ぶれない台風と共に歩く   作:テフロン

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第8章の2話目です。
8章は、妖々夢の前のお話になります。


座って見える現在、立って初めて見渡せる未来

 僕は、永遠亭に行って八意先生と鈴仙といつも通りの仕事を行った。いつも通りとは言うけれど、いつもと違ったところが一つだけある。

 それは、道中に付き添っているはずの椛がいないことだ。怪我の容体がすぐれず、動くたびに痛みを感じるようだったので無理をさせないように博麗神社に置いてきた。本人はどうしても付いてきたがっていたが無理やり置いてきた。

 霊夢にも追いかけてこないように気を遣ってほしいと伝えたから付いていこうと思っても無理だろうけど、無理を押し通して追いかけてこないか心配だった。椛は、僕と同じで結構強情だから。走り出すと急に止まれないから。そんな心配もあって、永遠亭に行くのは後ろ髪を引かれる想いだった。

 もちろんだが、外来人の二人にも博麗神社で待つように言っている。飛べない彼女たちが永遠亭に来るのは無理だし、博麗神社の立地上人里に行くのも一苦労になることが考えられたための結論である。

 大丈夫だろうか。喧嘩になっていないだろうか。少しの不安を抱えながら帰った僕に最初にかけられた言葉は、余りにもぶしつけな言葉だった。

 

 

「あの椛ってやつどうしたの? 話しかけても何も言わないしさ。言葉が通じているのか不安になるレベルなんだけど……というか暗すぎて部屋の空気が重くてさー」

 

「…………」

 

「なごみさん、ごめんね。今の僕の知識じゃ手話は理解できないよ。できれば筆談でお願いね」

 

「なごみが言うには書いても見てもらえなかったって。目の焦点が合ってないって。なんかあったの?」

 

「うん……いろいろあった、と思う」

 

 

 嘘でもなく、本当に色々あった。

 椛がどうしていたのかは直接見ていないから実際には分からないけど、見たときの美鈴と椛の状態から何となくどんなことがあったのか察しは付いた。

 そこであったのは、きっと椛の生き方に関わるようなこと。

 これからの未来を否定するような、これまでの過去を壊されるようなことがあったのだということ。

 

 

「思うって……知らないの?」

 

「僕は現場を見ていないからさ」

 

「へー、じゃあ何に落ち込んでいるのかは分からないってわけね」

 

 

 そう言って部屋の中の隅に座っている椛に向けて歩き出す彼女―――加治屋希(かじやのぞみ)は、僕と同じ年の中学3年生である。

 今日、簡単に自己紹介したときにいろんなことを話てくれた。あくまでもさらっと話をした印象でしかないが、加治屋希という人物は思った以上におしゃべり好きで前向きな人間のようだった。

 

 

「私の名前は加治屋希。加える、治す、屋台の屋、そして希望のきって書くの。今、中学三年生。部活はテニス部よ!」

 

 

 もう一人の彼女は―――松中なごみと言った。松中なごみは、僕が手話をできないと分かってか、いつもノートを持っていてそこに文字を書くことでコミュニケーションをとってきた。

 書いてあった内容をそのまま転写すると

 名前: 松中なごみ 中学3年生。部活はやっていません。加治屋希ちゃんとは小学生以来の友達ですって書いてあった。

 それを確認した僕が、よろしく―――そういう意味を込めて手を差し出すとすごく嬉しそうに手を握り返してきてくれた。

 そこまで喜ぶことかな? そんな疑問を抱えてしまうほど反応が逐一大げさに見えるのが印象的な女の子だった。

 

 

「で、あんたの自己紹介は?」

 

「ちょっと待ってね……」

 

 

 流れで僕の自己紹介が入ることになったため、慌ててノートを取り出して自己紹介に必要な文章を構成する。こうして自分のことを文章に起こすのは本当に久しぶりだ。

 簡単でいいだろう―――名前と職業を書いて、今頑張っていることを簡単に記載した。

 

 

「僕の名前は、笹原和友。外の世界にいたら同じく中学三年生だったかな。部活は野球をしていました。今の目標はみんなに追いつくことかな。僕、弱いから」

 

「和友って思ったより優しいんだね。なんだかなごみの扱いが分かっているっていうか、もしかして友達に耳の聞こえない子とかいた?」

 

「いないよ。少なくとも僕にその記憶はないかな」

 

「そう? というか笹原和友って名前、どっかで聞いたことある気がするんだけど……思い出せないわね」

 

 

 僕の名前をどこかで聞いたことがあるという言葉に僅かな期待感が心を通過する。

 もしかしたら僕のことが外の世界でニュースになっているのかもしれない。家族はみんな死んでしまって、その子供が行方不明になっているということで全国ニュースになっているのかもしれない。

 僕を覚えてくれている人がいる。死んでしまっているような僕のことを知っている人がいる。2年も経ってまだ記憶されている。なんとなくでも、うろ覚えでも、覚えていてくれる人がいたという事実が何より嬉しかった。

 自己紹介の内容は以上である。これ以上の深掘りは特にはなかった。基本的にどんな生活スタイルで生活しているのかを話しただけである。

 見知らぬ他人から自己紹介を行っただけの顔見知りの関係に昇華した二人の外来人―――そのうちの一人の加治屋希は椛のところへ向かい、椛の目の前で止まった。

 

 

「なんでそんな辛そうな顔しているわけ?」

 

「…………」

 

「だんまりとか……見ていてイライラするって言ってんの―――分かる? 空気が悪いの。あんたが暗いせいで部屋の空気まで暗くなってんのよ」

 

 

 希の口から煽るような言葉が椛に向かって浴びせられる。いつもの椛だったら怒ってもおかしくないような言葉の雨が椛を目がけて落ちてきている。

 それでも、椛が何らかの反応を示す様子は見られなかった。動かず虚しそうな瞳を下に向けているだけだった。

 

 

「このパターンは駄目か……ちょっと和友、いい?」

 

「いいけど、何?」

 

「外に出かけない? 何でもいいわ。遊びでも、食事でも、それこそ労働でもね。ここにいたんじゃ何も変わらない。変えるなら空気から変えていかないと」

 

 

 希から外に出ようと提案がなされた。

 確かにこのまま部屋に閉じこもっていても何も変わらないだろう。通りの悪い部屋の中では何も変化しない。外界が遮断されて外との繋がりが絶たれているこの部屋では、環境を変えることはほぼほぼ不可能である。変えるなら空気から、環境から変えてしまおうというのが希の考えのようだった。

 じゃあ、どうしようか。

 どこがいいだろうか。

 そう考えた頭の中には、一つの選択肢が浮かんでいた。

 

 

 綺麗な空。

 深い緑の木々。

 清らかな川。

 空気の透き通った感じ。

 そして他に誰もいない開けた空間。

 いいね、心が落ち着く。

 

 

「私たち、なんでこんな場所でこんなことやっているわけ?」

 

「え? 空気変わったでしょ? それにやるなら後で役に立つというか、使えるものにしようかなって思ってさ」

 

 

 今、僕たちは釣りをしている。

 場所は妖怪の山から流れている川の下流のところ。ちょうど妖怪の山に入る一歩手前というところだろうか。妖怪が絶対に出ないという場所ではないが、比較的安全な釣り場である。

 川の透明度は、底が見えるぐらい綺麗だ。獲物である魚が普通に見える。狙って針を落とすことだって難しくない。そんなことをしたら魚が逃げていくから絶対にしないけど。

 釣り竿は博麗神社にあったものを借りている。もちろん人数分無かったから、釣り竿がない人はハイキングをしに来たみたいになっているけど、あくまでも目的は魚釣りである。晩御飯の確保である。

 そこまで成果にこだわっているのは、何かしら釣って帰らないと霊夢に怒られてしまうことが予測されたからだ。

 きっと期待しているだろうから少しでも多めにとって帰らないとね―――なんて息巻いているのは残念ながら僕だけだった。

 

 

「まぁ、そうかもしれないけどさ。なごみが怪我したらどうするつもりだったのよ」

 

「そうなったら椛と同じように抱えたかな」

 

「あんたね! なごみは!」

 

 

 足場の悪いところで詰めかかろうとしてくる希を遮るようになごみが割って入る。大きく腕をクロスしてバツ印を作っている。

 

 

「ん!」

 

「だって、なごみ」

 

「んっ!!」

 

 

 そこから一気に二人の争いは激化した。

 僕は、必死の形相で手話を行っている二人を差し置いてぼーっと川の流れを見つめる。水は流れるままに、止まることなく下流へと流れている。

 そっと隣を向いてみる。椛は相変わらず下を向いていた。何も見ようとしない。自分の世界だけを見つめて、心の中で戦っている。

 何が正しいのか、これからどうすればいいのか悩んでいるのだろう。

 僕は、こういうことを考えている人がいたら基本的に何も言わないようにしていた。

 だって、誰かがどうこう言ったところで雑音にしかならないから。それは自分で見つけるべき回答だと思っていたから。仮に誰かから与えられるとしても、それは後に続かない僕ではないと思っていたから。

 

 

「まぁ、なごみがそういうのなら仕方ないわね。和友、なごみが怪我したら許さないから」

 

「それは責任もって守らないとね」

 

 

 希の対応から、希の中のなごみの優先順位はかなり高いように感じられる。僕も人のことを言うことができる立場ではないけど、自分のことよりもなごみのことの方が優先順位が高いように思えて仕方がなかった。

 自分よりも大切なもの。そういうものを持っている人は割と多い。これだけは譲れないというか、それを失ったら自分じゃなくなる、それを傷つけられると自分ではなくなってしまう、そういうものを誰しもが持っていると言ってもいいほどに抱えているものである。内容は人それぞれだが、その分―――その人の性質というものが露骨に出やすい。

 僕で言えば―――普通という概念になるだろうか。

 希で言えば―――なごみになるのだろうか。

 それが生活というか、自分の生き方の指針になっている。あるいは、そういうものが大切だと分かっているのに自分が持っていないからそれを手に入れようとしている。

 僕の場合はそうだけど、希の場合は何だろうね。譲れないものが特定の人の場合には、どういうことが考えられるのだろうか。

 なんにせよ、なごみの取り扱いは気を付けないと面倒くさくなる。そんな警戒情報が脳内を駆け巡っていた。

 どう伝えたらいいだろうか。どう書いたらいいだろうか。僕はなごみとコミュニケーションを筆談とジェスチャーでしか取れないから持っているノートに頭の中に浮かんだ言葉を文字として記載し、コミュニケーションを図ろうとする。

 気持ちができるだけ伝わるように書くには、どうしたらいいのだろうか。そんなことを考えなら文字を書き連ねていく。

 文章に感情を込めるのは難しい。思った通りに書いても、そのまま相手が受け取ってくれるかは分からない。

 だから、できるだけ間違えないように。できるだけ真っすぐ伝わるように。間違えが出ないように回りくどい言葉は一切書かず、今思った気持ちをできるだけ簡単に書いてそれをなごみに見せた。

 

 

「…………っ!」

 

 

 見せた瞬間になごみの口がパクパクと開いたり閉じたりしながら顔を真っ赤に染めて俯いた。

 あれ、予想していた反応と違うな。

 

 

「ちょっと、なごみに何を見せたのよ!」

 

「変なものは見せていないよ。思ったことをそのまま書いただけだ」

 

「じゃあ見せなさいよ!」

 

「なんで希に見せなきゃいけないのさ。なごみから教えてもらえばいいじゃないか」

 

 

 ぎゃーぎゃーと騒いでいる希を無理やり抑えて、後をなごみに委ねる。なごみもまさか放り投げられると思っていなかったのか、慌てて距離を取ろうと動き始めた。逃げるなごみの後を追うように希が駆けだしていく。希の矛先は完全になごみに向いたようで、二人は動きながら手話での格闘を始めた。

 僕は、しゅぱぱぱという擬音が似合うような動きをしている二人を残して川の流れを静かに呆然と見つめている椛の元へ近づき横に座る。手を伸ばせば届きそうな距離だった。

 何も言わない椛の隣で、何も言わずに釣り竿の針に餌を取り付けて川にめがけて放り投げる。そして、呆然と魚が餌に食いつくのを待った。

 

 

「「…………」」

 

 

 川のせせらぎと風によって木々がなびく音が聞こえる。葉がこすれあってざわめいている。それ以外に聞こえてくるのは、遠くで希となごみが争っている音だけだった。

 外に出てきても椛の状況は変わっていない。相変わらず重い空気が椛から発せられている。ちょっとだけ俯いている角度が上がっているのが唯一の変化だろうか。

 それでも、それだけでも変わったということが何よりも大きく変わったということのように思えた。

 

 

「和友!」

 

 

 急に大きな声で呼ばれて勢いよく後ろを振り向く。希の手招きする様子に何だろうと立ち上がり、声の源泉へと移動した。

 顔が恐ろしく怖い。怒っているのが見ただけで伝わってくる。

 

 

「何をしているの? あの椛って子になんか話してあげなさいよ。何のために外に出たと思っているの?」

 

「僕から話すことなんて何もないよ。椛から話さなかったら僕から言うことなんて何もない。無理やり言わせるのもなんだか違う気がするし、何より悩んでいる内容はきっと椛が自分で考えて答えを出さなきゃいけない事だと思うんだ」

 

「何のんきなこと言っているの?」

 

「僕はふざけてこんなことを言っているわけじゃないよ。こうするのが一番いいと思っているからそうしているだけだ」

 

 

 僕には希が怒っている理由が分からなかった。

 大真面目に傍にいてあげるのが一番いいと思っているし、それ以上を踏み込むのは野暮だと思っている。

 何をすればいいのか。何をしていくのか。それを決めるのはあくまでも本人であるべきだ。誰かに決められたから、誰かから言われたから、そんな理由で前に進んだところで壁にぶつかって終ってしまう。

 そう―――今回のように。

 手伝ってほしいと言った僕の提案を受け入れただけ。

 特にやることがなかったから目的がなかったからとりあえず据えただけ。

 自分がやりたいからじゃなくて、何もしていないというのが嫌だっただけ。

 そんな気持ちをもって目指した目標では壁にぶつかったときに推進力を失い停止する。そして、壁を見上げた時に気力を失う。高い、厚い壁に嫌気がさす。無理だという気持ちが、意味がないという負の感情が、役に立たないという不甲斐なさが、上を向く気持ちを削いでいく。

 そんなんじゃ駄目だ。

 そんなことでは生きていけない。

 これからを進んでいけない。

 前を向くためには、先に進むためには、何よりも自分で選んだ答えが必要だ。悩んで悩み抜いた先にある答えが未来を支えてくれるはずだ。そう考えていたから、待っていようと思っていた。

 それが僕の考えだった。

 これが普通なんだと思っていた。

 こうするのが一番いいのだと思っていた。

 だけど―――希は違っていた。

 

 

「一番いいって何よ。何を分かっている気になっているの!?」

 

 

 希の右手に不意に胸倉を掴まれる。避けることも躱すこともできずに、掴まれた手によって息が苦しくなって、楽になろうと自然に足が立ち上がった。

 立ち上がった先にいた希の瞳の中には、僅かに涙が光っていた。

 

 

「そいつはこの世に一人しかいないの。そいつにとっての一番いい方法なんて分からないじゃない。何を求めているかなんてそいつにしか分からないでしょうが!」

 

 

 鬼気迫るような表情で詰め寄ってくる。

 なんでそんなに泣いているのだろうか。

 なんでそんなに怒っているのだろうか。

 なんでそんなに悲しそうなのだろうか。

 僕には分からなかった。

 

 

「聞いてもいないのに勝手にこれが正しいって、こうすべきだって決めつけているんじゃないわよ!」

 

 

 

 希の感情の在りかは分からなかったけど―――その口から発せられた声が伝えてくる言葉の意味は何となく理解できた。

 世の中の人間は、みんなバラバラだ。

 同じ人は一人もいない。

 それなのに型にはめたがる人間はいっぱいいる。血液型で、生まれ月で、世代で、クラスで、近所で、兄弟で、親子で、一括りにして見る人がいる。

 みな同じ人間だって御託を並べる人もいるけど、同じ人間なんだから協力しようなんて言う人もいるけど、君の隣にいる人は君とは違う人間だよといつも思う。

 僕の目の前にいる少女と僕は違う。僕と僕の友達は違っていて、僕と僕の両親は違っていて、誰一人として同じ人はいない。みんな違って、みんな異なって―――同じ人間なんて一人もいないんだ。

 それと同じだった。希の言う通り誰にとっても一番いいこと―――そんな選択肢は世の中には存在しないというのも真理だと思った。

 

 

「言わなきゃ伝わらないのよ! 外からこじ開けないと開かれない殻だってあるのよ! 溜め込んで内側から壊れる前に外から出してあげる、そうしてあげないと取り返しがつかなくなることだってあるかもしれない!」

 

 

 涙は頬を伝っていく。

 目線が涙を追いかけていく。

 僕を貫く瞳は変わらず僕の瞳を捉えていた。

 

 

「和友、あんたは放棄しているだけ。自分ができることを、やれることを見て見ぬふりをしているだけよ! 何を危惧しているのか知らないけど、何に怖気づいているのか分からないけど、他人に寄りかかってでも立っていないと先の景色なんて見えないの!」

 

 

 そっと後ろにいる椛に目をやってみる。

 椛は相変わらず何も言わない。

 自分のことを言われていると気付いてはいるだろうけど、何も言わず黙ったまま川の流れを見つめていた。

 

 

「私が手本を見せてやるわ!」

 

 

 勢いよく掴まれていた胸倉が解放される。

 希の右手は感情をそのままに椛へと掴みかかった。

 

 

「おら! 立てよ! 何だよその死んだような目は! 本当に生きてんのか?」

 

 

 椛の目は下を向くばかりで光が差しているようには見えない。真っ暗な瞳は、暗い闇に濁ったように何も映していなかった。

 

 

「和友だけの問題じゃない! お前も問題なんだ! そんな自分の殻に閉じこもっていたんじゃ何も分かんないんだよ! 何に苦しんでいるのか。何を悩んでいるのか。分かってやりたくても分かんないんだ!」

 

 

 椛が力任せに揺さぶられている。

 前後にバタバタと揺れる。

 力なく立ち上がるその姿に生きているという感覚は伝わってこない。

 椛は何を想っているのだろうか。

 希の言葉を受けて何を考えているのだろうか。

 伝わっていないかもしれない。届いていないかもしれない。

 それでも、希の言葉は確実に僕の頭の中をグラグラと揺さぶっていた。

 

 

「そんなこと誰だって分かっているよ。伝えようとしなきゃ伝わらないってことはみんな知っている。僕だって、椛だって」

 

「だったら言えよ! 口から出せよ! 言わなきゃ理解したくても理解できねーだろうが! お前らにはそのための口があるだろうが! 伝えるために最も簡単な方法を持っているでしょ!?」

 

「口から出すのが最も簡単だって? ふざけた冗談は止めてよ。お前こそ勝手に決めつけんなよ。なごみが話せないからって、僕が話せるからって、椛が言葉を口にできるからって、みんながみんなそうじゃないんだよ!」

 

 

 言わなきゃ伝わらない。

 外に出さなきゃ見えてこない。

 そんなもの誰だって分かっている。

 心の中は見えないから、心の中の声は届かないから。

 見えないように作られているから―――僕たちは生きていられるんだ。

 

 

「僕たちの心は見えないようにできている。見えないから―――僕たちは生きていられるんだよ。今何を想っているとか、何を考えているとか、筒抜けになっていたらきっと僕たちは生きていられない。周りが信じられなくなる。違っているということに耐え切れなくなる」

 

 

 それはまるで生きるための弊害とでもいうように、気持ちというのは心から外に出してあげないと他人には理解されないようになっている。

 僕だって分かっている。当たり前のように知っている。

 僕のこの気持ちは言葉にして伝えないと誰にも分かってもらえないんだって。

 それが分かっていても口に出せないのは、話した後に出てくる結果が怖いからだ。

 理解されなくて、分かってもらえなくて。拒絶されるのが怖いからだ。

 意味が分からないと、頭がおかしいんじゃないかと言われるのが恐ろしいからだ。

 

 

「僕は怖いよ。口に出した言葉が何かを変えてしまって、取り返しがつかなくなるのが……」

 

 

 いや、罵られるだけならまだいい。

 僕は、重い想いを一生懸命に口に出したものを周りに氾濫させられるのが怖かった。周りを巻き込んで関係のなかった人まで何かを失うことになることだけは避けたかった。

 口に出して何かが壊れてしまうのが。

 大事にしているものが、誰かにとって大切なものがなくなってしまうのが。

 ――――怖いんだ。

 

 僕が願いを口にすれば、叶えようとする人と阻もうとする人が喧嘩をすることになる。何かが生まれて、何かが壊れることになる。周りに出た僕の閉じられた言葉が―――誰かの世界を壊す。

 

 

「だから黙っているって!? だから口を閉ざして我慢しているって!? 私には理解できないわ!! 苦しくて溺れそうになっているのに、助けてほしいと心は助けを求めて手を伸ばしているのに、無理やり殻を作って伸ばせないようにしている気持ちが!」

 

 

 椛は、何も言おうとしない。文字通り外界を遮断する殻に閉じこもって一人で溺れている。

 僕はそれを見ているだけだ。

 手を伸ばしながら苦しんで溺れている椛を見ているだけ。

 いつか出てくると信じて、自分で手を伸ばしてくれると信じて手を差し伸べているだけ。

 

 

「ふざけんなっ!! それじゃ辛いだけじゃないっ……!! あんたも! 和友も! みんな辛いだけじゃない!!」 

 

 

 希の涙と共に吐き出される言葉に心が振動する。

 辛い、見ていたくない。

 そう訴える心をいつも無視してきた。

 両手を伸ばして待っているだけ、見えているのに何もできない無力感。

 自分の責任でこうなってしまったという責任感と、罪の意識。

 両親はこれに6年もの間耐えたのだと強く想いながらこの2日間を過ごしてきた。

 今も、立ち直ってくれると信じて手を伸ばし続けている。

 今も、椛の方から手を握ってくれるのを待っている。

 

 

「和友は落ち込んでいるあんたを何とかしてやりたいって思ってる。あんたが弱音を吐くまで待ってるって、元気が出るまで傍にいるって言っているんだ! 普通こんないいやついねーよ! 誰も待ってくれないし、誰も期待してくれない。そのまま知らんぷりが大半で、関わりたくないって思う奴がほとんどの世の中でこいつはすげーと思うよ!」

 

 

 希の掴んでいる右手が引き寄せられ、両者の瞳が接触するぐらいに接近する。

 そんな両者に挟み込める言葉はもはや何もなかった。

 希が口にする言葉が真実だと思ったから。

 待っているっていう言葉に―――偽りがなかったから。

 

 

「お前のやっている行為は和友に対する明確な裏切りだ。侮辱なんだよ。待たせるだけ待たせて、自分を追い込んで、そういう姿がさらに和友を傷つけるってなんで分からないの? そうやってだんまりして、今にも死にそうな顔をするのが―――頑張っている和友の負担になるんだよ! お前を待っていてくれている奴に、期待してくれている奴にこれ以上負担をかけるな!! 空元気でもいい。嘘でもいい。元気な姿でいてやれよ! 頑張っているこいつに笑顔を向けてやれよ!」

 

 

 希の言葉に昔のことが想起される。

 昔、似たようなことを考えたことがあった。

 僕が頑張っていたころ、普通を求めて駆けていたころ。

 両親と共に踏みしめた過去を思い出した。

 

 

「どれだけの失敗をしたのか知らない。どれだけの期待外れをしたのか知らないけどね。こいつはまだお前に期待してくれているのよ。待っていてくれているの! お前が自分の足で立つのを、自信をもって前を向くのを!」

 

 

 これは、待つ側(僕にとっての両親の側)の言葉だ。

 そして、現在待っている対象である僕が言ってはいけない言葉だ。

 希の言っていることは、両親と共に頑張っている時に自分で思いついたこと。

 待っている側の負担が、涙が、苦しみが見えて気付いたこと。

 

 

「自分だけの問題だと思うなよ! お前が苦しむと同じように苦しむやつがいるってこと忘れるな!!」

 

 

 希は、そこまで言うと椛が突き飛ばす。椛のよろけた脚はかろうじて体を支えていた。

 希の腕が涙をこれ以上落とさせまいと頬を伝う涙から瞳に溜まっている涙までをふき取る。その顔には航改の色が見て取れた。

 

 

「後は任せるわ」

 

「後は任せるって言われても……希はどうするの?」

 

「ちょっと自己嫌悪してくる……」

 

 

 それだけを言い残してその場を離れていく。

 希の若干丸まった背中を見て、思わず口からそのまま言葉が出た。

 

 

「希、心配してくれてありがとう、嬉しかったよ」

 

「ば、ばかっ! 私のことはいいのよ、とっとと話してやりなさい」

 

 

 希の背中が少しだけ持ち上がる。

 責任を感じることなんてない。

 ―――後は僕が。

 

 

「ねぇ、椛……」

 

 

 そっと手を伸ばして視線を落としている椛の頭を撫でる。

 できるだけ優しく、できるだけゆっくりと撫でる。

 希はここまで言い争いになったことを後悔しているのかもしれないけど、希の言うことは結構横暴なことなのかもしれないけど、色々教えられた。

 その人にとっていいことなんて―――分からないんだって。

 そして、椛のおかげで待っている側の気持ちも理解できた。

 待っているだけ。

 黙っているだけ。

 我慢しているだけ。

 それがどんなに辛いことなのか。

 そして、それで今が変わってくれる保障なんてないんだって。それで変わってくれる現実なんてないんだって。

 あの時僕が辛いと言えば―――きっと普通を求めることはなかっただろう。あの時両親が苦しいと言えば―――きっと今の自分はなかったことだろう。

 我慢しているだけで、耐えているだけだったから―――僕たち家族は変わらずに生きてきた。

 だから僕は変わらなかった。

 だから両親も変わらなかった。

 未来の形もきっと変わらなかった。

 あの夢が正夢になるまでは決まりきったレールが敷かれていた。

 それじゃ駄目なんだ。これから先の未来を変えていくためには、待っているだけ、見ているだけでは変わらないんだって―――希に教えられた。

 だったら、今の僕にできることは一つだ。

 僕の気持ちを、想いを―――恐れることなく椛に届けることだけ。

 

 

「希はああ言うけどさ。僕だってここで椛を思いっきり叩いて、無理やりにでも立たせてもいいと思うけど―――やっぱり僕は無理やりついてきて欲しいとは思わないかな。それだと希の言う通り、お互い辛くなるだけだと思うから」

 

 

 椛は何も言わなかった。

 それでもかまわない。

 

 

「だけど、あえて僕の気持ちを口から出すなら―――僕は椛と一緒に歩いていきたい。僕の願いを叶えるためなんて思わなくてもいい。どんな理由でも僕と一緒に来る道を選んでくれたらと思う」

 

 

 椛は何も言わなかった。

 それでもかまわない。

 

 

「僕は、妖怪の山の監視を毎日続けてきた椛を知っている。椛が僕の夢を叶えるのを手伝うというのを、妖怪の山を守るのと同じように考えてくれたらいいなって思っている。意味なんてないかもしれない。役に立っていないかもしれない。だけど、それをしていない自分はきっと自分じゃないから、そんな理由を持ってくれると嬉しいなって思う」

 

 

 妖怪の山で監視の任を毎日続けてきた椛だから、一緒に歩こうと思った。

 意味がないと知りながらも、役に立たないと思いながらも、努力を重ねてきた椛だからこそ、一緒に頑張りたいと思った。

 できるならこれからも一緒に頑張っていきたい。

 僕は夢を叶えるために前を進む。

 椛は僕を手伝いたいという想いで隣を歩く。

 そんな未来があると嬉しいなって思っている。

 だけど、そう思うかは椛が決めることだ。

 

 

「椛が妖怪の山に戻りたいというのなら―――少し悲しいけど全力で応援しよう。そのための努力は惜しまないよ。椛が僕の願いを叶えてあげたいと思ってくれるのなら、僕だって椛の願いを叶えてあげるためにできる限りのことをしようと思う」

 

 

 僕にできることなら何でもする。

 椛が、一緒にいられないっていうのならその意見を尊重しよう。

 共に歩けなくても。

 一緒に進めなくても。

 それを椛が自分で選んだのなら。

 僕が尊敬する椛が選んだのなら。

 

 

「もしも手伝えないっていうのならそれでもいい。辛いから、苦しいから一緒にいられないっていうのならそれでもいい。ただ、これだけは約束してほしい。椛はいつだって誰かのために生きていたから。誰かのために何かをする―――そんな自分を誇ってほしい」

 

 

 椛が進みたい道を歩んでほしい。

 大きな歩幅で。

 大きな足音で。

 自分の道なんだと示しながら。

 自分の足取りに自信を持ちながら。

 胸を張って生きてほしい。

 そして、そんな自分を誇ってほしかった。そんな自分を好きになってほしかった。

 

 

「そして、そんな自分を好きになってあげて。椛は、誰かのための存在になれる。そんな誰かのために傷つくことができる―――優しい妖怪だから」

 

「……………」

 

「椛……僕は待ってるからね。死ぬまで待ってるから。ここで、この場所で、椛のそばで待ってるから」

 

 

 待っているから―――できる限りの気持ちを込めて言葉を送る。

 思わず高ぶった気持から涙が流れそうになるのを止めることなく、拭うこともなく、僕からの気持ちを吐き出した。

 

 

「……すぐに、追いつきますから」

 

 

 その言葉は川の流れにかき消されずに僕の耳まで届いた。

 椛の瞳から音もなく涙がこぼれ落ち、頬を伝った。

 




4月になって生活習慣が一気に変化しているので
更新が不定期になるかと思いますがよろしくお願いいたします。


感想・評価につきましては、いつでもお待ちしております。モチベーションも上がり、更新速度が気持ち速くなる傾向があります。

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