ぶれない台風と共に歩く   作:テフロン

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藍と少年の二人は、人里に買い物にきました。


向けられる好奇心、会話の受け渡し

 藍と少年の二人は、門をくぐり抜けて人里へと入る。

 門の中には大勢の人がおり、歩いている人々が狭い空間の中を行き交っていた。

 人里には、建物が所狭しと道なりに建っている。火事が起きた場合、大変なことになりそうな立地である。建物の大きさとしては、家も商店も大小関係はほとんどなく、民家としての大きさでいえば普通といえる大きさだった。

 

 

 少年は、人里の様子を見て驚いた表情を浮かべながら町中を見渡す。

 目の前に広がる光景は、少年の中にあるイメージとは程遠い。少年の中にある幻想郷のイメージは、幻想郷にやって来る前と今とで余り変わっておらず、未開の地というイメージそのままである。

 しかし、そのイメージを一新するように、少年の瞳には外の世界と変わらない人の営みが映っていた。

 

 

「人が、普通に生活している……!」

 

「ふふっ、和友は幻想郷にどんなイメージを持っていたのだ?」

 

 

 少年は、人間という毎日見ていた生き物が、非日常の幻想郷で普通に生活しているとは思っていなかった。

 

 

「僕、思い違いをしていたみたいだ。ははっ、楽しみだなぁ!」

 

「随分と楽しそうだな」

 

「それはそうだよ。初めて人里に来たんだから。ああ、どんな物があるんだろう。僕の知らない物ばかりなんだろうなぁ」

 

「楽しむのはいいが、はしゃぎすぎて迷惑をかけるんじゃないぞ」

 

「分かっているよ! でも、もしも何かしちゃいそうになったら止めてね」

 

「もちろんだ、任せておけ」

 

 

 藍は、楽しそうにする少年を見て、人里へと連れてきて良かったと思った。これほどに楽しんでくれるのであれば、連れてきた甲斐があるというものである。

 普通に考えれば、人里での買い物に少年を連れてくる必要は特にない。買い物ぐらいなら、藍一人でも十分にこなせる。少年に必要なものも藍が選べばいいだけの話である。むしろ少年がいることで移動や買い物に時間がかかったり、危険が増えたりすることもあるだろう。

 それでも藍は、少年が昨日辛いことがあったことなどみじんも感じさせない様子を見て、連れてきて良かったと心から思った。

 

 

「和友、はぐれるんじゃないぞ」

 

 

 藍は、歩く速度を少しだけ上げてそそくさと少年の前に出る。まるで、緩んでいる表情を少年に見られたくないといわないばかりに、早足で少年の前へ出た。

 少年は、そんな藍の気持ちを知ることなく藍の後ろでニコニコ笑顔を振りまきながら周りを見渡す。

 

 

「へぇ~こんな感じなんだ」

 

「和友は、本当に子供みたいだな。いや……和友は子供だったな」

 

 

 少年は、目をキラキラと輝かせて周りを見渡しながら、前を歩く藍の後ろに付いていく。藍は、後ろで感嘆の声を上げる少年の声を聞いて、さらに笑みを深めた。

 本当に楽しそうである。偽りも嘘も、そこには全く感じられない。藍は優しい顔のまま、少年が迷わないようにとカルガモの親が子供を先導するように人里を歩いていった。

 藍は、人里に来た当初の目的を果たしてもいないにもかかわらず満足感を覚えていた。

 

 

「いけない、いけない。今日は買い物に来ているのだ」

 

 

 藍は、ほころぶ顔を抑えてもともと人里に来た目的を思い出す。

 人里には、少年の生活用品を買いに来たのである。決して遊びに来ているわけではない。楽しかったから善しというわけではないのだ。大事なことを忘れてはいけない。

 藍は、最初の目的地をどこにしようかと少年へ尋ねた。

 

 

「和友は、何か欲しい物とかあるか?」

 

「とりあえず服が欲しいかな。後、書く物とノートが欲しい。今持っている分だけじゃ絶対に足りないと思うから」

 

「服と書く物とノートか……ふむ……」

 

 

 藍は、少年の言葉に考え事を始める。藍がもともと人里で買おうと思っていたのは、日々を過ごしていくための食糧。そして、少年の衣服である。

 

 

「食材を買うのは当然として……」

 

 

 藍は、人里に食料を買いに来ているわけなのだが、別に妖怪が人間の食べている食料を必要とする生き物ではないことはよく知られていることである。妖怪にとっての食べ物というのは、人が食べるような食物ではなく、人間の恐怖である。

 もちろん分かってはいるとは思うが、藍が人里に買いに来ているのは、そんな人間の恐怖ではなく、日々の朝食や昼食、夕食といったご飯である。藍や紫は、別に人間の食べている食事を口にする必要はないのだが、それでも食事を取っていた。

 これは、紫の方針で決められたことだった。

 食事というのは日々に彩りを加えるためのスパイスになる、あるのとないのとでは大きな違いがある。そんな人間じみた感覚を持っているのが、藍の主である紫と藍自身であった。

 

 

「和友の服も買わなければ……」

 

 

 藍が買おうとしているのは食料だけではない、少年の服も買いに来ている。少年にとって必要だからというのももちろんではあるが、藍にとっても買わなければならない物の一つだった。

 

 

「あ、あんなことで紫様にからかわれるのは、もう十分だ」

 

 

 藍は、昨日の夜、厳密には今日の朝に紫から言われたことを気にしていた。今思い出しても、恥ずかしくなって顔が思わず赤くなる。

 

 

「何を考えているんだ私は……」

 

 

 藍は、恥ずかしくなる思考を振り払うように首を左右に振る。いつまでも紫に弄られ続けるわけにはいかない。

 

 

「食料と、衣服……」

 

 

 藍の今日の目的は、食料と少年の衣服の二つを購入し、手に入れることである。

 買うものが食料と衣服とおおよそ決まった時、ここで忘れてはならないのは、今日人里へ来たのが藍だけではないということである。

 今日は、藍の目的だけを達成できればいいというわけにはいかない。今日は藍一人で買い物に来ているわけではないのだ。

 いつも一人で買い物に来ている藍の真後ろには、少年がついてきている。少年の気持ちを取り入れなければ、少年が人里に一緒に来ている意味が全く無い。

 

 

「後は、文房具か……」

 

 

 藍は、歩く速度を落として少年と並走する。

 少年の意見を取り入れると考えた場合、これから二人は食糧、衣服はもとより、文房具を買うということになる。

 

 

「どうするのが、最も効率がいいのだろうか」

 

 

 藍は、必要なものを買い揃えるための最適ルートを模索し始める。

 考える上で好都合なことに、人里は碁盤の目のように綺麗に区画されている。

 藍は一瞬のうちに結果を導き出し、少年の顔を見た。少年は、相変わらず色々な物に目を向けており、初めて見る物ばかりの人里で目を奪われていた。

 

 

「和友!」

 

「ん? どうしたの?」

 

「それだったら、こういう順番で回ろう。まず文房具を買って、次に服屋に行って、最後に食材を買う。いいな?」

 

「うんっ! それでいいよ! 僕は、人里の中がどうなっているのか全く分からないし、藍に任せるから!」

 

 

 少年は、二つ返事で返した。きっと藍が何を言ったところで同じ答えを返したことだろう。

 藍は、相変わらずの少年の年相応の反応を微笑ましく思った。荷物にならない物から買おうという基準で店の順番を選んだが、少年にそんなことを知る由もないだろう。

 少年は、楽しそうにしている気持ちを隠すこともなく、惜しげもなく藍に晒す。

 それほどに少年は、人里を楽しみ、それを藍に隠すつもりなんて無かった。初めて会ったときは警戒していた少年も、1日経って随分と藍に対して心を開いていた。

 

 

「ん~~」

 

「ちゃんとついてくるのだぞ」

 

「うん!」

 

 

 少年は、楽しそうに人里を歩く。藍の指示に従順に従い、藍の姿を見失わないように付いて歩く。

 

 

「初めて見るものばっかりだね。あ、あれは何だろう?」

 

「どうした? 何か見つかったか?」

 

 

 少年は、視界に気になるものがあるらしく視線を止めていた。

 藍は、少年の視線が釘付けになった先に視線を向ける。

 視線の先には、綺麗な和傘が並んでいた。

 幻想郷では、雨の日にさすのは決まって和傘である。外の世界のようなビニール傘があるわけでも、布の傘があるわけでもない。

 藍にとっては何も珍しくはない光景だが、どうやら少年にとっては非常に珍しい物のようで、視線をそらさずじっと見つめていた。

 

 

「あれは傘だよね? 骨が竹でできているみたいだけど、雨をさえぎる布は何でできているの?」

 

「あれは和紙でできている。晴れている日にさすと、ほんのりと零れるように光が透けて見える、いつか試してみると良い」

 

「へぇ~そうなんだ。でも、和紙で作られていたら雨が防げない気がするんだけど、濡れちゃわないの?」

 

「和紙に油を染み込ませることで、撥水させて防いでいるのだ。油は、疎水性だから水が侵食することを防いでくれる」

 

「そんな原理なんだ! 水と油は、混ざらないってことだね」

 

 

 藍は少年の疑問に端的に答え、少年は嬉しそうにうなずきながら遠ざかる和傘を見つめ続ける。少年の目は、未だに和傘から離れずに固定されていた。

 

 

「和傘ならマヨヒガに置いてあるから、雨の日には自由に使うといい」

 

「ほ、ほんとにっ!? じゃ、じゃあ雨の日に使わせてもらうね」

 

 

 少年は、藍の使ってもいいという言葉を聞いて嬉しそうに歩幅を少しだけ大きくする。

 視線はもう、和傘には向いていなかった。

 

 

「ん?」

 

 

 藍は、歩いている途中で少年の手がごそごそと動きたそうにしているのに気付いた。禁断症状でも出ているのだろうか、何がしたいのだろうか、答えはすぐに分かった。

 藍は、少年の行動から何かを察したようにカバンの中に手を入れてあるものを取り出した。

 

 

「はい、使うんだろ?」

 

「藍、ありがとう」

 

 

 少年は、嬉しそうに藍から手渡されたノートを受け取るとさっそくノートに和傘と書き、マヨヒガにある、雨の日に使ってもいいと書き込んだ。

 

 

「こういったことも書き込むのか」

 

「こういうことも忘れちゃうからね」

 

 

 藍は、少年の生態系について少しずつ理解し始めた。

 少年は、こうやってノートに書き記して記憶を心の中に留めるのだ。思い出として、記憶として、刻みこむのである。

 

 

「ははっ、やった。雨が降らないかなー」

 

「和友は、感情が顔に出るタイプのようだな」

 

「だって隠せないぐらいにとっても楽しいんだもん! こんなに自由で、新しいものがいっぱいあって、顔に出さないっていう方が無理だよ」

 

「ふふふ、そうか」

 

 

 藍は、思ったよりも分かりやすい少年の気分や気持ちに安心していた。

 しっかりと見ていれば、ちゃんと見ていれば、少年の気持ちが理解できる、察することができる。昨日のように何も分からずに迷うこともない。そんな安心感が藍の中を支配していた。

 少年は、ノートに書き込んだ後、機嫌よくしゃべり始める。

 

 

「人里って古めかしい感じはするけど、外の世界の様子とあんまり変わらないんだね。うん、普通な感じがする」

 

 

 少年は、口から出た言葉とは裏腹に抑揚のついた声で喋った。新しく知る世界の広がりを見て常に興奮状態にあるのだろうか。楽しい気持ちは、抜けきっていないようである。

 

 

「なんていえばいいんだろう……? もっと普通じゃないと思っていたよ」

 

 

 少年は、人里に来たときに抱えた人里に対する気持ちを藍にぶつけた。

 幻想郷の人里は、少年の想像していた人里とは余りに違っている。妖怪がいる世界にしては、酷く普通である。

 藍は、少年の言葉を聞いてもしやと思った。

 

 

「もしかして和友は、妖怪や妖精がたくさんいると思っていたのか?」

 

「うん。だって、藍みたいな妖怪でも人里に食べ物を買いに来るんだよね。それって、人里が妖怪の食事処ってことじゃないの? だから人里には、妖怪がいっぱいいるんだろうなって思っていたんだけど」

 

「和友の疑問は間違ってはいない。ただ、正解でもない」

 

 

 藍は、少年の思考能力に少しばかり感嘆した。少年の言っていることは、間違いというほど間違ってはいない。

 

 少年の言うとおり、人里に食べ物を買いに来る妖怪は確かにいる。

 しかし、それはあくまで少数である。

 仮に、少年の言うとおり人里に大勢の妖怪が食料を買いに訪れると仮定しよう。

 人里に買い物に来るという状況は―――人里に食べ物を買いに来なければ食べる物がないと言っているのと同じである。

 妖怪が人里に買い物に来るということは、妖怪の食糧が人里に依存しているということなのだ。

 

 

「妖怪は、人里において人間を襲う事を禁止されている。ある程度の知性と自制心を持っていなければ、入ることすらできないだろう。もしも仮に自制心のない妖怪が人里に入って人間を襲えば、人里の守護者か紫様にこってりと絞られることになる」

 

 

 人里に妖怪が余りいないのは、人里で人間を襲うことが禁止されているという決まりの影響が大きかった。ルールによって縛られている人里において、妖怪の誰もかれもが買い物ができるわけではないのである。

 

 

「それに、全ての妖怪が人里で食べ物を買っているわけではない。だから人里に妖怪はあまりいないのだ」

 

 

 ここで仮定した部分に戻るが、全ての妖怪が人里の食料に依存しているとしたら、妖怪の生活は成り立たなくなる。

 それは、人里が食糧を供給できなくなってしまったら妖怪は死んでしまうということになるからである。

 当然のように実際にはそんなことはなく、妖怪は自分自身で自給自足をしていることが多く、それぞれが上手く生きている。

 幻想郷で―――生きている。

 

 

「ふーん」

 

 

 少年は、藍の言葉に疑問を持った。こってり絞られるという言葉は、別に殺されるというわけではないことを示唆している。

 少年は、人間は捕食される可能性を持ちながらも、特に妖怪を殺したりはしないのだと不思議に思った。

 

 

「別に、殺されるわけじゃないんだね」

 

「もちろん、人里に入ってきた妖怪が簡単に人を殺すほどの力を持ち合わせていた場合は別扱いだ」

 

 

 藍は、より詳細な説明を開始した。

 

 

「だが、力を持った妖怪は基本的に知性を持ち合わせている。だから、力を持った妖怪は人里で人間を襲うということをやってはならないことだと分かっていることが多いのだ。つまりだな……」

 

 

 藍は、少年に説明をしている途中で口がうまく回らなくなってきていた。上手く説明しようとすればするほど、よく分からなくなってくる。少年にも分かるようにと思えば思うほど、何を喋っているのか分からなくなった。

 

 

「どう言えばいいのだろうか……」

 

 

 藍は、人に対して物を教えるということをこれまでほとんどしてこなかったため、何の前知識もない少年にどういう説明をすれば分かってもらえるのか分からなかった。

 藍は、人に上手く物事を伝えることがこれほどに難しいことなのだと初めて知った。伝える相手がまだ12歳の少年であることを考えれば、今の藍の説明では到底理解できないだろう。

 藍は頭をひねり、何とか少年にも分かるように伝えようと努める。

 少年は、そんな焦る藍に対して理解しているという旨の言葉を贈った。

 

 

「人里で人間を襲うような妖怪は、力の弱い妖怪がほとんどということだね。弱い奴が暴れても、人里の人間だけでなんとか対処ができる……だから殺されない」

 

「そ、そういうことだ。よく分かったな」

 

「なるほどね……」

 

 

 藍は、改めて少年が見た目よりも利口であることに救われたと同時に心の中にあった焦りが消えていくのを感じ、ほっと一息ついた。

 少年は、藍の説明から暴れる妖怪を何とかできるだけの能力を人里が持ち合わせているということなのだろうと把握した。確かにそうでなくては、人里の人間も妖怪が住んでいる幻想郷で生活していくことはできない。自衛能力が最低限でもないと、安心という絶対的に必要なものが得られないからである。

 しかし、どの場合においても例外というものはある。

 藍は、少年の言葉に注釈をつけた。

 

 

「だが、例外は山ほどある。何せ、人と妖怪だ。価値観も違えば力の大きさも違う。結局どうなるのかは、その場次第というところだな」

 

「絶対に死なないというわけでもないっていうことか」

 

 

 少年は、静かに頭の中へと藍の言葉を飲み込んだ。

 死んでしまう―――そんな外の世界でも当然ある普通のことが、幻想郷でもあるということを脳内に刻み込んだ。

 幻想郷は、あくまでも普通の中にある異常の一部に過ぎない。少年を取り巻く状況は、外の世界と何も変わっていなかった。




少年は、問題をたくさん抱えていますね。読者の方も考えながら読んでくれたら楽しいかと思います。

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