ぶれない台風と共に歩く   作:テフロン

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紫と藍は、少年のこれまでを知るために少年の過去を探りはじめる。


家に入った、探し物が見つかった

 紫は、藍と会話をした直後、幻想郷から外の世界へと移動していた。移動方法は、少年にも見せたことのあるスキマを使った空間移動である。

 

 

「ここがあの子の家だったわね」

 

 

 紫は、少年の家のすぐそばまでスキマで移動すると少年の家へと歩いて近づく。

 もちろんではあるが、境界を弄り、他人からは見られないようにしている。これは、昨日少年と出会ったときと同じ状態である。

 

 

 紫は、少年の家を視界の正面に見据えて立ち止まる。

 少年の家は、そこまで大きくなく、こぢんまりとしているといった印象を受ける家だった。

 

 

「いつも生活していた家の大きさがこれぐらいだとすると……あの子がマヨヒガに来てはしゃいでしまうのは、無理もないことかもしれないわね」

 

 

 紫は、少年の家を見て初めて少年がマヨヒガに入った時の様子を思い出した。

 マヨヒガに入った時、少年は周りをきょろきょろと見渡し、目を輝かせていたように思う。改めて少年の家の大きさを見ると、マヨヒガを見たときの少年の行動は非常に納得できた。

 紫の目の前にある少年の家の大きさは、マヨヒガを見て楽しそうにしていた少年の様子が理解できる程度に小さい一軒家であり、見上げるほどの高さは無かった。

 紫は、もしかして周りの家も全体的に小さいのではないかと少年の家以外の周囲の家に視線を移し、ざっと眺めた。

 

 

「周りの家と比較すると、同じぐらいの大きさよね」

 

 

 大きさ的には周囲の家とさほど変わらないようには見える。

 しかし、どういうわけか少年の家は隣に並んでいる家や周りの家と比べても少しだけ小さく見えた。

 紫は、一通り周りを見渡した後、不思議そうに呟いた。

 

 

「でも、こんなに小さかったかしら……?」

 

 

 紫は、初めて少年に会った日―――少年が家に帰る時に、少年の家を一度見ている。頭の中には、昨日見た少年の家が鮮明に思い出せた。

 しかし、頭の中に想起した家の大きさと今目の前に見えている家の大きさにギャップを感じるのはなぜだろうか。

 紫には、以前少年と一緒にここに来た時より、家の大きさが少しだけ小さいように見えていた。

 

 

「気のせいかしらね。あの時は、そこまで家の方はちゃんと見ていなかったし……」

 

 

 紫は、無理やり納得して一歩ずつ少年の家へと近づいて行く。そして、歩みを進めると共に前日に来たこの場所を振り返った。

 紫が最初に少年の家に来たのは、警察車両がうるさく喚き、少年の家で何かがあったのが見受けられた時である。

 あのとき少年は、家に帰宅して、強盗殺人犯と相対して、左の掌を貫かれながら強盗殺人犯を打倒した。

 紫は、昨日のことを思い出しながらそっと家の玄関へと視線を移す。すると誰もいないはずの少年の家の前には、何者かが立っていた。

 

 

「警察官がいるのね。無人の家だというのにご苦労なこと」

 

 

 事件の現場である少年の家には、警察官が見張りをしていた。

 昨日の事件後、ずっと見張りをしているのだろうか、無人ということで空き巣に入る人物がいる可能性を考慮してのことだろうか。すでに犯人は捕まっているのに、仕事熱心なことである。

 しかし、さすがに大勢の人数がいるわけではないようだった。犯人が捕まっているのに多くの人間を割く理由はないためだろう。いるのは、若い警察官が一人だけだった。

 

 

「あの子がこれまで生きてきた記録が、警察に持っていかれていなければいいけど……」

 

 

 紫は、少年の家の前に警察官がいることに対して少しばかりの不安を抱えた。警察官がいるということは、つまり事件はまだ終わっていないということを示している。

 紫は、警察が少年の過去の痕跡を持っていってしまっている可能性を考えた。事件があった現場なのだから、家の中の物を参考資料として持っていってしまっている可能性は無視できない。

 だが、そう思ったのは一瞬だった。

 紫は、ちょっと考えたところで警察が物をとっていってしまっている可能性はないとすぐさま楽観視した。

 理由は簡単である、そんなものを持っていく意味がないからだ。

 

 

「いえ、そんなことはあり得ないわね。あの子の両親が他殺で、犯人がすでに捕まっていることを考えれば、あの子の記録が持っていかれることはまず無いわ」

 

 

 警察は、ただ体裁を守るために少年の家を守っている。

 なぜならば、家の中は無人―――少年の家族は強盗殺人犯に殺されており、その少年の家族を殺した犯人はすでに捕まって死んでしまっているのだから。少年の家の前で陣取るようにして立っている警察官には、何も守るものなどないのである。

 あるのは警察としての体裁だけであり、あくまで事件の在った場所の秩序を守るという警察官の仕事の一つを完遂するためである。決して―――事件を起こした犯人が少年であるとたどりつき、少年が戻って来るのを待っているわけではないのだ。

 

 

「さすがにあの子の能力を知っている人物が他にいるとも思えないし、事件の犯人だということにはならないでしょう。行方不明になっていても物までは取られていないでしょうし……」

 

 

 この強盗殺人事件の本当の犯人は、今―――幻想郷で普通に生きている。

 しかし、強盗殺人事件の本当の犯人は誰にも分かりはしない。一般の人間はもちろんのこと、警察官も同様に、少年が犯人であるという可能性など欠片も考えることができないだろう。

 普通の人間から見れば、少年が殺人を犯したわけでも、少年の家族が殺人を犯したわけではないのだ。殺人犯が捕まり、事件が終わりを迎えてしまっている今となっては、調査する理由も必要もない。

 少年が容疑者として挙げられないのならば、警察が少年の家から物品を取っていくことは無いと容易に推測できた。

 

 

「考えるだけ無駄ね。どうせ探すことになるのだから、考えたって仕方がないわ。さっそく探しに行きましょうか」

 

 

 紫は、考えても無駄な思考を止めて本来の目的である少年の家での物探しに意識を集中する。警察官を横切り家の敷地へと入り、警察官に気付かれないように家へと近づいていく。

 

 

「こうしていると、どうしても思い出してしまうわね」

 

 

 紫の足がふいに玄関の前で止まった。

 紫は、大きく息を吐いてちょっと前までの事を思い返す。少年を見つけるために奮闘した数ヶ月間を記憶の中から引っ張り出した。

 

 

「あの時は本当に驚いたわ……境界の揺らぎを探して外の世界に来たはいいけど、揺らぎの原因が全く分からなかったんだもの」

 

 

 紫は、境界の揺らぎを数ヶ月前から探していた。真剣に、真面目に目を凝らして探した。

 それでも、はっきりとした違和感を見つけることができず、数か月を棒に振った。それだけで少年がどれほどうまく隠していたかが理解できるだろう。

 

 

「ただ、早朝にだけは割とはっきりとした違和感を見つけることができた。そうはいっても、希薄なものだったけど……」

 

 

 紫は、早朝においてのみ異質な場所をある程度特定することができた。そのため、慣れない早起きをまでして違和感の根源を探していた。

 

 

「あの子、学校では全く違和感を出さないんだもの。まさか、この私が早起きすることになるとは思わなかったわ」

 

 

 少年の違和感は、他の人間がいる所では上手く隠せていた。早朝に漏れ出していたのは、登校の時間は一人でいるためだろう。

 紫は、かすかに漏れ出していた違和感を特定することに成功した。

 

 

「数か月間違和感の原因を探して、あの子が原因だと疑ったところまではよかったけど……あの子が私の姿が見えている様子を示さなかったら、あの子が原因だと確信できなかったでしょうね」

 

 

 それほどに少年は、上手に能力を隠しきっている。紫が注意深く観察しようとも確信が持てない程度には、隠し通すことができていた。

 

 

「あの子は、あそこで唯一の失態を犯した。見えていないはずの私に話しかけるなんて、私が原因ですと言っているようなものよね」

 

 

 そうは言うものの、上手く隠し通していた少年が見つかってしまったのは真理だったといえよう。

 少年と紫の能力は、酷似している。かたや境界を操る能力、かたや境界を曖昧にする能力―――その能力の近似が、少年を問題の特異点であると判断する要因になった。

 具体的には、少年が見えないはずの紫に対して口を利いてしまった、能力が類似しており見えたがために口を開いてしまったことが、全ての発覚の原因である。

 

 

「私がはっきりと見えていたというのなら、あの子は私の境界操作を看破してみせたということになるわね」

 

 

 本来見えないはずの紫が見えていたということはつまり、少年にとっては紫の境界操作など意味を成していなかったということになる。

 

 

「私の境界操作による不干渉を目のフィルターを通して脳内で変換しているのかしら。あの子にとって私の境界操作はあってもなくても同じ……か」

 

 

 少年に紫の姿が見えていた理由は、おおよその予想がつく。少年には紫の周りの弄られた境界が認知されなかったのだろう。

 紫の弄った境界は、少年の目というフィルターを通った時にまた別の物として脳内で変換されている。少年が紫の姿を捉えることができたのは、そのために起こった現象だと考えられた。

 

 

「あの子にとって境界とは―――曖昧なもの。不安定で揺らめいて、ふわふわとしている不確定なもの。だったら、私の境界操作がうまく働いていないのも頷けるわね」

 

 

 少年にとって境界とは、酷く曖昧なものである。

 少年の境界線の認識は、心の中の世界と同じように揺らいでいる。少年の境界線の認識が紫によって数センチずれたとしても―――もともと揺らいでいるものが数センチずれていたとしても、それは揺らいでいる誤差の範囲内で収まってしまう。

 少年は、紫の操っている境界を曖昧なものとして捉えたのだろう。

 紫は、少年に看破された理由を理解すると少しだけほほ笑んだ。

 

 

「ふふっ、私もまだまだ甘かったってことね。でも、見えないことが功を奏したという意味ではよかったと捉えるべきかしら? まぁ、私がちょっと本気を出せば見えなくなるでしょうけどね」

 

 

 紫の能力の熟練度から考えれば、紫が少年に見えないようにするという方向に意識の全てを持っていくことで、少年から見えないように対処ができるだろう。

 だが、同時にそれは他の人に見つかってしまうリスクが高くなるということを意味している。

 少年に見えないということが、必ずしも他の人に見えないということにはならない。少年から見られないようにするためだけに能力を使うのかと問われれば、昨日の状況ではNOである。

 だから紫は、少年に姿が見えていようとも、それに対して何かしら見えないようにする努力をすることはしなかったし、特殊な対応をとろうとはしなかった。その結果として、少年にだけ紫の存在が見えていたという結論が導き出されていたのである。

 

 

「ふふっ、本当に面白い子だわ」

 

 

 紫は、うすら笑いを浮かべながら少年の家の入口へ手を掛ける。紫の手に力がかかると同時に扉が音を立てて開け放たれ、中を見通すことができるようになった。

 

 

「おじゃまします」

 

 

 紫は、少年の家に入る際に律儀に挨拶の言葉を言い放った。別に声を出しても全く問題ないと言わんばかりに自信満々に告げ、隠す必要もないと言わんばかりに足音を消すことすらなく少年の家に上がり込む。

 警察官は―――家へと入る紫の存在に何一つ気付くことなく守るべき家への侵入を許した。玄関の扉は静かに閉じられ、家の中には紫だけが存在する状態となった。

 

 

 

 

 

 

「さて、どこから探しましょうか」

 

 

 紫は、扇子を開き、家の中に目を配る。

 家の内壁の色は、白で統一してあるようだった。

 

 

「ひとまず近場からね」

 

 

 紫は、ひとまず一階の探索から開始した。靴を脱ぐこともなく、足跡をつけることもなく家へと上がり込み、周りを見渡しながら廊下を歩いていく。少年が初めてマヨヒガへ足を踏み入れたときと同じようにきょろきょろと周りを確認した。

 しかし、玄関と同様に家の中も扉が全て閉まっていたため、外からでは部屋の中の様子は覗くことができない。

 紫は、ひとまず目についた家の中の一番広そうな部屋へと入り込んだ。

 

 

「思っていたよりも広い。ここがリビング……キッチンと繋がっているのね」

 

 

 紫は、外から見た少年の家の外装から家の中の部屋の大きさある程度予測していたが、少年の家のリビングは予想よりもはるかに広かった。部屋の大きさに対する予測が外れたのは、リビングがキッチンと繋がっているためかもしれない。

 紫は、リビングを見渡している最中にあるものがないことに気付いた。

 

 

「珍しいわね、あの子の家にはテレビが置いていないのね。今時テレビの無い家族なんていないでしょうに……」

 

 

 少年の家のリビングには、普通の家庭であればあるはずのテレビが存在しなかった。

 あるのは机と棚、電話ぐらいだろうか。棚には食器や小道具、おもちゃらしきものが置いてある。小学生が遊びに使っていそうな物から3~4歳の遊び道具までも飾られている。

 少年の家では、こういった思い出になるものを全て保管しているようだった。

 紫は、リビングを一通り見渡した後、ここには少年の過去を知ることのできる物はないと判断した。

 紫には、リビングに少年の過去が分かるような物が置いてあるとは到底思えなかった。

 

 

「ここには、あの子の過去について分かるものは置いていないわね。あの子の秘密がおおっぴらに置いてあるとは思えないわ」

 

 

 リビングという場所は、通常人の出入りが最も多い場所である。友達が来たときも、親戚が来たときも、おそらくリビングを使うことが推測される。

 友達が来た場合には、個人の部屋を使うことの方が多いのではないかと考える人も多いかもしれないが、少年に限ってそれはありえないのだ。

 少年のことを考えると、自分の部屋に友達を入れるということは非常に考えにくい。少年の部屋にこそ少年の異常性が詰まっているに違いないのだから、そんなところに普通の人間を入れることはしないはずなのである。異常を嫌い、普通を望んでいた少年ならば、絶対に異常の隠れた自分の部屋に入れることはしないはずだった。

 消去法的に多くの来訪者は、リビングに通されてそこで話をすることだろう。それならば、人の出入りが激しい場所に少年の秘密が隠されているとは考え難かった。

 紫は、リビングの捜索を放棄し、一階にある部屋を片っ端から覗いてみることを決める。

 

 

「他の部屋は、結構狭いわね。それに部屋数も多くない。6畳間が1つ、それにお風呂にトイレ。一階にはこれだけね」

 

 

 部屋の数は、扉の数から判断するとリビング、トイレ、お風呂場、寝室の4部屋だけのようである。

 一階の部屋は、紫が予測していた通り狭い部屋が多い。紫は、外から見た少年の家の外寸からして寝室の大きさを6畳間だと断定していた。

 紫は、トイレとお風呂場を当然のように無視して6畳間だと断定した部屋の扉に手を伸ばし、ドアノブに手をかけ回そうとする。

 

 

「え?」

 

 

 回転方向に力を入れたドアノブが回ることはなかった。ガチャガチャと鍵がかかっているということを知らせる音だけが空しく響き渡る。

 紫は、怪訝そうに眉をひそめた。

 

 

「鍵がかかっている? 家の中なのに、誰に対して何を守るのかしら」

 

 

 家の中の部屋に鍵をかける必要がはたしてあるのだろうか。玄関の戸締りがしてあるのは、分からなくもない。無人となっており決して誰も訪れる事のない場所―――それは絶好の空き巣のチャンスだからである。

 しかし、部屋に鍵がかかっているのは不自然である。家の中には誰もおらず、誰もいない部屋に鍵をかける、それだけ聞くと普通のように感じるが、中にいるはずの人は、中に戻るべき人はもう二度と戻ることは無いのである。

 それなのに、部屋には鍵がかけられている。それだけ用心深い人物だったということなのだろうか。

 

 

「警察がかけたのか、それともあの子の家族がかけたのか……まぁ私にとっては、どっちでも変わらないわ」

 

 

 紫は、ドアノブから手を離すとスキマを開いて右手を突っ込み、スキマに突っ込んだままの右手を左に90度回転させる。すると、部屋の奥の方からガチャっと部屋の鍵が開く音が聞こえた。

 紫は、‘カギがかかっていた’部屋を素通りするように中へと入りこむ。

 紫にとっては鍵がかかっているのか、かかっていないのかはさほど影響しない、一手間かかるだけの些細な問題である。

 

 

「煙草のにおいが染み付いている」

 

 

 部屋の中に入った紫は、最初に嗅覚からの刺激を感じ取った。

 扉を開けた部屋の中からは、染みついた煙草の臭いが広がってくる。煙草の匂いが部屋の中に染みついているだけでなく、男くさい汗の臭いも少しばかり鼻についた。

 

 

「ここは、どうやら父親の部屋のようね」

 

 

 紫は、体を完全に部屋の中へといれて部屋の全体を見渡す。見た限りにおいて一階の一人部屋で生活しているのは、父親のようだった。

 

 

「随分とカメラと写真が並んでいるわね。父親の趣味は、写真を撮ることなのかしら?」

 

 

 父親の趣味なのか、机の上にカメラが複数台置かれており、写真が並んでいた。さらには、リビングとは異なり、テレビが一台あった。誰かがここで生活している、そんな生活していた痕跡が見受けられる部屋だった。

 

 

「さて、この部屋にはあの子に関わる何かがあるかしら?」

 

 

 紫は、いたるところに手を伸ばし、父親の部屋の中の物品を見定める。

 今欲しいものは、カメラでもテレビでもない。今必要なものは、少年に関するものである。

 

 

「これは……」

 

 

 紫は、少年の父親の部屋を漁っていると、あるものを見つけたところで手を止めた。

 

 

「これが、あの子のアルバムかしら?」

 

 

 紫は、赤いブックカバーにアルバムと書いてある冊子を手に取ると中身を確認する。

 アルバムの中に入っていたのは、数多くの笑顔の塊だった。写真の中には、両親の間に挟まれた少年の無邪気な笑顔が写っている。

 紫は、少年の笑顔に少しだけ頬を緩めながらページをめくった。

 

 

「随分とたくさんあるのね」

 

 

 たくさんの写真が撮られている。父親は、少年が小さいころから自慢のカメラを使って多くの写真を取ってきたのだろう。アルバムの中には、少年が大きくなっていく過程がよく映し出されていた。

 

 

「こう見れば、年相応の少年に見えるわね」

 

 

 実に、微笑ましい写真である。家族みんなが笑顔で、見ているこちらまでにこやかになってしまいそうな写真ばかりがアルバムの中には存在していた。

 しかし、暫くアルバムの中の少年を見つめると先程まで緩ませていた表情が戻った。

 

 

「けれども、これを演技でやっている可能性がある。学校でのあの子の様子を見てしまうと、どうしても演技で笑顔を作っている可能性を考えてしまうわね……」

 

 

 少年と直接話をし、心の中まで見た後では、写真の中の少年の笑顔にどうしても違和感を覚えてしまう。この笑顔が本心からの表情であるのか、それともそういうふうに無理にでも笑顔になるように写真を取っているだけなのか、紫には判断がつかなかった。

 最初は、写真の中の少年の笑顔が自然に浮かんでいるものだと思えていたが、どうしてももう一方の可能性が頭の裏にちらつき、純粋に見ることができなかった。

 

 

「いいえ、こんなことを考えている場合ではないわね……」

 

 

 紫は、停滞する思考を振り払うと父親の部屋の中の探索を再開し、探し忘れが無いようにくまなく探す。タンス、本棚、机、テレビ台の中まで手を伸ばす。

 しかし、いくら探しても少年に関する物はアルバム以外には見当たらなかった。

 

 

「ここでは、アルバム以外見つからないわね。次の部屋を探しに行きましょう」

 

 

 紫は、父親の部屋での少年の手がかりの捜索を断念し、父親の部屋の探索を止めると同時に部屋の内装が入った時と一切変わらないように、元通りの状態に戻した。何事もなかったように、何一つ変化がないように、綺麗に元通りに戻した。

 

 

「私が入りこんだ痕跡は、残さないようにしないとね」

 

 

 紫は、部屋の中の全てを過去の状態に戻すと片腕にアルバムを持って部屋を出る。父親の部屋の扉を閉め、最初に入った時のように、スキマに右手を差し込み、鍵を閉めた。

 これで紫が入る前と入った後で、部屋の様相は全く変わらない。消えたアルバムを除いて全てが元通りになった。

 

 

「一階はこれで全部だから、次は二階ね」

 

 

 紫は、迷うことなく二階へと足を運び、階段を上って二階へと進む。

 階段を上りきると3つの部屋が並んでおり、それぞれの部屋に札がかかっているのが視認できた。

 

 

「部屋が三つ、あの子と、あの子の母親、そして物置部屋ね」

 

 

 左から順に少年の部屋、物置部屋、そして母親の部屋である。

 

 

「ひとまず、あの子の部屋に入ってみましょうか」

 

 

 紫は、その3つの部屋から最も少年に関わるものがありそうな少年の部屋に入ることを決めて扉を開けた。

 

 

「ここがあの子の部屋……何もないのね」

 

 

 紫は、余りにも閑散としている少年の部屋の中を見て驚嘆した。それほどに少年の部屋には物が少なく、机、ベッド、あると言えばそれだけの部屋だった。

 

 

「まるで……牢獄のよう」

 

 

 紫は、そっと部屋を見た感想を呟くと机へと意識を向ける。

 机には、小学生時代の本、中学に入ってからの本が並べられていた。

 紫は、机へと意識を向けた際に机の横にある、あるものに目を奪われた。

 

 

「これは……ノート? 一体何冊あるのかしら?」

 

 

 閑散としている部屋に異質にそびえ立っている―――目立っている物があった。それは本来であれば、決して目立たない物であり、普通にあるような物である。

 しかし、そんな普通の物が圧倒的な存在感を放ってそこにはあった。

 

 机の横に机より高くあったのは―――積み立てられた圧倒的な数のノートである。

 

 少なくとも100冊は積まれているだろう。ノートの膨大な量が少年の異質さを醸し出し、少年の異質さの度合いを表しているようで気持ちが悪くなった。

 

 

「見ても、いいのよね……?」

 

 

 意識せずとも、そのノートの中身が見てはならないもののように感じてしまう。机の横にある、机の高さを越えている、ノートの積立。まるで、積み木のように積み立てられた少年の歴史である。

 紫は、少しばかりの罪悪感を覚えながらもノートに手を伸ばす。紫の伸ばされた手は、ノートの一番上に着地した。

 紫は、一番上の一冊を手に取って中身を確認するために、ぱらぱらとページをめくり、中に書かれている文字を視界に収める。

 紫は、ノートの中に書いてあるものを把握した瞬間に驚きを含ませた様子で目を見開いた。

 

 

「これは……そういうことだったのね」

 

 

 頭の中で引っかかっていた物が全て取り除かれるような、ジグソーパズルのピースが上手くあてはまるような納得の気持ちが一気に湧き上がってくる。

 紫の目の中に飛び込んできたものは、紫が欲していた少年の情報の欠片であった。

 

 

「これは……あの子にノートと鉛筆を軽々しく渡したのは、失敗だったかしら」

 

 

 紫は、ノートをパラパラと一気にめくって中身を確認する。そして、ほんのわずかの時間ノートの中身を見つめると、すぐさま元の場所にノートを戻した。

 

 

「っ……」

 

 

 紫は、静かに唇を噛み、大きな溜息を吐く。

 

 

「はぁ……何をムキになっているのかしら。私が何を想ったところで何も変わらないのに」

 

 

 紫は、肩の力を一気に抜き、無言のまま机の隣をゆっくりと歩きながら右手をスーッと机の上でスライドさせる。すると、ある所で紫の手に違う感触が伝わって来た。

 

 

「……何かしら?」

 

 

 紫は、指先から伝わって来る新しい感触に歩みを進めていた足を止めた。違和感を伝えてきた紫の手の下には、一枚の紙があった。

 紙には、クラスメイトの名前が書かれていた。

 紫は、その自分の手の下にある紙ではなく、すぐそばにある別の紙へと意識を奪われた。

 

 

「小学生時代の通知表……」

 

 

 机の上には、クラスメイトの名前と同様にして少年の通知表が置かれていた。そこには、おそらく学校での少年の姿が映し出されていることだろう。

 紫は、通知表の中身を見る前にここには欲しい情報が含まれていないと直感的に思った。

 

 

「こういったものでは、私達の欲しい情報は書かれていないでしょうね」

 

 

 紫が見た少年の学校での様子は、まさしく普通である。異常は全く見受けられない、ただ人間があるように生きているだけ、それ以外の何物でもなかった。それ以上の何かでもなければ、それ以下でもなく、そんな様子に見えていた。そんな異常性を感じさせなかった少年のことが通知表に書かれている、それだけのことで、それだけでしかない。

 

 

「どうせあの子は、そういうところでは上手くやっていたに決まっているわ」

 

 

 紫や藍の欲している少年の深層心理というのだろうか、根元となっている部分を少年の担任ともいえる人物が把握できていたかと考えると、絶対にできていないと思われた。

 担任の先生に少年の能力を打破する術はない。だから、担任の先生が書く通知表なんてものには意味が無いと思った。

 

 

「けれども、どうしようかしら?」

 

 

 紫にとって意味のない通知表であるが、紫は通知表を持って帰るかどうかで悩んだ。本来の少年が書かれていないというのならば、逆に言えば通知表には隠している時の少年の姿が書かれているはずだ。

 紫は、ノートの存在を一緒に考えると、マヨヒガへと持ち帰った方が良いように思えた。

 それは、少年のことを何も知らない藍のためである。

 

 

「藍は、あの子が外でどんなふうに生活しているか見たことがないのよね……」

 

 

 マヨヒガには、少年のことを何も知らない藍がいる。

 紫は、少年の学校生活を覗いているため知っている、普通を守ろうとしていたことを知っている、日常を大切にしていたことを知っている。だから、少年が何を想っていて、何を大切にしているのかおおよそ理解できる。

 しかし、藍は少年の日常での顔というものを知らない、少年が普段どんなふうに生きてきたのか知らない、どういう風に生活して周りからどのように見られているのか知らない、少年が何を守ろうとしていたのか、何を大事にしてきたのかを知らない。

 少年の大事なものを理解するということは、少年自身を理解するために最も必要なことである。そのためには、通知表という外部から見た少年の姿が書かれているものは、持ち帰った方が良いように思えた。

 

 

「……持っていきましょうか」

 

 

 紫は、持って帰っても少年の本質を知ることはできないと分かっていながらも通知表をアルバムと一緒に持ち帰ることに決めた。

 これで、少年の部屋でやるべきことは全てやった。紫は、父親の部屋と同じように全てを元通りに戻して部屋を出る。次の目的地へとアルバムと重ねて持ち歩き始めた。

 

 

「次は、母親の部屋ね。物置に大事なものを置いておく人間などいないわ」

 

 

 紫は、少年と母親の部屋の間にある物置となっている部屋を無視し、真っすぐに母親の部屋の扉を開けて入り込む。

 

 

「母親の部屋は、あの子の部屋と違って普通ね」

 

 

 母親の部屋は、ごく普通のプライベート空間だった。化粧台があり、机があり、テレビがあり、ベッドがある。化粧品が並び、女性誌が置いてある。クローゼットには服がかけられており、普通の女性の部屋と呼べる場所だった。

 紫は、母親の部屋を探索するために、手を塞いでしまっているアルバムと通知表を机の上に置いて部屋を見渡す。

 

 

「さて、どこから探しましょうか……」

 

 

 紫は、部屋の隅の方から漏らす所なく探し始める。

 しかし、なかなか目につくものを発見できなかった。

 

 

「何も出てこないわね。この部屋には何もないのかしら?」

 

 

 紫は、時間をかけて様々なところを探してみたが、母親の部屋からは少年に関するものはなかなか出てこず、母親の部屋には特に少年に関する物は無いのではないかと考え始めていた。

 

 

「いえ、何かあるはずよ。アルバムだけなんてことは絶対にないわ」

 

 

 紫は、そんな沸き立つ考えを振り払うように顔を左右に数回振る。

 紫は、ここで諦めるわけにはいかないのだ。今までに見つけた物では、少年について理解するのに十分でない。少年の過去の一部はノート見て確信しているが、全貌が明らかになっているわけではない。少年の書いたノートは、ノートだけで全てが分かるような絶対のものではないのである。

 何かしらあるはず、紫は探すところがなくなる最後まで母親の部屋の探索を続けた。

 

 

「……?」

 

 

 紫は、探索の途中、あるところで停止する。

 ちょうど化粧台に付属している引き出しを一つずつ開けていた時のことである。3つの引き出しの上2つは何事もなく開いたにもかかわらず、一番下の段にだけ鍵がかかっており、開けることができなかった。

 

 

「ここだけ鍵がかかっているのね」

 

 

 紫は、一階で父親の部屋を開けた時のように、能力を用いて引き出しを開ける。そして、音を立てながら開いた引き出しの中へと目を向け、中身を確認した。

 

 

「何が入っているのかしら?」

 

 

 引き出しの中には、これまた複数のノートが入っていた。

 紫は、ノートを手元に引き寄せ、表紙に書かれている文字に注視する。

 そのノートの表紙には、ある言葉が書かれていた。

 

 

 

 

 ―――和友の成長記録―――

 

 

 

 

 

「これは、あの子の成長記録? 探していた物がピンポイントで見つかったわね」

 

 

 紫は、このノートに少年のこれまで生きてきた証が間違いなく書いてあると確信した。

 しかし、その場でノートの中身を確認することはしない。ここで読んでしまってもいいのだが、マヨヒガに藍を待たせていることを考えると、できるだけ早く戻ったほうがいいと思った。

 紫は、思考の流れのままに取り出したノート3冊をアルバムと通知表の上に置いて持ちやすいように重ねた。

 

 

「この家で見つけられるのは、こんなものかしらね。他にはめぼしいものは無いようだし、帰りましょう」

 

 

 紫は、アルバム、通知表、ノートの3冊を腕に抱えながら顔を上にあげて真っ白な天井を見つめ、ゆっくりと床につけていた足を離し、宙に浮く。そして、そのまま高度を上げて天井にぶつかりそうになると、天井にスキマを開いて壁を綺麗に通過した。

 

 

「藍は、ちゃんと待っていてくれているかしら?」

 

 

 紫は、スキマを通って少年の家から出ることに成功し、浮き上がっていく中で真下にある少年の家を見降ろした。

 紫の高度が上がっていくに従って少年の家との距離が遠くなり、少年の家が相対的にどんどん小さくなる。

 紫は、少年の家が小さくなるのを見ながら、あることに気付き、悲しそうな表情を浮かべた。

 

 

「もう、この家は……ただそこにあるだけになってしまっているのね」

 

 

 紫は、真下にある少年の家を今日初めて見たとき、なぜ小さく見えたのか分かった。

 少年の家は、守るべき存在を失ってただの塊になってしまっているのだ。

 これから誰ひとりとして入らない家、誰も戻らない家。少年の家は、存在意義を無くして何の気なしにそこに建ち続けている、ただそこにあるだけの何かになってしまっている。だからこそ、他の家よりも格段に小さく見えたのだろう。

 

 

「今までお疲れさま。あの子は、あなたの代わりに私達がしっかり見守ってあげるから安心しなさい」

 

 

 紫は、役目を終えた少年の家にねぎらいの言葉を送る。

 少年とその親子が住んでいた小さな家は、帰らない者達をその身体が朽ち果てるまで待ち続ける。これからも、ずっとひたすらに健気に待ち続けることだろう。

 唯一帰ることができる人間は少年だけで、この家に戻ってくる人間は―――少年だけしかいない。そして、少年を出迎えることができるのも―――この家だけしかいない。

 紫は、そのことを考えると少し悲しくなった。

 だが、何も無いよりははるかにましである。言い方を変えれば、少年にはまだ家が待っているという言い方ができるのだから。

 

 

「いずれあの子がここに帰ってくるまで、あなたは待っていてあげなさい。あの子がちゃんとこの世界で生きていけるように待っていてあげなさい。もう、あの子を待っていてあげられるのはあなたしかいないのだから」

 

 

 紫は、少年の小さな家に別れを告げる。

 もしも、少年がこの世界に戻ったときに―――帰る場所がありますようにと小さな祈りを込めて。

 紫の体は、スキマを通って帰るべき家に戻って行く。

 待っていてくれている人がいる幻想郷へと戻っていった。

 




帰るべき家があることはいいことですよね。

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