ぶれない台風と共に歩く   作:テフロン

123 / 138
全6話編成になる予定の第9章の2話目です。
9章は、妖々夢のお話になります。



変化するものもある、だけど本質は変わらない

 異変の始まりは、まさに唐突だった。きっかけがどこにあったのかは分からない。いきなり過ぎて前触れなんて何もなかった。

 そう―――ある日、誰しもが思っていたことを霊夢が言ったのである。

 4月になっても、そして5月に差し掛かかろうとしても一向に雪がやむ気配がない。外の世界から幻想郷に来た僕、希、なごみは、幻想郷における冬についてそこまで詳しくないから「そういうときもあるのかもしれない」なんて心の中で思っていたけども、椛はしきりにふすまの向こうの雪を見上げていたけども、影狼さんはいつになっても博麗神社で寝泊まりしていたけど。

 今思えば、みんな待っていたのかもしれない。知らず知らずのうちに、無意識のうちに。

 そう思うと何となく納得できる。そう考えると何となく頷いてしまう自分がいる。

 僕たちはずっと待っていたんだ、霊夢の口からある言葉が出てくるのを。その瞬間が―――ずっと前から続いていた異変の始まりを告げる鐘だと知っていたから。

 

 

「これは異変よ」

 

 

 霊夢の口から出た言葉は、誰しもが思っていたことで誰もが心に秘めていたこと。博麗神社にいる者、誰もが季節外れの雪が降りしきる景色を見ながらその言葉を素直に受け入れ、ただ静かに一度だけ頷いた。

 

 

「行ってくるわ。こんなに寒いままじゃ食べ物に困るし、参拝客も来ないし、日雇いの仕事もできやしない。冬にあぐらをかいて寝ている春を叩き起こしに行ってくるわ」

 

 

 異変を告げた霊夢の行動は、素早かった。

 すぐさま普段着ている巫女装束の上にマフラーと手袋、そして上着を着るのかと思ったら何も着ずに4月なのに真冬のような雪の降りしきる世界へと飛び出していった。

 行く当てなんて何もないだろうに。

 行き先なんて何も考えていないだろうに。

 直感だけを頼りに、感覚だけを信じて、真冬のような春の空を飛んで行った。

 だんだんと霊夢の後ろ姿が小さくなってくる。真っ白な世界に栄える赤色が薄くなっていく。

 僕たちは、遠くなる後ろ姿に謎の存在感を覚えながら霊夢を見送り、そして後追いするように行動を開始した。

 

 

「それじゃあ僕も行ってくるよ」

 

 

 さて、そろそろ行こうか。なんて思うけど、本当なら霊夢より先に出発していないといけない立場である。

 大きくフライングをしている状況でなければ、異変を解決する場面にはとてもではないが立ち会えないかもしれないけど―――そんな普通に現実になりそうな想像を持ちながら意気込んで足を伸ばす。

 異変に参加する意味はあくまでも思い出づくりだ。別に異変を解決できるなんてそんな思いあがったことは考えていない。僕自身は異変を解決するほどの力は持っていないのだから。それは、紅魔館での一件で身に染みている。

 だけどそれは、今はできないだけのこと。それはまだ今の僕にとっての高望みなだけ。もっともっと高みに上ってからの楽しみである。

 

 

「私も行きます」

 

 

 そう言って僕の隣に立ったのは、椛である。

 僕が贈ったボロボロのマフラーを首に巻いて。天狗装束の上から一枚の着物を着こんで。覚悟を決めた表情でしっかりと両足をついている。

 この前に起こった赤い霧の異変の時とは違う。たった一言、「私も行きます」という言葉だったが、そこにあるのは義務感ではなかった。使命感でもなかった。やらなければならないという責任感でもなかった。

 そこには、自分がやりたいからやっているという意思だけが感じられた。

 

 

「行ってらっしゃい。私たちも飛べるようになったら、戦える力がついたら―――その隣を歩くから」

 

(今は私たちの前を走っていてください。私たちも直に追いつきます)

 

「二人のことは、このお姉さんに任せておきなさい。絶対に守ってあげるわ」

 

 

 希となごみと影狼さんがそれぞれの言葉を残して博麗神社に留まることを宣言する。そして、目線を合わせることなく息を合わせたように同じ言葉を口にした。

 

 

「「「無事に帰ってきて」」」

 

 

 保障なんてできない。絶対なんて口が裂けても言えない。僕の生き方を貫いたら守れそうな願いだ。

 それでも、その時はこう言った。何の説得力も、何の力もない言葉だったけど、そう言わなきゃいけない気がしたから。

 希も、なごみも、影狼さんも、きっと分かっているだろう。

 隣にいる椛も、きっと分かっているはずだ。

 僕の口から返ってくる言葉が嘘でまみれているということを。

 

 

「ちゃんと帰ってくるよ」

 

 

 僕は、無理をすることを躊躇しない、無理を押し通すことをためらわない。

 それでも、みんなは頷いて見送ってくれた。何も言わなかったけど、瞳には確かに信じているという文字が浮かんでいるようで―――僕は、その期待に応えなきゃいけないと心の中で強く誓い、椛と共に霊夢の背中を追った。

 

 

「真っ白だ……外の世界でもここまでは積もらなかったなぁ。積もっても膝ぐらいまでだったし、ここまで雪が積もっているのを見るのはスキー場にいったとき以来かな?」

 

「幻想郷でもここまで積もることは滅多にありませんよ。100年に1回あるかどうかというところです」

 

「100年に1度の瞬間に出会えるなんて、僕はいい時期に幻想郷に来たんだね。いい巡りあわせに感謝しなきゃ」

 

「感謝しなきゃって、誰にですか? 妖怪の賢者ですか?」

 

「ううん、誰にでもない。出会いにだよ」

 

 

 話していると次々と口に舞い込んでくる雪に若干の嫌気をさしながら、空から幻想郷を見渡してみると、博麗神社から見えていたものがほんの一部だということが身に染みて分かった。椛の言う通り100年に1度というべき、外の世界でもめったに見ることができないレベルの豪雪である。

 周りに生えている枯れ木の埋もれ具合から雪の多さが窺い知れる。雪の深さはゆうに2メートルを超えている。人が歩いている様子は一切見受けられず、ただただ獣が通った道だけが機能しているような状態だった。

 空はどこを見ても真っ暗で、地面は視界を広げてみても雪化粧で、まっさらな綺麗な世界が視界に映っている。無秩序という言葉が似合う僕の心の中とは真逆と言えるかもしれないが、僕はどちらかというと既視感みたいなものに囚われていた。

 

 

「なんでだろう、僕の心の中と似ている気がする」

 

 

 何もない世界―――色合いは違うけど、そういう表面上を抜いてしまえば、僕の心の世界も同じようなものだ。何もなくて、何も見当たらない世界。本質は同じだと思う。

 

 

「落ちている妖精や妖怪がいるからかな、どうしても重なってしまうね」

 

 

 そう感じるのはきっと、僕の心の中で立っている標識と重なるように、多くの者たちが力尽きていたからだろう。霊夢が先行しているため、ほとんどの妖精や妖怪が地面に臥している。まるでここに我在りというように、自らの存在の大きさを示すように、誇示するように進むべき道を指示している。

 僕たちはただただ地面に横たわる妖精や妖怪を指針に進むだけである。これは赤い霧の異変の時も同じだった。

 

 

「だけど、これって別に霊夢からしてみれば何も思っていないんだろうね。ただただ、自分が起こした行動の結果がこうなっただけって考えていそう」

 

「想像に難くありませんね。最悪、それすらも考えていなさそうです」

 

 

 そっと雲の切れ目を探すように遠くに視線を向けると、弾幕ごっこをしている2つの存在が視認できた。きっと片方は霊夢で、片方は妖怪だろう。

 間に合わない―――僕は直感的にそう思った。僕たちの飛ぶペースだと追いついたころには勝負終わっているはずだ。

 そして、その想像は僕の夢のごとく現実となった。僕たちが霊夢の後ろ姿を目の前にした時には、妖怪はまたしても有象無象の一部と化した。

 霊夢は、そこで初めて僕たちを視認したような顔で興味なさげに視線を送ってきた。

 

 

「あんたたち、付いてきたの?」

 

「うん。僕たちも異変を見てみたくてさ」

 

 

 その瞳に浮かんでいるのは疑念である。瞳が訴えている―――どうしてついてきたのか。邪魔にならないうちに帰れ。そういう意思が浮かんでは消えていく。

 だけど、それで帰るようなら霊夢の後を追っていなかった。暫く視線を逸らさずに訝しげな瞳を見つめると、霊夢は大きなため息とともに口を開いた。

 

 

「はぁ、好きにしなさい」

 

「そうするよ。霊夢、ありがとうね」

 

「なんで?」

 

「僕の気持ち分かってくれて」

 

「……私は何も分かっていないわよ」

 

 

 相変わらずの短い会話だったけど、僕たちにはそれだけで十分だった。簡単な言葉だけで何となくのコミュニケーションが成り立つ。僕たちは、最初に出会った頃のように何を言っているのか分からない関係からちゃんと進歩していた。

 霊夢はその場を立ち去り、巫女衣装をはためかせて空を飛んでいく。僕達よりも遥かに速く、それでも見失わない程度の距離間を作って、大きな背中を見せつけて飛行する。

 僕たちは、視界に映る確かな存在感を追った。

 

 

「雪が止んだ?」

 

 

 時間にして数分というところだろうか。しばらく飛んでいると突如として降りしきる雪の存在がかき消えた。それこそ、唐突に世界から消えたように見当たらなくなった。

 

 

「ここは、僕の知っている場所だ」

 

 

 よく知っている匂いがする。澄んでいて、透き通った匂い。

 よく知っている景色が見える。緑が生い茂り、遮るもののない景色。

 ここは、幻想郷で最も僕が長く生活していた場所であり、最も思い出に残っているところ。そんな思い出の場所が近づいてくる。大きな、大きな屋根の平屋の一軒家が見えてくる。

 

 

「懐かしいなぁ。そんなに離れていたわけじゃなかったんだけど、僕の記憶はもう色褪せ始めているみたいだ。ここに来ると心が温かくなる。気持ちがぽかぽかするよ」

 

「ここがあの噂のマヨヒガですか? 八雲の隠れ家と呼ばれる―――私があれほど探した和友さんがいたマヨヒガですか?」

 

「僕がいたのは間違いないけど、八雲の隠れ家かと言われると断言できないね。紫と藍は本来ここにはいなかったらしいし、噂されている隠れ家とは違うと思うよ」

 

「そうは言いますが、和友さんがいる間はここに妖怪の賢者もいて、その式もいたのですよね。だったら今はここが八雲の隠れ家でしょう」

 

「そういうものかな?」

 

「人が住んでいる建物のことを家と呼ぶのです。人が帰るべき場所を家と呼ぶのです。どんなに小さくても、どんな形をしていても、どんなにみすぼらしくても、誰かが住んでいればそこが家になります。誰かが帰ろうとしているのならそこが家になります。逆に誰も住まれていない、誰も帰ってこようとしない家は、ただの建物でしかありませんよ」

 

 

 そう言われると、その通りだなと思った。椛が発する言葉に説得力を感じるのは、きっと椛が妖怪の山という大きな場所を家としていたからだろう。

 大事なのは場所じゃなくてそこに誰がいるか、誰が帰る場所かということ。誰かが帰ろうとしている場所かということ。燃えて落ちて灰になるまで、僕の帰るべき家が僕の帰りたい場所だったように。みんなの帰る場所がマヨヒガになったというのならば、きっとマヨヒガが僕たちの家に違いなかった。

 僕たちの家―――マヨヒガの一軒家。

 紫と藍と橙と僕が住んでいる場所。

 

 

「みんないるかな? いたら、会いたいな」

 

 

 もしかしたら、スキマを通してだけではなく直接紫に会えるかもしれない。

 もしかしたら、疎遠になっている藍に会えるかもしれない。

 もしかしたら、これまでずっと会っていなかった橙に会えるかもしれない。

 そう思うと期待感に胸が膨らむ。自然と気持ちが前のめりになる。

 家族が揃っていた家に―――僕はまた帰ってきたんだ。まるで吸い寄せられるように、重力が発生しているように、僕の体はあるべき場所へと流れ込んだ。

 

 

「ううぅ~~!! あんなの反則だよぉ……」

 

 

 マヨヒガがちょうど目視できる程度のところ。そこには痛そうに頭を抱えた存在がいた。どこか既視感に襲われる光景が目に入った。

 見知った赤い服を着て。見知った猫耳をはやして。緑の帽子をかぶっている。伸びた赤い爪が特徴の黒猫―――橙の存在を。

 

 

「ふふっ、藍と弾幕ごっこの試合やったときも同じことしていた気がするよ。橙は弾幕ごっこをすると頭から当たるタイプなのかな?」

 

「なんで負けたんだろう?」

 

 

 どうやら、まだこちらには気づいていないようである。まだ視線が合うことはない。

 僕たちは、丸まった背中をした橙との距離を詰めていった。

 橙と会うのは8か月ぶりだ。あの夜に約束して別れてから初めて会う。離れても家族だと言い合ってから初めて目にする。

 どうしてだろうか、過去の記憶と照らし合わせてみると少しだけ背丈が大きくなったような気がする。妖怪が成長するのかは知らないけれど、僕から見たら確かに大きくなっているような気がした。

 橙は、流れている噂を聞く限り藍のそばにいることが多かったと聞いている。ちょうど僕のいた場所に橙が入った形になるだろうか。

 いや――この場合は、僕のところに橙が入ったというよりは、橙が本来居座っていたポジションと僕のポジションを両方を背負っていると言うべきかもしれない。甘えたがりで、わがままで、自由奔放な橙と、藍のそばで心を支える僕の両方をこなせるだけ大きくなったというべきだろう。そう――橙は僕の約束を守るために成長したんだ。

 そんな見た目よりもはるかに大きくなった橙にできることはなんだろうか。そう考えたとき、頭に思いついたのは些細なことだった。

 さぁ、気持ちを込めよう、心を注ごう。

 最大の敬意をもって。

 最高の信愛をもって。

 僕は、家族の名前を呼んだ。

 

 

「橙、久しぶり」

 

 

 声が通った瞬間に空間が一瞬で静まり返った。

 誰一人として声を出さなかった。

 椛も気を遣ってくれているのか黙ったままだった。

 声が届いてから数秒の後に橙の体がわなわなと震える。そして、橙の揺らいでいる手がそっと帽子に伸び、目元を隠すように深くかぶった。

 

 

「橙」

 

 

 もう一度、大切な家族の名前を呼ぶ。同じように、愛しさを精一杯込めて、優しさをこれでもかと込めて、大事な言葉を口にした。

 今度は、腕を目元にあてて座り込んだ。その様子は、まるで必死に感情が出てくるのを抑え込んでいるようだった。

 だが、出ようとするものを完全に塞ぐことはできず、抑え込めなくなった鳴き声が、漏れ出す嗚咽が静かな空間に響いた。

 

 

「ああ、そうか……」

 

 

 僕は、橙の反応を見て全てを察した。

 橙は一人で頑張ってきたのだ。僕の約束を守るために、藍を守ってほしいという約束を守るために、僕が抜けた穴を埋めるために必死に頑張ってきたのだ。

 簡単なことではなかっただろう。

 大変で投げ出したくなることもあっただろう。

 こんなことできないと、無理だと思ったこともあっただろう。

 だけど、僕との約束を守るために、今までの自分を変えることまでして文字通り必死に頑張ってきたのだ。

 苦しかっただろうに。辛かっただろうに。誰にも相談できず、誰にも助けを求められず、誰にも頼ることができない。なぜなら、それは僕と橙にしかできないことだから。紫にはできないことだから。

 橙だって寂しかったはずなのに。自分を作って、できる自分を作って、できない自分を捨てて。独りよがりで頑張ってきたのだ。

 本当なら叫びたかっただろう。頑張ったって、努力したって、助けてほしいって、代わってほしいって、辛かったって、きつかったって。

 それでも、優しい橙はそれを伝えられない。頑張ったんだよとは言えなかった。言ってしまえば、無理やりやっていたような形になってしまうから。無理をしてまで背負い込んだと言っているのと同じだから。僕との約束が一方的なものになってしまう気がしたから。言ってしまえば、全てが台無しになる気がしたから。

 その口は、どうやったって「約束のために頑張った」とは言えなかった。

 

 

「橙は、こうして会えた今でも僕のために頑張ってくれているんだね」

 

 

 僕は、言いたい気持ちを抑えて嗚咽を漏らしている橙を見ていると、見ているだけで何もせずにいることができなくなった。

 膝を抱える橙と同じようにひざを折る。小難しいことなんて何も考えてなかった。ただそうしなきゃいけないと思った。そうしようと心が言った。

 正面から顔を隠すように抱きしめる。そっと包み込むように、その小さな体を、その大きくなった背中を、その強く彩られた心を抱きしめた。

 

 

「橙、ありがとう。僕がいない間、藍を支えてくれてありがとう。僕の穴を埋めてくれてありがとう」

 

「…………おかえり、和友」

 

 

 決して泣き顔を見せないように肩に顔を乗せる。誰よりも孤独で、誰よりも努力家で、誰よりも寂しがりで。それでも、それを見せない強がる橙が愛しかった。

 そんな橙を肌で感じて、僕も同じように頬を何かが伝った。

 

 

 

 しばらく音もたてずに泣いて目を赤くした橙の視線が上がる。

 橙は、何も言わなかった。これまでにあった苦労話も、努力した話も、藍のために尽くしたことも、気を遣って疲れたことも、約束を守るためにしたことについては何も口にしなかった。

 そう、僕が橙に何も話さなかったように。橙も僕に何も話さなかった。これまでのことなんて何もなかったように。会わなかった期間なんて初めからなかったように。僕たちの過去は何事もなく流された。

 僕たち家族は家族のままで、何も変わらない時を共にしたのである。

 

 

「あれ?」

 

 

 橙は、そこで初めて椛の存在に気づいたように目をわずかに見開いた。そして、僕を抱きしめていた腕を解くと興味津々といった様子で椛に語り掛けた。

 

 

「あなたは誰? 和友の友達かな?」

 

「……そうです」

 

 

 先ほどから居辛そうだった椛が暗い顔のまま一言で肯定した。伏し目がちに、深刻そうに、口を何とか開いて声を出した。

 

 

「なんでそんなに暗いの? 何か辛いことでもあった?」

 

「別に、何もありません」

 

「えー、そんなの信じられないよ」

 

 

 椛に話しかけるその様子は、いつもの橙だった。この8か月の間会えなくても、変わったところもあったけど、本質は何も変わっていなかった。

 誰にでも気さくで壁を感じさせない。誰に対しても積極的になれる。馴れ馴れしく、敬語なんてもちろん使わずに心の距離を詰める。

 この分かりやすさは、橙の武器である。感情を表に出して相手を安心させる。分かりやすさが相手の心に安らぎを与える。

 橙の顔にいたずらっ子が茶化すような笑顔が浮かぶ。

 これまで橙の気質を何度羨ましく思ったことだろうか。遠慮も謙遜も一切なく、他人に関わられるその様子がどれほど眩しく見えただろうか。

 それは僕に出来なくて、することが許されなかったこと。周りを巻き込む僕が許せなかったこと。

 だけど、今の僕はあの時とは違う。自分で選択し、周りを信じることを決めた。影響を与えても、辛いことがあっても、苦しいことがあっても、それを乗り越えられるんだって―――信じることができている。

 確かに変わっている。自信をもって昔の僕に言える、僕は変わったんだって。

 そして、それと同じように橙も初めて会った時とは変わった。変わらない部分を残して、変わった部分を付け足して、成長していた。その成長の証ともいうべき変化を次の言葉で僕は知ることになった。

 

 

「また和友が何かしたんでしょ? だっていつもそうだもん! こうやって嬉しい気持ちになるのも、悲しい気持ちになったのも、全部和友がくれたんだから!」

 

 

 橙は、何か思いついたようにその顔を僕に向けた。橙の表情は、これまで一度も見たことがなかった表情だった。多分これは、普段から一緒にいた僕だけが分かった違い。いつも一緒で、いつも遊んでいた僕から分かった変化だった。

 橙は、日常の形を失い、大切なものをそぎ落とされ、必要にかられて、変化を受けいれて、成長を始めた。めげずに、挫けずに、前を向いて歩きだした。

 自分の道を大きな足音で。

 胸を張って。

 自信を見せつけて。

 望む明日に手を伸ばしている。

 

 

「全部、全部、和友のせいなんだよ!」

 

 

 こうして見知らぬ成長を見せつけられると、随分と大人になったんだなと感心してしまう。見ない間に―――この8か月の間に大きく変わった。その存在感や心の強さだけじゃない。相手を見定める、感情を推し量る、自分の価値観をもって相手をあてがうことをやってみせている。

 何のことはない。生きている者はある程度やっていることだ。

 だけど、我を通すことをほとんどだった橙がこうして相手を試すことをしていることに嬉しくなった。自分の世界に他人を入れるという感覚。自分の心に相手を近づけること。距離感を推し量ること。相手を(おもんぱか)ること。

 橙は自覚したのだ―――生きていくためには他人が不可欠だということを。相手を選び、相手を想い、相手を知り、相手と歩くことが自分の歩みを支えてくれると。

 橙の満面の笑みが表情を作り出す。感情を隠し、仮面を被る。相手に分からないように、相手に分かってもらうように、相手を動かすために。

 付き合おう―――僕も橙と同じように仮面を被る。だって、それは誰にも負けないと言えるだけの自信があったことだったから。そして何よりも試されている事柄に何の心配もなかったから。

 だって、ここにいる椛だって僕にとって家族の一人なのだから。

 

 

「違っていると否定できないところが痛いところだよね」

 

 

 僕が一言、橙の言葉に同意する。全ての事象が、全ての出来事が、全ての起こった変化が僕のせいだと受け入れるような発言をする。ような、何て言っているけど、全く思っていないと思ったら嘘になる。今でも半分は僕の責任だと思っているところはあった。

 だけど、それはおかしいのだ。全てが誰かの責任になることはない。全てを誰かが背負う必要はないのだ。なぜならば、この問題は1人だけが関わっている問題ではないからである。真に一人で、誰とも関わりがなくて孤独だったら僕だけが背負うべき問題だっただろう。僕が背負っても軽い問題だっただろう。いつでも捨てられるような、どうでもいい問題だっただろう。

 だけど、人はどうしたって真に孤独にはなれないようになっている。生まれてきたからには両親がいて、顔を知っている人がいて、すれ違った人がいる。そこにいるだけで、同じ空間の空気を吸っているだけで、そこにいるだけで何かしら相手に影響を与えている。

 それなのに、そこで起きたことが全て自分の責任だと思うことは、もはや傲慢だ。

 僕が起こした異変ともいうべき出来事も。

 橙がこれまで頑張ってきた時間も。

 椛がここに至るまでに経験したことも。

 何もかもが―――誰かと共にあった。

 

 

「そうそう、全部和友のせいだよ」

 

「違います!」

 

 

 橙の言葉が空気を伝わった際―――勢いよく出てきた椛の力強い声が僕たち二人を黙らせた。

 

 

「和友さんだけのせいじゃありません! これは私も背負うべきものです! 私の責任でもあります、和友さんだけのものじゃない!」

 

「なんで? 和友のせいだよ。何かをするのも、何かを起こすのも、いつだって和友でしょ? 嬉しかったこと、楽しかったこと、苦しかったこと、悲しかったこと、みんなみんな和友のせいだよ」

 

「そうそう、大体僕のせいだ」

 

 

 誰かのせいにすることは簡単だ。

 誰かの責任にして逃げることは容易だ。

 目を背けて知らないふりをするのは甘美な誘惑だ。

 でも、それをしてしまったら当事者ではなくなる。笑えなくなる。楽しめなくなる。悲しめなくなる。苦しめなくなる。気持ちを共有できなくなる。

 

 

「違います! そんなのおかしいです! だってそれじゃあ、一緒に笑えないじゃないですか! 一緒に楽しめないじゃないですか! 一緒に涙を流せないじゃないですか!」

 

 

 そして何よりも―――責任を擦り付けるようなことをしている自分がかっこ悪いのだ。

 

 

「何より、全てを和友さんの責任にする私がかっこ悪いじゃないですか!!」

 

 

 その言葉を聞いた瞬間、橙の顔に先ほどとは種類の違う笑顔が浮かんだ。

 

 

「和友は、いい家族を持ったんだね」

 

「羨ましいでしょ? 最近家族になったんだよ」

 

「うん、こんな人なら和友のこと任せられるかな」

 

 

 橙は、そっと空を飛び、僅かに潤んだ瞳をした椛の前に出る。そして、目の前の妖怪―――椛の心に訴えかけるように言葉を紡いだ。

 

 

「和友はわがままで、意地っ張りで、頑固だけど、本当に優しいから。迷惑もいっぱいかけると思うし、信じられない事も言うと思うけど、私の大事な家族だから―――だから大切にしてあげてね」

 

「はいっ、大切にします。大切に歩いていきます」

 

 

 椛から出た声は、橙の想いが伝わったように真剣なものだった。そして、そこまで言うと急に体の向きを変えて僕と視線を合わせた。

 

 

「だから、和友さんの背負っているものを、私にも背負わせてください。一緒の重さを感じさせてください」

 

 

 椛から真っすぐに告げられた言葉に思わず、恥ずかしくなった。

 真剣に聞こえるからこそ、何だかこそばゆくなった。

 意図せずに視線をそらしそうになる。あまりに直球すぎる言葉にどうしていいのか困惑した。

 喜んで―――心にとどまっている言葉がなかなか出てこない。顔にはすでに出ているけど、それを言葉に表現できない。そんな僕を見かねてか、少し痛いぐらいに橙が背中をつついてきた。

 

 

「和友も大事にするんだよ!」

 

「分かっているよ」

 

「藍様も、紫様も、大事にしてね」

 

「うん、勿論。橙だって大事にする」

 

「うん!」

 

 

 その時の橙の笑顔は―――昔と何も変わっていなかった。




環境が変わると成長という名の変化が求められます。
だけど、その人が本来持っていた本質は変わらないと思います。

本当にあと3話で終わるのか、そう思われる方もいるかもしれませんが
案外、一気に進むので終わると思います。もしかしたら、あと1話分ぐらい増えるかもしれませんが、次話には妖夢と幽々子が出てくる予定です。

また、小説のタイトルがもしかしたら東方不変観から変更になる可能性があります。
妖々夢が終わるぐらいに候補を挙げてどうするか考えてみますね。

これからもよろしくお願いいたします

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。