ぶれない台風と共に歩く   作:テフロン

131 / 138
全4話編成の第10章4話目です。
10章は、萃夢想の前のお話になります。



溜め込むもの、溜まり込むもの

 紅魔館へと入った3人は、案内人のいない状況で真っすぐに進み続けていた。誰一人として紅魔館の内部構造を知らないにもかかわらず、悩むこともなく進んでいた。

 

 

「私、なんだかドキドキしてきちゃった! もうすぐ魔法が使えるかもしれないんだよ! どんな魔法を覚えようかな、悩んじゃうね!」

 

「希さん、目的をはき違えてはいけませんよ。第一の目的はあくまで和友さんがやろうとしていることを明らかにすることですからね」

 

「分かっているって! 椛は堅いなぁ。ね! なごみも楽しみでしょ?」

 

(楽しみ。でも、和友の件が終わるまで我慢)

 

「なごみも堅い! もっと楽しくいこうよ!」

 

 

 談笑しながらひたすらに進む。もしかしたらどこかで右か左に曲がらないとパチュリーという人に会うことはできないのかもしれないが、3人は美鈴から何も言われなかったことから真っすぐ行けばたどり着けるのだろうと安直な考えをもっていた。そして、それを誰も疑っていなかった。隣を見れば談笑しながら真っすぐ進む誰かがいたから。間違っているなんて微塵も感じることなく、まるで誰かが分かっているんだと疑うことなく、ひたすらに直進していた。

 本来であれば、こういう流れに沿った考えではとんでもないところにたどり着いたりするものだが、幸運にもその想像は間違っていなかったようで。

 正面には、行く手を遮るかのようにずっしりとした木の扉が現れた。

 

 

「なんか……思っていたより厳かな感じだね」

 

「はい、随分と分厚い木の扉ですね。まるで誰かが入るのを拒否しているみたいです」

 

 

 厳重に閉じられた木製の扉が目の前で鎮座している。

 しかし、椛は躊躇なく一歩前に出ると古めかしい扉を押し開けた。

 扉が音を立てて開かれる。開かれた扉の先には遥か先まで続く本棚と見上げるほどに高い天井、本のにおいが充満した空間が広がっていた。

 3人は、いまだかつて見たことのない図書館のスケールに驚きの表情を浮かべた。

 

 

「うわっ、凄い! これが図書館なの!? 私たちの世界の図書館と全然違うじゃん! ていうか縦に積み過ぎじゃない? 空が飛べる人用に作ったのかな?」

 

「どうなのでしょうか、意外と後付けなのかもしれませんよ。本を集めた結果がこうなったってだけかも。最初から飛ぶこと前提で本棚を設置するなんて常識じゃ考えられませんからね」

 

「じゃあ、集めて整理したらこうなったってことかな。ね、なごみはどう思う?」

 

 

 希の視線が言葉と共になごみの元へと向かう。動いた視線の先には、この古めかしい幻想的な図書館の雰囲気に囚われているなごみの顔があった。

 なごみは耳が聞こえていないとはいえ、視線に全く気付かないことは滅多にない。耳が聞こえない分だけ周りからの反応を気にして視線を周りに向けているからである。

 しかし、今はなごみの視線は動かずに目の前の世界に捉えられている。

 希は初めて見るなごみの表情に微笑むと、話しかけることを諦めた。

 

 

「ま、いっか。楽しそうななごみの邪魔をするのもあれだしね」

 

 

 椛は視界を遮る本棚を縫うように歩く。希となごみはきょろきょろと目を泳がせながら椛の背中を追った。

 暫く図書館の中を練り歩いていると、椛の視界の隅に人影が映り込む。注視してみると赤い髪で黒を基調とした服を着ており、背中に羽が生えているのが確認できる。その身体的特徴から妖魔の類であることが推測された。

 椛はすぐさま、希となごみに対して合図を送った。

 

 

「誰かいます。もしかしたらあの人がパチュリーという方なのかもしれません。ちょうどいいですし、話しかけてみましょう」

 

「おっけー。なごみもそれでいい?」

 

 

 希からすぐさま手話での情報伝達が行われる。なごみは希から情報を貰うと、すぐさまノートに二文字を記載した。

 

 

(OK)

 

「では、話しかけてみます。襲われるようなことがあれば、すぐに私の後ろに隠れてくださいね」

 

 

 椛にはなごみの書いた二文字がどういう意味なのか分からなかったが、了承が取れたと判断して二人を引き連れ、視界に入っている人物に向かって歩き出した。

 じっと見つめていると、その人物は本の整理、あるいは清掃をしている途中のようである。埃を払ったり、拭き掃除をしていたり、本を移動している姿が確認できる。

 椛は、清掃している後ろ姿が声の届くところまで近づくと口を開いた。

 

 

「あの、すみません。パチュリーという方に用事があって参ったのですが、貴方がパチュリーさんでよろしいでしょうか?」

 

 

 声をかけた瞬間、相手の肩がビクっと持ち上がった。後ろから話しかけたため随分と驚かせてしまったようである。

 話しかけた相手――小悪魔は少しばかりの警戒心をのぞかせながらこちらを向いた。

 

 

「いえ、違いますが……パチュリー様にご用ですか?」

 

「はい。先ほど門番の方にお話しは通しましたので、パチュリーさんにも私たちが来ることは伝わっているとは思いますが、お会いできますでしょうか?」

 

「……少々お待ちください」

 

 

 小悪魔は僅かに考えるしぐさを見せた後に歩き出すと、すぐに足を止めた。そして、振り向いた後に見せた表情には今までの訝しげな表情ではなく、どこか投げやりな笑顔が張り付いていた。

 

 

「いえ、この際一緒に行きましょうか。了承を取っているというのならば私が怒られることもないでしょうし、皆様方もここでお待ちするより時間を無駄にしないはずです! ただ、責任が生じたら皆さんで取っていただく方向でお願いしますね! 私は一切責任を取りませんからね!」

 

「は、はぁ……私たちはそれでいいですが」

 

「では私の後ろについてきてください。くれぐれも本に触ったりとか、盗って行ったりしないようにお願いしますよ!」

 

 

 椛と希は、対応してくれた小悪魔に対して随分と適当な印象を受けていた。ここで待たせて再度呼びに来るというような二度手間になる可能性を排除する選択は特段おかしくはないのだが、その表情と雰囲気があたかも失敗してしまっているような空気感を醸し出している。

 3人は、なんとも言い難い感情を抱えながら不安を感じさせる背中を追う。そして、希の口からは小悪魔に対して堪えきれなくなった感情が吐き出された。

 

 

「なんか、真面目に見えて適当な人だね。言葉遣いはすごく真面目そうなのに態度が適当っていうか、ギャップがあってなんか笑っちゃう」

 

「希さん、聞こえてしまいますよ。適当なのに関しては同意ですけど」

 

「あの、聞こえていますよ?」

 

「あの羽って本物なのかな? コスプレチック過ぎて普通に取れそうなんだけど。椛の耳の方が取れなさそう。尻尾なんて取れる気が全くしないし」

 

「失礼ですね。私の耳や尻尾は生えている物なので引っ張ったところで取れるわけがありませんよ。この人のだって、きっとちゃんとくっついていますから。確かにひっぱったら取れそうな気はしますけど」

 

「お前は私に失礼になっているって気づけよ」

 

 

 そんな小悪魔の突っ込みもむなしく、椛と希のやり取りが繰り広げられる。一応気づいてはいるのだろうが、聞く耳を全く持たない二人に対して小悪魔の口からは大きなため息がこぼれ落ちた。

 

 

「それにしても広いですね。外から見た紅魔館と図書館の大きさが適合していない気がするほどです」

 

「いや、建物より明らか図書館の大きさの方が大きいでしょ」

 

 

 歩いていれば分かるが、図書館は広い。紅魔館を外から見ていると図書館の方が建物自体より大きいのではないかと感じるほどである。

 そしてそれは何も間違った認識ではなく、図書館は実際のところ紅魔館の大きさよりも大きくなっている。これには紅魔館に住む者の能力がかかわっているのだが、それを知る術は今の彼女たちにはなかった。

 小悪魔は、そんなちぐはぐで広大な図書館を迷うことなく進んでいく。

 

 

「どこに向かっているんだろ? どこかの部屋に案内されるのかな?」

 

「そうじゃないんですか?」

 

 

 2人のどこかに部屋に向かっているという認識は間違っている。

 パチュリーという人は、図書館の中を徘徊するような人ではないのである。ほとんど不動で自らが本を取りに向かうことも少なく、読書にふけっている。それを知っているのも、小悪魔自身が本を取りに行く役目を担っているからである。

 数分の後、全員の視界の中に一人の女性が入り込んだ。

 

 

「いらっしゃいましたね、あちらがパチュリー様です。くれぐれも粗相のないようにお願いしますよ」

 

 

 小悪魔は3人に注意喚起を行い、本を読みながら座している主と呼称すべき存在を目の前にする。3人は、どこか触れてはならないような印象を持つ女性に息を飲んだ。

 小悪魔は、怖気づいている後ろの3人を気にすることもなく、さっと頭を下げて凛とした声を出した。

 

 

「パチュリー様、お客様がお見えです。事前に話は通してあるとのことですが、お時間の方は大丈夫でしょうか?」

 

「…………」

 

 

 小悪魔の声は確かに空間内に響いているにもかかわらず、パチュリーはまるで興味がないというように視線すら上げない。

 だけど、それもまた小悪魔にとってはいつものことだった。それは別に集中していて気づいていないというわけではない。だから小悪魔からは何も言わない。言えばうるさいと怒られるのが身に染みて分かっているから。

 その証拠にパチュリーからは少し遅れて反応が返ってきた。

 

 

「ええ、問題ないわ」

 

「それでは私は本の整理に戻ります」

 

 

 小悪魔が用は済んだと言わんばかりにその場から立ち去る。

 そして、ちょうど小悪魔の姿がここにいる全ての人間から見えなくなった瞬間、座していた魔女は口上を述べた。

 

 

「ここに客を招くのは何百年ぶりかしら。ようこそ、私の図書館へ。私がパチュリー・ノーレッジよ」

 

 

 読んでいた本を机の上に置き、視線を3人へと目配せする。視界に映る状況は、想像とは少し違っていたが、かねがね予想通りの展開である。そう、ここに少年がいないということを除いて――目の前に繰り広げられている光景は魔女が頭の中で想定した状況と同じだった。

 

 

「で、笹原に渡した本について何が知りたいの? 本人を連れてこなかったってことは、またあの子は何かやらかしそうなのかしら?」

 

 

 そう言ったパチュリーの顔は、どこか楽しげだった。

 

 

 

 

 

 椛と希からパチュリーに対して要件が述べられる。当初来た目的――少年が使おうとしている魔法はどんなものなのか、どのような用途に使われるものなのか、どういう風に使う予定なのかを予測してほしいと、情報を開示しながら問いかけた。

 パチュリーは口元に手を当てて、少し悩まし気に言葉を漏らした。

 

 

「ふうん、付与、強化、拡大、連結ね……どれも初歩というか、補助の魔法ね。メインになる術式には付箋が貼っていない、と。大体魔法を使い始める者は、メインの属性魔法と補助魔法の両方に取り掛かるものだけど……笹原はやっぱり普通じゃないのね」

 

 

 普通じゃない――何の気なしに少年が妥当な評価を下されている。そして、パチュリーの思考の輪から少年の存在が逸脱している。つまり、パチュリーにも分からなかったのだ。少年が何をやろうとしているのか、何をなそうとしているのか。少年が魔法に――何を求めているのかを。

 椛は、本を貸したパチュリーにも少年の目的が分からないことを瞬時に悟る。だが、パチュリーが分からないからといってすぐさま考えることを止めてしまうのも違うと思った。これから分かるかもしれないのだ。これから近くにいることで理解できるかもしれないのだ。

 椛は、いつか来るその時に備えて知識を蓄えておこうと補助魔法についての詳細を求めた。

 

 

「補助の魔法というのは、どういう使われ方をするのですか?」

 

「補助の魔法は、一般的に主体となる魔法の付属で使われるわ。例えば、火を起こす魔法に対して効果を付与する。出力を強化する。範囲を拡大する。複数の魔法を連結する」

 

 

 魔法は、主軸となるメインの魔法とそれを補助する魔法に大別される。

 椛はどうしてもイメージのつきにくいメインの魔法についての詳細を尋ねた。

 

 

「では、主体となる魔法というのはどのようなものなのですか? 補助の魔法は想像しやすいのですが……どうも魔法に接する機会が少なくて教えていただけないでしょうか」

 

「主体となる魔法というのは、それそのもので完結する魔法のことよ。発動させるのに術式以外のものは何一つ必要ないわ。何かのための魔法ではなく、それ単体で終わりを迎えるもの。属性を持った魔法がその最たるものかしら」

 

 

 例を挙げて説明すると、水を生み出す、火を起こす、こういった魔法は主体となる魔法である。水を生み出すのも、火を起こすのも、術式が発動すればそれで完結する。水を生み出す目的は別にあるかもしれないが、水を生み出すという結果を起こすのに必要なのは術式とその事象を起こす魔力だけである。パチュリーは、こういった術式単体で結果を導き出すものを主体となる魔法と表現していた。

 逆に補助魔法というのは、何か対象があってそれを補強する役目を担っている。分かりやすいところだと空を飛ぶ魔法だろうか。なんともそれ自身で完結する魔法のように思われる魔法ではあるが、実のところこれも補助魔法である。なぜならば、空を飛ぶという行為はあくまでも飛ばす対象物があるからだ。空を飛ぶものがあってこそ、この魔法は成り立つ。こういった何か対象を必要とする魔法を補助魔法と呼ぶ。

 椛と希はなるほどと頷く。そして、続けて希からも質問が飛んだ。

 

 

「こういう魔法って、込める魔力の量を増減することで効果の程度が変わるものじゃないの? 強化なんてしなくてもそれだけ多くの魔力を込めれば同じことができると思っていたんだけど」

 

「魔法は術式以上の効果は得られないわ。込める魔力を多くしても無駄に消費するだけよ。ただ……そうね、そういう術式を組み込めばやれないこともないわ」

 

 

 魔法は術式が全てである。準備段階で90%完成すると言っても過言ではない。術式とはレシピなのであり、数学の方程式なのである。

 場所、時間、出力等の情報が記載され、それに見合った魔力を注ぐことで効果を得る。込める魔力を増やしたところで設定されている出力は上がらない。継続時間も増加しない。場所の設定が崩れたりしない。

 

 

「白黒の盗人なんかがいい例ね。魔力を通す量を増やせば、出力が上がるように調整していたはずよ」

 

 

 希は、事の主題がどんどん横道に逸れていることに頭を傾けた。今は魔法の談義をしに来たわけではない。少年の意図をくみ取ろうと画策してきたのである。

 だが、こうして話がそれてしまっているということは暗に分からないと言っているようなものである。分かっていたのならば――こうはならないはずなのだから。そう思うだけの頭脳は希も持っていた。

 だが、希はあえて結論を言わせるように言葉を口にした。

 

 

「結局、その補助の魔法だけじゃ何をしようとしているかは分からないってこと?」

 

「分からないわ。主体があっての補助よ。本棚の形を見ただけでは納められている本の中身を当てることはできないわ」

 

 

 それもその通りか――希は唸り声をあげた。

 

 

「うーん、やっぱり本を貸した人でも分からなかったか。最初からあんまり期待していたわけじゃないけど、残念だったね」

 

 

 希の期待外れの言葉にパチュリーが若干の苛立ちを込めた声で言う。

 

 

「魔法というのは、可能性の塊なの。可能性の広がりは他の力の追随を許さないわ。組み合わせ次第で何でもできる。笹原の頭の中が読めれば話は別だけど――あの子は特別でしょう。考えても、結論はまともなところに帰着しないわ」

 

 

 希は、パチュリーが少しばかり怒っているのを気にすることもなくすぐさま思考を切り替える。魔法のスペシャリストが、本を持っている者が考えても分からないと言っている――それで希の諦める理由には十分だった。

 希は、自分が本当に求めていた目的をパチュリーに向けて懇願した。

 

 

「だったら、もう一つの方の目的! 私たちに魔法を教えてくれませんか!」

 

「嫌よ」

 

「え、なんで!?」

 

 

 ノータイムで返ってきた拒否の言葉に思わず驚愕の声が希の口から漏れた。

 椛は、希の交渉のあまりの下手くそさに頭を抱えて天を仰ぐ。幻想郷では善意で人は動かない。特に人間ではない者には顕著にその傾向がみられる。そもそも、善意で動いてもらうにはそれなりの信頼関係が必要なのである。

 当然、今の希とパチュリーにそんな大層なものがあるわけもなく――パチュリーからは辛らつな言葉が並べられた。

 

 

「貴方、図々しすぎじゃないかしら? 貴方のそれは人にものを頼む態度じゃないわ。そもそも私に会えているのは、笹原が紅魔館にとって恩人に当たる人だからよ。笹原本人が来るというのならやぶさかではなかったけれど、貴方たちは別に笹原に求められて私の元へ訪れたわけでもないのでしょう?」

 

「まぁ、そうだけど……」

 

 

 パチュリーは、笹原の関係者でなかったら3人と面会するつもりは微塵もなかった。笹原の名前を出されなかったら門番に追い返してもらう方法で話を進めたに違いなかった。

 紅魔館には、笹原に対して頭が上がらない事情がある。迷惑をかけたというのもそうであるし、レミリアとフランの仲を取り持ってもらったというのもある。そして、パチュリー自身が監視の任を成し遂げることができず、危険にさらしてしまったこと――それこそがパチュリーから笹原に送られる感情の半分を占めていた。

 そして、もう半分はいまだにパチュリー自身でも整理ができていない。知識が所狭しと詰め込まれた頭が正解を導き出せていない。パチュリーという少女の頭の中は、贖罪の気持ちと曖昧な気持ちでひしめくように占められていた。

 

 

「ついでに言っておくと、魔法っていうのはそう簡単に扱えるものではないの。こうして付箋を貼って勉強しているってことから笹原には魔力を扱う才能があるみたいだけど、貴方たちは教わる以前に最低限の才能はあるの?」

 

「最低限の才能ってどのぐらい?」

 

「魔法は、並の人間では効力を発揮しないわ。魔法を扱える者は術式を発動させようとした際にある程度の兆しが見える。逆に言えば、兆しが全く見えないようなら才能なしよ。諦めて帰りなさい」

 

 

 パチュリーは、ゆったりと椅子から立ち上がると目線を下に下げる。のんびりと持ち上がった右手の指先が淡い光を放っている。光を放つ指先は机の上に着地し、素早く魔方陣を形成した。

 

 

「ほら、ここに炎を灯す術式を描いたわ。手を触れて力を込めなさい。炎が上がったら認めてあげる」

 

 

 どうせ無理に決まっている――パチュリーの目は確実に不可能を悟っていた。

 明確に挑発しているパチュリーの言葉に空気がよどみ始める。椛と希となごみがお互いに空気を読み合っている。誰が行くのか、どうすればいいのか、迷いを示している。

 

 

「はぁ……誰もやらないの? だったら帰りなさい。読書の邪魔をしないで」

 

 

 重い空気感にパチュリーの口から小さなため息が漏れる。

 パチュリーは、誰も動かない状況に目配せすると興味なさげに再び椅子に座り本を読み始めた。

 停滞した空気の中でまず声を上げたのは――椛だった。

 

 

「ちょっと私がやってみていいですか?」

 

「別にいいけど、無理だと思うわよ?」

 

 

 椛の両手が魔力で書かれた魔方陣にかざされる。かざされた手が淡い光に包まれる。

 しかし、数十秒の時が経過しても魔法陣からは何一つ反応が得られなかった。

 椛はやっぱりかとでも言うように――少し気落ちしたような表情を作った。

 

 

「……何も起きませんね」

 

「妖力込めても術式は発動しないわよ。エネルギーの形は魔力のみ。魔力を変換して炎を出す術式なのだから他の力を使っても駄目。霊力も同じよ」

 

「今度は私がやってみるわ、あんまり自信がないけど」

 

 

 私がやってみせる――そう意気込むように希が腕まくりをしてみせた。

 希の手が魔法陣にかざされる。

 

 

「うー!! 発動しろー!!」

 

 

 唸ったところでできないものはできるようになったりはしない。気合で何とかなるようなら魔法使いはそこら中に存在することになる。

 パチュリーは、恥ずかしげもなく踏ん張る希を見て軽蔑の視線を飛ばした。

 

 

「……無能ね、諦めなさい」

 

「何もそこまではっきり言わなくてもいいじゃん! この魔女! 悪魔! もっと優しくできないの!?」

 

 

 希はパチュリーに突っかかろうとするが、パチュリーは意にも介さず、唯一動きを見せていないなごみに向けて声を飛ばした。

 

 

「そこの貴方はやらないの?」

 

 

 なごみは、自分に指を指して不自然な笑みを浮かべておどおどする。状況が読み込めていないようである。

 パチュリーは余りにも不格好なその対応に完全に興味を失う。やる気がないのならとっとと帰りなさい――そう言おうと口を開きかけたとき、希がなごみを気遣い対応を買って出た。

 

 

「ああ、なごみは耳が聞こえないから私から伝えるね」

 

 

 希から手話でなごみに事の流れが伝えられる。

 パチュリーは物珍しそうな瞳で希となごみのやり取りを観察する。手話というのは幻想郷では珍しいもので、二人のやり取りは秘密の暗号をやり取りしているような甘美な好奇心を呼び起こすものだった。

 だが、好奇心をくすぐられたのも一瞬で、そんなもの必要ないことに気づき、パチュリーの視線は再び本へと移った。

 暫くすると目の前を遮るように文字が書かれたノートが提示される。そこにはこう書いてあった――。

 

 

(よろしくお願いします)

 

「ええ、多分無理だと思うけどやれるだけやってみなさい」

 

 

 なごみが一歩前に出て、左手をおどろおどろしく魔法陣へと伸ばす。

 何を恐ろしがっているのか、どうせ発動しないのに。パチュリーはなごみの様子を見ながら完全に高をくくっていた。

 魔法とは誰にでも使えるようになる力であるがゆえに、力を得る方法や力を蓄える方法を知らなければ一向に手に入らない力である。

 魔法使いになるのは――魔法使いになると決めた者だけだ。たまたま、偶然、そんなことはこと魔法に限ってありえない。生まれたときから魔法使いだったのならともかく、後天的に魔法使いになる者は、全ての者が魔法使いになるつもりで、あるいは魔法使いにさせるつもりがあって魔法使いになるのである。

 魔法使いになる方法は、外部から魔力を取り込むしかない。魔力の最大量は外部からいかに魔力を取り込めるかにかかっている。体の内部で魔力が生成できるようになるのは外から魔力を多分に取り込み、体になじんだ後だ。体が魔力というものに慣れて、必要なものであると体が判断してから。魔力を生成する器官が機能を始めてからである。

 この魔法使いになる流れはどうしようとも崩せない。この流れを汲まない限り、魔法は使えない。だからこそ、パチュリーはここに来た全員が魔法を使うことができないと踏んでいたわけだが、その予想を裏切る者がここにはいた。激しい音と温度を空間内に生みだす者がいたのである。

 

 

「ちょ、ちょっと待って!? 嘘でしょう!?」

 

「すごいですね。これが魔法ですか。妖力じゃとてもではありませんが炎を上げるなんてできないので新鮮ですね。使い勝手がかなりよさそうです」

 

(これでいいですか?)

 

 

 机の上に炎がめらめらと上がっている。兆候が表れるなんてレベルではなく、はっきりとした形で術式が発動している。十全にその役割を放っている。

 しかも、良く注視してみれば、なごみの手は魔法陣には触れていない。十センチ程度の空気を間に挟んで魔法陣に魔力が供給されている。

 端的に説明して――手が触れる前に術式が発動し、炎が上がったと表現される状況である。

 パチュリーの目が先ほどまでのけだるい感じから一気に興味を持った目線に変わる。その目線は確実になごみへと向けられていた。

 

 

「……ええ、私に二言はないわ。魔法を教えましょう。明日の午前10時から午後5時まで、ここに顔を出しなさい。今日はとりあえずここに泊まるといいわ。部屋は私が用意してあげる」

 

「やったじゃん、なごみ! これで魔法を教えてもらえるわ!」

 

 

 はしゃぐ希に合わせて、なごみが笑顔で手を合わせる。二人の合わせた手は乾いた音を立てて空気を震わせた。

 しかし、その喜びも束の間で――パチュリーは、まるで自分のことのように喜んでいる希に向かってはっきりと告げた。

 

 

「ああ、分かっていると思うけど、貴方は来なくていいわ」

 

「なんで!?」

 

「才能がないから。魔法の練習をするよりも他に可能性を見つけたほうがいいわ。その方がお互いに時間を無駄にしなくて済むもの。不当だと思うのなら自分の才能の無さを恨みなさい。現実を受け入れなさい」

 

「っ…………」

 

 

 希は、今朝椛やなごみから心配された時に見せたような苦しそうな表情を浮かべ、唇を噛んだ。今にも血が出そうなほど噛みしめられていた。誰にも見られないように握りしめた拳は静かに震えていた。

 椛は、そんな希を見てそっと希の手を取る。椛を見つめる希の瞳にはわずかに光るものがあった。いまにも零れそうなところで堪えられていた。

 

 

「それでは、なごみさんのことよろしくお願いしますね。ほら、希さん、私たちは一旦帰りますよ」

 

(また後でね)

 

 

 なごみから手を振られる。椛は空いた方の手でそれに応じる。希はなごみに手を振り返すこともなく、椛に手を引かれてその場を去った。

 一言も話すことなく図書館を抜ける。重苦しい空気を背負って椛はひたすらに手を引く。

 そして、紅魔館から外へと向かう途中、希の口からは負の感情が漏れた。

 

 

「クソっ、なんで私ばっかり……なんでなごみなんかに」

 

「希さん……」

 

「あ、ううん、大丈夫。なごみ、上手くいくといいね」

 

 

 明らかにいつもの希ではない。いつもの明るい、はちゃめちゃな希ではない。椛はそう思いながらも何も言い出せなかった。相手から踏み出してくるまで言うことができなかった。ここに和友さんがいれば――そんな妄想をする自分が嫌いになりそうだった。

 椛は心配そうに希に付き添い、博麗神社へと向かった。

 

 

 

 

 そのころ図書館に残ったなごみは、二人が去った後も場所を変えることなくパチュリーと二人きりで話をしていた。

 

 

「貴方、変わった体質なのね。さっき術式に魔力を込める時、なにかしたのかしら?」

 

「……?」

 

「ああ、耳が聞こえないんだったわね。ちょっとこっちに来なさい」

 

 

 手招きする手に導かれるようになごみがてくてくとパチュリーへと近づく。

 パチュリーは、目の前にまで来たなごみの頭に人差し指を突き立てる。撫でるようにおでこに素早く魔法陣が描かれる。最後まで描かれた魔法陣はすぐさま淡い光を放った。

 

 

「ほら、これで私の声が聞こえるようになったでしょう? 頭の中に直接話しかけているのだけど聞き取りにくいってことはあるかしら?」

 

 

 ――パチュリーの声が脳内で響いた。

 なごみの首がブンブンと勢いよく縦に振られる。

 嬉しそうな顔は何よりも純粋で、パチュリーは素直な反応に笑顔を浮かべて見せた。

 

 

「そう、それはよかったわ」

 

 

 パチュリーはなごみの傍まで寄ると先ほど起こった事象についての質問を投げかけた。

 

 

「で、さっきの話の続きなのだけど、さっきどういう風に力を込めたのかしら?」

 

(手を近づけただけです、特に力を込めた覚えはありません)

 

「自覚がないのかしら……? もう一度見せてもらえるかしら。次はこっちの術式を」

 

(分かりました)

 

 

 今度は、水を生成する術式を机の上に形成する。

 パチュリーは本に視線を落とすこともなく、間近でなごみの手に注視した。

 なごみの手が伸ばされ、徐々に魔法陣との距離が詰められる。30センチ、20センチ、10センチ……を切ったところで魔法陣に魔力が流れ、水が一気に溢れ出した。

 パチュリーは現状が作り出されている仕組み――なごみの特性についてある程度の予測を立てた。

 

 

「……何となく分かったわ。貴方、なごみと言ったかしら?」

 

(松中なごみです)

 

「なごみは、魔法との親和性がかなり高いのね。だから力を込めるという動作なしに魔力が術式に流れ込んだ。まるでそこも体の一部というように、流そうとしなくても勝手に流れたという感じかしら?」

 

 

 パチュリーから見たなごみは、魔力との親和性が信じられないほど高かった。というか、力というものに対して親和性が高い可能性があった。今は魔力で行っているが、これが霊力であっても同じ現象が起きる可能性は十分にある。

 親和性が高いということは、溶け込むということである。弾かずに浸透するということである。要は、それそのものが魔力であることと大差がない。なごみ自身が力の塊であるのと同じなのである。

 触れることもなく術式が発動したのは、微量に体から漏れている魔力が魔法陣との間を繋いだから。お互いに親和性の高い者同士、込められた魔力で橋がかかったのだ。

 これは実に奇異な現象であり、特異な能力ではあったが、パチュリーから考えれば現状から思い至るのはメリットよりもデメリットの方が大きかった。

 

 

「だけどそれは、貴方の部屋の扉が簡単に開いてしまう状態にあるということ。外からの力の乱入にあったら部屋ごと破壊されかねないわ」

 

 

 親和性が高いことと容量が大きいことは比例しない。力の出入りが容易なのに容量が小さいのであれば、すぐに溢れてしまう。それは、容器自体の破壊に繋がる。

 なごみが最初にやらなければならないことは、自衛の手段を得ることからである。他者から攻撃を受けても自らの部屋に閉じこもることのできる術を得ることからである。

 

 

「まず、貴方は自分の扉をきちんと開け閉めできるようになるところから始めましょう。可能性を広げていろいろ手を伸ばしたい気持ちは分かるけど、まずは自分の身を守れるようになってからよ」

 

 

 パチュリーはそこまでなごみの予定を考えた後、もう一つ気になることについて思考を向けた。それは、なごみが現在保有している魔力量の大きさである。なごみが保有している魔力はパチュリーから見れば少ないと言ってもいい程度のものではあるが、逆に言えば少ないと表現できるだけの魔力を保有している。

 これは、人里の人間ならあり得ない量である。ここ最近で蓄えたとしたら――盗人であるあの白黒の魔法使いをすぐに追い抜けるのではないかと思ってしまう程度には、目を見張るものがあった。

 

 

「それにしても、この魔力量はどういうことなのかしら。魔力は五感の一つが失われているから伸びるというものでもないし……貴方、もしかして」

 

 

 魔力を伸ばすには、外部から取り込むしかない。これは変えられない不変の定理である。

 だとすると――パチュリーは、恐るべき可能性を口にした。

 

 

「―――食べて増やしたの?」

 

「……?」

 

 

 なごみは、よく分からないと言うように不自然な笑顔のまま首を傾げただけだった。




今回は、図書館を訪れ、魔法についての談義と魔法を学びに向かいました。
適性があったのは、なごみだけでしたね。

希には黒いものが溜まりつつありますが、
今後どうなっていくかは、読者の方の想像に任せます。

最後、大分勿体ぶった終わり方になりましたが
疑問に対する答えは非常に簡単ですので、あえて明記はしていません。
なんか都合がいい言葉のように使っておりますが、読者の想像にお任せしますね。

これからもこの作品をよろしくお願いいたします。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。