7章は、紅魔郷のお話になります。
これが紅魔郷編の最終話になります。
踏み鳴らせ。できるだけ大きく。できるだけ盛大に。
先導「迷いなき前進」は、そういう意味を込めて作ったスペルカードだ。
進め、進め、迷いなく進むんだ。
弾幕は、そんな理想を体現するように足音をたてながら迷いなく前進する。
「随分と変わったスペルカードね」
「そう思われるのは僕のイメージがみんなと合っていないからかだろうね。スペルカードは自分が一番イメージしやすいものを具現しているから。これは、そうありたいという戒めというか、目標みたいなものだよ」
僕がスペルカードを作る際にイメージするのは、そうありたいという自分の姿やこれまでの自分を表すものがほとんどだ。朧気「
先導「迷いなき前進」は、迷っている者を引き連れて前を進む。迷うことなく進む背中が誰かの目標になる。正しい道へ。望むべき未来へ。道を作り出しながら目標へと向かう。
それが僕のなりたい姿。今の僕がならなければならない形の一つ。それを忘れないためにも形にしただけのそんなスペルカード。そんな大切なスペルカードの一枚である。
「それでも随分と弾幕が薄い気がするわね。これだと私は落とせないわよ?」
「咲夜さんの弾幕が濃すぎるんだよ」
僕が最も気にしていることを平然と言ってくれる。
嫌なことを当然のことのように言ってくれる。
これでも僕の全力を出しているんだけど、どうしても咲夜さんの弾幕の濃さが僕の放った弾幕の存在をかき消してしまっている。
むしろ、なんでできるのか。なんでそれほど濃い弾幕を作り出せるのか。聞きたいのはこっちの方だ。
いいや―――違う。答えなんて分かっている。聞いても返ってくる答えがなんなのか分かっているから聞かないだけだ。火を見るよりも明らかな答えが目の前に提示されているから聞かないだけだ。
それは単純に霊力の総量に差があるという当たり前のような答えである。
それに、弾幕が濃いということもあるが、弾が霊力弾ではなく“ナイフ”というところも咲夜さんの存在感を大きくしている原因で、僕の弾幕が小さく見える要因だった。
(弾幕は厚いし……しかも、弾幕がナイフってなんだよ)
思わず心の中で突っ込みを入れてしまう。弾幕も当たったら痛いなんてものでは済まないけれど、ナイフだと痛いという感覚が鮮明に想像できるから危機意識が先行して体が勝手に強張ってしまう。特に刃物は記憶の中に根強く残っているものだから、余計に体を縛り付けてくるような魔力があった。
でも、そんなことを気にしていたら躱せるものも躱せない。わずかに大きくなっている恐怖心も全部ひっくるめて捻り潰すように際どいところをギリギリで躱す。接触しそうなところを縫うように走る。
余りにナイフとの距離が近いからナイフが通り過ぎることによる風圧が感じられる。
怖がるな。恐怖を踏みつけて、色を塗りつぶせ。スリルを楽しむんだ。恐怖感からくる命の鼓動を楽しめ。飲み込んで進まなきゃ、前になんて進めないのだから。
いつものように心の調子を整えながら疾走する。
「飛んだり跳ねたり、まるで曲芸師ね」
「バランス感覚だけはよくてね」
それでも飛ぼうとしない僕の避け方だと限界がいずれ来る。弾幕が濃くなれば濃くなるほど躱すことが難しくなって、最終的には不可能な場面を迎えることになる。自由度がないことによる詰みの場面が訪れる。
―――そう、こんなふうに。
「……っ!!」
眼前にナイフの塊がやってくる。
正面は無理だ。
横を見る―――無理。
上を見る―――無理。
どこを見ても体が通り抜けられるだけの隙間は存在しなかった。
(後退するか?)
視界を後ろに向けて後方を確認する。
駄目だ―――後退したところで逃げ道が見つからない。これまでの弾幕ごっこで培ってきた脳内機関が一気に回答を示してくる。横から回り込むナイフを躱せられる空間的余裕がない。その選択肢だと詰んでしまう。
勝負に勝つためにできることはもう何もない。
勝負はもうすでに終わってしまっている。
どこを見ても逃げ道がない。
そう、僕の進むべき道はどこにもなかった。
(これで終わり?)
飛べていれば躱せたのだろうか―――なんてありもしない考えが頭の中を通過して消えていく。
飛ぶことができれば自由度が一つ増えるだけでなく、体勢も自由に変えられるから迫りくる弾幕を躱せるだろうけど、今の状況からでは不可能である。瞬発力のない僕の飛行速度では、避けることのできる位置までの移動が完了する前にナイフによる剣山が出来上がってしまう。
最悪だ―――こんな終わり方をするなんて。
こうなることを予期されて、藍からは止めておけと言われていた。飛べるようになれと言われていた。さんざん言われていた。
それでも、いくら言われても、何を言われても、今の地面を滑走する方法で十分に戦えると思っていた。みんなのいる舞台で、同じ高さで戦えると思っていた。ある程度は戦えると思っていたけど、そんなものは幻想だったようだ。
(あんな大見得切っておいてこんな簡単に負けてしまうなんて―――)
なんでできないのか。
どうしてこうも上手くいかないのか。
そんな悔しさで心の中がいっぱいになる。
できると思っていたけど、そんなものは杞憂だったのだ。対等に戦えるなんて幻想で、想像で、妄想だったのだ。
実力が足りない。力が足りない。みんなが持っているものを持っていないから。だから勝てないんだ。
心の中の僕が鋭い刃物を突き付けてくる。
美鈴と戦えていたのはあくまでも美鈴が弾幕ごっこに慣れていなかったから。
藍と戦えていたのはあくまでもいつも練習していた相手でスペルカードの特性を知っていたから。
(なんだ―――やれるなんて思っていたのは僕の勝手な勘違いじゃないか)
まだまだ足りていない。まだまだ登れていない。こうして負けてしまうことが確定してしまった状態になってようやく自分の位置を再確認する。
僕はいつも気付くのが遅い。こうして終わるところまできてようやく、失ってからようやく理解してばっかりだ。
頭を抱えそうになる。
弱気な自分が視線を向けてくる。
諦めろという声が木霊する。
僕の目標―――約束の場所で、同じ舞台で、同じ高さで勝負をする、それを諦めろと言われているような気がした。他の誰でもない―――自分がそう言っているのが聞こえてきた。
弱気な自分に沸々と怒りが沸いてくる。
諦めるという嫌いな言葉を使っている自分に腹が立ってきた。
(ふざけんな! 僕が諦めたら誰が僕の願いを叶えてくれるっていうんだ! 今が弱いからなんだ。勝てないから何なんだ。僕の夢はまだ終わっていない!)
僕は弱い。どうしようもなく弱い。勝負をすれば負けてしまう。戦えば負けてしまう。それが今の僕とみんなの関係だ。悔しいけど、思わず唇を噛んでしまうけど、それも受け入れなければならない。
受け入れて進まなきゃ―――最後の願いに手が届かない。
僕の人生はこれからも続くのだから、終わるその時まで諦めるな。
これからだっていろんな壁にぶつかってそれと対峙していくのだから。
これが現実―――いずれ超えるべき壁だ。
超えて、未来に夢を叶えるための一歩にするんだ。
(そうと分かれば悔しがるのは後だ、今は生き残ることを考えなきゃ)
頭の中で回答が得られたら、今度はダメージを最小限に抑えるために何をすべきか、すでに頭の中はそれでいっぱいだった。
囲まれている状況で最もダメージを抑えて外に出る方法―――どこかに突破口を開くこと。そうすることで、ナイフの刺さる数を最低限に抑えることができる。無駄に動かないという選択をする方が危険である。
ここで、前に出る以外の選択肢はない。
(あそこか……!)
パッと見た感じで、感じられる霊力が最も小さなナイフの壁に向かって躊躇なく突き進む。迷いなんてない。助かるために、自分を生かすために選べる最善手なのだから戸惑う気持ちなんて何もなかった。
左手を盾に振り払うようにしてできるだけ左手にナイフを集める。体に刺さるナイフの数を減らすため、文字通りかき集める。
急所だけは避ける。刺さったら元には戻らなさそうな目や鼻、顔の部分を中心に体をすぼめて人体の急所が集まる中心線を防御する。
僕はさながら“さなぎ”のようにナイフの雨へと飛び込んだ。
「……悔しいけど、僕の負けだよ。次は絶対に勝つから。だから―――その時はもう一度勝負を受けてね」
「え、ええ……というかそれどころじゃ!」
勝負が決すると同時にスペルカードの効果が切れてナイフが消えてなくなる。刺さったナイフは全部で7本……多いとも少ないとも判断しにくい微妙な数字だ。
傷ついた場所からだらだらと血が流れていく。左手に3本、右手に1本、左足に2本、右足に1本刺さっていたナイフの傷跡から溢れ出る様に血が流出する。
わずかに残った痛覚が痛みを伝えている。
なんだか、痺れが出てきている気がする。
腕も足も思ったように動いてくれない。
顔が歪んでしまうだけで力が伝搬しない。
「待ちなさい! 今すぐ治療をしないと!」
「止まってなんていられないよ。負けてしまったけど、僕にはいかなきゃいけない場所があるんだ」
行かなきゃ。
血が流れても。
思うように足が動かなくても。
引きずりながらでも。
這いつくばっても。
僕の見たいものがある場所へ行かなきゃ。
「……っ!」
「その体じゃ無理よ! 歩くのもやっとじゃない! そのまま動けば死ぬわよ!?」
実のところ痛みはほとんどない。曖昧になった痛覚が正常な電気信号を伝搬していない。本来ならば激痛で悶えているところが、違和感がある程度にとどまっている。
だけど、肝心の体が言うことを聞かない。心は前に進もうとしているのに体が心の推進力についていかない。
一旦治療をすべきか。とりあえず血を止める方が先か。
そっと傷口に掌を接触させる。
これは……ちゃんと触れているのだろうか。もはや触覚が機能していない気がする。
いや、そんなことを気にしている余裕はない。もう僅かになっている霊力を傷口に塗り込むように投入する。直接当てる方が遥かに早く傷が塞がる。これも曖昧にする程度の能力の弊害といえば弊害である。外に出した霊力が拡散してしまう悪い部分だ。
「だから、止まりなさいって!」
「でも、僕は先に行きたいんだ。苦しくても、辛くても、僕が越えるべき壁がこの先にあるんだよ」
「それって博麗の巫女のこと?」
「そう、僕は霊夢に言ったんだ。僕が負かしてあげるって」
「私に負けたあなたが何を言っているの? 私に勝てなかった貴方に勝てる道理はないわ、諦めなさい」
「そんなもの諦める理由にはならないよ。勝てないから諦めるの? 敵わないから諦めるの? 違うよ、届かないから目指すんだ。敵わないから勝ちたいと思うんだよ。僕は、霊夢に勝ちたいんだよ!」
なぜ高い目標を掲げる者を信じられない目で見るのか。
すぐ届いてしまう目標にどれだけの意味があるのか。
できないことができるから嬉しいんじゃないか。
やれないと思っていたことがやれたから嬉しいんじゃないか。
スポーツでも勉強でも、できないことをできるようにするために頑張るんだ。
何も変わらない。変わりたいと、強くなりたいと、成長したいと思うから前に進むんだ。前に進んで勝ち取りたいと思うんだ。
「今やっても負けるなんて分かっている。そんなこと僕が一番よく知っている! 誰よりも分かっているよ!」
今の自分と霊夢の間にある差がどの程度あるのかはおおよそ分かっている。及びもしない距離がそこにはあるんだって分かっている。
でも、実際に見てみないと分からないから。
目指すべき場所がそこだから。
見なきゃいけないんだ。
霊夢のいる場所を、今の僕と霊夢の間にある距離を。
それがいくら遠い場所だとしても。
それが到底泳ぎ着けない場所にあったとしても。
そこに僕の叶えたい望みがあるのならいくらだって、挑んでやる。
「それでも、諦めるなんて僕には無理だ。実力がないから、弱いからなんて理由で諦めるのは誰だってできる。それじゃ何も変われない。何も見えてこない。今いる場所から少しも動かないじゃないか。何も成長できないじゃないか!」
「ここから先へは行かせないわ」
進路を塞ぐように立ちはだかってくる。
力があれば超えられた壁だ。
打ち負かせることができれば、こんなことにはならなかった。
「弱いのは僕が悪い。力がないのは僕の責任だ。だけどな―――僕の進む道を遮るっていうのならもう一度勝負してもらうぞ!」
邪魔だ! どけよ! そこをどけ! 道を遮るな!
心が煩く叫んでいる。
そして、それがどんな理屈にも適っていないことを理性が訴えている。
負けたから、弱いから進めないんだと理性が回答を示している。
だけど、僕の心はその思いを口からそのまま吐き出した。
「邪魔だ! どけよ! 僕は未来を掴むために、未来を見るために、霊夢の姿を見なきゃならないんだ! 僕が進む道を遮るっていうのなら―――押し通してやる!!」
心が叫んでいる。
望みを訴えている。
前に進め。大地を踏みしめろ。
さぁ―――一段目を登れ。
高く高く、もっと高いところ。
みんなのいるところまで。
「っ!!」
一歩を踏みしめる。音を立てて前に進む。
すると相手の足が一歩下がった。
気を抜くとよろけそうになる。
力抜くと倒れそうになる。
食いしばれ。負けない。絶対に負けない。諦めない。
前に進め。進め。心の中で声が反響する。
もう一歩を踏み出す。
どけ、退け!
今度は、僕の願いに反発するように相手の足は下がらなかった。
退かないんだったら勝負だ。
どかないんだったら勝負だ。
「さぁ、もうひと勝負だ。僕は花があるうちに辞めるんじゃなくて、落ちぶれてぼろぼろになっても生き続けようと決めたんだから!」
強がってみせる。精一杯の想いを口にして心を奮い立たせる。
その瞬間―――一陣の風が目の前を通り過ぎた。
目の前に白と黒を基調とした服を着た魔法使い―――霊夢の友達が降り立った。
「よく言った! その弱さじゃ喧嘩は買えそうにはないが、心意気だけは買ってやるぜ!」
「何者!?」
「私がその場所まで連れて行ってやる。高すぎる壁に絶望しても知らないからな」
「望むところだよ。壁は高ければ高い方が燃える方だ」
「それはなによりだ!」
箒を持った白黒の背中が咲夜を遮るように立ちはだかる。
僕から見えたその背中は、今まで見た誰の背中の中でも特に大きく見えた。
「ほら、行け! 私がこいつを倒す前にな。そうじゃないと、お前が霊夢のところに辿り着く前に決着がついちゃうぜ?」
「ありがとう」
「さっさと行け。この分の借りはいつか奪っていくからな」
ふふっ、本当に面白い人だ。さすが霊夢の友達というだけはある。
痛みが僅かに残るなかで笑う。
奪えるものなら奪ってみろ。
心の中でそう言い返して前を向いて先に進んだ。
「さぁ! ここからの相手は私―――霧雨魔理沙だ。相手にとって不足はないだろ?」
「不足かどうか以前に貴方は誰よ? 貴方みたいないい加減な奴なんかすぐに撃ち落としてあげるわ」
後ろから聞こえてくる声を聴きながら先へと進む。
行け、進め。僕の見たい景色があるその場所まで。
目指すべき場所―――霊夢が戦っているところまで。
扉を開けた瞬間――――思わず絶句した。
見えてくる光景があまりも壮大で。
受ける印象があまりにも圧倒的で。
「うふふ、すごーい! 私たち姉妹にこれだけついてこられる人間がいるなんて、外の世界って広いのね」
「フラン、過大評価しすぎよ。人間にしてはやるようだけど、まだまだ私たち姉妹には及ばないわ」
「お姉さまったら強がっちゃって。どう見ても私たちが劣勢じゃない」
「これは手加減しているのよ!」
空間を満たしている弾幕の密度が違う。
魔力の込められた弾の数が違う。
込められている力のレベルが違う。
「どうでもいいけど、本気で来るのなら早くしなさい。さもないと―――かすりもせずに終わっちゃうわよ?」
そして何よりも、弾幕をかいくぐるその姿が。
光の中でも存在感を放っているその姿が。
何よりも輝いて見えた。
「お姉さま、ここまで言われてやらないわけにはいかないわよね?」
「ええ、準備はできているわ」
フランの左手とレミリアの右手が握られる。
似通った魔力は混ざり合って、一つの形を作り出す。
掲げられたのはそれぞれ1枚のスペルカードである。
姉妹の口が同時に開かれて言葉が発せられた。
何を言ったのかは聞き取れなかったが―――その言葉をきっかけに世界が真っ白に染まった。スペルカードが宣言されると同時に、さっきよりも圧倒的な光が空間を満たしていく。真っ暗な世界で、真っ赤な世界で、閃光というような光が世界を支配している。
「やるじゃない。少しだけ辛いわ」
「すごい、すごいね! お姉さま! あれ見てよ! 辛い顔なんて全く見えないわよ!」
「フラン、もうすぐ負けるっていうのに随分と楽しそうね」
「だって、もっともっと難しくしてもいいのよ? もっともっと高くしていいの。積み木を積み上げるみたいに高いところで勝負できるのよ? そしたらもっと楽しくなるに違いないわ!」
「そうね―――その時はもっと楽しいでしょう」
聞こえてくる声が遠くなる。
僅かに残っている意識が遠くなる。
もともとあまり見えていなかった視界がさらにかすむ。
立て、まだ終わっていない。全てが終わるまで立っていろ。
見上げるんだ。いつまでも、ずっと、ずっと、ずっと。
これが目指すべき高さ。到達すべき高さ。
(登りたい、このステージに。最後の最後に―――納得するために)
絶対にここまで登ってやるから。
絶対にたどり着いてやる、絶対に。
「もういいのか?」
隣には、いつの間にか先ほど助けてくれた白黒の魔法使いがいた。
「いいよ。十分だ。十分に自覚した。この心に灯る明かりさえあれば、迷わずに歩いていける。心に炎を灯していける」
「私から言えるのは諦めるな、折れるな―――それだけだ。そうすれば、いつか手が届くところまで行ける。ただ―――私が先にたどり着くけどな」
「別にいいよ、順番を競っているわけじゃない。先にたどり着いているんだったら、その時は君にも勝つだけさ」
「ははっ、ほんとにおもしろい奴だな。気に入ったぜ! 楽しみに待っているからな!」
ああ、待っていろよ。
絶対にたどり着いてやるから。
強い、何よりも熱い気持ちを心の中に刻み込む。
炎は延々と燃え盛っている。
帰ろう。博麗神社へと。自分の家へと。
この想いを連れて帰ろう。
僕の両足は、白黒の魔法使いを置き去りにして歩き始めた。
「なんだか楽になってきた……曖昧にする能力のおかげかな?」
心なしかだんだん歩幅が安定してきた。
心の曇りがなくなるように視界がはっきりしてくる。
さっきのがピークだったのかな。
そんなことを思いながら赤い廊下を進んで、玄関から外に出る。
外の世界はすでに本来の形を取り戻しつつある。晴れ渡っていて、赤い霧が僅かにあるだけになっていた。
そして、目の前の景色には一人の妖怪と一人の妖怪が対比するように存在していた。
「すみません、結局心を折ってしまいました」
美鈴が申し訳なさそうに頭を下げている。
地面に転がったまま涙を流している椛がそこにいる。
現場にはいなかったけど、なんとなく何があったかは想像できた。
少なくとも―――僕と同じように椛が負けたということだけは分かった。
「なんで謝るの? 美鈴はこれで正しいと思ったんでしょ? だったら謝らないでよ」
「それはそうですが……」
「椛、帰ろう? 僕も負けちゃった。悔しくて泣きそうだ。今は一度帰って色々考えたい。これからどうするのかとか、どうしていけばいいのとかね」
「そのナイフの傷は咲夜さんですね。戦ったのですか?」
「うん、弾幕ごっこが上手くてびっくりしたよ。そして、自分が弱すぎてびっくりしちゃった。今日は驚いてばっかりだ」
本当におごっていた。弾幕ごっこならいい勝負ができると思っていた。
できること、できないことの中でも、できる方だと思っていた。
そんなものは、ただの妄想だったんだ。
力なんて何もなかった。
無力な自分は、あの時から何も変わっていない。
あの日から―――何も変わっていない。
弱い僕は、まだ弱いままだった。
それが分かっただけでも、今日の収穫は大きかったといえるだろう。
「……なんでこんなに辛いの? なんでこんな思いをしなきゃいけないの?」
椛が弱弱しく尋ねてくる。
なんでなんて―――そんなこと知らないよ。
それは椛だけが知っていることだ。
「きっと、叶えたい願いがあったからかな……?」
なんでそう思うのか分からないけど、それでもそう感じる理由は知っている。
そうやって苦しくなる理由を知っている。
そうやって辛くなる理由を知っている。
そして―――こんな思いをする理由を知っている。
「私……何をしていいのか分からないの。どうすればいいのか分からないの。どうしたら和友さんの近くにいられるの? どうしたら和友さんの役に立てるの?」
何をすればいいのか、そんなこと知らないよ。
何をすべきかは、椛が決めることだ。
僕から何をして欲しいと言うことは基本的にない。
やりたいようにやって、思うことをやってくれればそれでいい。
何をするべきか―――それは分からないけど、それでも何をしていいのか分からないと思う気持ちは分かる。
今でも両親のことを引きずっている僕には分かる。
「そんなの分からないよ。椛が自分で納得できる理由を探さなきゃ。僕があれこれ言ったところで何にもならないよ」
「そんな……このままじゃ私―――寄生虫みたいじゃない。一方的に寄りかかるだけの存在じゃない。迷惑をかけてしまう。私は、そんな私を許せない……」
「だったら、納得できる自分を探していかないとね。自分が納得できる形を探さないと―――これから先に見つけて行かないと」
「これから先? そんなの辛いだけかもしれないのに? 苦しいだけかもしれないのに? どこに進めばいいのかも分からないのに、どうやって前を見ればいいの? どうやって生きていけばいいの?」
そんなこと知らないよ。
生きていく方法は椛がこれから先見つけなきゃいけないものだ。
人によって生き方に違いがあるように。
生きるために必要なものは違っているのだから。
「辛いの……心が痛くて泣いているの……」
「生きていれば辛いこともある。苦しいこともある。それでも、僕も椛もまだ生きている。心をもってそこにいる」
辛くても、苦しくても、生きている。
辛さに負けても、苦しさに屈しても、それで自分の中の大切なものがなくなっても、僕たちは生きている。
考えていて、感じていて、想っている。
何を考えているのかな。
何を感じているのかな。
何を想っているのかな。
それらが全てあるから―――僕たちは生きていられる。
これだけ打ちのめされても。
これだけの差を見せつけられても。
まだ、心が叫んでいる。
「ねぇ、僕に教えてよ。椛の気持ちを教えて」
僕たちは、どこまでいっても感情を消すことができない。
心の奥底にある感情はいつだってうるさく鳴り響いている。
いくら捻じ曲げようとしても、本心からくる叫びは誰にも止められない。
「僕は知りたいよ。みんなの気持ちを。みんなの想いを。そして、僕の気持ちを分かって欲しいんだ。僕の心からの気持ちを」
僕は、みんなに分かってほしかった。
なんでこんなことを考えたのか。
どうしてみんなに追いつきたいのか。
どういう理由で―――この結末を望むのか。
今の僕の心の奥底の気持ちを、聞いて欲しかった。
「悩めばいいよ。椛の人生は長いんだから―――悩んで決めればいい。悩んだ時間がきっと椛を支えてくれるから」
そう、僕のように。
僕は、積み上げてきた家族の温かさがあったからここに立っていられる。
どれだけ辛くても。
どれだけ苦しくても。
どれだけ悔しくても。
多くの記憶がなくなった今となっても―――背中を押す声が聞こえる。
負けるなという声が聞こえる。
背中を支えてくれた両手の温かさが残っている。
だから、諦めずに戦っていられるんだから。
その重さが僕の足を動かしているんだから。
「今は―――僕たちの家に帰ろう?」
椛は何も言わずに立ち上がった。
目には悲しみの色しかなかった。
それでも足が動くのは、それだけの想いを支えるための記憶があるからだと思った。
「大妖精も一緒に来てくれる?」
「……私は、チルノちゃんを送っていくので後からでもいいですか? 笹原さんは、博麗神社ですよね?」
「うん、じゃあそれからね。待っているから。もちろん来なくてもいいけど、僕は待っているからね」
大妖精と別れて、来た道を帰っていく。
博麗神社から出たときの勢いなんて全く残っていなかった。
速度は行きの半分もない。
怪我をした状態での強行軍は、重い空気を纏いながらゆっくりと進んでいた。
道中で椛が話してくることは一度もなかった。
僕の独り言だけが空間を伝搬していた。
溜め込んだ思いが、空気を震わせていた。
「くそっ……何度思い返しても悔しいな。惨めすぎて今すぐ引き返したいぐらいだ。相手にすらなっていなかった―――あんなの最低だ」
脳内に負けた時の光景がフラッシュバックしてくる。
眼前にナイフがある。
どこを見ても躱せるポイントはなかった。
なんだよあれは、なんだよあの勝負は―――。
心の中で悔しさが煮えたぎっている。
あんなんじゃだめだ。
リベンジがしたい。
―――次こそは!
「次は、絶対に勝つ! 勝つ! 勝つ!」
絶対に勝つんだ。
僕を助けるために。僕を守るために。僕を助けられるのは、僕しかいないんだから。
この想い、忘れるな―――絶対に、絶対に!
そういう想いを心に針を突き立てる。痛みを感じるほどに突き刺す。容赦なく、手加減なく、突き立てる。
心が痛いと叫んでいる。悲しみと苦しみを訴えている。
それでも捨てちゃいけない痛みだ。
それでも消しちゃいけない苦しみだ。
悩んで、後悔したから、僕が今の道を進んでいけるのだから。
「あれ?」
走っている途中で木に寄りかかっている人間が2人いるのを見かけた。
なんだろう―――懐かしい思いに駆られる。その人物は、ひどく見慣れた格好をしている。視界に入るその姿からは、なんだか懐かしさを感じた。その恰好にどうにも視線を引き寄せられた。
僕は、心が赴くままに進路を変えて距離を縮める。急な進路方向の変更をしたにもかかわらず、後ろには椛がついてきてくれていた。
「外の世界の人かな?」
恰好からして外来人だった。僕以外の外来人と初めて会った。
見たことのない制服を着ている。少なくとも僕の通っていた中学の制服ではなかった。記憶がかなり飛んでしまっているから勘違いかも知れないけれど、直感的に違う気がした。
着ている制服は二人とも同じだった。おそらく二人は同じ中学校なのだろう。
一人はショートカットで柔らかい雰囲気の女の子。
そして、もう一人は長い黒髪の鋭くとがった雰囲気の女の子。両者の体にはたくさんの傷がついていた。年齢は僕と同じぐらいだろうか。
「……どうしようか」
どうしようかと思ったけど、答えは決まっていた。
連れていこう。ここに置いておくと妖怪に食べられる可能性もある。
それでも別に良かったと言えば良かったが、それが自然の摂理だと言えばそうだったが、ここまで見ておいて見て見ぬふりをすることはできなかった。僕が幻想郷に連れてこられた他ならぬ外来人だったから。同じ境遇であることを想うと、放っておくことができなかった。
「椛、一人だけ抱えてもらってもいいかな?」
「…………」
椛は僕の提案に一度だけ力なく頷いた。そして、僕たちは2人の外来人と共に家である博麗神社へと帰還を果たした。
大きなものを失って、大きなものを手に入れた僕たちは、明日になるまでお互いにお互いの顔を見ることなく眠りについた。
また明日―――いいことがあるね。
いつもの言葉を告げて、明日の景色に思いを馳せて、意識を夢の中に置いてきた。
まず、更新が遅くなって申し訳ありません。
艦これの小説はざっくばらんに思いつく形で書いていますが、こちらの小説はプロットがある程度決まっており、文章量も多いため書くのに時間がかかりました。
さらに言えば、海外から帰ってきて小説を書く習慣づけをまた1から作るの大変でした。これからはもう少し進捗速くなると思いますが、次回更新はまだ未定ですね。
主人公は弱いですね。心は強いのですが、実力が足りません。
そういうキャラクターでずっと書いてきたつもりなので特に変わったところはありませんが、目指すべき高さが分かったのが一番の収穫ですね。
あと、魔理沙が男前すぎて怖いですね。
オリキャラが次の話から出るかと思いますが、何卒よろしくお願いいたします。
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