ぶれない台風と共に歩く   作:テフロン

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全6話編成の第9章の6話目、最終話です。
9章は、妖々夢のお話になります。


伸ばされた手、掴み取った手

 僕たちの家族が目の前にいる。

 九本の煌びやかな金色の毛をたなびかせて悠然とそこにいる。

 よく見知った姿に心がはじけながら叫んでいる。

 想い焦がれた存在に心臓が鼓動し、高鳴っている。

 僕は、何のためにここにいるのか。

 何のためにここに来たのか。

 何のためにこれまで生きてきたのか。

 何のためにこれから死ぬのか。

 今なら胸を張って言える。

 何のために――きっとそれは目の前の存在のため。

 僕と僕の大切な人の――今からのため。

 

 

「特に何もしていないよ。理由があるとすれば、藍と会うためかな」

 

 

 本心からの気持ちを伝える。

 僕は間違いなくここで藍に会うためにここにいる。藍と会って話をして、再び歩き出すためにここにいた。

 

 

「そう、藍と会うために今ここにいる」

 

「わ、私と会うためか?」

 

 

 素直な気持ちを告げると藍の顔が朱に染まった。好意的な言葉を貰うと恥ずかしくて顔を赤くする性格は変わっていないみたいで視線が僅かに泳いでいる。

 相変わらず、まっすぐに伝えられる好意に弱い。昔の藍のままである。そんな藍に少しだけ不安になる。何も変わっていないのかと不安になった。

 だけど、そこから口にした言葉は確かに昔の藍と違うということを示していた。

 

 

「和友から会いたいと言われるのは私としてもやぶさかではないが……すまないな。今は紫様の命令でこの先にいる西行寺殿に話をしなければならないのだ」

 

「今からじゃ駄目かな? そんなに時間をかけないから。今、僕の相手をしてくれればすぐに終わるよ」

 

「そう急かすな。和友と話したいのは私も同じだ。だが、紫様の命令をおろそかにはできないのでな」

 

 

 藍の用事は、どうやらこの階段の先にあるらしい。西行寺殿というのが誰なのかは分からないが、おそらく紫が仕向けたことなのだろう。この階段は一本道であり、他に道はない。藍をここによこせば、間違いなく僕たちと鉢合わせになる。

 必ず――出会うことになる。

 そして、こうして藍と話していると記憶を消したことによる優先順位の変化が見て取れた。昔のままの藍だったらきっと僕のお願いを聞いたことだろう。紫に頼まれたことよりも、僕のわがままを優先したことだろう。

 だが、今の藍は僕のお願いを後回しにして、紫の命令を優先させている。

 そう、これでいい。

 これが正しい形。

 この形が――僕が求めていたもの。

 そして、ここから先が――僕の求めるもの。

 

 

「そうだ、用事が済んだその後に夢の続きをしようではないか。それでいいだろう? 時間はたっぷりある。だから今はここを通してもらえないか?」

 

「ここから先には行かせないよ」

 

「和友は強情だな」

 

 

 ここを通してしまえば戦いにならない。僕たちの想いをぶつけられない。

 対決する姿勢を崩さないように、藍が逃げないようにできるだけ強く、鋭く、藍の瞳を見つめる。心の奥底で現状に満足する自分を覆い隠すために藍の瞳を射抜く。

 だが、僕の鋭い視線に対して藍から返ってきたのは慈愛に満ちた優しい視線だけだった。

 

 

「なあに、数分だ。それまで待っていてくれ。私も楽しみに待っているからな。必ず戻る――私を信じてくれ」

 

 

 頭にポンと手を置かれて優しく諭さされる。

 余裕のある顔で、おおらかな雰囲気で、優しい空気に包まれる。

 

 

「それではまたな、和友。また、だ」

 

「あ……」

 

 

 また――夢の中で言った言葉が反復される。

 心に余裕のある藍の久々な手の温かさにどうしても強く言い出せなくなる。口が閉ざされて開こうとしない。喉まで出かかっているのに、それを飲み込んでしまう。

 言わなきゃいけないのに――これでいいと思ってしまっている。

 なんで? どうして?

 なんて僕は弱いのだろうか。

 なんでこうも揺さぶられるのだろうか。

 普段なら不動でいられた心が泣き叫んでいるのが聞こえる。歓喜の感情でグラグラと揺れているのが分かる。

 これが本来の形だった。本当ならこういう距離感でずっといられると思っていた。

 望んでいた関係性に込み上げてくるものが邪魔をして声が出せなくなる。せりあがってくる想いに口が震えて何も出てこなくなる。

 

 

「和友……」

 

 

 橙は、何も言わなくなった僕を心配そうな顔で見つめていた。

 藍は僕の頭から手を放すと優しく微笑み、すぐ横を通過しようとする。藍の姿がスローモーションで真横を通り過ぎる。

 行かないでと思っているのに、手が伸びようとしない。

 目の前の現実に対する歓喜が時間の流れを引き留めようとしない。

 手を伸ばさなければならないのに。

 未来を掴みにいかなければならないのに。

 それが分かっているのに。

 手が伸びようとしない。

 未来が逃げていく。

 大切なものが通り過ぎていく。

 それを見てもなお――奥底にある気持ちが重くのしかかり、足は止まったまま動かなかった。

 

 

(動けよ、動いてくれよ……)

 

 

 手が伸びない。

 体が動かない。

 一歩が踏み出せない。

 視線が下がる。

 動かない足元を見る。

 

 

(どうして動こうとしないの? どうして、僕はここで立ち止まっているの……?)

 

 

 今まで止まったことのない足が止まっている。

 能力に立ち向かい始めてから一度も止まることのなかった歩みが止まっている。

 そんな止まった足を見ていると涙が出そうになった。

 理由もなく、どうしてか目元が熱くなった。

 瞳が潤んで視界がぼやけた。

 

 

(誰か、誰か……)

 

 

 足が動かない理由なんて分かっている。

 踏み出せないわけは、僕が一番よく知っていた。

 

 

(誰か僕の背中を押してくれ。これでいいと満足する僕を突き動かしてくれっ……)

 

 

 苦労が報われたという感覚が全身から力を抜いていく。

 膝が折れそうになる。

 徐々に体を支えていられなくなる。

 心が前を向こうとする気持ちが現状の満足に気圧される。

 明日でもいいじゃないか。

 今度でもいいじゃないか。

 今日はここまでできたのだから。

 家族から記憶を消す。

 そこまでした結果がしっかりと目の前に出ていることに安堵してしまっている。

 これまで未来を求めて歩みを止めなかった足が――止まってしまっていた。

 

 

「ここから先には行かせません!」

 

 

 橙の声に曲がった首が上を向く。

 橙は、動けない僕の代わりに必死の形相で両手を広げていた。

 

 

「橙もどうしたのだ? 私は急いでいるのだが……」

 

「私からも藍様にしなければならない話があります!」

 

「二人は知り合いだったのか?」

 

「はい、ずっと前から。1年以上前から――ずっと前から和友は私たちにとって大切な人です!」

 

 

 藍の眉間にしわが寄る。

 橙の言葉の意味が分からないのだろう。ここ2年間分の僕に対する記憶が曖昧になっている藍にとって、橙と僕の関係について理解できる余地はない。

 橙と会った時のことも。

 僕が橙を藍に送ったことも。

 僕と橙と藍の3人で共に過ごしたことも。

 そこに僕がいなくなったから、不自然な記憶だけが残っている。

 藍は思い出せない記憶に若干の苛立ちを感じながら、道をふさぐ橙に対して強く出た。

 

 

「……気になることは山ほどあるが、今は紫様の命令を優先させてもらう。そこをどくのだ!」

 

「嫌です!! 和友も何か言いなよ!? 和友はずっと待っていたんでしょ!? この時を待っていたんでしょ!?」

 

 

 力強く呼ばれる自分の名前にハッとする。

 橙の存在が諦めかけた僕の背中を強く叩く。

 共に歩いている家族からの言葉が背中を押している。

 

 

「私たちには今しかないんだよ! 今しかないの!」

 

 

 そうだ、僕たちはずっと待っていたのだ。

 この時が来るのを、全てを始めるこの時が訪れるのを。

 再び歩き出せる日を心から待ち望んできた。

 橙は藍の傍で。

 僕は藍から遠い場所で。

 「みんなで」という気持ちを持って。

 

 

「未来を待っているだけじゃ欲しい現実は手に入らない。手を伸ばすんだよ! ねぇ! 和友!!」

 

 

 大声で叫ぶ橙の顔は今にも泣きそうで、表情が悲痛な想いを訴えていた。まだ見ぬ未来に希望を持つのは止めろと。今を掴み取らなきゃ何も残らないのだと伝えていた。

 

 

(橙の言う通りだ。僕は何をしているんだ!)

 

 

 あまりにも優しい現実に、未来まで優しくなった気になってしまったのだろうか。

 苦労や努力が実った現状に、終わりまで上手くいくと錯覚してしまったのだろうか。

 いつだって望む未来は逃げていくというのに。

 いつだって手を伸ばさなければ届かないというのに。

 今なら分かる――背中を押してくれている橙の手が未来を見せてくれている。

 さぁ――掴むんだ、自分の手で。

 右手を伸ばし、藍の袖を掴み取る。

 もう視界は歪まない。涙ははるか昔に置き忘れたように、瞳が静かに燃える。

 僕はそっと藍を見上げる形で口を開いた。

 

 

「ごめん、藍。やっぱりここは通さないよ。どうしても通りたいっていうのなら僕たちと弾幕ごっこで勝負だ」

 

「本気で言っているのか? 一瞬で終わるぞ? それに僕たちではないだろう? 弾幕ごっこをするにしてもこちらが2で和友が1だ」

 

「いえ、私は和友に付きます。藍様、よろしくお願いします!」

 

「余りふざけるな。式神契約があるうちは私の命令には逆らえない。橙は私と共に戦うのだ」

 

 

 藍はいつか―――紫が言った言葉と同じようなことを言っている。式神契約とは、主従関係の象徴である。式神となった者は、主には逆らえないようにできている。主の方からエネルギーを依存しているため、行動を制限されているのだ。

 だけど、そんなものは僕にとって関係がなかった。境界を曖昧にする僕の能力は、契約や繋がりを主体とする力を打ち消すことができる。結界のように力で結ばれた境界線や式神契約等の決まり事で結ばれた関係性を曖昧にすることができる。

 そう――かつて藍と共に紫と戦った時のように、僕の力が二人の繋がりを曖昧にすることができる。

 

 

「だったら解除するまでだね」

 

「……和友、何をしようとしているのか分かっているのか? さすがの私も怒るぞ?」

 

 

 僕の言葉で鋭くなった藍の視線から逃げることはない。怒りに染まった表情を見ても退かない。

 なぜならば――前に進むと、手を伸ばすと、掴み取ると決めたのだから。

 橙と共に、望む未来を手に入れるって。

 橙と共に、藍と向き合うって。

 橙と共に――戦うって。

 藍と正面を向き合うって――心が踏み出しているのだから。

 

 

「いくよ、橙」

 

「いつでもいいよ。和友と一緒ならどこまでだっていける。この姿を保っていられなくても、黒猫に戻っても、どんな姿でも生きていける」

 

「ありがとう。僕も橙と一緒ならどこまでだって駆けていけるよ。地の果てだって、未来だってね」

 

 

 橙に触れて力を行使する。藍と橙の間にある式神契約を曖昧にする。境界を曖昧にする程度の能力を振るうと橙と藍の式神契約が解かれた。数秒もかからない、瞬きするような時間で二人の関係性が変化した。

 

 

「うっ……」

 

 

 橙の口から呻き声が漏れる。藍との契約が断ち切られた橙の体から勢いよく若干の青みを纏った藍の妖力が抜けていく。藍と契約を結ぶことで得ていた分の力が失われていく。

 最終的に残ったのは、残りかすと表現すべきほどに減衰した妖力のみである。数秒の後に僕の霊力の総量と同じぐらい――コップ一杯分の力の残骸だけになった。

 

 

「心配いらないよ。私はどこまでも駆けるから。どこまでだって。行きたいところに行くんだから。黒猫だったあの頃と同じように。この足で和友と進んで見せるから」

 

「ああ、もちろんだよ」

 

 

 力の大部分を失った橙は、かろうじて人型を保っていた。黒猫の状態を強く拒否するように人間の姿を保持していた。本来であれば、力を失った瞬間に黒猫に戻るはずだったが、この2年間が橙を成長させている。生きてきた、積み立ててきたこれまでが橙の両足を強く地面に打ち立てていた。

 瞳に宿る意志はいささかも衰えていない。僕が灯している炎と同じ色が心に着色している。僕たちの心は同じところで、同じ方向を向いている――藍へと向かっている。

 燃える視線を受けた藍は、やる気を見せる僕と橙を見比べて大きく息を吐いた。

 

 

「ふぅ……どうやら紫様が言っていたことは本当だったようだな。初めに聞いたときは正直眉唾物だったが、こう目の前で現実となって立ちはだかると嘘だと疑っていた私が恥ずかしい」

 

「どういうこと?」

 

「嘘をついてすまない。紫様からの命令は西行寺殿と話をすることではない。お前たち、和友と橙の相手をするようにとの命令だ」

 

「紫が……」

 

 

 やってくれる――通り道で鉢合わせするようになんてものではない、紫は僕たちと戦わせるために藍を向かわせたようである。

 紫も僕たちを応援してくれているのだろう。こうなることを、こうなりたいと望んでいることを察していたのだろう。

 藍の主として。

 僕たちの家族として。

 これからの家族の形を思い描いている。

 僕たちは四人で八雲家。

 紫はここにはいないけれど、確かな存在感を放って今この場にいる。

 紫と藍と橙と僕――八雲家全員の心がこの場に集っていた。

 

 

「そんなことはあり得ないと疑っていた私は死んだ。私はもう逃げないぞ。全力でぶつかってやる。これが例え紫様に仕組まれたことだとしても、そこに紫様の意思があって、お前たち二人の想いがある。そして、何よりお前たち2人と戦いたいと思っている自分がいる。戦う理由など――それだけで十分だ」

 

 

 藍から妖力が解放され、風が吹き荒れる。

 視界を閉ざしても分かる、肌で理解できるような暴力的なまでの力量差。

 僕たちの力では到底及ばない。天と地がひっくり返っても、逆立ちしても勝てないことが分かる。

 だけど、不思議と無理だとは思わなかった。

 僕一人では無理だけど。

 橙一人では無理だけど。

 二人でなら乗り越えられる―――僕たちは、誰よりも僕たちを信じていた。

 

 

「さぁ、始めようではないか。私たちの勝負を」

 

「そうだね。やろうか! 僕たちの勝負を!」

 

「うん! 私たちの勝負を!」

 

 

 僕と左手と橙の右手が固く握られる。

 さぁ、信じよう。

 僕たちの想いを。

 僕たちの未来を。

 願いを込めて、祈りを捧げよう。

 

 

「僕たちのリベンジマッチを!」

「私たちのリベンジマッチを!」

 

 

 信じる心が神を作り出す。信仰という概念が神を創造する。少年がかつて紅魔館でフランや藍に行ったのは、そういうお願いをするという形での神の創出である。

 あの時と同様に信仰を橙に対して送り込む。願いを届け、想いを伝える。

 暫くすると信仰の力である神力が橙の体を包み込んだ。

 

 

「なんだ、それは……?」

 

 

 藍は自身の目を疑った。心臓からゆったりと広がる優しい白い光が橙の全身を巡る。確かな輝きを持った橙の瞳が藍を貫いている。

 そして、橙の体を巡っていた神力が繋いでいる手を媒介にして少年の方にも流れ出していた。

 

 

(温かい、信じる心が優しく体を包んでいる)

 

 

 ゆっくりと少年の全身を信仰の力が駆ける。橙と繋いでいた左手から――心臓がポンプの役割を果たし、血流が巡るように力が循環する。

 2人の体は、まるで一つの生き物であるように同期していく。自然の流れに任せて平衡状態を生み出す。最終的に少年の体にも橙の体にも同じ量、同じ色、同じ雰囲気の神力が包み込んだ。

 

 

「どこでそんな力を手に入れたのだ?」

 

「そんなことどうでもいいでしょう? だって、ここにいるのは紛れもなく僕たちなのだから」

 

「そうです、藍様。私たちはここにいるのですから」

 

 

 二人は、数メートルほど藍との距離を開くと、手を繋いだまま持ち合わせている神力を使って空中に無数の白い神力弾の弾幕を形成する。遠くから見れば、それはまるでおびただしいほどの星が輝いているように見える光景だった。

 空間に生成された神力弾は、縦横無尽にランダムに散らばるように弾ける。音もたてず、それでも存在感のある力が花火のように爆発した。

 

 

「勝たせてもらうよ! 今度は僕たち二人で!」

 

「私たち二人で藍様に勝ってみせます!」

 

「くっ! その程度では私は負けないぞ!」

 

 

 藍はすぐさまトップスピードに乗った。目の前の二人が形成した弾幕は所狭しと敷き詰められ、そのランダム性が場を乱している。

 余裕はない。油断すれば落とされる。

 藍は、高い緊張感の中で空を疾走した。

 

 

「一方的に攻められるのは私の趣味ではない。私からもいかせてもらう!」

 

「はい、一緒に遊びましょう。藍様!」

 

 

 全力での回避を行いながら弾幕を張る。ただでさえ空間におびただしいほどの神力弾がある中に妖力弾が席を譲れと言わんばかりに入り込む。

 藍が生成した妖力弾は、確かな方向性をもって橙と少年にめがけて発射された。

 

 

「ははっ、楽しくなってきたね。楽しくなってきた! ここからだ、ここから!」

 

 

 少年と橙は相変わらず手を繋いだまま藍の弾幕を躱す。体から放出されている白い光に強弱をつけながら空を舞う。笑顔を絶やさず、じゃれている子供のように回る。

 時折、手を引き。

 時折、押し出し。

 時折、平行線を作り出し。

 踊る、舞う。

 二人は呼吸のタイミングまで一致させて、一つの生物のように動いていた。

 

 

「藍は覚えているかな? 思い出せるかな? 見つけ出せるかな?」

 

 

 手を繋いだ少年と橙が、縦横無尽に飛び回る藍に接近する。藍のトップスピードを超える速度で弾幕の迷路を飛行する。

 手を繋いだ二人の動きは、物理法則を無視するような流線型の飛行軌跡を描いている。それは神力の衣が許した、人の願いが成し遂げた。

 

 

「……!?」

 

 

 弾幕を躱している藍の正面に突然少年と橙が現れる。

 藍は二人が目の前に現れるのを知覚するのと同時に手を握られたのを感じ取った。3人の手が繋がり、輪となって掌の温度が共有される。

 両手が暖かな温度に包まれている。

 藍は、どこか懐かしさを感じる温度に心臓が高鳴った。

 

 

「あっ……」

 

 

 手を繋いだ瞬間、一陣の風が全身を包み込み、世界が一気に広がりをみせる。

 心が叫んでいる。

 ――見つけて。

 ――探して。

 そう叫んでいる声が聞こえた。

 

 

「なんだ……?」

 

 

 藍が呟いたときにはもうすでに目の前に二人の姿はなかった。時間が一瞬にして飛んだように、いつの間にかいなくなっていた。

 藍は、不思議な感覚に戸惑いながらも迷いを振り払うように強く握りこぶしを作り、再び上空を駆ける。すると、数十メートル先でスペルカードを正面に構えた二人が視界に映った。

 

 

 序章「白い病室、1人と1匹、物語の始まり」

 

 

 二つの声が一つになる。スペルカードが宣言され、込められていた力が解放される。

 手を握った少年と橙はぐるぐるとその場で回り始め、スペルカードがその身に蓄えられた効果を発揮した。

 

 

「とてつもない力だな……このままでは押し切られるか」

 

 

 先ほどの通常弾幕よりもはるかに力強い発光が空間を我が物顔で支配している。

 少年の弾幕は直線状に壁を作り出し、世界を二つに別けるように数十メートルの高い壁が左右の境界線を引いている。真っすぐな弾幕を形成している。

 橙の弾幕は、少年のそれとは対照的にうねるようにして捻じれている。藍が飛んでいる範囲――上下10メートルをカバーするように縦列駐車の光の壁が蛇行している。

 加えて、二人の弾幕が衝突しているところだけ色が変化し、方向性が変わっていた。ある時は赤に、ある時は青に、七色の変化を描きながら空間を彩っている。

 

 

「こちらも宣言させてもらうぞ! スペルカード宣言 式神「仙狐思念」!」

 

 

 二人のスペルカードに対応するために藍もすかさずスペルカードを宣言する。

 これでお互いにスペルカードを使い、状況は五分五分になる。場にいる全員が攻撃と防御を同時に行う展開になる。

 そう思っていた藍だったが、状況は好転しなかった。

 

 

(和友と橙の力に私の妖力が押されている。衝突した妖力弾が打ち消されている――相性の問題か? これでは一方的に私が守りに入る展開になるな……)

 

 

 少年と橙が形成している弾幕に藍の弾幕が打ち消されたのである。

 二人の作っている弾幕は、動く壁と表現するのが最も適している。そこに向かって力を放っても、衝突した妖力弾が消えてしまう。それでは攻撃が一向に届かない。これではもはやスペルカードを宣言した意味がなかった。

 

 

(ここは躱すことに徹するべきか)

 

 

 藍はすぐさま攻撃を避けることに専念する。避ける以外の思考を排除し、機械にインプットされたプログラムを忠実にこなすように避けるという行動を具現化する。

 少年と橙の弾幕は、お互いの力が交わったところが抜け道になっている。藍は、二人の弾幕の性質をすぐさま見抜くと合間を縫うように空を駆けた。

 

 

(スペルカードの効果は永続ではない。必ず制限時間が存在する。それまで耐え忍ぶ! そこからが私の番だ!)

 

 

 スペルカードは込められた力を放出しきるとその効果を失う。それは主に1~2分程度で消耗するというのが通常である。

 橙と少年の弾幕もその例に漏れず、1分ちょっとの時間でその効果を失った。それと同時に藍の弾幕の独壇場となり、ようやく少年と橙に弾幕が届くようになった。

 だが、二人は藍の弾幕をすでに熟知しているように余裕のある顔で藍の弾幕を躱し始める。

 

 

「藍、過去を迎える準備はできたかな?」

 

「藍様、過去を背負う覚悟はできましたか?」

 

 

 少年と橙は、藍のスペルカードをものともせずに再び藍と接触する。またしても躱すことができず、距離を取ることもできずに伸びた手に掴まれる。

 再び3人の輪が出来上がる。

 不意に繋がれた手にまたしても藍の思考が停止する。

 同じように世界が一気に広がりを見せる。

 

 

「…………」

 

 

 遥か昔から知っているような声が響いている。

 何度も聞いたことのある声。

 何度も耳にした言葉。

 何度も感じた体温。

 

 

(探さなければ……)

 

 

 私の記憶。

 奥底に眠ってしまった思い出。

 思い出せなくなった大切な過去。

 心が探してと叫んでいる。

 煩いぐらいに泣き叫んでいる。

 見つけてと訴えている。

 必死に手を伸ばしている。

 泣きはらした顔で救いを求めている。

 探さないと――。

 あの時の私を探さないと――。

 迷子の私を――迎えに行かなければ。

 

 

(私が思い出せなくなった、私が抱えてきた想いを――見つけてあげなければ)

 

 

 そう思った瞬間、藍は我に返った。

 いつの間にか藍のスペルカードは効果を失い、空は静けさを取り戻していた。藍に繋がっていた手もすでに離されている。

 

 

(私は何を……?)

 

 

 藍は、度々襲われる心の衝動に疑問符を頭の中に抱えながら少年と橙に目を向ける。

 少年と橙は、藍の視線が戻ってくるのを確認すると数メートル先で2枚目のスペルカードを宣言した。

 

 

 一章「異色で異種、誰よりも近くにいた友達」

 

 

 少年と橙から2枚目のスペルカードが行使された。

 世界がまばゆい光を放ちながら線形変化を起こしていく。

 一発の白い弾丸が放たれ、花火のように円を描きながら無数の弾丸となって弾ける。そこに食いつくように第二派の七色の弾丸が空中に軌跡を描く。ぶつかった神力弾は、さらに弾けて増殖していく。世界は瞬く間に彩られた。

 藍はもはやそこに合わせるようにスペルカードを宣言することはない。スペルカードの応酬に付き合っても神力弾に妖力弾が消されているようでは宣言する意味がない。そして何よりも、自分の心が二人に勝つことよりも別のものを欲しているからだった。

 

 

(私は、何を忘れているだろうか……?)

 

 

 思い出せ。思い出せ。

 繰り返すように、サイレンが鳴っている。

 思い出さなければ。探してあげなければ。想いと共に記憶が一気に回顧を始めていく。

 靄がかかるように霧がかかった空気を振り払い、過去から今に向かって突き進む。

 

 

「「心の中の迷子を探してあげて」」

 

 

 約3年前からの2年間、何があったのだろうか。

 何かがあったことは覚えていても、そこに映っている光景には靄がかかっている。部分的に記憶喪失になったとでもいうのだろうか。ある期間の記憶が曖昧にしか思い出せなくなった。

 3年前、主である紫様が誰かを連れてきた――それは誰だろうか。

 その者に助けてもらった――それは何から助けられたのだろうか。

 その者と外に出かけた――それはどこに出かけたのだろうか。

 その者は確かにマヨヒガで一緒に住んでいた。

 家族として一緒に生きていた。

 いつも隣で、いつも近くで、いつも楽しそうに笑っていた。

 特に例を挙げて思い出せる記憶もないが、力もないのに頑固で誰よりも優しかったことだけは覚えている。その者の両手は温かく、その者の瞳は優しく、何よりも居心地が良かったことを体が覚えている。

 頭を撫でられる感触。

 手を握られる触感。

 毛づくろいをされる感覚。

 触れられていたところが寂しいと訴えている。

 心が温かさを求めている。

 

 

(私の傍には大事な者がいたはずなのだ。大切な者がいたはずなのだ。私は、確かに告げたのだから。心の奥底に積み重ねてきた想いを。密かに募らせてきた想いを――)

 

 

 誰よりも傍にいたいと望んでいたこと。

 誰よりも近くに寄り添っていたいと思っていたこと。

 抱える想いに苦悩したこと。

 そして、悩み抜いた末――

 

 

(――好きだという想いを伝えたのだから!)

 

 

 好きなのだと――告白したこと。

 不可思議な世界で。

 二人きりで。

 閉じ込めていた想いと手を繋いで。

 心の中に押し込めていた自分と向き合って。

 未来に向かって共に歩き出したのだから。

 

 

 二章「別れの時、送られた黒猫と結ばれた約束」

 

 

 そうだ――あの時の私はどこにいる?

 あの時、手を繋いだはずの私はどこにいる?

 思考が深層心理の方へと潜り込んでいく。スペルカードが宣言されたのも聞こえないほどに意識が深いところに入り込んでいる。

 少年と橙から降り注ぐ弾幕の嵐は止むことを知らない。

 だが、不思議と当たる気はしなかった。体が無意識の中で記憶をたどるように障害物を躱していく。

 つかみ取れ。

 手を伸ばせ。

 探し出せ。

 見つけ出せ。

 手を伸ばしている存在に向けて手を差し伸べる。

 目指すべきところは決まっている。

 目標となるものは見えている。

 迎えに行こう。

 手を伸ばしている私を迎えに。

 あの頃の私を迎えに。

 手を伸ばして掴み取る。

 

 

「探したぞ。よくやく見つけた――おかえり」

 

 

 私の伸ばした手は、確かにこちら側に伸びていた掌と重なった。

 

 

「おかえり、藍」

 

「ただいま、和友」

 

 

 二度と離さない。

 私は、これまで迷子になっていた私と固く手を繋いだ。




今回は、藍と少年と橙の弾幕ごっこの話でしたね。
弾幕ごっこはあくまでも手段であって、目的は曖昧になった記憶を取り戻すことです。
3人が相対するところで、ちゃんと紫の気持ちも入っているところだけは書かせていただきました。
また、読んでいてわかった人もいると思いますが
藍と実際に手を繋いでいるのは少年です。
ですが、ここでは曖昧になっていた記憶の中の藍と手を繋いでいるという書き方をしました。
現実的に手を繋いでいるのは少年。
心理的に手を繋いでいるのは過去の自分。
そういうニュアンスがこの文章で感じ取っていただけたら嬉しいですね。

記憶を取り戻した彼女と少年が今度どうなるのか。
それは次回からのお楽しみです。
弾幕ごっこの勝敗については、読者のご想像にお任せします。
あまり勝敗が大事な試合でもありませんからね。

次回からは、永夜抄までの間章に入ります。
これからもこの作品をよろしくお願いいたします。

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