ぶれない台風と共に歩く   作:テフロン

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第8章の3話目です。
8章は、妖々夢の前のお話になります。


再び出会った二人、新たなスタート

 魚釣りに行った後―――椛は少しだけ元気になった。少しだけなんて表現をしているのは、あくまでも前の調子と同じだけ持ち直したとは言い難いからだ。

 空元気が混じっている。まだ悩んでいる様子が見受けられる。それでも、笑顔を向けてくれること、嘘でも元気な姿を見せてくれること、それが何よりも嬉しかった。

 上手く事が運んだのも、希やなごみの後押しが大きい。彼女たちが椛に対して怯えることなく、対等の存在として話をしてくれるというのも椛が元気になるのに大きな影響を与えたことだろう。

 椛も二人と随分と打ち解けたようで、まだまだ壁を感じるところはあるけれども気さくに話しかけている姿を見かける。彼女たちは、椛の冷たい心を確実に溶かしつつあった。

 ただ、今のうちに考慮しなければならない要素が一つある。それは、外来人である彼女たちの今後の扱いである。

 外来人である彼女たちには、大きく選択肢が二つある。

 幻想郷に残るのか。それとも外の世界に帰るのか。

 これからどうしたいのか。どうするつもりなのか。

 彼女たちは、未来を大きく決める舵切りをしなければならない。

 そして、僕はそれを彼女たちに問いかけなければならなかった。

 

 

「希となごみは外の世界に帰るつもりなの? それとも幻想郷に残るつもりなの?」

 

「ここにいるわ。私もなごみもそのつもりよ。外の世界よりもここでの方が上手くやっていけるわ」

 

 

 希は幻想郷に残ると言う。なごみに限って言えば、{外の世界に戻りたくないです}とまで書かれる始末である。

 一体外の世界で何があったというのだろうか。戻りたくないというだけの嫌なことがあったのだろうか。

 外の世界に戻りたくてたまらなかった僕としては、戻るという選択肢のある二人が非常に羨ましかった。そう―――望んでも帰る場所がなく、帰ることが許されていない僕と彼女たちの状況は大きく違っている。

 逆恨みするなんて間違っている、自分の立場が悪いからって相手に文句を言うのは間違っている。だけど、それを分かっていても、どうしても僕の口は想いを吐き出した。

 

 

「本当にいいの? 君たちには家族や友達、普通の生活があったんでしょう? 戻るなら今だよ? 後から戻ろうと思っても戻れないかもしれない。何よりここは死ぬ危険性が高い。妖怪に食べられて死ぬなんていう可能性が大手を振っている世界だ。戻れる選択肢があるのなら戻った方がいいと思うよ」

 

「外の世界に戻るぐらいなら妖怪に食われて死んだほうがましよ」

 

 

 そう言われてしまっては、僕から言えることは何もなかった。なごみもぶんぶんと首を縦に振っているし、どうしてそこまで嫌がるのだろうかと疑問が沸き上がってくる。

 だけど、それは聞いてはいけない気がした。聞いても答えてくれない気がした。そしてそれ以上に僕が聞いても意味がない気がした。

 

 

「ふうん、そうなんだ」

 

「……理由を聞かないの?」

 

「聞かないよ」

 

「なんで? 私たちが答えないって分かっているから?」

 

「それもあるけど……そこにどんな理由があっても意味がないからだよ。だって、この世界に残ることを決めるのは二人で、それを納得するための理由を作るのは二人じゃないか。僕が聞いて納得できなかったからってどうにでもなるわけじゃない」

 

 

 そう―――決めるのはいつだって本人だ。他人がそれを批評、評価することはできても変化を与えることはできない。

 俗にいう動機を聞くことにどれだけの意味があるというのだろうか。テレビでやっているニュース番組でもよくあることだが、誰かが犯罪をしたとき、殺人を犯したとき―――殺人の動機を聞くことにどれほどの意味があるのだろうか。殺人を犯した動機を聞いて視聴者は何を考えるだろうか。

 そんなことで人を殺したのか。それは人を殺しても仕方がないな―――さすがにそんなことは言わないけれど、動機がどれほどのものか自分と世間の価値観から測っている。僕の経験上、番組に呼ばれているゲストもそういうところに注視することが多いような気がする。

 だけど、その評価を下すことにどれだけの意味があるだろうか。どれだけの影響力があるだろうか。

 それをすると決めたのは、境界線を引いているのはあくまでも犯人だ。

 殺人を犯した動機―――犯人にとってはそう足りえたのだ。それ以上でもそれ以下でもなく、犯人にとってはそれで十分だったのだ。犯人の人物像を把握するうえでは重要かもしれないが、動機の重さの程度を個人の尺度で測る意味は全くない。

 あれは、ただ単に―――そういうのが理由になる人もいるという幅の広さを理解する足しになるだけなのである。

 僕がそれはおかしいと言ったところで、それは十分な理由だねと言ったところで、その動機で納得したのは犯人の方である。この場合、希となごみがどういう理由で幻想郷に残ろうが、それが理由足りえれば僕の口が挟みこめる隙間はない。

 それは、僕の夢についても同じだ。

 それはおかしいなんて評価されたところで―――僕の境界線は歪まないのと同じだ。

 

 

「私たちにできること、何かない?」

 

「現状でできることは何もないよ。ここから動くこともできない君たちにできることは何もない。なごみにもそう伝えてくれる?」

 

「そんなこと、なごみも私も最初から分かっているわ。今の私たちが何もできないのなら、これからできるようになりたい。これはなごみと一緒に考えたこと―――和友、私たちに生きる術を教えてほしいの」

 

 

 二人の外来人が真っすぐな視線を向けてくる。

 できること。現状では何もない。飛べない時点で人里に一人で行くこともできないし、移動することもできない。幻想郷は、力がなければ食われてしまうような世界だ。自分の身を守ることができなければ何もできやしない。

 だとすれば、やらなければいけないことは明確だ。

 今、やらなければならないこと。

 今、できるようにならなければならないこと。

 

 

「じゃあ、やってほしいことがあるんだけどいいかな? 次から言う言葉をなごみにも伝えて」

 

 

 僕は、二人にお願いごとを告げた。二人はそれを黙って聞き、口を閉ざしたまま大きく一度だけ頷いた。

 

 

 

 頼みごとをした僕は、希となごみを博麗神社に残して人里に降りてきていた。

 人里に向かった目的は、食料の調達である。赤い霧の異変以降、食料が尽きてきていたため補充に来たというのが、今回の訪問の目的だった。

 すぐ横を見れば、そこには椛がいる。意気消沈していた椛の精神は、こうして外に出てこられるレベルにまで回復していた。

 

 

「椛は、今日は何食べたい? 希望があれば聞くよ?」

 

「……昨日は魚だったので」

 

「お肉が食べたいってことね」

 

「はい」

 

 

 椛は、魚より肉派である。例え昨日が肉料理だとしても今日だって肉料理を食べたいと言ったに違いないと断言できるほど、肉の方が好きである。

 僕は魚の方が好きだけど、霊夢もどっちかというと魚の方が好きな気がするけど、妖怪は肉食系がほとんどだ。なんだかんだ偶にやってくる影狼さんも肉派だし、人間を食べるだけあって肉を好んで食べる妖怪の方が多い。といっても、藍と紫と椛と影狼さんしか知らないんだけどね。

 

 

「あんまり贅沢な使い方はできないから肉じゃがにするかなぁ。人数が増えたせいで食費を上手くやりくりしないと。霊夢の収入も微妙だもんね……日雇いだけだとやっぱり限界があるし、希となごみがすぐに働きに出られるようになるといいんだけど……」

 

「そう簡単にはいかないと思います。というか無理ではないでしょうか?」

 

「確かに霊力を使っての飛行はそもそも力が発現していない二人には難しいと思う。けれど無理ってことはないんじゃない? 僕だってできたんだし」

 

「違います。真面目にやれば、それも素質があれば空を飛ぶなんて簡単にできるでしょう」

 

「だったらなんで?」

 

「それを指導する人間が、あの博麗霊夢だからです」

 

 

 そう―――僕は二人に向けて空を飛ぶ方法を霊夢に教われと言って博麗神社を出てきた。霊夢から霊力の使い方を習い、空を飛べるようになってくださいと言って人里までやってきた。

 僕が希となごみに課した「霊夢に教わって、空を飛べるようになる」というお題は椛にとっては無理に見えるようだ。

 だけど、果たしてそうかな―――霊夢は意外とお節介焼きだから教えてくれると思うけどな。霊夢は冷たいように見えて、意外と頑張っている人間を見捨てない。それを知っているから、僕は霊夢に教われと言ったのだ。

 このときの僕は、特には心配していなかった。

 椛の言っている意味をはき違えていた。

 それを知るのは、博麗神社に戻ってからのことである。

 

 

 

 人里にたどり着いた僕たちは、迷うことなく商業区画に向かい買い物を進めていく。持ってきたかごには次々と食材が入っていった。

 隣にいる椛は鼻が利くようでどれが鮮度が高いか教えてくれる。これを買った方がいい、あれを買った方がいいと僕にアドバイスをくれた。

 幻想郷において食材の管理を行うことは難しい事柄の一つである。理由は、外の世界に普通はあるはずの冷蔵庫がないからである。食材を空気にさらしておくと一瞬で酸化して鮮度が落ちていく。生鮮食品はもって4日が限度だ。夏の時期だともっと短くなって2日で腐敗臭がすることがある。マヨヒガでは電気が通っていたから何でもできたけど、博麗神社に来てからは買い物を行う回数が劇的に増加している。蔵に置くぐらいしか対策がないから、何かしら考えないといけないなと思っているこの頃である。

 そんなことを考えていたら―――もうすぐ買い物が佳境に差し掛かった。

 

 

「次で最後だね」

 

 

 最後に豆腐屋さんで味噌汁の具材と冷奴用の豆腐を買って終わりである。

 最初の頃は、店員はみな僕の隣にいるのが藍から椛に代わっていることを不思議に思っているようだったが、今では慣れた光景だと特に気にせずに商売してくれている。商業区画の商人は人里の中でも特に胆力が強い人が多いから、妖怪が買い物に来ても物怖じせずに接してくれる。疑問を口にしても深追いをしてこないから非常に助かっていた。

 

 

「お、今日はいつもより多いね! 家族でも増えたのかい?」

 

「家族っていうか、居候だね。沢山買うから少し安くしてくれないかな? 結構懐がきつきつでさ」

 

「だめだめ、そういうのを許すと公平感がなくなって売り上げが下がるからな。済まんがこれで我慢してくれ。ほれ、おからだ」

 

「ありがとう、これだけでも嬉しいよ」

 

「こちらこそ、いつもあんがとさん! これからもご贔屓に!」

 

 

 ここの商人たちは、本当にみんな気さくでいい人ばかりである。筆一本の山本さんしかり、日和日の日和さんしかり、いい人ばかりだ。

 

 

「おからかぁ、何にしようかな。肉団子にしよっかな?」

 

 

 

 予想外のおからの入手に頭の中でレシピが回転する。藍と豆腐屋に来た時もよく貰っていた。あのときは大体油揚げを買うついでに貰っていたわけだけど、使い道はおおよそ分かっている。

 

 

「肉団子、いいですね。肉団子にしましょう」

 

 

 椛は肉団子という言葉に期待しているみたいだ。

 帰ったら早く料理を作らないと。霊夢も希もなごみも待っている。

 

 

「あっ……」

 

 

 そんなことを考えていると前方に見知った姿を見かけた。それは、誰よりもよく知っている顔をしていて、誰よりも頭の中で区別されている姿をしていた。

 ゆらゆらと揺れる大きな9本のしっぽ、不思議な帽子、白と青を基調とした衣服を着た女性―――藍の姿が目に入った。

 視界から得た情報が脳内で処理された瞬間、体に力が入った。気付かれてはいけない。記憶は曖昧にしたはず。僕はあくまでも他人のはずだ。

 藍はこちらに向けて足を進めてくる。顔色は悪くない。どうやら前までの生活に戻れているみたいだ。目に隈はできていないし、疲れは見受けられない。

 良かった、藍が助かって。僕は心の底からそう思った。そう思ったら強張った体が弛緩した。

 ああ、もう大丈夫だ。安心して歩いていける。

 

 

「買い物も済んだし、帰ろっか」

 

「挨拶、しなくていいんですか?」

 

「いいよ、元気でいてくれるのならそれで満足だ。もちろん最後にはって思いはあるけど、今はこれで十分。そう、十分すぎるぐらいのご褒美だよ」

 

「そうですか……和友さんがそういうのなら」

 

 

 僕と椛は来た道を戻っていく。ごく自然な表情で歩いていく。

 きっと藍は、これから大好きな油揚げを買うのだろう。橙、紫、そして藍、そして個人的に食べる分―――合計4枚の油揚げを買うのだろう。

 そんな簡単に脳内でイメージできる光景に優しい気持ちになる。

 だけど、話しかけてはいけない。この気持ちを藍に伝えてはいけない。視線を進行方向に向けて藍の視線と合わないようにする。

 僕たちのすぐ隣を藍が通り過ぎる。何事もなく通り過ぎていく藍の姿を見て心の中に安堵感が生まれた。ああ良かった、紫の言った通り記憶はちゃんと消えているみたいだ。

 通り過ぎてから10メートルほど進んだところで一度立ち止まり振り返ってみた。

 藍は嬉しそうに先ほど話した豆腐屋の店員と話している。油揚げが好きなのは変わっていないみたいで、変わらない藍の笑顔に自然と顔が綻ぶ。

 さぁ、僕も前に進もう。藍も新しいスタートを切ったのだ―――僕だって。そう決心して前を向こうとした瞬間、豆腐屋の店員がこちらを指さすのが見えた。

 ―――まずい。

 そう思った時にはすでに遅かった。

 藍がこちらを見た瞬間に目線が交錯した。

 藍の目が大きく開かれる。そして、こちらに向けて走ってくるのが見えた。

 

 

「椛、少し速足で行くよ」

 

「はい」

 

 

 少しだけ速足で人の間を縫うように人里を出ようとする。椛の手を引いて、前進する。焦りが足を回していく。

 今、会ったら駄目だ。会ってしまえば、思い出してしまうかもしれない。思い出してしまったら前と同じ状況になりかねない。そうなったら何のために記憶を曖昧にしたのか分からなくなる。これからの僕の思い描く未来に暗い影が差してしまう。

 

 

「おい! そこの者、待て!! 逃げるな!!」

 

 

 後方から大きな声が響いてくる。藍の声に急かされる様に、僕と椛は勢いよく駆けた。

 だが、藍の声に反応したのか周りの人々に行く手を阻まれた。

 

 

「ちょっと君、賢者の式神が呼んでいるよ!」

 

 

 藍が妖怪の賢者の式ということもあって、人里の人間はどちらかというと藍の側の存在だ。逃げようとする僕たちを止めようと次々と手が伸ばされ、服を掴まれる。

 これは駄目だな―――確実に追いつかれる。

 僕たちの足は完全にその場に停止した。

 僕の肩によく知った温度の手が置かれる。手が置かれただけで、それだけで藍の手だと分かってしまう。よく知った感触に、思わず涙が出そうになった。

 

 

「なぜ私から逃げる!?」

 

「追いかけてくるから、です」

 

「私が追いかける前に逃げただろう?」

 

「…………」

 

「だんまりか。妖怪と一緒に人里に来ていたようだが、買い物にでも来ていたのか?」

 

「そうです」

 

「人と話をするときは目を見て話せと教わらなかったか? こっちを向け、顔を見せろ」

 

「嫌です」

 

「こっちを向け!」

 

 

 両肩を思いっきり引っ張られて正面を向けさせられる。

 藍の顔が目の前にある。よく知った瞳が僕の瞳を貫いてくる。

 ああ、本当に藍だ。藍が目の前にいる。何も変わっていない良く知った顔が、家族の顔がそこにはあった。

 久しぶりだね―――心の中にそう告げて目線を交わす。

 視界に入る藍の瞳には、動揺が見て取れた。

 

 

「……お前、私とどこかで会ったことはないか?」

 

「ありません。少なくとも私に記憶にはありません」

 

「名前を聞かせてもらえないだろうか。私は、会ったことがあると思うのだ」

 

 

 きっぱりと知らないと答えると、藍は寂しそうな表情を見せる。

 思い出せない。だけど、もうそこまで記憶は蘇りつつある。曖昧にした靄を晴らし、世界を照らす時が近づいている。

 両肩に乗せられた手に力が入っているのが伝わってくる。

 どうしたものだろうか。どうしたらいいのだろうか。想定外の状況に困っていると―――椛が明らかに怒りを込めた言葉を吐き出した。

 

 

「離れてもらえませんか?」

 

「何?」

 

「妖怪の賢者の式神が人間相手に何をやっているのです。私たちは何も悪いことはしていません。貴方に迷惑をかけたわけでもありません。その肩に置いている手を放してください。こんな力で脅すようなことをして、妖怪の賢者の従者ともあろうお方が何をなさっているのですか?」

 

「す、すまない! 痛かったか?」

 

 

 藍はそう言って勢いよく離した両手を再び肩に向けてゆっくりと伸ばしてくる。きっと優しく撫でようと思ったのだろう。昔のように、怪我をした時のように、気遣おうとしたのだろう。

 だけど、その手は僕まで届かなかった。椛が伸びてくる藍の手を叩き落としたのである。

 

 

「触れるな!!」

 

「っ……!」

 

 

 椛の明らかな敵意のこもった視線が藍に向けられていた。

 その敵意にあてられたのか、藍の表情にもじわじわと怒りが浮かび上がってくる。

 

 

「貴様……!」

 

 

 周りの人間が一触即発の空気を感じ取って距離を取り始める。

 ああ、どうしてこうなってしまうのだろう。どうしてうまくいかないのだろう。みんな仲良くできるはずなのに。どうして拗れてしまうのだろうか。

 原因は何なのだろうか。

 いいや、原因なんて分かっている。

 そう―――僕にあるって。

 

 

「ごめんなさい」

 

 

 二人に向かって頭を下げる。精一杯の謝罪の気持ちを込めて、頭を九十度まで下げる。

 こうなってしまう原因は、僕が作り出した。こうなってしまったのは僕の責任によるところが大きい。きっと僕がいなければ、こうはなっていなかったはずだから。

 僕は、藍の手を取って叩かれた部分を優しく擦り、謝罪の言葉を告げた。

 

 

「ごめんなさい。痛かったですか?」

 

 

 続いて、椛の頭を優しく撫でた。

 

 

「ごめんね。怒らせちゃって」

 

 

 二人は、黙ったまま何も口にしなかった。されるがままという状態だった。

 きっと突然謝ってきたことに頭がついていかなかったのだろう。どうして謝っているのか理解できなかったのもあるだろう。

 でも、きっとここで謝らなければならないのは僕で間違っていなかった。

 

 

「八雲藍さん、で合っていますよね?」

 

「あ、ああ」

 

「初めまして。私の名前は、笹原和友と言います」

 

「笹原、和友……」

 

「これからよろしくお願いいたします」

 

 

 深々ともう一度頭を下げる。

 これからかけるだろう苦労を想いながら。

 これまでの感謝を込めながら。

 名前を呪文のように繰り返し口にする藍を目の前にしながら誠心誠意を行為として表す。

 

 

「……椛、行こうか。またどこかで会った時は、声をかけてください」

 

 

 それだけを言い残して今度こそ藍を置き去りに歩き出す。椛と共に歩き出す。

 これからの未来を歩む僕の隣にいるのは藍ではない。藍と共に歩む未来はあの時消えたのだ。あの時、紫との勝負に負けて大事なものを把握した瞬間に消えてなくなった。僕と藍は、未来に向かって歩くために過去を置き去りにすることで、前に進んだのだから。

 

 

 人里から抜け出し、空を飛んで博麗神社へと帰る。

 藍が追ってくる様子は見受けられない。どうやら話をした後からついてきていないようだ。

 進行方向を向きながら、今後のことに思考を向ける。

 これからどうすべきだろうか。やらなければならないことは山ほどある。希やなごみのこと、強くなること、料理のこと、藍のこと、椛のこと―――そんな山のような思考に埋もれそうになっていると、唐突に椛から声をかけられた。

 

 

「先ほどはすみません、我慢できませんでした」

 

「何に我慢できなかったの?」

 

「なんだか、和友さんが私の前からいなくなってしまうような、八雲の式神のところに戻ってしまうような、私の居場所が奪われてしまうような気がしたから―――つい手が出てしまいました……」

 

「僕は、もうあそこには戻らないよ。ここでしかできないことがあるから。僕はずっとここにいる。死ぬまでここにいる」

 

 

 椛は、申し訳なさそうな雰囲気を醸し出しながらも嬉しそうに微笑む。

 そう―――藍の隣にはもう僕の居場所はない。藍の隣は、僕がやるべきことをするためには随分と小さすぎた。そして藍にとって僕という居場所は大きすぎた。一緒に生きていく方法もあったけど、それはお互いに破滅を選ぶ道しかなかっただろう。僕が死んだ瞬間に押し潰されて死んでしまったことだろう。

 何にせよ、今日の一件で分かったことがある。それは、記憶を曖昧にして急に記憶が戻るということはなさそうだということだ。今日の藍の反応で大分安心した。僕が行った施術は確実に機能している。それが分かったのは、食料を手に入れるよりも大きな成果だ。

 そして、そんな大きな成果を手に入れた僕を博麗神社で待ち構えていたのは、霊夢の口から発せられる怒声だった。

 

 

「真面目にやりなさい!! そんな適当じゃ空なんて飛べないわよ!!」

 

「それは霊夢の教え方が悪いんじゃん!」

 

「教え方に問題なんてあるわけないわ。この私が直々に教えてあげているのよ! なんでできないのかさっぱり! 素質ないんじゃない? 止めちゃえば?」

 

「絶対に止めないから! 何を言われようとも止める気はないわ! このままお荷物になる気はさらさらないのよ!」

 

 

 なごみも希の言葉を肯定するようにブンブンと首を縦に振る。声なんて届いていないはずなのに。心が通じているとでもいうように諦めたくないと―――目が訴えている。

 これなら大丈夫だ。

 諦めなければ、きっとできるようになる。

 できると信じていれば、できるようになる。

 僕が言うのもなんだけど、人ってそういうものだと思う。

 

 

「あっ!! 和友! いいところに来たわ!!」

 

 

 僕を見つけた希となごみがこちらに駆けてくる。

 顔には不満の表情がべったりの希がまくし立てる様に勢いよく今抱えている気持ちを吐露した。

 

 

「あの鬼巫女になんか言ってやってよ。あんな教え方じゃ永久に飛べやしないわ。フーンってやってビューン!って飛ぶって……小学生の説明かっつーの!」

 

(あんな感覚的な方法じゃ、できる気がしません。私たちに才能がないのかもしれませんが、あれじゃあんまり、かな)

 

 

 うーん、天才型の人は割と感覚でものを伝える人が多いって聞くけど、霊夢もその割合多い方の人間だったようである。

 霊夢はきっと何も考えずに最初からできていたんだろうな。飛ぶということを理論立ててやったわけじゃなくて、飛びたいなとイメージしたら飛べたのだろう。

 僕はこの時初めて椛が人里に行く途中に言っていた言葉の意味が分かった。これは、力の使い方を学ぶまでは飛ぶ練習をするのは止めておいた方がいいかもしれない。このままやっても時間の無駄になる可能性が高い。どうしたものだろうか。

 

 

「ちょっと希! 聞こえてんのよ!」

 

「聞こえているように言っているんだから聞こえるに決まっているじゃない!」

 

「せっかく善意で教えてやるって言っているのにその言い草は何なの!? 私が教えてあげているのよ!?」

 

「それだけの教える実力をつけてから言ってください。無能に言われたくありませーん」

 

「無能はどっちよ! 飛べないくせに!」

 

「それは霊夢の教え方が下手くそなせいでしょう!? そんな小学生みたいな説明しかできないようじゃ話にならないわ。あー、ものを説明できない人間は頭が悪くて適わないわ。こっちまで頭悪くなりそう」

 

「それは逆よ―――希の頭が悪いから私の話が理解できないのよ。私は、希とは次元が違うの。そんなことも分からないの? これだから愚か者は……」

 

「ああ? 喧嘩売ってんの?」

 

 

 売り言葉に買い言葉というように白熱した罵り合いが目の前で繰り広げられる。

 普段言葉数の少ない霊夢がここまで言い争いをしていると、実は仲がいいんじゃないかと思ってしまう。目の前の光景は、思わず笑みをこぼしてしまうぐらい漫才染みていた。

 

 

「和友! 希に言ってやりなさいよ! どっちの立場が上なのか!」

 

「そうそう! 言ってやりなよ! 霊夢の教え方がどれほどド下手くそなのか!」

 

 

 霊夢と希が迫るように顔を近づけてくる。

 本当によく似ている。負けず嫌いなのも。素直じゃないところも。退くに引けなくなっているところも。意固地になるところも。そっくりに見える。

 ふふっ―――目の前の光景に思わず笑ってしまった。

 

 

「何笑ってんのよ? ちゃんと話聞いてたの?」

 

 

 おっといけないけない。

 さて、どうしようか。

 ちょっとだけ思考を巡らせると、ある案が頭の中に浮かび上がった。

 

 

「なごみ、ちょっと来てもらえるかな」

 

 

 なごみと視線を合わせて手招きする。

 なごみは、意図を察することなく僕の近くまで寄ってきた。

 

 

「じゃあ、僕がなごみを教えるから。霊夢は希に教えてあげて。どっちが早く飛べるようになるか勝負ね。負けたら勝った人のいうことを一つ聞くってことで」

 

「「ちょっと待ちなさいよ」」

 

「それだけ息が合っているならすぐにできるようになるよ。分担した方が霊夢の負担も減るだろうし……それとも何かな? まさか霊夢ともあろう人が僕より教えるのが下手なの? 希もまさかなごみよりできるようになるのが遅いってことないよね?」

 

 

 煽るような言葉に、二人の顔色が赤色に染まる。

 

 

「「やってやろうじゃない!! 負けたら覚えておきなさいよ!」」

 

 

 二人は、そう言って元々練習していた場所まで歩いていく。さっきまでの邪険な空気はもはや二人の間にはない。あるのは、勝つという熱意だけだ。

 

 

「霊夢、絶対勝つわよ。なにがなんでもこの勝負、勝つわ!」

 

「当然でしょ? 下手くその称号は和友だけで十分だわ!」

 

「……アホですか、あの二人は」

 

 

 椛があきれた様子で二人を見つめている。

 ふふっ―――さてと……こっちも頑張らないとね。

 そっと、目の前にいるなごみをみていると、その顔には満面の笑みが浮かんでいた。

 

 

「さぁ、こっちもさっそくやろうか」

 

 

 視線が合ったなごみが深く頷く。

 

 藍―――今の僕の居場所は、ここにあります。

 どうか、藍にとってもそんな居場所がありますように。

 僕は、今あるこの居場所の中で新たな一歩を踏み出した。

 




影狼さん出したいなぁと思うこの頃です。
出したいけど、尺が足りない……センスの問題ですかね。

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