ぶれない台風と共に歩く   作:テフロン

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異常と言われた。
そう言われたことで―――酷く落ち着いた。

物語の始まりは、挨拶を交わす程度の些細なこと。
少年の物語りの始まりは、空を見上げたこと。
始まりはそんなもの。
きっと、終わりだって―――そんなもの。


家に帰った、日常が崩れた

 少年は、内心を女性に看破されて表情を崩し、心のままに追い詰められた表情を作る。

 

 

「っ……」

 

 

 少年は、女性の貫くような言葉に驚きを隠しきれなかった。女性の言葉は、少年の内包する秘密の核心を的確に突いている。

 女性の言葉によって少年の退路は完全に消し去られてしまった。少年の退路は消えてなくなり、少年の進路は崖に変わった。

 少年に残れた道は、一つしかなかった。

 

 

「はぁ……」

 

 

 少年は、大きく息を吐くと崖になっている前方へと進むことを決意する。後ろに進むことができない少年にとって、現在取れる選択肢は前進しかない。

 少年は、今にも壊れてしまいそうな笑顔を浮かべながら前へと足を伸ばし、自ら崖の下へと落下した。

 

 

「正直その通りだよ。みんな俺みたいなのだと思うと気持ち悪いよね」

 

(……もしかして、泣いているのかしら?)

 

 

 女性は、少年の表情に目を細める。今の少年の様子は、先程の少年の様子と明らかに異なっていた。

 先程までの無表情や読み取り難い表情とは全然違う。少年の表情は今までと違って非常に分かりやすく、女性から見た少年は泣いているように見えた。

 

 

(本当に信じられないや……)

 

 

 少年は心の動揺を抑えきれなかった。少年にとってこの一瞬での出来事は、大きな衝撃を生んでいた。今まで全くと言っていいほど内心を看破されたことが無く、少年の本心は両親にすら気付かれていないかもしれないほどに完璧に隠されている。

 それを目の前の女性は、一日で―――数十分程度の接触で少年の心の中の想いを看破したのである。

 少年は、動揺を抑えるようにハンドルを強く握った。

 

 

「みんな、そんなふわふわして生きているんだと思うと、気持ち悪くて安心する。なんか俺だけじゃないんだなって思う。でも、そんなことはないと思うんだよ。結局みんな、そんな曖昧なまま生きてはいないはずだから」

 

「やっぱり、私の予想は間違っていなかったのね」

 

 

 女性は、自虐するようなことを言う少年に自分の予測が間違っていないことを確信した。

 少年は、間違いなく何かしらの異常性を孕んでいる。何かという予測の段階から完全に脱してはいないが、何かがおかしいということが少年の前にいるとよく感じられた。

 

 

「それにしても……あなた、よくこれまで人間として生きてこられたわね」

 

「…………」

 

 

 女性は、少年の差し迫った表情とは反対に余裕のある顔で少年に告げた。

 女性の少年に対する言葉は、本当に酷い言いようだった。まるで、お前は人間じゃないと言わないばかりである。

 確かに人間という生き物の定義がはっきりしないことには、少年のことを人間だと断定することはできない。

 しかし、少年は紛れもなく人間である。妖怪や神様といった類いの生き物ではない。

 けれども、そう思ってしまうほどに女性から見た少年はどうも人間離れしているように見えていた。

 人間にしては、歪でねじ曲がっている、むしろぼんやりとしている、そんな雰囲気が少年からは感じ取れた。

 

 

(どう対処すればいいんだろう?)

 

 

 少年は暫くの間沈黙し、女性の言葉にどう反応していいのか考えていた。

 

 

 少年の心は、時間の経過とともに落ち着きを取り戻し始める。少年の表情は、落ち着きを取り戻すと同時に再び最初に会った時のように無表情に戻った。

 

 

「あんたは、とんでもないこと言っている。人間は、どこまでいっても人間にしか成れないんだよ。異常だからって、他の何かに成れるわけじゃない。成れたとしても俺は、人間でいい。昔、そう決めたんだ」

 

「決めた?」

 

 

 少年は、女性の言葉に軽く笑みを浮かべながら反論した。

 少年は、女性から人間じゃないと侮辱的なことを言われても特に怒ったりはしなかった。

 少年から言えば、人間として生きていくなんてそんな難しいことでもないはずである。難しくないのは当たり前で、‘少年は人間なのだから’むしろ人間として生きていけない方がおかしいのである。

 

 

「そう、決めたんだ」

 

 

 少年は真っ直ぐに女性の瞳を見つめると、ゆっくりと自分に言い聞かせるように今にも潰れそうな、消えてしまいそうな声で呟いた。

 女性は、少年の反論に気難しい顔をし、心に疑問を蓄積させる。女性には、人間でいることを決めたという少年の言葉の真意が分からなかった。

 

 

 

 

(無駄にしゃべりすぎたかな)

 

 

 少年は、ここまで話したところで無駄に女性と話してしまっていることに気付いた。もともと話すつもりがなかったのにも関わらず、予想以上に話し込んでしまっている。

 少年は、初心に戻ったように女性に対して距離を取ろうとし始めた。

 

 

「あのさ、これ以上俺に関わらないでもらえるかな」

 

 

 少年は、これ以上自分に関わらないようにと女性に忠告をする。朝のように無視するという方法ではなく、真正面から拒否の言葉を告げた。

 

 

「これからもずっとこのまま普通に生き続けるには、お前みたいな異常と関わっていられないんだよ」

 

「そういうわけにはいかないわ。あなたの力が暴走すれば、それこそ世界を大きく変えかねない。あなたには、幻想郷に来てもらうわ」

 

(やっぱりこうなるよね……)

 

 

 女性は、少年の明確な拒否の言葉を軽く流し、何事もなかったかのように意見を変えなかった。そして、少年も女性と同じように女性の拒否する言葉を聞いても表情を変えることはなかった。

 こうなることは、最初から何となしに分かっていたことなのである。崖から落ちる決意をした時から、こうなることを何となく予測していた、逃げることができないと何となしに分かっていた。女性の言い方が少年には最初から選択肢がないような言い方だったことから、女性には少年に選択肢を与えるつもりが微塵も無いことなど余裕で読み取れていたのである。

 

 

(どうしたらいいのだろう……でも、いくら考えても会話の中の単語の意味が分からないと何を言われているのか分からないや)

 

 

 少年は状況を打開しようと、現状を理解しようと思考を巡らせる。女性の言っている言葉の意味を把握しようと努めた。

 しかし、少年には女性の口にしている言葉の意味が分からなかった。まるで、話している言語が違うのではないかと思うぐらいの違いがあった。

 

 

(世界が大きく変わるってどういうことなんだろう? 世界が変わるっていっても、どう変わるのかさっぱり想像もつかないし……)

 

 

 かろうじて少年に分かったことは、自分自身には何かしらの力があって、世界を変えるような何かが起こるということだけである。

 そうは言っても、少年には今まで世界を変えるような力を持っている意識は全くなかったし、世界が変わるようなことってどういったことなんだ、ということも想像がつかなかった。

 

 さらにいえば、幻想郷というものも分からない。少年には、何かが起こるという以外の女性の言葉の意味が何一つ分かっていなかったといっていい状態だった。

 

 唯一女性の言葉で分かっている世界を変える何かが起こるということについても、少年にはとても大げさに聞こえた。

 世界を変えかねないと言われると、どうも嘘くさく感じてしまうのはきっと誰もが同じであろう。

 人間にとって世界が変わるということは、スケールが大きすぎて実感がわかないのである。それこそ、ニュースで海外の災害映像を見ているような感覚に陥るだけだ。ああ、すごいなぁ、ああ、やばいなぁ、と思うだけである。

 あくまで人間が認識できるのは、自分の周りを取り巻く小さな空間だけ。それ以上を認知しようというのは、基本的に無理なのである。人間の知覚は広がりに限度があるのだから、見える部分だけ、感じる部分だけ、というのが限度なのだ。

 

 

(結局、何も分からないままか)

 

 

 少年は、考えても分からない状況に思考するのが面倒になり、どうにか女性に諦めてもらうつもりで言葉を選んだ。

 

 

「死んでからでいいかな? その幻想郷という場所がどこかは分からないけど、死んでからならどこでもいいよ」

 

「あ、あなたね!!」

 

(申し訳ないけど、無視しよう……)

 

 

 少年は、女性の言葉を振りきるように自転車をこぐスピードを上げる。とても投げやりな言葉を女性に向かって放ち、疾走した。

 放り投げられた言葉はしっかりと女性に飛来し、女性は少年のぶしつけな言葉に顔色を一気に豹変させてふざけているような少年の対応に声を荒げた。

 しかし、少年は声を荒げる女性に対して何も反応せず、無視することを決めていた。

 

 

 少年は、目標地点だけを見つめて自転車をこいでいく。無言を貫き、関心を外へと向ける。外界に殻を張り、内への干渉を一切許さない。

 女性の言葉は、少年の耳に届いても心にまで到達せず、少年の意識が女性へ向くことは決してなかった。

 

 

「私の話を聞きなさいっ!」

 

(これも無視だね)

 

 

 女性は無視する少年に再び怒声をぶつけるが、少年は怒っている女性を無視して家まで一気に進んでいく。

 女性は、少年が無視している間も一方的に少年に向かって声を発し続けた。

 しかし、少年は怒りを露わにする女性のことを見向きもせずに無視を続け、そのまま自転車をこいでいった。

 

 

 暫くすると、自転車の速度が落ち始める。目的地である自宅がもうすぐそこであるためである。

 少年は、自分の家を目の前にすると自転車から降りて、自転車を引いて家に向かって歩いていく。

 自宅の前では、普段とは違う音と光が少年を出迎えていた。家に近づくにつれて赤い光の発光と騒音が大きくなっていく。

 

 

(どうして警察が家の前に……)

 

 

 少年の家の前には、パトカーが2台並んで止まっていた。

 パトカーのサイレンが煩く鳴り響いている。音と光によって何かがあったということを伝えている、犯罪が起こっていると伝えている。暗い夜の中、赤い光が辺りを照らしている。

 少年の家の周りには、その光に魅せられたのか、犯罪の臭いにつられたのか、見物をしている野次馬たちが少年の家の近くを取り囲んでいた。

 

 

「何が起こっているの? ここが貴方の家なのよね?」

 

(あれ、これ……どこかで見たことがある気がする)

 

 

 女性は明らかに普通ではない状況を見て、少年に向けて言葉を投げかけたものの、少年はこんな特殊な状況においても女性を完全に無視していた。

 女性は、返答しない少年の顔を見つめる。少年は、家にパトカーが止まっている光景を見ても無表情のままだった。あたかも日常の一部、と言えるほどに自然体だった。

 少年には、テレビでもよくあるシーンだからなのか、それが目新しいものに見えなかった。

 少年は、警察官が家にいても、パトカーが二台止まっていても何一つ驚くことはなく、いつもどおりの動作で自転車を家の指定の場所に置き、玄関へと向かう。

 隣についてきていた女性は、少年の傍から離れずに同行した。

 

 

「君、ここの家の関係者かい?」

 

「この家に住んでいる息子です。私の家で何かあったのですか?」

 

「ちょっと一緒に来てもらえるかな」

 

 

 少年が家の中に入るために家の出入り口へと近づくと当然のように玄関前で警察官に呼び止められた。

 少年は立ち止まって警察官の質問に応じ、次いで気になっていることを尋ねたが、警察官は有無を言わさずという様子で少年の手を引いてパトカーまで連れて行く。少年は、拒否することもできず警察官に付き従った。

 少年は、警察官に手を引かれながら一度振り返るように後ろを向き、遠ざかる家を眺めた。

 家の中には、複数の警察官が入り込んでいる様子が見て取れた。

 少年の家で何があったのだろうか、少年の家にパトカーが止まるほどの何かがあったのだろうか。

 少年は、家で何が起こっているのか知らない、帰るべき場所である家の中で何が起こっていたのか知らない。

 

 

「貴方、何か悪いことをしたの?」

 

 

 警察官に連れられていく少年の隣には、空間から飛び出した女性が相変わらず付いてきている。

 少年は女性に分かる程度に首を振り、女性の疑問に対して否定の意を示した。

 

 

「そうよねぇ……あなたはそういうことをやるタイプじゃなさそうだし」

 

(やっぱりこの女性は、みんなには見えていないのか)

 

 

 ここで少年は、女性を見ることができているのが自分だけだと完全に自覚した。警察官には確実に女性の姿が見えていない―――そう判断できるのは警察官が女性に対して何一つアクションを取らなかったからである。

 女性は、考え事に浸るように口を閉ざす。女性は思考している間、少年にうるさく話しかけてくることはなかった。少年が警察官に連れられてパトカーへと移動している間に話したのは、この一回だけである。

 しかし、話すことがないといって少年の傍から離れることは決してなかった。

 

 

 警察官はパトカーの前まで少年を連れてくる。少年の前には二台の並んだパトカーが異様な存在感を放っていた。

 

 

「さぁ、中に入りなさい」

 

「私以外にも誰かいるのですか?」

 

「いいや、君だけだ。さぁ、早く入って」

 

 

 警察官は、パトカーの扉を開けて少年に中に入るよう促す。

 少年は、パトカーの中へと視線を向ける。パトカーの後部座席には、既に一人の警察官が乗車していた。

 少年は、パトカーに乗車しようと足を持ち上げるために力を入れる。その時、口を閉じて少年についてきていた女性が唐突に少年に話しかけた。

 

 

「あなた、こういった場合には一人称が私になるのね」

 

「ん?」

 

 

 声をかけられた少年は、一瞬だけ持ち上げていた足を止めて女性に視線を向ける。その後少年は、何事も無かったかのようにすぐさま視界を正面に戻した。

 警察官は、立ち止まった少年を不審そうに見ると中に入るように再び催促した。

 

 

「早く入りなさい」

 

「はい」

 

 

 少年は、警察官の命令にロボットのように従順に従い、パトカーの後部座席に乗り込む。

 少年についてきていた女性は、少年に張りつくのをやめてパトカーの外で待機していた。さすがにパトカーの中には入らないようである。

 少年を引き連れてきた警察官は、少年が座るのを見ると少年の出入り口をふさぐように座りこむ。少年は、警察官二人に挟まれる形になった。

 そして、完全に封鎖された空間が出来上がると、少年の隣に入り込んだ警察官が少年に顔を向けて話しかけてきた。

 

 

「非常に言いにくいんだが、つい先ほど君の家に強盗が入ってね。近所の人から通報があったんだ」

 

「家に強盗が入ったんですかっ!?」

 

 

 少年は警察官から話を聞いた瞬間、驚いた顔をした。

 展開としては、凄くありきたりの展開である。どうやら強盗が少年の家に入ったとのことらしい。パトカーが二台止まる程の事件で野次馬が湧くのならば、その程度のことが起きていてもおかしくない、容易に予想できることである。

 しかし、大目に見ても少年の家はそこまで裕福な家庭ではない。強盗が入りこむだけの価値がある家ではなく、犯罪をしてまで手に入れたくなるような何かがある家じゃなかった。

 そんなたいそうな物など無いのに強盗は何を盗むというのだろうか、少年には疑問だった。

 犯人が少年の家の中の状態、裕福度とでもいうべきだろうか、それを知っていたとは考えられないので、少年の家に入ってしまったのは仕方がないことなのかもしれない。犯人は、そこまで下準備をして強盗に入ったわけではなさそうである。

 

 

「俺の家に盗むだけの価値があるようなものなんて何もないはずなのにっ……なんで俺の家に!?」

 

「落ち着いて」

 

「は、はい……」

 

 

 警察官は、動揺する少年の肩を抑えつけるようにして落ちつかせる。

 

 

「そこで、聞いておきたいことがあるんだけど」

 

 

 警察官は、明らかに動揺している少年に付け込むように話を聞こうとする。きっと事件にかかわることを話そうと思ったのだろう。

 だが―――警察官の思惑は叶わなかった。そこまで警察官が少年に対してしゃべったところで、パトカーの後部座席の窓をトントンと叩く音が車内に鳴り響いたのである。

 少年が音に反応して窓の外を見ると、警察官も少年と同じように音に反応して窓の外を見た。

 

 

「え?」

 

「一体何だ?」

 

 

 視線の先には、一人の男性が立っていた。

 

 少年にしゃべりかけていた警察官は、窓を叩いた男性の対応をするために少年との話を一度中断し、扉を開けて外に出た。

 少年は、座ったままパトカーの中で警察官を見送る。パトカーの扉は出て行った警察官によって閉められ、少年は再び密閉空間に取り残された。

 

 

「ちょっとだけ待っていてね。話は、加藤さんが戻ったらするから」

 

「はい、分かりました」

 

 

 どうやら先程まで少年の対応をしていた警察官の名前は、加藤というらしい。

 少年は、覗き込むようにパトカーの窓から外の様子を伺い、パトカーの内側から窓越しにのんびりと外を眺めていた。

 

 

(この状況の警察官に何の用事だろう?)

 

 

 やってきた男性は、事件の臭いに引きつけられた野次馬の一人なのだろうか。少年は、意識を完全に外の二人に集中させる。

 警察官は、パトカーを出るときに扉を閉めている。そのため、外からの音はパトカーの中へはほとんど入ってこない。さらには、サイレンが鳴っているのもあり、外で行われている会話のほとんどは、耳には届かなかった。

 

 

(やっぱり聞こえないか)

 

 

 少年は、集中して外で行われている会話を聞き取ろうとする。

 しかし、今やって来た男性と警察官の加藤さんが何をしゃべっているのか細かいところまでは聞こえなかった。聞こえてくるのは、会話のほんの僅かな部分だけで、ところどころ部分的に聞こえてくる程度である。

 

 

(きっと注意しているんだろうな。捜査の邪魔をしないでほしいみたいな話だろう)

 

 

 少年は、外から聞こえてくるおおよその言葉から話の内容を予測した。

 どうも、外に出た警察官は、今パトカーの側まで来た人物に対して注意を促しているようである。

 

 

(いつ終わるのかな……)

 

 

 パトカーの中に拘束されている少年には、待つことしかできなかった。下手に出て行っても止められるだろうし、話が何一つ進展しない。

 少年は、何もできない状況で静かに外を眺めながら話が終わるのを黙って待っていた。

 

 

「ん?」

 

 

 少年がパトカーの中から外を見ている時、唐突にある思いが少年の頭を廻った。

 脳が眼に映っている視界の情報をすでに一度取り込んだことがあると言っている。少年に備わっている脳が既存の情報であると伝達している。目の前に繰り広げられている光景に対して、すでに見たことがあるという情報を伝達してきた。

 

 

「あ、なんかこれ知っているな」

 

 

 少年は、酷い既視感に襲われていた。

 少年は、先程よりも集中して目の前に広がる景色を眺める。先ほどとは違い、目を細めて外の二人のやり取りを見つめる。

 やはり、何度見ても少年には目の前で繰り広げられている光景を何度も見た記憶があった。

 

 家に強盗が入って

 

 警察に呼び止められて

 

 なぜかパトカーに乗せられ

 

 よく分からない男性からパトカーの後部座席の窓をノックされる

 

 それに応じて警察官が外に出る。

 

 この流れを見たことがあった。

 

 そして、ここまで時間を浪費したところで―――少年は動きだす。

 

 

 

 

「知っているってどういうことなの?」

 

 

 少年の声は小さかったが、外にいた女性は少年に大きく意識を傾けていたため、パトカーの中にいた少年の言葉が聞こえていたようである。

 

 

「あの警察官、死んでしまう。ていうかここままじゃ俺も死んでしまう」

 

「何よそれ。ちゃんと話しなさい。それじゃあ何の説明にもなっていないわ」

 

「君、いきなり何を言っているんだ?」

 

 

 少年はしっかりと女性の言葉に反応を示したが、返ってきた女性の声を無視し、慌ててパトカーの後部ドアを開けた。そして、同じように疑問符を投げかけている警察官をも無視して、勢いよく体をパトカーの外へと出し、先ほどやってきた人に対応している加藤という警察官のところに飛び出す。

 少年の足は、パトカーを降りたとことで停止し、ドアから一歩出たところで止まった。

 

 

「っ……」

 

 

 その瞬間―――少年の顔に生ぬるいものが付着した。

 

 

 少年の顔には、生温かい液体が張り付いている。

 少年は、何かが顔面に付着したことによって目を閉じることはなかった。少年の視界には、はっきりと警察官の後ろ姿が捉えられていた。

 

 

「ふははは、やったぞ!」

 

 

 ゆったりと時間が圧縮された様に流れていく。

 警察官は、先ほどやってきた男に首元を切り裂かれて倒れ込む。警察官の首からは、血が滝のように流れ出し始め、生き物のように首から逃げるように流れ出る―――圧力のかかっていた血液が逃げ場を見つけて放出していた。

 警察官は、地面に伏せるように倒れた。視界を遮っていた警察官という壁がなくなる。少年の視界は、警察官の後姿を見失った。

 

 

「ははは、みんな死んじゃえばいいんだ。こうやって殺しまくっていれば俺も殺してくれんだろ? なぁそうなんだよなぁ!!」

 

(やっぱり、こうなったか)

 

 

 少年の目の前には、先程まで警察官と話していた男性―――凶器を持った殺人犯がいた。

 

 少年は、殺人犯を目の前にした状況に陥ってもひどく冷静だった。恐怖を感じていないのか、感情というものがないのではないかと思えるほどに静かだった。

 少年は、恐怖など感じていない、危機感も覚えていない。少年の中にあったのは、既視感と嫌悪感だけである。殺人犯を前にして異常者を相手にしたくないという想いだけである。その想いは、朝に意味不明な女性と会った時と寸分違わない。

 

 あくまで少年は、平常通りだった。

 

 

(異常の塊の女性、異常な雰囲気の殺人犯、異常な身を隠している僕、本当に異常だらけ……気持ちが悪い)

 

 

 現在の状況は、異常が極まった状態だった。

 少年の目の前には、意気揚々としゃべっている異常者がいる。

 そしてそんな異常者の前には、異常な少年がいる。

 異常な少年の隣には異常な女性がいる。

 実に異常な光景だった。

 

 

(僕は、どうしたらいいんだろう?)

 

 

 少年は、こういった一線を越えたような異常に関わるのをひどく嫌っている。上半身だけの女性しかり、目の前の殺人犯しかり、基本的に普通でないものに対しては無視を決め込むタイプである。触れてしまえば、火傷をするようなものに好き好んで触る者などいないだろう。

 しかし、現状は無視をして収まる状況ではなかった。

 少年は、殺人犯に対してどんな対応を取ればいいか悩んでいた。無視をしたところで目の前の殺人犯は少年を逃しはしない。殺人犯は女性と同様に、少年が無視すれば自ら離れていってくれるようなタイプでないのは誰の目から見ても明らかだった。

 

 

「家族全員ぶっ殺せば、警察官を殺せば、俺も殺してくれるんだろ!!」

 

(僕の家族も殺したのか)

 

 

 少年は、男の言動から自分の家族が殺されたことを察した。

 少年の家族は、目の前にいる男性に殺されてしまったらしい。それは、パトカーが複数止まる事件であろう。大事件だし、警察が騒音を響かせる意味がある。

 

 

(母さん、父さん、約束は守るよ)

 

 

 けれども、少年は犯人の言葉を聞いても表情を一切変えなかった。家族を失ったことを理解しても、何一つ気持ちを揺らさなかった。

 少なくとも、女性から見た少年は酷く落ち着いているように見えた。あまりに薄い少年の反応に、犯人の言っている言葉の意味が分かっていないのではないかと思えるほどだった。

 女性は、余りにも薄い少年の反応を見て少年が家族を失ったことを理解していないのではないかと疑問を募らせた。

 

 

「あなたは怒らないの? 悲しまないの?」

 

「そんなものはどっちでもいいんだよ。そんなことをしても何も変わらない」

 

 

 少年は女性へと視線を向けることなくはっきりと答え、無表情のまま女性に対して言葉を返した。

 女性は、少年の言葉で少年が犯人の言っている家族を殺したという言葉の意味を察していることを理解した。女性の心の中に、ならばなぜ、という疑問が一気に湧き上がる。

 

 

「どうして貴方は……」

 

「殺してやる!!」

 

「やっぱり、こんなのを見たことがあるね。まぁ、そんなことはどっちでもいいんだけどさ」

 

 

 殺人犯の男性は、女性の言葉をかき消すように少年に対して殺意を体現した言葉を投げつけ、少年に向かって言葉を吐いている。

 犯人は、決して女性に向けて話しているわけではない。なぜ少年に対して言っていると判断がつくのかというと、男性にも女性の姿は見えていないからである。

 つまり男性は、少年の言った「そんなものはどっちでもいい」という言葉を真に受けた。少年は、知らず知らずのうちに犯人を挑発していたのである。

 

 

 男性は、殺してやるという言葉を実行するために少年に向かって走ってくる。両足を少年に向けて突撃し、ナイフを突き立て少年を殺そうとする。

 

 

「さぁ、どうするか」

 

 

 少年は、犯人に対して抵抗しようと体に力を入れた。襲いかかってくる犯人に対してどう動けばいいのか思考する、見たことのある光景に対処する。

 犯人の持っているナイフが少年の首にめがけて伸びてくる。普通の人間であれば、ナイフの軌道見ることなど到底できない。例え、見ることができたとしても対処することは叶わないだろう。

 

 

(見える……)

 

 

 しかし、少年には犯人の持っているナイフの軌道が見えた。首に向かって伸びてくるナイフの軌道が見えた。さらに、伸びてくるナイフに対して体が自然と脊髄反射のように反応した。

 少年は、何度か経験したことがあった、こんな異常な事態に経験があった。

 少年は、その経験に従って動いていく。

 

 

(ここからの僕の選択肢は)

 

 

 少年は、絶対に次の行動をとってはならない。

 

 向かってくるナイフに対して避け、逃げ出す。

 

 犯人と自分の体格から考えると逃げるという選択肢は危険である。間違いなく逃げている途中で追いつかれる。または、逃げることすらもできずに殺される。

 逃げている間に周りの人が助けてくれる可能性はあるが、周りの人の助けを前提とする行動には大きなリスクが存在する。

 少年は、この選択肢を取った時に十中八九死んだ記憶があった。

 

 真正直に戦いを挑む。

 

 真正直に戦いを挑むとほぼ間違いなく少年は死ぬ。少年は、成熟した大人に対して勝てるような何かを持ち合わせていない。真正直に戦っていては普通に勝てない。

 少年は、あくまで普通の人間なのだから普通に戦って負けて死んでしまう。少年は、犯人に一度たりとも勝った記憶がなかった。

 

 少年は、その二つの選択肢を取らない。活路の見えない方法を選択しない。

 少年は、この状況でどうすれば生き延びることができるのか知っている。体が覚えているほどに経験している。

 

 

(同じように、何度も繰り返した行動をなぞるだけ)

 

 

 少年は、骨を切らせて肉を断つ戦法によって状況を打開する。

 少年には自身の左手がナイフに向かう途中の軌跡がスローモーションに見えていた。少年は、伸びてくるナイフに対して左手を開き、自らナイフに突き刺すように左手を前に押し出す。

 

 

「は?」

 

「俺の利き腕右手だからさ。左手一本ぐらいならいいかなって」

 

 

 殺人犯の男性は、少年の普通じゃない行動に間抜けな声を出した。犯人のナイフは少年の左手を貫き、貫通している。左手の甲からは、血に濡れて赤くなった金属がむき出しになっていた。

 少年の左手は、ものの見事につき抜かれて大きな穴を開けると共に血をしたたらせている。

 犯人は、予想外の出来事に頭が回らなくなっていた。

 少年は、予想外の行動で犯人の動揺を誘う。痛みを感じさせない表情で無表情のまま犯人へと口を開き、冗談染みたことを言いながら傷を負った左手でそのままナイフを握って相手の右手を握りしめる。少年が持ちうる限りの力を振り絞って握りしめた。

 

 

「さようなら」

 

 

 少年は、残った武器である右腕を使い、茫然としている無防備な相手の首に向かって思いっきり殴りつける。喉仏に拳を直接打ち込む―――持てる力の全てを込めて打ち抜いた。

 

 

「かはっ……ごほっ、ごほっ」

 

「あんたに謝るのは、何度目なんだろうね。聞き飽きたかもしれないけど言っておくよ」

 

 

 男性は、喉仏への一撃で呼吸困難を起こし、苦しそうに体をくの字に曲げた。

 ナイフは、少年の左手に刺さったままであり、少年の血はとどまることを知らず流れ続けている。

 しかし、ナイフを握っているはずの犯人の右手はナイフの柄には存在しない。犯人は、少年の攻撃の衝撃によってナイフを手放しており、少年の手には、ナイフだけが取り残されていた。

 力のない少年には、急所を打ち抜くことでしかダメージを与えられない。というよりも、生き残ることができない。

 少年が取れる選択肢としてはこれ以外にも、腹部に攻撃する、顔面に攻撃するという選択肢があったが、少年はその選択肢を選ばなかった。選んだ場合の生存率が零だと分かっていたから。はなから少年の選択肢には入っていなかった。

 

 

「ごめんね。ここで止めると、俺が死んじゃうからさ」

 

 

 少年は、作業的に殴打した殺人犯に対して謝る。どう見ても、誰が見ても、悪いことをした後にする謝り方をしていない。少年の顔には、自身の行動を悪いと思っている気持ちが一片たりとも見えなかった。

 確かに少年が悪いことをしているというわけではないから謝る必要はない。

 けれども、人を殴った後は謝るのが通説であると言わんばかりに、少年は‘一応’殺人犯に対して―――暴力振るった相手に対して謝っていた。

 

 

「ここで死ぬ、それだけはできない約束なんだよね」

 

 

 少年は、謝った直後に首に攻撃を受けて下がった男性の顔に向かって思いっきり膝蹴りをする。少年の膝蹴りは男性の顎にぶつかって、男性はのけぞるように地面に倒れた。

 少年の左手に刺さったナイフも犯人が倒れ込むのと一緒に落ちていく。ナイフは、殺人犯と同期したように音をたてて地面に落ちた。

 

 

 空間内に―――ナイフの金属音が残響した。

 

 

 暫くの間場を静寂が包むと周りで見ていた人間たちの時間が一斉に動き出したかのように、犯人を取り押さえはじめる。

 少年は、ピクリとも動かない犯人を見下しながらその場で立ちつくしていた。

 

 

「…………全部、終わりか」

 

 

 今にも消えそうな雰囲気で―――儚げに立っていた。

 

 

「なぁ、さっきあんたが言っていた大変なことになるって、これのことか?」

 

 

 少年は、近くにたたずんでいた女性に尋ねた。目の前で起こったこの状況が女性の言っていた大変なことの中身なのかどうかを確かめるために、話したがらなかった少年自身が女性に向けて言葉を口にした。

 女性には、少年の質問に答えるよりも知らなければならない事が山ほどあった。

 

 

「それより、‘知っている’って言っていたわね。まずそれについて答えなさい」

 

「俺が先に質問したんだから、そっちが先に答えろよ。質問を質問で返すのは駄目だと思うよ」

 

「あなたね……そんなことを言って」

 

 

 少年は、呆然と立ち尽くしたまま文句を垂れた。

 女性は、少年の返しに呆れる。あんなことがあっても何も変わらない少年の様子に驚きと呆れを感じずにはいられなかった。

 

 

 女性は、問い詰めようと声を発しようとするが、ここで中断されることになる。

 少年の腕がパトカーにいたはずの警察官に掴まれて思いっきり引っ張られた。少年は、勢いよく引きつけられた力に驚き、慌てて腕をつかんでいる警察官に視線を移した。移した少年の視線の先には、若干焦ったように見える警察官の顔があった。

 

 

「救急車を呼ぶから、病院へ行きなさい」

 

「……分かりました」

 

 

 少年は、警察官に言われて自分が怪我をしていることを自覚する。視線を左手に移すと、左手には大きな穴が開いているのが確認できた。

 

 

 警察官は、どこからか包帯を取り出して出血個所を圧迫する形で応急処置を行った。どうやら最低限の治療ができるようである。

 少年は、自分の左手から犯人に切りつけられた警察官へと視線を移す。加藤という名前の警察官は全く体を動かさず、別の警察官が一生懸命応急処置をしていた。

 

 

「救急車が来ましたね……私は、自分の足で行けます。そちらの警察官の方をよろしくお願いします」

 

 

 少年は、警察官から治療を受けた後にやって来た救急車に乗りこむ。加藤という名の警察官とは異なり、自分の足で歩き、救急車に乗り込んだ。

 救急車には、切りつけられた警察官も一緒に乗った。救急車は、うるさいぐらいにサイレンを鳴らし、病院へと走り出す。

 

 

「ふざけた子……」

 

 

 女性は、一人取り残されて救急車を見送った。いまだにうるさくパトカーのサイレンが鳴り響いている少年の家の前で、静かに少年が運ばれていった方向を見つめていた。

 

 

「早く動かないと危険ね」

 

「母さん、父さん……約束は守るから」

 

 

 少年は、救急車の中で小さくぼやいた。

 




少年の中の異常は、箱の中に収まっていた。
溢れ出た理由、そんなもの分かりきっている。
容器の中に入っている物の量が増えた。
あるいは誰かが―――穴を開けたか

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