ぶれない台風と共に歩く   作:テフロン

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心配性の二人、生まれ変わった少年

 紫は、長考した結果出てきた答えを素直に口にする。それで藍が納得することは無いと分かっていながら、それ以外の答えを持ち合わせていない紫に出すことのできる答えはない。

 紫は、心の思うまま少年に向けられている想いの総称を外へと吐き出した。

 

 

「分からないわ」

 

「分からないって……自分のことなのにですか?」

 

「得てして、他人よりも自分のことの方が分からないものよ」

 

 

 およそ一時間ほどだろうか、少年に対しての談話が二人の間で行われた。

 時間は、すでに午前3時を回ろうとしている。

 しかしながら、二人の顔には疲れは見えなかった。寝る直前の少年の顔は酷く疲れた顔をしていたが、妖怪である二人にとって深夜を過ごすということは、そこまで辛いことでもないらしい。

 藍は、一通りの会話を終えた後、紫にある提案を持ち掛けた。

 

 

「紫様、和友の様子を見に行きませんか?」

 

「藍は、心配性ねぇ……心配になる気持ちも分かるけど、そこまで心配する必要はないと思うわよ」

 

「…………そうですかね」

 

 

 藍は、少年が再び無理をしている可能性を危惧していた。

 紫は、藍が思った以上に少年を心配する様子に仕方がないなと腰を上げる。

 藍が少年を心配するのは仕方がないこと、少年の努力を見てしまえば無理をしているのではないかと想像するのは難くない。そして何よりもその行動を一番止めたがっていた藍が少年を心配するのも分からなくもないことである。

 紫は、藍の気持ちに対して譲歩の姿勢を示した。

 

 

「ほら、そんな顔しないの。さっさと行くわよ」

 

「は、はいっ!」

 

 

 二人は、居間を出て廊下を歩き、少年の部屋の前まで来た。

 

 

「さてと……あの子の部屋はここなの?」

 

「はい、ここのはずです。紫様も先程来られましたよね?」

 

「さっきは騒ぎを聞きつけただけだったからあまりはっきりと覚えていないのよ。和友は、意外と居間から近くの場所にしたのね」

 

「そのようです。近くにした理由は、特にはないでしょう。和友なら、そんなものどっちでもいいと言うはずです」

 

「違いないわ」

 

「では、開けますね」

 

 

 藍は当初の目的通り、少年が再び無理をしていないかを確認しようと戸に手をかける。

 しかし、そこで藍の手が止まった。

 

 

「さすがに寝ましたよね?」

 

「見てみるまで断言はできないわ。私達は、あの子のことをそれほど分かっていないのだもの。あの子がまだ何かを抱え込んでいる可能性は捨てきれないわ」

 

「そう、ですよね……」

 

 

 藍はそっと息をのみ、少年のいる部屋のふすまを静かに少しだけ開ける。

 部屋の中は真っ暗で、光がある様子はなく、さすがに作業しているということはなさそうだった。

 藍と紫は、暗い部屋の中に視線を向かわせ、瞼を閉じて布団の中で眠っている少年の姿を確認する。

 

 

「眠っているみたいね」

 

「そうみたいですね」

 

 

 藍は、実際に眠っている少年を直接見てようやく気持ちを落ち着けた。嫌な考えは、完全に淘汰された。少年に驚かされてばかりで、心を揺さぶられてばかりで、こうして自分の目で見るまでは嫌な考えが頭の中に浮かぶこともしばしばで、あの書き記す作業に没頭していたら、という考えが頭を離れなかったが、直接見てみればもうなんのことはない―――藍は素直に安心した。

 

 

「安心しました。どうやら心配いらないようですね」

 

「確認が終わったのならさっさとふすまを閉めるわよ。あんまりここでしゃべっているとあの子が起きてしまうかもしれないわ」

 

「はっ、早く閉めましょう」

 

「起こさないようにって言っているでしょう? ふすまはゆっくり閉めるのよ」

 

「そういう意味で言っているわけではありません」

 

「ふふふ、分かっているわ」

 

 

 紫は、ゆっくりと開けたふすまを音をたてないように静かに閉じた。

 二人は、閉じられたふすまの前で顔を一度だけ見合わせると微笑み、廊下を歩き出す。

 藍は紫に追随するように後ろを、足音を出来るだけ立てないようにして歩く。紫も同様に足音を消して歩いた。それは、少年を起こさないための配慮だった。

 

 

「本当に、良かった……」

 

 

 藍は、少年に対する不安が取り除かれたことで安心し、もう寝ようと考えていた。時刻は完全に眠る時間を越えている。

 前にいる紫もこれから寝るのだろうか。藍は、紫に問いかけた。

 

 

「私は、そろそろ寝ようと思います。紫様は、これからお休みになられますか?」

 

「私はもう少し起きていようと思うわ。私にはまだ、危惧していることがあるもの」

 

「まだ何か和友にはあるのですか?」

 

 

 藍は、紫の言葉に歩く速度を上げて紫の隣を並走し、緩んでいた顔を引き締める。紫には、まだ心配している事があるようだった。

 藍は、紫の顔を覗き込むようにして、少年の部屋を覗く前のような不安な表情を見せていた。

 

 

「藍、そんなに心配しなくても大丈夫よ」

 

 

 紫は、大丈夫だと藍の頭を軽くポンポンと軽く叩く。藍は、頭を叩かれたことで少しだけ頭を下に下げた。

 藍は、上目遣いになりながら不安そうな視線を向ける。やはり言葉だけでは安心できないようである。

 

 

「こっちの方はたいしたことはないと思うから……藍は先に寝なさい。心の中のこともそうだし、随分と疲れたでしょう? 私はもう少しだけ待ってみるわ」

 

「いえ、ここまできたら最後まで付き合います」

 

「ふふっ、ありがとう」

 

「今さらでしょう?」

 

「それもそうね」

 

 

 どうせ、このまま藍を寝かせても、眠れるはずもないのだ。これほどに心配している藍が、不安を煽られて心を落ち着けられる道理はない。藍と一緒に待つことになるのは、いわば必然だった。

 

 

 

「「…………」」

 

 

 紫と藍は、先程少年を待ち続けた居間へと移動し、眼を閉じて待ち続ける。

 再び、長時間に及ぶ待機時間である。縁側で星が見えているのに、視線を空へと向けることもなく、待ち続ける。お互い寝ているのではないかと思うほど微動だにせずに、時間だけを消費する。二人とも決して動き出そうとせず、これから何かが起こるということを分かっているように、何かが起こるのをひたすらに待ち続けた。

 

 

 時刻は、深夜三時を回る。時計の針は、固まり切っている二人と違って動くことを止めない。時間が止まったような二人の様子から、このまま一晩を明かすのではないかと思われた。

 そして―――そうなっても構わないと思っていた。

 そうなってくれればいいと―――心から思っていた。

 しかし、紫の予測は的中することになる。

 

 

「あれ……? まだ起きていたの?」

 

 

 音の無かった空間に声が入り込む。

 眼を閉じていた二人は、重くなった瞼を開けて声の主へと顔を向けた。

 二人の視界に入るのはもちろん、少年である笹原和友である。病院にいたときの服は寝間着に変わっていて、目元をこすっている少年の瞼はちょっとだけ赤くはれていた。

 

 

「紫様……」

 

「…………」

 

 

 藍は、少年を見た直後に一度紫へと視線を移した。

 紫の予感が当たった―――そう思った、危惧していることがあるという紫の予測が当たったのだと理解した。藍は、予測していた紫がどう動くのか一挙手一投足に注視する。

 しかし、肝心の紫はその場から動こうとはしなかった。藍は、どうして紫が動かないのかと疑問を抱える。

 確かに、紫の予測していた内容と今現実に起こっている問題が同一のものかどうかは判断することができない。紫は、藍に向かって懸念材料があると打ち明けてはいるが、内容までは明かしていないのだから。

 しかしながら、藍は今の状況が紫の脳内想像と同じであると確信していた。

 藍は、紫へと向けていた視線を少年へと向ける。少年は、不思議そうな顔をしたまま止まっており、じっと自分達からの回答を待っていた。

 藍は、再び紫へと視線を向ける。再び藍の瞳に映しだされた紫は、相も変わらず目を塞いでいた。ならば、自分がやらなければならないことは一つである。藍は、紫から質問する役目を受けたと解釈して少年に対して質問を投げかけた。

 

 

「和友、どうしたんだ?」

 

「どうしたはこっちの台詞だよ? みんな寝ていなかったの?」

 

 

 少年は、まだ二人が起きていることが心底疑問だった。すでに、時は深夜3時を回っている。少年は、当然のように自分が寝た後にみんなもそれぞれ寝たと思っていた。

 このまま起きていたら、下手をすれば朝日が拝めてしまうような時間になる。まさか妖怪という生き物は、寝ないのではないかと思ってしまうような光景だった。

 少年の質問が飛来し、紫の閉じられていた瞳がようやく開かれた。

 

 

「あなたが来ると思っていたらから待っていたのよ。死んだ感想はどう? それも、相変わらずなのかしら?」

 

「えっ!? ……そっか、紫は知っているんだもんね」

 

 

 少年は、紫の言葉に少しばかり驚いたが、驚いた顔はすぐに何かに納得したように表情が変わった。

 紫は、最初から少年が起きてくるということを予期していた。それは、少年が病室で言っていた言葉から推測した予測である。紫の予測は、外れることなく現実のものとなった。紫の言葉によって驚いた少年の顔がそれを証明している。

 少年は、わずかに悲しそうな顔で自分に言い聞かせるように呟いた。

 

 

「家が、火事になったよ……」

 

「それで、一人で泣いていたのね」

 

「泣いてなんて、いないよ」

 

「そうね、あなたは強い子だから。きっと泣いてなんていないのでしょうね」

 

「うん……」

 

「紫様、どういうことなのですか?」

 

「この子の世界がさらに拡張したってことよ。無秩序な世界に新しい標識が2本ばかり立って、新しいことを沢山知って世界が広がった」

 

 

 藍が二人のやり取りについていけず疑問を口にすると、紫は少年のことを分かっているように次々と言葉を並べた。

 

 

「知識が増えれば増えるほど世界は広がっていく。あなたは、妖怪という新しい生き物、幻想郷、明らかに普通じゃないものにたくさん触れたものね」

 

「あんまり話していないのに色々なこと知っているんだね……」

 

「分かるわよ。あなたの心の中を見ていろんなことが分かったわ。あなたの能力は境界線を曖昧にする。あなたの能力は、あなたの心の中で一番強く効果を発揮しているわ。心の中が、最も能力の影響を顕著に表している」

 

 

 ここにいる全員が知っている―――少年の心の中は、境界を失って広がりをみせている。無秩序な境界線の中で無限に続くような世界を保持している。

 そんな場所に物を置いた場合どうなるだろうか―――想像するのは難しくない。物を置こうとした場合、無制限にどこかに飛来するのだ、飛び交って、飛び回って、走り出して、見えなくなり、分からなくなるのである。

 少年は、心の中の特定の位置に物を留めておくということができない。置けば独り歩きして、消えてしまう。だから、固定するためには何かに括り付けておく必要があった。具体的には、標識の中に刻み込む必要があった。

 少年は、そうやって無制限に広がっている境界線の無い心の中に思い出を押し留めている。

 

 

「外に出さないように塞いできた弊害で、内側が際限なく広がっていってしまっている。一つの物が増えるだけで、世界がどんどん拡張していっているのよ」

 

 

 知識を得て価値観が広がれば、少年の心の中はそれに従って広がる。これは、少年の心の中だけの特殊な現象である。

 前にも説明したことであるが、心の世界は人によって大きさが決まっている。だからこそ、価値観を広げるといってもあるところで限界が来る、相手の考えを理解できない部分が出てくる。

 心の中を広げるには、それこそ人を変えるしかない。少年は、それを地で行っているのである。

 

 

「死ぬことで拡張する世界、生まれ変わる世界」

 

 

 少年の心が広がっているのは―――まさしく人が変わっていることが原因である。

 夢の中で死ぬということは、そのまま生まれ変わるということである。少年は、夢の中で命を落とし、新しく生まれ変わるのだ。夢の中で死ぬことによって新しい自分を形成するのである。

 つまり、今少年が夢を見て、家が燃える夢を見て死んだというのは新しい知識や価値観を知ることが引き金となって起こっていることだった。

 藍は、紫の言っていることに納得したようで一度だけ頷いた。

 

 

「だから和友の世界は、あれほどに広いのですね」

 

「広いと大変でしょう?」

 

「もう、慣れたよ。どんどん広くなっていくだけなら何とか対応できる。一気に広がるわけじゃないからさ」

 

「それでもすごいと思うわよ。そうやって区別をして感情を出していける。それは、あなたの心の処理能力が高いからできることなのでしょう。標識が目印になっているのかしら?」

 

 

 少年は、紫から視線をずらして藍の方向を一度向く。藍は、何のことか分かっていないようで複雑な表情を浮かべていた。

 少年は、藍の方向に向けていた視線を紫に戻し、話しかける。

 

 

「藍が話についていけていないよ。こういう話は、時間があるときにゆっくりやろう? 紫だって今日は疲れたでしょ?」

 

「あなたの方が疲れているのではないかしら?」

 

「僕は、まだ大丈夫だよ」

 

 

 紫から見れば、むしろ少年の方が疲れているように見えた。少年は、自分で気付いていないようだが、少年の疲れは顔にしっかりと出ており、少しも休めていないのが丸分かりだった。

 

 

「和友、私たちの名前、覚えたのだな」

 

「藍と約束したでしょ? 明日には名前で呼ぶってさ」

 

「ああ、そうだな」

 

 

 藍は、少年が紫の事を名前で呼んでいることに驚き、同時に喜びを覚えていた。

 少年の文字通り血のにじむ努力は確実に実になっている、血を流してまで努力した証は名前となって口から生み出されていた。

 藍は、そのことが自分のことのように嬉しくてたまらなかった、少年の努力が無駄でなかったことを心の底から喜んだ。

 少年は嬉しそうにする藍に笑顔を作る。藍も少年の笑顔につられて自然に笑顔になった。

 紫は、二人の会話を微笑みながら傍観すると、目的を果たしたという感じでその場で立ちあがる。

 

 

「もうみんな寝ましょう。和友の言う通りよ、これ以上話していると明日に影響が出るわ」

 

「そうだね」

 

 

 紫は、少年のことを名前で呼んだ。

 少年は、紫の口から初めて名前で呼ばれたと心を躍らせる、ようやく家族の一員として認められたような気がした。

 

 

「じゃあ、僕はまた寝てくるよ。おやすみなさい。あと、誰のものか分からないけどちょっと大きい寝巻ありがとうね」

 

「おやすみなさい」

 

「おやすみ」

 

 

 少年は、迷いなく廊下に出て振り向き、大きくお辞儀をする、今日起こった全てのことを思い返しながら、自分が出来るだけの誠意を二人に対して見せつける。それはまさしく、少年からの感謝の証だった。

 

 

「本当に、ありがとう」

 

 

 少年は、しばらく頭を下げた後にゆったりと顔を上げると、笑顔のままふすまをゆっくりと閉めた。

 少年の足音は、徐々に遠のいて消える。

 紫は、少年の足音が完全に聞こえなくなると藍へと視線を向けた。

 

 

「あの寝巻……あなたの?」

 

「そうですよ。そういえば、和友には言っていませんでしたね。先程、寝るときに使うといいと言って渡しました。ここには、私と紫様のものしかありませんし、紫様のものを使うわけにもいきませんでしたからね」

 

 

 藍は、さも当然のことのように紫の質問に答えた。

 確かに、勝手に紫の使っている衣服を少年に貸し与えるわけにはいかないだろう。それは明らかに紫に対して失礼に値するし、無礼を越えて道徳やモラルの欠如に該当する。

 藍には、必然的に自分自身の衣服を貸すという選択肢以外に選べる選択肢がなかったと言っていい。

 紫は、当然のことのように話す藍を見て興味なさげに言葉を口にした。

 

 

「あっそう……それは無意識なのかしらね」

 

 

 藍は、紫の言っている意味が分からないときょとんとした様子で紫に尋ねる。

 

 

「無意識ってどういうことですか?」

 

「あなたの寝巻を和友が使っているってことは、和友はあなたに抱きしめられて眠るようなものでしょ? 自分の身の回りの物を貸し与えるなんて、よほど和友のこと気にしているのね」

 

 

 藍は、紫に衣服のことについて指摘されて顔を赤くした。どうやら藍は、そんなことまでは考えてもいなかったらしい。あくまでも、少年が寝るために衣服を貸しただけ、それ以上の何かを意識していたわけではなかったに違いなかった。

 それでも自分が普段使っているものを相手に使わせるということは、相手のこと信頼していないとできないことである。

 紫は、一連の行為から藍が少年のことをよほど気遣っているのだと理解した。

 

 

「…………」

 

 

 藍は、紫の予想外の言葉に絶句したまま固まっていた。

 紫は、そんな藍が面白くて仕方がなかった。少年が来なかったら一生こんな顔を見ることができなかったかもしれないと、心のどこかで少年に感謝しながら笑みを深めた。

 

 

「ふふっ、顔を赤くしちゃって。今さら気にしてももう遅いわよ。衣服については、明日にでも買いに行ってきなさい。今日、また和友を起こすのもあれだからね」

 

「はい……そうします……」

 

 

 藍は、顔を赤くしたまま俯いて部屋を出て行こうとふすまの前まで移動する。

 紫は、それを見てくすくすと笑った。

 

 

「紫様、おやすみなさい」

 

「ええ、おやすみ」

 

 

 こうして3人の長い1日は、終わりを告げた。

 


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