ぶれない台風と共に歩く   作:テフロン

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全4話編成の第11章2話目です。
11章は、萃夢想のお話になります。



踏み出した二歩目、努力する意味

 博麗神社では、相も変わらず宴会が繰り広げられている。飽きもせず、終わりもなく、変化を拒むように続いている。

 だけど、僕たちの中では確かな変化があった。僕のところへとやってきた妖精――大妖精を迎えるという大きな波がやってきて変化を受け入れざる負えない状況になった。

 変化の訪れに対しての反応はまちまちで、僕と椛となごみは肯定をもって、霊夢と希は否定をもって大妖精を受け入れた。

 

 

「あ、あの……笹原さんは私に何を手伝って欲しいのですか? 私、チルノちゃんを助けてくれたお礼もかねてできる限りのことをしたいと思っています」

 

「大妖精にして欲しいこと?」

 

 

 僕の疑問に対して大妖精の顔が大きく縦に振られる。

 大妖精にやってもらいたいこと――確かにそれは僕の心の中にある。こうなって欲しいというような最終的な大妖精の後ろ姿が見えている。

 だけどそれは、現時点で僕が大妖精に求めていることではなかった。僕が想像する大妖精の最後の形というのは、言ったからといってすぐになれる話ではなく、練習すればできるような話でもなく、これから先の可能性が全てを握っている話である。

 つまり、僕がここで大妖精に話すことそれ自体には何も意味がなかった。むしろ、できないことを求められることで無理に自分に追い込んでしまう可能性があることを考えると告げるべきではないと考えられた。

 だから僕は、素直に今の大妖精がして欲しいことを告げた。

 

 

「今は特に何もしなくてもいいよ。ただ、偶にここに足を運んでくれればそれで。最終的に担ってほしい役割はもちろんあるけど、それはおいおい気にしてくれればいいかな」

 

 

 そう言うと、大妖精は顔に困惑の色をつけた。ここ、博麗神社に来た目的が僕の願いを叶える、手伝うことだった大妖精にしてみれば、出鼻をくじかれた状況なのだろう。

 だが、ここは納得してもらうしか他はない。“今の大妖精”にはできることが何もないのだから。“今の大妖精”では何もできないのだから。いつかの未来にたどりついたときに、いつかの大妖精に、その時にきっと――目的を告げることになる。

 今は、その時を楽しみに待つだけである。

 

 

「ちゃんと話すから。話せる時が来たら僕の願いを伝えるから。それまで待っていてほしい」

 

 

 できるだけゆっくりと伝える。嘘じゃないことを伝えるために。想いを寸分狂わずに伝えるために。待たせる側の誠意を伝えるために。最後の終わりのために。言葉に心からの想いを乗せて飛ばした。

 僕の願いを受けた大妖精は、澄んだ瞳で静かに大きく首を縦に振った。応える目は何よりも純粋で、僕の幻想郷での初めての友達を見ているようで、思わず僕も嬉しくなった。

 その日の終わりから、一人の妖精が僕の物語の終わりの歯車の一つとして加わった。

 

 

 

 

 

 大妖精が博麗神社にやって来た次の日の朝、僕は日の光に刺されて瞼を開けた。目に光が入り、色のついた世界が目の前に広がる。頬に僅かに暖かくなり始めた空気が当たり、季節の移り変わりが感じられる。

 僕はひそかに陽気が感じられる朝の訪れに、上手く働いていない頭を軽く振って布団から体を出し、背伸びをする。大きく伸びた筋肉が心地よい痛みを訴え、血流を強く押し流した。

 

 

「んー……みんな、おはよう。今日もいい一日になるといいね」

 

 

 僕の朝の挨拶に対して返ってきた言葉は何一つ無かった。部屋を見渡してみると、希と椛の姿が見当たらなかった。帰ってしまったのか昨日来ていたはずの大妖精の姿もなかった。

 すでに希と椛の布団は仕舞われていて見る影もない。置手紙もなければ、伝言も残されていない。部屋に残っていたのは僕を除いてしまえば、なごみだけだった。

 

 

「なごみ、起きて。朝だよ」

 

「ん……んぅ~」

 

 

 希がいつもやっているのと同じように、なごみの体を軽く揺すって起こす。意外と思われるかもしれないが博麗神社に住んでいる者の中で最も朝が弱いのはなごみである。そして、これもまた意外と思われるかもしれないが、一番朝に強いのは希だったりする。

 暫く体を揺すってあげると、なごみは眠そうに目元をこすりながら体を起こした。まだまだ覚醒しきらない瞳がおぼろげで、ぼさぼさ頭のボーとした顔がこちらを向く。

 

 

「おはよう」

 

 

 顔と顔の距離が約30 cmと大分近い。眼前にはなごみの顔が大きく広がっている。半分しか開いていない瞼は、これでもかと眠さを訴えていた。

 

 

「なごみは、希と椛がどこに行ったか知らない?」

 

 

 希と椛の行方を問いかけてみると、眠たそうに半分まで閉じていた瞼がゆっくり上がっていく。最終的に1秒ほどで見開くところまで来ると勢い良く立ち上がった。

 

 

「!??」

 

 

 なごみは、その場から一気に離れた。布団から一気に飛び出し、駆け抜けるように壁際に置いてあるカバンの中から櫛を取り出す。そして、急いで櫛を取って髪を整え始めると持ち合わせているノートに素早く文字を走らせた。

 

 

「ん!」

 

 

 今度は息を切らして赤くなった顔が目の前に広がる。せわしなく表情が姿を変えている様子に思わず笑ってしまいそうになる感情を抑える。

 顔から注意を下げて顔のちょうど真下辺りに視線を向けると、無駄に力強く書かれた文字が焦りを表しているように唸るような文字が書かれていた。

 

 

(なんで和友が起こしているの!? いつも希だったのに!!)

 

 

 なごみの言葉を見たとき、僕はこれからするつもりの問いに対する答えをなごみが持っていないことを聞く前に察してしまった。動揺している雰囲気からも何一つ状況を理解していないことが理解できる。

 僕は、心のうちで「だとしたらどこに行ったのだろうか」と疑問を抱えながらノートによる筆談を図った。

 

 

「希がいないから僕が起こしたんだけど、なごみは希がどこに行ったか知らない?」

 

 

 念のため聞いてみたが、結果は予想通りで「分かりません」という文字が白い紙の上で寂しそうに今の状況を物語っていた。

 なごみも希と椛の行方を知らないということは、二人は誰一人として行き先を告げなかったということだ。

 二人はどこへ行ったのだろうか。

 二人でどこに向かったのだろうか。

 希は何をしに行ったのだろうか。

 そう考えて、考え始めて、すぐに考えることを止めた。

 

 

「ああ、そうか。見つかったのか。ついに自分の目標を探しに行ったんだね」

 

 

 迷っていた希が外に出た。あれ以来――なごみが魔法使いとしての才能を見始められてから、ここ――博麗神社から少しも外に出ようとしなかった希が自らの世界を打ち破った。

 最初の一歩目、外へと踏み出すこと。その一歩を踏み切ったんだ。

 だけど、次の一歩目だ。次の一歩が肝心だ。二歩目が本物の変化をもたらしてくれる。

 希が本当に変化を受け入れる覚悟があるのか、次の一歩目が全てを示してくれる。

 

 

「希、次の一歩が大事だよ。まだ希の片方の足は元の世界に漬かったままだ。まだ、踏み入れただけでその先が見えているわけじゃない。次が変化を受け入れる一歩になる。一つの始まりになる。戻れないモノになる」

 

 

 二歩目を踏み出すのには、とても勇気がいる。変化を受け入れるだけの強い気持ちと、恐れない気持ちが必要になる。

 けれど、一歩目を踏み出した希ならきっと見えてくるはずだ。自分が何を求めていて、何を得ようとしているのか。最後の最後に、自分が何のために努力してきたのか、何の意味があってここにいるのか、自分がここで生きている目的が見えてくるはずだ。曖昧さが姿を消したその先で、見えてくるはずだ。

 

 

「希ならきっと、見えるはずだよ」

 

 

 一歩を踏み出し、変化を求めた希に僕ができることはなんだろうか。変わろうとしている希に僕ができることは何だろうか。

 この問いに対する答えは、すぐに示された。

 それはここで見送ってあげること。

 帰る場所を作ってあげること。

 藍や紫が待っていてくれたように。

 僕の両親が待っていてくれたように。

 帰る場所を守ってあげることだと思った。

 

 

「希、いってらっしゃい」

 

 

 始まったのは、新しい一日。

 希のいない、椛のいない、一日の始まり。

 希の新しい一日の始まりは、僕に新しい一日の始まりを呼んだ。

 

 

 

 少年が挨拶の言葉を送ったその時、博麗神社から姿を消していた希は息切れしながら空を見上げるように階段の頂上を見上げていた。

 

 

「はぁ、はぁ……ここが冥界、白玉楼なの?」

 

「そうです。ここに妖夢さんがいらっしゃいます」

 

 

 額に付いた汗が頬を伝って零れる。流れた汗が染みだしてシャツが背中に張り付いている。もはや拭うことも意味をなさないほどに袖が汗ばんでいる。

 希が博麗神社から白玉楼にたどり着くまでに1時間以上の時間がかかっている。ようやく飛べるようになった程度の希では、相当に距離のある白玉楼までたどり着くだけで相当の時間と労力がかかっていた。

 

 

「…………」

 

 

 息切れを起こし、肩で呼吸する希のすぐ隣には涼しそうに控える椛が階段の先を静かに見つめている。真横ともいえるほどに近くにいる対照的な二人の様子は、二人の間にある大きな差を如実に表していた。

 

 

「希さん、少し疲れているかもしれませんが、早速行きましょう。時間が惜しいです」

 

「はぁ、はぁ……ちょ、ちょっとだけ待って。息だけ整えさせて……」

 

 

 希は、大きく息を吸って深呼吸する。周りの空気を全て吸い尽くすような勢いで体全体を使い、大きく胸を広げてこれでもかと空気を吸い込み、吐き出す。

 ここから先が本番だ――希は無意識のうちに理解していた。まだ触れたこともない世界がこの先に待ち構えている。

 希は覚悟を決めるために体の中の空気を入れ替えて、気持ちを切り替えにかかった。

 

 

「すぅーはぁ~。おっけ! いこっか!」

 

 

 体の中に新鮮な空気を入れて気持ちをまっさらにした希は、博麗神社を出る時よりも遥かに重くなった足を踏み出し、白玉楼の門をくぐった。

 足元を見てみれば、まだまだ春を感じさせる色付いた桜色が地に舞っている。希は、思わず彩られた世界に視線が囚われそうになる中で、俯瞰するように全体像に目を向ける。すると、薄いピンク色が景色を彩っている世界の中に目的とする人物を発見した。

 その人物は、箒を片手に軽やかに掃除をしている。集められたゴミたちが徐々に大きくなって存在感を放ち始めている。掃除をしている途中にもかかわらず帯刀された二本の刀が異様な威圧感を放っていた。

 希と椛が暫く立ち止まっていると目的としている人物もこちらに気付いたのか、視線を送ってきた。

 

 

「やはり来ましたか、待っていましたよ」

 

 

 石畳みの上を靴が擦る音が空気中に拡散する。距離が一歩ずつ近くなる。

 希の心臓は、白玉楼まで急いできた時よりも激しく鼓動を打ち始めた。

 

 

「では、聞かせてもらいましょうか。貴方が力を求める理由を。貴方がここに来た理由を」

 

「わ、私は!」

 

 

 大きく開け放たれた希の口から続けて大声が放たれる。最初は緊張の色を出していた表情も言葉を吐き出すたびに薄らいでいった。

 何のために強くなりたいのか。どうしてここに来たのか。自分が望むものがなんなのか。自らの想いを強く、強く、何よりも強く、素直な気持ちを届ける。心の奥底にしまっていた想いを、選手宣誓するように胸を張った言葉にして飛ばす。自らを鼓舞するように、自らの気持ちを確かめるように、精一杯の想いを吐き出すように、まるで白玉楼中に轟くように――希の気持ちが吐露された。

 椛は少し物憂げな表情で想いを打ち明ける希を見つめ、妖夢は眠るように優しい笑顔で静かに希の想いを聞き入れた。

 

 

「それが貴方の気持ちなのですね。素直でよろしい。私は受け入れます。門を開きましょう」

 

 

 きっとこのとき最も驚いていたのは、傍で初めて希の想いを聞いた椛でもなく、それを伝えられた妖夢でもなく、希だったことだろう。

 妖夢は、瞬きを忘れたように固まる希に向けて手招くように手を広げて言った。

 

 

「門は開かれました。ここから先をどう進むかは貴方次第です。立ち止まるも、突き進むも、貴方が全てを決めてください。貴方の人生は――どこまでいっても貴方のモノなのですから」

 

 

 妖夢の言葉に惹かれるように希の足が前を向く。憑き物が取れたようなすっきりした顔で次の一歩目を踏み出した。

 希は妖夢の真横まで登ると、門の外で足を止めた椛に別れの言葉を告げた。

 

 

「椛……私、強くなるから。強くなってみせるから。誰かの代わりでもなくて、誰かと比較されることのない、私だけの私になってみせるから」

 

「はい、待っていますから。博麗神社で待っていますから。私たちは、いつだって希さんを迎えます。帰ってきたくなったらいつでも帰ってきてください」

 

「うん、いってきます!」

 

「いってらっしゃい」

 

 

 椛は、遠くなる希の後ろ姿を見送った。遠くを見つめるように佇み、静かに手を振った。振り替えされる手はなかったが、それでも手を振り続けた。

 自分ができることは待つことだけ。これ以上踏み込むことは、希の気持ちを逆なですることになる。

 椛は、希の姿が完全に見えなくなっても、しばらくの間その場でいなくなった希の幻影を見つめていた。

 

 

 

 椛と別れて一人になった希は、先頭を歩く妖夢の後ろ姿を追っていた。妖夢のすぐそばで球体形状を保った白い発光体が揺らめいているのに好奇心をにじませた視線を送りながら、自分よりも小さな背中に追随する。

 澄んだ空気と木のぬくもりを保った廊下が足と接触するたびに博麗神社とは違った空気感を与えてくる。

 

 

「にしても、強くなりたい理由が区別される存在になりたいって、希さんは欲に忠実なのですね。思わず笑ってしまいそうになりました」

 

「わ、悪い!? しょうがないじゃない! これが本心なんだもの!」

 

「悪いなんて言っていませんよ。ですが、力を求める理由というものはそのほとんどが誰かを打倒したいであったり、誰かを守りたいであったり、誰か相手ありきで作られるものがほとんどですから珍しかったのですよ」

 

 

 力を求めるのは、生き物であるならば自然な欲求の一つである。端的に言ってそれは、生存本能からくる想いである。特に感情の支配が強い人間の場合には顕著に表れる。

 力が必要になるのは、外敵がいるからだ。つまるところ、突き詰めてしまえば必ずここにたどり着く。誰かと争いになるから、力が必要になるのだ。

 

 

「かくいう私も主である幽々子様を守るために力を求めました」

 

 

 力を持っていなければ、奪われるから。

 力を持っていなければ、奪えないから。

 だから、力を求めるのである。

 奪うものがなく、奪われるものがないのであれば、力を求めようという発想はそもそも出てこない。外敵がいないのであれば、天敵がいないのであれば、ガラパゴス諸島の生物のように進化を拒んだ姿になる。

 だが、希が抱えている力が欲しい理由には、明確な外敵が存在しない。自らが何かを失うわけでもない。大切なものを奪われるわけでもない。

 希の強くなりたいという欲求は、もっと上位の感情からきているものだった。

 

 

「ですが、希さんが力を求める理由は自らの心を守るためです。物理的に傷つけられる危険があるわけでもなく、危険に巻き込まれているわけでもない。周りの誰かが傷つけられるからでもない。本来必要になる状況ではありません」

 

「私に誰かのために何てそんな高尚な理由はないわ。昨日妖夢さんに言われたこと一晩中考えて、何のために強くなろうとしているかって考えていたら気付いたのよ」

 

 

 希は妖夢から強くなりたい理由を問われた昨夜、ずっと頭を悩ませていた。何のために強さを求めるのか。どうして強くなりたいのか。強さを求める理由を心の中で探した。

 問われたその時に苦し紛れに告げた「少年のために力が欲しい」というのももちろん嘘じゃなかった。少年のために力を求める気持ちはゼロではない。だけど、それが大部分を占める想いなのかと問い詰められると違うと言えてしまう。むしろ、1割もないと言いきれてしまう自信があるのも事実だった。

 希は、考えた末に自分がなぜ少年を理由に出したのか悟った。そして、自分の矮小さに気付いた。自分の醜い、見たくない部分に目が届いた。

 

 

「和友を理由に使うことで自分の中の黒い部分から目を背けていたんだって。小さい自分の存在を見ないようにしていたんだって」

 

 

 少年を理由にしたのは、誰かを理由にするのが楽だから使っただけだ。いざというときに誰かの責任にして逃げ道を確保したかっただけだ。上手くいかなかった時の理由を欲しただけだ。

 

 

「ああ、私って……本当に最低な人間なんだなって。自分本位で、自分勝手な奴なんだって。誰かに期待されたいくせに誰にも期待していない。認めてもらいたいって思っているくせに誰も認めようとしていない」

 

 

 誰かに認めてもらいたい。できる奴だって言われたい。すごいやつだって褒めてほしい。あいつよりすごいって、優秀だって、お前ならできるんだって期待してほしい。

 だけど、期待されたいという想い以上に、誰に対しても努力を認めようとしてこなかった。自分より頑張っている相手のことを、努力を積み重ねている誰かを、見ようとしてこなかった。見ないふりをして、無かったことにして、一人で勝手に決めつけていた。

 

 

「自分の頑張りが他人の頑張りに埋もれているのが耐えられなくて。頑張ってもそれよりも前を走っている存在が妬ましくて。自分より努力している人の頑張りを認めてこなかった」

 

 

 熱くなっている感情をいつも冷めた目で見ている自分がいる。元気にはしゃいでいるけど、これに何の意味があるのと問いかけてくる自分がいつも隣にいる。

 どうして悔しいのにそれを表に出さないのか。どうして妬ましいのに笑顔でいるのか。悔しいって言えよ、羨ましいって言えよ、そうやって内心が鼓動している。

 希は、外の世界で生活していたときから何も変わっていなかった。

 

 

「外の世界にいる時からずっとそうだった。努力したふりをして、負けて。それで、相手のことを貶していた。あいつらはずるいんだって。卑怯だって。私より頑張ってないくせになんでって、私だって努力しているのになんでって、いつも思っていた」

 

 

 時間が経過するごとになごみはどんどん力をつけていっている。和友も毎日努力している。椛だって変わっていっている。だけど、自分だけ何もない。悔しくて、苦しくて、どうにかなりそうだった。日に日に感情が溢れそうになるのを必死に抑え込んだ。

 不平不満を口にすることは許されないから。ひとたび口に出してしまえば疎外されるから。だから、心の中で頑張っている相手を疎外して自分の心を守った。

 

 

「何かをするたびにいつも誰かと比較されて、お前も頑張れって、なんでお前はこうも上手くいかないだって言われているようでむしゃくしゃして……本気で努力するのも、それで負けたらと思うと怖くて。挙句の果てには、自分の努力の足りなさを棚に上げて相手を馬鹿にしてた。あいつは才能があるからズルをしているんだって」

 

 

 本気で努力できなかったのは、本気で努力をして負けて、「もっと頑張れ」なんて言われてしまったら我慢できる気がしなかったから。

 才能のせいにしてしまえば、仕方ないと諦められたから。

 仕方のないことの責任にしてしまえば、自分が努力していないことを隠せると思ったから。

 

 

「頑張っても、頑張っているつもりの私の努力じゃ本当に頑張っている奴に勝てるわけがなかったのにね。何をしても、何をやっても、比較されて、拗ねて、立ち止まっている。誰かの後ろ姿が遠くに見えてばっかりで、ムカついて目を背けて。最初はそうじゃなかったはずなのになぁ……もう、誰かに喜んでもらうために努力する方法を忘れちゃった」

 

 

 自分のためじゃなくて、誰かのために努力する。自分が頑張ると誰かが嬉しそうにするから。自分が頑張ることで誰かが喜んでくれるから。遥か昔にあったはずの想いは、長年吹き荒れた嵐によって風化してしまって取り戻せそうもなかった。

 

 

「思い返してみれば、昔からそうだったのよ。私は私のためにしか頑張っていなかった。勉強もスポーツも、誰かに認めてもらうためなんて言っても、結局それは自分を守るためでしかなかった」

 

 

 勉強を頑張るのも、スポーツに懸命に取り組むのも、劣っていると指を指されるのが嫌だったから。本気を出して努力をして負けた時、もっと頑張らなきゃなと言われるのが怖かったから。ほどほどに頑張って。頑張った気になって。比べられて頑張れと言われることに耐えていただけだ。

 

 

「私ってそういう奴なのよ。ただ単にいい奴ぶっていたいだけの外面のいい、比べられることが嫌いな、自己中心的で、自分本位で、自分勝手な小心者」

 

「だから、区別される存在になりたい、ですか?」

 

「そう、比較されない存在になりたいの。自分の心を守るために。自分のために……」

 

 

 妖夢は、あごに手を当てて考えるそぶりを見せる。自分のために頑張るというのは、犠牲になる者が自分しかいないため自暴自棄になると踏ん張りが利かなくなる。どうでもいいやと思った瞬間に、糸が切れて動かなくなる。

 だが、希にはいらない心配のようだった。

 

 

「比較されない存在になりたいの」

 

 

 ―――比較されない存在になりたい。そこには言葉以上に重さが感じられた。

 これなら続けていける。この強い想いがあればきっと、乗り越えられる。

 誰かのためではなく、自分のために、乗り越えていける。

 強くなった後に、見えてきた景色の中で――大切なものがきっと見つかる。

 それが見つかるのが遅いのか、早いのか。違いなどその程度のものである。自分のために努力しようが、誰かのために努力しようが、最終的には同じところに着地するのだから。

 妖夢は希の行く末を想い、薄く笑った。

 

 

「ふふふ、結局のところ早いか遅いか。違いなんてそんなものです。自分のために強さを求めるのも、誰かのために努力するのも、たどり着く先は同じ。私が希さんをそこまで連れていきます。しっかりついてきてくださいね」

 

「うん、頼むよ、師匠」

 

「師匠ですか、なかなかいい響きです。このムズ痒い気持ちが癖になりそうですね。もう一回呼んでみてくれませんか?」

 

「私が強くなったらね。その時には心からの敬意を込めてもう一度言わせてもらうわ」

 

「ああ、それなら安心です。聞ける時が来るのを楽しみにしていますよ」

 

 

 妖夢の後ろを歩く希の足は、確かな音を立てながら前へと踏み出した。

 




またしても、更新が遅れて申し訳ありませんでした。
リアルの方がかなり切羽詰まっており、苦しい中で必死に書いているところです。
・残業
・卓球
・忘年会
・艦これのイベント
特に会社の集まりに参加することが多く、上手く休みが使えていないのが現状です。
来週も忘年会があるので、休みがつぶれてしまう予定です。誠に申し訳ありませんが、また待たせることになりそうです。ご了承ください。

さて、今回は希が大きく踏み出した話になります。
何のために努力するのか、という部分を大分掘り下げました。
いつか、希となごみの外の世界での話を書くことになるかと思いますが、その時はこの話を少し思い出していただけたらと思います。

これからもこの作品をよろしくお願いいたします。

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