9章は、妖々夢のお話になります。
幽霊をまとった少女が一閃、二閃と刀を振るう。空気さえも斬り裂くように振り切られる刀の軌跡は直線的な絵を描いている。
浮遊している状態であるため足捌きなんてあってないような状況だが、そこに地面があるように体重移動が行われている。踏ん張りを利かせた回転運動がまるで花を咲かせるように舞っていた。
(上手いですね。強いとか弱いとか凄いとか、そういう表現よりも綺麗という言葉が似合う剣筋です)
日本刀の真骨頂である―――斬り落とすという摩擦を使った擦りによる切断を現実にする。正面から真っすぐに当てるのではなく、叩き斬るというわけでもなく、当てた後にスライドさせる―――カッターで斬るようなイメージである。
(力強さに重点が置かれているわけではない、素早くとめどなく流れている―――水の流れのよう)
少女の流派は特に速さに重点が置かれているものなのだろう。しっかりと力が入れられているのは柄だけで、その他は緊張感のない弛緩した柔らかいばねのような動きをしている。
椛の剣技とは全く真逆である。叩き伏せる、力で押し切る、力を込めた一撃によって沈める。そういった正面衝突を基本とする椛の大剣とは種類の違った剣技だった。
だが、戦う術としての種類が違っても、戦うためのものには違いはない。本質は同じである―――相手を斬る、相手を倒すということを原点に持った力であること、それが分かっていれば何も恐れることはなかった。
(剣の速度は私より一枚上手ですね。単純に捌いていたら追いつきません。だったら、こちらも動きを見せるまで!)
視線の先にいる相手の両腕が持ち上がる。上段斬りのモーションが綺麗に線形変化を起こす。流線型の動きが時間の流れをゆっくりに感じさせる。
椛は、視界から得られる情報を処理し、正面の大剣を支えている右手の握力を弱める。続いて左手で力強く柄を手前に引っ張った。それによってちょうど右手が柄の限界地点に衝突する。椛の右手はぶつかった衝撃を受けるとギュッと力強く握られた。
(長く持っていては彼女の剣速には対応できません)
「やぁ!」
ゆったりと持ち上がったように見えた腕が、下に向かって急速降下する。上から重力という地球の恩恵を得た素早い一撃が振り下ろされる。
彼女の腕が下に振り下ろされたその時、椛は左手を柄から離した。そして、できるだけ刀と大剣が接触する付近に添え、インパクトする直前を狙って力強く押し込んだ。
「せい!」
刀と大剣―――金属と金属がぶつかり合って嫌な音が鳴り響く。ぶつかった衝撃の大きさを表すように激しい衝撃音が空間に伝搬する。
うるさいぐらいに鼓膜が震えている。恐怖を掻き立てるような音がこだましている。これが当たっていたら―――そんな想像をさせるような嫌な音がしている。
だが、視線はそらさない。恐怖に負けたら終わりだ。怖いと、恐ろしいと思った瞬間から斬り伏せられる。そう思っているのはお互い様のようで、衝撃音が響くのと同時に剣が離れると両者の視線が交錯した。
(この人の上手いところはここですね。力が抜けている分、腕にダメージがこない。振り払ってもすぐに次の一手を打てる)
その間も一瞬で―――刀を持っている右手を逆手に持ち変えることですぐさま反撃してくる。腰を落とし、右足を前に擦り出し、居合のようなポーズを作り腰の回転で切りかかってくる。
腕だけに頼った振り方ではこうはいかない。どこかに力が入っていれば、そこに大きなダメージが蓄積されることになる。それがないのは体全体をしなるように動かしているため、ばねになって衝撃が分散しているためである。
そして何よりも厄介なのが、打ち合っても怖気づくことなく、力で負けていても身構えることなく、前に出てくることだ。
(悔しいですが、剣の技量は完全に負けていますね。剣速は私より速く、前に出る度胸もある)
技量も速度も完全に負けている。同じと言えるのは恐怖に打ち勝つ度胸だけだろうか。勝っているのは力の大きさだけだろうか。
居合のフォームから体重の乗った一撃が閃光のごとく放たれる。重力に負けずに水平に維持された刀の軌跡が余りに綺麗で目移りしそうになった。
(ですが、戦いで負ける気はありませんよ! あなたがそうくるなら、私も前に踏み出すまで!)
攻撃はできるだけ正面で受ける。力点が体から離れれば離れるほど体勢が崩れやすく、力が分散しやすい。
相手の懐に入り、体をスライドさせて正面で相手の刀を受ける。ちょうど少女の正面と椛の側面が接触する形になるように、ぶつかってもいいという気持ちで相手に接近する。
(打ち合いになれば技量と速度で負けている私が不利。ここは―――力の競り合いに持ち込む!)
椛の体は、恐れ知らずを体現するように相手の動きに合わせて素早く懐に入り込む。すると椛の動きを追っている少女の目が驚きで見開かれた。
少女の体と椛の寄せた体が衝突する。それと時を同じくして金属音が木霊し、ちょうど少女の刀の鍔に当たるところで椛の大剣が静止した。
「思った以上にやるようですね。ですが、このままだと先ほど上に向かった貴方の主が死んでしまいますよ?」
「そんな心配はいりません。それに、和友さんは主ではないです。共に歩く家族です。そういう貴方こそ、どうしてこんなことをしているのですか?」
「私は、幽々子様の護衛をしています。ここを通過しようとする者をせき止め、春を奪うのが私に課せられた使命」
会話の最中に椛が大剣を押し込む力をさらに加える。すると、横薙ぎに振られた少女の剣が正面で受けた椛の剣に力負けし始めた。
「くっ、力では敵いませんか! ならば!!」
少女は力で勝てないと悟ったのか、すぐさま手首の力を弱めて手首を折ると椛の大剣の腹を擦るようにして体ごと回転させ始めた。
金属と金属が擦れる音が視覚情報に対して遅れて聞こえてくる。極限の集中力の高まりによって特に視覚が研ぎ澄まされているためだろうか。この至近距離では本来あり得ない音と光の速度差が生まれている。擦れている音が聞こえるのに、接触しているのが見えているのに、摩擦という概念がないのではないかと錯覚してしまうほど凄まじい速度で刀が大剣の腹を走り抜けているのが見える。もはや大剣ごと切り落とされるのではないかと思えるような光景がそこにはあった。
椛の直感がこの先の映像を映し出す。このままだと、刀を振り切られて左腕を切り落とされることになる。
だが、ここで椛は焦らない。刀に対してまたしても正面に来るように右足を斜め前方に踏み出し、左足を下げると、思いっきり大剣を押し出した。
「せい!!」
「うっ!」
少女は、押し出される力に後方に体勢を崩される。
「さて、王手です!」
椛は追撃と言わんばかりに前に出ている右足をさらに擦り足で前に出す。そして、何の遠慮もなく、何の躊躇もなく思いっきり大剣を振り下ろした。
あの崩れた体勢では、椛の大剣による攻撃は防げない。防御が間に合ったところでその力に押されて刀ごと叩き伏せられるのがおちである。
椛には、攻撃が当たる確信があった。勝負が決まる風景が見えていた。
しかし、その確信は現実には反映されなかった。
「あれ?」
手ごたえが全くない。大剣が空を切る音だけが空間に木霊する。
振り切った大剣の先には、若干の冷や汗をかいている少女の姿があった。
何があったのだろうか。絶対に当たると確信した攻撃が外れている。僅かな疑問が脳内を徘徊する。回転する脳は、すぐさま視覚情報から答えを見つけてきた。
「ああ、そういえば空中戦でしたね。足場がない以上、体勢が崩れたところで飛んで躱すことは容易―――ということですか。いやはや、こうして誰かと戦うのは久しぶりでいい勉強になりますね」
今繰り広げられているのは、地に足を付けた地上戦ではなく空中戦である。体勢が崩れたところで、飛行すれば相手の攻撃を躱すことができる。
もしも地上にいた場合には、体勢が崩れた状況で後方に蹴り出すとそのまま地面に倒れることになる。そうなれば、追撃を受けて終わったことだろう。
これは、空中だからこそできる芸当である。
「貴様……」
少女は、椛の実力を把握したのか先ほどよりも真剣な表情で正面に刀を構える。椛は、視線が鋭くなった少女を見据えながら肩の力を抜くとある疑問を投げかけた。
「護衛と門番、そして春を奪うことが使命と言いましたね。何のためにそんなことを?」
「そんなこと分かりません」
椛の疑問を一刀両断するように真剣な顔で告げられた。
その構えた刀と同じように研ぎ澄まされた瞳は、椛の視線から少しも動かない。
その表情を見る限り、本気で「分からない」と思っているのだろう。本気で知らなくて当然だと、知らなくても問題ないと思っているのだろう。
「ああ、そういうこと……」
似ている―――愚直に真っすぐに、むしろ愚者というべきその思考停止の様子を見ていると、昔の自分が想起される。何も知らず、独りよがりだったついこの間までの自分と重なった。
「そうか、そうだったのですか。それは怒られる、それは殴られて当然ですね」
居場所となっている人物が何を考えているか知ろうとしない。
主と仰いだ相手のことを盲目的に信じ、自分の中の主の偶像を信じて疑わない。
自分の進む道を選ぶことを捨てて主に決めてもらう。
あの人がそう言ったから。
誰かがそう言ったから。
行動の理由はいつだって他人にある。
唯一選んだのは、従うということだけ。
自分の足で道を歩いていない。
自分の道を歩いていない。
殴られて当然だ。諦めろと言われて当然だ。心を折られて当然だ。
少年の隣にいようとするのなら、それではいけないのだから。
少年の傍にいるなら、少年を支える存在になるのなら、少年と共に道を歩むのなら、台風に巻き込まれて飛ぶような存在では話にならない。台風の中でも足を地につけて歩く―――逆風でも、追い風でも、豪雨の中でも、自分の道を見失わずに進むだけの気概が必要なのだ。
今になって理解できた。こうして目の前に自分のような存在がいるから分かった。紅魔館で門番が言った言葉が初めて理解できた。
そう思うと、思わず笑ってしまった。
「ふふっ、ふふふふ」
なんてことはない。あれは説教だったのだろう。あれは諭されたのだろう。
少年の傍で生きるということの難しさを。
少年と一緒に道を歩むということの意味を。
門番が話した彼の者が誰なのかは未だに分からないけれども、少年と共に道を見据えることに対する覚悟を問われたのだ。
少女は、いきなり笑い出した椛に対して怒りをあらわにした。
「何がおかしい!?」
「いえ、馬鹿にするつもりではなかったのですが、余りにも昔の私にそっくりで。今歩いている目的を知らず、方向性を失って彷徨っている姿はここまで滑稽なものかと。いえ、それが悪いなんて言うつもりはないのですが」
「べらべらと、はっきり言ったらどうですか!」
「ではお言葉に甘えさせていただきます」
椛の足がゆったりと地上に降り立つ。椛は、両足をしっかり地面につけて前を向いて戦うのだと言わんばかりにその姿を大地に降ろした。
椛に合わせるように少女も高度を落とす。お互いの目線は再び地上で交わった。
椛は、少女の目を射抜くように見つめながら静かに歩みを進める。
一歩目―――。
「貴方は一体誰の椅子に座っているの? 貴方が今いる椅子は、貴方が座っている場所は別に貴方でなくてもいいのよ。従うだけ、後ろについてくるだけ、そんな椅子―――誰が座っていてもいいでしょう?」
「ふざけるな! 幽々子様のそばにいるのは私の役目だ。これは私にしかできないことだ! そういう貴様こそ、数多いる白狼天狗の下っ端の一人だろう!? 所詮切り捨てられる歩兵だ。代わりなどいくらでもいる!」
「分からないのならいいわ。ただ、これだけは言わせてもらう。私の座っている椅子は私だけの特等席。私の色がついた席だ。誰にも代わりはできない。誰かの代わりでもない! ここは私が決めた、私だけの居場所だ!!」
二歩目―――
二人の距離が徐々に縮まっていく。
歩みを止めて構えている少女。静かに歩みを進める椛。
本来であれば、両者の存在は通り過ぎるだけで交わることはなかっただろう。
椛がその足を止めないから。少女がその足を動かさないから。すれ違うことはあっても衝突することはなかったはずである。
だけど、少女は椛の前にいた。道をふさぐように目の前にいた。
本来交わることすらなかったはずの両者の道は、完全に正面を向き合っている。道はクロスして、平行線を崩している。
道が重なる瞬間は間近まで迫っていた。
「貴方は明日をどんな気持ちで迎えてきたの? 答えられる? 夜眠るときでも、朝起きたときでも何でもいい。明日の自分を迎えるために、どんな希望をもって明日を望んだの?」
「…………」
「答えられない貴方は日々をただただ流しているだけよ。朝が来て、夜が来て、眠るだけ。主に全てを仰ぎ、その意思に従うだけ。今回の異変の目的を知らないのがいい証拠よ」
三歩目―――
椛の足がこれでもかというほどに地面を力強く踏みしめる。これまでの希望の重さを示すように。これまでの絶望の重さを示すように。積み重ねてきた想いが形になっている。
これまで悩み苦しんだ過去が目の前をクリアにしている。
自分で見つけた明日への架け橋が道を繋いでいる。
椛は、堂々と我が道を歩きながら大剣を構えた。
「それに、護衛をしているという割にその護衛対象の傍にいないのがもう駄目ね。護衛は傍にいてこそ。近くにいなければ守れるものも守れないわ」
「それは貴様も同じだ! 貴様だって主を先に行かせている! 自分のことを棚に上げるな!」
「話を聞いていたの? 私は和友さんの護衛じゃない。和友さんに護衛なんていらないの。そんなもの邪魔になるだけ、足かせになるだけよ」
心が叫んでいる。
これまでの過去に。
これまでの出会いに。
―――明日を迎えられることに感謝を告げている。
「そう―――これまでの日々が教えてくれた。これまで感じてきたものが、これまで抱えてきたものが、私に答えをくれた。みんなが私を導いてくれた。もう、私は自分の道を歩いていける」
みんな、ありがとう―――力強い想いが心を駆け巡る。
その瞬間、体を包み込むように一陣の風が吹いた。
首に纏っている少年から貰ったぼろぼろのマフラーがたなびく。
真っ赤に染まった朱色が白い世界に映えている。
(和友さん、心配しないでください。私ならもう大丈夫です。私は自分の足で歩いていけます。自分の目で―――未来を見つめられます)
歯をかみしめ、目を見開く。
内燃機関を燃やして、体中に妖力を込める。
溢れるように出てきた妖力が全身をくまなく循環する。
心臓から血液が循環するように、指先に向かって流れている。
体全体に力が循環すると視界がさらにクリアになる。
もともと保有している能力である「千里先まで見通す程度の能力」がさらにその効果を増していく。
遠く、遠くへと視界と脳が呼応している。
明日へ、未来へと叫び合っている。
「名もなき護衛失格の剣士さん。私は貴方のような人には負けないわ。私たちはずっと明日を迎えてきた。自分から明日の自分を作ってきた。毎日、毎日、明日を想って過ごしてきた。例え望んだ今日にならなくても、それでも望む明日を抱えて生きてきた」
私の全てをここに示す。意気込む心に比例するように妖力を作り出す内燃機関がデットラインへと至る。風に流れているマフラーと同じように赤く染まった妖力が視界を切り開き始める。
今を生きている、明日に向かって生きている。
これは、後に繋げるための戦い。
意識が切り替わるのと同時に見えている世界が切り替わりを見せる。
まるでスイッチが切り替わったように様変わりする。
周りの雰囲気までもが時に置き去りにされるほどに燃える空気感が後を引いている。
赤い台風の目になっている椛は―――力強く大剣を握った。
「貴方は明日に何を望んだの? 貴方は何を望んで昨日を終えたの? 貴方には答えられない。なぜなら、付き従っているだけの貴方には望む明日なんてないからだ。そんな明日を望むこともしないやつに、明日を望んで迎えてきた私たちが負けるわけがないのよ!」
「戯言を!! これまでのはあくまでも力量を図るために手加減していたにすぎません。全力で行かせてもらいます!!」
全力を出すと言った少女が地を駆ける。
飛んでいた時よりもはるかに速い速度で、踏ん張りの利いた地上で風になっている。
だけど、そんな速さは関係ない。
速さはあくまでも時間に支配されている。
速くなるとはつまり―――未来の先取りをすることと同義だ。
だったら、なおさら私が負けるわけがない。
私は知っている。
初撃―――袈裟斬り(けさぎり)がやってくる。
少女が走り出す直前に体を引く。左足を下げておくだけでいい。
「確かに速い。貴方の剣は羨ましいぐらいに真っすぐで綺麗だ」
剣筋が体すれすれを通過する。
真横を通り過ぎた姿は、速すぎてもはや見えないレベルにまで至っている。
通過と同時に吹きすさぶ風がその速さを顕著に表している。
少女の動きは、明らかにこちらが動けないと判断しての動きである。速すぎて制御が利いていない可能性もある。そうなってしまっているのは、おそらく少女の動きに付いてこれた者がこれまでいなかったからだろう。全力で短距離を結べば、誰もがその姿を捉えきれずにされるがままに斬られたからだろう。
でも、私はそんな者たちとは違う。少女の動きが見えないというところは同じだけど、動き出すタイミングとその形が明確に見えている。
少女は攻撃を躱されたことに対して僅かに驚きを表情に出す。躱されると思っていなかったのだろう。両者の距離はまたしても3メートルほど開く形になった。
だが、少女の攻撃はそこでは止まらない。右足でグリップを利かせて反転してくる。移動が速くなってもリカバリの早さは健在のようである。すでに少女の視界には椛の姿が映っている。剣先は敵を差し示している。
私は知っている。
二撃目―――突きがやってくる。
「けれどね、ぶんぶん何度も振る必要なんてない。たった1度、1度っきりの一打が当たれば、全てが終わるのよ」
少女の突きに合わせて大剣を振るう。正面1メートルまで接近してきた刀に対して逆袈裟斬りで下方から弾き飛ばす。大きな金属音を響かせた少女の刀は大きく進行方向を逸らされて、椛の肩口を通過した。
「うぐっ……!!」
少女は、突っ込んだ勢いを殺すことができず、椛と正面衝突する。椛の肩口がちょうど少女の顔面を強打した。少女の顔が痛みに歪む。よほど痛いのだろう、歯を食いしばって耐えているのが見て取れた。
椛は、痛みによろける少女の腹部を蹴り飛ばす。腹部を強打された少女は刀を持ったまま1メートル先で転がった。
「どれだけ貴方が速くても。どれだけ貴方が遠くても。私の目は貴方を逃がさない」
地面に横たわる少女が悔しそうに顔を歪ませる。
敵意の炎を燃やして、煌びやかに輝く刀を握る。
ああ、ここまで似るものだろうか。
悔しく思う気持ちは痛いほど理解できる。
辛い気持ちも自分のことのように分かる。
だけど、それでは駄目だから。
だけど、そんな生き方じゃいずれ後悔するから。
貴方の気持ちが分かる私だから、抱えている気持ちが理解できる私だから―――私がやらなきゃいけないと思うのよ。
「だって、貴方の未来は私の瞳の中にあるのだから」
遥か先が見える。
これは、自分の生き方を見つけられたときに身に着いた力。
これは、明日を望んで迎えられるようになって発現した力。
後悔や挫折を味わって得た―――私だけの力。
「っ……ふざけるな! 妖怪の山の下っ端なんかに! 私は、貴様なんかに負けるわけにはいかないの!! 幽々子様を守るためには貴様のような奴に負けるわけにいかないのよ!!」
三撃目―――人鬼「未来永劫斬」
おそらく少女の最高速度が出る技だろう。
発動と同時に少女の姿が掻き消える。
だけど、その軌道さえも私の目からは逃れられない。
ここから先の5秒間の景色は、すでに見知ったもの。
さぁ―――ここだ。
最後の一歩を踏み出す。
「何のために守るのか。どうして守りたいと思うのか。自分が何のためにいて、どうなりたいのか、何をしたいのか。それが分からない貴方には私は倒せない。自ら動かない将なんて歩兵にすら喰われるわ」
音速を超えるような速度で向かってくる相手に向かって大きな一歩を踏み出す。一歩を踏み出すことで少女の見ている景色を塗り替える。横を通り抜けざまに斬ろうとしている相手の道に立ちはだかる壁のように正面に構える。
椛は、横一文に振り切られる刀に対して恐れることなく目を見開き、未来を逆算した。
「そして―――」
4歩目―――成金「自らの道を踏み出したもの」
「歩兵だって、前に出る覚悟さえできれば金将に成れることを知っておきなさい」
踏み出した足を軸にして足から腰にかけて捻じるように左方向に回転させる。視線は少女から一切動かさない。足から腰まで伝搬した力は腕の振りにまで到達する。力強く握った大剣は、全身の力を得て弧を描く体勢に入った。
少女の刀が間近まで迫っている。見えない恐怖と、斬られる恐怖が心を包み込もうとする。
だが、それ以上に燃える心が視界をクリアにしている。不安材料を押し殺し、できる自分を作り出している。
「王手!!」
椛の大剣は、少女の刀の軌跡に合わせるように逆袈裟斬り(けさぎり)で振るわれた。火花が出るほどに力強く衝突した両者の武器は、その主張の重さを表すように結果を導き出した。
「終わりです」
椛の全力での一刀が少女の手から刀を弾き飛ばす。まるでスローモーションで見ているかのように刀が空を飛んでいくのが見える。
刀が遠くに飛ばされるのと同時に少女の顔が絶望の色に染まる。武器を失うと共に勢いを無くした少女は、涙を流しながら膝を折った。
終わった―――そう思いながら空を見上げてみる。白く霞んでいるだけで何も見えてこない色が全面に広がっている。
和友さんはどうなっているだろうか―――視線を階段の上に向けようとすると、そこに赤と白を基調とした巫女装束を着ている少女が飛んでいくのが見えた。
「あっ、もう追いつかれてしまいましたか。やはり専門家というだけあって早いですね」
椛の千里眼が遠くにいる霊夢の表情の細部まで映し込む。どうでもよさそうに思っているように見える霊夢の視線には、僅かに安堵の表情が浮かんでいるのが見て取れる。
こうして、何を考えているのか、何を想っているのか、何を感じているのか分かりにくい彼女とも付き合いが長くなってくるとその心中を察することができるようになった。
椛は少しばかり微笑み、手を振る。霊夢は恥ずかしそうに頬をほんのり赤く染めながら小さく手を振り返してくれた。
「みんな、こうして変わっていくのですね。きっと、貴方も変わっていけます。私たちが変わったように、譲れない自分と新しい自分を抱えていけます」
空を駆けていく霊夢の存在を見送り、大剣を肩に背負うと階段の遥か先を見つめる。
纏っていた妖力を抑えて、千里眼と呼ばれる瞳を走らせる。
遠くまで伸びた視線の先に少年と橙が誰かと話しているのが見て取れた。
椛は、状況を把握すると倒れている少女に向けて一声放つ。
「自分の道を見つけなさい。目指すべき明日を見つけなさい。貴方だけの景色を。貴方だけの居場所を。貴方色の椅子を見つけなさい。そうすれば、貴方はもっと強くなる」
あなたと私は似ている。
出会った相手が違うだけで同じような道を辿っている。
誰かのために戦っているばかりで自分が見えていない。
誰かのためにという言葉を隠れ蓑にして、その誰かの気持ちを察しようとしない。
少年のために。主のために。
そこにある気持ちは嘘ではないけど、それは余りにも独りよがりで方向性を失っている。
あくまでも、自分がいて誰かがいるのに、独りになっている。
「悔しいと思う気持ちがあるのなら、リベンジがしたいならいくらでも受けてあげる。貴方が自分の足で自分の道を歩くその時がきたら、私はいつでも挑戦を受けるわ」
そこにいる意味はどこにあるの?
そうしようとしている意図はどこにあるの?
どこを向いて、どこに向かって歩いているの?
向かうべき明日の形はどんな形をしているの?
自分の中で答えを見つけて。
それがきっと自分の居場所を作り出すきっかけになる。
貴方が自分の居場所を、自分だけの椅子に座ることができたら。
貴方が心の底から自分の道を歩くために誰かの力になりたいと思えるようになったら。
「その時は、きっと―――友達に成れると思うから」
椛の声が空間に伝搬する。
椛は、少女を置き去りにして階段の先へと飛び立った。
椛の言葉に返答はなかった。追ってくる様子もなかった。
けれども、少女の顔は泣きながらもしっかりと椛の後ろ姿を見上げていた。
戦闘回は難しいですね。
ですが、ここで椛が成長した姿が書けたかなと思います。かつて美鈴が椛に対して言ったセリフを椛が言っているというところも中々に面白いところです。
これまでの椛の軌跡を読んで何か感じ取ってくれたら嬉しいですね。
前回のあとがきで申し上げたところまで進まなかったこと、誠に申し訳ありません。戦闘回が長引いたことでもしかしたら全話で6話構成になってしまうかもしれません。そうなったら少し長引くかもしれませんがお付き合いください。
これからもよろしくお願いいたします。