ぶれない台風と共に歩く   作:テフロン

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第7章の4話目です。
7章は、紅魔郷のお話になります。
全5話になる予定です。
そういう予定でしたが、怪しくなっています。1話分増えるかもしれません。


勿体ないこと、彼の者の存在

 紅魔館の中を滑走する。迷いなく目的地へと突き進む。

 最終地点への道筋は知っている。紅魔館の中の構造はノートにちゃんと書いてある。玄関口から入ると、左右にはいたるところに客間のような部屋があって、それを無視して進んでいくと図書館がある。そして、図書館を通って中央で左に曲がると目的の場所まで一本道だ。

 図書館で右に曲がるとちなみにフランの部屋がある。今回は、フランに会いに来たわけではないので図書館で左である。

 移動によって移ろっているはずの景色は全く変わり映えしない。これで明かりがついていなかったら前に進んでいるという感覚は絶無だっただろう。

 そう思ってしまうほどこの空間は同じに見える。同じ世界に見える。同じものに見える。同じ赤に見える。外とは違った赤に見える。

 外も赤い霧のせいで視界が一色に染まっていたが―――紅魔館の内壁の色濃い赤はそれとは一線を引いていた。

 

 

「こんなに早く真っ赤な世界の中に再び身を置くなんて思ってもみなかったな。来るとしても、もうしばらく時間が空いてからだと思っていたけど、それだけ僕にとって紅魔館との縁が深かったってことなのかな」

 

 

 以前紅魔館に来た時からまだ1か月も経っていない。これほど早くに紅魔館に訪れることになるなんて思ってもみなかった。来るとしても、ほとぼりが冷めてから―――紅魔館側から来なさいと、あるいはいつ来るのと言われてからだと思っていた。

 

 

「ここから―――紅魔館から始まった。僕の、僕のための物語が」

 

 

 こうして戻ってくると色々なことが頭の中に想起される。次々と記憶が戻ってくる。気持ちがシャキッとする。潤いが戻るというか、記憶が戻ることで決意が新しさを取り戻すという感じだろうか。

 ここで、僕は一歩を踏み出したのだ。

 大きな一歩を踏み出したのだ。

 

 

 

「あ、そういえば―――」

 

 

 記憶を巡っていくと―――紅魔館でやりたいことがあったことを思い出した。

 

 

「図書館に本を読みに来ることは未だにできていないけど、全ての終わりまでに1度は来たいね。何か新しいものが見つかるかもしれないし、何か新しい考えが浮かぶかもしれない」

 

 

 パチュリーさんからはすでに許可をもらっている。あの時―――フランの部屋へと向かう際に許可をとっている。

 結局一度も訪れることがなかったため借りることはできていないが、ぜひとも一度は読んでおきたかった。幻想郷では非常に珍しい存在となっている本をぜひとも読んでみたかった。

 

 

「本は僕の世界を広げてくれる。僕の知らないものを見せてくれる。作者が何を考えていて、何を知っていて、何を想っていたのか知ることができるっていうのは、なんだか世界の一部を共有しているようで気持ちがいいよね」

 

 

 本を読むことは、本を書いた著者の世界に入り込むことに等しい。

 小説でも、自伝でも、伝記でも、啓発本でも、何かの教科書でも、その中には書き手の想いが―――考えが反映されている。

 本を読むことはつまり、書き手の考えを覗くことに他ならない。書き手の想いをくみ取ることに他ならない。書き手との知識、思考の共有は新しい世界を見せてくれる。思考の一部が入った本を読むことで脳内が拡張されるのである。

 そういった思考の拡大が起こると考え方に変化が起こる。思考能力に幅が出る。課題にぶつかったときに別の発想が出てくるようになる。

 

 僕は、なるほどそういう考えもあるのか――――そう思う瞬間がたまらなく好きだった。

 

 こういうことを考えていると本が読みたくて堪らなくなってくる。じっくりとゆっくりと世界の広がりを感じたくなってくる。

 外の世界では読もうと思えばいくらでも読めた本が幻想郷にはほとんど存在しないのだ。ずっと読んでいない―――そんな禁断症状にも似た感情が押し寄せ、知的欲求がこちらを覗き始めた。

 

 

「いやいや、駄目だ、駄目―――何を考えているんだ。目的がぶれると何をしに来たのか分からなくなる。今どこを走っているのか分からなくなる。心の内側ばかり見ているからこうなるんだ―――外を見よう、そうしよう!」

 

 

 欲望を振り切るように首を振って無理やり意識を外に向ける。目的なんて実はないけれども、本を借りるという目的とすると異変に関わることができなくなる。それで満足して帰ってしまうのが目に見えている。

 それでは駄目なのだ。今日は思い出づくりにここにきているのだから。

 一度視界を閉ざして瞼を開ける。意識を一新させる。気持ちを新たにした視界には全く変わらない景色が入り込んだ。

 しかし、変化のない背景の他に―――空間に点在するように着飾られた妖精がいることに気付いた。

 

 

「ここにも妖精がいるんだね。恰好も違うし、紅魔館に住んでいる妖精なのかな」

 

 

 目視で確認する限りにおいて、妖精はメイド服を着ているように見える。メイド服の基調を考えると咲夜さんが来ていたメイド服に似ているような気がする。あくまで気がするだけであって色合いが同じに見えるということだけなのだが、紅魔館という場所もあっておそらく咲夜さんと同様に給仕として仕えているということは何となく理解できた。

 妖精は教育しても言うことを聞かないというけれど―――藍からはそう教わったんだけど、意外とできるものなのかな。藍が言っていたことを鵜呑みにすると、妖精を給仕として働かせるのは相当難しかったはずなんだけど。こうしてメイド服が様になっている様子を見ると、ちゃんと働けていることは察することができた。

 きっと育てるのに相当な苦労をしたはずである。僕があの時―――妖精と一緒にマヨヒガに帰っていたらその苦労の一部でも理解できたことだろうけど、焚き付けて見殺しにした僕には想像することしかできないが―――それでも想像することはできた。妖精に給料は出ていないだろうけど、そもそも妖精はお金を必要としないので無料だろうけど、育てる労力は無料にはならない。

 ご苦労様です―――育てた人に最大の賛美を送る。

 心の中で知らない誰かに称賛を送っていると、ゆらゆらとメイド服を着た妖精が近づいてきた。

 

 

「お前たちも近づいてくるのか……」

 

 

 いつもなら振り払ってくれる椛はここにはいないし、紅魔館で働いている妖精ならば傷つけるわけにもいかない。

 分かってもらえないだろうか、大妖精のような知性があれば―――そんな僅かな希望を抱えながら言葉を送った。

 

 

「ごめんね、僕には構っている時間がないんだ。一緒に遊びたいかもしれないけど、一緒にいたいかもしれないけど、今度の機会にね」

 

 

 メイド服を着た妖精の首が縦に振られた。まるで別にいいよというように―――笑顔で意思を示していた。

 どうしてだろうか、どうしてなのだろうか。その反応を見た僕の心の中が嬉しがっていた。反応してくれた、意思をくみ取ってくれたように感じる妖精の反応に心が騒いでいた。

 その心の喜びのまま―――口から言葉が出た。

 

 

「もしよかったら、一緒に来る?」

 

 

 妖精は、満面の笑みを浮かべて勢いよく首を縦に振る。

 本当に分かりやすかった。安心感が違った。先ほど出会った大妖精と違って、言葉を喋ろうとはしないから喋れないのだろうけど、言葉が伝わっているのは分かる。

 外にいるただただ接近してくっついてくるだけの妖精とは明らかに違う。いうなれば、大妖精と有象無象の妖精との中間地点ぐらいかな。紅魔館の妖精からは、理性があるというか節度が感じられた。

 妖精は僕からある一定の距離を保つと並行して飛行する。

 そっと見つめた妖精の表情には、楽しそうな笑みが浮かんでいた。

 それを見て―――なぜだか僕まで楽しくなった。

 

 

「よし! それじゃあついてきてね。ふふっ、楽しくなってきたなあ!」

 

 

 妖精は、滑走する僕のスピードについてくる。外の妖精の速度とは段違いである。

 速度を合わせ、同じように楽しそうな笑みを浮かべる。僕が妖精に合わせているのか。妖精が僕に合わせているのかは分からない。そんなことはどうでもよかった。今が楽しいということだけが―――心を震わしていた。

 

 

「走れ! 走れ! もっと速く!」

 

 

 先ほどよりもはるかに軽くなった足取りで未来へと駆ける。大股でハードルを越える様に飛ぶように走り抜ける。

 轟音が近くから木霊しているのが聞こえる。すぐ近く―――図書館の方角から。目の前の扉の奥から聞こえていた。

 

 

「さぁ、図書館だ!」

 

 

 音の源泉である図書館に入り込む。すでに開かれている大きな木造の扉を越えて妖精と一緒に図書館へと足を踏み入れた。

 本棚が倒れている。本が無造作に放り投げられている。燃えていないのが奇跡みたいな光景だった。

 轟音は上方から響いている。

 僕は、視界を音源である空へと移してみた。

 

 

 

「……すごいな。あの子―――確か霊夢の友達だったよね」

 

 

 空高くにまで伸びている天井付近は、花火大会の様相を呈していた。

 そこにいるのは、本を抱えた白と黒のモノトーンを基調としたエプロンドレスのような服を着ている人間と図書館の管理者であるパチュリーである。

 あの人は、霊夢と一緒にいるところを見たことがある。霊夢が普段見せない表情をしていたことが―――僕に見せたことのない顔をしていたのが印象的だったからよく覚えている。名前は知らない。区別もしていない。なのに、記憶に残っている。名前も知らないのに、覚えている。どうしてだろうか―――霊夢に友達がいるって書いたときに一緒に記憶されたのだろうか。僕の記憶力が良くなっているとしたらこれほど嬉しいことはないけれど―――きっとそういうわけではないだろうね。

 視線を疑問の相手に集中する。箒に乗って飛び回っている霊夢の友達の姿は、おとぎ話に出てくる魔法使いを見ているようだった。

 そして、その相手をしているパチュリーの戦うその姿は、これまた以前会った時よりも威厳に溢れていた。

 

 

「異変の主がここにいることは分かっているんだ! とっとと突破させてもらうぜ!」

 

「それはいいけれど、どさくさに紛れて本まで持っていかいないで!」

 

「ついでだ、ついで! そもそもこんなものここに置いておいても意味がないだろ? 本が泣いているぜ? 本は読まれてこその本だ!」

 

「もっともらしいことを言って窃盗をごまかしても騙されないわ! あの黒いのを倒す方法は……」

 

「そんなものが載っている本もあるのか!? それはぜひとも欲しいところだぜ!」

 

 

 霊夢の友達であろう彼女の速度が上昇する。その持ち前の速さでパチュリーの弾幕を強引に躱していく。パチュリーの飛行速度があまり早くないためそう見えるのか分からないが、うらやましくなるぐらいに速い。先ほど飛んでいた霊夢よりも旋回力はないようだけど、直進スピードは霊夢よりも速いように見える。

 

 

「いいなぁ、僕もあんな風に飛べたらいいんだけど」

 

 

 最低でもあのぐらいできなきゃ話にならないだろう。霊夢の近くに並び立つにはあの程度を軽々とこなさなければならないだろう。

 そうでもしなきゃ―――霊夢と戦うなんて無理だと思った。

 そして、霊夢に勝つにはもっと強くならなければならないと思った。

 

 

「霊夢の友達をやるにはあのぐらいできなきゃいけないのかな……でも、あの子と霊夢とじゃまだ霊夢の方が強いような気がするなぁ―――それでも僕より霊夢の近くにいることは確実だろうけど」

 

 

 弾幕が炸裂する音が支配する図書館を妖精とともに練り歩く。まるで景色の一部とでもいうように、轟音が鳴り響く世界の中で歩みを前に進める。

 

 

「すごいな、僕のボキャブラリーがないのもそうだけど。すごいとしか言いようがないね。僕と橙と藍が戦っていたのを外から見ていたらこんな風に見えたのかな。こうして他人の弾幕ごっこ見るのが初めてだからそう思うだけかな?」

 

 

 角度を変えながら空を見上げる。二人の戦いを眺める。

 二人の戦いの様子は―――まるで映画を見ているような錯覚に陥る光景だった。

 女性二人が空を飛び交っている。激しい光と音が空間を満たしている。

 頭の中で情報を処理しよう―――飲み込もうとすると、なんだか夢を見ているんじゃないかという感覚になってくる。これが現実だということは分かっているつもりなのに、どうも夢の中にいるような感覚になってしまう。

 

 

「そう思うのはきっと―――僕の心が外の世界に残っているからだよね。外の世界の僕がまだ、心の中に残っているからだ」

 

 

 なくなったと思っていた。

 幻想郷にきて、帰るべき場所が燃え尽きて、幻想郷という場所で過ごしてきて、なくなってしまったと思っていた。

 だけど、それは気のせいだったみたいだ。

 今の僕がここにいるように、ずっと僕を支えてきたものがなくなっているわけがなかった。僕がここにいられるのは、過去の僕がいたからなんだから。外の世界で過ごしてきた僕がいたからなんだから。

 

 

「大事にしよう。忘れないようにしよう。過去の僕を忘れてしまったら今の僕を殺すことになりかねない。僕は忘れてはいけないのは何も相手だけではないってことだね。僕自身も覚えておいてあげないと」

 

 

 誰かを覚えてあげるというのならば、自分も覚えてあげるべきだろう。自分が自分を忘れるなんて、なんて冗談みたいな悪夢だ。

 僕が僕を忘れたら―――僕が僕でなくなってしまう。

 だって僕は、過去に支えられてここにいるのだから。

 過去があるから地面を歩いていられる、大地を踏みしめていられる。

 こうして新鮮に思うのも、夢を見ていると思うのも―――きっと大切な感情で忘れちゃいけない感情だと直感的に思った。

 

 

「木&火符「フォレストブレイズ」」

 

「おいおい、もう3枚目か?」

 

「さっきからうるさいわね!」

 

 

 パチュリーのスペルカードが唱えられた。唱えられた瞬間に光が放射状に延びた。

 視界に収まりきらないほどの弾幕が空間を満たしていく。炎のような揺らめく弾幕と斜めに降り注ぐ木の葉のような弾幕が振り落とされる。

 綺麗な弾幕―――僕の歪な弾幕よりもはるかに上手く見えた。

 

 

「自信がなくなるほどの綺麗な弾幕だなぁ……ついこの前にスペルカードルールの説明をしに行ったとは思えないほどの上達速度……」

 

 

 スペルカードルールがこうして使われているのを見ていると、なんだか年寄りでもないのに感慨深いものを感じる。知らぬ間に時間が経ってしまったような―――最先端を行っていたつもりがすでに追いつかれてしまっているというか、むしろ追い抜かれてしまっているというか。

 寂しいと表現するのが当確だろうか。

 悲しいと表現するのが正確だろうか。

 空しいと表現するのが的確だろうか。

 どれでもない気がする。どれでもある気がする。

 そんな感情が入り混じった不思議な気持ちになった。

 

 

「みんな上手くなるのが早いよね。僕、もう追い抜かれているんじゃないかな?」

 

 

 ついこの間に幻想郷に広がったはずなのに―――やっぱりみんな走るのが早すぎる。僕なんて一瞬で追い抜かれちゃうじゃないか。

 もっと頑張らないと、無理がない程度に上手くならないと。最後にみんなと一緒に戦えるぐらいには強くならないと。

 最後になってもぼろぼろに負けるだけなんて想像をするだけで、それだけで悔しくて泣いちゃいそうだもんね。

 

 

「頑張らないとね」

 

 

 意気込む気持ちを抱えながら本が散乱している中を練り歩く。前に進もうとする足を邪魔するように本が散らばっている。

 踏まないように、踏まないように。そういいながら足元を見ていると自然と知らない文字や見たこともない本カバーが目に入ってくる。

 見ているとだんだんと読みたい衝動に駆られてくる。

 本の背表紙には何が書いてあるのだろうか。そもそも僕に読めるのかな。

 ―――読んでみたいな。

 本の存在を間近にするまでは、霊夢に追いついて戦いを見るまでは読むまいと思っていたが、読みたいという衝動が心の中を支配して仕方がなかった。

 

 

「○▼◇Ж?」

 

「何? 僕にあげるって?」

 

「§Θ、Ξ£◎!!」

 

 

 隣にいる妖精が見せつけるように本を持ち上げる。そして、手渡すように何て書いてあるか分からない本を渡してきた。

 なんだか―――試されているみたいだった。

 なんだか―――煽られているような気になった。

 

 

「ごめんね、今それを受け取ることはできないよ。本を借りに来たわけじゃないし……いや、別にいいのか。そうだよ―――今本を借りて行けばいいじゃないか」

 

 

 よし、借りよう。

 今借りよう。そうすればいいや。

 どうせ借りるんだし、後で借りるのも今借りるのも一緒だよね。

 どっちでもいいよね。

 一度妖精から本を受け取り、それを再び地面に降ろす。借りるにしてもその本ではないだろう。もうちょっと選んで借りないと。

 ただ、黙って借りていくのは流石に悪いし―――ひと声かけた方がいいか。

 大きく息を吸って灰の中に空気をため込む。そして狙いを定める。狙う先は、空中を飛び回っているパチュリーである。

 ―――届け!!

 

 

「パチュリーさん!! 本を借りていってもいいですか!?」

 

「笹原!? なんでこんな時に!?」

 

 

 驚いた顔が僕に向けられる。

 そして、パチュリーの顔が勢いよく左右に振られた。

 パチュリーの現在の状況は切迫している。眼前の虎(霊夢の友達)を前にしながら唐突の登場人物である。パチュリーには少年の対応をしている余裕がなかった。

 

 

「お願いしまーす!」

 

 

 忙しそうにしているところを見ると難しいのかな。やっぱり後の方がよかったかな。そんな少しばかりの反省をしつつ頭を下げる。

 

 

「そんなこと急に言われても……今はそれどころじゃ」

 

 

 パチュリーは、ちらちらと少年のことを見ながら弾幕を形成した。

 飛び回る中で視界の隅に頭を下げている少年の姿が映る。どうしても気になって視線が向いてしまう。気が散って仕方がなかった。

 

 

「ああもうっ! なんでこんな時に来たのよ! 全く仕方がないわね!」

 

 

 慌てた様子でパチュリーの両手が箒に乗った魔法使いに向けて突き出された。

 

 

「白黒! ちょ、ちょっと待って! 待ったよ!」

 

「このゲームに待ったなんてルールはないぜ!」

 

「待ったって言ってんでしょーが!!」

 

「だから何度も言うようだが―――待ったなんてないんだぜ!」

 

「っ! なんでこんなに間が悪いのよ! 土&金符「エメラルドメガリス」!!」

 

 

 パチュリーのスペルカードが宣言された。スペルカードがその効力を発揮し、空間が光で満たされる。

 ―――今しかない。パチュリーは、スペルカードの効果のタイミングを狙って少年に向けて声を飛ばす。現状で言葉を伝えるタイミングは今しかなかった。

 

 

「わ、私の机!」

 

「え?」

 

「私の机の上に笹原にお勧めしようと思っていた本があるから、それを持っていきなさい!」

 

 

 パチュリーの指がある方角に向けられる。

 僕は、視線を指さされた方向に向けた。

 そこには、未だ無事に存在している机と椅子があった。思えば、最初にパチュリーさんと会った場所もここだった。ここに座っていたのを咲夜さんの後ろ姿からのぞいたのが最初の出会いだった。

 机の横に綺麗に本が二冊重ねられている。明らかに違うものであることを示すように、表にメモ書きが書かれているのが確認できた。

「笹原に渡すもの」―――1発で、これが僕の借りる本だと理解した。

 

 

「ありがとうございます!! 読んだらまた借りに来ますね!!」

 

「……どういたしまして」

 

「なんだ、頬を赤くしやがって。熱でもあるのか? というか、あいつ霊夢のところにいたやつじゃ……」

 

 

 箒の魔法使いと視線が合ったが―――自己紹介はまた今度だと、深々と下げた頭を上げて進行方向を向く。

 

 

「あれ? 妖精が増えてる」

 

 

 ふと見返すと妖精は3体になっていた。もともといた妖精と、同じようにメイド服を着た妖精と……それと黒い服を着た赤い髪の女の子。少し格好がボロボロだけど、にこにこした笑顔でそこにいた。

 なんだか違うもののようだけど、それも個性ってことなのかな。

 そう思いながら前に進んだ。4人に増えた状態で目的地である異変の根源へと―――レミリアのもとへと向かった。

 

 

「道中見かけなかったからおかしいなとは思っていたけど、咲夜さんはここにいたんだね」

 

 

 同じように続いている赤い道。

 同じように見える景色。

 その道中の途中には―――銀髪の少女が佇んでいた。

 

 

「笹原、何でここに来たの? というか小悪魔まで何でそこにいるのよ?」

 

「なんだか楽しそうだったので?」

 

「どうして疑問形なのよ。パチュリー様はいいのかしら?」

 

「はい。私の出番は終わりました」

 

 

 黒を基調とする服を着た少女は、小悪魔という名前で咲夜さんから呼ばれていた。

 小悪魔―――またしても妖精なのにそういう名前を付けたのだろうかと疑問を抱えそうになったがそんなわけがないと疑問をごみ箱に捨てた。

 小悪魔というからには悪魔なのかな。大妖精と呼ばれている者が妖精だったように、そういう意味でつけられた名前なのかな。

 というか悪魔ってなんだ? 僕は、悪魔という単語をここで初めて聞いた。

 

 

「小悪魔? 妖精じゃなかったんだ」

 

「はい、悪魔です」

 

「悪魔って妖怪と何が違うの?」

 

「大体一緒です」

 

 

 悪魔という存在は初めて聞いたが、妖怪と大体一緒とのことらしい。大体一緒って―――それって妖怪と同じじゃないのかな。大体同じなら悪魔も妖怪も一緒なんじゃないのかな。僕には両者の違いがよく分からなかった。

 

 

「じゃあ妖怪なの?」

 

「はい、悪魔です」

 

 

 どういうことだろうか?

 妖怪なのかと聞いたはずなのに、悪魔だという答えが返ってきた。

 頭の中で疑問がぐるぐると徘徊する。ますます悪魔というものがよく分からなくなる。妖怪と悪魔は大体一緒ではなかったのか。妖怪なのという問いに対して悪魔ですというコメントが返ってくるあたりからは、明確に違うということが伺えるが―――区別されるべきものなのだろうか。

 

 

「……妖怪じゃないの?」

 

「はい、悪魔です」

 

「でも妖怪と一緒なんだよね」

 

「はい、大体一緒です」

 

「だったら妖怪じゃないの?」

 

「はい、悪魔です」

 

「ちょっと待ちなさい。会話が堂々巡りしているわ。小悪魔のことはとりあえずおいといて、笹原が紅魔館に来た理由を教えてもらえないかしら? 笹原もこの異変を解決しに来たの?」

 

 

 咲夜の言葉によって小悪魔との会話が途中で遮断される。

 紅魔館に来た理由―――この問いに答えるのは非常に簡単だ。

 なぜならば、理由なんてものは一つしかないからである。

 

 

「来た理由―――思い出づくりかな?」

 

「思い出づくり?」

 

「そう、思い出づくり。別に何かしたくて来たわけじゃない。止めに来たわけでもない。異変を止めるのは霊夢の仕事だからね」

 

 

 異変を解決するのは、博麗の巫女である博麗霊夢の仕事である。

 そして、おそらく霊夢の楽しみの一つだ。

 それを僕が奪うなんてことはするつもりはない。そもそも、僕が異変を解決できるかどうかが疑問だ。それだけの力があるって自信をもっていうことはできない。さっきの霊夢の友達とパチュリーの弾幕ごっこを見ていて思ったが、弾幕ごっこじゃ勝てる見込みがなさそうである。ルールありの勝負じゃ―――僕が熱くなるまで粘れない気がする。

 その点―――霊夢だったら心配がない。実力では申し分ない。目の前の結果がそれを示している。

 

 

「ついさっき来たでしょう? 霊夢が来たことは今の咲夜さんを見れば分かるよ。咲夜さんも霊夢に負けたからここにいるんでしょう?」

 

 

 霊夢はすでにここを通って、最終ステージに上がっている。

 目の前の光景を見れば、それはよく分かった。

 僕の言葉に咲夜の表情が僅かに歪む。

 そうそう、その顔だよね。

 負けた人間って大体そういう顔をしている。

 勝てると思っていた試合を落とすとそんな顔になる。

 よく知っている顔だ。

 

 

「……言ってくれるわね、挑発しているつもりかしら?」

 

「いや、霊夢は本当に強いんだなって思っただけだよ。弾幕ごっこじゃ敵がいない。あれじゃ、勿体ないと思わない?」

 

「勿体ない?」

 

「負けなきゃ分からないことっていっぱいあると思うだよね。僕は負け続けて、勝ち続けてきたからよく分かるけど、負けないと勝ちたいなんて思わない。勝ちたいって感覚は負けなきゃ分からない。絶対に必要というわけじゃないけど――――あった方が楽しいでしょう?」

 

 

 霊夢も味わってみればいいのに。敗北の味というものを。あれを味わうから勝利の味が分かるのだ。比べなきゃ、勝利の味の良さは分からない。

 

 

「弱い者だけが敗北の味を知っていてその敗北を糧できるなんて何だか変な感じがするけれど、負けた方が得られるものが多い気がするんだよね。負けたから勝ちたいって思うんだ。勝ちたいと思って勝つから嬉しくなるんだ」

 

 

 弱い奴だけが敗北の味を知れるっていうのもなんだか不思議なものだ。そして、何よりも弱者じゃなければ、敗北を糧に強くなれないっていうのも真理である。

 負ければ負けるほど勝ちたくなる。勝ちたい気持ちが心と体を強くする。

 そして、勝ちたい気持ちをもって戦って勝った時の喜びは格別だ。それは勝負を盛り上げるスパイス的役割を果たす。

 

 

「それを味わえないなんて勿体ないと思わない? 悔しさの味が未来の旨味になるのにさ。今なら分かるんじゃない? 霊夢に負けた今なら―――心の中の猛りが見えている今ならさ」

 

 

 僕の言葉を聞いた咲夜の表情が狂気を含んだ笑顔に染まる。

 

 

「そうそうそういう顔だよ。俄然やる気になってきたでしょ? 次への気持ちが沸いてきて、楽しいでしょう? 今の咲夜さんはあの時の僕と同じ顔をしているよ」

 

「……笹原、ちょっとばかり憂さ晴らしに付き合いなさい。あの博麗の巫女にリベンジするのは次の機会よ!」

 

 

 そう言った咲夜の表情は生き生きしているように見えた。

 

 

「僕でよければ相手になるさ」

 

 

 咲夜の表情に応える様に心の中に熱いものが落ちてくる。火種が落ちてくる。

 背筋がぞわぞわする。笑みが沸き立つように出てくる。

 

 

「ただ―――僕に負けてリベンジの相手が増えても知らないからね!」

 

 

 煮えたぎるほどに燃やせ。世界を沸かせろ。

 そして、心の表面に火種が落ちて意識が戦いへと向いたとき、開戦を告げる砲弾が―――今ここに宣言された。

 

 

「時が止まったその先で踊り狂いなさい! メイド秘技「操りドール」!」

 

「時間が止まったところで進むべき道は変わらないよ! 僕の進むべき方向はいつだって今の歩みの先なんだから! 先導「迷いなき前進」!」

 

 

 両者のスペルカードが空間に解き放たれた。

 

 

 

 少年が咲夜との戦いに興じようとしているその時、外では椛が体中を土で汚しながら地面に横たわっていた。

 かつての少年のように―――美鈴からの殴打を受けて倒れていた。

 

 

「ほら、その程度で諦めるのですか? 和友さんは諦めませんでした。あごの骨が折れても、意識が飛んでも、私に向かってきましたよ」

 

「……っ!!」

 

 

 必死に歯を食いしばる。比較として和友さんのことが口に出されているのが癇に障る。怒りがふつふつと湧き出してくる。

 だけど、だけど――――そんなことを言われても立てる気がしなかった。

 視界にあるのはほぼ無傷に近い妖怪の姿。そして、ぼろぼろになった自分の体だけ。

 勝てる望みは僅かほどもない。立っても同じことが続くだけ。

 そんな後ろめたい気持ちが心の中でどんどん存在感を増していく。諦めたいという気持ちが大きくなる。

 自分の弱い心が嫌いになりそうだった。

 嫌いで、憎くて、悔しくて。

 それでも―――諦めたい気持ちに押し切られそうだった。

 

 

「早く立てって言っているんですよ。分かりますか? そうでもしなきゃ、貴方は引きずられるだけの存在になります。和友さんにとっての足かせにしかなりません」

 

 

 何も言い返すことができなかった。

 和友さんにできたことを自分ができないという現実に反論できなかった。和友さんよりも弱い自分という事実を否定できなかった。

 

 

「自覚したらどうですか? 貴方は弱いのですよ。和友さんよりも弱い。立ち向かう勇気も、乗り越える気概もない。大きな壁があったらそれを避けようとする、見なかったことにする、立ち止まる。和友さんにとって、それは邪魔になるだけです」

 

 

 悔しさがこみ上げると同時に流したくもない涙が瞳に溜まる。

 流したくない。

 泣きたくない。

 けれども涙は、そんな私の強がる気持ちをくみ取ってはくれなかった。

 虚勢を張り続けることは無理だった。

 弱い自分がつけていた仮面は容易に引きはがされた。

 

 

「何を泣いているのですか? 自分が不甲斐ないからですか? 力がないからですか? 悔しいからですか?」

 

 

 ゆっくりと足音が近づいてくる。

 美鈴は、椛に対して振り下ろすようにして言葉を吐き出した。

 

 

「和友さんの隣を歩くとはそういうことですよ。私は、彼と戦ってそれがよく分かりました。彼の歩き方を、戦い方を、壁に挑む姿勢を、拳を交えてみて分かりました」

 

 

 美鈴は知っている。

 かつて同じ場所で、同じように戦った少年のことをよく知っている。

 諦めない姿勢。

 何度でも立ち上がる勇気。

 燃えたぎった瞳。

 勝利を渇望した表情。

 何もかもが桁違いで予想以上のものだった。

 

 

「彼は絶対に諦めない。自分が死ぬことになっても、自分が負けることになっても、納得できるまで自分を貫きます。試合が終わるまで―――決着がつくまで諦めずに勝つことを目標に突き進みます」

 

 

 本当なら言葉だけで伝えられたら良かったのですが―――私は不器用なもので……和友さんすみませんね。随分と傷つけてしまいました。大分苛めてしまいました。

 ですが、和友さんも悪いのですよ。あんな何も知らない妖怪を仲間だって言うから。何も分かっていない妖怪をそのままにしていたから。

 初めて見た瞬間に分かりました。和友さんを追いかける目に強さが無かったから。ふてくされた態度に心の弱さが滲み出ていたから。きっとこの妖怪は、和友さんが戦っているところを見たことがないのだろうと思いました。

 言っておかないと、この妖怪は大変なことになる。弱さを持っている者には、和友さんの生き方は余りにも毒です。後悔する、絶望する、ついていけない自分を殺したくなる、何もできない自分を、立ち止まる自分を許せなくなる。

 

 

「貴方のように敵わないからなんて理由で、負けてしまうからなんていう理由で勝負を諦めることはしませんでした。そもそも、そんなに簡単に諦めてしまうのならば最初から諦めてしまえばよかったのです」

 

 

 そう、諦めてしまえばよかったのです。

 途中で止めてしまうぐらいなら、最初からやらなければいい。

 途中放棄したことなど、やってないも同じです。

 

 

「貴方は、彼の護衛だと言いました。その程度の覚悟で護衛を名乗るのなら今すぐに彼の傍にいることを諦めてください」

 

 

 貴方が和友さんの護衛だなんて言わなければ、ここまでのことはしなかったでしょう。私も門番としての役割があるから―――お節介をかけたくなったのかもしれません。

 

 

「それが貴方のためになることです―――和友さんよりも弱いあなたに相応しい結果です」

 

 

 正直なところ―――仮に私が貴方の立場だとしたらついていけるか分かりません。

 自信をもって和友さんについていけるかと言われたら断言できません。 

 もちろんそれが、レミリアお嬢様の言うことであればやぶさかではありません。レミリアお嬢様が死地に向かわれるというのであれば、喜んでお供します。

 つまり、それだけの付き合いがあって、それだけの気持ちがあってようやく付いていこうと想うようになるのです。

 貴方にその覚悟がありますか?

 貴方は―――和友さんと一緒に死ねますか?

 

 

「……私は、和友さんのところにしか居場所がないのよ!」

 

「だったらひっそり暮らしていればいいでしょう? 和友さんを寝床に過ごしていればいいじゃないですか。貴方みたいな中途半端が一番迷惑をかけるのです」

 

 

 特に和友さんの場合には、その好奇心の強さから危機に陥ることが多いでしょう。危なくなったときに諦めてしまうようならば―――今のうちに護衛を辞めるべきです。逃げ出した自分を許せなくなるから。人間である和友さんを置いて見捨てて逃げ出したなんて―――自分を殺したくなるから。

 そして、それが最も迷いなく進む和友さんを鈍らせるに違いないから。

 途中で逃げ出されるほど悲しくなることはないから。

 誰にとっても不幸になる結果にしかなりません。

 

 

「どうして護衛をしているのですか? 貴方には明確な理由がありますか? 誰にでも胸を張って言えるだけの動機がありますか?」

 

「私は……役に立ちたくて、拠り所としているだけで何もできない自分が情けなくて、申し訳なくて……」

 

「和友さんはそんなもの気にしませんよ。あの人は護衛をやってほしいなんて一言も言わなかったのではないですか?」

 

「言わなかったけど―――私にできることはそれしかなかったから!! だからそうしているの!!」

 

「所詮自己満足じゃないですか。それで役に立っているつもりだったら目も当てられませんね」

 

 

 護衛という立場を作ったのは、この妖怪自身。

 求められたものでも、与えられたものでもない。

 このまま和友さんと一緒に歩いて心を殺してしまうぐらいなら、今というときに瀕死になった方がましです。

 立ち直れるうちに。

 諦められるうちに。

 自分を許せるうちに。

 自分の弱さと向き合ってください。

 和友さんの護衛を名乗るのならば―――尚更です。

 

 

「ほら、もう一度です。立ってください。護衛を諦めるというのならそのまま寝ていてもらっても構いませんが―――立ち上がるというのならば、私は貴方のために貴方の心を折ります。伝聞でしかありませんが、彼の者(かのもの)の末路を知ればこそです」

 

 

 彼の者は、和友さんの記憶を失ったという。

 最後の最後に―――そんな終わり方をしたという。

 何もなくなって。

 何も思い出せなくなって。

 歩き方を忘れたという。

 守るべきものの存在を忘れたという。

 大事にしていた理由を忘れたという。

 

 

「覚悟のないものが和友さんと共に歩こうなんて、辛いだけですから」

 

 

 それが望んでそうなったのか。

 望まない未来だったのかは分からない。

 それでも、彼の者はそれを受け入れたという。

 失うことを受け入れたという。

 そのぐらいの覚悟があってようやくだ。

 そこは―――そのぐらいの覚悟をしてようやく立てる場所だ。それだけの覚悟を持ち、それだけのことを受け入れた者がいた場所だ。

 同じ場所にいる貴方が同じだけの覚悟をするのは当然でしょう。

 そうでもないと―――立つ瀬がありません。

 

 

「そして何よりも―――大事なものを失うことを受け入れた彼の者に対しての侮辱になりますから」

 

 

 貴方は、彼の者と同じ覚悟を持てますか?

 美鈴の言葉に―――椛は動くことができなかった。

 




主人公側は、いつも通り楽しそうですね。
霊夢の友達である霧雨魔理沙は、次回の話できっちり出すつもりです。
原作に入って役者が揃ってきた感じですね。

対して、椛は辛そうですね。
ただ、ずっと主人公の傍にいた藍のことを想うと致し方ない気はします。
記憶があったころの藍が今の主人公と椛を見たら、黙っていないでしょう。
なんにせよ、早めに立ち直ってくれるといいですね。

次回の更新ですが、おそらく来週出せるかと思います。
再来週は台湾の方に出かけておりますので、執筆、投稿はできないと思います。

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