも、それで生きてきた。飽きることなく、諦めることなく、対価を支払い続けた。努力を対価として成果を積み上げてきたのが店主の生き方だった。

 能力としているのも誰かが口にしたからだ。貴方は、努力を対価に結果を出す能力を持っていると。なんてことのない普通のことだけど、その努力の形が普通とは違っていた、それを知った友人から言われた言葉だった。

 そんな店主だからこそ少年の異常さがすぐに分かったのかもしれない。それは、少年の纏っている雰囲気からうっすらと感じ取れる程度のものだったが、そんな曖昧な感覚は手を触ってみて確信に変わった。

 

 

「努力を馬鹿みたいにしてきた人間っていうのは、他の人間とは違った雰囲気を持っている」

 

 

 店主には、少年が自分と同じように努力をし続けてきた人間だとすぐに分かった。努力を積み重ねている者には、独特な雰囲気がある。プロのアスリートしかり、プロの演奏家しかり、何かに憑りつかれた様に努力を重ねた人間の周りにはオーラが出てくるのである。

 少年にも周りと違った雰囲気があった、少なくとも店主にはそれが感じ取れた。

 

 

「これまで坊主は、妥協をせずに努力を重ねてきたんだろう。それは、坊主の手を見ればよく分かる。あの右手から、坊主の努力に負けて朽ちていった筆の死骸が積み上がっているのが容易に想像できた」

 

 

 店主には、少年がこれまでに積み上げてきた物が見えた。高く高くそびえたった努力の結晶が見えた。

 

 

「あれは、子供の手じゃねえよ……」

 

 

 店主は、そびえ立つ残骸の頂上を、さらに伸びようとする頂上を見上げた。

 しかし、いくら見上げても頂上は欠片も見えてこなかった。それはまさしく、気狂いと言われるレベルの所業の成果である。

 

 

「なぁ、努力に取り憑かれた人間でもあそこまでの状況にはならねぇぞ。あれは、やり過ぎを通り越して擦り切れ始めている。自分自身をやすりで擦っているようなものだ。いつか摩耗して無くなっちまう、誰か止めなかったのか? 誰も止めなかったから、ああなったんだと思うが……」

 

「和友には、残念ながら止めてくれる人物はいなかった……」

 

 

 少年と店主の山本勝との違いは、そっくりそのまま周りの人間からの対応の違いだと言っていい。

 店主は少年とは違ってねじ伏せるべき能力を保持していなかったし、周りに止めてくれる人物がいた。

 少年には、止めようとする人物がいなかった。

 そこが、二人の人生に大きな違いを生み出している。

 店主は、周りに行動を止めてくれる人物がいたからこそ、努力に取り憑かれているといっても一線を越えるようなことはなかった。

 しかし、少年の場合を考えると分かるが、少年を止めることは決してできなかった。状況が、周りが、少年を後押しするしかなかった。

 二人の違いは、そこであり、そこが―――全てだった。

 

 

「坊主にはもはや、無理なことなのか無理じゃないことなのかの区別ができていない可能性がある」

 

 

 店主は、少年の所見を次々と藍へと伝える。

 

 

「俺はちゃんと分かる。できないこととできることの区別ができる。坊主は、無理かどうかの判別がきっとできていない……だから無理をして無茶をして、できないことを無理矢理できることにしているだけだ」

 

 

 店主は、先ほど少年の手を触っている時に絶句しそうになった。

 少年の手は、鉛筆の形になるように、鉛筆を持った時に綺麗にはまるように骨が圧力でへこんでいた。親指の腹、人差し指の腹、中指の側面。

 外から見たのでは分からない。触ってみて初めて分かる歪さだった。

 

 

「あんなのおかしいだろ。あんな手には、ならんだろ……」

 

 

 何本の筆が死んでいったのだろうか、何本の筆が擦り切れていったのだろうか、そこまでやりきってもまだ100年使える筆が欲しいと言うのか。

 店主は、最初に少年から100年もつ筆が欲しいと言われたときに、断るつもりだった。それを受けたのは、ただの気まぐれである。途中で無理そうだと感じたら、断ろうとするぐらいの軽い気持ちだった。採寸を図って、普通の筆を渡すことだって視野に入れていた。

 しかし、少年の手の採寸をしていてその意識は、別物に変わった。作らねばならないという決意に変わった。

 

 

「あいつは一線を超えてしまっている。もう戻ることはできないだろうさ。一度ついた傷は塞ぐことはできても、無くなることはない。あいつは、もう何も変わらない。あの状況から何も変わらない。あの位置から不変だ」

 

 

 店主の言う通り、少年は変わらないだろう。それは藍自身もよく分かっている。能力が抑えられなければどうにもならないということを理解している。

 少年は、何一つ変わることなく生きていくことになるだろう。何もかも擦り減らして、最後の最後に何もかも残らなくなるまで。

 小さな少年は心の中の広大な世界で、息を引き取るのだ。

 

 

「八雲の従者さん。あんたがあの子を変えてやれよ。このままだときっと……」

 

 

 店主は、難しい表情で藍に頼みごとをする。

 これは、もしかしたら少年のようになっていたかもしれない店主からの、切実なお願いだった。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。