ぶれない台風と共に歩く   作:テフロン

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帰る家、迎えてくれる者

 紫は、腕に少年の謎の手がかりになりそうなものを3つばかり抱えながら、少年の家の上空でスキマを開き、戻るべき家に―――マヨヒガへと帰るうとした。

 

 

「マヨヒガでは、藍が待っていてくれている。帰る家があって、誰かが待っていてくれることを幸運に思わないとね……あの子に悪い気がするもの」

 

 

 紫は、待っていてくれる存在がいること、帰る場所があることに感謝をした。

 マヨヒガでは、藍が紫の帰還を待っている。少年は、紫と異なり家に帰ることもできないし、迎えてくれる家族もいない。

 紫は、少年の境遇に同情しながら戻るべき家へと帰還を果たした。

 

 

 

 

 

 ―――マヨヒガ―――

 

 

「紫様は、いつ頃に帰ってこられるのだろうか……」

 

 

 藍は、現在進行形で紫の帰りを待っていた。すでに紫が消えてから2時間が経過しようとしているところである。紫を待ちながら同じように反応のない少年に意識を向ける。

 

 

「和友も戻ってくる気配がないし……」

 

 

 少年が出て行ったふすまは、全く動く気配もなく、変わらない状態でそこにあった。ノートと鉛筆を持って出て行った少年も紫と同様に全く戻ってくる様子が無い。

 藍は、何の変化も起きない一人きりの部屋で、肺の空気が全て出つくすような大きなため息をついた。

 居間で一人きりの藍の心の中には、不安だけがどんどん募っていく。

 

 

「はぁ、大丈夫だろうか……」

 

 

 少年の心の中から出て間もないということもあるが、なまじ少年の心を見てしまっているため、紫が本当に無事に帰って来ることができるのか確証が持てなかったのである。

 

 

「ああ……心配だな」

 

 

 藍は、少年の家の中というものを想像することができなかった。余りにも少年の心の中のインパクトが大きすぎて、まともな思考回路を構成できなかった。

 

 

「和友の家で閉じ込められたりしていないだろうか……私と同じように閉じ込められていたりしないだろうか……」

 

 

 少年の家は、もしかしたら心の中と同じように無秩序な世界が広がっているのかもしれない。脱出することができなくなっているのかもしれない。そんな不安が藍の心を襲っている。

 実際には、少年の家の中は普通の家ではあるのだが、藍は少年の心の中から戻ってきて間もない状態でそんな普通の思考ができる状態ではなかった。

 

 

「いや、紫様に限って危険な目にあっているということはないだろう……それに私が助けに行ったところで何かの役に立てるとは思えない」

 

 

 紫は、妖怪の賢者と呼ばれるほどに強力な妖怪である。当然のことながら藍よりも紫の方が強い力を持っている。

 藍は、自分が自身よりも強い紫のことを心配することがどれほど無駄なことなのか理解していた。藍が助けに行ったところで状況が好転するだろうか? 答えは確実に否である。

 

 

「しかし、今回の件は不確定で分からないことが多すぎる」

 

 

 自分よりもはるかに強い力を持っているといっても、世界の成り立ちを左右するほどの能力を持っているとしても、藍は紫の身を心配せずにはいられなかった。ずっと主と仰いできた身として、じっと待っていることができなかった。

 

 

「どうしようか、今からでも和友を連れて外の世界へ向かった方が良いのだろうか? 和友ならば、紫様を見つけられるはずだが……」

 

 

 藍の紫が大変なことになっているのではないかという不安は杞憂であるかもしれない、藍がただ心配性なだけかもしれない。

 しかし、紫が閉じ込められている可能性は完全に捨てきれない。もしかしたら、入り込んでしまえば能力が使えなくなってしまうような世界になっている可能性があるのである。

 

 

「後、1時間待とう。それで帰ってこなければ、迎えに行こう」

 

 

 藍は、暫く考えた後、迷路に入り込む思考に折り合いをつけ、結論を導き出した。1時間の様子見の後、どこかの部屋にいる少年を呼んで、博麗神社の方から紫が向かっているはずの少年の家に助けに行こうと決断した。

 

 

「まだか……」

 

 

 藍は、不安をぬぐいきれずもぞもぞと足をわずかに動かしながら紫の帰還を待つ。

 藍が待ちの体勢に入ってから時間にして数分経った頃だろうか。藍の不安を吹き飛ばす音が部屋の中に響きわたった。

 

 

「か、帰ってきた……」

 

 

 思わず、敬語が外れてしまった。

 藍は、直感的に紫が帰ってきたことを察した。藍が耳にした音は、スキマを開く音である。それは紫にしか出せない音であり、その音は紫の帰還を示すものだ。

 藍は、部屋の中にスキマが開いたことで視線を黒い空間へと向ける。藍の心の中にあった先程までの不安は、全て吹き飛んでいた。

 

 

 

 

 紫は、少年の家に向かった場所である居間へと体を乗り出し、炬燵の傍に足を降ろす。

 藍は、半身を出てきている紫を出迎えるようにして視線だけでなく顔と体を向けて出迎える体勢を整えた。

 

 

「お待ちしておりました」

 

「ふぅ……」

 

 

 紫は、大きく息を吐きながら完全にスキマから抜け切るとスキマを閉じ、藍の顔を見つめた。

 藍は、紫を頭の先からつま先まで視認し、無事を確認する。

 紫は、どうやら怪我一つなく、無事帰ってきたようである。

 

 

「怪我をしているというわけではなさそうですね」

 

「ええ、特に危険はなかったわ。あの子の家は、普通の家だったもの」

 

「そうですか」

 

 

 藍は、紫の普段と変わらない様子にほっと胸をなでおろした。

 

 

(無事帰ってきたというのならば、紫様は何を持って帰ってこられたのだろうか?)

 

 

 藍は、紫の無事の確認をすると続いてマヨヒガを出る前とマヨヒガに戻ってきた後で何かしら変化がないかと目を配った。

 紫は、少年の過去を示すものを探りに少年の家に行ったのだから何かしら持って帰ってこないと少年の家に行った意味がなくなってしまう。

 

 

(紫様が持ってこられたのは、あれか……)

 

 

 藍は、紫の脇にノートが抱えられているのを確認する。そして、紫の脇に抱えられている物が少年の過去を示すものだと、私達が欲していたものだと瞬時に察した。

 

 

「藍、ただいま」

 

「紫様、おかえりなさい」

 

 

 紫は、素直に待っていた藍を優しそうな表情で見ながら、帰ってきた家とそこにいる家族に挨拶を交わす。

 藍は、安堵の表情を作りながら無礼を働かないように気を付けて紫に言葉を返した。

 

 

「和友の過去が分かるものは、何かありましたか?」

 

「とりあえず、アルバムと小学校の通知表……そして母親が書き記した成長記録を持ってきたわ」

 

 

 紫は、藍の質問に端的に答えると藍の座っている位置を確認する。藍の座っている場所は、紫が少年の家へ行ってから一歩たりとも動いていないようで位置が変わっていなかった。

 紫は、不思議そうな顔で藍に問いかける。

 

 

「藍は、ここでずっと待っていたの?」

 

「はい、ここでずっと待っておりました」

 

「そう」

 

 

 紫は、藍が自分を信じて待っていてくれたことに―――何も心配しないで無事と確信してくれている従者に気分が良くなった。藍のどっしりと構えた様子は―――主への絶対の信頼を現すもの、信頼してくれているという証拠である。

 だが、そんなものは紫の勘違いであり、実際には不安に駆られて先程まで少年を連れて紫を探しに行こうとしていた。

 しかし、それを知る術は紫にはない。紫は、藍が不安に思うこともなくどっしりと構えていてくれたのだと勘違いをしたまま次の行動に移った。

 

 

「これが、アルバム、学校の通知表、成長記録よ」

 

「アルバム、通知表、成長記録……ですか」

 

「他にめぼしいものはなかったわ」

 

 

 紫は、スキマから出た位置である炬燵の側に立ったまま、少年の家から持ってきた物を炬燵の上のテーブルに置いた。

 藍には、紫がノートだけを持ってきたように見えていたが、それが勘違いであることに紫の言葉で気付き、目の前に並べられた3つの物品に目を向けた。

 紫は、3つの物を炬燵の上に並べた後に腰を下ろし、藍と対面する。

 紫が少年の家で見つけてきた少年の過去の手がかりとなりそうな物は、アルバム・通知表・成長記録の3つである。

 

 

「さて、どれから見ていきましょうか」

 

「あの、紫様……一つお聞きしていいですか?」

 

「何かしら?」

 

「アルバムや成長記録は家族の物なので、和友の過去が分かるような何かが示されている、というのは分かるのですが……」

 

 

 アルバムは、少年の過去を表すものであろう、欲しい情報が探せばあるかもしれない。

 成長記録については、まさに紫や藍が欲しかった情報が書かれていることが考えられる。

 この二つについては、少年の家から持ってきた理由が理解できた。

 だが、残りの一つである通知表を紫が選んで持ってきた意味が分からなかった。紫が成績表を持ってきた意図が汲み取れなかった。

 藍は、成績表を射抜くように視線を止め、通知表を手にとって疑問を口にする。

 

 

「小学校の通知表に、和友を理解することのできるような内容が書かれているのでしょうか?」

 

「十中八九書いていないでしょうね」

 

 

 肝心の通知表を持ってきた紫も藍と同じように、小学校の通知表を持ってきても意味がないと考えており、通知表の中身には絶対に欲しい情報が書かれていないと確信していた。

 

 

「あの子は、普通の人間として生活していたわ。だから、そこに書いてあるのは、あくまであの子がうまく取り繕った仮面をかぶっていた時のことだけよ」

 

 

 少年は、異常でありながら普通に生きてきたという事実がある。

 紫自身も、少年の平常の暮らしというものを見たことがあり、自身の目で少年の平常の生活を確認している。そのため、紫にとっては新しい情報など少したりとも、微量にすら含まれていないということが予測できた。

 それは、少年の家にいるときも考えたことである。

 

 

「それならば、なぜ持ってきたのですか?」

 

「成績表に書かれていることが全くの無意味というわけじゃないからよ」

 

 

 紫にとっては、必要のない物。それでも紫は、通知表を持ち帰った。

 それにはもちろん、ちゃんとした理由がある。

 紫は、少年の普通に過ごしている光景を見たことがあるからいいだろう。

 だが―――藍は紫とは違う。

 

 

「さっきも言った通り、そこには小学生時代のあの子の対外的な特徴が書いてあるわ。通知表には、学校の成績や先生からの批評が、小学校という外部との繋がりを持っているときの外部からみたあの子の様子が書かれている」

 

 

 紫には、藍に少年が普通に生活していたという事を知っていて欲しいという気持ちがあった。少年は、年相応に楽しそうに学校生活を送っているということを知っていて欲しかった。

 

 

「これからあの子の心の中の事実を知る前に、本当のあの子の内面と装飾されている外面……藍は、その両方を知っておく必要があるわ」

 

 

 紫は、少年のノートを見たからこそ通知表を持って帰ろうと考えた。きっとノートの中身を見る前であれば、持って帰るという考えまでいたらなかっただろう、少年がどれほど日常を守ろうとしていたのか理解することができなかっただろう。

 藍は、少年が守ろうとしている少年の平常の生活というものを見たことがない。少年が頑張って、努力して守ってきた普通の生活というものを知らない。

 それは、今後少年の世話を行うものとして、幻想郷へ連れてきた立場の人間として余りにも失礼である。

 少年は、大事なものを切り捨てて、大事なものを取り戻すために幻想郷へやってきたのだから、少年が求めているものを知っておくべきなのである。

 

 

「藍は、あの子がどういうふうに生活していたか知らないでしょ?」

 

「確かに、そうですね。私は、紫様から和友が普通ではないということしか伝えられていませんでしたし……」

 

 

 紫は、藍に少年の守ってきていた普通というものを知ってもらうため、小学校の通知表という外部から見た少年の評価が載っているものをわざわざ持ってきた。

 藍は、そんな紫の好意に少し戸惑いながらも応え、紫に一言お礼を告げた。

 

 

「紫様、お気づかいありがとうございます」

 

「気にしないで、私がそうしたかっただけなんだから」

 

 

 藍は、紫との会話を一通り終えて手に持っている通知表を開く。

 藍の瞳には、アルファベットや数字が飛び込んで来た。

 

 

「通知表の内容は、随分と普通ですね」

 

 

 藍が見ているそれは、ごく普通の小学校の通知表である。左に成績が乗っており、右側には、生活態度や先生からの所見が記載されている、何の変哲もない成績表だった。

 

 

「和友は、特段成績が悪い訳じゃないですし……ずば抜けて優れているというわけでもないようですね」

 

 

 少年の成績は、悪くもなく良くもない酷く平坦なものだった。

 藍は、通知表の中身を一通り確認するとある部分に注意を引かれ、暫くの間気になる部分を注視した。

 

 

「ん? これは……」

 

「どうしたの? 何か目新しいことが書いてあったのかしら?」

 

「いえ、それほどたいしたものではないのですが、ちょっと気になりまして」

 

 

 藍は、そっと通知表の右側を指さす。藍の指は、紫からは見えない位置にあり、紫には藍がどこを指さしているのか確認できなかった。

 

 

「成績は特に目立っている様子はありませんでしたが、生活態度や先生の方からの所見欄の部分は、すさまじいぐらいに褒めてあります」

 

 

 藍は、通知表のメインとなる成績ではなく、少年の通知表の一番後に記載されている先生からのコメントが気になっていた。

 通知表には、先生から見た少年の姿が必ず記載されている。そこには、少年が外部でどのように過ごしているかについて端的に書かれていた。成績の平凡さと比較すると、そこは異様に際立って見えた。

 

 

「ふむ……」

 

 

 今度は、大雑把に見渡した通知表を細かく見始め、注意を引かれた先生の所見欄に集中して読み解こうと試みる。

 紫は、徐々に一人で次々読み進めていく藍を黙って見ていられなくなった。紫だって藍と同じように成績表の中身を見ていないのだ。中身がどうなっているのか気になるのも仕方のないことである。

 

 

「どれどれ?」

 

「ああっ!」

 

 

 紫は、好奇心を抑えることなく手を伸ばし、藍の持っている通知表を引きはがす。通知表は、急に宙に浮いて飛んでいき、藍の手から離れて向かい側へと飛んでいった。

 紫は、藍の持っている成績表を右手の指先で摘んで取り上げたのである。

 

 

「まだ読んでいるところなのですから、取らないでください」

 

「別にいいじゃない。もう大体読んだでしょ?」

 

「まだ細かいところを読んでいません!」

 

「カリカリしないの。融通が利かないのは、藍の悪いところよ」

 

 

 藍は、奪い取られる成績表を追いかけるように手を伸ばすが、紫は藍の行動に反応してすばやく手元に引き寄せて藍を寄せ付けなかった。

 藍は、手を伸ばしても届かないことを悟ると前のめりの体勢を元の状態に戻して、不満げな顔で紫を見つめる。

 

 

「そういう紫様は、横暴なところが悪いところです」

 

「これは、主の特権よ」

 

「むっ……」

 

 

 紫は、不満そうな顔の藍の様子を無視しながら、手元に引き寄せた成績表の中身を読み上げる。

 

 

「ぼんやりしているところがありますが周りとの協調性に優れており、一歩引いて周りを見ることに長けています。元気もよく意見も迷うことなく言うので、委員長としてしっかりやっている……」

 

 

 紫は、やっぱりそうよね、と面白く無さそうに通知表を机の上に放り出した。

 

 

「べた褒めね。他の子も大概そうなのかもしれないけれど」

 

「どうしてですか? こういったことは正直に書かれているものではないのですか?」

 

 

 藍は、投げやりな紫の態度に疑問を持った。

 藍が聞く限りにおいては、とても良いことが書かれているように感じられる。成績の部分に比べれば、遥かに少年の特徴として際立っている部分である。

 

 

「藍は知らないかもしれないけど、今時の小学校は良いことしか書かないの。親とのやり取りに色々問題があって面倒な時代になっているそうよ」

 

「そんなことまで知っているのですか? それも外に出ている間に集めている情報なのでしょうか?」

 

 

 藍は、紫の持っている情報量に驚嘆した。

 今時の小学校が通知表でいいことしか書かないというのは、紫が外で手に入れてきた外の世界の常識の一つのようである。

 確かに紫には、外の世界の情報を多く知るという役目がある。それは、境界を操る能力を持っており外の世界と幻想郷を自由に行き来できる紫にしかできないことだ。誰かが代わりにやってくれるというものでもなく、紫がやらなくてはならない仕事である。

 しかし紫は、情報を手に入れるという役割を担っているとはいえ、外の世界の小学校の情報まで仕入れているようだった。そんな小学校の事情まで保持している紫の脳内には、想像できないほどの情報が入っていることが推測された。

 

 

「外の情報は大事よ。私達の生死に関わるのだからね」

 

「……外の非常識は、内の常識ということですね」

 

 

 紫が藍の疑問に対して当然でしょと言わんばかりに断言すると、藍は紫の言葉を聞いて思い出したように小さく呟いた。

 紫の管理している幻想郷という場所は、外の世界と結界によって隔離されている場所である。見方を変えれば、幻想郷は外の世界の一部とみなすことができる。

 

 

「幻想郷は、外の世界によって支えられている。両者の関係は、決して切り離すことのできない共同体よ。外の世界の情報を疎かにすれば、幻想郷はちょっとした拍子にバランスを崩して壊れかねない……」

 

 

 小さな幻想郷は、大きな外の世界によって支えられている。

 常識と非常識を変換している博麗大結界の効果を考えれば、外の常識によって内の非常識が守られていることがよく分かるはずだ。

 

 

「藍、このことはしっかりと心に刻んでおきなさい。決して外の世界のことを軽視してはいけないわ。幻想郷にいるからといって世界の広さを勘違いしてはいけないのよ」

 

「はい、心に刻んでおきます」

 

 

 外側の情報を知っておくという事は、幻想郷を支えるということに他ならない。唯一外の世界へと自由に出ることのできる紫には、外側の常識というものをしっかり熟知しておく必要があった。

 幻想郷を守るという目的のために―――外の世界の情報は不可欠なのである。

 

 

「しかしながら、通知表の中には特別おかしいようなことは書かれていませんでしたね」

 

 

 藍は、紫の言葉を脳内に残して成績表へと再び意識を向けるとほっとしたように胸をなでおろした。心の中があんな無秩序になるまで苦しいことがあったのではないかと想像していた悪い予感は、いい意味で外れたのだ。

 藍は、落ち着いた声で言葉を口にした。

 

 

「和友は、学校では普通の生活を送れていたようですね。よかったです、ちょっと安心しました」

 

「まぁ、あの子の事だから外では上手くやっているに決まっているわ。私が見たときも普通に学生生活を送っていたからね」

 

「それでも、外の世界で迫害されていたわけではなかったと分かっただけでもよかったです」

 

「藍、分かっていると思うけど、これはあくまでもあの子の対外的な部分よ。中身じゃないわ」

 

 

 紫は、安心するのは早いと藍を静止し、少年について安心できる要素をばっさりと切り捨てた。

 通知表に書いてあるのは‘あくまで’対外的なことで、内側の少年がどうなっているかを示すものではない。少年が異常でないということを示す証明には―――決してならない。

 だが、それでも藍は良かったと心から思っていた。

 

 

「はい、分かっています。でも、これが対外的な部分だとしても、それでも良かったと思います。和友は……一人じゃなかったのですから」

 

「そうね……」

 

 

 一人じゃなかったのですから―――そう言った言葉には今にも押しつぶされそうな重さがあった。

 

 

「成績表についてはこれで終わりね。次は、アルバムかしら」

 

 

 紫は、通知表に続いてアルバムの方に手を伸ばし、アルバムを掴むと炬燵の中心で藍にも見えるように広げる。

 紫と藍は、お互いに頭を近づけ、覗きこむようにしてアルバムを見つめた。

 

 

「こっちの方は、あの子の家で先に見させてもらったけど割と普通だったわ」

 

「そう、みたい……ですね」

 

 

 藍は、歯切れの悪い返事を紫に返す。

 アルバムに写っている少年からは、成績表と同じように違和感を感じ取れなかった。普通に無邪気な子供、どこにでもいそうな子供、写真に載っている少年からは、そんな雰囲気しか感じられない。

 

 

「こう見ると本当に普通の子供のように思えます」

 

「藍もそう思うわよね」

 

「ええ、普通に見えます」

 

 

 藍には、写真に写っている少年の姿がごく普通の少年に見えた。異常な心を持っていて、紫が異常と断言する少年が‘普通’に見えた。

 紫は、藍の反応に最初にアルバムを見た自分と同じことを感じていることを読みとっていた。

 

 

「ふふっ、可愛いものですね」

 

 

 藍は、頬を緩ませてアルバムを1枚ずつめくっていく。アルバムの中には、少年が笑顔ですくすくと育っていく過程が映し出されている。

 

 ただの普通な、幸せそうな家庭である。

 

 写真の中には、笑顔で満たされた、一つ一つ過ごしてきた家族の姿が写っている。もう亡くなってしまった両親の姿が、子どもを見守るように優しい表情をした両親が、まるで生きているように写真の中にあった。

 藍は、微笑ましい写真に頬を緩めてページをめくる。

 紫は、微笑ましく見つめる藍の様子をどこか悲しそうに見つめるとすぐに視線を逸らし、逸らした先にある時計の針を確認した。

 もうそろそろ、夕ご飯の時間である。

 紫は、少し悩むような様子を見せると視線を藍へと戻し、藍の行動を遮るようにして声を挟んだ。

 

 

「藍、そろそろ晩御飯の時間よ」

 

「もうそんな時間ですか?」

 

 

 藍は、紫の声に反応し、アルバムへと下げていた顔を上げた。そして、上げた視線を部屋にかけてある時計に移す。短針は6の字を指しており、長針は3を指していた。

 

 

「本当ですね……」

 

 

 普段、紫と藍は午後6時にご飯を食べている。すでに15分過ぎているため、すぐさま準備に取り掛からなければならない状況である。

 しかし、時間が押しているとはいえ、まだ大事な物を確認していない。

 藍は、先に中身を確認してからの方が良いのではないかと紫に提案した。

 

 

「でも、まだ成長記録を見ていませんよ? 和友を連れてくる前に見ておいた方がよろしいのではないでしょうか?」

 

「いえ、今見るのはよしましょう」

 

 

 藍が成長記録へと手を伸ばして先に成長記録の方を確認しようとしたが、紫は伸びた藍の手を優しく掴み、静止をかけた。

 藍は、紫の顔に浮かんでいる優しそうな表情に思わず胸が高鳴った。

 

 

「成長記録の方は、あの子も交えて見た方がいいでしょう。これは、あの子のための、両親の生きていた証なのだから」

 

「紫様も、なんだかんだ言って和友のことを考えておられるのですね」

 

「茶化さないの」

 

 

 紫は、少年も交えて話をするべきだと告げた。

 藍は、紫が思っていた以上に少年のことを考慮していたことに、なんだかんだ言っても紫も少年を気遣っていることに嬉しくなった。

 紫は、そこまで話すと藍の手をそっと離し、少年のことを呼びに行きなさいと藍に伝える。

 

 

「ほら、さっさとあの子を呼んできなさい。晩御飯を食べようってね」

 

「はい、それでは和友を呼んできます」

 

 

 藍は、晩御飯を食べるということを少年に伝えるために炬燵から立ち上がる。対照的に紫は立ち上がろうとはせず、炬燵に座ったままだった。

 藍は、動かない紫を気にすることなくふすまの前に移動し、ふすまを開けて廊下に出た。

 

 

「さて、和友はどこの部屋を使っているのだろう?」

 

 

 藍は、廊下を歩き、少年のいる部屋を探し始めた。

 


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