ぶれない台風と共に歩く   作:テフロン

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全4話編成の第10章3話目です。
10章は、萃夢想の前のお話になります。



幸せってやつ、感謝の在りか

 「紅魔館」という単語は、本来であれば希の口からは一生聞かないような言葉である。しかも、「紅魔館に行く」という言葉に限ってしまえば、人里の人間ですら口にしない言葉になるだろう。

 何があったのだろうか。何を想ったのだろうか。何があってそうなったのだろうか。椛の意識が希へと傾けられる。

 希は真剣な表情で、決意のこもった瞳を椛へと向けた。

 

 

「私たちはいつも和友に守ってもらってばかりだった。和友にとって守るべき存在で、守られるだけの対象だった。もう、見ているだけの時間は終わらせなきゃいけない。遠くから眺めているだけの存在になっていちゃいけないと思うのよ」

 

 

 希にとって少年は、複雑な感情を抱えた初めての人だった。寝食を共にした友人であり、親愛を持った家族であり、憎悪すべき対象だった。

 見ていて楽しく。見ていて嬉しく。見ていて悲しく。見ていて憎らしく。見ているだけなのに、傍にいるだけなのに、それだけなのに――それだけの感情が沸いて出てくる。

 希にとって少年とは、今まで一人だっていなかった、今まで会ったことのなかった――そんな、変わった家族の一員だった。

 

 

「変わったやつだよね。私、あんなの見たことないよ。弱いくせにみんなを守ろうとしてさ。誰かのために自分を追い込んでさ。いつも誰かのために戦っている。私たちをこうしてここにおいてくれているのだって和友にとってはきついはずなのに、ここにいさせてくれる」

 

 

 何かがあれば傷ついて帰ってくる。

 何かがあれば全部を背負い込もうとする。

 常に一生懸命で。

 何事にも全力で。

 輝きを放ってそこにいる。

 

 

「辛くないはずがないの! 苦しくないはずがないの! 和友、夜の間ずっとみんなの名前を書いているんだよ? 仕事で疲れているはずなのに。強くなるための修行で疲れているはずなのに。忘れたくないって。覚えていたいからって、毎日毎日毎日!!」

 

 

 辛いことばっかりで。悔しく思うことばっかりで。息苦しそうに見える。

 偏見なのかもしれないけど。生きていることそのものが苦しそうに見える。

 周りから弱いと罵られ。努力なんて無駄だって思われ。普通ならば必要のないことを強要され。意味がないなんて言葉で終わりそうな生き方をしている。

 そんな生き方を見るたびに、なんで? どうして? そういう言葉が常に喉まで出かかった。

 

 

「私たちにはどうにもできなかった。和友がそれを望んでいて、想っていて、願っていたから! そうすることを心から欲していたから! 和友が傷ついているのに、和友が頑張っているのに、私たちは待っていることしかできなかった。見ていることだけしかできなかった」

 

 

 何も言い出せなかった。止めることなんてできなかった。それを支えることもできなかった。

 どこかに向かおうとする少年の姿を見るたびに心がきしむ音を上げる。

 無意識に伸びた自分の手を見るたびに涙が出そうになる。

 この手は届かないのだと――諦めなければならない状況に悔しさがこみ上げる。

 どうして、私は苦しんでいる家族の支えに成れないのか。

 どうして、私は家族と同じ道を歩めないのか。

 少年の隣を歩く椛の姿を見ていると。

 正面で向かい合っている霊夢の姿を見ていると。

 自分と同じで少年の背中の後ろに隠れているなごみを見ていると。

 自分の力の無さに胸が張り裂けそうになった。

 

 

「なごみとも話したけど、私たちは待っているだけじゃ駄目なのよ。私たちは引きずられるだけの何かになっちゃいけないの! それは和友をもっと苦しめることになる。私たち自身が苦しむことになる!」

 

 

 いつだって無力感を味わってきた。

 いつだって何もできない自分が恥ずかしかった。

 いつだって見送るだけの自分が恨めしかった。

 

 

「和友は……本当なら誰よりも幸せになれたはずよ! 誰よりも普通に生きていけたはずなの! だって、和友にはやっぱりみんなと手を繋いで笑っている姿が似合っていると思うから!」

 

「……そうですね、和友さんはそれが一番似合っていると思います。誰かと手を繋いで、誰かと一緒に笑っている姿が誰よりも輝いて見える人ですから」

 

 

 能力がなかったら――そんな“もしも”のことに想像を馳せる。

 能力を持たない普通の少年は、どんな生活を送っただろうか。普通に生きることができただろうか。

 普通を求めるなんてそんなことをしなくてもよくなって。自由に物事を選べるようになって、周りと一緒に、時には一人で、自らの指針に従って――少年は、どうやって生きていただろうか。

 能力を持っていなかったらなんていうのはきっと、何よりも甘美な囁きに違いない。

 誰よりも上手く生きられはずのあるべき姿が容易に想像できる。

 誰よりも笑顔でいっぱいの顔が思い浮かぶ。

 何者にもあったはずの幸せを享受する少年が笑っている。

 

 

「でも、能力はなくなったりしない。能力は和友を選んだんだから。他でもない和友を選んだんだから。そういう意味では、能力にも見る目があったってことなのかな?」

 

「ふふ、面白い考えですね。ですが、そうなのかもしれません。能力も和友さんに惹かれた。上手くやっていけると思ったのでしょう、そう――私たちのように」

 

「たださ、そういう能力があるからって、幸せになれないかって言ったら違うと思うのよ。辛さの分だけ、苦しみの分だけ、楽しさや嬉しさがあってしかるべきだと思うの」

 

 

 苦しんだ者には、それ相応の対価を。

 努力にはそれ相応の見返りを。

 頑張ったら褒めてもらって。

 悪さをしたら怒られる。

 苦労をした分だけ報われる。

 希は、そんななんてことはない普通のことを求めていた。そういう普通を求めていた。不公平なく、不条理のない世界を求めていた。

 椛は、そこまで話した希に対して唐突に心配そうな声音で問いかけた。

 

 

「……希さん、何かあったのですか?」

 

「え、別に何もないよ? どうして?」

 

「だって、涙が」

 

「嘘……」

 

 

 そっと手を頬に当てると指先が濡れた。

 どうして涙が流れているのだろうか。

 故意に流したつもりはなかった。感情が昂っていたとはいえ、流れる予兆は一切感じなかった。

 前を向いてみれば、心配そうに見つめる二人の瞳が向けられている。椛となごみが不安を抱えた色を見せている。

 二人の目に映る自分の表情が歪んでいる。それは怒りにも似ていて、憎悪にも似ていて、悲しみにも似ていて――複雑な感情が息巻いているのが二人を通して見えた。

 心の底から拒否の感情が湧き上がる。嫌だ、気持ち悪い、吐き気にも似た想いが顔をのぞかせてきた。

 希は、慌てて涙を拭きとると声を荒げた。

 

 

「止めてよ。そんな目で見ないで」

 

「希さん、本当に大丈夫ですか? 何か変ですよ、辛いのなら休んだ方が」

 

「止めてって言っているでしょ!? それ以上私に対して心配事を口にするようなら怒るよ!?」

 

 

 いつもより声を張り上げて、まるでこれ以上踏み込むなと言うように希の手が前に差し出される。

 ――こんなつもりじゃなかったのに。

 ――こんなことを思い出すつもりなんてなかったのに。

 ――二人に八つ当たりをしても意味がないのに。

 希の中の感情は激しく唸っていた。思い出したくもない過去が脳裏にちらついて離れない。今まで何のこともなく生活してきたのに、急に出張ってくる記憶を抑え込む。

 椛となごみは、普段と明らかに様子の違う希にお互いに目配せすると口を閉じた。

 

 

「「…………」」

 

「私なら大丈夫だから!! 話を戻すよ!!」

 

 

 希が一言で無理やり空気を引き戻す。僅かに淀んだ雰囲気が空間を漂っている。希の表情が複雑な色を彩っている。

 希は、やり場のない思いを抱えながら話を戻しにかかった。心を乱す原因になった少年のことを再び語り始めた。

 

 

「能力があったとしても、当たり前にあるはずの幸せが享受できないなんてことはないのよ。幸せっていうのは、みんなで作ることができるんだから!」

 

 

 能力があったとしても、なかったとしても、そんなもの関係ない。

 障害があったとしても、なかったとしても、そんなもの関係ない。

 人間であったとしても、妖怪であったとしても、そんなもの関係ない。

 そんなどうでもいいことは、幸せになれるかどうかに関係がない。

 正確に言えば、幸せには直結しない。

 幸せというのは、そんな単純なものではないから。

 幸せは、一つだけでは作ることができないものなのだから。

 幸せは――曖昧さでできているのだから。

 

 

「逆に言えば、幸せはみんながいないと作り出すことができないものよ! どれだけの努力をしても、願いを持っても、どれほどの苦労をしても、自分一人だけでは作り出すことのできないものなのよ!」

 

 

 頑張れば、努力すれば、幸せになれるなんて嘘だ。

 求めれば、願えば、幸せになれるなんてありえない。

 苦労すれば、対価を払えば、幸せになれるなんて保証はない。

 希はよく分かっていた、幸せについての持論があった。

 幸せは曖昧なもので、人によって見方が違っていて、定義の異なる、そんなふんわりしているモノなのだ。

 ただ一つはっきりと言えるのは、幸せというのは一人では作れないということである。幸せを感じる時、そこには必ず誰かの力が介在する。生き物の力が必ず存在する。特に人間がここまで急増した現代では、幸せを得るために人間と関わることが避けられなくなっている。例えば、火星で生まれた人間がいたとして、どんな時に幸せを感じることだろうか。想像することは難しい。

 何かを見たとき、何かを受けたとき、何かを成したとき、その時誰の存在も周りにいないということがあるだろうか。好きな映画を見ているとき幸せを感じる――その映画は誰かが作ったものだ。本だって、建物だって、お金だって、心だって、いつだってそこには誰かが存在している。幸せとは、自分が持っていないものを手に入れて満たされたときに感じるもの。心に足りない部分を埋めたときに感じるもの。

 一生懸命頑張れば与えられるものでもなければ、満たされるものではない。ある人によっては幸せになるための一つの必要条件になっているかもしれないが、それ一つで完了する十分条件にはなっていない。

 幸せとは、形のない心という曖昧なものを持った人間だからこそ望む、ふんわりした実像のない確固たる想いなのである。

 希は、持ち合わせた論理と言葉をもって訴えかけた。

 

 

「だから私たちが動かなきゃ! 私たちが和友を幸せにしてあげなくちゃ! 他でもない家族の私たちが和友を幸せにしてあげなくちゃいけないと思うのよ!」

 

 

 希が少年を幸せにしてあげなければと使命感にも似た感情を抱いたのは、少年の見た目以上に大きな背中に無数の傷があるのが見えてからである。今まで誰かを、何かを守るために頑張ってきた背中を見てからだ。

 話していれば分かる。

 周りの反応を見ていれば分かる。

 少年は――誰よりも頑張ってきた。誰よりも努力してきた。傷ついた背中が物語っている。作った笑顔に刻まれている。

 

 

「私達は和友に助けてもらったから。近くにいるのが私達だから」

 

 

 一緒に過ごすうちに、そこにいることが当たり前になった。

 時を共有することが多くなるほど、存在感はむしろ大きくなった。

 傷つくことも多くて、損をすることも多くて、それでも前を向いて歩く少年の姿を支えていかなければと思った。

 

 

「私たちは家族なんだから。困っていたら手を出してあげる。背中を押してあげる。手を繋いであげる。それが私たちがやらなきゃいけないこと。椛だってそう思うでしょ?」

 

「それはそうですけど……」

 

 

 椛には、希の言いたいことが深く理解できた。少年の近くを歩いてきたからこそ、見てきた景色が同じだからこそ、想いが共有できた。

 だが、紅魔館に行くことと少年を幸せにすることは直接結びつく言葉ではない。椛は素直に疑問を打ち明けた。

 

 

「なんでまた紅魔館に? 和友さんを幸せにすることとそれとは関係ないのではないですか?」

 

「和友が借りていた本の中に魔法の使い方が書いてある本があって、ちょっと覗いてみたんだけど……やってみたらなごみができるみたいなのよ。できるって言ってもなんか効果がありそう程度のものなんだけど……」

 

「なごみさんに魔法の素養があると」

 

「そう、だからこの本を貸してくれたパチュリーって人のところに話を聞きに行きたいなって……それに、付箋がついている内容についても聞きたいし……」

 

「付箋ですか?」

 

 

 希は少年がいつも使っていた机に置いてある本を取ると、それを椛に見せつける様に示した。

 貼られている付箋ともいうべき、紙の切れ端は全部で5つ付いている。唯一その全貌を把握できる本の正面に貼られた付箋には、「紅魔館でパチュリーさんに借りた本、汚さないように」と注意書きが残されている。

 見えない方の4つの付箋は本の間に挟まれ、本来の役目を担っているようだった。

 

 

「和友が貼ったんだろうけど、本に付箋があってさ。この挟んでいるところの内容で何をするつもりなのか、そのパチュリーって人に聞けば分からないかなーと思って」

 

「はぁ……それは和友さん本人に直接聞いたらいいのではないですか? その方が手っ取り早いでしょう?」

 

「私はそうしたらいいんじゃないかって思ったんだけど、なごみが」

 

 

 希と椛の視線がなごみに流れる。

 希は、耳が聞こえないなごみに手話で情報を伝達した。

 なごみは何度か首を縦に振ると、持っているノートに勢いよくペンを走らせて白の上に黒を縫った。

 そこに書かれた文字は、椛の思考の足を止めた。

 

 

(教えてくれればいいけど、教えてくれなかった場合が怖いから)

 

「どういうことです?」

 

 

 なごみは、椛の疑問の解消されていない満たされない表情を見るや否や、すぐさま再びノートに想いを書き込んだ。

 

 

(教えてくれなかったら、きっと私たちから隠そうとすると思う。本ごと返されてしまったら私たちにはどうにもできなくなる)

 

 

 なごみは、少年に聞いてそれを拒否された場合のことを危惧していた。もしも、この本に挟んである付箋の場所の内容が少年には話せないことで隠されてしまったら――ここにいる全員が踏み込めなくなる。誰かのために言わないという選択をする少年の口を割ることができなくなるからである。

 

 

「確かに……言いたくないと言われてしまえば、私たちはどうにも強く出られませんし、軋轢を生まずに聞き出す術もありません。何より和友さんが何かを隠そうとしている時って、大体私たちのためですからね」

 

「そういうこと、でもそれだけじゃないのよ。なごみ、言ってやりなさい」

 

(私たちで和友を守ってあげたい。和友の背中を支えてあげたい。魔法でもなんでも使えるようになりたい)

 

「そうそう、もしもこの本の中で使える魔法があるんだったら私たちもできるようになりたいと思って。使えないよりは使える方が絶対にいいわ。私たちが私たちを守るために、家族を守るために力は多い方がいい」

 

 

 そういうことか――椛は希となごみの意見に同意を示すように大きく一度頷くと、もう一つだけ質問を投げかけた。

 

 

「ちなみにどこに付箋が貼ってあったのですか?」

 

「何だったかな、ちょっと見てみるね」

 

 

 希がそう言った瞬間――なごみが目の前で広がる空気感だけで状況を把握し、すぐさま希に向かって手話を飛ばした。そして、次いでノートにも情報を書き込み、二人に示して見せた。

 

 

(付与、強化、拡散、連結)

 

「なごみ、ありがとう。付与、強化、拡散、連結、その四つだったね」

 

「付与、強化、拡散、連結……」

 

 

 椛の口から小さな声が漏れる。

 付与、強化、拡散、連結。それだけ聞いても何をしようとしているのかイメージできない。そもそも、この魔法というものでどこまでのことができるのかが把握できなければ、規模感がまるで想像できない。イメージしやすい強化に関しても、何に対して有効なのか、どこまで強化できるのか、概念的なものにまで影響を及ぼせるのか何一つ断定できない。何に対してどの程度のことができるのか――必要な情報はもっと深いところにあった。

 

 

「……やはり私には分かりませんね。魔法でどんなことができるのかも分かりませんし、確かにその道の人に聞いてみた方がいいかもしれません」

 

「でしょ? だから紅魔館に行って聞いて来ようと思って」

 

「ですが、二人で行くのは危険ですよ。妖怪が出るかもしれませんし、ようやく飛べるようになった二人だけでどうやって紅魔館にたどり着くつもりですか?」

 

 

 希となごみは、修行のかいもあって飛べるところまで成長していた。飛べるなんて言っているが、現実には地上をジョギングするような速度しか出ないうえに、距離もそこまで長くはもたない。紅魔館まで行くにしても途中で休憩が必要になるだろう。

 その程度の力しか持っていない二人が紅魔館に向かう――それはまさしく無謀に感じられる挑戦だった。

 だが、無謀だと告げられた希の顔は信じられないと言わんばかりにきょとんとしていた。

 

 

「何言っているの? 椛は私たちをここで見送るつもりだったの? 冗談でしょ?」

 

「……ああ、私も行くのですね」

 

「もちろんよ! 何を自分は関係ないみたいな顔しているのよ。なごみもなんか言ってやって!」

 

(椛も家族だから。私たちと家族だから。和友と家族だから)

 

「困ったら手を差し伸べる、背中を押してあげる、手を繋いであげる、ですか――本当に世話のかかる家族ですね」

 

 

 世話がかかる、そう愚痴を漏らしながらも、椛の顔には満面の笑みが浮かんでいた。

 

 

「ですが、それが家族ってものですよね。それが居場所ってやつですよね。貴方たち2人と出会ったから。和友さんと出会ったから気付きました。きっと私が心から求めていたもの、幸せっていうのはきっとこういう居場所だったんだって」

 

 

 自分が求めていたモノ。自分が求めていた居場所。それが何なのか、どんなものなのか。椛はこの時、はっきりと意識した。

 誰かのために自分がいて。自分のために誰かがいて。

 お互いが手を繋いで、お互いのために、自分のために、何も考えることなく行動できる関係が自分の存在を繋いでくれる。自分に得があるからなんて損得勘定じゃなくて、困っているから助けるんだって思えるような関係をもった居場所。そんなものが欲しくて、そんな居場所が欲しかったんだと――椛は少年と希となごみと霊夢がいるこの場所で、妖怪の山では一生手に入れることができないであろう居場所の大切さを心に刻んだ。

 

 

 

 

 各々が紅魔館へ行くための準備に入った。持っていくべきもの、必要になるもの、そんなものは少年が借りている本以外にありはしないが、最低限の身だしなみを整えて神社の鳥居から向かうべき方角へと目を向ける。

 せーのっ! そういう言葉が聞こえてくるぐらい希の目が合図を送っている。タイミングを見計らって同時に息を吸う。三者三様に揃えられた両足は、ゆっくりと宙に浮き、目的地に向かって飛んだ。

 道中に現れる妖精の数は少年と飛んでいる時と比較すると雲泥の差で、ほとんど襲われることはなかった。飛ぶ速度は少年より遅いもののストレスを感じるレベルではない。ゆっくり、のんびり、3人の家族は談笑しながら目的地である紅魔館を目指した。

 時折休憩を挟みながら、なごみが気を利かせて持ってきたおにぎりを食べながら、着実に進んだ。そして、1時間が経とうというところで――紅魔館へとたどり着いた。

 

 

(あの赤い建物が紅魔館かな?)

 

「そうですよ、あれが紅魔館です。私も中までは入ったことないんですけどね」

 

「噂には聞いていたけど本当に真っ赤なんだねー」

 

 

 地に足を付け、赤く染まった建物へと歩みを進める。

 徐々に存在感を増していく赤さがこちらを威圧しているように感じる。

 

 

「…………」

 

 

 椛は、無意識のうちに足取りが重くなっているのに気付いていた。

 この先には彼女がいる。心を打ち砕いた、自分を打倒した存在がいる。もしも同じように戦うことになるのであれば、今度は――。

 そういう想いが重みとなって足取りが鈍くなっている。だが、その分だけあの時とは違う想いが乗った瞳が、表情が確固たる色を見せていた。

 門がもうすぐ目の前というところに差し掛かる。すると、唐突に声が響いた。

 

 

「お久しぶりですね。一瞬見違えましたよ。顔つきが変わりましたね。雰囲気も少しだけ凛としているように感じますが、何かありましたか?」

 

 

 紅魔館の門の前には、やはりと言うべきか美鈴がいた。仁王立ちしている姿は、まるで誰かが来るのを分かっていたかのようである。

 椛は美鈴の正面まで近づくと凛とした雰囲気を纏いながら口を開いた。

 

 

「何もありませんでしたし、特に変わっていませんよ。私は私のままです。あの時の私も私、今の私も私です。そこは変わったりしませんよ」

 

「まぁ、貴方がそういうのならそういうことにしておきましょうか」

 

 

 美鈴は、椛の回答を聞いてなんとも納得できていない様子だったがすぐさま来客に向ける作られた笑顔を張り付けた。

 

 

「では、今日はどんなご用件でいらっしゃったのですか? まさかあの時のリベンジですか?」

 

「いえ、今日はこちらの本をお借りした方にお目通りしたく参りました。和友さんが持っていた本ですと、そのようにお伝えしていただければ分かってもらえるかと思います。事前に申し込んでいるわけではないのですが大丈夫でしょうか?」

 

「ああ、パチュリー様に用事ですか。ちょっと聞いてきますのでここでお待ちください。勝手に入らないでくださいね」

 

 

 美鈴の姿が紅魔館の中へと消えていく。

 椛は美鈴の後ろ姿を見送ると大きくため息を吐いた。

 

 

「はぁ……」

 

 

 溜まった緊張感が拡散していく。募った不安が一気に霧散する。

 昔何かあったのだろうか――二人の事情を知らない希は、そんな椛を見て声をかけた。

 

 

「何? 今のかっこいい人と知り合いなの? お互い知っている雰囲気だったけど」

 

「ええ、以前ちょっとありまして……まだちょっと苦手意識はありますが、彼女には私に足りないものを教えてもらった恩があります。恩人と言えば恩人ですかね。やり方はあれでしたが……」

 

 

 椛は、心の中にある複雑な感情を吐露する。

 苦手意識を持ったのは、きっと自分を全否定されるような言葉を告げられたから。自分の存在そのものを否定するような行為をされたから。

 思い出せば苛立ちを感じる。憤りを感じる。

 でも、振り返ればそれが必要だったと思うのも事実だった。

 

 

「彼女に打ちのめされなかったら、きっと私はいまだに和友さんに縋っているだけの存在になっていたことでしょう……それを想えば感謝しなきゃいけないのでしょうね」

 

 

 そう言った椛の心の内は複雑だった。果たしてあんな目に会う必要があったのかと言われれば、要らないと思う。あそこまでされるいわれはなかったはずである。もっと上手いやり方があったのではないかと思う気持ちはどうしても捨て去れなかった。

 ぼこぼこにされて、暴力的なやり方で矯正された。

 だけど――悪いのは自分だから。

 だけど――それで変われたのは事実だから。

 だけど――それが今の自分を作っているから。

 嫌がっている、不当だと言っている心を飲み込みながらも、椛はそうあったことに感謝をしていた。

 希は、そんな複雑な気持ちで感謝を述べる椛に尊敬の念を抱いた。

 

 

「椛ってすごいね……改めて思ったよ。最初はうじうじしているだけの根暗な奴だと思っていたけど、ここ最近の椛は本当にかっこよく見える」

 

「なんだかサラッと悪口を言われた気がしますが、気にしないでおきます」

 

「うん、気にしないで」

 

「なんだか、そう笑顔で言われると釈然としませんね」

 

「今気にしないって言ったばっかりじゃん」

 

「…………」

 

「何よ、急に押し黙っちゃって」

 

 

 椛は、希の返しを聞いて空を見上げた。心に残るなんとも言えない感情を抱えながら晴れ渡った空のさらに奥を眺めた。

 

 

「……ふふ、皆さんと一緒にここに来てよかったです」

 

「急にどうしたの?」

 

「私がどう思っているのか、何を想っているのか。かつて壁として対峙した彼女と会うことで、希さんとなごみさんと共にいることで、自分自身を見つめることができました」

 

 

 心が温かくなる。

 過去を乗り越えたからだろうか。

 変わる自分を受け入れたからだろうか。

 変わらないものを持ったからだろうか。

 譲れない想いを抱えたからだろうか。

 こうして言い合っていても。

 こうして憎らしく思っても。

 やっぱり、そこには感謝の気持ちがあった。

 相手に対する――ありがとうの想いがあった。

 

 

「今の私を作ったのは彼女もそうですし、和友さんもそうですが――希さん、貴方もですよ。私が変わる最後の壁を砕いてくれたのは、間違いなく希さんです。あそこまで人間に啖呵を切られたのは初めてでした。希さんには、本当に感謝しています」

 

 

 あの時、崖の上でさまよっていた私を深い暗闇に突き落としたのが――紅魔館の彼女。

 あの時、落ちていた私を拾い上げてくれたのは――和友さん。

 でも、きっと苦しんでいる私を見つけてくれたのは、暗闇の中で私を見つけてくれたのは――希さんだったから。

 椛は、込めるだけのありったけの精一杯の感謝を込めて言葉を送った。

 素直な想いを言葉にして伝えた希の視線は左右に揺れ、唇は震えていた。顔が赤く紅潮しているのが恥ずかしさを物語っていた。

 

 

「希さんって、照れ屋なんですね。そういう初心なところをもっと出していけば可愛げも出てくると思いますよ?」

 

「う、うるさい! 椛が普段と違うこと言うからじゃない! それに、初心なわけじゃなくて慣れないことをしてくる椛が悪いのよ」

 

「いえいえ、あの反応は初心なだけです。感謝されていることに慣れていない雰囲気がかなり出ていますよ。視線が泳いでいましたし、顔も赤いですし、耐性がないのでしょう?」

 

「うっ……」

 

「図星ですか、希さんはすぐに顔や態度に出るので分かりやすいですね。気を付けていないとみんなから弄られちゃいそうですね。特に私とかから」

 

「ぐぬぬ……そんなことしたらやり返すからね!」

 

 

 二人のやり取りにくすくすと笑いをこらえている声が漏れている。

 希と椛はすぐさま音が漏れているところに視線を向けた。

 

 

「なごみも意味が分かっていないのに笑うんじゃない!」

 

 

 希は、顔を赤くしたままなごみの肩を掴む。

 なごみは相変わらず笑いをこらえているようで、その口からはわずかに音が漏れていた。声が聞こえていないから何を話していたかは分からないはずだが、表情や仕草から読み取ったのであろう。なごみは希に迫られても、口元抑えて笑っている。

 椛は、初めて聞くのぞみの声音に不思議な感覚に陥りながらも、二人の微笑ましい姿を見て変わらない青空を再び見上げた。

 そんなやり取りをし始めて1分も経たず――美鈴が紅魔館の中から戻ってくる。その顔を見る限り、入ることに対して問題があるような様子は見受けられなかった。そして案の定、美鈴の口からは紅魔館にいるパチュリーへの面会の許可が取れた旨が伝えられた。

 

 

「パチュリー様からの許可が取れました。どうぞ、中にお入りください」

 

「はい、では入らせてもらいますね」

 

「お邪魔します」

 

(お邪魔します)

 

 

 椛、希、なごみと一言言葉を残し、開かれた門を通って紅魔館へと向かっていく。これからのために、前へと進む。

 ちょうど3メートルほど椛が進んだところだろうか、美鈴から唐突に呼び止められた。

 

 

「椛さん」

 

 

 椛だけでなく、希となごみの足も止まる。振り返った3人の瞳は、まっすぐ美鈴を貫いた。美鈴はその中でも椛に視線を合わせて優しく告げる。

 

 

「覚悟を決めたのですね」

 

「いえ、覚悟なんてたいそうなものをしたつもりはないですよ。私はただ、手を繋ごうと思っただけです。想いを結ぼうとしただけですから」

 

「……そうですか、それは失礼しました。どうぞ、ごゆっくり」

 

 

 美鈴は、深々と頭を下げて完全にお客様となった三人を見送った。そして、玄関の扉が閉まる音がしてから顔を上げた。

 視線の先にはもう誰もいない。自分以外誰もいないただっ広い空間に取り残されたような錯覚に陥る。

 美鈴は、僅かに視線を持ち上げると悲し気な表情を浮かべた。

 

 

「和友さんの近くにいる人は皆、高く飛びますね……嵐の中を一度ひれ伏し、それでもなお空を見上げることができるからでしょうか?」

 

 

 美鈴には、椛を見て抱えた想いがあった。

 確実に変わって見せた、大きく飛んで見せたその後姿を見てある一つの想いが芽生えた。

 

 

「視線の先に見たい景色があると知っているから。大きく力をため込んだ足は、逆風の中でも誰よりも高い空へ……いえ、逆風だからこそ飛ぶことができる、そういうことですかね」

 

 

 大きく成長した椛には、可能性が示されている。

 変われるという可能性が提示されている。

 自分はこのままでいいのだろうか。

 今の状況に満足していた自分は、これでいいのだろうか。

 本当に――目指すべき終着点はここなのだろうか。

 私の、終わりはここでいいのだろうか。

 レミリアという主に従い、門番をやり続けることが自分という妖怪の最後なのだろうか。

 

 

「私は、このまま門番をしているだけでいいのでしょうか?」

 

 

 時の流れと共に、家族と共に変わる者。

 時の流れに取り残されて、今を繋ぎ止めている者。

 二人の間――走り始めた想いが境界線を引いていた。

 




今回は、希の幸せの価値観、希となごみの決意、椛の求めていたモノ、感謝の想いの在りどころを書かせていただきました。
幸せって曖昧なもの。
家族のために強くなりたいと願うこと。
自分が求めていた居場所。
変えてくれた相手に対する感謝の念。
そして、変化していく(成長していく)者を見て、自分の立っている場所を見返すこと。
自分の大切なものを理解して、愛しく思うこと――それはきっと曖昧な幸せってやつを手に入れるための一つの手段になると思っています。
これからもこの作品をよろしくお願いいたします。

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