ぶれない台風と共に歩く   作:テフロン

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少年の過ごす日常が分かれば良いかなと思います。


初めての朝、始まった生活

 少年が幻想郷にやってきて2日目の朝がやってきた。少年が朝を迎えたという意味では、幻想郷で初めての朝を迎えたということになる。

 少年にとっては、そんなちょっと特別な日の幕開けだった。

 

 

「ふぁぁ~。んーはぁ……」

 

 

 現在の時刻は、午前7時を回る前―――朝日が顔を出し、光が眩しく差し込んでくる時間帯である。

 少年は、すでに自分の部屋から出ており、眠たい目をこすりながら居間へと向かって歩いている途中だった。

 

 

「和友の分は、どうするべきか。昨日の疲れから鑑みると朝早くから起きてくるとは思えないが……」

 

 

 まだまだ眠たそうにしている少年が向かっている居間には、すでに動いている人物が存在した。少年が起きるのもそこそこ早かったが、どうやら藍は少年のさらに1時間前ほどに起きているようで、現在進行形で朝食を作っている最中である。

 作っているのは主に自分の分の料理だけで、紫の分や少年の分は作っていない。

 自分の分だけを作っているのは、単に紫が起きてくる時間が遅いという理由からである。少年についても、昨日の疲れから考えれば朝早くから起きてくるとは考えにくく、早く起きてくる可能性を脳内から除外していた。

 藍がそんな少年のことを考えながら料理を作っているとき、少年が居間へと顔を覗かせる。

 

 

「ん? 起きるの早いなぁ……」

 

 

 少年は、居間へと入るふすまを開けて部屋の中を視認すると、流れるように調理中の藍に向けて挨拶の声をかけた。

 

 

「藍、おはよう……」

 

「噂をすれば影が差すとは、このことか」

 

 

 藍は、少年の声を聴いて一瞬驚いたようなそぶりを見せると、料理をしている手を止めて口を開いた。

 

 

「おはよう、和友」

 

「うん、おはよう……は~」

 

 

 少年は、眠たそうに眼をこすりながら藍のもとへと近づいてくる。

 昨日少年が寝たのは深夜12時を回ったころである。さらには、深夜3時に一度起きてきていることもあり瞼が非常に重いようだった。

 

 

「今日ぐらいもっと寝ていてもよかったのだぞ?」

 

「今日ぐらいとか、明日やればいいやとか、そういうのあんまり好きじゃない……」

 

「いや、そうは言うが早すぎるだろう? 昨日の疲れを考えれば、もっと熟睡できてもおかしくないはずだ。もしかして、布団が合わなかったのか?」

 

 

 昨日あれだけのことがあり、幻想郷に来て1日目ということを考えれば、もっと寝ていてもいい時間である。

 藍は、もしかしたら少年は今までベッドで寝ていたため布団に慣れておらず、寝にくかったということなのかもしれないと考えを巡らせる。

 しかし、そんなことは実際には無いようで少年は首を横に振った。

 

 

「ううん、そんなことはないよ。僕、いつもこのぐらいの時間に起きているから、目が覚めちゃっただけ……」

 

 

 少年は、ゆったりとおぼつかない足取りで藍と2メートルというとこまで近づき、その足を止めた。

 少年がこれほど朝早くから起きてきたのは、単純な理由からだった。少年の生活スタイルが朝早くから行動し、早く寝るという早寝早起きを体現したものだからである。

 起きる時間は体内時計がしっかりしている限り、変わることはない。

 けれども、今日に限っていえばその正確な体内時計が悪い方向に働いている。少年の表情は浮かないもので、明らかに疲れが取れていないようにみえる。

 藍は、とても眠そうにしている少年を気遣い、もっと寝ていても構わないと提案を持ち掛けた。

 

 

「そんなに眠たそうな顔をして言っても、何の説得力もないぞ。昨日寝たのは随分と遅かったのだし、もっと寝ていてもよかったのではないか?」

 

「ちょっと待って、少し体を動かすから」

 

 

 少年は、藍の提案に少しだけ考えるようなそぶりを見せると首をぐるりと回し、大きく背伸びをして大きく息を吐く。そして、肺にたまった空気を完全に抜くと目をぱちぱちさせて軽く腕を回した。

 腕を回し終えると、とんとんとその場で軽く飛び、肩の力を抜いて腕を重力に従わせる。

 藍は、始めてみる少年の動きを興味深げに観察していた。

 

 

「それは、朝起きたときに毎回やっている運動なのか?」

 

「そう、僕の習慣」

 

 

 藍は、少年の習慣というものが酷く目新しく見えた。

 藍には、朝起きたときにやる運動なんてそんなものはないし、やることといえば顔を洗うことぐらいしかない。藍は、自分もやってみようかなと考えながら少年の動作を見つめていた。

 少年の顔は、ほんの少しの間軽く体を動かすと先ほどよりもはるかにましなものになった。先程の疲れを見せていた顔とは雲泥の差である。

 

 

「朝起きるのだって習慣の一つだから、無理には変えられないよ。一日だらけちゃうと次の日に挽回するのにまた時間かかっちゃうしさ」

 

「紫様にも見習ってもらいたいな、と言いたいところだが……」

 

 

 少年の言葉は、どうしても主である紫の生活習慣と比較してしまう。そして、いざ比較してしまうとその差がより大きく見える。背景が真っ黒の空間に白い点があるみたいに、紫の生活のコントラストが顕著になる。まるで、正反対。正と負、表と裏のような生活習慣である。

 藍は思わずため息が出そうになる気持ちを抑えきれず、藍の口からはその思いそのままに諦めの言葉が漏れ出した。

 

 

「はぁ……紫様は、私がどうしたって何も変わらないだろう」

 

 

 藍は、紫の生活習慣を思い出すとため息しか出てこなかった。

 紫の生活スタイルは誰の目から見てもおかしく、おおよそ普通の生活とは言い難い。

 しかし、紫の生活習慣についてあれこれ言っても、不満を垂れても仕方がなかった。

 それは単純に―――変えることができないからである。

 

 

「紫様は、決して今の生活習慣を変えることはしない。私は、紫様の生活を変えることをすでに諦めている」

 

「紫の生活ってそんなに酷いの?」

 

「紫様の生活スタイルは、怠惰を体現したような生活だからな……」

 

 

 藍は、これまでに紫に対して規則性のある生活を送るように提言したことが数多あった。

 しかし、そのいずれもが紫には聞き入れられず、今の状態となっている。

 まさしく―――言うだけ無駄の状態だった。

 

 

「どういえばいいのだろうか……紫様の生活はなんというか、無秩序な感じだ」

 

 

 紫の生活習慣は、無秩序といっていいほどに散乱している。早く起きる日もあれば、一日中起きてこないときもある、どこかに出かけたと思えば何もしていないときだってある。

 言葉では表せないような生活というのは、何とも的を射ている表現だといえるだろう。

 

 

「変わっているようで変わってなくて、決まっているようで決まっていない。雲をつかむような生活をしておられる」

 

「へぇ、全然分かんないや」

 

「まぁ、一緒に生活していれば嫌というほど分かるさ。百聞は一見に如かずだ。見ていれば嫌でも理解できる」

 

 

 藍は、分かってもらえるなど最初から思っていなかった。言葉に表現できないものを相手が言葉だけで理解できるはずがないのだ。それは、目の見えない人に空の色を説明するぐらいに無理のあることである。

 藍は、後に分かるという言葉をもって紫の生活についての話を打ち切った。

 

 藍の説明できなかった紫の生活を簡単に説明すると―――紫の生活は、寝る時間が遅くなろうが早くなろうが生活には影響せず、睡眠時間が長かろうが短かろうが特に生活の流れが変化をするわけでもないというような完全無秩序型である。

 そういう意味では、少年とは全く違った普遍性があるといえるだろう。

 睡眠時間が極端に短く眠らない時もあれば、数カ月という長い時間を睡眠に使うこともある。睡眠時間が影響を及ぼす部分があるとしたら、機嫌の善し悪しに少しだけ影響を及ぼす程度だろうか、その程度のものである。

 結局のところ、起きてくる時間も眠る時間も何も分からないのだ。そんな無秩序こそが、紫にとっての平常運転である。

 

 

「朝食を作っているんだよね? 手伝うよ」

 

 

 少年は、料理をしている藍を見つめながら2メートルあった藍との距離をさらに詰める。

 藍は、近づいてくる少年に対して右の掌を少年に対して見せるように突き出した。

 

 

「和友」

 

「何かな?」

 

 

 少年の足は、突き出された藍の手前で止まった。藍は、正面で止まっている少年に向けて命令する。

 

 

「まずは、顔を洗ってきなさい。はっきりと目も覚めていない人間に調理なんてさせられない。外に水が出ている所があるから行ってこい」

 

「そっか、そうだね。うん、分かった。それじゃあ顔を洗ってくるね」

 

 

 藍は、外の水が出ている場所に向かって指さした。どうやら藍の指し示している方角に顔を洗うことができる場所があるらしい。

 少年は藍の言葉に納得し、藍に示された方角に向かって外へ出かけていく。少年の後姿はどんどん小さくなっていった。

 藍は、遠のく少年の後ろ姿を見送りながら肺から全ての空気が抜けるような大きく息を吐いた。

 

 

「はぁ……和友は、なんでも手伝おうとするところが良いところで、悪いところだな。制止をかけないと無理をしかねない」

 

 

 藍は、少年を止めるために停止させた調理を再開しながら昨日の事を思い出した。

 頭の中には、昨日の少年の姿がはっきりと浮かび上がってきた。書き記している作業の少年の無理をしているところが脳内に明確に想起された。油汚れのようにへばり付くように刻み込まれた記憶が頭の中にあった。

 

 

「本当に、あれは……」

 

 

 少年という人間はそういう生き物なのだと思えるほどに、努力している姿、生き方が様になっていた。年季が入っているというのだろうか、洗練されているように感じられた。

 少年の努力する姿は、そうあるのが普通だと言えるほどに一つの造形物に見えるのである。まるで、美術館で完成された絵画を見ているような、そんなイメージを沸かせるだけの積み立てが少年の行動には存在している。

 

 

「昨日は面を食らってしまったが、和友はきっとああいう生き方しかできないのだろうな。幻想郷にいる間ぐらい、外の世界よりも負担を減らすことができればいいが……」

 

 

 藍は、少年について考え事をしながら調理を進める。一般的に考え事をしながら調理をするのは危ないことではあるが、気にする様子もなく料理を作っていた。

 調理の際に思考するという危険なことに対して、気にする必要がないからといえばそれで全てである。悩みながらの調理に支障が出ることはないし、いつものことだというのが藍の認識だった。

 

 

「どうすればいいのか……何も思いつかないな。紫様と話し合えば、何かいい案が出てくるのだろうか……」

 

 

 とんとんと包丁がまな板に当たる景気のいい音が空間に響く。

 

 

「しかし、紫様はよく考えているようで考えていない方だから、あまりあてにはできないな。いきなり和友を放り出すということもやりかねない。やはり……私自身が和友を支えていかなければなるまい。和友には、大きな借りがあるのだから」

 

 

 藍が料理をしている最中に怪我をするなんてことは基本的にはない。そもそも、藍の右手に握られた野菜を切っている包丁が藍の左指を切断することなどあり得ないのだ。

 妖怪の体というものは、そんなに傷つきやすいものではない。最悪、包丁の方が欠けてしまうのではないだろうかというレベルの話である。

 

 

「よし、今日もいい感じだ」

 

 

 藍は、できあがりを待ち構えた料理達を見て満足そうな顔になった。

 藍が作っていた朝の料理は非常に質素なもので、ご飯に味噌汁、焼き魚に漬物、サラダである。

 藍の表情は、料理が上手くできあがってきているということが伝わる表情だった。残念ながら誰も藍の表情を見ている人物はいなかったが、数少ない藍の自然な笑顔を見ることができる貴重な瞬間である。

 藍が調理を終えて包丁とまな板を洗い、片づけようとしたそんな時―――玄関の扉が動く音が聞こえた。

 

 

「帰ってきたか」

 

 

 どうやら少年が外から顔を洗って戻って来たようである。

 この時藍は、紫が起きてきたとは微塵も思っていなかった。紫は、絶対にこんなに早く起きてこない。そんな思考回路など数百年前に捨てており、ゴミ箱にも残っていなかった。

 藍は、少年が入ってくるはずのふすまへと目を向ける。藍の耳には、小さな小さな足音が部屋に向かって近づいているのが聞こえた。

 聞こえていた足音が―――そっとふすまの前で消え、ふすまが開かれる。

 藍は、開けられたふすまの奥の人物を確認すると、思わず動揺した。

 

 

「ど、どうした? 何かあったのか?」

 

 

 ふすまが開かれて中に入ってきたのは、予想通りに少年だった。

 しかし、現れた少年の姿は予想に反して腰が老人のように90度近く曲がっており、真下を向いていた。足音が異様に小さかったのは、腰を曲げていたせいだったようである。

 

 

「タオル忘れた……」

 

「はぁ……」

 

 

 藍は、少年の言葉に大きなため息を吐く。溜め息と一緒に心配や不安が口から抜けていった。

 心配のしすぎだと思う人もいるかもしれないが、昨日あった密度の濃い時間を考えれば何が起きてもおかしくないのだ。藍の感情の起伏は、そういう意味でごく普通の反応だった。

 

 

「びしょびしょだよ……」

 

 

 少年は、わずかに目を開けた状態で軽く頭を上げる。

 藍の瞳には、ずぶぬれの少年の顔面が映った。重力に従って少年の顔面からだらだらと水滴が落ちていく。

 

 

「今着ている服で拭いてもらって構わなかったんだぞ?」

 

 

 藍は、別に濡れた顔を拭きとる程度の事ならば、貸している寝巻で拭いてもかまわないと思っていた。濡れた顔のまま部屋に戻ってくる方が、廊下に水滴が落ちたり、前が見にくいことで転んだり壁にぶつかったりと、色々と問題があるからである。

 しかし、どうやら少年は藍から借りている寝巻で顔を拭くのはどうしても避けたかったようで、明確な拒否の姿勢を示した。

 

 

「そんなことはできないよ」

 

「あーもう、しょうがない奴だなぁ」

 

 

 藍は、わずかに微笑みながら優しく声を発する。少年が寝巻をできるだけ濡らさないように腰を曲げていることからも、借りている寝巻を汚したくないという気持ちが伝わってくる。少年は、藍に対して気を遣ってくれているのである。

 藍は、少年の気持ちに表情を柔らかくしてキッチンにおいてあるタオルを手にすると、微笑ましいものを見るような様子で少年にタオルを手渡した。

 

 

「ほら、これを使いなさい」

 

「藍、ありがとう」

 

 

 少年は、濡れた顔で目が見えているのか分からない状態のまま藍に向けてお礼を言う。藍は、お礼を言う前にタオルで顔を拭かないところも少年らしいなと思った。

 

 

「ん~~~はぁ……」

 

 

 少年は、藍から両手でタオルを受け取ると濡れた顔を拭う。顔についた水滴は、タオルに吸い込まれて消えた。

 顔の水滴をふき取った少年は、目をぱちりと開けてすっきりとした表情をみせる。藍は、少年からのお礼と共にタオルを少年から受け取った。

 

 

「ありがとね」

 

「どういたしまして。もう朝ごはんができるから、そこで座って待っていてくれるか?」

 

「はーい」

 

 

 少年は、藍の言葉に一度頷いてテーブルの方へと歩き出す。そして、椅子に腰かけると明るくなった外の景色に目を向けた。

 今日の天気は晴れのようで、日差しが差し込んできている。出かけるのにはベストな天気だった。

 

 

「いい天気だ」

 

「和友、今日は何か予定を入れていたりするか?」

 

 

 少年は、藍に話しかけられて外の景色を見ていた顔を藍の方向へ向けた。

 少年の視界に入った藍は、下を向いたままで手元に視線を向けて、手を動かしている。藍は、少年の方向を向くことなく、手元に視線を向けたまま話しかけたようである。

 少年は、調理台に視線を向けている藍に一方的に視線を向けて話しかけた。

 

 

「予定なんて全然無いよ。あるっていえば、能力の制御の練習をやりたいってだけかな」

 

「それでは、朝ご飯を食べ終わったら人里に行かないか? これから和友が暮らしていくのに必要なものを買い揃えようと思うのだが」

 

「僕は全然構わないけど……」

 

 

 藍は、少年に人里に行こうと提案した。

 これから少年が幻想郷で暮らして行くためには、必要となる物がたくさんある。貸し与えている寝間着に始まり、衣服の数々、食事の時に必要な箸や筆記用具だってあった方が良いだろう。

 藍は、昨日紫から買い物に行った方が良いという提案されたこともあり、少年に必要な必需品を買いそろえるために人里に行こうと考えていた。

 少年は、買い物に行こうという藍の提案に乗ることに対して申し訳なさを感じていた。

 何かを買ってあげる、その言葉は藍から施し(ほどこし)をうけているようで悪い気がした。何かしら対価として払っているのならばともかく、何かしらの返しがあったのならばともかく、昨日からやったことといえば迷惑をかけたことだけである。

 少年は、対価を何も払わずにただただ貰うだけの存在となっていることに責任を感じていた。

 

 

「ごめん、何か対価として払えるものを持っていればよかったんだけどね。僕、なんにも持ってないし……」

 

「これから返してくれればいいさ。和友は、まだ子供なのだ。子供の時は甘えればいい」

 

 

 藍は、暗い雰囲気を作り出す少年を諭すように告げた。少年のような年の子に今すぐ何かをしろというほど藍も紫も鬼ではない。それに、返す必要すらなくなるかもしれないのだ。

 藍は、そこまで話したところで一呼吸入れると、少年に向けて心の内に秘めている自分の意志を伝えた。昨日、寝る前に考えたことを口に出した。

 

 

「それに……このままここで暮らすのだったら私たちの家族になるわけだし……お金については、別に返さなくてもいいからな」

 

 

 藍は、遠まわしにマヨヒガでずっと暮らしていけばいいと少年に告げたつもりだった。

 はっきり言って少年が外の世界に戻る選択肢には現実味がないのだ。

 なぜならば、少年には外の世界に戻っても頼りにできる両親がいないからである。

 それに、幻想郷に来ている間に外の世界で起こっている神隠しの期間をどうやって埋めるのかも分からない。

 少年が外の世界に戻るということには、色々と問題があるのである。

 

 少年はきっと幻想郷で生きることになるはずだ、藍はそう思っていた。

 少年は近々、幻想郷のどこで暮らしていくのかについても決めることになる―――近いうちに人里で暮らしていくのか、マヨヒガで暮らしていくのかを決める時がやってくる。マヨヒガに住むのかどうかは少年しだいだが、きっとマヨヒガに住むことだろう。

 他に当ての無い少年に与えられた選択肢は、無いに等しい。

 もしもこのままマヨヒガで暮らすというのならば、藍と紫と少年の3人は家族のような関係になる。家族であれば、この程度の貸しは何の問題もないし、気にするほどのことでもないだろう。

 特に藍は、お金で買えないような貸しを少年から与えられている立場であるため、余計に少年がお金を使うことを気にしていなかった。むしろ、使って欲しいとさえ思っていた。

 なにより八雲紫と八雲藍は―――人間一人を養えないほど貧乏ではないのだ。少年一人養っていくなど、藍や紫にとってはたいした問題ではなかった。

 しかし、そんな藍の意図に反して、少年は明確な拒否の言葉を吐き出した。少年が藍の意図を分かっているのかどうか分からないが、藍の言葉に対して真剣な顔で拒否の姿勢を示した。

 

 

「いや、絶対に返すよ。もらった分は返さないとね」

 

「なぜだ?」

 

 

 藍は、少年のあまりにきっぱりとした答えに少し驚いた。

 少年の言葉には、躊躇するような様子や戸惑う様子は見受けられない。はっきりとした気持ちをもって返すと言っていることが分かる。

 藍は、少年の明確な否定を示す回答に不安を抱えた。

 もしかしたら少年は、藍や紫と家族になるということを嫌がっているのかもしれない、マヨヒガにいることを嫌がっているのかもしれない。そんな嫌な想像が藍の頭の中を駆け巡っていた。

 

 

「和友は、嫌なのか?」

 

「借りた状態がってことなら、僕は嫌だよ。そんな、みんなの荷物になるようなことはしたくない」

 

「そうじゃない。私が言いたいのは、そういうことではない。私が聞きたいのは……」

 

 

 藍は、自分の言葉の意図を理解していない少年に向けて遠回しな表現を避けて再び尋ねようとしたところで―――言葉を口にしようとするところで固まった。

 少年にそのことを直接尋ねてもいいものかと良心の呵責に囚われたのである。これから聞こうとしていることは、直接的に言えば少年の両親の死についてのこと―――両親のことを引きずっているかという問いなのである。

 藍は、昨日の一件で少年が両親の死について気にしていないということを知っていながらも、そのことを口に出すことがはばかられていた。

 

 

「何を聞きたいの?」

 

「私が言いたいのはだな……」

 

 

 藍は、少しの間悩み、少年に尋ねるという結論を下す。いくら聞きにくくても、いくら質問しにくくても、少年の真意を聞いておかなければこれからどうしていけばいいか分からないのだ。

 藍は、少年にとって辛い質問をしていることを理解しながらも質問を投げかける。その質問に答えるのがどれほど難しいことなのかを理解しながらも、少年に告げた。

 

 

「和友は、ここで私達と家族として暮らすのは嫌なのか? やっぱり家族の事は忘れられないのか?」

 

「…………」

 

 

 少年は、一呼吸の沈黙を含んだ。

 藍は、問いかけに対して沈黙する少年に心臓を激しく鼓動させる。聞くべきではなかったかとさらなる不安を抱え込む。それでも、藍の瞳は真剣なままで、少年だけを見つめていた。

 少年は、しばらくの沈黙の後ゆっくりと口を開き、笑顔を作った。

 

 

「……家族のことで、ここで暮らしていくことを悩んでいるわけじゃないよ。別にここで暮らすのが嫌なわけでもない。ただ、ちょっとね。まだ決めきれないからさ」

 

「そうか……時間はあるんだ、ゆっくり決めていけばいいからな」

 

「うん……」

 

 

 藍は、少年の作られた笑顔を見て、少年に回答のための時間的な猶予を与えた。決して、せかすように少年の答えを聞いて決断を迫ることはしなかった。

 正確には、これ以上追及して少年を追い込むことができなかったと言った方が正しいだろう。藍は、少年からまたしても拒絶するような言葉が出てくる可能性に怖気づいてしまっていた。

 藍は、気持ちを切り替えて完成した朝食を運ぶ。何もかも振り切るようにして、思い出したくないものを隠すようについさっき追加した2人分の朝食を順番に机に運ぼうとした。

 少年は、藍が食器を運ぼうとしているのを見ると椅子から立ち上がった。

 

 

「藍、僕も手伝うよ」

 

「ああ、ありがとう」

 

 

 少年は、先程の重い空気を払しょくするように表情を柔らかくし、何事もなかったかのように朗らかな顔をして藍の手伝いを行った。

 テーブルには、藍の作った朝食が並ぶ。

 二人は、全ての料理が並んだことを確認すると椅子に座り、合掌した。

 

 

「「いただきます」」

 

 

 二人は、いただきますの言葉を合わせると朝食を食べ始めた。お互いにゆっくりと食べ物に手を付け、目の前の料理を消費する。

 二人の間には、わずかに重い空気が残されており、どちらとも話をしようとしなかった。

 

 

「「…………」」

 

 

 藍は、先程の問いかけに対する少年の反応が気になり、それどころではなかった。少年に気を遣わせている、昨日の今日で聞くには早すぎた質問だったと心の中で反省していた。

 少年は、明らかに悩んでいると分かる藍を複雑な表情をしたまま見つめる。藍は、困った顔で少年に視線を返す。

 そんな無言の空気の中、初めに声を発したのは―――少年だった。

 

 

「紫は、まだ起きてこないんだね」

 

 

 少年は、紫抜きで朝食を食べていることについて疑問を投げかけた。紫もマヨヒガに住んでいて、藍の家族として過ごしているのならば、食事に参加するのが普通じゃないのか、食事は家族でとるものという認識の強い少年は、朝食を二人で食べているということに違和感を覚えていた。

 藍は、少年が疑問に思うのも仕方ないと思った。少年は、紫の生活習慣を知らないのだから。

 

 

「紫様は、基本的に昼からしか活動しないよ。冬眠の時期だとずっと寝たっきりだ」

 

「その言い方だと、まるで病人みたいに聞こえるね」

 

「紫様のあれは病気みたいなものさ」

 

「はははっ、そんな病気があるんだね。初めて知ったよ」

 

 

 少年は、藍の物言いが紫を病人扱いしているように聞こえた。そして、それは何の間違いでもなく真実であることを知ると、藍の軽口に笑いを堪え切れずに笑い声を外に漏らした。

 

 

「紫は、お寝坊さんなんだね。そっかぁ、僕が紫を早朝に見つけたのは、ものすごくレアな出来事だったんだね」

 

「珍しいなんてものではないぞ。人に自慢してもいいほどだ。私ですら朝から活動している紫様をほとんど見たことがないからな」

 

 

 藍と少年は、そんなどうでもいい会話を並び立てながら朝食を頬張った。

 少年は、昨日のことを覚えていないかのように、気にすることもなく自然体で時間を流している。

 藍は、少年の明るい様子に気を楽にしていた。

 

 

 少年は、先程よりも表情を柔らかくする藍に色んなことを話した、幻想郷での話やこれまでの生活、昨日のことを気軽に口にした。

 藍は、少年との会話を楽しみ、会話に花を咲かせる。テーブルに置かれていた料理は、次々と姿を消していった。

 少年と藍は、目の前の料理が無くなってもしばらくの間会話を楽しんだ。

 

 

「それでだな、和友。もう一つ面白い話があってだな」

 

「ごめん、藍……そろそろ、後片付けをしよっか?」

 

「あ、ああ、そうだな」

 

 

 藍は、次の言葉を吐き出そうとしたところで固まり、少年に向けていた視線を下へと向ける。藍の視界には、空になった皿が並んでいた。

 藍は、時間を忘れて少年と話をしていたことに気付き、慌てて少年の提案に乗った。

 

 

(どうして私は、料理を食べ終わったことに気付かなかったのだろう? どうしてこれほどに話していたいという気持ちになるのだろうか……?)

 

 

 藍は、自分があまりに饒舌になり、時間を忘れて少年と話していたことを不思議に思った。

 少年との会話には、他では味わえないほどの高揚感と充実感、楽しさとドキドキ感がある。藍は、どうしてそのような感情が沸き立つのか、感情の源泉を見つけることができなかった。

 藍は、少年との会話を続けたい気持ちを抑えてテーブルの皿の後片付けに入る。すると、藍の行動を制止するように少年から声がかかった。

 

 

「後始末は僕がやるよ」

 

「いや、私がやるから和友はのんびりしてくれていいぞ」

 

「美味しい料理を作ってくれたお礼だよ。このぐらいは僕にやらせて」

 

 

 藍は少年にやってもらうほどのものでもないと少年の申し出を断ったが、少年は食事を作ってくれたお礼だと藍に伝えた。

 そう言われると悪い気のしない藍は、表情を柔らかくして少年の言葉を受け入れる。

 

 

「そ、そうか。ならば、お願いする」

 

「任されたよ」

 

 

 少年は、藍の答えに満足した表情で食事の後始末を開始する。

 藍は、少年の気遣いにくすぐったい気持ちに襲われていた。普段誰からも手伝ってくれる存在が身近にいない藍は、少年の善意がこそばゆかった。

 

 

「普段一人で黙々とやっていたことを誰かにやってもらうというのは、なんだか気持ちが悪いものがあるな。今後慣れるのだろうか?」

 

 

 藍は、チラチラと少年の行動を見つめながら縁側へと移動する。

 縁側には、太陽の日差しが差し込んでいる。徐々に視界の中に入り込んでくる空は青く晴れ渡っていて、まぶしいぐらいに太陽が照っていた。

 

 

「にしても、本当に今日は良い天気だな。布団も干さないと……」

 

 

 藍は、縁側に座って太陽の光を浴び、のんびりと時間を過ごした。

 しばらくの間のんびりしていると、部屋の中から聞こえてくる食器の音、水の音が完全に消える。どうやら、食器の片づけが終わったようである。

 水音が消えると、少年の足音と思われる音がどんどん大きくなった。

 

 

「隣、いいかな?」

 

「遠慮なんてしなくていいぞ」

 

「それじゃあ、遠慮なく」

 

 

 少年は、縁側でのんびりしている藍の隣に座ると、視線をはるか遠くに持っていく。

 何があるのだろうか―――藍はそう思い、視線を送った。

 だが、視線の先には空しかなかった。

 

 




和友は人間ですし、やはり最初に訪れるべきは人里ですね。

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