ぶれない台風と共に歩く   作:テフロン

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全4話編成の第11章1話目です。
11章は、萃夢想のお話になります。



第十一章 東方萃夢想
境界線の崩し方、世界の果てで見える景色


 終わらないということは、永久ってことなのだろうか。

 終わらないということは、永遠ってことなのだろうか。

 終わらないということは、始まらないということ。

 終わらないということは、変わらないということ。

 今日という日が終わって次の日がやってくるのに。

 今という時間が進んで明日が始まるのに。

 毎日のように繰り広げられる宴会は、いつになっても終わってはくれなかった。

 明日も始まる今日を、誰も変えようとしなかった。

 

 

「みんな飽きもせずによく続けていられるね。僕は毎回参加しているわけじゃないし、気が向いたときに参加している程度だからいいけど、週に3回も4回もあるってそんなにお酒に余裕があるのかな?」

 

 

 ここ最近、今までは1月に1度あった程度の宴会が、週に数回は当たり前のように繰り広げられている。特に話す内容もなく、特に開く理由もない終わりを見せない宴会が開かれ続けている。

 僕は、終わりを拒むように続けられる宴会に対して疑問を抱えていた。

 

 

「余裕か……」

 

 

 そんなどうでもいいような僕の質問に対して存在感のある声が空間に響き渡る。その声は、後方から漏れ出す喧噪の雑音が溢れる中でもしっかりと僕の鼓膜を揺らした。

 声に惹きつけられるように視線を向ける。視線の先には、端正な顔立ちで澄んだ雰囲気を纏った藍がいた。背中から差し込む宴会の明かりと正面から降り注ぐ月明かりを受けたきめ細かい白い肌が僅かに光り、少しのくすみも見せない金髪が光っている。9本の尻尾が揺らめいている様はまさに妖怪であることをこれでもかと主張していて、優しく笑みを浮かべた表情は見る者を取り込むような妖艶さを表現していた。

 

 

「我々としてはそろそろ財布の紐を締めるころだろうな。宴会が頻繁に起こるようになって一月が経つ。紫様がどうするおつもりなのかにもよるが、私はここらが潮時だと思う」

 

「八雲家では相変わらず藍が財布の管理をしているんだね」

 

「ああ、紫様に任せると知らぬ間に財布が別の物に変わっていそうでな」

 

「ふふっ、あり得そう」

 

「そうだろう?」

 

 

 藍の冗談交じりの言葉にクスリと笑うと、藍もまた笑顔を浮かべた。

 

 

「そんな冗談はさておいてだ。この財布の中身にはお金以上に大事なものがいっぱい詰まっているからな。和友が残してくれたものが詰まっている。だから大切にしたいのだ」

 

 

 藍は、そう言って懐から財布を取り出すと大事そうに抱きしめた。

 僕は今も変わらず、マヨヒガにお金を収めている。相も変わらず、永遠亭で働いて得ている給料の一部をたびたび訪れてくる紫を介してマヨヒガへと送っていた。

 それは、これまでお世話になったお礼のため。これまで自分のために使ってくれた費用を返済するため。後腐れを一切なくすため。過去を清算するため。

 僕は、お金を無理やり押し付けていた。返さなくてもいいと言われても、無理やり受け取らせていた。少なくとも1年前まではそうだった。

 けれども、今の藍の様子を見る限り僕の返しているモノを大切にしてくれている。最初はいらない、返す必要はないと言っていた藍も紫もこうして受け取ってくれている。そんな二人からは、返していく僕の恩を大切にしてくれていることを感じることができた。

 藍の胸に僅かに埋もれた財布がゆっくりと離れ、再び懐に入れられる。藍は少しだけ嬉しそうに頬を持ち上げ、言った。

 

 

「ただ、こうして宴会が開かれるのは不都合ばかりではない。宴会が頻繁に開かれることで和友に会える機会が増えると考えると、それだけでも私にとっては大きな意味になるからな」

 

「藍は宴会がない日も毎日来ているでしょ?」

 

「何を言っている、宴会があることで会う機会が2回に増えるだろう?」

 

 

 藍が博麗神社へとやってくるのは決まって昼間のことである。夜はマヨヒガに居なければならない理由があるようで、お昼のどこかで時間を作っては博麗神社にやって来ていた。雨の日も、風の強い日も、例外なんて一つもなく毎日その姿を現した。

 藍が言うには、マヨヒガに居なければならないと言っても特にやらなければならないことはないとのことである。詳しく聞いてみると「夜は家族全員がマヨヒガに居ること」というなんともありがちな家族としてのルールが設けられたためだという。

 その決まりごとは、ただいることだけを求めている。そこにあることを求めている。

 きっと藍はマヨヒガにとってそういうものになったんだ。紫にとって、橙にとって、マヨヒガという場所において無くてはならないものになったということだと僕は思った。

 

 

「あー! また和友と藍がべたべたしてるー!」

 

「後はこの煩い外野が消えてくれればなおいいのだが……」

 

 

 唐突に現れた希を貫くように藍の冷ややかな視線が飛ぶ。

 希は覗き込むように僕と藍の間に首を突っ込むと、お互いの顔に目配せする。明らかに茶化しに来ている雰囲気を纏っているさまに、藍の全身から鬱陶しいオーラ―が溢れ始めた。

 最近の希はいつもこうである。人を小馬鹿にすることが多く、何かをしようとすると邪魔になるようなことをしてくる。特に僕となごみに対しての度合いが大きく、能力の練習をしている時に顕著に現れた。

 

 

「こら、希! 少しは空気が読めないのか? 今はそんな茶化す場面ではなかっただろう?」

 

「だってさぁ、こうも毎日イチャイチャしているのを見ているとムカムカするじゃん」

 

 

 希の抱えている感情の制御が利かなくなってすでに1月が経とうとしている。苛立ちというエネルギーを得た荒波が心の中でうねっている。

 僕の目から見て、感情の波は理性の防波堤をもうすぐ乗り越えるところまで来ているように見えた。

 

 

「希はその言葉遣いの悪さから直していかないとな。和友の傍にいる時の私だからいいものの、失礼が過ぎると道を踏み外すぞ? 身の程をわきまえることも生きていくために必要なことだ。力がない者は特にな」

 

「何それ、私に喧嘩売ってんの? 無力な弱者だって煽ってるの?」

 

「誰がお前なんぞに喧嘩を売るものか。私はいつだって買う立場だ。今も売っているのはお前の方だろう? 私はいつでも買ってやるぞ。とびっきりの高値でな。それこそ身を亡ぼすほどの対価を払ってやる」

 

 

 言葉が交わされるたびに二人の視線がどんどん鋭くなる。厳かな雰囲気を纏いながら静かに座る藍と、力強く拳を握った希の間で激しい火花が散っていた。

 こうした険悪な雰囲気も宴会と同じ――最近よくあることの一つだ。そう、よくあることになってしまっている。最初は大目に見て受け流していた藍も、途中から我慢の限界に来てしまったのか、希との間では売り言葉に買い言葉が横行するようになった。

 

 

「二人とも止めてよ。希も藍も落ち着いて」

 

「私はいつだって落ち着いている。特に和友の近くにいる時は私にとって最も心安らぐ瞬間だからな。余計な者がいなければもっと良くなるとは思うが」

 

「それ、私のことよね? 暗に私にいなくなれって言っているでしょ?」

 

「なんだ、自覚があったのか。弱い者は頭も弱いと思っていたのだが、思ったより頭が回るようだな」

 

「ほら、藍も止めて。今の希は切羽詰まっているんだからそんなに煽らないであげてよ。心に余裕がないと何かを受け止めるなんて無理なんだからさ」

 

 

 誰かと希が衝突するたびに――僕は緩衝材になった。固いモノと硬いモノの間を埋める柔らかいモノになった。

 そうすることで、二人の間を保てると思ったから。

 そうすることで、二人のどちらも傷つくことがなくなると思ったから。

 そうすることで、希が持っている鋭い矛先が自分に向くことを知っていたから。

 

 

「私のことを何も知らないくせに知ったようなこと言わないでよ! 何も知らない和友に私の何が分かるのよ! 私がどんな気持ちなのか和友には分かるっていうの!?」

 

 

 分かって欲しい、理解して欲しいという想い。

 分かって欲しくない、理解されたくないという想い。

 人の心はいつも表裏一体で、肯定と否定を行ったり来たりしている。

 人は――いつだって天邪鬼だ。

 

 

「僕には希の気持ちは分からないよ。分かっているのか、分かっていないのかさえも分からない。希が分かって欲しいのか、分かって欲しくないのかも分からない」

 

「何、その答え……今私がどんな思いでここにいて、どんな気持ちでこんなことを言っているのか分かっていてそんなことを言っているの? 和友も私のことを馬鹿にしているの?」

 

「馬鹿にしているつもりなんて微塵もないよ。僕はいつだって大真面目だ。大真面目にそう思っている」

 

 

 人は、不安、恐怖、怒り等の俗に言う負の感情を抱えると誰かに対して肯定を求める。心の安定を求めるために人と同じものを求める。人と同じ感覚を求める。想いを共有結合することで動じない心を手に入れる。

 しかし、感情の中でも劣等感、優越感に抱えた時にはその対象となる相手に対して否定を求める。心の安定を維持するために人と違うものを求める。あいつとは違うという特別感を守るために。同じではないという唯一感を得るために。まるで、共有されることで薄まってしまうことを避けるために、区別という名の差別を求める。

 

 

「想いは共有すればいいってものじゃない。誰かと気持ちを同じにすることはあたかも素晴らしいもののように語られることが多いけど、そうやって境界線を曖昧にすることがいつだって正しいわけじゃない。はっきりと区別して差別しなきゃいけないものだってある。ねぇ、僕に教えて。希の抱えている感情は本当に理解を求めているのかな?」

 

 

 感情を共有することの意味を如実に表した有名な言葉がある。誰もがどこかで聞いたことがある言葉――誰かと思いを共有することで喜びは2倍、悲しみは半分になるという格言染みた言葉だ。

 この言葉は、最終的に自分に残る結果だけを取ってみれば実に上手く表した言葉である。通常、大半の感情はこの法則に則ることになる。

 楽しい、嬉しい、面白い、これらの正の感情は誰かと共有することで他者の喜びが付与されて大きくなる。同じ感覚を共有してもらえることで、なんだか認めてくれたような感覚に陥るのも喜びの感情の勢いに拍車がかかる要因だろう。

 そしてもう片方である悲しみであるが、よくよく考えてみると悲しい、苦しい、辛い、これらの負の感情は、誰かと共有することで決して半分に成ったりはしないことに気付く。感情は分け与えるものではなく、共有するものだからだ。喜びが半分にならないのと同じように、悲しみも半分に成ることはない。

 だが、悲しみ、苦しみといったこれらの負の感情には必ずと言っていいほど孤独感が付属する。こう思っているのは自分だけ、自分だけがこんな辛い目に合っているという想いを抱える。その孤独感が共有することで消えるため、半分になっているような気になるのである。

 共有することで孤独感が薄れているだけ。抱えた負の感情は少しだって失われることはない。それでも結論として全体を見渡した時には、喜びは2倍、悲しみは半分になるという言葉通りの結果が導かれている。

 しかし、この格言が当てはまらない場合がある。時折、悲しみ等の負の感情に付属する孤独感が薄れることを拒否する場合がある。それが、優越感や劣等感に巣食う孤独の場合である。

 

 

「希の抱えているその感情はきっと訴えているはずだよ。分かってほしくないって、譲りたくないって、薄れたくないって」

 

 

 希が抱えている負の感情は、劣等感からくる焦燥感である。

 何をしていいのか分からない。

 どうすればいいのか分からない。

 向かうべき方角は分かっているのに。

 進むべき道は分かっているのに。

 ――どうしたら目標とする未来に進めるのか分からない。

 行かなきゃいけないのに。

 進まなきゃいけないのに。

 そうすべきだって頭では分かっているのに。

 ――前に進む方法が分からない。

 できない自分に苛立ち。

 できる周りの人間に苛立ち。

 追いつめてくる環境に苛立っている。

 

 

「理解を示されると苛立ちが湧き上がってくる。お前に何が分かるって言いたくなる。違う感情なのに、唯一の感情なのに、同列にするなって叫びたくなる」

 

 

 誰かより得意なものが見つからず、誰かより胸を張れることがない。

 横並びに見えていたはずのみんなの背中がどんどん遠くなる。周りから置いていかれる。頑張っているのに引き離される。後ろを歩いていたと思っていた人達が、振り返ることもなく追い抜いていく。努力しているはずなのに報われない。努力しているはずなのに認めてもらえない。時間をかけても、自分なりに頑張ってもいつだって誰かが前を走っている。1人置き去りにされている寂しさと不条理に対する憤りが存在感を増している。

 終いには、感情が溢れそうになって胸が苦しくなり、先に進む者に助けて欲しいと願うようになる。溺れそうな今から救い上げてくれる救世主の存在を切望する。だけど、同時に助けてくれる者の足を引っ張ってはならないと思う。最初はそう思う。そう、最初はそう思う。

 だけど、いずれそう思わなくなる。助けて欲しいと思う想い、迷惑をかけてはいけないという想い、両者の窮屈な感情の呵責に囚われて四苦八苦し、板挟みになった感情に心が削られ始めると耐えられなくなってくる。心がどんどん摩耗し、悲鳴を上げる。必死に耳を塞いでいた手に力が入らなくなって抜け落ちる。

 そして、いつしか擦り減った感情は極論を結論として叩き出す。自分を守るために、他者をないがしろにしはじめる。

 ――前を走っている人がいなくなってしまえば。

 ――道がなくなってしまえば。

 ――そうすれば自分が前にいられる。

 ――そうすれば苦しまずに済む。

 なんて考えるようになる。

 

 

「違っていたらごめん。でも、この感情に打ち勝つ方法なんてないよ。結局、僕達みたいな弱いやつは努力するしかないんだ。毎日毎日、報われない中で頑張るしかないんだ。石を投げられても、侮辱を受けても続けていくしかないんだ」

 

「ふざけないでよ! 周りに認められなかったら努力する意味なんてないじゃない! そんなものはただの徒労、無意味、時間の無駄!! それこそ頭の悪いやつのすることだわ! 勉強だってスポーツだって、誰かに認められるためにやるものでしょう!?」

 

 

 誰かに認められるために。

 誰かに褒められるために。

 誰かから羨望を受けるために。

 そんな「普通の誰か」のため努力をした。

 そんな「別格な誰か」になるために力を注いだ。

 そんな「特別な誰か」を目指して走った。

 ――そう思って努力できただけいいんじゃないかな。きっとそんな風に思うのは他でもない僕だから。僕だからそう思うだけ。誰かに認めてもらうためでもなく、誰かに褒められるためでもなく、誰かから羨望を受けるためでもなく、ただ生きていくために努力してきた僕だからそう思うだけ。

 僕は、そんな普通の誰かのために努力をしたわけでもない。別格な誰かになろうとして力を注いだわけでもない。特別な誰かを目指して走ったわけでもない。

 何でもない現実を捕まえるために全力だった僕だから。

 あくまでも自分のためにやってきた僕だから。

 あくまでもみんなにとっての普通のためにやってきた僕だから。

 そんな外れモノの僕だから――そう思うだけだ。

 だけど、そんな僕だから見えているものがあるのも事実だった。

 

 

「希にはまだ分からないかもしれないね」

 

「何が? 私は分かっているわよ」

 

「希がもう少し奥深くまで来たら分かるようになるよ。自分が引いている境界線を越えてその先の景色が見えるようになったら――もっともっと根本にある想いが見つかったら、きっと僕の言葉に頷いてくれると思う」

 

 

 ひたすらに進んだ先、周りに一人もいなくなった景色が見えるところまで来たら、重く引きずってきた足跡が――語ってくれる。

 何のために努力をして、何が足を動かしてきたのか。

 自分がどうしてここにいるのか。

 過去の自分が作った今の自分の世界が答えを見せてくれる。

 

 

「今はもう少し考えてみて。どうするべきなのか。何をするのか。どうしたいのか。そして、何のために努力をするのか。こうするんだっていう目標を立ててみて」

 

「それが分からないから困っているのよ……」

 

 

 ――うん、知っている。希には聞こえないように心の中でそう呟いた。

 今にも消え入りそうな言葉だけを残して希の背中が部屋の中に吸い込まれていく。遠くなる希の後ろ姿は見た目よりも小さく見えた。

 襖が閉じられて外界と内側が遮断される。僕は、新たに仕切られた境界線をしばらく見つめると、暗がりの外へと再び視線を向けた。

 しかし、静寂が戻ったのも数秒だけで、すぐさま神妙な表情を浮かべた隣人が閉ざしていた口を開いた。

 

 

「和友、あれでよかったのか? 和友ならば方向性を見失っている希に何か目印となるものを提示してあげることだってできただろう?」

 

 

 藍はなんだかんだ、喧嘩の一歩手前まで迫っていた希のことを心配していた。こうして希のことを気にかけてくれるのを見ると、藍が本当に心から希のことを嫌っているわけではないのだとすぐに分かる。

 藍も今にも崩れそうになっている希の行く末について一抹の不安を抱えているのである。

 だが、僕にはどうしても自ら進んで希を助けるのは間違っているような気がしていた。

 

 

「それはもちろんできるよ。魔法の勉強ができるようにパチュリーさんに取り計らうことも、霊夢にもう少し踏み込んだところまで修行を付けてもらえるように口添えすることもできる。だけど、それって他人から与えられるものでしょ? 自分で得たものじゃない」

 

「物事の始まりは基本的に誰かの力に依るものだぞ? 自分には自分の世界しかないのだから他者に広げてもらわなければ可能性は拡大しない。やってみるか? 私はその一言の問いが、閉じた世界の境界線から足を踏み出させると思うがな」

 

「うん、それも一理あるね」

 

 

 藍の言う通り、自分だけしかない世界では自分の引いた境界線を崩せる道理がない。

 物語は勝手に始まったりしない。本を開かなければ物語が読めないように。歩かなければ転ばないように。変化には必ず何かしらのきっかけがある。

 それでも、そこにはどうしたってその人自身が自らの意志で、進むという意思を持って相手の手を掴まなければならないのだ。そうじゃないと、見えてこないものがあるのである。

 

 

「だけど、誰かから手招きされて踏み越えた一歩と、自分から出そうと踏み越えた一歩じゃその足にかかる重さが違う。希は、誰かの伸ばされた手を掴むんじゃなくて、希自身が引いた境界線の外にいる僕たちに意思を伝えなきゃいけない。自分がこうしたいっていう想いを相手にぶつけなきゃいけないと思うんだ」

 

 

 希が真に変わりたいと思うのならば、希自身がそう在りたい理由を見つけて、僕たちのところまで踏み越えてこなければならない。なぜならば、誰かが希の手を引っ張って境界線を越えたとしても、境界線はいつまで経ってもそこに引かれたままだから。いつまで経っても希の中の世界は変わらないから。

 だから――自分でその境界線をかき消してしまえるような一歩が必要になる。

 希の引いた境界線の外にいる僕たちがするべきことは、希の手を取ってあげることではなく、手を差し出してあげることでもなく、希の世界の外側で姿を見せるだけが最も正しい選択なのだと、僕は思っていた。

 

 

「誰かが手を出しちゃうと、薦めたやつが悪い、教えてくれたそいつのせいだって、誰かの責任にできるでしょ? そういう状況だとどうしても僕の想うところにはたどり着けないかなって思ってさ」

 

「ふむ……それも一理あるか。なんとも難しいものだな。希の行く末は未来でしか分からない……希は自ら求めた変化の先で何を見るのだろうか。希にとって、望む結果が得られればいいが」

 

「そればっかりは分からないよ。きっと僕とは違っていて、藍とも違う景色を見るんだろうね。でも、退路をなくして、前に進むことしかできなくなって、前に進み続けて見えてくる景色は、きっとその人にとって納得のいくものだと思うよ」

 

「そうだな、それについては全くの同意だ」

 

 

 藍は、僕の言葉に大きく頷いた。

 いつかと同じように輝く月を見て、確かに頷いた。

 

 

 

 

 

 

 希は少年と話した後、思った以上に上手く回らない状況に俯きながら部屋へと戻っていた。静かに部屋の隅に座り込み、頭を抱える。分からない――不安と不満の思考が目障りになるほど頭の中をぐるぐると旋回している。

 そんな落ち込む様子を見せる希に、すでに部屋の中にいた椛が声をかけた。

 

 

「希さん、どうでしたか? 和友さんから何か有益な情報は聞けましたか?」

 

「ううん、ごめん。喧嘩になっちゃって、上手く話せなかった」

 

「そうですか……今後の方針の欠片でも見えればと思ったのですが、話せなかったのなら仕方がありませんね」

 

 

 希は、問い詰めてこない椛に向けて僅かに影の指す顔を上げた。

 

 

「怒らないの? 期待に応えられなかったのに」

 

「何を言っているのですか? まさかこれで終わりですか? まだ和友さんに聞いただけでしょう? これからですよ」

 

「……そうね。でも、どうしよう? 私、幻想郷での繋がりなんて和友となごみ、椛に霊夢しかいないし……当てなんて何もないんだけど、何をしたらいいのかな?」

 

 

 希は、これから先の未来について悩んでいた。どうやって進めばいいのかについて頭を抱えていた。どうなりたいかの想像はできているのにもかかわらず、そこにたどり着く道筋が全く見えてこない。自分一人の力ではどうしようもないことが何の気なしに理解できているのも相まって、希の未来への道程は完全に暗礁に乗り上げていた。

 そして、未来について思い悩んでいる希の状態を知っている椛も次の手を出しあぐねている状態だった。

 

 

「そこですよね……私もそこまで交友関係が広いわけではありませんし、何より妖怪の山とは絶縁状態ですから」

 

「だったら手詰まりってこと?」

 

「…………」

 

 

 希の言葉で椛の口が閉じられる。ここで椛は意地でも希の問いに対して肯定の言葉を口にしたくなかった。まだまだこれからだと口にしておきながら、諦めの言葉を口に出すことは憚られたからである。

 しかし、だからと言って他に何かできることがあるわけでもない。自らの世界の境界線を広げるには他者の力がどうしても必要で、希には世界を広げてくれる「誰か」が必要だった。本当ならば、椛がその「誰か」に成れればよかったのだが、以前に椛が強くなるための手ほどきをしようと希に声をかけた時、椛の申し出は丁寧に断られていた。

 

 

「椛は私の目標じゃない。私の目指したいところは、椛じゃないんだ。同じような劣化品が傍にいたところで役に立たないから。特別にはなれないから。でも、心配してくれてありがとう。気持ちは受け取っておくわ」

 

 

 椛の代わりは一人もいらない。同じことしかできないモノは二人もいらない。しかも、椛より強くなれる自信がなかった希には、椛の申し出を受ける要素が全くなかった。

 希が欲しかったのは、あくまでも代わりのない力なのだから。ここ――博麗神社で区別されるべき力なのだから。特別な何かになりたかったのだから。椛の申し出を受ける道理がなかったのである。

 

 

「ああ! そんなところにいたのですか! 椛さん、こっちに来て一緒に飲みましょう! ここには私の話を聞いてくれる人が全然いなくて!」

 

 

 顔を赤くした新参者が扉を開けて大声を発しながら現れる。おぼつかない足取りでやってきたのは、ついこの前に起こった異変で椛と対峙した魂魄妖夢という名の少女だった。

 おぼつかない様子からもかなり酔っていることが窺い知れる。椛は、よろけている妖夢を見て困った表情を浮かべると支えるように寄り添った。

 

 

「妖夢さん、酔い過ぎではないですか? 顔が真っ赤ですよ? これ以上のお酒は控えたほうがいいです」

 

「妖夢さんだなんて他人行儀な! 妖夢でいいですよ! それにお酒については心配しなくてもまだまだ飲めますから! 私が吐き出すまでにはあと楼観剣ぐらいの長さがですね」

 

「はいはい、言動が意味不明になっていますよ。妖夢さん、うっぷんがたまるのも分かりますし、愚痴には付き合いますからお酒はほどほどにお願いしますね」

 

「あー! また妖夢さんって呼んだ! げぷっ……」

 

「うわ! こっちに向けてゲップしないでくださいよ。はぁ、こっちも大変なんですよ。愚痴を聞いてほしいのはむしろこっちのほう……」

 

 

 妖夢の口から声と共にゲップが漏れる。戦っていたときの凛とした姿は目の前の姿からは少しも想像できない。椛は、まるで別人のように変化してしまった妖夢を見て、面倒事が横から割って入ったと大きなため息をついた。

 だが、同時にある一つの可能性が頭をよぎった。今の自分には新しい繋がりがある。椛はあのころから立ち止まっていたわけではない。妖怪の山という居場所を失くしただけではない。

 椛は自分が引いた境界線を越えて――世界を広げてきた。妖怪の山から出てからの日々が繋いだ関係が、目の前の景色を椛に見せていた。

 

 

「あ! そうです! ちょっとお願いがあるのですがいいですか?」

 

「友人である椛のお願いなら何だって聞きますよ。今の私は幽霊よりも素直な魂を見せつけていますからね」

 

「ちょっと何を言っているのか分かりませんが、これは好都合です。希さん、妖夢さんにお願いしましょう。彼女の剣の腕は確かです。きっと何か見えてくると思いますよ」

 

「なんです? 一体何の話ですか? というか、また妖夢さんと呼んでいますよ? 椛さんも酔っているんですか?」

 

 

 いきなりの急転換を見せる状況に妖夢の頭にクエスチョンマークが浮かぶ。

 希は、状況を理解していない妖夢に対して畳みかけるように自ら願いを告げる。酔った勢いで許可が取れないかと画策しながらも、頭を下げて精一杯の態度を示しつつ、お願いを申し出た。

 

 

「妖夢さん……私、加治屋希っていいます。私に戦う術を教えてくれませんか? 強くなりたいんです。和友の、役に立ちたいんです」

 

「ん……そうですね。少し気になったので問いますが、あなたの想い――どのぐらい本気ですか?」

 

「え?」

 

 

 妖夢からの質問に希の頭が緊急停止する。

 どのぐらい本気なのか――果たしてそれを行動する前に明示できる人間は存在するのだろうか。言葉をどれほど並べても、どれだけの想いを語っても、結局やってみなければ本気度は測れない。感情の物差しは人によって大きさが違うため、妖夢の本気と希の本気がマッチしない可能性も高い。

 そして、何よりその問いの答えを言うことを阻んでいる心の境界線が希の言葉をせき止めた。

 妖夢は、まるで電池が切れたように固まる希に向けて言葉が飛ばした。

 

 

「戦う術を身に着けることは、力を得るということです。何のために貴方は力を追い求めるのですか? そこがぶれているようでしたら止めておくことをお勧めします。どうせやったところで続きはしませんから」

 

「私、私は……和友の力になりたくて」

 

 

 希の目が揺れる。口元が震え、言葉にノイズが走る。

 妖夢は、明らかに様子のおかしい希に語るように言った。

 

 

「違いますよね? そんな見え見えの嘘は白楼剣を使わなくたって分かります。酔っている私でも分かります。そうやって自分をごまかしている間は駄目です。やったところで意味がない。意味にならない。身にならない。実らない」

 

「…………」

 

「ですが、モノは試しです。明日、やる気があるのであれば明朝、白玉楼にて待っています。その時もう一度聞かせてください。何のために力を求めるのか。貴方の素のままの魂を見せつけてみてください」

 

 

 そう言った妖夢の視線は真っすぐ、揺らいでいる希の瞳の奥を貫いていた。

 

 

 

 博麗神社の中で妖夢と椛と希が会話をしているころ、少年と藍は相変わらず空を見上げていた。星を掴むように少年の手が伸ばされ、お互いに穏やかな表情を浮かべていた。

 

 

「時は有限、永遠なんてない。この世界も、この星にだって終わりはちゃんとある。ここ最近ずっと続いている宴会もいずれ終わりを迎える。誰かの手によって、何かの手によって、何かのきっかけで終わりが届けられる」

 

「だが、終わりを何者かが届けるというならば、その終わりを先に延ばすことだってできるはずだ。誰かの手によって、何かの働きによって、その何者かが届ける終わりを先に延ばすことができる」

 

「意図して連れてこられる終わりなら先延ばしにできるかもしれないね。だけど、僕の終わりはきっと、誰かが何かをしたわけでもなく、何かが終わらせに来たわけでもない。息をしていたら急に訪れるようなそういったものだと思う」

 

「それはいったいどういう意味だ?」

 

 

 終わりが来ていると気付いたころには遅いから。特に終わらせようとしなくても、終わりを先延ばしにしようとしても、始まっていると気付かなかったら止めようがないから。

 誰かが終わらせようとして、何かが終わらせようとして意図的に仕組まれたものであるならば、その誰かや何かを止めてしまえば全てが止まるだろう。

 だけど、終わりの形はいつの間にか形成されていて。ふと、歩んできた景色を見てみるといつの間にか終わりの色が浮かんでいることに気付く。

 

 

「あの、お話し中にすみません。ほ、本当は話しかけてもいいのか悩んだのですが、随分と待たせてしまって、話しかけ辛いのがこれ以上続くのも気持ちが悪かったので、声をかけました」

 

「うん、よく来てくれたね。待っていたよ」

 

「改めて、笹原さん遅れてごめんなさい。今からでも笹原さんのお手伝いってできるでしょうか?」

 

「もちろん、これからよろしくね」

 

 

 誰よりも前を走っている者だけが終わりの景色を知っている。

 終わりを抱えて先を進んでいる者だけが知っている。

 終わりの動きが見えているのは終わりを運んでいる者だけ。

 終わりの形が見えているのは終わりを持っている者だけ。

 それ以外の者は、終わりの込められたパンドラの箱が開かれるまで終わりの姿を見ることはできない。

 少年は、頭をさげた小さな妖精の姿を見て一言だけ呟くように言った。

 

 

「ほら、終わりの形がこうして出来上がっていくんだよ」

 

 

 少年の言葉を聞いた藍は、少年の言葉の真意を悟った。

 




まず、更新が遅れて申し訳ありませんでした。
資格試験や仕事、先輩との付き合い、謎の卓球練習等あり、なかなか進みませんでした。
今後は、一定のペースでできるよう頑張っていきます。

さて、今回は萃夢想の始まりということで宴会が続いている状況です。
希が今、四苦八苦しており、どうしていいのか迷っていますね。
この萃夢想編は、どちらかというと希めいんのなごみサブみたいな形で進む予定です。

想いを共有する。
努力する意味。
自らの引いた境界線の崩し方。
終わりの形。
大体この4つについて話は進んでいたかなと思います。


これからもこの作品をよろしくお願いいたします。

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